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1: 世界@名無史さん 02/06/01 17:22
アラーは偉大なり!

関連記事カリフ、イマームについての話









カリフは、預言者ムハンマド亡き後のイスラーム共同体、イスラーム国家の指導者、最高権威者の称号である。原義は「代理人」である。預言者ムハンマドを代理するもの、との意である。イスラーム共同体の行政を統括し、信徒にイスラームの義務を遵守させる役割を持つ。



イマームとは、アラビア語で「指導者」、「模範となるべきもの」を意味する語で、イスラム教の「指導者」を指す。スンナ派においては、ムスリム(イスラム教徒)の大小の宗教共同体を指導する統率者のことをイマームと呼ぶ。一方、シーア派においては宗教共同体にとって特別な存在である「最高指導者」をイマームと呼ぶ。




3: 世界@名無史さん 02/06/01 20:24
カリフがいたら今でもイスラムでの教皇みたいな立場だったんだろうな
残念、でもケマル逝ってよしとは言わないよ
あの状況下ではしょうがなかったし
イスラムにとってはマイナスでもトルコにとってはプラスのことだったから

最後のカリフ

オスマン帝国の滅亡によって、オスマン家のスルタン=カリフは1922年に退位し、スルタン制が廃止された。インドや中央アジアのムスリムやクルド人は、精神的支柱としてのカリフ制の存続を強く望んでいたが、ムスタファ・ケマル・アタテュルクによって1924年にカリフ制も廃止された。


11: 世界@名無史さん 02/06/03 12:52
カリフもイマームも居ない今
イスラムで最も偉い人物は誰なんでしょう?

12: 世界@名無史さん 02/06/03 13:05
イマームはいるのでは?

13: 世界@名無史さん 02/06/03 13:09
イマームはアリーが最後でしょ?

14: 世界@名無史さん 02/06/03 13:11
イマームについては12イマーム派だの7イマーム派だの色々な見解がある
どの派でも現存してないことは変わらない

十二イマーム派

十二イマーム派は、イスラム教シーア派の一派。イラン、イラク、アゼルバイジャン、レバノンなどに分布し、イランの国教でもある。

十二イマーム派においては、シーア派指導者であるイマームの地位は、初代アリー(661年没)以降、十二代目までムハンマドの子孫によって継承された。そして十二代イマームの時、そのイマームが人々の前から姿を消した。これは言葉通りの意味ではなく、世界の内側もしくは存在の見えぬ次元に「隠れ」た、とする(9世紀おわりから10世紀初頭)。この「隠れ」(ガイバ)の状態は現在に至っても続いており、最終的には最後の審判の日にイマームは再臨すると信じられている。


16: 世界@名無史さん 02/06/03 13:34
スンナ派のイマームなら>>12のいう通りいくらでもいる。

17: 世界@名無史さん 02/06/03 13:43
このスレで問題にしてるイマームはイスラムの最高指導者としてのイマームだからスンナ派のイマームのことではあるまい

スンナ派のカリフとシーア派のイマーム、つまりそれぞれの最高指導者についてのスレのはずだ

19: 世界@名無史さん 02/06/13 18:28
12イマームで自然死した人っているのでしょうか?

102: 世界@名無史さん 02/07/30 05:21
>>19
超遅レスですが、
毒殺が5人でその他6が戦死、刑死、暗殺、1名が消えたということで、12人全員自然死でない模様(12代目を死亡とは言ってはいけないんでしょうけど)。
第2代のアル・ハサンは違うと思ったんですけどね。

135: 世界@名無史さん 02/08/19 16:16
ヨルダンのハーシム家って
ムハンマドの一族?

136: 世界@名無史さん 02/08/19 20:45
>>135
ムハンマドの従兄弟アリーと娘ファーティマの間の子ハサンの子孫らしい。
実際、10世紀から20世紀初めまで聖地メッカの支配者として敬意を払われてきた家系。

137: 世界@名無史さん 02/08/20 16:58
ヨルダンの初代国王は、メッカの「太守」ムハンマドの息子。
ホラ『アラビアのロレンス』に出てきたあいつだよ、あいつ。
この「太守」という称号はなんなんでしょう?
たしかシャリーフ(ムハンマドの子孫)として敬われていたはず。

138: 世界@名無史さん 02/08/20 22:34
ムハンマドじゃなくてフサインでしょ。
フサイン=マクマホン協定のフサイン。
日本語で太守と称されるのはシャリーフはオスマン帝国の主権下でメッカの行政を担っていたからじゃないの。

139: 世界@名無史さん 02/08/21 04:59
シャリーフの中の色んな家系がマッカのアミールをしてきたし、マッカを含むヒジャーズは概ねエジプトの支配者に属してきたので、10世紀の間、聖地マッカの「守護者」だったいうのは、現ヨルダン王家の宣伝ですよ。

143: 世界@名無史さん 02/09/21 19:11
サウディアラビア王国国王
ファハド・ビン・アブドルアジズ・アル・サウード
二聖モスクの守護者になるんですね。
英語だと、
Custodian of the Two Holy Mosques
King Fahd bin Abdulaziz Al Saud
です。

147: 世界@名無史さん 02/09/21 20:18
しかしまあなんだね
イスラム社会の統治って何重もの権威や権力が重なり合ってて複雑だねえ。
単純に王様がいて国を統治してるという感じではないのね。

まあ、それ言ったら日本の天皇やら幕府やら関白やら執権やらも充分すぎるほど複雑か。

148: 棄教者 ◆KIKYO7cg 02/09/21 20:37
>>147
>>143は勝手にそう名乗っているだけだから混乱する必要はない。
オイルマネーで豪遊をして散在をする輩がマッカとマディーナのモスクを管理する資格があると誰も考えていないしウマル師が信者の長だと誰も思っていないし
タリバン政権の政治形態を Islamic emirate だとは誰も思っていない。

162: 世界@名無史さん 02/10/14 19:05
イマームが「隠れて」いるというのは、
子孫がイランのどこかの山奥の洞窟の中に隠れ住んでいるのですか?

165: 世界@名無史さん 02/10/14 20:35
>>162
隠れているのは子孫ではなくて本人です

167: 世界@名無史さん 02/10/14 20:50
>>165
最後のイマームのことね。<本人

シーア派中の最大派である十二イマーム派においては874年に失踪した第十二代目のイマーム、ムハンマド・アルムンタザルは死んだのではなく現世から不可視の幽冥界に"隠れ"たのであり、それ以来現世にはイマームが現れなくなったとされる。
彼は世界が終末が迎えるときメシアとして再臨し正義を行うことになっている。
つまり、今も"隠れ"たままなのは世界がまだ終わらないから。

ただし、この思想を持っているのは十二イマーム派のみで、別のイマームの系統を頂くイスマーイール派やザイド派は派ごとに現在もイマームが世襲し続けていたりする。
例えばニザール・イスマーイール派(いわゆる暗殺教団、アサシン派)の系統を引くインドのホジャ派では、同派の世襲教主アーガー・ハーンがイマームであるとみなされる。

169: 世界@名無史さん 02/10/14 20:58
なんかの本でムハンマド・アル・ムンタザルの実在を
疑うような記述を読んだ覚えがあるのだが何の本だったかな。。。

173: 世界@名無史さん 02/10/16 01:59
ムハンマドでさえ人間として扱うのがイスラム教のすごいところだというのに、シーア派はなぁ…。

174: 世界@名無史さん 02/10/16 02:46
シーア派って、ある意味、復活したキリスト教だね

177: 棄教者 ◆egKIKYO7cg 02/10/17 10:04
>>174
(成立した歴史ではなく)教義を比較すると
シーア派 nearly equal to カトリック
スンナ派 nearly equal to プロテスタント
かな?
イマームや法学者、パパ様や聖職者に対する権威付けが強い。

175: 世界@名無史さん 02/10/17 01:59
ファーティマ朝が滅んだときエジプトではイスマイル派も無くなったのだろうか? 

ファーティマ朝

ファーティマ朝は、シーア派の一派、イスマーイール派が建国したイスラム王朝である(909年 - 1171年)。その君主は、イスマーイール派が他のシーア派からの分裂時に奉じたイマーム、イスマーイールの子孫を称し、イスラム世界の多数派であるスンナ派の指導者であるアッバース朝のカリフに対抗してカリフを称した。


176: 世界@名無史さん 02/10/17 09:24
>>175
それより前、アル・ムスタンスィルの有名な後継争いで殺された
ニザールを支持する人々がファーティマ朝を見捨てて去った結果
イスマーイール派は分裂してエジプトでの勢力が大幅に低下したらしい。

178: 世界@名無史さん 02/10/17 10:44
シーア派やイスマーイル派って、イスラム以前の帝国とイスラムの権威をむすびつける役割をしてるよね。エジプトとペルシアで復活したのは面白い。

180: 世界@名無史さん 02/10/20 19:17
イバード派は過激派ハワーリジュ派の生き残りなのにどうしてオマン王国の国教なのか?
近隣諸国と仲が悪くなっているのであろうか?

イバード派は、イスラム教の宗派のひとつ。初期に多数派(のちのスンナ派とシーア派)から分派して成立したハワーリジュ派の流れを汲み、現在は主にオマーンに多い。イバード派は、ハワーリジュ派が興ってから30年ほど後の7世紀末にイラク南部のバスラを中心に成立したとされる。


181: 世界@名無史さん 02/10/20 20:21
>>180
イバード派はウマイヤ朝支配を甘受したハワーリジュ派の穏健派が起源。
同派では、スンナ派のイスラム教徒たちはイスラムから逸脱していても一神教徒には違いないのだから共存可能である、と考える。

182: 世界@名無史さん 02/10/20 20:29
>>180
ハワーリジュ派の過激派は、ナーフィウ・ビン・アルアズラク率いたアズラク派で、イバード派は穏健だからじゃないでしょうか。

宗教的にサウジから敵視された歴史もありますが、相互理解を進める会議とかを開いて、理解しあったとされてますね。

186: 世界@名無史さん 02/10/21 16:52
今のイスラムの国ってイスラムの分派ごとにわかれてるよなもんだな。
列強の利権で分割されたとこも多いが。

188: 哲也 02/10/21 19:05
イスラム教のそれぞれの宗派の違いって指導者の正当性であって、どの宗派もほとんどコーランの教えの解釈については同じなんですね。ほとんど。

そこがほかの宗教と違うとこ。キリスト教も仏教も指導者の正当性のほかに教義の独自解釈による分派がかなりあるってのに。(特に仏教)

189: 世界@名無史さん 02/10/21 19:52
中東でも分派の支配地域から国家に発展したのは
イランとサウジとオマーンとイエメン、それにマロン派(キリスト教)とドルーズ派(イスラム)のレバノンとユダヤ教のイスラエルくらいでは…?

191: 世界@名無史さん 02/10/22 02:33
>>189
ご趣旨には同意しますが、例示されたものでさえ、ワッハーブ派は本来内陸が中心で、今のサウジとちょっと違うような気がしますし、オマーンも現王家とイバード派イマームとで戦争してたぐらいですから、あまり宗教と絡めない方が良いような気がしますけれど。

192: 世界@名無史さん 02/10/23 09:08
国家の宗教と実際に受け入れられてる宗教が違うことは良くあるのでは?


202: 世界@名無史さん 02/11/29 13:53
今スンナ派のカリフにあたる人を探すとすれば誰?

203: 棄教者 ◆egKIKYO7cg 02/11/29 15:50
そんな簡単には見つかりません。
ウマル、ウスマーン、アリーの誰が選ばれたときもつねに不満分子はいました。
10億の民の上に君臨するハリーファを選ぶのは困難です。

204: 世界@名無史さん 02/11/29 18:53
ぢゃあ、オスマン家復活していただくというのはどうよ?

205: 世界@名無史さん 02/12/08 13:36
オスマン朝の最後のスルタンの子孫って存続してるのかな?
情報キボン

207: 世界@名無史さん 02/12/09 04:32
>>205
イスタンブールとかパリとかニューヨークとかに住んでるらしいよ。

206: 世界@名無史さん 02/12/08 13:43
なぜいまカリフは居なくなったの?

207: 世界@名無史さん 02/12/09 04:32
>>206
1258年にモンゴルが滅ぼしたから。
マムルーク朝が推戴した傀儡カリフも1517年にマムルーク朝が滅ぼされてから新支配者のオスマン朝が後継者を立てなくなったから絶えた。のちにスンナ派イスラム世界で「イスラムの盟主」と目される強国だったことに裏付けられて、オスマン朝のスルタンがこの1517年に最後のカリフからカリフ位の禅譲を受けたという伝説が創られていわゆるスルタン=カリフ制が成立するわけだが1924年にトルコ共和国政府によって廃止された。これをもってイスラム世界全体からカリフと見なされる者は完全に消滅した

…のだが、最近でもターリバーンの指導者オマル師が国内ではカリフの称号であるアミール・アルムーミニーンを名乗っていたように、ローカルなリーダーの自称カリフについてはこの限りではない。

212: 総督 02/12/09 13:14
オスマン帝国最後のスルタン、メフメト6世の次にカリフ姓だけ継承した人がいたよね
アブドゥル・メジトとかいったかな

214: 世界@名無史さん 02/12/09 21:39
>>212
アブデュルメジト2世ね。
最後のスルタン・メフメト6世のいとこで在位は1922年のカリフ制分離およびスルタン制廃止から1924年のカリフ制廃止まで。

216: アラブ人 02/12/17 14:16
アッバース朝が今も続いていたら、今ごろはこんな体たらくじゃなかったはず・・・。
バグダード(バグダッドじゃねえぞゴラァ!)が空爆されることもなかったろうに。
広大な領土と豊富な資源と高度の文明と統一された宗教で世界に覇をとなえていたハズ。

218: 世界@名無史さん 02/12/21 04:02
アッバース朝が続いてたってどうせ日本の天皇みたいな立場でしかなかったろう。

実際にアッバース朝が存在してた時代の大半はそうだったんだし。

271: 世界@名無史さん 03/10/24 18:36
カリフってそもそも血統は必要あったの?

オスマン帝国のスルタンとかが世襲なのはわかるが。

273: 世界@名無史さん 03/10/30 23:47
>>271
カリフにはそもそも血統は必要ない。
「正統カリフ」時代、カリフ位は選挙によって選ばれた。以下参照。
http://www.geocities.jp/timeway/kougi-45.html

272: 世界@名無史さん 03/10/30 14:45
ブルネイ国王はスルタンか
あんな小さい国なのに

275: 世界@名無史さん 03/10/31 00:13

ブルネイのスルタンの系図を拾ってきました。第3代の Sultan Sharif Ali(1425-1433) のところに Syidina Hassan (第2代イマームのハサン)から続く預言者ムハンマドの子孫、とある。

The Lineage of Burnei Sultans
no title


ま、話のついでに。

277: 世界@名無史さん 03/10/31 01:26
ムハンマドの子孫ってそこらじゅうにいるね

280: 世界@名無史さん 03/10/31 23:51
後世、カリフは、ムハンマドの出身部族であるクライシュ族の出でなければならないと定められました。

293: 世界@名無史さん 03/12/14 06:24
>>280
「〔サウディアラビア〕第2次王国時代のワッハーブ派の代表的ウラマーゥの一人アブー・バティーン(1865/6年没)は、クライシュ族の出自をカリフ条件から外し、更にサウード王国の支配の正当性の論拠を明確にカリフ論から切り離していた。これはハーシム家(預言者の血統を引くクライシュの名門中の名門)を放逐してヒジャーズを併合することになる「覇権領域国家」サウディアラビアの支配を正当化する理論でもあった。」

中田考「サウディアラビアの宗教反体制派」日本国際問題研究所『サウディ・アラビアの総合的研究』(平成12年度外務省委託研究)8章、185ページ。
http://www.jiia.or.jp/pdf/us_terror/naka.pdf

19世紀になるとこんな話も。

296: 世界@名無史さん 03/12/24 03:34
>>293
面白いですねえ。てえ、ことは、当時の中東ではマリク(王)は、「名乗った者勝ち」だったのでしょうか?「実効的に支配している」という既成事実以外に、マリクを名乗るため宗教的正当化は不必要だったのでしょうか?
(質問ばっかでスマソ)
当時は西洋諸国がマリクを認めるか否かが第一の問題で、イスラムによる正当化は二の次だったのかもしれません。

297: 世界@名無史さん 03/12/26 21:14
マレーシアやブルネイのスルタンは誰が認めたんだ?
オスマン皇帝か?

298: 世界@名無史さん 03/12/26 22:35
「スルターン」って言葉は字義的には「支配者」とか「君主」って意味の普通名詞だから、
カリフと違って名称の制度上の問題ってあんまり無い。
西の方は知らんけど、イラン以東の中央アジアではペルシア語の「シャー」の方が「マリク」よりも普通に頻繁に使われてるねぇ。

299: 世界@名無史さん 03/12/27 15:52
トルコはともかくアラブではオスマン皇帝はカリフの地位の簒奪者と見られてるのでしょうか?
スルタン・カリフを兼任した時もアラブの神学者が騒いだと聞きました。

300: 世界@名無史さん 03/12/29 10:37
そもそも簒奪したという話が伝説に過ぎないわけなのだが…。

オスマン朝がカリフを主張し出すのは19世紀だと言われとりますが、特に本格的に国外に向けて俺はカリフだ敬えと宣伝するのは19世紀末のアブデュルハミト2世のときです。

で、オスマン家カリフ不適格論も19世紀末のイギリスの宣伝で始まったそうですよ。
インドのムスリムにオスマン皇帝の宗教的権威が及んでは植民地支配がやりにくいっつうことで。

301: 世界@名無史さん 03/12/29 15:53
>>300
トルコ共和国によってカリフが廃止されると、インドでカリフ制存続運動(「キラファット運動」)が起こって、ガンジーの反イギリス運動に協力しています。ガンジーの自伝に出てきます。なるほど、そういう文脈か。
「嗚呼、あちらを立てれば、こちらが立たず。どうすりゃいいんだ?」
と悩むイギリス植民地省の役人のぼやきが聞えてきそうです。

302: 世界@名無史さん 03/12/29 16:19
ヒラーファト運動(Khilafat Movement)のことか。

303: 世界@名無史さん 04/02/07 03:01
>>302
そうそう、それそれ。
この運動はどのように結実したのでしょうか?

307: 世界@名無史さん 04/02/24 13:47
>>303
インド人によるイギリス警察署襲撃事件にともなうガンディの対イギリス闘争中止宣言とアタチュルクによるカリフ制廃止で空中分解したようです。

309: 世界@名無史さん 04/05/15 15:20
いまの勢力を考えれば、選挙でカリフ決めたらインドネシア系がカリフになりそう

310: 世界@名無史さん 04/05/21 00:01
っとおもったら、クライシュ族しかなれないんですね

313: 世界@名無史さん 04/07/10 06:13
法的な「カリフ」観を厳密かつ包括的に論考として纏めたのは、11世紀のシャーフィイー派の法学者マーワルディーとハンバリー派の法学者アブー・ヤァラーだそうな。

それによるとウンマには「カリフ選挙人」と「カリフ有資格者」の二集団があって、その中ならカリフが選ばれるんだそうな。
そのカリフ選挙人の資格の中に「クライシュ族の出自」が含まれてるらしい。

322: 世界@名無史さん 04/08/18 17:32
遅レスになったけど>>313の続きをば。

マーワルディーとアブー・ヤァラーは、ウンマから選別された
カリフ選挙人(ahl al-ikhtiyaar)とカリフ有資格者(ahl al-imaama)にはそれぞれ資格が規定されるとしてるそうな。それによると両者の見解ではともに選挙人の条件は、

 1)公正(`adaala)
 2)カリフの満たすべき諸資格についての知識
 3)カリフに相応しい候補者の腹案を持つこと、の三つを挙げている。

カリフ候補者の条件について、マーワルディーは、

1)公正さ
2)イスラームの知識
3)聴覚、視覚、発話能力の健全
4)運動能力、身体的健康
5)政治的見識
6)武勇
7)クライシュ族の出自、の7つを挙げている。

同じくアブー・ヤァラーは、

1)クライシュ族の出自
2)裁判官となりうる資格をもつこと、即ち自由人、成人、正気、イスラームの知識、公正さを兼ね備えること
3)戦争、政治、ハッド刑を私情を交えずに執り行うこと、ウンマの防衛に剛毅であること
4)イスラーム的知識、宗教心(diin)においてウンマの中で最も卓越した者の一人であること、

の4つを数えている。

328: 世界@名無史さん 04/12/25 23:36:23
カリフを皇帝と訳すのはどうなんだろうか?
スルタンは征夷大将軍が一番適当な訳語っぽいけど。

337: 世界@名無史さん 05/01/20 20:35:02 0
「カリフ(ハリーファ)」は文字通りには「代理人」のことで、民事的な代理人一般でもつかわれてる言葉だが、単体で使われるいわゆる「カリフ」の意味では「(神の使徒・預言者ムハンマドの)代理人」の意味。

理念的には、狭義のイスラーム共同体のみならず全人類を教導する大権を預言者ムハンマドから継承した「代理人」であるので、ホスロウやカエサル的な「皇帝」と同列的考えるよりは、牧者イエス・キリストから司牧権諸々を受け継いだローマ「教皇」のような感じに近いか。
(聖権と俗権の分立問題があるのでこれも問題があるが・・・)

むしろ昔の概説書の「教皇」に「カリフ」とルビをふっていたり、仏教的な意味での「教主」とか「教皇」とか金転輪「聖王or法王」みたいなものであれば聖俗両方の問題も解決しそうだがこれも難しいか。

(カリフの別称が「アミール・アル・ムウミニーン(信徒たちの司令者)」なので統治者・支配者というよりは「教導者」というべきか)

340: 世界@名無史さん 05/01/26 00:03:12 0
>>337
ビザンツは知らんのかな?
ビザンツ皇帝とカリフは結構似てると思うがどうよ。

341: 世界@名無史さん 05/01/26 06:46:48 0
>>340
「カリフ」というものを比べるとき、ビザンツ皇帝と神聖ローマ皇帝+ローマ教皇の質的な違いがよく分かりません。パーテル・パピズムとか昔習いましたが・・・
カリフとの近似云々は、支配者としての共通性の問題である気がしてならず、それを言い出したら、むしろ中国の皇帝や日本の天皇に似ている感じさえします。
(これは「カリフ」とうものの理念的な問題であって、ウマイヤ朝やアッバース朝や、後ウマイヤ朝、ファーティマ朝といったの個々の支配体制上の事例の問題ではありません)

サーサーン朝皇帝との近似性だったら分かりますが、カリフとなるとちょっと。
アッバース朝の初期のカリフたちは支配体制をサーサーン朝やビザンツ帝国の構造を模範にしていたところが多分にあるのでその意味ではわかりますが。


346: 世界@名無史さん 05/01/27 14:25:03 0
>>344
てことは、正統カリフ時代から既にムスリムの長は両帝国の最高君主より自分の方がエロイ、とか思ってたのかな?


あと東ローマ帝国における皇帝称号の一つである「キリスト教徒の王」を意識してカリフが「信徒たちの長」を名乗ったってこともあったりして?
…こじつけっぽいか。

引用元: ・カリフ、イマームについての話