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1: 名無しめじ 2006/08/07(月) 17:33:21 ID:6QqFWqQ7
忠員、忠佐、忠教、忠隣、忠俊、忠行、忠世等
大久保党について語ること。








2: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/07(月) 17:58:12 ID:inySBXZa
なぜ忠世が末席なんだ

3: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/07(月) 18:09:31 ID:PmeS46Ql
有名俳優が最後に名前出るみたいなもんじゃないか?

7: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/07(月) 23:02:51 ID:yXt3H+at
小田原あげるといわれてもらっちゃう、その神経が理解できない
何様かと思っただろう。特に本多正信親子。

10: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/08(火) 17:20:03 ID:ASf1Fy2z
稲葉石見守をめった刺しにした小田原藩主、老中・大久保加賀守忠増
下級幕吏から勘定吟味役に上がった川路左衛門尉を重用した小田原藩主、老中首座・大久保加賀守忠真もお忘れなく

22: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/17(日) 00:29:11 ID:e8I9eOiK
家康苦難期を支えた、忠俊
兄・忠俊を支え、大久保党主流となった、忠員
長篠の髯、忠世
いぶし銀、忠佐
最後の三河武士、忠考
秀忠の宰相、忠隣

大久保一族なくして、徳川の創業なし

29: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/01/28(日) 10:06:20 ID:s8lyqEXc
幕末の一翁もここの一族?

30: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/01/29(月) 01:19:06 ID:xjDA8Mjr
地味に老中排出してるよね

>>29
確か、そう

41: 人間七七四年 2007/06/12(火) 21:23:50 ID:2KrO610e
小田原城を与えられた大久保忠世は凄いな。4万石だけど。

54: 人間七七四年 2007/08/27(月) 01:48:44 ID:HSq1j4Bw
大久保忠朝が11万5000石で小田原に返り咲いた点がスゴイのだよ

47: 人間七七四年 2007/06/16(土) 18:47:59 ID:nFmZ3+wK
そういえば、彦根に行ったとき忠隣公の供養塔を拝見したんだが、井伊家とは何か関係があったのかね?

48: 人間七七四年 2007/06/16(土) 21:25:58 ID:24uM+Yvt
>>47
配流先が近江の井伊家です。

49: 47 2007/06/17(日) 18:31:42 ID:Ss6qOVxA
うん。でもなんか不思議でさ。

寺の人に、「長安事件で失脚して彦根に流された」とは聞いてたんだけど、罪人になった忠隣公を、受け入れる必要があったのかなって思ってね。それに、亡くなった地にお墓があるのに、罪人であるはずの者の供養塔を、なんで井伊家の歴代墓地に造ったんだろうって。
菩提寺も忠隣公の法要を営んでるみたいだし、恩義かなにかあったのかと思ってたんだ。

徳川家に取りなしをしようとした直孝を、公自身が「井伊家のために良くない」って、止めた話もあるし、この両家の接点って何だろうと思ってさ。

なんか繰り言みたいになっちまったから、あまり気にせんでくれ。 
53: 人間七七四年 2007/08/26(日) 13:01:31 ID:5e/0by5h
三河物語書いた彦左衛門は不満が書きなぐってあったからおもしろい。

59: 人間七七四年 2007/09/27(木) 03:49:25 ID:ppzTSM4W
>>53
門外不出と書きながら、読み物として読める面白さw

66: 人間七七四年 2007/10/18(木) 05:02:26 ID:QcDch1WP
>>59
門外不出と言いつつ、明らかに読者を意識してるからなw
本人も書いてて楽しかったんだと思う。

88: 人間七七四年 2008/07/16(水) 23:22:41 ID:ZWe/AOtW
大久保彦左衛門と言えば大坂夏の陣で本陣の旗の逸話があるけど(本当は敵の突撃で倒れていたのを切腹覚悟で倒れていなかったと言い張った)、彼の頑固さと家康の名誉を守ろうとする忠誠を伝える話なんだろう、本来は。

でも同時に彼は自分達三河武士を良く見せる為なら、都合の良いウソを捏造する信用ならない人物、ということかもしれない。
彼が太田牛一の記述の信用性について書いているが、お前が言うなという感じだ。

55: 人間七七四年 2007/09/01(土) 22:30:26 ID:5D53jvaf
忠佐が活躍する小説とかドキュメント本とかでいいのないでっか?
もしくは大久保一族のことが詳しく記してある書籍等。

57: 人間七七四年 2007/09/02(日) 16:16:37 ID:tFLWQM4D
>>55
中日(東京・北海道)新聞に連載の『新三河物語』は、大久保彦左衛門主人公らしいけど、
徳川方の桶狭間戦から始まって、大久保家をはじめ、譜代の家臣団を丁寧に書いている印象。

史料だったら、基本的なところで『寛永諸家譜』とか?
ちょっと大きな図書館なら置いてあると思う。


山本周五郎で彦左がタイトルの小説があったけど、歴史小説じゃなくて時代小説だった。
読みやすいけど、面白いかと言われると・・・微妙。
本多フリークの羽多さんみたいな、大久保フリークの作家はおらんものかのう。

70: 人間七七四年 2007/11/11(日) 01:38:11 ID:RbhGVNo5
忠世というのがバランスとれまくってて、よく出来た人間だったみたいな感じ。

79: 大に上がり藤紋 2008/05/24(土) 01:20:28 ID:qwfXRusY
最後の藩主(忠良)の養父・忠礼はかっこいいと思います

徳川慶喜の従兄弟で高松松平家出身、幼名?は準之助です
江戸時代には甲府城代とか京都二条城家老とかつとめました
しかし戊辰戦争時に藩論をまとめきれなかったことから(ちょうど大事な時期に甲府城代勤めてたんです)責任を問われて永蟄居、後に赦免されてます

最後の藩主忠良は大久保家支藩のおうちの長男で、軍人として西南戦争に従軍し、銃弾か何かで傷を受けて死亡といわれてます

忠礼は藩主として家臣や民衆にかなり慕われてたらしく、新政府は一時期死罪としようとしたらしいのですが、家老の渡辺さんが「すべて自分の責任だから」と遺書を残して切腹腹したり、町民とかが「どうか寛大な処置を」と嘆願したりしたみたいです
忠礼が小田原を去るとき、駕籠を見送るひとびとはいつまでも頭を下げていたというお話も伝わってますよ

80: 人間七七四年 2008/05/26(月) 01:10:28 ID:fhiXhTmo
嘘か誠か、薩摩の大久保も同族だってね。
詳しい人ヨロ

85: 人間七七四年 2008/07/15(火) 23:53:15 ID:x+SB6b4M
薩摩の大久保は、違う。

86: 人間七七四年 2008/07/16(水) 14:31:04 ID:oWFJfTZO
大久保って名字は、越前の剣豪(大窪氏)が、忠俊に「それがしの姓を継いでくれ」と頼まれて、改姓したんじゃなかったっけ?(剣豪はその後戦死)

薩摩繋がりなら、家康の側室の西郷氏の方が、関係あったような気がする。

87: 人間七七四年 2008/07/16(水) 19:58:34 ID:VYrqy2dw
大久保といえば二宮尊徳を取り立てた功労者だな。

93: 人間七七四年 2008/09/21(日) 11:09:55 ID:XPsvtOKl
長安事件は一般的には本多正信と大久保多忠隣の勢力争いというけどあれは実際には北条みたいな勢力になることを恐れた幕府による粛清なんだろうな

103: 人間七七四年 2009/02/01(日) 11:40:51 ID:aleJG/8p
同い年の石田三成や直江兼続は「一代限りの栄光」だった。
この他の同世代で出世した連中(加藤、福島、森蘭丸など)よりもはるかに長生きした。
誰かが演じて「天地人」に出てこないかな?
すごいと感じるのは「子孫も美田も美談(これがキー)も残した」。大久保忠恭氏が子孫。
ところで元和年間に忠教家が大久保宗家になったの?
永禄生まれの戦国武将と言われた人で、寛永10年代後半まで生きたのは大久保彦左衛門くらいしかいない。
他は藤堂高虎がいる。しかし、大久保家は男兄弟の多い家系だね。

104: 人間七七四年 2009/02/01(日) 11:48:50 ID:aleJG/8p
大久保彦左衛門・数え80歳(1560~1639)
戦国時代生まれの徳川の家臣では最長寿か?
徳川家一筋60年。これもすごい。
結婚が中年になったのは嫡男ではなかった影響かも。
大名以外でも早婚の戦国~江戸初期にしてはかなりおそい。
生まれた時に「年上の甥」がいたのだから驚き!甥でも兄みたいな存在だね。
でも末っ子のほうだったから、義理の姉たち(兄の妻)が母親代わりになってたのかもね。
出世運と金運はなかったが、家族運に恵まれた人だね。

108: 奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/02/12(木) 23:01:21 ID:4vVAQRZ3
年上の甥に驚く必要はないと思うけどね。
大久保家は子沢山に真骨頂があるのだろうし。

109: 人間七七四年 2009/02/23(月) 17:48:11 ID:KtgRevQ4
大久保家は本多や酒井と並ぶ、徳川譜代の名門で家康と苦楽を共にした。しかし、天正年間に冬の時代を迎える。
この時代に台頭した石田とか福島とか加藤とか直江とか、出自の低い連中が目障りだったと思う。

110: 奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/02/24(火) 00:12:58 ID:Xc6VI6JC
家康時代の家格はいろいろ変遷していて、最初は
石川>酒井>本多>大久保>鳥居>榊原 くらいだったのだと思う。
世代が変わったり石川数正出奔だの酒井忠次引退だのを経てなぜか家宰に収まったのが井伊だったという、三河物語とかではわからない流れ。

最終的に堀田だの稲葉だのに追いつかれても、常に老中を輩出できただけ
徳川家の中では名門だったと言えるんじゃないの。

111: 人間七七四年 2009/02/25(水) 20:28:01 ID:rqGk0E9d
>110
老齢になった忠教の時代に、本多家との派閥抗争(ただし、忠教は直接この権力闘争に加担していない)に勝った。
これが効いたのか大久保一族はちょくちょく幕閣になった。
同じ「本多」と言っても正信・正純親子と忠勝は、血筋も「職肌」も違う。
ちなみに大久保家は「蟹江の七本槍」の中に複数いる。
この七本槍の面々は、天正時代の「七本槍」よりも長生きした人ばかり。
余談だけど、子孫が暗殺された堀田や井伊。大久保で暗殺された人は知らない。
大久保一族は古参の譜代・旗本だったから「人に恨まれない」家だったのかな?
大久保一族で悪いウワサを持つ人が少ないのもうなづける。

113: 人間七七四年 2009/02/26(木) 18:16:01 ID:gCQI7rdR
大久保彦左衛門は同じ旗本系の(あとの時代の)柳沢や間部や田沼に比べて、後世の評判がはるかに良い。

112: 人間七七四年 2009/02/25(水) 20:38:36 ID:rqGk0E9d
大久保家は戦国時代にしては長寿の家系ではないかな?
しらべてみると70、80過ぎまで生きた人が多い。
大久保彦左衛門の青年時代には、徳川家中には「職人肌のベテラン」がいたし。
天正当時では織田に比べると古参で名の知れた武将が多い。
言い換えると織田家やあとの豊臣家に比べて(幹部クラスの)家臣団の平均年齢が高い。
これは天正時代は徳川家の若手が出世できないデメリットでもあったのだが。
対して豊臣はさながら「若手優遇」とも言うべき出世レースの様相。
織田=エリートエキスパート軍団
豊臣=寄せ集め若手軍団
徳川=職人肌いぶし銀軍団
人物の個性で見れば織田や豊臣の家臣よりもキャラクターが目立つはずなんだが?
NHK大河ドラマで使えるエピソードも多いし。
大河で徳川家臣団をクローズアップしたのは、1983年の「徳川家康」くらいじゃないのかな?

116: 人間七七四年 2009/03/05(木) 16:09:45 ID:kMaaJ40X
徳川家中は上司と部下の信頼関係が、カチッと確立されていたと思う。
だから家康時代に本気で謀反を起こそうとした家臣が少ない(と思う)。
清康・広忠時代の「弱い時代」には、目先の利益に「目がくらんだ」家臣が裏切った。
徳川に改姓して徐々に強大化した時代に上司部下の関係(絆)が強くなる。
三河武士はプライド(いい意味での自尊心)が高い。

118: 人間七七四年 2009/03/05(木) 16:18:37 ID:kMaaJ40X
>116
家康時代以降の徳川家中は、「サラリーマン社会」そのものではなかろうか?
織田や豊臣に比べるとはるかに組織内の人間関係が、現代サラリーマン社会にマッチしていたと思う。
ところで家光時代の「天正生まれの幕閣」って誰かいますか?思いつかないんですよ。
永禄生まれの大久保彦左衛門から見れば「息子世代」。慶長生まれの家光は「孫世代」。

119: 人間七七四年 2009/03/08(日) 10:40:16 ID:mZuzBngz
秀忠まわりや御三家付きの連中は天正生まれが多そう
家康が勝頼と争ってた頃に先手だった連中の息子は天正生まれだけど、
意外と武将の息子は短命だよなぁ

120: 人間七七四年 2009/03/11(水) 21:10:55 ID:gHUKyE8t
「1560年代生まれ」で65歳以上まで生きた人が少ない。
ざっと調べたら40~60歳の間で死んだ人が多い。前述されている。
若い女性の間で「戦国武将ブーム」だと言うが、短命の武将に女性は惹かれるらしい。
徳川家臣団になぜかあまり人気がない。風貌どうのこうのではないみたい。
傾向として「若い年齢で非業の死を遂げた負け組」(いわゆる「義経型」)の人が人気。
まさかと思うが、「短命がうらやましい(言い換えると「年寄りにならずに若いままに死んだ」)」と言う意識か?
NHK大河ドラマや、コミックやゲームだけなら、さほどのブームにはならない。
コンビニ文庫の「戦国武将裏話列伝」にもあまり徳川家臣団が登場しない。
大久保彦左衛門がなぜか出てこないのだ。
現代社会は「長寿は勝ち残りで美徳」と言う意識がないのかな?
そういう世相(「格差社会」、「勝ち組・負け組」、「カリスマ待望社会」)が負け組武将に共感するのかも。

122: 人間七七四年 2009/03/12(木) 01:01:05 ID:lEqyRMGm
とりあえず「デカい事やった!」ってのが好きなんだよ、みんな。

大久保一族がその範囲に入らないのは「地味」だから。
ただそれだけ。
年齢とか関係ない。

124: 人間七七四年 2009/05/03(日) 09:59:12 ID:tBsWnZJY
大久保彦左衛門って20代、30代の時期は、さえない「ダメンズ」だったけど。
でも、アラフォー以降は時代の機運(徳川レジーム)に乗る。
あまり知られていないが、20代の時に人に手柄を禅譲した。
これは石田三成や直江兼続でさえやっていない。
26歳の「真田攻め」の時は「小隊長」の位置にいたけど、このとき真田の奇襲が悔しかっただろうなぁ。
まぁ、30年後に大坂で仇を討つんだけどね。

126: 人間七七四年 2009/05/03(日) 12:56:17 ID:5DrTDepz
戦中心から、文治中心への変動で一番割りをくった一族かな。
下手に忠隣という政治向きの跡取りがいたせいで本多正信らと競うことになり没落。
それがなければ他の四天王家並譜代大名として残れただろうに。

127: 人間七七四年 2009/05/08(金) 17:15:09 ID:70uJQUg8
でも大久保家は親子・兄弟・一族の結束が強い。
名前(「通し字」と言う)に忠義の「忠」がある。
126氏の意見で「文治政治移行期にしわ寄せを食らう」とありますが。
家光以降で、その後「大久保姓」の老中はいます(幕末にも)。
大久保家は歴史通の人なら知っているが、男兄弟が多く分家が多かった。
だから、大久保家そのものは幕府開幕から今日まで存続したと思うよ。
以前にも書かれていたと思うが、後の堀田や井伊などの様に「刃傷」されていない。

128: 人間七七四年 2009/05/08(金) 17:17:13 ID:c5dajogL
>>127
大久保家の改易は一族衆の力が強い同氏を解体する側面もあったという

131: 人間七七四年 2009/07/04(土) 11:57:37 ID:UfsGlITJ
大久保彦左衛門は同世代の「ライバルの自滅」によって天下のご意見番になれた。
ただ、この「ライバルの自滅」と言うのも運がある証拠。
森蘭丸→討死(当時大久保彦左衛門は京にはいなかった?)
石田三成→打首
直江兼続→脱落(徳川家康を恐れされたが主君減封で転落)
大野治長→討死
本多正純→失脚
このとおり、ライバルたちがゾロゾロ自滅した。

133: 人間七七四年 2009/07/04(土) 13:24:22 ID:2bKLOcEZ
彦左って所詮千~二千石の旗本でしょ。
将軍に目通りできるといっても、平伏したまま一言「大儀」とか
「励め」とかお言葉をいただく程度だろ。

132: 人間七七四年 2009/07/04(土) 12:01:35 ID:UfsGlITJ
徳川幕府初頭にも武断派と文治派の派閥抗争があった。
でも豊臣の様に滅亡せずに済んだ。
諸大名が加担しなかったと言う理由もある。
しかしながら、結束の強い大久保家の執念(幕府繁栄と一族存続)だよ。
あまり知られないが、後年に大久保家の老中が徳川吉宗を大名(徳川親藩格)に推挙した。

135: 人間七七四年 2009/07/04(土) 18:25:03 ID:JAFWwl9d
大久保って分家いっぱいあるんだ・・
近所の大久保さん本家じゃないんだ・・

136: 奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/07/07(火) 07:45:36 ID:GkOyyL49
最も本家っぽい忠世の系統でさえ、忠員が次男だと考えれば本家じゃなさそうな土豪だもんね。
こういう家を評価する場合は、一番栄えた系統が本宗なんじゃないの。

引用元: ・【いぶし銀】大久保一族を語ろう!【魔性】




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