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2: 世界@名無史さん 2016/12/04(日) 22:03:49.90 0
古代ローマ時代区分

・王政期  紀元前753年(建国)から紀元前509年まで、ロムルスに始まる伝説上の七人の王が治めていた期間(伝承による)。

・共和政期  紀元前509年から紀元前27年まで、イタリア半島の一都市国家から地中海の全域に属州を持つ帝政になるまでの期間。

・帝政期  オクタウィアヌスがアウグストゥスの尊称を与えられた紀元前27年から、テオドシウス1世が死に際して帝国を東西に分けた紀元後395年までの期間。

・東西分裂後  西ローマ帝国(395年 - 476年)と東ローマ帝国(395年 - 1453年)に分裂した時代。 ※一般的に古代ローマとは呼ばれない事が多い。


30: 世界@名無史さん 2016/12/05(月) 20:18:31.36 0
ケルト神話や北欧神話はキリスト教に駆逐されていったけどギリシャ神話だけは生き残れた(見逃してもらえた?)のはなんでだろうな

32: 世界@名無史さん 2016/12/05(月) 20:29:02.92 0
>>30
見逃してもらえたというかルネサンスで再発見された、と言ったところでは?
古代ギリシャの文化、ローマの技術と神話の神々はセットだしね。

33: 世界@名無史さん 2016/12/05(月) 20:33:03.67 0
ギリシャ神話の物語がローマ帝国時代の市民の娯楽だったから

キリスト教はローマで発展してったので、他の宗教と違い、わざわざ自分達の文化を駆逐することもない

34: 世界@名無史さん 2016/12/05(月) 20:48:47.27 0
>>33
キリスト教が長らくカルトだった理由って、ローマの神々を否定したからなんだけどね。
まあ、実際、中世カトリックは天使とか聖人とか色々抜け道作って結構土着信仰とごった煮文化だったりもするので、あながち間違いでもないかも。

53: 世界@名無史さん 2016/12/06(火) 21:05:37.99 0
キリスト教が敵視されたのは、ローマ社会のクリエンタリズムを破壊するからなんだけどね。
パトリキ-ブレブス-奴隷(物扱い)の、縦の構造を破壊してしまう。
ローマ社会最大の政治犯罪は、これを破壊すること。
典型的には、ポケットマネーで、他人の奴隷を勝手に解放すること。
こうすると、奴隷は恩に着て解放者に従属するようになる。
これを繰り返すと、富豪が大量の子分を私的に従えるようになる。これがまずい。
要するにこれは暴力団なんだ。

もちろん、内乱の1世紀の間に、これは額面通りには到底維持できなくなり、帝政期にはかなり形骸化していたが、それでもこれがSPQRの国体の基本とされた。

キリスト教は、神の名の下に、クリエンタリズムを離れた信者が地下組織として集合して蠢動するようになる。ユダヤ教と違って万人に布教する普遍宗教だから、信者は部族の枠を超えて広まる。

キリスト教国教化というのは、皇帝自身が暴力団の組長となることで、信者集団の上に立って統制をはかることを意味する。つまりSPQRは死んだ。

クリエンテス

クリエンテスとは、「被保護者」を指すラテン語であるが、特に古代ローマでのパトロヌス (patronus)と対になる存在である。単数形はクリエンス 。訳語では被護者、被庇護者、被保護者などが使われる。

クリエンテスはパトロヌスとの私的な庇護関係(クリエンテラ、パトロキニウム)における被保護者を指すが、一方向な保護者被保護者ではない。パトロヌスはその地位などを利用してクリエンテスに様々な便宜を図る。一方クリエンテスもパトロヌスに対して選挙運動など様々な助力をする義務を負う相互扶助関係である。例えばパトロヌスは普段はクリエンテスに経済的な援助をするが、パトロヌスが困窮した場合はクリエンテスたちが資金を出し合ってパトロヌスを援助した。両者の関係は信義に基づくものとされ、一方が落ち目になっても見捨てることは名誉を損ねることであり、この縁は世襲のものであった。

クリエンテスと呼ばれる人々はローマの最初期から見ることができる。成立直後のローマはパトリキ、プレブス、そしてクリエンテスなどの人々で構成されていたことが知られている。当初のクリエンテスの実態は不明な点があるが、のちのクリエンテスと同様にパトリキにある程度従属した人々であるとみられている。ローマ史の研究でパトロネジ論(クリエンテラ理論)が発展する過程でクリエンテスの概念が広くとられるようになったものの、公式にクリエンテスの発生原因とされたのは法廷弁論において弁護した被告、解放した被解放奴隷、戦争で征服した都市などと限られていた。このうち特に被征服都市のことを都市クリエンテスと呼ぶ。


SPQR

SPQRとは、ラテン語で「Senatus Populusque Romanus」(セナートゥス・ポプルスクェ・ローマーヌス)の略語である。その意味は「元老院とローマの人民(市民)」、すなわち古代ローマの国家全体(共和政ローマ・ローマ帝国)の主権者を指す。また、現代の「紳士淑女諸君」のように、演説などの冒頭の挨拶にも使われた。


82: 世界@名無史さん 2016/12/07(水) 22:16:20.87 0
>>53
パトロネジは古代末期、キリスト化しても存続していた、という議論が最近ではある。メロヴィング朝で都市統治の権力を持つ都市司祭が登場したが、彼らの世俗権力の源泉は、古代のパトロネジの変質という議論

85: 世界@名無史さん 2016/12/07(水) 22:32:51.04 0
>>53は、別にキリスト教が奴隷を解放するとはいってないけどねw
ローマの国体にとってキリスト教がまずかったのは、キリスト教徒は、生活していく上で揉め事が起きると、馴染みのパトリキではなく、信者の地下組織に頼ったから。
これ、ローマ社会の常識から言えば、揉め事が起きた時に、弁護士ではなくヤクザに頼むのと同じ。弁護士を頼んで、国家の法廷で解決してもらうことをせず、ヤクザに泣きついて、暴力団内部の掟で解決しようとしている。ユダヤ人はラビを頼んだから、やはりローマに敵視されたが、ユダヤ人は民族内で完結しているので、ユダヤ人という民族が執拗に叩かれた。
でも、キリスト教は普遍宗教で、誰でも信者になれるし、勧誘も行われた。
だから、民族を叩いても意味がない。信者をあぶり出して迫害するしかない。

88: 世界@名無史さん 2016/12/07(水) 22:49:03.00 0
>53は、別にキリスト教が奴隷を解放するとはいってないけどねw

>パトリキ-ブレブス-奴隷(物扱い)の、縦の構造を破壊してしまう。
>典型的には、ポケットマネーで、他人の奴隷を勝手に解放すること。


って書いてあるのにそれはおかしくね?
そもそもローマ社会では奴隷の解放することは日常茶飯事なので理解の根本からして間違ってるけど

>ユダヤ人はラビを頼んだから、やはりローマに敵視されたが、

熱心な一神教信者で他民族他宗教に排他的だから
ラビを統率するサンヘドリンはローマ総督の指導下にあるからラビを頼られたところでローマにとっては痛くもかゆくない


>キリスト教徒は、生活していく上で揉め事が起きると、
>馴染みのパトリキではなく、信者の地下組織に頼ったから。

キリスト教以外でもディオニュソス信仰やイシス信仰、ミトラ教も互助組織や秘密結社みたいなのをもってる
つうかもってない教団の方が珍しい
キリスト教が弾圧されたのは皇帝崇拝を拒否したから

92: 世界@名無史さん 2016/12/07(水) 23:02:32.63 0
>>88
奴隷の解放手続きそれ自体は、いくらでもあるよ。
本人がお金を貯めて、手切れ金とともに解放されれば問題ないし、主人が自分の意思で手放しても、これも全く問題がない。実際には、主人の死亡とともに遺言で解放するパターンが多い。

他人がお金を積んでやって解放してやる、というのがまずいんだな。
ローマの場合、解放奴隷は旧主人に対するクリエンタリズムが残存し、この形を取ることで、解放奴隷を国体に自動的に組み込んでいく。
他人がお金を積んで奴隷を解放してやると、この他人との間に新しい主従関係が出来る。これがまずい。

102: 世界@名無史さん 2016/12/08(木) 20:41:37.72 0
>>88
>ラビを統率するサンヘドリンはローマ総督の指導下にあるからラビを頼られたところでローマにとっては痛くもかゆくない

この発想それ自体が、すでにSPQRの精神に致命的に反している。
でもまあ、元首政期には、すでにこのような発想は旧ギリシャ諸都市にすら出ていたから、ガーガーいうのが滑稽な面もあるが、それはすでに、元首政がSPQRの猿芝居に堕していたことの証でもある。
神殿崇敬と皇帝崇拝の区別がつかなくなっているということは、すでに共和制が壊れているということ。

>キリスト教以外でも

クリエンタリズム内部では、何をしてもかまわない。スパゲティ教でもブードゥーでも何でもいいw
でも外にはみ出してくると、共和制においてもかなり神経質に規制された。
バッカス信仰然り(これが一つのひな形)。
でも、だんだんgdgdになっていく。規制をかけようという古い発想は残るが、神殿崇敬と皇帝崇拝の区別がつかない帝政社会では、何をやっているのか自分でもわからなくなっていく。帝政後半のミトラに至っては、もうキリスト教と何も変わらない。
どっちがSPQRの屋台骨を腐食して倒し切り、共和制の墓標としてのシロアリの蟻塚を建てるかは、歴史の偶然でしかなかった。

103: 世界@名無史さん 2016/12/08(木) 22:22:50.12 0
ちょっと言ってる意味が解らない
区別も何も皇帝礼拝が出てきた時点で共和制は崩壊済みなんだが

104: 世界@名無史さん 2016/12/09(金) 00:52:48.86 0
>>103
「SPQRを建て直す。そのために、嫌々ながらやむを得ず、筆頭市民として全権を握る」
これが、アウグストゥス以来の元首政の建前でしょ。
同時代的には、もっと直裁的にres publicaを建て直すといった。
だから、帝政というのは、同時代的にはあくまで「res publica国体」でしかない。
日本語で「帝政は共和制である」というと、最早何を言っているのかわからないから、SPQRと書いたんだけどね。

だから、res publicaを構成する政治制度・法制度は、元首政期には基本的に全部生き残っているし、後生大事にされた。もっとも、それは猿芝居でしかない。それでも芝居は続けられたし、芝居をぶち壊すような奴らは、つまみ出された。
芝居を続けることこそが、元首権力の正統性の源泉だったから。

105: 世界@名無史さん 2016/12/09(金) 19:51:13.02 0
ローマ帝国の衰退の大きな原因に金鉱山の枯渇があるとか

金貨が作れない → 求心力が低下 → 崩壊

と、まぁ金の切れ目が縁の切れ目だった
徳川幕府も財政難に陥ったのは佐渡金山の枯渇が大きな要因とされてる

107: 世界@名無史さん 2016/12/09(金) 21:56:38.54 0
>>105
石見銀山も枯渇した上に銀が流出しまくったしね

確かにローマの貨幣は劣化するのだが、比較的周りの国に比べて貨幣に占める
貴金属割合が安定して高かったから、ローマが滅びてもしばらくは流通してたらしいけどね

106: 世界@名無史さん 2016/12/09(金) 20:32:04.86 0
金鉱山が枯渇したから属州ダキアとか放棄したのかな?
金鉱山が枯渇したら金鉱山を目当てに征服した領土を支配し続ける必要がなくなり広大な帝国を維持する意欲も減退しただろうね

109: 世界@名無史さん 2016/12/09(金) 22:12:02.05 0
>>106
帝国が東西に分裂してもしばらくはそれぞれ領土は維持するが(ブリタニアは早々に放棄)
最後のローマ人スティリコを暗君ホリノウスが処刑すると西ローマは一気に蛮族祭りになって終了

108: 世界@名無史さん 2016/12/09(金) 22:05:24.28 0
帝国領内の木材の枯渇がヤバかったらしいね
ローマンコンクリートやレンガを作るためには火にくべる薪が大量に必要で、イベリア周辺では400年間で500万本以上の木を消費したらしい
環境問題は人類の永遠の友やね

109: 世界@名無史さん 2016/12/09(金) 22:12:02.05 0
>>108
森なんてゲルマニアに腐るほどあるんやし
トラヤヌスの全盛期ローマの時に征服すればよかったのにね

112: 世界@名無史さん 2016/12/09(金) 22:49:24.37 0
>>109
ガリアとかゲルマニアの木はローマまで運びにくい
ライン川にしたってアムステルダムから迂回しなきゃ

だからイスパニアから運ぶ
もっと有名なのはレバノン杉だけどね
ほとんど絶滅

113: 世界@名無史さん 2016/12/09(金) 23:13:45.51 0
木材が豊富なガリアのトリーアとかに遷都すべきに思えるけど史実で遷都したのは西地中海よりも先に木材が枯渇している
東地中海のニコメディアやコンスタンティノープル

114: 世界@名無史さん 2016/12/09(金) 23:24:46.28 0
経費的なことを考えるならほとんどの属州は無駄なんだが

116: 世界@名無史さん 2016/12/10(土) 00:31:39.15 0
>>114
やっぱ戦犯はカラカラ帝だろ
今まで税巻き上げてた属州にローマ市民権を与えたアントニヌス勅令のせいで、国家財政が悪化し壊れつつあったローマが更にどんどん衰退していくわけだしな

とどめはテオドシウスの東西分割だな
分割後、違う道を歩むようになって互いに助け合わなくなった

アントニヌス勅令

アントニヌス勅令は、212年7月11日にローマ帝国のカラカラ帝によって発布された勅令。この政令により、帝国内の全自由民にローマ市民権が与えられた(降伏者( dediticii))は除外された)。この政令により、帝国全領域に住む奴隷と降伏者以外のすべての自由民にローマ市民権が与えられることとなった。

従来市民権所有者のみに認められていた選挙権や属州民税(資産の10%を納める)の免除などの特権ももれなく付与された。古来よりローマ社会は、紀元前90年の同盟市戦争の結果イタリア半島の全同盟市民に対しローマ市民権を付与するなど、漸次同化路線を推進しており、本法令は、いわばこのような同化政策の総決算ともいえた。

一方、それまで市民権所有者のみに課されていた遺産相続税・解放奴隷税(奴隷を解放する際に課された税)といった特別税の納税や兵役など、市民としての義務もすべての自由民に課されることとなった。特に相続税・解放奴隷税は従来の5%から10%へ税率が引き上げられることとなり、このことから同時代に生きていた歴史家のカッシウス・ディオは、特別税の課税対象者を帝国全域に広げることで増税を図り、また属州で頻発していた深刻な税金逃れや逃散を抑えることを狙った税収増大策と解釈した。



120: 世界@名無史さん 2016/12/10(土) 01:07:57.19 0
今の歴史学だとカトリックがヨーロッパをつくったって認識
国はバラバラでも教会だけは1つの組織でそれがヨーロッパって文化圏を形成した

121: 世界@名無史さん 2016/12/10(土) 01:15:31.37 0
月並みだけど800年のクリスマスにカール大帝が教皇から帝冠を授かり
ローマ・ゲルマン・キリストが融合してヨーロッパ世界が誕生って認識だわ

123: 世界@名無史さん 2016/12/10(土) 13:20:11.56 0
ケルスキ族のアルミニウス → ザクセン族のウィドゥキント

カール大帝に降伏したウィドゥキントの子孫は神聖ローマ皇帝になったけどアルミニウスも反乱し続けなければ子孫がローマ皇帝になったかもしれないね
反乱したけど降伏したイリュリア人らは後に帝位をほぼ独占するようになった

124: 世界@名無史さん 2016/12/10(土) 14:49:20.37 0
カール大帝は東ローマのエイレーネーと結婚するかもしれなかったそうだけど、そうなるとエイレーネーは息子を廃嫡していたからカール大帝の息子の一人が東ローマ皇帝になったのだろう
フランクと東ローマでブルガリアを挟み撃ちにする事が出来そうだよね

130: 世界@名無史さん 2016/12/10(土) 20:56:49.80 0
東ローマ帝国はカールの戴冠も神聖ローマ帝国も認めていないんだよな
一応本家なんだし当然だが

143: 世界@名無史さん 2016/12/11(日) 12:49:09.39 0
>>130
オドアケルがゼノンに帝位を返上してるからゼノン以後は東西分裂状態は解消されてる
つまりそれ以後の西ローマと称するものはカールもハプスブルクも自称ローマ皇帝でしかない

137: 世界@名無史さん 2016/12/11(日) 08:10:54.11 0
イスラムが攻めて来なかったらビザンツや西ゴートは今でも存続していただろうか?

142: 世界@名無史さん 2016/12/11(日) 12:34:02.86 0
>>137
ビザンツも西ゴートも今でも存続していただろうね
西ゴートが存続したらイベリア半島は宗教戦争で荒廃しないから大航海時代がないかもしれないね
アラブもアクスムとササン朝の戦争でイエメンとかが荒廃したからアラビアの外に攻めてきた

151: 世界@名無史さん 2016/12/11(日) 13:38:14.42 0
>>142
ガリアがフランク由来の名前の国家になったから
ヒスパニアもゴート由来の名前の国になっただろう

138: 世界@名無史さん 2016/12/11(日) 09:01:04.95 0
そのイフは歴史改変やばすぎて予測できん

なんとなくイスタンブールはコンスタンティノープルのままが良かった

160: 世界@名無史さん 2016/12/11(日) 18:58:12.99 0
西ローマ滅亡後の東ローマ帝国はローマ帝国ではない・・・理論は割と聞く
最近思ったのが、ローマ帝国って実はもっと前から死んでいたのではないか?ということ
自分的にはディオクレティアヌスのテトラルキアの時点で終わったのではないかと考えてる

帝国を東西に分けて、帝国の比重(一番権威のある皇帝が統治する地域)をローマのある西ではなくて東にあると決めて、更には西帝国でさえも首都をローマではなくミラノに制定した

世界の首都でなくなった時点でローマ帝国のローマ部分は滅亡したんじゃないか

163: 世界@名無史さん 2016/12/11(日) 20:05:05.02 0
ミラノもラベンナもめっちゃ北やな

164: 世界@名無史さん 2016/12/11(日) 20:51:09.13 0
ミラノもラベンナもルビコン川の北

165: 世界@名無史さん 2016/12/11(日) 21:17:19.74 0
ゲルマン人は北から来るのになんで北に遷都するんだろう
永楽帝と同じ考えだろうか?

166: 世界@名無史さん 2016/12/11(日) 21:33:06.98 0
北に遷都するのはそこで敵を食い止めるためだろうね
コンスタンティノープル遷都はゴート族が船でエーゲ海に
侵入するのを阻止する事がきっかけだった
遷都してから交通の要衝として大都市に成長した

195: 世界@名無史さん 2016/12/15(木) 23:53:46.43 0
>>165-166
コンスタンティノープル遷都が、「前進守備」なのか「後退退却」なのかは判断が難しいよね。ミクロではバルカン防衛への前進だが、マクロでは、豊かで安定した東方への退却のようにもみえる。

そもそもローマにとって、東方というのは前進先なのか退却先なのかという、悩ましい問題がある。ここは、「敵は常に北からやってくる」「南は常に退却・逃亡先」という中国ほど地理的・軍事的条件がわかりやすくない。

199: 世界@名無史さん 2016/12/16(金) 00:35:13.65 0
>>195
言うまでもなくコンスタンティノープルに遷都したのはイタリア人ではなくバルカン出身のコンスタンティヌス1世
コンスタンティヌス1世は父の代からガリアに駐屯していたけどバルカン出身だからガリアからバルカンに帰ったという事だね

227: 世界@名無史さん 2016/12/16(金) 19:27:24.91 0
>>195
コンスタンティノープルはバルカン防衛ではなく大城壁の東側にあるオリエント防衛の為の要害
大城壁の西側は非常時には放棄してでも東側を死守

アウレリアヌス帝はバルカン出身だけどダキアをゴート族に与えてパルミラを滅ぼしてオリエントを再征服した 。以後パルミラに代わってバルカン出身者がオリエントをササン朝から守らなければならなくなった。だからニコメディア遷都とコンスタンティノープル遷都は「前進守備」

同じくユスティニアヌス1世の西方再征服は「前進守備」
ヘラクレイオス1世からニケフォロス2世までは「後退退却」
ヨハネス1世とバシレイオス2世のバルカン再征服は「前進守備」
ロマノス4世の東方遠征は最後の「前進守備」

167: 世界@名無史さん 2016/12/12(月) 02:18:25.78 0
カラカラ帝とゲタ帝でローマを帝国を二分割して兄弟中が良かったら、セウェルス朝の最盛期になっていたかも知れない

171: 世界@名無史さん 2016/12/12(月) 20:47:26.91 0
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%A4%E3%83%A9%E8%82%96%E5%83%8F%E7%94%BB#.E5.88.B6.E4.BD.9C.E5.B9.B4.E4.BB.A3
3世紀に入るとエジプトでミイラ肖像画が下火になるけどカラカラがアレクサンドリアとかで大虐殺をしたからミイラ肖像画を依頼出来る上流階級が激減したようだ

172: 世界@名無史さん 2016/12/12(月) 21:07:40.68 0
カラカラ帝以降、マルクス・アウレリウス・アントニヌスと改名する皇帝が多かったが
何故マルクス帝なんだろうか
同時代的にはトラヤヌスやピウスの方が評判よさそうなものだけどな

248: 世界@名無史さん 2016/12/17(土) 14:06:11.89 0
>>172
ガリア帝国の皇帝もマルクスを名乗っている

175: 世界@名無史さん 2016/12/13(火) 19:16:54.22 0
やっぱ西洋人の名前はギリシャ・ラテン語由来のものが多いな

アレクサンドロス → アレクサンドル
ソフィア → ソフィー、ゾフィー
カエサル → チェーザレ
アントニウス → アンソニー、アントニー
トラヤヌス → トラヤン
ハドリアヌス → アドリアーノ
ユリアヌス → ユリアン、ジュリアン、ジュリアーノ

179: 世界@名無史さん 2016/12/14(水) 07:25:06.36 0
>>175
半分はギリシア、ローマ由来な感じだよね、
中東、オリエント由来も2~3割に達するかな?
総合的な割合について分かるサイトとか無いかな?
カールとかニールとかゲルマン由来はどうなんだろう?5パーセントに達しないか?

180: 世界@名無史さん 2016/12/14(水) 09:48:43.95 0
>>175
上智大学→ソフィア 

185: 世界@名無史さん 2016/12/15(木) 13:36:44.57 0
>>180
立教大学はセントポール・・・聖パウロなんか

204: 世界@名無史さん 2016/12/16(金) 01:02:14.61 0
>>185
立教女学院はセント・マーガレット だな

178: 世界@名無史さん 2016/12/13(火) 22:48:10.38 0
ウイキリークスのジュリアン・アサンジも、ユリアヌス由来なのか  

胸が熱いわ

213: 世界@名無史さん 2016/12/16(金) 01:35:19.23 0
アテネ、スパルタ、テーバイ、カルタゴなど数多くの都市国家が生まれたけど
なぜローマだけ都市国家から領域国家へ、領域国家から世界帝国へと脱皮できたのだろうか

252: 世界@名無史さん 2016/12/17(土) 15:51:19.91 0
>>213
共和制と多様性を受け入れる寛容さのなせる業
最終的には暴君に乗っ取られ蛮族に駆逐されていくさまは今の民主主義が独裁に転んでいく世界の先取りのようで悲しいが

254: 世界@名無史さん 2016/12/17(土) 16:18:16.76 0
ローマ帝国を振りかえっても帝国が滅びた、衰退した原因はこれ!
って指定や列挙できないってのがいずれまた同じく衰退していくんだろうなって予感させる

264: 世界@名無史さん 2016/12/18(日) 00:30:38.46 0
>>254
ローマ帝国滅亡の原因については外的要因にゲルマン人の侵入が挙げられるが、根本的原因は帝国内部にある。軍事面では、中小農民が没落し、傭兵制を採用したことで軍事力が低下した。
経済面では、軍事費の増大による都市への重税がインフレを招き、都市の崩壊や商業の衰退をもたらした。さらにコロナートゥスの発達は地方分離を促進し、帝国を滅亡へと導いた。

273: 世界@名無史さん 2016/12/18(日) 02:07:45.60 0
>>264
中小農民が没落して没落農民が常備兵化する事により軍事力が強化されローマはイタリア統一国家から地中海帝国に拡大した

中小農民が没落し傭兵制を採用したことで軍事力が低下したのは東ローマ帝国
中小農民が没落しテマ制が崩壊したのでアナトリアは無防備となりトルコ化した

古代イタリアでは中小農民が農民を兼ねる事を辞めて兵士になったけど中世アナトリアでは中小農民は小作人になり兵士を兼ねる事を辞めた

279: 世界@名無史さん 2016/12/18(日) 23:06:23.78 0
>>273
>中小農民が没落して没落農民が常備兵化する事により軍事力が強化され
>ローマはイタリア統一国家から地中海帝国に拡大した

マリウスの軍事改革はカルタゴもアンティゴノス朝も滅ぼして覇権国家となった後の出来事だから微妙にずれてる

マリウスの軍制改革

マ リウスの軍制改革とは、紀元前1世紀にガイウス・マリウスによって施行されたローマ軍における改革。この改革により軍事だけでなくローマ社会でも大幅な変 革が起こり、やがてはローマ社会の覇権的性格、ローマ軍の侵略的傾向を促し、間接的に帝政ローマを創設する土台を作り上げた。

軍制改革の内容

改革するに至ってマリウスは今まで自前で武具を賄えない貧民階級に注目する。そして以下の事を取り決めた。

1.国が武具を支給する。
2.戦闘に従事する者の給料も国が支給する。
3.従軍期間を25年とする。
4.退役後、兵士たちに土地を与える。また司令官より年金を給付される
5.従来からの司令官が指揮可能な軍の制限を撤廃する。

そして赤貧にあえぐ者の中で社会的な成功にわずかな望みをかけて大量の人員がマリウスのもとに走った。
端的に言えば、徴兵制を志願制に変えただけの事である。しかしながらこの単純な改革によって、困窮した農民は兵役から解放され、失業者達は職を得る事になった。


255: 世界@名無史さん 2016/12/17(土) 16:47:13.21 0
衰退の要素は列挙はできる
でもその数が逆に多すぎて
どれが一番大きいのかが特定できない

260: 世界@名無史さん 2016/12/17(土) 21:55:07.33 0
>>255
最初の決定的な原因はアントニヌス勅令だろうな

280: 世界@名無史さん 2016/12/18(日) 23:10:43.48 0
ローマ市民兵からゲルマン傭兵になって軍団の質が低下したのは事実やん
やっぱカラカラ帝のアントニヌス勅令が原因や
アントニヌス勅令

アントニヌス勅令は、212年7月11日にローマ帝国のカラカラ帝によって発布された勅令。この政令により、帝国内の全自由民にローマ市民権が与えられた(降伏者( dediticii))は除外された)。この政令により、帝国全領域に住む奴隷と降伏者以外のすべての自由民にローマ市民権が与えられることとなった。

市民権は軍務に就くなどの条件を満たせば属州民であろうと与えられていたものであったことから、市民と属州民との格差は絶対的に固定されたものではなく、一生を賭して克服することが可能な格差といえた。しかし1世紀から2世紀にかけてローマ市民権所有者の拡大と、ローマ市民権保持者の階層分化によりローマ市民権の価値が下落しつつあった社会情勢にあって、本勅令によってすべての自由民に市民権が与えられたことにより、属州民はローマ市民権にありがたみを見出せずに向上心を無くし、元からの市民権所有者は特権と誇りを奪われ、市民権保持者でも下層民に相当する人々は下層民であることがより一層あらわとなったことで、社会全体の活力が削がれる結果をもたらすこととなった。

結果としてこの勅令は、税収不足による財政の悪化、軍隊事情の改革失敗による国防力の弱体化、特権の無条件な付与や上層民・下層民の区別の顕在化による社会全体の活力低下によって帝国の国力を大いに衰えさせ、「3世紀の危機」と呼ばれる未曾有の国難を招く主要な要因となった。


281: 世界@名無史さん 2016/12/18(日) 23:17:24.72 0
3世紀以降の軍事力の低下は経済破綻と政治の失敗が原因であり
傭兵うんぬんは原因要素ではなくそのあとの解決手段
「傭兵制を採用したことで軍事力が低下」ではなく「軍事力が低下したため傭兵制を採用」

293: 世界@名無史さん 2016/12/20(火) 04:08:45.10 0
ゲルマン傭兵らが多くなるにつれてローマ軍の規律が失われていった
戦利品の略奪を優先して戦闘中に持ち場を離れる事などが多くなった
ゲルマン傭兵の規律の悪さは中世の封建騎士と傭兵に受け継がれていく

後のイスラム軍でもマムルークは規律が良かったけどトルコ部族兵ら
忠誠心が弱くて規律が悪く足手まといだった
高給で生活を保障されたマムルークに対してトルコ部族民は普段は遊牧や
盗賊などで自活していて戦利品や牧草地など実利を目当てに参戦した
トルコ部族兵らは自力で東ローマからアナトリアを奪おうとしたけど敗退
マムルークを率いてエジプトへ遠征中のスルタンが引き返して合流したので
ようやく東ローマ軍に勝利する事が出来た
モンゴル軍に対して他の遊牧民らが悉く敗北したのは規律が悪かったからだとさる
モンゴル軍では戦利品の分配は戦闘終了後とされて違反者は死罪であったけど
他の部族や国々では戦利品は早い者勝ちで我先に略奪を優先する事が一般であり
充分な戦利品を先に得た兵らが戦闘を放棄して帰ってしまう事もあった
戦利品を多く得る為に味方の軍勢が揃う前に勝手に戦闘を開始する事も多かった
モンゴル族もテムジンにより厳しい軍規を採用するまでは他の部族と同じだった

299: 世界@名無史さん 2016/12/21(水) 20:14:15.96 0
西ローマ崩壊後の建築技術の劇的低下

300: 世界@名無史さん 2016/12/21(水) 20:22:24.15 0
しばらくアーチ建築を作れなくなるんだよね

301: 世界@名無史さん 2016/12/21(水) 20:30:34.04 0
中世は貧しいし、小国乱立状態だし、文化・芸術は停滞するし、イスラムだのヴァイキングだのモンゴルだのトルコだの侵略者多いし、ペストで人口が激減するし、十字軍も結局最後は負けるし、教会も異端審問や魔女狩りばっかりやってる基地外で科学を軽視するし、ローマ時代に比べて何もかもスケールが小さいんだよな。
クオリティに関しては比較するのさえローマ人に対し失礼なくらい。

303: 世界@名無史さん 2016/12/21(水) 21:49:03.82 0
中世の頃のヘッタクソな絵を見てると、昔はみんな絵が下手だったんだなあと思うがギリシア・ローマ時代の壁画や石像を見てびっくりする・・・え?昔はこんなに上手だったの?
そしてローマ帝国が下っていくと段々下手になっていく芸術を見て哀しむマクシミヌス・ダイアーとか気持悪いんだけどコンスタンティウス大帝も

306: 世界@名無史さん 2016/12/22(木) 02:26:03.52 0
>>303
あとコインの皇帝像が衰退期以降、明らかにどんどん下手くそになっていくよな
素人目でもよく分かる

307: 世界@名無史さん 2016/12/22(木) 10:32:31.26 0
コンスタンティヌスの凱旋門な
間に合わせで作るために色んなところからパクってきて作ったけど唯一作成したところが一番稚拙だという

316: 世界@名無史さん 2016/12/22(木) 19:34:06.75 0
絵に関しては作風の流行り廃りってのもあるんじゃないかと庇ってみる

324: 世界@名無史さん 2016/12/22(木) 20:29:33.85 0
通時的方向性は逆だけど、これと同じだと思うんだよなぁ。

17世紀のフランス
no title


20世紀のアメリカ合衆国
no title


ある特定の政治体制が成立すると、絵画が写実的になって、アルカイック性が消える。
古典古代の芸術の意義って、結局これに尽きるんだろうと思う。
そして、その政治体制が崩壊すると、またアルカイックな絵しか書けなくなる。

王道の絵画史ではなく、敢えて庶民的な占いのカードを出したのは、占いのような庶民向け呪術は、むしろアルカイック性があるほうが良いものだから。
でも、20世紀の米国になると、古拙的な絵柄は、もはや書きたくても書けなくなる。

325: 世界@名無史さん 2016/12/22(木) 21:30:20.24 0
美術の裾野には様式も糞もないアルカイックな(?)作品が存在し続ける。
ふたばに行けば下手を承知で作品をうpする奴はいるし、それが受け入れられている。
未開時代や西欧の中世初期にはそのレベルで飯が食えてしまうくらい層が薄かったということ。

326: 世界@名無史さん 2016/12/22(木) 22:12:15.13 0
>>325
マルセイユ版(前者)で、悪魔のカードを出したのはよくなかったかな。
これ、アルカイックはアルカイックなりに、わりとめんどくさい様式美があるんだよ。

407: 世界@名無史さん 2016/12/24(土) 16:15:44.43 0
ディオクレティアヌスとコンスタンティヌスは名君でいいの?

408: 世界@名無史さん 2016/12/24(土) 16:28:52.05 0
ディオクレティアヌスとコンスタンティヌスはともに後継者選びに失敗している
ディオクレティアヌスはディオクレだけが退位すべきだっただろうな
コンスタンティヌスはクリスプスを殺してしまったので皇帝にふさわしい後継者がいなくなった

409: 世界@名無史さん 2016/12/24(土) 19:44:47.05 0
コンスタンティヌス1世はクリスプスの死後ディオクレティアヌスのように有能の将軍らで帝国を分割しようとせず残された3人の息子だけを後継者した
同じ母から産まれた兄弟ならば共存し続けるだろうと期待したのだろうけど息子達は殺し合いやがてコンスタンティヌス朝は断絶してしまった

410: 世界@名無史さん 2016/12/24(土) 19:49:13.37 0
ローマ帝国は基本的にまともな後継が苦手だから呪われてるんじゃないのかこの帝国、と思うレベルに

413: 世界@名無史さん 2016/12/24(土) 20:26:17.96 0
>>410
言われてみれば確かに
五賢帝の時代がむしろ例外か

411: 世界@名無史さん 2016/12/24(土) 20:13:47.07 0
コンスタンティヌス1世以降は再統一しては再分割を繰り返す事になる
結局一人で帝国全土を統治し続ける事が不可能になってしまった
再統一の為の戦闘で兵を失う事を繰り返して軍が消耗しただけ

412: 世界@名無史さん 2016/12/24(土) 20:22:03.98 0
内戦で消耗してそこを蛮族につけ込まれたのは西晋に似てる

引用元: ・【古代の集大成】ローマ帝国6【中世の原点】




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