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1: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/28 09:56:04
【神】
劉備:宰相である諸葛亮に息子が役不足ならあなたが皇帝になってくれと言い残す
→諸葛亮は臣下である事を貫く

【凡人】
袁紹:美男子である三男袁尚を選んだ結果、長男が宿敵と組んだりして最終的に滅亡
曹操:最終的に次男に決定したものの以前から続いていた三男擁立派との争い引きづる
秀吉:宿敵の家康や政宗に息子の守り立てを頼んだ結果家康に裏切られ一族滅亡

【糞】
吉宗:嫡子が池沼なのに廃嫡せず無理矢理後を継がせた

劉備に関しては裏切らないための予防線を張ったという学者もいますが
一族より信頼できる部下を大切にするというニュアンスの故事を多く残す
劉備ですから一族以上に諸葛亮を信頼していたのが実態だというのが私見ですが。








2: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/28 10:10:44
北条氏の場合は、あれだけ息子が多かったのだが、全て無能だったのだろうか。
尼子氏の場合、親父が急に死んだので、息子を育てる間が無かった。
今がわしの場合、氏真以外の人材はいなかったのか?

4: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/28 10:33:55
後継者問題なら上杉・武田にも言えることだな

5: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/28 10:40:13
袁紹は【糞】の部類だろ

6: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/28 12:44:36
孫権も糞だな

10: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/28 19:03:58
【糞】に最上義光入れとけ

12: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/28 19:57:22
斎藤道三なんか糞の極みだな

11: Bull-assie ◆wBMJacV/86 05/01/28 19:50:21
伊達輝宗は神でしょうか?

13: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/29 00:41:22
>>11
伊達家としてはともかく輝宗的には・・・

14: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/29 01:09:10
先見の妙があっただけでも普通以上でしょ>輝宗

170: 無名武将@お腹せっぷく 05/03/04 12:35:36
>>14
祖父は父親に追われ、自分も父親を隠居させて家督を継いだ。
だから、自分も政宗に当主の座を追われると思ったから先手を打っただけ。

15: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/29 06:43:03
孫パパ、策は神だろ

劉備は糞だと思うぞ

18: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/29 11:12:12
>>15
諸葛亮が皇帝にならなかったのは劉禅が皇帝たる器だったから。

・劉禅の失態といえば流言で一回呼び戻した事だが諸葛亮の過酷な刑罰が原因になっているので相殺
・諸葛亮に全権を任せ象徴的な存在に甘んじる度量
・臣下を憤死させているが待遇が不満で裏切ろうとした揚儀なのでガチ
・魏軍に追い詰められても無駄な悪あがきをして人民を犬死にさせず降伏した的確な判断力

よって諸葛亮は劉備シンパの反感を買ってまで皇帝にならずとも国家権力を自由に行使できたので宰相の待遇になんの不満も無かったと考えるのが自然。

むしろ皇帝になってもいいよと選択肢を広めてくれた劉備は【ネ申】
27: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/29 16:04:59
劉禅が黄皓を遠ざけれなかったのは、

28: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/29 16:24:49
>>27 
黄皓に関しては姜維の北伐を抑制していたあたり費イの方針を継承しているという見方もある。当時としても諸葛亮と違って政治理念の無いただの侵略に過ぎない北伐に気勢を上げていたのは姜維ら将軍連中ばかりであり内政担当者らは国力回復の追いつかない戦争の繰り返しを疑問視していたわけで。よって黄皓は彼らの支持を得ていた可能性もあり抑え役の董允もいないのでかなりの権限を握っていたのではないかという説もある。 

つーか、蜀の滅亡自体がトウガイの奇襲を見抜けなかった姜維のヘマが原因だし。

31: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/29 20:50:24
劉禅が蜀を30年も保てたのは、司馬懿が滅ぼそうとしなかったのも一因かもな。

32: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/29 20:59:21
>>31 
滅ぼそうとしなかったんじゃなくて滅ぼせなかったんだろ。 
曹叡が諸葛亮が死んだ途端やりたい放題やってあぼーんしたもんでそれを境に曹爽には権力奪われるわ公孫淵や諸葛誕が内乱起すわ呉と戦争になるわで蜀どころじゃなかったの。

33: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/29 21:06:54
>>32 
その考えもある。おれとしては、仮に司馬懿の野望が諸葛亮生存時から持っていたとしたら、蜀を消せば一気に情勢が傾くと思わないか?統一されたら自分が魏を乗っ取る隙も出来難くなるのでは? 
たしかに曹叡がやりたい放題で動けなかったのも事実だが、司馬懿が何時から野望を抱き始めたのかによってまったく違ってくる。

38: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/29 21:33:58
>>33 
クーデターってのは内側から潰してかないと背後を狙われる。 
あそこで無理攻めしてたら誰かに讒言されて討伐隊や刺客送られてたかもよ。 

司馬懿を警戒してる魏臣なんか山ほどいたからね。

39: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/29 22:19:19
>>38 
無理攻めってどこを?蜀を無理攻めなら刺客送る理由がわからん。

35: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/29 21:16:20
劉備も実質 
劉禅しか選択肢なかっただろう?

36: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/29 21:23:40
劉封が生きてたら後継者問題にもなってたか?劉備も劉禅が皇帝資質を持ってないとも感づいていたかもしれないのだから。
59: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/31 14:10:20
劉備は劉禅しか選択肢なかったが、そのまま劉禅が継いで国権を手にしても蜀の未来は無いと思ったんじゃない? 
で、ああいう遺言にすれば劉禅がアホみたいに専横にならず孔明を重用し、その体制に周囲が納得するようにしたんじゃないかと。 
つまり劉備の狙いは元々「皇帝劉禅、実権孔明」にしたかった。 
本気で孔明に帝位を託すなら存命中に譲っとかないと、あとで孔明が交代を要求したって内乱必死だし。 
でまぁ、劉備の願った体制で孔明存命中はもったんだから、まずまず劉備は後継者人事で良い部類に入ると思う。

60: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/31 14:30:49
劉禅は乱世じゃなくて平和な世の中なら名君だったかもな。

62: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/31 19:25:29
実際要害に囲まれた。敵対勢力で内紛が相次いだという幸運があったにせよ 
四十年間独立勢力の名目上とはいえ主をはっていたんだから劉禅はよくやったと思うよ 
三国志の群雄の多くは四十年どころか十年も持たずに消えた奴がほとんどじゃん。

63: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/31 19:26:36
劉備は劉禅しか選択肢が無かった? 
劉備には複数の王子が居たのに選択肢が無かった? 
ははは、妙な事言うね。

73: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/31 21:10:27
>>63 
当時何歳だったと思ってんだ?

65: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/31 19:39:45
劉備の場合、長子の劉禅が17で、当事才能は未知数。 
で、その他は10歳前後かそれ以下。 
劉禅がよっぽど酷くなきゃ、当然の選択だな。 

19: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/29 11:23:08
孫堅は後継者について深刻になる前にあぼーんしたので対象外。
孫策は実質孫権しか選択肢が無かっただけ。

20: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/29 11:31:40
袁紹のパターン

武田信玄:父信虎が弟ばかりを可愛がった為父親を追放して君主に
織田信長:父親が不器用で母が弟ばかり可愛がる。信長は弟が何度も地位を狙って争おうとするのでやむを得ず殺す。
徳川家光:父秀忠が優柔不断で生母同士が争い家光自身は自殺も考えた。結果弟を殺す。

んで実は家康も秀吉と同じパターンで政宗によろしく頼むと言ってるんだが政宗が律儀に裏切らなかったんだっけか?やろうと思えば出来たけど

21: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/29 11:36:50
>>20
伊達政宗は父親が捕虜になった時父親ごと銃殺して勝利をおさめたほど恐ろしい人物だったからなw

22: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/29 13:10:19
だから輝宗は神なんだろ


49: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/30 16:11:37
後継者に関して一番神は元就じゃねえの
息子三人とも優秀だし跡取り息子が自分の存命中にあぼ~んしたけど下の息子がアホ孫をしっかり補佐したし、元就の偉かったところは晩年生まれたガキを三兄弟+娘婿の宍戸に対して取るに足らないものとして明確に格差を設けたことかな
それが出来んでぽしゃった香具師もいるしあと決して仲のよくなかったというか悪かった三兄弟を三本の矢の故事のごとく自分の没後まで協力体制維持させたのはすごい

50: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/30 16:38:18
それいったら真の神は家康だろ

52: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/30 18:21:00
>>50
家康は十数人いた子供の殆どを養子や嫁に出して諸大名とコネ結んでたもんな。

54: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/30 19:21:56
曹操も曹昂が生きていれば、何の問題もなかったのだがな。

56: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/30 23:40:10
>>54
曹丕が長生きしてりゃ無問題
曹丕どころか曹叡まで早死にしたもんだから司馬氏にとってかわられたんだよなあ

68: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/31 20:44:28
>>56
正夫人の養子である曹昂が生きていれば、曹丕も曹植も単なる庶子として人生を送っていた。
だから、楊修他も死なずに済んだわけで…。

70: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/31 20:53:07
>>68
曹昴は曹丕みたいな陰険さも無いし嫡子にふさわしいよ。

78: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/31 22:12:36
>>70
曹操の正夫人・丁氏には元々実子がおらず、生まれてすぐに母親を亡くした曹昂を丁氏自身で育てた。
ところが曹昂が死んだ時、曹操が息子を置いて逃げた事を知った丁氏は激怒して夫の元を去って離縁してしまいそのまま死去。
曹操はそこで改めて曹丕らの母である卡(ベン)氏を正夫人として曹丕らを嫡子扱いした。
だが、さすがに曹操もバツが悪かったのか死ぬ間際に「子脩に『私のお母さん(丁氏)はどこにいるのですか?』と聞かれたらどう答えればいいのか」と嘆息した。

以上は正史魏書后妃伝の中の注の「魏略」の記事。
(これを信じるならば)正夫人の事実上の養子である曹昂が生きていれば、丁氏は離縁することもなくそのまま曹操の正夫人でその唯一の嫡子扱いの曹昂が当然に後を継ぐ。
逆に卡(ベン)氏は一介の側室扱いなのでその所生の曹丕・曹植は当然庶子として扱われ、跡継ぎ候補にはなれなかった。


69: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/31 20:50:49
お家騒動が必ず起きるが劉封を跡取りしたらしょくはどうなってたんだろうか

71: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/31 20:56:29
>>69
劉封は実戦経験があるから北伐も自ら出陣する。
馬ショクあたりの参謀をつけておけば孔明は成都で政治に専念できる。

(゚Д゚)ウマー

74: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/31 21:36:52
>>69
お家騒動を憂いて抹殺するなら劉封より思い切って劉禅の方が良かったかもね。

75: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/31 22:05:17
劉封は苦難時代の劉備を知ってるし苦労もしてるから、禅よりも善政を敷いていたかも知れないね。
でも正史の封の人物像について調べた事ないや…。どんな人物だったのだろう?

77: 無名武将@お腹せっぷく 05/01/31 22:11:03
>>75
正史を読む限り、武辺。ちょっと考え足らずな人物。
一国の君主としてはどうだろ?
孟達が離反する原因もつくってるし。

85: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/01 19:39:46
謙信は糞だが上杉は超ラッキー

89: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/02 07:46:34
>>85
上杉家はあそこで運使い果たしたな

90: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/02 08:33:13
謙信って後継問題に関しちゃ一番無責任だよなあ

91: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/02 09:56:36
戦国時代においては子供がある程度の年齢に達した時点で早めに家督を譲り、後継を明確にしておくべき
家督を譲っても、実権は握れますし

97: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/04 12:03:43
>>91
だが、南部晴政(娘婿を跡継ぎにした後実子誕生)や上総の真里谷信保(庶子を跡継ぎに決めた後で正室に息子誕生)はそれで失敗した。

92: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/02 11:21:34
信長も元就も存命中に家督は息子に譲ってたからな
本能寺のとき一緒にあぼ~んしたり存命中に暗殺?されたりしたのは不幸だったが。

94: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/02 15:44:19
>>1

>吉宗:嫡子が池沼なのに廃嫡せず無理矢理後を継がせた

これは英断とも取れますが。
有無を言わさない長男相続により、家臣による「池沼や貧弱だからということにして廃嫡」→ロボットを傀儡に立てて俺らの政権!
とか、
「兄のほうが池沼!」「いや次男のほうが池沼!」
という家中争いを避けることができる。

102: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/08 12:36:36
>>94
吉宗は孫の家治を買っていたからだという説もある。
息子がダメでもその息子に期待出来るなら中継ぎでバカ息子に一時的に継がせる例はある。
(近衛天皇の死去後、父親の鳥羽法皇は孫の守仁親王(後の二条天皇)に期待して敢えて無能視されていたその父親の後白河天皇を即位させた)

103: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/08 13:34:05
>>102
晋の恵帝にもそういうの聞いたこと有るな。

98: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/04 13:53:12
毛利隆元が暗殺されなければ毛利家は安泰だった?

99: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/04 14:50:42
むしろ暗殺されたから安泰だったかも

100: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/04 15:31:29
>>99
ありえそう。
操縦しやすい主君の下に有能な参謀付いてたほうが案外上手く行く。
ただ家康にだまされた毛利家参謀吉川は無能。

104: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/08 14:37:08
家康は違うの?

105: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/08 20:16:21
秀忠に将軍職譲った時にはまだ家光って生まれてなかったのでは

106: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/09 01:18:05
>>105
まだ2、3歳だったはず。。
秀忠の場合は、長幼の順からいって順当な結果だと思う。
次男秀康は秀吉の養子になった上に当時は結城家を継いでるし、四男忠吉は東条松平家、五男信吉は武田家を継いでる。

家康が重臣に後継者を相談したという話はあるけど、ちょっとできすぎてる感じでちょっと創作くさい。ありうるとすればあらかじめ後継者を決めておいて、重臣の腹を探るために聞いたのかもしれない。

107: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/09 12:13:28
>>106
一応、秀康・秀忠とも庶出だから、筋書きは決まっていても家康の一存だけでは、家中全体の合意を得るのは難しかったからだろう。
そこで一応重臣の意見を訊くという手続きを経たという正統性をを付けた。

108: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/09 13:44:14
>>107
誰に聞いたの?それ

109: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/09 13:48:24
>>108
本多正信や大久保忠隣か井伊直政辺りだろう。

家康はああ見えても、結構優柔不断なとこがあるからな。

110: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/09 14:02:46
>本多正信や大久保忠隣か井伊直政辺りだろう。

井伊直政は忠吉の後見人だからやっぱ説得するにもなんどか会見はしたかもな。

111: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/09 19:06:42
釣りか?井伊は将軍継承時には死んでるだろが

112: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/09 19:31:13
>>111
関ヶ原後、秀忠遅参なんかで後継問題でもめたと思われるが。

114: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/10 11:41:31
>>109-112
確か話し合いは関が原の直後に行われたはず。
井伊もまだ元気で出席はしたけれど、忠吉の舅であることを理由に家康に一任すると言って議論には参加しなかった。

115: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/10 14:38:46
近年の研究では、豊臣政権において、秀忠を正式の後継として認定していたとされる。
これは徳川に限らず、後継者の認定は他の大名家に関しても行われている。これは、中央政権としても世代交代に際して問題が起きることは望ましくなかったからだろう。

関が原の後の話し合いというのは、「誰を後継者にするか」ではなくて、「このまま後継者を秀忠のままにしていいものかどうか」ということを諮ったんじゃないかね。

118: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/10 15:11:08
てか豊臣政権ってのが秀忠を後継者に指名したところで、秀吉の遺命を反故しまくってる家康がおとなしく従うわけなかろうが。

秀忠に問題が有ればあっさり別の人間が二代将軍になってただろうな。

121: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/10 21:03:19
>>118
だから、関が原の遅延をみて、「こいつを後継にして大丈夫か?」と不安にかられて諮った、と言っているのでは。
一旦定めた後継者を変更するというのは様々に波紋を及ぼすものだから。

徳川に限らず他でもそうだが、豊臣時代に認められた後継を徳川時代になって変更しようとして色々と問題を起している。家康としてはそれは避けたかったから、家中の意志統一を狙った、とも考えられるかな。

120: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/10 17:13:04
一応唯一の嫡男だしな、一歩間違えたら家康も曹操の二の舞になったかも。

127: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/18 19:32:26
曹操は後継者選びで失敗したとはいえんだろ。
迷いはしたが曹丕を選び、混乱もほとんど無いといっていいだろう。
袁紹あたりの例とはまるで違う。

128: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/18 21:13:15
曹操は失敗はしなかった。ただ、明らかに迷ったあとがあり、それが後の兄弟相克のタネに残ってしまった。ただ、兄弟の争いを政争に発展させなかったのはうまい。

ここから窺えるのは、迷いはしたが、決したあとの処置が優れていたといえるかな曹操の場合は。逆に、さんざん迷ったあげく政争と化して傷口を広げまくったのが孫権。

129: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/18 21:34:14
>>128
その兄弟相克が曹氏の力を弱めて司馬氏に乗っ取られる原因にはなってるけどね

130: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/18 22:18:05
別になってないって

133: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/19 02:44:57
>>130
大いに関係してる。争いの結果として曹丕が兄弟一族を冷遇し封国しなかったために、中央の実権を司馬氏が握ると曹氏一門はこれに対抗できずに乗っ取られた。

131: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/19 00:23:18
相克よりむしろ曹丕、曹叡と早逝が続いたのが大きい。>魏

141: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/19 11:07:30
曹丕と曹叡が曹操並に長生きしてくれてたらだいぶ変わっただろうよ。
芝居は、少なくとも曹丕在任中は簒奪の意志を持ってなかったように思うし。

問題は、曹叡まで早死にした挙げ句に曹爽がつけ込まれそうなアホ行為を続けたせい

143: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/19 14:38:05
曹叡の浪費は正史で諫言を聞き入れてるのに対して、演義では逆に諌めた臣を処刑したとされてしまっていることから、浪費癖があったにしても誇張されてる感じがする。曹爽の行いにしても司馬氏の時代に著された歴史書によるものだからどこまで信用できるか疑わしい。
正史は前王朝の最後の主を悪し様に書くことが多いから曹氏最後の実力者である曹爽を不当に貶めて書かれているとも考えられる。

151: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/20 14:27:52
後継者でもめていない戦国大名の方が珍しくないか?

159: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/22 13:08:04
>>151
小田原の北条氏は上手くやったんじゃないか?

152: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/20 23:27:35
相続のルールが決まっていなかったからね。よほど上手くやらないと(やっても)問題が生じるのは避けられない。

153: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/21 01:48:40
正室かそれに近い室から長男が生まれて、そこそこ聡明で(父親に気に入られる)早死にしない、などといい条件がいくつも重ならないと大抵後継騒動は起きるな。
騒動が大きくならないように鎮められるかどうかが主の最後の大仕事。

154: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/21 02:46:44
伊達政宗は上手くやったような気がする
庶長子は分家にした

155: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/21 08:13:28
最上は長男を下手に廃して禍根を残したな。
政宗はこの辺をよく見ていたんだろうな。

157: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/22 05:51:35
孫登さえ生きていれば・・・

158: 無名武将@お腹せっぷく 05/02/22 11:46:58
信親さえ生きていれば・・・

引用元: ・【劉備】後継者問題について語るスレ【秀吉】




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