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1: 日本@名無史さん 2008/07/10(木) 14:51:16
日本が鎖国してなかったらもっと多くの外国人が日本にきてたのかな?








2: 日本@名無史さん 2008/07/10(木) 15:22:37
そもそも鎖国なんてしてたのか?

4: 日本@名無史さん 2008/07/10(木) 16:32:29
>>2
江戸時代の末期にできた言葉だ。でもさ、もっと多くの国と貿易しててもよかった気もする。

211: 日本@名無史さん 2008/11/24(月) 08:55:31
家康程度のキリスト教布教制限に止め、朱印船貿易を家光以降も続けていたら、その後の日本はどうなっていたかな?

214: 日本@名無史さん 2008/11/24(月) 17:47:40
>>211
大重商主義国家になって日本人町がヨーロッパ、アメリカにまで出来たんではないか?

そうなるとやはり欧米の影響を受けて帝国主義へ移行しただろう。フランス革命の影響を受けて倒幕運動も起こっただろうな。

明治維新が50年ほど早まっただけではないか。



215: 日本@名無史さん 2008/11/24(月) 19:09:58
>>214
もしかしたらその方が今よりまともな国になってたかもな。

216: 日本@名無史さん 2008/11/24(月) 20:26:07
近代日本の歪みの多くは江戸時代の遅れを取り戻すために起こったもんだからな
緩やかに成長しつづけてればそんなことにはならんかったかも

217: チャッカマン 2008/11/24(月) 22:05:03
>>216
でも「緩やかに」成長しつづけていたら
欧米の植民地化していただろうな
尊皇攘夷、富国強兵は結果としてうまくいった(政治的には)
しかし、そのために失った文明的遺産ははかり知れない

江戸の文明こそが世界史上最高の文明だと信じて疑わない俺にとってこれは残念なことだ

だがしかし、そうした日本古来の生活態度、心理的態度は、いまだに残っている
だから俺は、一方では現代日本文明に嫌悪感をかんじつつも、もう一方では現代の日本を愛するのだ

220: 日本@名無史さん 2008/11/24(月) 23:33:57
>>217
どうだろうな?
イギリスの産業革命前なら日本が植民地化される事は無いと思う。
実際ヨーロッパ諸国は17世紀当時は日本を植民地化する意志はほとんどなかった。
家康が欧州の内懇意にしていたのはオランダとイギリス。
家光が貿易制限を強化しなければ、イギリスが日本との貿易から撤退する事は無かったかも知れない。寧ろ蒸気機関や鉄鋼の大量生産技術などイギリスの産業革命のの情報がもっと早めに入って、勤勉な日本人はその技術をもっと早めに入手したかも知れない。そうした場合、史実ほどは国力の差が開かなかったかも知れない。

但しネックなのは軍事力かな?幕府の最大の敵は外様大名。
外様を抑えるために幕府が欧州の技術も導入して軍備増強を図る方向で行けばいいが、実際オランダなどは幕府に最新の軍事技術を教えるのを良しとしていなかったようだし、それはイギリスとの貿易が続いていたとしてもイギリスも同様の姿勢となるだろう。
また、史実通り武家諸法度で外様の力を削ぐ方向でいった場合、軍備増強の必要性を幕府が感じるかどうか・・・?
諸外国の情報がより入って来やすくなるから防衛のためにその可能性もあるかもしれないが。
また、服装や文化まで欧州のものを無理に導入などもしなかったろうから、江戸独特の文化は実際よりももっと長続きしたかも知れない。

221: 日本@名無史さん 2008/11/25(火) 00:15:39

>>220

徳川家は大名が軍事力をつけるのを極端にイヤがってたから鎖国した、って面がいちばんでかいんでないのかな
外様大名との軍拡競争なんかするよりも幕府成立後の徳川家の絶対的優性なパワーバランスのままずーっと行って欲しいと思ってただろうし

223: 日本@名無史さん 2008/11/25(火) 00:50:29
>>221
基本的には港を限定していたから、外様に密貿易さえされなければ、幕府が貿易による益を独占できる。(実際薩摩藩などに密貿易されてた訳だけど)
ただ、幕末の頃に起きた変化がもっと前に起きた可能性もあるな。
というのも、薩長を始めとした各藩が倒幕に動いた理由のうちの一つが幕府による貿易の独占に対する不満であったから。

222: 日本@名無史さん 2008/11/25(火) 00:26:54
清水義範が偽史日本伝で、鎖国がなかった場合の江戸風俗を描写していたな。

近代化した江戸風景だった。

260: 日本@名無史さん 2008/11/26(水) 02:00:56
おのずと産業革命がおきるんじゃないのかな

261: 日本@名無史さん 2008/11/26(水) 03:10:14
おのずとなんて起きないよ。

あんたは原材料をもらえば「産業革命」が起こせるのか?
長年の研究が必要なんだよ。

263: 日本@名無史さん 2008/11/26(水) 04:07:51
>>261
需要があって手段があれば「おのずと」起きるだろ。

何千万もの人が効率的に儲けよう儲けらんないかなー
とずっと考えてたらそれがナニ人だろうと自然の欲求として起こるよ。

262: 日本@名無史さん 2008/11/26(水) 03:17:44
というか、日本もやろうとおもえば海外から原材料を仕入れることくらいできたよな。
「鎖国」の状態でもさ。

しかも産業革命に必要な原材料ってなに?
石炭とか鉄なら日本にもあるんだぜ。

265: 日本@名無史さん 2008/11/26(水) 04:46:34
日本も産業は発達するし、鎖国せず技術開発をしようと思えば部分的にはおのずと起こると思う。
そして完璧にとか最初にではなくても、いち早くヨーロッパの技術を導入出来る。

266: 日本@名無史さん 2008/11/26(水) 05:08:39
「鎖国」が技術開発を妨げたかというと、必ずしもそうでもないとおもうんだよね。
日本の技術が低かったのって、江戸時代の鎖国のせいだけか?違うとおもうんだよ。
もうずっとずっと日本の技術なんてのは低いものだったんだよ。
あらゆる面でな。

もし鎖国せずに貿易を盛んにすれば、技術が自然に移転するかというと、そうでもないだろ。

幕末とか明治に盛んに行なわれたように、幕府が外国の技術者とかも雇ったりして、
明確な技術移転の意思を持たなきゃできないだろう。
そうなるにはやっぱり幕末の黒船とかのように軍事的な脅威をみなきゃ大規模にはできないだろうとおもう。
幕末には↓こういう人がいたから技術移転ができたんだよ。

小栗忠順
https://ja.wikipedia.org/wiki/小栗忠順

267: 日本@名無史さん 2008/11/26(水) 05:13:41
自然に移転っていうか
為政者は17世紀18世紀の時点で意図的に技術移転をしようと思うのでは?
貿易にしたって利益を出す為には技術が必要だし

268: 日本@名無史さん 2008/11/26(水) 08:29:32
17世紀とか18世紀の時点でどこから技術移転するのさ。

まあその時代のことはよくわからんけど、やっぱり「危機」にならないと動きは鈍いものだとおもうよ。

270: 日本@名無史さん 2008/11/26(水) 09:43:43
平賀源内、杉田玄白、前野良沢、伊能忠敬、間宮林蔵辺りをヨーロッパに留学させればな。
源内辺りにイギリスの産業革命を見せたらどうなるか。

275: 日本@名無史さん 2008/11/26(水) 14:30:23
家光政権に島原の乱以降も鎖国政策を強化しない度胸はあったのかな?
いや、家光でなくても幕府-オランダ連合軍でやっと抑えることができたようなあれだけの大きな反乱がキリスト教の広まりが原因として起こったとしたら貿易を制限してでもキリスト教の弾圧強化に動くのは必至じゃないのか?

276: 日本@名無史さん 2008/11/26(水) 15:04:50
あのときの日本にできることは、「蘭学」を奨励することだとおもう。もっと全面的に広範囲に。
でもさ大きく社会を変えることはできなかっただろうね、馬を使うと飛脚が失業するからとか、そんなことで馬を使わせなかったりしてるようだし。

たとえば平安京は中国の昔の都のマネして作られただろ。
やっぱりそれくらいの規模で社会を変える気がなきゃね

278: 日本@名無史さん 2008/11/26(水) 16:55:00
でさ、江戸幕府の「鎖国」政策には先例があるんだよね。

もちろん中国の明が始めた「海禁」政策だ。
これは倭寇対策も含めて始まったとされてるから、やっぱりそういうものなんだろうな。

なんというか、中国のまねしただけだともいえるとおもう。

279: 日本@名無史さん 2008/11/26(水) 17:07:30
やっぱり当時の日本にとって(今もそうだけど)、中国ってのはデカイものなんだよな。

アヘン戦争で中国が負けると、幕府も異国船への対策を一変させたりしてるしな。

281: 日本@名無史さん 2008/11/26(水) 17:22:35
>>279
実際立場が逆転したのは日清戦争から
第二次世界大戦敗戦までの間だけだしな。
まあ、今中国の存在がデカく感じるのは、日清戦争前とはまたちょっと違う理由だが。。。

286: ■■ 2008/11/27(木) 01:23:31
いつも無視されがちなんだけど、「中国の高い技術」をもっと学ぶべきだったとおもうんだよね。

こういうと反発もありそうだけどさ、当時の中国にはいろいろあるんだよな、日本には無い技術が。
あんなに近い中国からも学ぶ気がないのに、わざわざ欧州から必死に技術を学ぶなんて発想は、なかなかでてこないものだとおもうよ。

310: ■■ 2008/11/28(金) 00:49:19
というか、清も「植民地化」なんてされてないよ。
まあ「半植民地化」くらいなら、そうかも知らんけど。

もう1800年代とかになると、フランスとイギリスとアメリカとかの武力が圧倒的で勝てるところは無くなる。
やろうとおもえば、江戸への砲撃くらい簡単にできてしまう。

いくらサムライが武装したからって限度がある。
もうこの時代になると、イギリスとかフランスとかアメリカとかロシアとかが、日本と中国と朝鮮の命運を握ることになる。

311: 日本@名無史さん 2008/11/28(金) 01:04:29
>>310
>江戸への砲撃くらい

逆に言うと砲撃くらいしかできない。
陸兵連れてこれないし

312: 日本@名無史さん 2008/11/28(金) 01:05:32
実際1860年代に外国人殺傷事件が相次いだときは江戸、京都、大坂の占領作戦も検討され、その時の欧米の見立てではそれなりの兵力があれば占領は可能だが、ゲリラ戦に持ち込まれる恐れがあるということで中止になった経緯がある。
また同時期李氏朝鮮にフランスやアメリカが攻撃を仕掛けたが反撃に遭い中途半端で終わらせた経緯もある。

欧州の植民地化政策は彼らが「未開」と認定されたところに(つまり欧州の武力に全く対抗出来ないところ)勝手に入植するか(日本も蝦夷や樺太で似たような事しているが)半文明国と認定した国の内戦に付け込んだり欧米の国際法をごり押ししたりして詐欺紛いの方法で植民地化。
初めっから反抗的なところには本格的には戦争を仕掛けず、不平等条約程度に抑えその国の富を掠め取るのが手口じゃない?

313: 日本@名無史さん 2008/11/28(金) 01:21:14
イギリス人の江戸の防備に対する評価
オールコック
「(江戸城の)稜堡・塁壁・濠というこの三重の線は、一見強固でほとんど難攻不落のようだが、これらは 砲撃にたいする防御に関して、築城家が第一に考えるべきさまざまな原則のあるものを知らぬまま に建造されたことは明らかだ。
しかし、奇妙なことには、防備のためにこのような多額の費用を かけて築造されたことが明白であるにもかかわらず、官庁街には一門の砲も見うけられない。」

「湾全体は自然の浅瀬で、船底が二十フィートの水深を 必要とする戦艦では、砲撃に不可欠な二十海里の近さまで都に接近するのは、困難だと思われる。世界の港都の中で江戸のように海側から攻撃するのが難しい都市は少ない。江戸ほど征服し占領するのが難しい都も、他には見あたらない。ペルシャ王クセルクセスの軍隊のような強力な大軍を編成すれば別だが。将軍の居城のある町の中心部の官庁街は、重要な区域であるが、ここはあまりにも広大な地域であるから、仮に占領はできでも、その後、安全に確保し続けることはできないだろう。ヨーロッパの指揮官は、誰も江戸のような町を襲撃して占領するだけの自信がないだろう。敵対心を持った住民のもとでは、 町は軍事的に持ちこたえられないだろう。たとえ一つか二つ橋頭堕を築くことができて、 そこから町を容易に破壊することができたとしでも」
某軍人「3日もあれば占領できる」
某軍人「台場は恐くない」

320: 日本@名無史さん 2008/11/28(金) 17:24:55
鎖国への流れ
ポルトガル大使館サイトより
http://www.embaixadadeportugal.jp/
リンク切れ

1583 
イエズス会、明国にて布教活動を始める。

薩摩の島津氏の支援を受けた有馬の鎮純、ポルトガル人より提供された武器を用いて、竜造寺隆信を破る。

1585 
天正遣欧使節、ローマ訪問。

ローマ法王庁「エクス・パストラリス・オフィシオ」なる勅書を発布し、日本におけるイエズス会の独占的普及権を認める。 豊臣秀吉、関白となる。

1586 
九州のキリシタン大名、イエズス会副管区長とともに、秀吉の仲裁を求める。


1587 
秀吉、伴天連迫放令を発布(7月25日)。 長崎、秀吉の完全支配下に入る。

豊後領主大友義統、キリスト教を棄てる。

1588 
ローマ法王庁、豊後府内に司教区の設置を主張(2月)。

アレッサンドロ・ヴァリニャーノ、ゴア副王の使節として秀吉のへ派遣される。
初代日本司教セバスティアン・モライス、モザンビークで死去。

1589 
ポルトガルのフランシスコ会托鉢修道僧、日本普及の意思を示す。


1590 
関白秀吉の天下統一達成。

ヴァリニャーノ、長崎に到着。同時に天正少年使節、帰国(7月)。
ペドロ・ゴメス、新たに副管区長となる。

1591 
秀吉、日本全国の戸籍調査を行なう。

京都にてヴァリアーノ、秀吉に謁見。キリシタン抑圧が緩和(3月3日)。 大友義統、教会と和解。

1592
ドミニコ会士を中心とするマニラからの初使節、来日。秀吉より教会建設の許しを得る。ポルトガルおよびイスパニア両国間で普及保護権をめぐる論争おこる。

秀吉の第一次朝鮮侵略。キリシタン大名もこれに加わり、以後、朝鮮にキリスト教が伝わる。

1593 
フランシスコ会士を中心とするマニラからの使節、来日。秀吉より教会建設の許しを得る。普及保護権をめぐる葡西間の論争激化。

321: 日本@名無史さん 2008/11/28(金) 17:26:07
>>320の続き
1595 
オランダ人、初めてインド洋に進出、南アジアの諸島で交易を始める。

1596 
日本司教ドン・ペドロ・マルティンス、秀吉に謁見(11月)。 日本人キリシタン、30万人となる。

1597 
サン・フェリペの乗組員と日本政府とに意思の疎通を欠き、秀吉、再度キリシタンに圧力をかける。
フランシスコ会士は国外退去を命ぜられる。 長崎で26名の殉教者出る(2月5日)。
日本司教ドン・ペドロ・マルティンス、離日。
秀吉の第二次朝鮮侵略。

1598 
ドン・ペドロ・マルティンス、マラッカ付近で死去(2月5日)。
ドン・ペドロ・マルティンスの補佐たりしドン・ルイス・デ・セルケイラ神父、長崎に到着(8月5日)。
秀吉、死去(9月16日)。
イエズス会とフランシスコ会、長崎殉教事件をめぐり相互を非難。

1599 
セルケイラ、これまでの二年間に約7万の受洗者ありと報告。
日本軍、朝鮮より撤退。

1600 
ローマ法王庁、ポルトガル勢力圏通過を条件に、托鉢修道僧の日本普及を認める。
新副管区長としてフランシスコ・パシオ神父が着任。
豊後沖でリーフデ号遭難。オランダ船の日本初漂着(4月)。
5月12日(慶長5年3月30日)、家康リーフデ号乗組員ウイリアム・アダムズ、ヤン・ヨーステンらを引見する。
関が原の戦い。徳川家康の全国的支配権ほぼ確立(10月21日)。

1600-1610 
この頃、東シナ海で南蛮船に対するオランダ船の海賊行為、頻発す。
日本各地で散発的にキリシタン迫害が起こる。

1601 
イエズス会士木村セバスティアンとルイス・二アバラ、日本人初の司祭となる(9月21日)。

1602 
オランダ東インド会社。設立される。 アウグスチノ会、布教を始める。
幕府、朱印状を交付して、日本人の海外交易活動を奨励。

1603 
徳川家康、征夷大将軍となる。 ドミニコ会、日本での布教を始める。

1605 
家康、征夷大将軍の職を息子の秀忠に譲る。

1606 
ルイス・デ・セルケイラ司教、家康に謁見。

1607 
イエズス会副管区長、家康および秀忠に謁見。

322: 日本@名無史さん 2008/11/28(金) 17:27:27
>>321の続き
1608 
ローマ法王庁、日本布教をすべての会派の宣教師に許す。
有馬晴信配下の日本人、マカオで、ポルトガル人と紛争を起こし、マカオ官憲に射殺される(マカオ騒擾事件)。

1609 
オランダ人、平戸に商館を設置。

1610 
マカオ騒擾事件がきっかけとなり、長崎に入港していた南蛮船の包囲を受ける。
船長アンドレ・ペソアは南蛮船を撃破して自決(1月26日)。
日本‐メキシコ間の定期航路開設を求めて、幕府、イスパニアとジ条約を結ぶ(7月4日)。

1611 
イエズス会日本副管区が管区に昇格。初代管区長にヴァレンティン・カルヴァーリョ就任。
メキシコからの反応なく、日本とイスパニア間の関係微妙化。
マカオからの南蛮船船長ヌノ・ソトマイオール、幕府とポルトガルの関係を緊密化。

1613 
イギリス人、平戸に商館を設置。

1614 
幕府、キリシタン禁教令を発布。前線教師の国外退去を決定(1月17日)。 セルケイラ司教、死去(2月16日)。
大半の宣教師、日本を追放される。なお数十人の宣教師は日本に潜伏(11月)。
大坂冬の陣。

1615-1623 
この頃、多数の宣教師が商人に変装して日本へ密入国。
大坂夏の陣。豊臣秀吉滅亡。

1616 
キリシタン発覚者は即時処刑される旨発布。
徳川家康没する(6月1日)。 日本の対外交渉、平戸と長崎のみに限定される。

1618 
マカオ当局、これまでの大型の「黒船」に換えて小型のフラガタ船を日本へ送るようになる。

1619 
新日本司教ドン・ディオゴ・ヴァレンテの日本航海をマカオ当局が阻止。

1620 
キリシタン迫害、北日本でも始まる。

1621 
イスパニア国王フェリーペ四世、ポルトガル国王を兼任。

1622 
マカオ、オランダの執拗な攻撃を撃退。

1623 
徳川秀忠、将軍職を息子の家光に譲る。 平戸のイギリス商館、閉鎖。
ポルトガル人の長崎永住、禁じられる。日本人と結婚し、子供のあるものは息子のみを伴っての離日が求められる。
キリシタンの迫害、さらに激化し、信徒には過酷な拷問が科せられる。
日本とイスパニアの国交断絶。

323: 日本@名無史さん 2008/11/28(金) 17:28:13
>>322の続き
1624 
オランダ人、台湾に根拠地を設ける。

1627 
ゴア当局、日中間貿易の一括管理を提案するも、マカオ商人はこれに反対。

1628 
イスパニア国王フェリーペ四世、日本での布教活動を15年間イエズス会の独占下におくことを決定するも、インドの顧客官、この決定を反故とする。
台湾で生じた日蘭両国間の騒事件により、オランダ東インド会社の船は日本入国を禁じられる。
ポルトガル、ふたたび日本で通商を許された唯一のヨーロッパの国となる。

1632 
徳川秀忠死去。家光が幕府権力を確立。

1633 
オランダ人、平戸での通商を再会。

1634 
長崎で出島の建設始まる。 この頃、残留宣教師は10名程度となる。

1635 
御朱印船の廃止。日本人の海外出国禁止。

1636 
ポルトガル商人、出島の完成を「祝う」。

1637 
島原の乱。一揆軍にキリシタン多く加わり、幕府、ポルトガル人を煽動者とする口実を得る。

1638 
原城、オランダ船の艦砲射撃にさらされて陥落、一揆軍約3万7000人、幕府に皆殺しにされる(3月12日)。

1639 
幕府、ポルトガル人の入国を禁止。オランダ商館が平戸から出島に移される。

1640 
通商回復を願ってマカオ当局、日本への使節を派遣するも、使節一行は捕縛、処刑される。
ポルトガル、新国王ドン・ジョアン四世のもと、イスパニアから再独立(12月1日)。

1642-1643 
この頃、最後の宣教師密入国が偶発する。

1644 
ポルトガル国王ドン・ジョアン四世、ゴンサロ・シケイラ・デ・ソウザを大使として日本に派遣。

1647 
シケイラ・デ・ソウザ、長崎に到達するも、ただちに国外退去命令が伝達される。

1685 
日本漂流民、マカオ当局によって送還されるも、国交回復の要請は拒絶される。

325: 日本@名無史さん 2008/11/28(金) 21:03:44
>>322
家康の死と共に本格的に鎖国が始まってるな・・・
結局家康以後は外交と貿易を国益に結びつけられる
政治的に有能な人物は幕末まで現れなかったのか・・・
結局貿易と国防とを両立させる事の出来ない
鎖国するしか脳のない外交的には無能な人間しか
幕府の要職には就けなかったという事か・・・

329: 日本@名無史さん 2008/11/29(土) 00:47:26
ポルトガルが日本人を奴隷として売ってたことは、鎖国に関係していないんだろうか?

330: 日本@名無史さん 2008/11/29(土) 00:51:20
>>329
それは嘘らしいよ。
いやそういうことはあったかも知らんけど、めちゃくちゃ誇張されてることがあるとか。

334: 日本@名無史さん 2008/11/29(土) 06:54:27
>>330
人によっていろいろ言っていることが違うんで、何を嘘と言っているのか言わないと、全否定と取られるのでは?

遣欧使節がヨーロッパで日本人奴隷を見たと言う記録はあったと思うが。

336: 日本@名無史さん 2008/11/29(土) 08:27:28
戦国の頃は日本も奴隷の人身売買やってた記録があるというのは聞いたことがある

338: 日本@名無史さん 2008/11/29(土) 08:50:24
誰の本だったか、島津と大友の戦争で大友が負け、捕虜は天草どっかでポルトガル人に売られたってのを読んだ。

361: 日本@名無史さん 2008/11/30(日) 01:42:29
>>338
確かこの本じゃ?
藤木 久志 著 『雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り』
ttp://amazon.jp/dp/4022598778/

かなり前に読んだんで、うろ覚えだけど、ポルトガル人が日本人を奴隷として海外に売り飛ばしているのを知って、秀吉が激怒した手紙が残っているとか。

347: 日本@名無史さん 2008/11/29(土) 14:41:50
日本が鎖国まがいの事をやっているのは何も江戸幕府の頃ばかりではないんだよな
それ以外の時期を見ても積極的に外交をしたなんて言える時期は少ないくらいだ

348: 2008/11/29(土) 14:52:31
というか、「鎖国」って中国の「海禁」政策をマネたとおもうんだよね。

349: 日本@名無史さん 2008/11/29(土) 15:14:41
日本も儒教を基とした華夷思想などの影響を強く受けているからな
外国や外国人を自国や自国民より下にみるのは中国を中心としたアジア地域に深く蔓延した華夷思想の影響による意識だろうしな
南蛮人、紅毛人、毛唐人という蔑称と言ってもいいような呼び名はそういう意識が根ざしたもによるのだろうし
また同じく儒教を基にした商人は卑しいという意識も貿易を阻害する要因とは言っても地理的に大陸から適度に離れていて更に適度に鎖国していた事によって謀略合戦と言ってもいい外交は下手になったとしても儒教の影響はそれほど大きくならず海外の技術導入にも他のアジア諸国ほどは敷居が高くなくなり江戸時代には蘭学と称して細々とまた開国後は積極的に
導入できた理由でもあるのだろうな
まあ時期が良いかどうかは別として日本はいい時に鎖国していい時期に開国出来たのかもしれない

350: 2008/11/29(土) 15:34:11
>>349
そう、当時の「優れた学者」は、ほぼ全員中国の学問とかを学んでいたでしょ。
そういう学者とかが、日本の武家政治にも巨大な影響力をもっていたとおもうんだよね。

「蘭学」という言葉があるけど、これもその前に「漢学」というものがあってのものでさ。

でも、「紅毛人」「毛唐人」は、当時は蔑称ではないとおもうけどな。
「南蛮人」は中国の呼び方に習ったものでしょ。

355: 2008/11/29(土) 20:50:42
正直、江戸時代の日本に住みたいか、といえば住みたくないよ。

まだ当時の中国のほうが住みやすそう。
まあ、中国といっても広いから場所によって全然違うけどさ。

357: 325 2008/11/29(土) 21:27:31
>>355
何時の中国か知らないけれど、清朝末の北京はちょっと住みにくそうだぞ。

北京はとても大きな街で、城門に辿り着くのに一時間以上も掛かった。
街をぐるりと囲む城壁無いに七百万人は住めるだろう。
だが、実際の人口は百万にも満たないようにみえる。
ーー中略ーー
瓦礫となった下水渠、壊れた軒蛇腹、塑像、石橋・・・
北京の街のそれら全てが今や荒廃し堕落した国民を表していた。
現在では二階建ての安っぽい家、汚れきって、
首都の道路と言うよりは巨大な下水渠のような通りに、
かつては偉大で創意に富んだ人々が住んでいたのだ。
(シュリーマン旅行記より)

366: 日本@名無史さん 2008/11/30(日) 09:13:04
江戸時代は暗黒時代だったという先入観にとらわれすぎだな
勿論現在や当時のヨーロッパとは比べるべくもないが
民衆や農民の暮らしぶりは他のアジア諸国と比較すればマシな方だったらしい。
そりゃ日本でも確かに飢饉とかはあったけどさ。

370: 日本@名無史さん 2008/12/01(月) 03:47:37
建築技術はもっと堅牢なのが欲しかったな。
中国とか、ポルトガルでスペインでもいいけどさ。
レンガのとか。

日本の木の家は燃えやすいにもほどがある。

372: 日本@名無史さん 2008/12/01(月) 11:10:05
>>370
日本で石造りの家???
死ぬ気か?
今みたいにエアコンとかもないんだぞ
木の家は日本の風土に合っているんだよ

374: 日本@名無史さん 2008/12/01(月) 15:43:48
>>370
普通建物は、身近な加工しやすい材料で、その土地の気候に合った構造で建てられる。
一般に、日本では地震が多い為に石造建築が発達しなかったという意見も多いが、日本の場合森林が多く木材が豊富であり、代わりに加工しやすい材質の石材は入手しにくい環境だった。
結果的にたまたま石造建築より木造建築の方が地震に有利だっただけの話。
実際世界では地震が多い地域でも石造建築、レンガ建築が多い地域もある。
また、低層の建物が多いのは、地震も多少は関係はしているかもしれないが、
主な理由は木材の場合あまり強度の高い高層の建物が作りにくいからなだけ。
もちろん寺社建築など、大型の木材を使う建造物は話は別だが。
また、日本の気候は基本的に夏は高温多湿。
その為に夏も快適に過ごせるよう風通しが良く作られている。窓が多いのはそのせい。

日本の建築技術の展開
http://blog.goo.ne.jp/gooogami/c/2f759d75e9d732ddaf7b042d3ddbd8ae
煉瓦造建築
http://blog.goo.ne.jp/gooogami/c/a9bc8a535d8037b04455a11e9dabf08c

371: 日本@名無史さん 2008/12/01(月) 04:45:22
ヨーロッパも元々は木造主体だったのが、すべて伐採してしまったからしかたなく石造に切り替えたって話もある。
まあ古代の話なんだが、ギリシアとか。

パルテノンの柱の筋は、木の削り後を模したものとか。


427: 日本@名無史さん 2008/12/05(金) 01:27:59
明治維新って大成功みたいにいわれることが多いけど、実際はそうではないとおもう。

特に外国への派兵に異常に積極的になったのは、実に危うい方針だったとおもう。

430: 日本@名無史さん 2008/12/05(金) 01:35:48
>>427
それと日本の文化や技術は西洋の文化や技術に全て劣るものという考えで、表面的な所だけ真似し、その考え方までは身につけられなかったのも失敗だね。
その後遺症は現在まで続いている。
古いものも大事にし、且つあたらしいものも取り入れ発展させていく。
元々は日本人はそれが出来ていたのに、明治維新直後にかなりのものを「非文明的」とかなぐり捨てようとした。
実際そう言う態度は西洋人から批判されるまで改められなかった。

431: 日本@名無史さん 2008/12/05(金) 02:01:34
>>427
結末がヨーロッパ中を戦乱に巻き込んだナポレオン戦争の敗北というフランス革命も失敗だったことになるな。

日本はフランス革命の二の舞をやったことになる。

476: 日本@名無史さん 2008/12/06(土) 10:29:40
海禁政策をとった国はどの国も
海禁政策をしている間、欧米にかなり差を付けられてしまった
植民地化防止というより、むしろ植民地化の危険性を高めたと思う

478: 日本@名無史さん 2008/12/06(土) 12:06:51
>>476
>海禁政策をしている間、欧米にかなり差を付けられてしまった
>植民地化防止というより、むしろ植民地化の危険性を高めたと思う

江戸幕藩体制で西欧の植民地あるいは軍事介入を招かなかった歴史的事実はどう説明する?
中学高校の日本史レベルの「鎖国は愚策」的意見は知識の少なさを表してる!

479: 日本@名無史さん 2008/12/06(土) 12:25:05
軍事介入を招かなかったのは鎖国が要因では無いと思う

481: 日本@名無史さん 2008/12/06(土) 12:49:31
まあ普通諜報や政治介入が先でいきなり軍事介入はしないわな
国情に対する情報も少ないわけのわからない国にいきなり攻め込むアホはいない
でも鎖国がヨーロッパの軍事介入の前段階の諜報や政治介入を阻害させたという側面は否定はできないんじゃない?

486: 日本@名無史さん 2008/12/06(土) 19:00:25
>>481
そうだな、イスパニア人とポルトガル人を追い出して
スパイ宣教師もいなくなったし
何度か船で来たがそれも徹底して追い返したからな

491: 日本@名無史さん 2008/12/08(月) 01:33:27
スペイン、ポルトガルって宗教を利用して植民地化してたけど、 の次のイギリス、オランダの時代は、武力・通商が手段になっていった。

どっちもどっちだけど、とりあえずスペイン、ポルトガル時代にキリスト教を日本に入れなかったことは正しいと思うんだが。

カトリックを受け入れた国は、今現在も停滞しているしね。

494: 日本@名無史さん 2008/12/09(火) 03:43:46
まあ、徳川幕府が鎖国していなかったら早晩、スペイン、ポルトガル、オランダと戦争になり西欧列強との戦争が早まっただけのような気がするな。

南蛮人との戦争なので、琉球、台湾を領有することも早かっただろう。戦場は台湾かルソン島だっただろうな。台湾はシナ人がオランダ人に連れられて入植するより先に日本人が入植していたかも知れない。明治時代と大差はないんではないか。


530: 日本@名無史さん 2009/01/04(日) 11:00:41
日本が世界から孤立したのが痛かったな

532: 日本@名無史さん 2009/01/05(月) 13:46:49
>>530
孤立???
オランダは貿易赤字出しながらも、日本と関係を持ち続けたぞ。
孤立はありえない。

533: 日本@名無史さん 2009/01/05(月) 17:46:00
「鎖国」ったって諸外国に通達出したわけでもないんだから。
向こうからこないのは鎖国が原因ではないよ。

実際にロシアは知ったことじゃねえって来ただろ。
高田屋嘉兵衛事件で通達出してからはこなくなったが。

534: 日本@名無史さん 2009/01/06(火) 00:38:20
>>533
>向こうからこないのは鎖国が原因ではないよ。

鎖国が原因だ
商売できなきゃ来ないだろ

537: 日本@名無史さん 2009/01/06(火) 15:17:17
>>534
1813年以降に来なくなったのは鎖国の通達を出したからだが、1792年の大黒屋事件まで来なかったのは鎖国のせいじゃないだろ

539: 日本@名無史さん 2009/01/06(火) 21:22:11
ロシアは1792年に来た後、個人的な連中を別にして、1804年まで来なかった。
これは鎖国していたからではなくてロシア自身の都合。
19世紀になってからは鎖国だといっても欧米露の船は頻繁に日本に現れている。
鎖国だから来ないのなら、ペリーだって来ないはずだろ?

540: 日本@名無史さん 2009/01/08(木) 11:38:21
日本が鎖国してたなんざ明治政府のでっち上げ
オランダを除くヨーロッパ諸国を締め出しただけ
中国、朝鮮、東南アジアとは今まで通りに交易を続けてる
まあ、渡航の禁止はあったけど

541: 日本@名無史さん 2009/01/08(木) 11:53:44
そもそも鎖国自体、当時は言われていなかった言葉

547: 日本@名無史さん 2009/01/11(日) 15:18:47
>>541
言葉はこの際関係ない。
そんな言葉はいくらでもあるし。
問題は、概念と実態。

543: 日本@名無史さん 2009/01/08(木) 12:10:03
東南アジアから日本人帰って来れなくなっただろう?

544: 日本@名無史さん 2009/01/10(土) 18:12:23
>東南アジアから日本人帰って来れなくなっただろう?

この措置はどちらかと言うと海外在住の日本人が帰国することによって、国内にキリスト教が蔓延するのを防ぐためだろう。
ルソンに追放されたキリシタン大名もいることだし。
事実、遭難漂流民は引き取ってる。

563: 日本@名無史さん 2009/02/05(木) 06:29:41
カトリックの宗教や思想だけを排除して、緩やかな解禁政策で科学技術だけ吸収するってやり方はできなかったの?
東芝創始者の田中久重への万年時計やからくり人形が家光の時代にあったら幕末頃にはどれほど文明文化が発展してたかと思うと、わくわくするんだけど。

564: 日本@名無史さん 2009/02/05(木) 06:33:19
>カトリックの宗教や思想だけを排除して、緩やかな解禁政策で科学技術だけ吸収するってやり方はできなかったの?

それが幕府がやったこと。

566: 日本@名無史さん 2009/02/08(日) 10:04:11
幕府が西洋との貿易の利益、科学技術を独占することが鎖国の真の目的。

薩摩には琉球経由でおすそ分けしたが、伊達家、前田家、黒田、細川などの大藩にもバンバンやらかさせていたなら、幕府はもっと早く崩壊していただろう。

574: 日本@名無史さん 2009/02/16(月) 22:58:04
鎖国(と言われてるもの)は日本の発展に貢献した。
16世紀は世界最大の銀産国となった日本だが、その銀で絹とか中国製品を西洋人から買いまくっていた。普通、大量の貨幣素材保有国は、その貨幣力を生かして製品を買いまくるようになるが、これは良い事ではない。スペインはその持てる貨幣力で買いまくるばかりで技術が本国に根付かなかった。
重金主義から重商主義へ移行できなかったのだ。
日本ももし鎖国してなかったら、持てる貨幣力で買いまくるばかりで技術が育たなかった
かもしれない。

578: 日本@名無史さん 2009/02/18(水) 01:56:03
鎖国していなかったらオランダ・イギリスと争った結果
占領されていたかもしれないし
キリスト教徒の数も格段に増えただろうし
浮世絵・焼物等の文化は育たなかったかもしれないな。
当たり前だけど今と同じような日本にはならなかっただろうね。

579: 日本@名無史さん 2009/02/18(水) 02:06:12
>>578
>占領されていたかもしれないし

戦力的に不可能

584: 日本@名無史さん 2009/02/20(金) 00:05:49
>>579
イギリスは東インド会社を使って
大国のインドを支配した実績があるだろ。

ただ、資源のない日本を占領するメリットはないだろうけどね。

586: >584 2009/02/20(金) 19:27:33
何でそう簡単に日本が支配されると思うのかね?
インドって藩王国(マハラジャ)が農奴を使って農業を行う形態であり、この延長上にプランテーション経営があるわけで。イギリスは権力の頂点さえ押さえれば、簡単に植民地にすることが可能だった。
それに対して江戸日本では、商人が製造・流通・金融を先導しており、支配者階級は商人から物を買う人々だった。完全に社会が「商人依存状態」に置かれていた。仮に権力の頂点を握られても、このような複雑な構造を持つ江戸日本を簡単に植民地に出来るわけがない。

587: 584 2009/02/21(土) 01:34:46
>>586
そりゃまあそうなんだが、たらればの話だから無意味なことを承知でもうちょっとシミュレーションするとこうだ;
まず東インド会社は西洋との貿易を独占して経済支配をする。
その軍事力は傭兵だ。セポイという現地のインド人まで含まれている。
商品経済のために慢性的な財政難に陥っており、かつ政権中枢から除外されていた外様の大藩がイギリスの誘いに乗って傭兵化することも考えられるんじゃないの。

588: 日本@名無史さん 2009/02/21(土) 11:37:46
インドを始めとして、植民地にされた国は非常に単純な経済構造しか持たない国だった。
即ち被支配者→支配者に一方通行的に物が流れるだけの構造である。
対して江戸時代は複雑怪奇。江戸時代の問屋制度は三井、鴻池、住友などの巨大両替商の
資金力、信用力によって成り立ち、全国経済が組み込まれていた。支配者は日用品を庶民
から奪うことは出来ず、商人や商店から買わなければならなかった。その買う人が大量に
住む巨大市場の江戸・京都・大坂などを目指して雄藩や豪商などは商品を大量に売り込み、
現金獲得を目指した。
・・・何が言いたいのかというと、江戸末期は全国規模の経済が既に成立しており、時代が
近代的な中央政府の確立を求めていたってこと。如何に政治が混乱しようとも、経済的な
基盤、日用品を買う人が大量に存在する構造は、日本の近代化を磐石なものとしたのである。

どこの誰かが欧米列強の誘いに乗ったとしても、この経済的な構造を転覆させるのは不可能
に近いだろう。

引用元: ・日本は鎖国によって多くのものを失ったのか??




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