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1: 世界@名無史さん 2005/10/15(土) 21:47:39 0
世界史で起こった外交的勝利、もしくはその敗北を語ったり、現代世界の政情などを外交史から語るスレです








138: 世界@名無史さん 2005/11/18(金) 22:19:16 0
日本は宣伝とかプロバガンダ下手なんかね。
自己主張あまりしないのが美徳となっているのか。

139: 世界@名無史さん 2005/11/18(金) 22:42:41 0
ドイツの外交家で、シュトレーゼマンはもっと評価されていいように思う。
英仏との友好関係に尽力したが、決して単純な平和主義者ではなく、ときには“ソ連カード”を用いた。

200px-Gustav_Stresemann



グスタフ・シュトレーゼマン


グスタフ・シュトレーゼマン(1878年5月10日 - 1929年10月3日)は、ドイツ・ヴァイマル共和政期の政治家である。1923年8月から11月まで首相を務める。

マルクス内閣に外務大臣として入閣。続く複数の内閣で外相を務めた彼はフランスとの関係正常化に努め、1924年にドーズ案によって賠償金の減額に成功、1925年にはイギリス・フランス・イタリア・ベルギーとロカルノ条約を締結し相互不可侵を約し、ドイツは国際連盟への加盟を認められた。このロカルノ条約の締結に尽力したとして翌1926年にアリスティード・ブリアン(フランス外相)と共にノーベル平和賞を受賞した。



140: 世界@名無史さん 2005/11/18(金) 23:11:38 0
そうですね
パートナーのブリアンがユートピアニズムに傾きがちだったのに対してパワーポリティクスの実態を的確に把握して、より平和に貢献したと言えるんじゃないでしょうか
ただ国内情勢が悪すぎて永続的な成果を上げられなかったのは残念でした

145: 世界@名無史さん 2005/11/19(土) 22:07:00 0
やはり成功とは言いがたいのでは
イギリス流の議会制民主主義を即時実現しなかったから駄目だなんて評価は問題外だけど
現実に安定した後継体制を残すことができず帝国はww1の断崖にフラフラ呼び寄せられることになったんだから

147: 世界@名無史さん 2005/11/19(土) 23:47:35 0
>>145
坂井榮八郎『ドイツ史10講』(岩波新書)に、ドイツ帝国の連邦参議院・政府・議会を見ると、プロイセンが圧倒的な力を持っているが、さりとてごり押しはできず、諸国が互いにチェックしながらバランスを保つチェック・アンド・バランスのシステムになっていると指摘
されていた。
天性の外交家ビスマルクは、内政をも外交の手法で行うところがあったが、それがドイツ帝国のシステムにも現れていると。こういうシステムは、全体が協力して何かを行うためには必ずしも有効に機能しない。

146: 世界@名無史さん 2005/11/19(土) 22:29:47 0
モンロー主義は良かったと思うのは俺だけかな

149: 世界@名無史さん 2005/11/20(日) 15:38:08 0
>>146
ヨーロッパには不干渉でも、アジア・太平洋には積極的に干渉、介入してる。
日本にとっては昔から厄介な相手。

148: 世界@名無史さん 2005/11/20(日) 14:54:24 0
セオドア・ローズヴェルトの外交手腕は、歴代大統領の中でニクソンに並ぶと思うんだけど。

150: 世界@名無史さん 2005/11/20(日) 17:15:36 0
アメリカの外交的失敗というとキューバ革命とベトナム戦争かな?
ピッグズ湾事件みたいなのを起こしてみたけどみごとに失敗。

153: 世界@名無史さん 2005/11/20(日) 19:46:53 0
>>150
20世紀で言うと、国際連盟ばっくれ事件。
あと、Who lost China? の一件。

163: 世界@名無史さん 2005/11/21(月) 23:38:29 0
>>153
>Who lost China?

朝鮮戦争は、アメリカが共産中国をすぐに承認していれば避けられた戦争だったんだろうか?
イギリスはすぐに承認したが、アメリカは“共産主義政権”ということにこだわって、国民党政権を支持し続けた。

155: 世界@名無史さん 2005/11/20(日) 21:09:40 0
>>153
アメリカの中国政策が失敗したのはなぜ?

156: 世界@名無史さん 2005/11/20(日) 21:29:20 0
死活的利益もないのに、漠然とした親中感情から介入したこと自体が間違い

157: 世界@名無史さん 2005/11/20(日) 21:31:15 0
>>156
中国市場が目的だったのでは?
門戸開放宣言以来のアメリカの政策。

159: 世界@名無史さん 2005/11/21(月) 20:09:33 0
戦前のアメリカの貿易で中国市場が日本市場を上回ったことは結局無かったんじゃないのか?膨大な人口に目がくらんで中国市場の価値を過度に見積もってジリジリ政治的にもコミットメントを増やしてとうとう日米戦争
日本は散々な目にあった

160: 世界@名無史さん 2005/11/21(月) 20:57:48 0
ttp://www5.airnet.ne.jp/guizou/mhp0323.html
※リンク切れ

「中国ほど学生が新しい思考様式に関心を寄せている国はない」
「保守思想も、知的で思慮深く因習に縛られていない。中国人は日本人よりはるかに大きな変化を遂げるであろう」デューイはその直前、日本にも立ち寄ったが、日本では西欧的な政治運動とされている大正デモクラシーですら、西洋からの借り物のように見えたという。
デューイは、民族の自立を求める世論のうねりが政府を揺さぶった五・四運動の方に、深い精神的共感を寄せたのであった。文明への畏敬、民衆運動への共感のほかに、当時、中国には約二千五百人の米国人宣教師が活動、日欧の経済支配下に置かれた中国人に同情を寄せていた。

当時のウィルソン米大統領ら理想主義的政治家から、「米国は弱い中国を助けるべきだ」との主張も起こっていた。米中接近策には外交上の理由もあった。「中国の近代化を米国の手で進めたいとの考えが根底にあったと思う。
中国が日本のように(急速な富国強兵をめざす)プロシャ型の表面的な近代化を進め、アジアに日中の一大ブロックが形成されれば、西洋文明への脅威になると考えられた。また、ソ連に対抗する意味でも、米国は中国と緊密な関係を結ぶ必要があった」。

165: 世界@名無史さん 2005/11/22(火) 00:33:36 0
第二次世界大戦中、中国に駐在していたアメリカの外交官や軍人は、中国がアメリカ人が考えているような理想の国ではないとその実態を報告したが、ローズヴェルトをはじめとする親中派はなかなかそれをうけいれようとしなかったとか。
自分に都合のいいことしか信じようとしなかった点で、奇妙に当時の日本軍首脳と共通している。
もうこの時点でWho lost China? の種は蒔かれていたのかもしれない。

194: 世界@名無史さん 2005/12/22(木) 00:46:53 0
失敗例も語っていこうか。
アメリカのソマリア介入はどうよ?

195: 世界@名無史さん 2005/12/22(木) 13:19:09 0
ソマリアなんてアメリカにとってかすり傷にもなってない。

199: Ryuju ◆RlujhF6VrA 2005/12/23(金) 13:24:26 0
>>195
物質的にはそうだけれども、外交上はそうでもない。
ソマリアでの失敗がきっかけで、湾岸戦争以降のアメリカと国連の円満関係が終了した。
もともとあれは、表面上は国連のガリ事務総長(当時)が主張した「平和創造」に沿う形で出された部隊で(地政学的にアメリカが利益を得られるという面もあったろうが)、それに失敗した結果、アメリカは国連の枠外で行動することが多くなる。

また、普通は二期やるのが通例の事務総長も、ガリの場合には一期しか出来なかった。
しかもこの失敗で、主要国が海外への派兵に消極的になった結果、ルワンダ虐殺を放置して被害が拡大したと言われている。

203: 世界@名無史さん 2005/12/24(土) 02:05:16 0
>>199
アメリカのとって国連との別離は失敗なのか?
安保理の拒否権だけ維持しておけばおkで国連の枠に囚われないほうがアメリカにとっては有利なんじゃ。
かといって国連はアメリカを排除できないし。

205: Ryuju ◆RlujhF6VrA 2005/12/24(土) 12:43:35 0
>>203
問題は、その頃から始まった国連軽視の延長上にイラク戦争があること。
クリントン時代の国連決議なしでのNATO空爆(旧ユーゴ諸国に関連して)も含め、大きな流れとしてはそうなる。旧ユーゴのときは、それでも事後処理は国連に一任する形だったが、イラクの場合にはアメリカが影響力残したくてゴタゴタしている間に国連の施設がテロにあって、国連はイラク関係から撤退してしまった。

麻生の言った「国連は単なる場だ」というのは確かに一面の事実ではあるが、でもそこで、国際社会というか国際世論の少なからぬ部分を形成しているのも事実。
加えて総会・安保理などの中枢は「単なる場」でも、末端の組織(ユニセフ、UNDPなど)は援助などで独自の実績がある。NGOとの協力関係も築いてるし。

また国連から離れても、アメリカ一国で出来ることには限界があるから「有志連合」で同調する国々を集めてるわけだし。しかも「有志」だから各国の事情で撤退するし、見返りとしてアメリカに援助要求するしで必ずしも上手くいってないのが実情だ。
もし国連(少なくともNATO)主導なら、アメリカの負担はもっと少なくて済んだろう。

国連は錦の御旗みたいなもので、いつでも担げる程度の友好関係は残しておいた方がいいし敢えて背を向けることはない、と思うんだが。

201: 世界@名無史さん 2005/12/24(土) 01:22:57 0
清朝末期の李鴻章、「外交の天才」みたいな扱われ方してるけど、どうも納得いかないなあ。
200px-Li_Hung_Chang_in_1896


李 鴻章

李 鴻章(り こうしょう、1823年2月15日(道光3年1月5日) - 1901年11月7日(光緒27年9月27日))は、中国清代の政治家。洋務運動を推進し清後期の外交を担い、清朝の建て直しに尽力した。日清戦争の講和条約である下関条約で清側の欽差大臣(全権大使)となり、調印を行ったことでも知られる。

202: 世界@名無史さん 2005/12/24(土) 01:38:53 0
>>201
李鴻章は「生き残りの天才」だとは思うけど、外交の天才だとは思わんなあ。
ベトナムをフランスに、満州をロシアに明け渡したかたちになったし。

230: 世界@名無史さん 2005/12/29(木) 23:16:03 0
>>201
李鴻章だったからあの程度で済んだとも言えなくもないと思いますがね。
敗戦処理の外交がほとんどだったから、交渉の結果非難されることが多いが。

239: 世界@名無史さん 2005/12/30(金) 22:13:59 0
>>230
李鴻章は、気の毒な外交官だよ。尻拭いばかりさせられていたからね。
身の上に同情したくなるね。

240: 世界@名無史さん 2005/12/30(金) 23:05:13 0
>>239
つーか、李鴻章ってロシアから賄賂を受け取っていたんだが。
“悲劇の人”という感じはあまりしないな。

241: 世界@名無史さん 2005/12/31(土) 00:20:55 0
中国の大官で賄賂を貰わないやつはいないだろう。そういう文化だし。

242: 世界@名無史さん 2005/12/31(土) 00:56:31 0
>賄賂
初期近代ぐらいまでのヨーロッパでもそういうとこあるね。
というか、そもそも決まった俸給が無かったし、また、A国におけるB国の代表をA国(あるいは第三国であるC国)の人間が勤める、(時には掛け持ちで)ということもザラだったから、外交官の忠誠の観念も今とはかなり違っていた。

243: 世界@名無史さん 2005/12/31(土) 01:09:53 0
>>242
そーいやオーストリアの外相メッテルニヒは、もともとドイツのラインラント=プファルツ州コブレンツの生まれ。ナポレオンがラインラントを占領したので、ウィーンに亡命してきた。

帝政ロシア時代の記録を読んでいると、各国の大使が要人に対して賄賂を贈ったり、男女をあてがったりした記録がある。
その他にも、第三次英蘭戦争のさい、ルイ14世が絶世の美女ケルアイユを与えてチャールズ2世を篭絡し、イングランドを味方につけたエピソードは有名。

246: 世界@名無史さん 2005/12/31(土) 18:04:33 0
李鴻章の場合、専門の外交官ってよりは能力あるやつが他に居ないから担ぎ出された感じがする。
たしかこの人、軍司令官とかの肩書きも持ってたんじゃなかったけ。

247: 世界@名無史さん 2005/12/31(土) 19:11:45 0
>>246
北洋軍という彼自身の私兵も持っていた品。
清仏戦争では虎の子の北洋軍閥に犠牲が出るのをいやがってフランスと講和。
さらにロシアから賄賂をもらって東清鉄道の敷設権を与え、事実上、東三省を明け渡した形になった。

231: 世界@名無史さん 2005/12/30(金) 11:56:21 0
外交史において、ヨーロッパの国が異教徒・異人種の国と同盟・提携を結んだのは、オスマン帝国と組んだフランスのリシュリュー枢機卿と、1902年の日英同盟だけですかね?
(20世紀にトルコはNATOの加盟国になったけど)

234: 世界@名無史さん 2005/12/30(金) 15:33:13 0
>>231
フランスは、既にフランソワ1世がオスマンと同盟組んでなかったっけ?
ハイレディンの艦隊にマルセイユだかトゥーロンだか開放してやってキリスト教世界から大顰蹙買ったって話があるでしょう?

236: 世界@名無史さん 2005/12/30(金) 16:44:03 0
>>234
>キリスト教世界から大顰蹙買ったって話がある

イギリスのエドワード7世は、明治天皇にガーター勲章を贈る話が持ち上がったとき、キリスト教国の君主ではなという理由で、「何か他の代替手段はないか」と言ったそうでつ。
やっぱりあの時代のヨーロッパ人にとって、異教徒・有色人種の国を対等に遇するというのは抵抗があったのかもな~
232: 世界@名無史さん 2005/12/30(金) 12:42:07 0
ヴェネツィア共和国はしょっちゅう異教徒と提携してるような気もするが

235: 世界@名無史さん 2005/12/30(金) 16:18:27 0
>>232
ビザンツ帝国モナー

233: 世界@名無史さん 2005/12/30(金) 13:43:59 0
貿易のために部族や国家と提携というか協力関係を築くのはよくあるな

253: 世界@名無史さん 2006/01/05(木) 11:12:50 0
ハロルド・ニコルソンは外交はその道の専門家に任せるべしと主張したが、歴史家のA・J・P・テイラーは、「民衆はその一人一人を見ると無知で狭量であるように思われるかもしれない。しかし、彼らは集団としての英知を携えており、殆どいかなる場合でも正しい判断を下すのである。もしも私がイギリスの外交政策を指導しなければならないとしたら、外務省の専門家の助言よりも居酒屋の客たちの会話を聞いてから実行に移すであろう」
と書いている。
外交について、これほどまでに正反対の主張が出てくるというのが面白い。

254: 世界@名無史さん 2006/01/05(木) 19:07:16 0
E.H.カーは「危機の二十年」のなかで、世論が常に正しく、常に勝つべきものという思想をユートピアンと呼んで批判した。
ニコルソンもカーも元外交官だからとはいえ、俺はこっちの方が共感できるな。

255: 世界@名無史さん 2006/01/05(木) 20:50:46 0
>>254
ただ、知識人や専門家がつねに正しいとはかぎらないわけで。
戦後の日本の外務省のていたらくを見ているとよけいにそう思う。

256: 世界@名無史さん 2006/01/06(金) 17:13:32 0
高坂正堯氏が『古典外交の成熟と崩壊』で、ウィーン会議を取り上げて18世紀の文化を「遊びの精神のある文化」と形容していたが、今でもヨーロッパ人にはこういうところがあるな。例えばスイスのダヴォスで開かれる会議では、仕事のついでにそこでスキーなどを楽しむのがふつう。
ヨーロッパ人の感覚では、そういう楽しみが一方になければ、肝心の仕事のほうにも力が入らない、と考えている。


257: 世界@名無史さん 2006/01/10(火) 22:09:11 0
盧武鉉大統領は「北東アジアのバランサーの役割を果たす」という外交戦略を打ち出したけど、彼も外交史をもっと深く学んでいればこんなことは言わなかったんじゃなかろうか。
バランサーというのはイギリスやアメリカみたいな国でないとできないだろうに。

258: 世界@名無史さん 2006/01/10(火) 22:49:10 0
列強間でいいとこ付きしておいしい思いをしたい国家が、時に「バランサー」を称することがある。これは中規模国家としてはそれなりに悪くない狙い。

ルイ14世とハプスブルクを両天秤に掛けた近世サヴォイ公国以来の、イタリア外交の伝統がその典型。

271: 世界@名無史さん 2006/01/11(水) 21:19:17 0
>>263
ルーマニアもイタリアと同じで外交上手で内科医?
第一次世界大戦ではトランシルヴァニアを獲得、第二次世界大戦では最初枢軸国として参戦したが、1944年8月の政変でイオン・アントネスク元帥ら親独逸派を逮捕して連合国側につく。

264: Ryuju ◆RlujhF6VrA 2006/01/11(水) 14:55:50 0
イギリスがバランサーだったのは、18世紀だと思うよ。
ヨーロッパの諸国家の均衡を保つという意味では。
19世紀はパックス・ブリタニカとか栄光ある孤立とか、イギリスの最盛期で、イギリスの存在が大きすぎて、イギリスが動くと全体がそちらに行ってしまう感じだ。

バランサーが上手くいく条件は、負けても自分が損をしない/出来れば勝つ相手につくことと、裏切る(同盟相手を変える)大義名分を用意できるかどうかだと思う。あと、対立する双方から、自分の陣営に加わって欲しいと望まれること。第一次大戦のイタリアは「未回収のイタリア」問題があって、同盟は結んでいてもオーストリアとは仲が余り良くなかったという話もある。
そこを突いた連合国側の勝ちだと思う。

278: 世界@名無史さん 2006/01/12(木) 17:49:44 0
李朝末期もそうだったが、なぜ韓国の外交というのはあんなにフラフラして腰が座らないのかな。昔も、中国(清朝)・ロシア・日本のどことくっつくのかはっきりさせないまま小細工をして、結局国を滅亡させる。
外交の“自主性”に対して幻想を抱きすぎなんじゃなかろうか。

274: 世界@名無史さん 2006/01/12(木) 05:02:00 0
七年戦争中の「外交革命」。

そもそもなんでハプスブルグとブルボンは対立していたの?
もともと対立していた理由が不明です。本にも載ってなかった。
誰か教えて。

276: Ryuju ◆RlujhF6VrA 2006/01/12(木) 11:00:40 0
>>274
ドイツ西部・フランス東部の「領土・主導権争い」というか。
もともと、十五世紀後半にブルゴーニュ(ドイツ名ブルグント)公国がフランスからの独立志向を強めてハプスブルク家と婚姻政策をとり、ハプスブルク家がブルゴーニュを支配するようになった付近から対立関係が始まる。
この辺は複雑なので、ブルゴーニュ公国スレを見て欲しい。
その後、フランスはブルゴーニュの再統合(という言い方が適切か分からんが)を含め、東への拡張政策をずっと続ける。そうなると神聖ローマ帝国皇帝でもあるハプスブルク家としては、自分の勢力圏が脅かされることになるから黙って見ていられない。

あと、スペイン王がハプスブルク家だった時代には、フランスにとってはそちらからの圧迫もあった。こちらはスペイン継承戦争でブルボン家が王位を継いだことで消滅するが。

277: 世界@名無史さん 2006/01/12(木) 12:57:02 0
>>274
イタリア戦争はハプスブルク家のカール5世とフランスのフランソワ1世の争いだった。
三十年戦争で、フランスの宰相リシュリューは、おなじカトリックであるハプスブルクではなく、プロテスタント諸侯を支持(中欧が分裂して弱体化しているほうがフランスの国益にかなう)
ルイ14世がヨーロッパの覇権を目指した時代には、ハプスブルクはイギリス・ オランダと同盟を組んでこれを阻止。

引用元: ・世界史からみた外交を語るスレ




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