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1: 世界@名無史さん 2005/10/16(日) 03:17:04 0
ロシアの革命家達の歴史について語ろう。

同時代の他の国の革命家や思想も含めてね。



関連記事【ロマン】ロシア革命運動史【地獄】







15: 世界@名無史さん 2005/10/17(月) 01:54:39 0
ロシアの革命運動の元祖はデカブリストの乱かな。
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デカブリストの乱

デカブリストの乱は、1825年12月14日(グレゴリオ暦12月26日)にロシアで起きた反乱事件。

デカブリストとは、武装蜂起の中心となった貴族の将校たちを指し、反乱が12月(ロシア語でデカーブリ)に起こされたことからデカブリスト(十二月党員)の名で呼ばれた。デカブリストの乱は、ロシア史上初のツァーリズム(皇帝専制)と農奴解放を要求した闘争と位置づけられ、以後のロシアにおける革命運動に大きな影響を与えた。


17: 世界@名無史さん 2005/10/17(月) 22:43:57 0
革命を成功させ、そこそこ自由でそこそこ平等でそこそこ豊かな国を実現させれば殺した貴族も皇帝も尊い犠牲だけど、出来た国家がアレでは犬死。
当時の革命家の論文も思想も事実上プロパガンダと政略の道具で今じゃ紙くず。

悲しくてむなしいお話しにしかならないよ(T_T)

19: 世界@名無史さん 2005/10/18(火) 01:03:31 0
>>17
>殺した貴族も皇帝も尊い犠牲だけど、出来た国家がアレでは犬死。

皇帝の死は尊い犠牲じゃなくて、当然の報いだろ。
尊い犠牲は社会主義や民主主義の理想を信じて死んでいった革命側の人間達だよ。

18: 世界@名無史さん 2005/10/18(火) 01:00:59 0
そんなことはない。
革命家と言ってもレーニン率いるボルシェビキだけではない。
ロシアの革命運動は民主主義者から社会主義者、アナーキストまで幅広い専制打倒の運動だった。
その中で闘った人たちの思想や理想や文化は決して色あせていない。

ボリシェヴィキ

ボリシェヴィキ(「多数派」の意)は、ロシア社会民主労働党が分裂して形成された、ウラジーミル・レーニンが率いた左派の一派。

1917年の十月革命以前から活動していた者は特にオールド・ボリシェヴィキと呼ばれる。ボリシェヴィキはメンシェヴィキや社会革命党に比べ少数派であったが、人事と要職を握ったので「多数派」を名乗った。暴力革命を主張し、徹底した中央集権による組織統制が特徴である。その特徴は、そのまま後身であるソビエト連邦共産党へと引き継がれた。


20: 世界@名無史さん 2005/10/18(火) 09:25:59 0
とりあえず、戦争を止めて飯が食えるようになれば何でも良かったてのが本音だろ

21: 世界@名無史さん 2005/10/18(火) 19:33:01 0
>>20
それ、わからんのよ。
貴方は戦争に賛成ですか反対ですか?
とかいう世論調査のような物が存在しないから、個人の日記や新聞記事だけを根拠にして、みんな戦争を嫌がっていたとか、いや実はあくまでドイツと戦うつもりだったのにボリシェビキが反戦を吹き込んだ、とか、一部の人間の言動を一般化して語ってるだけなの>ロシア革命研究

168: 世界@名無史さん 2005/11/06(日) 13:26:05 0
帝政であれ、ボリであれ、当時のロシアに専制以外の政府が存在しえたか?

169: 世界@名無史さん 2005/11/06(日) 13:31:27 0
>>168
では、革命はなんの為にあったの?
「皇帝の為に働け」から「ボリの為にはたらけ」に変わっただけ?

170: 世界@名無史さん 2005/11/06(日) 14:10:35 0
3月革命の政権が維持されていれば民主主義体制になったの。
それをクーデターでぶち壊して、独裁政権を樹立したのがボリ。
民主主義を軍事力と恐怖政治で粉砕した。
2月革命

2月革命は、第一次世界大戦中のロシアで1917年に発生した革命運動である。ロマノフ朝による帝政(ロシア帝国)が崩壊し、数年間の革命と内戦を経てソビエト連邦の設立につながった。


171: 世界@名無史さん 2005/11/06(日) 14:11:59 0
20世紀の社会主義の悲劇は一党独裁のボリ政権をモデルにしたところが根本的な原因だね。
その奇形がポルポトだし、北朝鮮だ。

173: 世界@名無史さん 2005/11/06(日) 14:17:36 0
全体主義と理想主義が一緒になったときほど恐ろしい物はない。

キリスト教も共産主義もナチスも、それが一緒になったことで凄まじい悲劇を作り出した。

178: 世界@名無史さん 2005/11/06(日) 16:23:25 0
他の多くの思想家や革命家と同様、レーニンも「もてる者」からすべてを奪い、それを「公平に」再分配しさえすれば、すべてがうまくいくという思想の罠に落ち込むことになる。それは永遠の妄想だった。
ロシアの哲学者ニコライ・ベルジャーエフはこう見ている。
「歴史の中ではたびたび下層階級が蜂起して、あらゆる階層制と社会における質的差別を一掃し、一律の平等をとりつけようと努力してきた。・・・・・・だが、階級は量であるが、人間は質である。ひとつの”思想”にまで高められた階級闘争は、人間の質的イメージを見えなくしている。・・・・・・すると、階級という概念が人間という概念を殺す。マルクス主義においてはこうした殺人が理論的に行われているのだ・・・・」

179: 世界@名無史さん 2005/11/06(日) 16:27:40 0
ボリシェヴィキが大勢の人質をとり、ソヴィエトの指導者のだれかの生命が狙われた場合は、彼らを「容赦なく殺す」(『プラウダ』の言葉)と発表した1920年12月に、長年にわたってアナキストで通したクロポトキン公はレーニンに宛てて次のような手紙を書いている。
「そのような措置は、中世の最悪の時代である宗教戦争時代への逆戻りであり、未来社会の創造を意図してきた国民にふさわしくないことを、同志たちに思い起こさせ、彼らを説得する人物が、あなた方の中にはいないのですか?」
レーニンはこの手紙を読み、それに「要保管」と記した。

180: 世界@名無史さん 2005/11/06(日) 16:40:04 0
実際にボリシェヴィキとメンシェヴィキとの間に明確な一線を画していたのは組織の問題ではなかった。唯一の本当の社会民主主義者はメンシェヴィキだったのである。
彼らは民主主義、議会制、社会の進歩を実現する手段として暴力を避けることができる価値観として、政治的多元主義を認めていた。彼らにとって民主主義とは永遠の理想であって、政治用の飾り物ではなかった。
ボリシェヴィキはそれとは反対に、暴力の重要性をますます強く信じるようになっていった。

「われわれは不変の道義を信じない。道義についてのお伽噺の嘘を片っ端から暴いてやる」というレーニンの1919年の共産主義青年同盟大会での演説は啓発的である。これと対照的に、レーニンの社会倫理は、ドーラ・シュトゥールマンの言葉を借りれば、「『私はあなた方を良心という怪物(キマイラ)から解放してやる』というヒトラーの不吉な決まり文句に取り入れられた」
メンシェヴィキ

メンシェヴィキは、ロシア社会民主労働党が分裂して形成された、社会主義右派である。メ
ンシェヴィキとは「少数派」の意がある。

1903年7月・8月の党大会で党規約を審議したさい、規約第一条の「党構成員の資格」をめぐって、意見の対立が生じた。レーニンは党員の資格を「党の組織の一つに属する人のこと」と規定し、もう一つのユーリー・マルトフから提出された規約案では「党の組織の一つの指導のもとに活動する人のこと」という表現がされていた。

記述の上ではそれほど大きな差はないように見えたが、それ以前からレーニンがその著作『何をなすべきか』で組織され訓練された職業的な革命家たちによる小さな党を提唱していたことはよく知られたことだったので、党大会は規約第一条に関する議論で感情が高まり、できたばかりの党組織を分裂させることになった。レーニンはマルトフの描く党組織像を大衆に開かれた党であるとともに官憲に開かれた党であると論難した。大会の全投票において、反対28・賛成23をもってレーニン案は否決された。

ところが党指導部の母体となる雑誌『イスクラ』編集部をレーニンが制し、さらに党規約第一条のマルトフ案に賛成したリトアニア・ポーランド・ロシア・ユダヤ人労働者総同盟(ブンド)の4名が大会を離脱し、レーニン案を支持したものが残った結果としてレーニン支持者が多数派となった。

さらに『イスクラ』の編集部から古参革命家であるヴェーラ・ザスーリチ、パーヴェル・アクセリロード、ポトレーソフを解任することをレーニンが提案し、今や少数派となった「反対派」がそのことに反発し、新編集局と党中央委員会に自派の候補者を参加させることを拒否した。このときからボリシェヴィキとメンシェヴィキは別々の会議を持ち始め、お互いの誹謗中傷に熱中するようになる。


181: 高知少将ジーモン土佐守ジョーカー 2005/11/06(日) 16:41:08 O
左翼エスエル、アナーキスト、左翼メンシェヴィキ(マルトフ派)らも、彼らは彼らで理想主義なんだよ。手段にとらわれすぎのね。
そんなに手段にこだわるなら革命なんて目指すなよ。

俺は革命や社会経済変革を求めるやつを理解出来んから逆にそう思う。

193: 赤衛隊 2005/11/08(火) 17:41:41 0
話題を変えるが、粛清をしてまで得たあの社会は本当に意味があったのか。
ジェルジンスキーは正しかったのか?

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フェリックス・ジェルジンスキー

フェリックス・エドムーンドヴィチ・ジェルジンスキー(1877年9月11日 - 1926年7月20日)は、ポーランドの貴族、革命家。後に祖国ポーランドを離れ、ソビエト連邦の政治家に転じた革命直後の混乱期において誕生間もない秘密警察を指揮し、その冷厳な行動から「鉄のフェリックス」「労働者の騎士」「革命の剣」「プロレタリアの武装せる腕(かいな)」など数多くの異名で呼ばれた。


194: 世界@名無史さん 2005/11/08(火) 17:45:26 0
粛清なしにもつような体制だと思いますか?

195: ケレンスキー 2005/11/08(火) 17:46:12 0
あの革命は運しだいだったと私は考えている。コルニーロフさえいなければ・・・・

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ラーヴル・コルニーロフ

ラーヴル・ゲオールギエヴィチ・コルニーロフ(1870年8月18日(8月30日) - 1918年3月31日(4月13日))は、ロシア帝国の軍司令官、将軍、ロシア共和国軍の最高総司令官(1917年)、白軍のカリスマ的リーダーであった。

クーデター未遂

1917年8月、コルニーロフは「死につつあるロシアの大地を守る」ことを全ロシア国民に呼びかけ、指揮下の皇室部隊をペトログラートに向けて進軍させた。彼は臨時政府の一角を占めるソビエトを打倒しなければ、ロシアは有効な戦争指導は難しいと考えていた。これに予てからボルシェヴィキら左派勢力を臨時政府から排除したいと考えていた首相アレクサンドル・ケレンスキーも彼を支持し、軍の首都への導入を依頼した。

ところが9月12日コルニーロフの軍が首都に近づくにつれケレンスキーは不安となり、自分も打倒されるかもしれないと疑い始めた。ケレンスキーは鉄道労働者にストを指令し、さらにペトログラードにソビエトの活動家を核とする赤衛隊を創設した。この時点で二月革命時の反乱軍はすでに帰農しているか前線におくられていた。しかし武器と帰農できない元兵士は豊富でかなりの軍隊を組織できた。

元々戦意の乏しかったコルニーロフ指揮下の部隊は、たちまち行き場を失い原隊に復帰していった。コルニーロフも逮捕され、軟禁状態に置かれた。

クーデターが失敗した結果、ボルシェヴィキはその軍事力・政治力を急速に蓄え、11月には武力による十月革命を起こして臨時政府を追放した。


196: 赤衛隊 2005/11/08(火) 17:57:51 0
体制を持たせるための粛清だったとして、意味があったとしよう。しかし、そんな理由で200万人も人を殺せますか?
大体、そんなに人を殺してまで守る体制だったのか?

198: 世界@名無史さん 2005/11/08(火) 18:18:46 0
粛清は共産主義の維持のためには役だった。
この議論はロシア人や中国人は共産主義なしには進歩できない馬鹿かという議論になる。
俺はそう思うけど。

201: 高知少将ジーモン土佐守ジョーカー 2005/11/08(火) 19:31:54 0
俺は生きている時代が違うから革命など想像もせんが、馬鹿じゃ革命は起こさんよ。
事実、ボリシェヴィキやメンシェヴィキはモスクワやペトログラードのような大都市・工業都市が支持基盤であり、農村部では人気ゼロ。
あとは、バクーやグルジア(←メンシェヴィキが有力)かな。

また、都市部でもルンプロ・日雇労務者や農村から出てきたばかりの労働者は革命運動への関心が低かったらしい。大都市生まれ大都市育ちのプロレタリア出身者でも、フーリガンストヴォ(チンピラ)やプラトノイ(やくざ)はもちろん革命運動に無関心。

209: 世界@名無史さん 2005/11/08(火) 23:31:23 0
共産化とアフガン化では俺は共産化の方がいいなー。
理不尽を我慢していれば人生を全う出来る確率が高そうだし。
アフガン化した地域では、おれはまじめ過ぎで生きていけない。

222: 世界@名無史さん 2005/11/10(木) 09:23:47 0
共産主義はだらだら働きたい人にはいい。
意欲のある人にはストレス。
さぼりのうまい奴が得をする。
結果として効率の悪い世界ができて取り残される。

223: 世界@名無史さん 2005/11/10(木) 12:07:03 0
>>222
競争原理を残したままの共産主義も可能なはずだ。
共産主義とは労働者の賃金の格差を無くすことではなく、工場などの生産要素の私有財産を公有化することだからね。

224: 世界@名無史さん 2005/11/10(木) 16:46:17 0
ゴルバチュフの時代に議論されてダメの結論がでている。
共産中国も国有企業の不効率に苦しんでいる。
抜けます。

226: 世界@名無史さん 2005/11/10(木) 20:32:02 0
中小企業の私有は認めても、大企業の私有化は認めないようにすればいい。
大企業は社会に与える影響や富が巨大だ。
それを個人の私有物にするのは良くない。
レーニンのネップというのはそんな感じの政策なのかな?

227: 世界@名無史さん 2005/11/11(金) 02:38:20 0
>>226
違うyo
レーニン本来の労農民主独裁に戻っただけさ。ネップを通じて資本主義を進化させて、十分に豊かになってから社会主義に進むというマルクスの公式に忠実に従おうとしたのだyo

ネップ

ネップ(露: НЭП、英: Nep)は、ロシア内戦直後にソビエト連邦で行われた新経済政策を指す。戦時共産主義による国民の疲弊を救うために1921年3月21日に施行された。食料税の導入と税納付後の残余農産物を市場で自由に売買してよいこと(市場原理の部分的導入)が特徴であり、「国家資本主義」とレーニンによって呼ばれた。


233: 世界@名無史さん 2005/11/13(日) 06:02:49 O
レーニンはネップを妥協のように考えていたらしい。

もちろん戦時共産主義のことも特殊だと考えていたようだが。

234: 世界@名無史さん 2005/11/13(日) 07:01:15 0
>>233
>レーニンはネップを妥協のように考えていたらしい。

そりゃ、党内左派に遠慮してそのように言っただけだよ。
本来のレーニン理論からすればネップは妥協でも後退でもなくあるべき姿だからな。
でも、戦時共産主義の時に「これが理想の共産主義社会だ!!!」と言い張ってみんなを励ましてたのを
後になって「特殊な暫定措置でした」とは言いにくいから、ネップも「やむを得ない後退である」と説明したのだよ。

235: 赤衛隊 2005/11/13(日) 13:46:21 0
「食料税について」というパンフレット(1921年4月)の中で、レーニンは次のように主張した 

「われわれは鈍重で非力である。われわれは、社会主義は善で、資本主義は悪であるという癖がついてしまった。しかし資本主義は社会主義に比べて悪であるにすぎない。ロシアがいまなお手が切れずにいる中世にくらべれば、資本主義は善である。」
という言葉がありますな。

237: 世界@名無史さん 2005/11/13(日) 17:09:41 0
>>235
>しかし資本主義は社会主義に比べて悪であるにすぎない。ロシアがいまなお手が切れずにいる中世にくらべれば、

従って、中世→資本主義→社会主義と正確な段階を踏んでいこうとしただけさ。
ロシアはまだ中世なんだからネップで資本主義を盛んにして、時が来たら社会主義に進むと。

259: 世界@名無史さん 2005/11/17(木) 00:41:17 0
菊地昌典 『ロシア革命』

“私は思う。ロシア革命ほど、流血の惨をさけようと革命的民衆が深く配慮した革命はない。そして、事実、その巨大な歴史的事業にはらわれた犠牲者の数は、革命のアンチ・テーゼとして遂行された帝国主義戦争の大量虐殺にくらべれば、無視できるほど少数であった。民主主義は、ソヴェトという形態をとって、その徹底性を高らかに宣言した” (「まえがき」 本書ii頁)

278: 世界@名無史さん 2005/11/18(金) 23:07:09 0
>>259
菊池センセって確か56年以前にスターリン批判の文章書いて有名になったんだよね
でも中国で文革始まったら率先して支持しちゃうんだよねえ
ソ連崩壊後、なぜか『諸君』のインタビュー受けて社会主義の功罪の話になって、
「ヒトラーが2000万人殺したというけれど、スターリンは実質それ以上の人間を殺してるんじゃないか・・・・」
と聞かれて
「そうですね。罪があることははっきりしてるし、それが並大抵の規模でないことも間違いない」と言ってた。
そのあと社会主義の功は必ずあると言ってたけど。

264: 世界@名無史さん 2005/11/17(木) 17:51:01 0
菊地先生 。・゚・(ノД`)・゚・。
いい人なんだけどなあ…、ほんと”いい人”なのに。

265: 世界@名無史さん 2005/11/17(木) 19:24:30 0
その手の人は「いい人」が多かったと思うけどね
多分寺尾五郎とかはその極端な形

267: 世界@名無史さん 2005/11/17(木) 19:28:38 0
みなさんはカーメネフとジノヴィエフのどちらが好きですか?

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レフ・カーメネフ

レフ・ボリソヴィチ・カーメネフ(1883年7月6日(グレゴリオ暦7月18日) - 1936年8月25日)は、ロシアの革命家、ソビエト連邦の政治家。ユダヤ系ロシア人。ソビエト政権の成立を宣言した第2回全露ソビエト大会議長、全露中央執行委員会議長、共産党政治局員、組織局員を歴任した。雄弁と宣伝能力、交渉とソビエトの議事能力を評価された知識人であったが、ヨシフ・スターリンによって失脚し、粛清された。




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グリゴリー・ジノヴィエフ

グリゴリー・エフセーエヴィチ・ジノヴィエフ(1883年9月11日 - 1936年8月25日)は、ロシアの革命家、ソビエト連邦の政治家。ウラジーミル・レーニンの側近としてロシア革命に参加。

ソビエト政権発足後は、ペトログラード・ソビエト議長、コミンテルン議長、共産党政治局員を歴任したが、スターリンとの権力闘争に敗れ、後に処刑された。多くの著作(レーニン礼賛が中心となっている)とレーニンの死後に執筆した回想録を残しているが、そのほとんどはソ連崩壊までアルヒーフに封印されていた。アナトリー・ルナチャルスキーは「レーニンのシルエット」と呼んだ。反対派からは「レーニンのお太鼓持ち」と揶揄された。


268: 世界@名無史さん 2005/11/17(木) 19:43:11 0
圧倒的にカーメネフ
ボリシェヴィキの中でまだしも人間的感情を持ってたのはあやつだけじゃろ

270: 世界@名無史さん 2005/11/17(木) 20:49:05 0
ブハーリンは?
bra

ニコライ・ブハーリン

ニコライ・イヴァノヴィチ・ブハーリン(1888年9月27日(グレゴリオ暦10月9日) - 1938年3月15日)は、ロシアの革命家、ソビエト連邦の政治家。ソビエト連邦共産党有数の理論家としてウラジーミル・レーニンに評価され、レーニンの死後、ヨシフ・スターリンと協力するが、右派として批判されて失脚、粛清・銃殺された。死後、ミハイル・ゴルバチョフ政権でペレストロイカが開始されると、名誉回復を受けた。

271: 世界@名無史さん 2005/11/17(木) 23:18:20 0
ルイコフとトムスキーのことも忘れないで!

275: 世界@名無史さん 2005/11/18(金) 22:15:44 0
ブハーリン・ルイコフ・トムスキーのいわゆる「右派」は農村にこの世の地獄をもたらした強制的集団化に反対した点は評価するにしても、その前にスターリン派と同盟して無邪気にジノヴィエフ・カーメネフら「左派」の没落に狂喜してたからなあ
まあ基地外集団の中で誰がマトモだったかなんて議論するのは所詮空しい

300: 世界@名無史さん 2005/11/24(木) 23:47:00 0
ロマノフ朝下の恐ろしい弾圧について語りましょう

302: 高知少将ジーモン土佐守ジョーカー 2005/11/25(金) 02:45:17 O
憲法制定も国会(ドゥーマ)開設も遅すぎ。カネもないのに戦争し過ぎ。

これじゃ革命騒動が起きる罠。

303: 世界@名無史さん 2005/11/25(金) 14:38:28 0
ロマノフの弾圧なんて、スターリンの弾圧に比べたら鼻糞みたいなものだ。
スターリン時代に反体制主義だった人間こそ称えられるべき。
そいつらこそ真の革命家だ。

304: 世界@名無史さん 2005/11/25(金) 14:40:03 0
確か、ロマノフ政権下で処刑された反体制派が6000人くらいだっけ?
そんなのソ連の万分の一じゃん。

306: 世界@名無史さん 2005/11/26(土) 00:33:59 0
ロマノフの場合は無実で逮捕された人は少ないよね。
逮捕されたのは全員反体制派だった。

ソ連の場合は反体制も含めて関係のない一般人たちも連座して逮捕された。
インテリからするとロマノフのほうが悪く見えてしまうのは、専制体制の幼稚さとともに反体制派を弾圧したというイメージが強力にあるからじゃないかな。
ソ連の場合は一般人が圧倒的に多いからねw

307: 高知中将ジーモン土佐守ジョーカー ◆.5DV4fMpf6 2005/11/26(土) 01:01:23 O
だから俺はストルイピン程度の弾圧も甘すぎるって言うの。
弾圧だけでは革命は防げ無いから、改革が不可欠だよ。
しかし、俺ならばレーニン、マルトフ、プレハーノフらの亡命先に刺客を送り込んで暗殺するし、国内にいる親族を投獄して人質にとる。
もちろんエスエルのテロリストは問答無用に処刑する。
あくまで俺が体制側の者だったらね。そのぐらいせにゃいかん。

308: 世界@名無史さん 2005/11/26(土) 04:30:11 0
>>307
それが出来なかったのは専制の側が自分たちの正義をそれほどまでには確信していなかったから。
スターリンがそれを出来たのは自分たちの正義を確信していたから。
ロマノフは国内はもとより西欧の批判も恐れたのだろう。

309: 世界@名無史さん 2005/11/26(土) 04:31:46 0
論理的に専制は悪だからな。
共産主義は論理的には善だ。
しかし現実は極悪だった。

311: 高知中将ジーモン土佐守ジョーカー ◆.5DV4fMpf6 2005/11/26(土) 05:36:47 O
動乱期に体制を本気で守りたいのであれば、せいぜいフランコやピノチェトぐらいの弾圧政策は行わないといかんよ。
ボリシェヴィキにしたってスターリン以前にレーニンもやってるし、トロツキーもクロンシュタット反乱を容赦無く鎮圧した。

312: 311 2005/11/26(土) 05:46:33 O
ボリシェヴィキでもルイコフやカーメネフみたいな温厚な人間では政権(彼らの言う革命)を守り抜くことはできなかったろうな。
俺はルイコフ、カーメネフ、トムスキー、シリャプニコフらが好きだが、彼らには政権を守り抜くための冷酷さが足りな過ぎる。
スターリンの大粛清は不要だが、レーニンやトロツキーぐらいでないと。

313: 世界@名無史さん 2005/11/26(土) 23:39:51 0
スターリンやポルポトや毛沢東は殺しすぎ。
政権維持ではなく政権破壊になってる。

316: 311 2005/11/29(火) 01:54:05 O
スターリンは不必要に人を殺し過ぎた。かといって慈悲と寛容の精神で体制を維持できるかどうかは疑問。もちろん、極端な恐怖政治を続けなけりゃ維持できん体制なんざ所詮ろくでもねぇし、いずれは瓦解するがね。

317: 世界@名無史さん 2005/11/29(火) 03:39:12 0
人を殺さにゃ成り立たない体制だったわけだ
そんなポンコツ国家をあそこまで走らせた同志スターリンは偉大だよ
少なくともトロツキーなんかにはできない

319: 世界@名無史さん 2005/12/01(木) 10:52:28 0
>>317
殺しすぎて、ナチスにやりたい放題されてどうする。赤軍粛清は明らかにやりすぎ。粛清して、代わりの人材無し、ってアホか。

334: 世界@名無史さん 2006/01/24(火) 17:47:30 0
>>319
けど粛清のおかげで不安要素は取り除かれた
ナチスとの戦いで軍部が反乱する恐れもない
どちらにしても動乱がおさまると軍人が粛清されるのは劉邦みればわかるがよく行われること
その結果外部からの侵略に弱くなるのもよくあること
劉邦は匈奴に完敗したけど、スターリンはとにもかくにもナチスを追い出した
まぁ、粛清しすぎなのは確かだけど

ソ連は結局ダメになったわけだが
50年代までは経済絶好調、恐慌もなかった
帝政時代のロシアはソ連ほど強力な国家じゃなかった
今のロシアの現状はあれだし、粛清というマイナス面もあるが
それにも関わらずソ連は米国とためをはる覇権国家にまでなった
そこはもうちょっと冷静に評価していいんじゃないかな
結果論で批判するのは簡単だけど

335: 世界@名無史さん 2006/01/24(火) 18:41:27 0
そもそもナチスに比べて粛清前の赤軍って有能な人材いたのか?
トハチェフスキーやジューコフ位しか思いつかん・・・
後の将軍連中はみんなどんぐりの背比べだよ。
少なくともスターリンが皆殺しにしてくれたおかげで若手の優秀な人材が
育つ環境が整ったのは事実だよ。

338: 世界@名無史さん 2006/01/25(水) 12:49:47 0
>>335
ぜんぜん違うぜ。当時粛清されたのは、ほとんどの将校、つまり将軍とか上層部だけじゃなく、尉官クラスまで根こそぎやられた。そのため、独ソ戦では、圧倒的物量を投入しても、キルレシオが、ドイツ軍の半分という笑えない状態。
政治将校という癌も押し付けられたし。ほんと、軍の質は下がったよ。
冷戦後、ソ連軍の内実がわかったけど、ほんとハリボテ。

342: 世界@名無史さん 2006/01/26(木) 20:16:22 0
というか前近代に自国民をあれほど虐待した為政者がいたか?
近代全体主義はすべての時代のあらゆる専制を超えた悪だ

359: 世界@名無史さん 2006/03/12(日) 19:57:48 0
パイプスのロシア革命史読むと悲劇にまっしぐらに突き進む
ロシア社会を思い慄然とする
秩序維持の最後の頼みの綱の軍隊の無力化がすべてを決した
どんな犠牲を払っても帝政ロシアは第一次大戦に参戦すべきじゃなかったな

引用元: ・【ロマン】ロシア革命運動史【地獄】




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