6155bHQnF0L



1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/28(金) 17:21:50 ID:ItJwvL2z
秀吉の天下取りを補佐した超名軍師、黒田官兵衛を語りましょう!(*・ヮ・*)
その知略、勇武は大海を泳ぐ魚の如き自由自在、変幻自在であり、彼がいなければ秀吉も天下は統一できなかったとも言われます。
秀吉死後、関が原のどさくさに紛れて九州を支配し、天下を狙おうとしたのも実は野心家である彼のみが成せる所業です。
官兵衛自身はもちろん、その功績、周りの人物、事象などでもおkです!











5: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/28(金) 23:15:27 ID:97rq7+Bw
関が原があんな早く終わんなきゃね

9: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/28(金) 23:54:35 ID:suy0O7J5
>>5
息子すら思い通りに動かせないんじゃ、天下は厳しいだろ。

6: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/28(金) 23:24:34 ID:RE88ppEN
小寺政職の子供を食わしてやってたのには感心した。自分を窮地に追いやった奴の子供なのに。

7: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/28(金) 23:50:23 ID:sHYbBSI4
>>6
でも如水をほんとに評価してたのも籐兵衛さんだよ、筑前じゃないよ。
身内同然の思い入れあがったんだよ。

10: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/28(金) 23:56:41 ID:sHYbBSI4
息子もなまじ才能があるだけにねえ・・・。

11: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/28(金) 23:57:34 ID:suy0O7J5
>>10
でも、家康は長政使いまくったからねえ。

18: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/29(土) 01:15:58 ID:eFnBGpkH
どうみても

息子>>>>>>>>>>こいつ

だろ息子のほうが優秀だよ

19: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/29(土) 19:44:18 ID:6Y6K3sPb
タイプがぜんぜん違うじゃねえかよ

20: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/30(日) 05:58:36 ID:Lm7Mxf6g
似てるところもあるか。
結局、父子ともに天下分け目の戦いに、キーパーソンとして参加してるしな。
というか長政も凄く優秀だと思うけど…

21: 黒田節  2006/07/30(日) 06:27:55 ID:xzPlal09
関が原において有名な石垣原?豊後で僅かな寡兵(農兵)で大友義統らの軍2000人相手に勝利し、その後も肥後国境付近の城を開城(降服)させた。 
さあ薩摩盗り目前にしてその野望ついえる、、、、、、

24: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/30(日) 13:29:26 ID:yuxdlXQQ
>>21
石垣原は双方寄せ集めではあったけど黒田軍の方が何倍か多かったはずだよ。
大友方千を最初3千で攻めて負けて、次に本隊8千で潰したって内容だったような。

25: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/30(日) 15:40:27 ID:BiH0wCbC
大友を降したあとの北九州の西軍諸城が降伏したのは、時間的には、関ヶ原の勝敗が決まったあとではないの?
黒田家が東軍だから交戦を避けただけで、別に如水の外交力でも神算鬼謀のせいでもないと
思うんだけど。

26: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/30(日) 16:18:11 ID:srmz+7gP
>>25
大友義統の降伏が関ヶ原と同日だから、時間的にはその通り。
西軍敗北の知らせを受け取った如水が、その情報を使って開城させていっただけだろうね。

41: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/01(火) 19:48:27 ID:uymmSuIJ
>>26
「同日に」降伏して「時間的にはその通り」とすると一体どうやってその情報を得たのかが気になる……

当時24時間以内で関ヶ原から北九州まで勝敗だけでも伝える手段て何だろう? 狼煙とか?

42: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/01(火) 23:17:44 ID:nUQT8uRc
>>41
大友を降したあとの北九州の西軍諸城が降伏したのは関ヶ原の勝敗が決まったあと、というのが「時間的にはその通り」ということ。

43: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/02(水) 21:40:20 ID:u+bGw9H7
>>42
それは大友だけがまともに武力で降伏させられて、それ以外の北九州の西軍諸城は西軍敗退が理由で降伏したってこと?

44: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/02(水) 22:35:53 ID:kLNeoYb2
>>43
安岐城は亀甲車とか使って攻撃して、9/19に開城させてるけどね。
それ以降は西軍敗北の情報をうまく使って開城させているものと思われ。

27: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/30(日) 17:03:15 ID:HFb7/lcl
実は息子の方が器量人?

28: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/30(日) 17:24:33 ID:1W9XEiQg
>>27
親父は参謀タイプ、長政はどっちかっていうと政治家だな。
戦闘指揮は息子の方がうまいが、作戦能力は親父が上。
親子逆転していると、かなり大勢力になったかと思う。

29: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/30(日) 17:29:31 ID:HFb7/lcl
>>28
関ヶ原のコーディネートも殆ど長政がやっているわけですが?
立場の違いと能力の違いは区別しないと。

30: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/30(日) 18:19:22 ID:1W9XEiQg
>>29
長政がやった関が原のの功績は、政治的なもので、主たる豊臣系大名を
家康方につけた。これは、政治的な業績だわな。

31: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/30(日) 19:50:58 ID:gQR4wsxZ
自分に向かってずけずけと物を言う小姓に、
「主君に対する物言いが不遜である」として斬ろうとした。
すると小姓は「主のことを思うからこそ直さいな物言いを心がけているのです」と言った。
それを聞いて「己の身にまで思いが及ばない者は要らぬ」と斬った。

32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/30(日) 20:18:42 ID:JP9319Ji
自己の保身や利益のために動く人間のほうが配下としては使いやすいからな

45: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/03(木) 01:51:36 ID:4Byl+LWq
まあ、大友を降したっていっても、主体が即席の傭兵だからやっぱり弱兵で、黒田家の古参の家来が、その分過剰に奮闘せざるを得なかった。
だから、如水は結果的に古参の重臣をかなり戦死させちゃったんだけどな。

46: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/03(木) 02:20:05 ID:6NGQ2WE6
なら世代交代の意味ではよかったんじゃねえの?

47: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/03(木) 02:55:20 ID:AJCiuQDm
領国経営としては、そういう考えもありだろうけど、戦術的には明らかな失敗でしょうね。
この人は一応戦上手という評価が高いわけだから。

48: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/03(木) 14:22:09 ID:AaPi2qR1
>>47
>この人は一応戦上手という評価が高いわけだから。

評価もなにも実績あるから。
寡兵で大軍を4度破ってる。
その内2つは規模が300対1000とかで小さいから有名じゃないのかもしれないが
後の2回は毛利戦で10倍の相手に勝ってる。
もちろん黒田隊のみで。

49: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/04(金) 22:28:06 ID:RDJ5t4Dm
だいぶ前に読んだ「カルテ拝見 武将の死因」(杉浦守邦)という本では如水の死因を若い頃(おそらく小寺時代京で遊んだ時)罹った梅毒とし、如水に関するいくつかの謎を梅毒の症状や進行過程によって推測している。
今手元にないのでうろ覚えなのだが

有岡城監禁について
→梅毒が進行すると、いきなり四肢に瘤ができて痛むことがある。
有岡城に使者としてやってきた官兵衛がいきなり昏倒して歩行が困難な状態になったとしたら?
荒木村重は使者である官兵衛をぞんざいに扱うわけに行かず。かといって既に篭城臨戦体勢の中、自力で歩けない官兵衛を丁重に敵方に引き渡す手間を掛けられず
結果的に干殺しのさなか敵方の官兵衛を生かし続けるという変な事になった。
監禁は嘘。脚の障害や脱毛は梅毒の症状。

次男についての記録が極端に少ないことについて
→如水には子がたった二人しかいないのに、その片方である次男についての史料がほとんどなく、生まれ年と慶長の役での夭折したことしかほとんど触れられていない。
梅毒に罹ると生殖能力が衰え、また薄弱児が生まれやすくなる。
次男は薄弱児でとうてい黒田家を支えるには足りないと早くから思われていたのではないか。
長政は梅毒に罹る前にできた子である。

関ヶ原時の行動、晩年の奇行について
→梅毒が生き延び末期になると、脳神経がやられて妄言奇行が多くなる。
関ヶ原役の九州における如水の軍事行動は、普通ならあまりにも非常識であり、これが失敗しなかったのはひとえにそれまでに如水が築いてきた名声と家臣団の錬度によるところがおおきい。
如水の妄言はその後も酷くなっていき、それはちゃんと記録にも残っている。

51: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/05(土) 00:39:53 ID:XgJ8xUHX
<瘡あたま>っていうあだなは、明らかに梅毒もちっぽいね。
ただ、如水は長政と死んだ次男の他にも、もうひとり庶子の男の子いるけどな。
確かかなり年取ってからの子で、正室の侍女に手をつけて(あらら)
男の子が生まれたんだけど、生まれてすぐ家臣に養子に出したから黒田姓じゃない。

3代目藩主忠之の黒田騒動の時、家老の栗山大膳が、家康が長政に与えた感状を万が一の時に備えて預けたのが、この如水の庶子。

91: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/17(木) 22:04:08 ID:T3EaXsVc
>>51
梶原景尚は長政の庶子じゃなかったっけ?

103: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/17(木) 23:49:23 ID:zElJePwR
>>91
梶原景尚は孝高の庶子。
忠之の家臣として仕えているけど、血脈的には忠之の伯父にあたるので栗山大膳が黒田家お取りつぶしの危機の際には、家康の書きつけ(黒田家は御子孫永く疎略の儀これあるまじく候)をもって老中に訴え出るように渡した。

849: 人間七七四年 2009/05/15(金) 10:40:28 ID:sci+oa3+
> ただ、如水は長政と死んだ次男の他にも、もうひとり庶子の男の子いるけどな。
> 確かかなり年取ってからの子で、正室の侍女に手をつけて(あらら)
> 男の子が生まれたんだけど、生まれてすぐ家臣に養子に出したから黒田姓じゃない。

>>51のこれ、俺が読んだ本には長政が如水の侍女に孕ませた庶子だって書いてあったんだけど、どっちが正しいの?

774: 人間七七四年 2009/01/21(水) 00:36:29 ID:U+hmeTAQ
>>773
当の梶原氏の子孫が景尚の父親は長政だと書いている訳で。

如水の姪が如水の妻に仕えていました。長政と如水の姪がデキました。
孕んだ姪を梶原景次の妻にしました。
生まれた子供に如水が平十郎景尚と名付け、景次の跡継ぎとさせました。

というお話。

52: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/05(土) 23:34:31 ID:TB8bypXn
如水は小早川隆景の評が実に言い得て妙

53: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/09(水) 04:57:22 ID:jjmIjDi1
>>52
これ?

ある時、黒田如水が隆景に質問した。
「私は勘によって物事を判断するため、間違いを起こすことがある。私に比べ、小早川殿の判断には狂いはない。何か秘訣があるのでしょうか。」
隆景はこれに答えて
「おっしゃるほどのことではありません。私は黒田殿ほど鋭くありません。物事を考えに
考え抜いたあげく結論を出すしかありません。黒田殿は頭が良いため、素早く決断なさる。そのために情報に誤りがあった場合に判断が狂われることがあるのでしょう。」

54: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/09(水) 05:03:30 ID:jjmIjDi1
これもいい言葉だな。隆景というのは偉い人だ。

如水の子である長政も「分別」について隆景に教えを乞うた。
 
「分別に肝要であるのは仁愛です。仁愛により分別すれば万が一、理に当たらないことがあっても、そう大きな誤りにはならない。逆に才智が巧みでも仁愛のない分別は正しいとは言えないでしょう。」と答えたという。

55: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/13(日) 22:53:13 ID:eNpKMU6j
如水は、諸大名との交友関係は異常に広いね。
小早川とも毛利とも鍋島とも細川とも、黒田家は如水の代は仲がいい。
細川とは長政の代で天敵になり、鍋島とは忠之の代で険悪になったけどな。

58: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/14(月) 18:23:24 ID:Hs28zfof
でも小早川隆景は如水の事を信用してないんじゃなかったっけ?

63: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/16(水) 10:15:40 ID:O2Ubz6bY
>>58
お前知らんの?
隆景と官兵衛はまぶダチだよ。
いやネタじゃなくてほんとだから。
広島に築城した時も官兵衛に土地の鑑定してもらってるし、九州征伐でも一緒に鍋島調略してるし、朝鮮でも隆景と小西が意見食い違ったときも官兵衛は隆景と同じ発言してる。
秀吉の次に認めてたと思うよ。

64: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/16(水) 19:47:32 ID:h5lzV7nq
広島城築城の件は、策士同士の腹の読みあいってかんじだけどな

如水と長政は、豊臣政権で対毛利家の外交窓口である
取次って職についてたから、毛利家と縁が深いのはそのせいだろう
吉川広家が家督継ぐとき後押ししたのも、婚姻の世話もしたのも如水
結局、黒田親子が政権内で失脚して、あとは三成が取次ぎになったけど、
長政の関ヶ原の時の工作が成功したのは、毛利家との2代にわたる
信頼関係があったからでしょうね

65: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/17(木) 01:16:27 ID:Ab6eLxD8
親父黒田より息子黒田の方が実は大物なんじゃない?
如水も長政本人も周囲の人間も、なぜか父の方が偉大だと思いこんでるのが何か不思議な気さえする。
戦場で槍働きさせてよし、策士としてもここ一番での大寝技も決められ、武断から文治の転換期に近世大名として領国経営もこなし…
というのをひとりの人間がこなしたのは、凄いことだと思う。

67: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/17(木) 06:13:07 ID:BuwBUBr2
又兵衛との確執や再仕官にしつこく横槍いれたりと、長政は小人物の印象

68: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/17(木) 07:43:25 ID:a5F+H9mx
親父の秀吉の天下取りへの貢献と息子の関が原での活躍のどちらにより信憑性があるかといえばあきらかに後者だろうに。そのへんから息子の方がすごいという意見があってもおかしくないと思う。

74: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/17(木) 19:08:08 ID:cyljvvOn
>>68

長政の懐柔は如水の布石と信頼があったから行えたんだってばよ。

・小早川秀秋→秀頼誕生の時に立場が危うくなった秀秋を小早川家の養子に斡旋、付け家老を黒田家から2人出す事に成功。

・吉川広家→広家は嫡子では無いが、元長死後に如水に吉川家の相続を根回ししてもらう、如水を師父と敬慕。

・武断派七将→戦場の生き字引として深く尊敬される、清正に至っては関ヶ原の九州戦線で如水に従うと言う手紙さえ送っている。

これだけの下地を作ってたからこそ、長政の工作が実を結んだのだよ。
そして長政しか離反工作を行う事が出来なかったのは、如水の信用がバックにあったから。
高虎でも藤孝でも忠興でもなく、長政でなければ対毛利の工作はできなかったんだね。

83: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/17(木) 19:43:46 ID:Hn30KhpC
自分も如水にはロマンを持ってるけど、こういう声が出るのもある意味自然だと思うよ。
如水は実績がいまいち不透明(半兵衛ほどではないが)なのに対して長政は関が原での工作を始め、立派な業績があるからなあ。

85: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/17(木) 20:32:33 ID:W75o/9oV
>>83
如水に関しては信頼できる1次資料が少ないからね。
長政以降はそこそこ資料があるんだけど。
幕府成立以前で信頼できる資料があるといいんだけど。
黒田にかかわらず、他の資料も同様。

104: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/18(金) 00:39:48 ID:NxrB39Mo
長政は、むしろ江戸時代になってからの業績をもっと評価されてもいいような気がする。
領国経営も及第点だし、外交的にもこまめに幕閣の有力者の情報収集をし、見舞いに行ったり姻戚関係を結んだりと、外様大名としての生き残りをかけて、こちらの方面でも最後までよく働いてると思う。

しかし、細川家はこういう情報戦や外交の領域は抜群に上手いな…。
あそこは幕府の対朝廷の儀礼指南という特技もあったけど、対幕府の気遣いと戦略が見事に実って、外様の中では藤堂とともに別格の厚遇されて気がつけば薩摩の抑えの要地・肥後54万石与えられてるし。
細川家は、三代目も名君だったっていうのも大きいが。

105: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/18(金) 18:26:47 ID:Y6wp1EAf
長政「家康殿は、それがしの手を三度も押し頂かれました」
如水「…で、手を握られたのはどちらの手か」
長政「右手でございました」
如水「すると、そちの左手はいったい何をしていた」
長政「……(父さん、脳梅毒にかかって…)」

107: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/18(金) 19:06:36 ID:YLO+y8Pc
如水「すると、そちの左手はいったい何をしていた」
長政「……(いま、左手で父上を殴りたくなりました…)」

これ、かっこいい台詞だけど、確かに如水が無茶苦茶言ってるな。
黒田家が天下取るのは現実的には無理だとは思うんだけど、座視できずに動いちゃうところが見果てぬ夢という感じで、好きだったりする。
火事場泥棒ともいうけどw

108: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/18(金) 23:53:29 ID:QGLK+z9p
>>107
その話って後の世の創作でないの?

110: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/19(土) 01:12:55 ID:r239pqpn
>>108
確かに、この逸話の元々の出典はどこなんだろうね?

109: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/19(土) 01:08:21 ID:r239pqpn
関ヶ原のときの如水の行動は、目の前に手頃な草刈場があったので、思わずどさくさにまぎれて刈っちゃったよーって感じだろうな
伊達政宗とかと同じでさ 

118: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/20(日) 06:58:54 ID:v+n7EJ8g
毛利家というかこの一族ってさ、如水と関わってよかったことより迷惑を掛けられたことのほうが多いんじゃなかろうか…
吉川元春に膾を勧めて、結果的に寿命を縮めさせたのは、この人。
嫌がる毛利領でのキリスト教布教を、輝元に取り付けて支援したのも、この人。
(んでその直後に禁教令がでて、如水はあっさり棄教。毛利領内の切支丹は弾圧)
秀秋の養子先に、最初に毛利家を打診して小早川家が絶えたのも、この人のせい。
関ヶ原で、吉川広家に結果的に空証文つかませたのは、息子。

ここぞ、というところで悪意のない働きかけをされた結果、

す ご く迷惑してる気がする。毛利の人々はそれでよかったのか…。

119: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/20(日) 07:13:55 ID:+H2MHq9K
ま、苦笑いだな

120: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/20(日) 08:28:19 ID:MM6+EZLp
こうしてみると、黒田も毛利にいろいろ余計なことやってるもんだなw
関ヶ原後、毛利家が防長2国になって家臣の家禄も払えず、新領主からは年貢の返米も迫られ窮地に陥ったとき、輝元は領地を返上していっそ大名を辞めようかどうか如水に相談してる
如水が、辞めないでとりあえず頑張りましょう、そのうちいいこともあるかもよ、とか慰めて止めたはず
だから、信頼関係は(なぜか)ずっとあるみたいなんだけどな

125: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/25(金) 00:49:32 ID:jWvwbAsU
如水について、坂口安吾の言った「二流の人」というのはすごい評価だと思う。
信長、秀吉、家康を一流として、そこまでたどり着けなかった武将。
三流ではないが、運かなにかが欠けていたんだろうな。
でも、長政が主人公の小説より、如水が主人公の方が多い。
やっぱり俺は息子よりは親が好きだな。

126: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/25(金) 01:07:36 ID:a467UOEj
自分の受ける感じ、
長政は「かなり仕える部下」、如水は「仕える部下」からはみだしている。
どっちが上かは考えてもわからないけど、あの時代(天下二分)に主体的に動けるのはすごいと思う。
小説になりやすいのも、秀吉が警戒したかもしれないのも、そこだと思う。

127: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/26(土) 08:44:10 ID:ZuXyrt7n
如水は主君から信頼が全然ないのが致命的だな
小寺、豊臣、徳川と立て続けに不信がられてるのはな
才気煥発すぎる秀吉にしても信長には部下として信頼されたし、
家康にしたって一応は律儀者だと評判もあったのに、なんでなのか
なんか事を起こす前に、余計な言動であっさり警戒されてるのは
人がいいというか、うっかりしてるというか・・・

130: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/27(日) 00:30:52 ID:tG9h8j4V
慶長の役で如水が碁を打って三成待たせたのは、まあただの意地っ張りだけど
そこでいきなり無断で日本に帰ってくるのは、何考えてるのかわからんな
まだ軍監を解任されてもないのに。秀吉もこの時点では許してやれって言ってるのに
ふつう職投げ出して遠征先から帰るか?
関ヶ原の時より、このとき何を考えてたのか謎

131: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/27(日) 09:18:09 ID:a9yJVVmi
なんとなくむしゃくしゃしていた
日本に帰れるなら理由はどうでも良かった
今は反省している

この人、結構ノリというか思いつきで行動してるとこ多いと思うけどな。
でも、頭はいいからあとからそれなりに理屈をつけるというか、
周りが深読みして深謀があるように見えるっていうか…。

132: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/27(日) 20:00:36 ID:m3Zq/EOG
なんとなくむしゃくしゃしてやった。
本気で天下とろうとは思ってなかった。
今は反省している。(息子にも迷惑かけたし…)

っつーか、死ぬまで変わらんな。

133: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/28(月) 23:08:07 ID:VQFvcrhe
まあ、関ヶ原の如水の行動には、豊後の細川家の飛び領地(6万石)を、大友の軍勢が攻めたから救援を頼まれたっていう理由があるけどな。細川忠興は、城代の松井康之に開戦したら周りの西軍に攻められるから、そのときは黒田如水と連携して戦えって伝えてる。
数少ない九州東軍勢として、両家の間にあらかじめ協力体制をとる約束があった。
実際、細川の城は如水の救援が到着した時に、本丸まで攻められ落城寸前だったし。

134: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/30(水) 08:20:16 ID:80nX2dvO
戦国で家臣をひとりも切腹させも手討にもせず、「仕えやすきこと類なし」と書いてもらえたんだから、珍しい殿様ではある

135: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/30(水) 16:24:40 ID:SM+HnVrs
「仕え易いこと類ない」殿様は世代交代したときガクブルだったりして
それはそれで問題あるようなないような。

136: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/31(木) 12:21:11 ID:Y8LlqIsy
その結果、晩年の家臣をてこずらせる気難しい爺さんのふりをして、「長政よ!これはお前のためにやっておるんじゃ!」に繋がるわけで。
そこまで気配りされると、息子としてはありがたいけど立つ瀬がない気もするが、主君として仕えるなら、おれはやっぱり親父の方がいいな。

137: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/01(金) 19:01:48 ID:IeWRC6QP
関ヶ原の時の九州でちょっと暴れてみましたという一件がなければ、如水はいまのような人気はなかった気はする。
実際のところ天下取るつもりはなかっただろうし、現実的にも無理だし、黒田家にとっても如水にとっても何にもならなかったわけなんだけどさ。ずっと韜晦しつづけた「二流の人」が最後に狂い咲きした感じで、また、あっけなく息子の活躍で終ってしまった幕切れも含めて、ロマンだなと思わせるんじゃないか。
関ヶ原を、一番楽しんで戦った人だと思う。

138: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/02(土) 08:28:22 ID:vf73w2c/
>関ヶ原を、一番楽しんで戦った人だと思う。

まあ、如水は太閤の死後、関ヶ原のずっと前に、これから起る天下大乱を予感してわくわくして待ってるという意味の短歌を詠んでたりするからなw
最後の最後に夢のある戦さができて、いい晩年だな・・・

139: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/02(土) 22:20:02 ID:FoZgZeZl
なんて迷惑な徘徊老人だw

引用元: ・【智・勇魚の如き】黒田孝高総合スレ【縦横無尽】




黒田官兵衛(一)
黒田官兵衛(一)
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竹本 友重 (2013-12-26)
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