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1: 世界@名無史さん 2011/11/06(日) 16:14:15.46 0
古代から現代に至るまでのフランスの歴史について語るスレです








4: 世界@名無史さん 2011/11/06(日) 18:07:33.88 0
なぜカペー朝以降をフランスと呼ぶのか
フランクのままでいい
7: 世界@名無史さん 2011/11/10(木) 19:48:26.52 0
「フランス語」の原型であるパリ周辺のフランシア方言が現れてきたのは11世機以降。 

「フランス語」がフランスの共通語になったのはフランス革命以降。

9: 世界@名無史さん 2011/11/10(木) 21:56:59.81 0
現存する最古の非ラテン語(俗語)文献はフランキア方言による 
「ストラスブールの宣誓」(842年)。

10: 世界@名無史さん 2011/11/10(木) 23:02:14.54 0
>>9 
俗ラテン語に、フランク語の語彙などが加わったものだよね。

5: 世界@名無史さん 2011/11/10(木) 19:44:06.84 0
フランスに移り住んだフランク人がフランス語を話し始めるようになるのはいつごろからだ?

8: 世界@名無史さん 2011/11/10(木) 20:35:14.90 0
>>5
俗ラテン語なら移住直後から。

6世紀中ごろから、ローマ系住民の間で子供へゲルマン名をつける 流行が起きている。

13: 世界@名無史さん 2011/11/11(金) 12:50:59.89 0
>>8
それってお6世紀後半のパリ地方の「フランク化」と呼ばれる現象と関係がある?
キルペリクは事実上パリを自らの都とし、その周辺に旧都ソワソンおよびサリー・フランク人の土地から、多くのフランク人従士を移住させ、所領を与えて住まわせていた

16: 世界@名無史さん 2011/11/11(金) 21:13:06.23 0
>>13
ゲルマン語を話していただろうフランク人も
即効ラテン語化されたのか

17: 世界@名無史さん 2011/11/11(金) 21:21:43.18 0
カロリング時代までのフランク人支配者はフランク語(ゲルマン語)を使用しており、 それはドイツを含む王国の共通言語だった
したがって、ガリアにおいては二重言語状態が9世紀までは状態であったと推測できる
しかし、広範に広がったロマンス諸語によって、文化的に劣位にあったフランク語は駆逐される
そして13世紀ごろに、ヘゲモニーをもつ言語としてパリ方言(フランキア方言)が共通フランス語としての地位を獲得する

18: 世界@名無史さん 2011/11/11(金) 22:29:53.65 0
>>16
>>17でも答えてる通り、公用語は二つ。

ただしゲルマン語の影響を受けたガリア北部と、アラビア語の影響を受けた南部の言語差は激しく、中世末期になっても意志の疎通が難しかったようだ。
ゲルマン人口率が1%程度という面から考えても、ラテン語(ロマンス語)化は避けられなかったと推測される。

また法律もゲルマン法とローマ法で分けていたが、3世代あたりから融合が進む。
特に軍事面に関しては顕著であり、6世紀始めにはゲルマン系のみに課していた徴兵をローマ系へも課していく。 
22: 世界@名無史さん 2011/11/12(土) 07:02:01.78 O
>>18
ガリアのゲルマン人口が1%って、残りのほとんどがケルト人か?
それがローマが支配してる間にラテン語化したのか?
てことはフランスの大半は元ケルト人?

28: 世界@名無史さん 2011/11/12(土) 11:43:06.85 0
>>22
元々カエサルがガリアを征服する前から、ゲルマン人とケルト(ガリア)人は交流が盛んだった(交易や戦争含めて)。その後ローマ人の移住などにより混血が進んだ。ローマ末期までには、自らをローマ人(ガロローマ)だという認識が高かった。

ちなみにフランク族は、ケルト系との交流が多かったせいか他のゲルマン部族に比べるとケルト色が強い部族といわれる(結い上げた髪や縞模様の服装など)。

またローマ征服後も、ケルト語であるガリア語も使われていたが、有力者の子息などを中心にラテン語が早くから習得され、数世紀を経るうちに使われなくなった。
(初期の碑文や銅版にガリア語が残るのみ)

ただし、今もフランス語の中にケルト由来の単語があることから、ラテン語の方言としてガリア語が生きていたようだ。

宗教としては、ローマ人は征服した土着宗教に寛容だったので、ローマの神々とケルトの神々が一緒に信仰されていた。後にキリスト教化された際も聖人となり現代でも伝わっている。(有名なケルト祭はハロウィン)

29: 世界@名無史さん 2011/11/12(土) 11:54:27.70 0
カール・マルテルによるトゥール近くで敗北して以来、北方への侵略を断念したイスラム勢力は、主に西地中海の沿岸部を攻撃の対象とした
イタリアやプロヴァンスの海岸地帯は、イスラムの海賊の定期的な略奪にさらされた
彼らはほとんど毎年のようにローヌ河を遡り、例えば842年にはアルルを襲撃し、略奪した
一部はプロヴァンスのサン・トロペ近郊の高台に要塞化した拠点を築いて、絶えずプロヴァンス北部やアルプス地方に遠征を行った
940年には、ジュラ地方の有名な修道院であったサン・モーリス・ダ・ゴーヌを襲い火を放っている
長期にわたって継続的・反復的に侵略にさらされたために、プロヴァンスの海岸地方の住民は内陸の山岳地帯に大挙して避難したために、この地の人口が減少するとともに、ムスリムの攻撃に対処すべく、インカステラメントと呼ばれる在地住民集落の要塞化、定住組織の変革が生じた

35: 世界@名無史さん 2011/11/12(土) 20:46:55.35 0
>>29
>>28だけど、いいですねーその解説。

西ゴート王国滅亡後、支配下のゴートおよびヒスパノローマ人はアラビアの影響を強く受けることになる。そのためその地における俗ラテン語は、アラビア語の語彙が多く含まれるようになり、スペイン語へと発展していく。

フランスにおいても、南部のセプティマニア・ブルグント地域では、>>29の解説にある通りイスラムの支配を受けた俗ラテン語が現在のプロヴァンス語の元となる。
が、一方でローマの遺産が一番長く残された地域でもある。
(ワインの造り方、耕作方法はローマ時代から現代まで全く変わっていない)

49: 世界@名無史さん 2011/11/14(月) 10:57:36.31 0
>>35
ガリア・ナルボネンシスはもともと地中海性気候で、マルセイユなどギリシア植民市がこのちにブドウ酒生産を伝えたが、ガリアのブドウ酒市場では前175年ごろからイタリア産ブドウ酒が目立ち始め、前1世紀になるとほとんど独占状態となる

ガリアには古くからビールがあり、当初はイタリアからの移住者やローマ軍、ガリアの貴族層が輸入ブドウ酒の消費者だったが、ローマ支配下でブドウ酒の消費量も増え、紀元後1世紀になるとブドウ栽培とブドウ酒づくりの技術はローヌ川にそって北上し、2世紀にはモーゼル川地方にまで達した
1世紀末ごろからガリア産ブドウ酒はガリア外に輸出されるようになり、ローマ市のモンテ・テスタッチォでは「五年物ベジエ産ブドウ酒」という銘がある壺が発見されている

50: 世界@名無史さん 2011/11/14(月) 19:41:47.41 0
>>49
ガリア人の葡萄酒好きは、征服前のローマ人の間でも知られてたよね。
交易や交渉の材料にも使われていたし。
ただ、お酒が強くなかったって話じゃなかったかな、ガリア人は。

51: 世界@名無史さん 2011/11/14(月) 21:26:50.06 0
水で割って飲まずに生のままで飲んでいたとか

56: 世界@名無史さん 2011/11/15(火) 02:12:19.56 P
ローマの酒商人はガリア人に、ワインを水で薄めないで飲むように勧め、これで酒にはまらせさらに消費量を多くさせ、酒の代金として奴隷を提出させ、ガリア人たちは酒を手に入れるため、それと交換する奴隷を得ようと
ガリア人同士で人狩りの戦争をしまくった。
ローマの方もガリアを弱体化させるためその状況を煽った。


と、「ルビコン」に書いてあった。

57: 世界@名無史さん 2011/11/15(火) 07:33:26.81 0
日本人はなぜか欧米人のことを狩猟民族というが、ガリア人は大麦・軟質小麦・エンマ小麦・ヒトツブ小麦などの栽培を行っていた
また大麦は食用だけでなく、ビール作りに用いていたらしい
彼らはさらに麻や亜麻を栽培し、その繊維で衣服を作る技術ももっていた
羊毛をつむぐ技術もかなり普及していた

こうした先進的農耕を可能にしたものとして、たとえば無輪犂利用の一般化がある
この農具は、すでにハルシュタット時代から知られていたが、ラ・テーヌ時代には鉄製の犂刃が発明されていた
中世ヨーロッパの農業生産を飛躍的に増大させたとされる有輪犂も、実はヨーロッパ中部のケルト人たちの発明だった
ブドウ収穫用の鉈鎌や大鎌や熊手が現在のようなかたちをとるようになったのも、やはりラ・テーヌ時代だった
同じことは回転式石臼の発明についてもいえる

61: 世界@名無史さん 2011/11/15(火) 21:34:53.39 0
>>57
脱穀機もガリア人の発明じゃなかったっけ?


20: 世界@名無史さん 2011/11/12(土) 05:52:26.08 0
アルビジョア十字軍がなかったら
今頃どうなっていたか
分裂してたかも

アルビジョア十字軍

アルビジョア十字軍(1209年 - 1229年)は、1209年、南フランスで盛んだった異端アルビ派(カタリ派と同義、南フランスの都市アルビからアルビ派と呼ばれた)を征伐するために、ローマ教皇インノケンティウス3世が呼びかけた十字軍。アルビジョワ十字軍とも。

他の十字軍と同様、宗教的理由と領土欲の両方により主に北フランスの諸侯を中心に結成されたが、南フランス諸侯の反撃の中で次第に領土戦争の色合いが強まり、最終的にはフランス王ルイ8世が主導して王権の南フランスへの伸張に利用された。独自の文化を誇った南フランスは20年に渡る戦乱により荒廃し、フランス王の支配下に入ることにより北フランス文化の流入を受けることになる。


26: 世界@名無史さん 2011/11/12(土) 10:14:44.19 0
>>20
南フランスには副伯(ヴィコント)という役職があったな

31: 世界@名無史さん 2011/11/12(土) 18:18:48.72 O
>>26
何で「副伯」って訳するんだろうね。
現代フランス語でも現代英語でも「子爵」という意味なのに。

34: 世界@名無史さん 2011/11/12(土) 20:43:27.72 0
>>31
もともと、伯の補佐をする役職だったからでは

そういえば伯は王による地方支配を代わって行う代官だったのに、いつの間にか世襲されるようになった

37: 世界@名無史さん 2011/11/13(日) 00:52:49.78 0
>>34
伯あるいは大公はローマ末期の長官職(ドゥクス)をモデルに司教座都市を中心に配置され、その地を古くから支配してきたセナトール貴族が任命されるケースが多かった。
これが後のデュークの語源になるのは、ご存知の通り。

不安定な時代では、一代で消えていく脆弱基盤のフランク系より、確固たる基盤をもつガロローマ系が継続して支配していく方が上手くいったようだ。

よって征服民であるフランク自由民が、被征服民であるガロローマ貴族に従属するというケースは、都市のみならず農村地域においても多々見られた。

132: 世界@名無史さん 2012/09/15(土) 23:59:10.95 O
>>31
子爵とか言っちゃうと、ベルサイユに寄生するチャラい近世の宮廷貴族みたいに聞こえてダメだわ。
副伯の方が中世の大物っぽくていいな。



67: 世界@名無史さん 2011/12/08(木) 23:24:19.92 0
質問なんだけどヴァロワ朝のシャルル7世の兄ルイとジャンの死因って何?
近親相○な結婚の続いた血筋のせいで体が弱かったとか何かの病にかかったとか、 寝たきりになって死んだとか、何処かで倒れて突然死だったとか、そういう具体的な死因が知りたいんだけど、百年戦争に関する本やネットで調べても死んだってことしか載ってなくて気になってる

68: 世界@名無史さん 2011/12/12(月) 14:56:41.16 0
ギュイエンヌ公ルイの死因はヘンリー5世と同じく赤痢らしいですが、トゥーレーヌ公ジャンに関しては記述がないですね。

70: 世界@名無史さん 2012/01/02(月) 18:00:28.94 0
トゥーレーヌ公ジャン(Jean de France, 1398-1417)は毒殺されたみたい
ttp://fr.wikipedia.org/wiki/Jean_de_France_(1398-1417)

85: 世界@名無史さん 2012/02/25(土) 12:20:47.96 O
普仏戦争後の対独復讐感情ってどういうものだったの
ビスマルクが策略をめぐらしたことも事実だろうけどフランスもかなり無礼を働いただろう
大きな視野で見ればビスマルクがやったのはただの小さな挑発であってプロイセン自体はスペインの継承について譲歩してあげてるのに

86: 世界@名無史さん 2012/02/25(土) 13:42:52.99 0
パリ蹂躙されて、皇帝捕虜にされて、ヴェルサイユ宮殿で戴冠式までやらされたのに
「小さな挑発」て

87: 世界@名無史さん 2012/02/25(土) 13:44:15.39 0
極端な対独復讐感情を煽って政治的に利用していたのは、ブーランジェの取り巻きみたいな右翼だろう。

特にナポレオン三世タンは悪くない!と信じるボナパルティスト。
カぺーイスト、オルレアニストは、やっぱり成り上がりのボナパルトはダメだった的感覚。
クレマンソーみたいな左翼はドイツに対する憎悪より、ドイツと協力してパリコミューンを皆殺しにした右翼に対する憎悪の方が強い。
とはいえ実際ドイツ、特にカイゼルがあからさまに頭ヤバイ感じだったのも事実。

89: 世界@名無史さん 2012/02/25(土) 19:59:54.85 0
フランスの近代史はドイツとの対決の歴史

フランス人とドイツ人なんて合うわけがない

EUもいつまで持つか

99: 世界@名無史さん 2012/02/28(火) 03:56:18.08 0
ベルサイユ宮殿で戴冠式
エッフェル塔にドイツの旗
凱旋門の前でドイツ軍行進


フランス人の屈辱

104: 世界@名無史さん 2012/02/28(火) 14:10:09.88 0
1945年、ベルリンでフランス軍が行進。
東西ドイツ統一まで、ベルリンはフランス・イギリス・アメリカが分割統治。

ドイツ人の屈辱

123: 世界@名無史さん 2012/03/15(木) 08:38:10.38 0
>>104
ナポ軍によるベルリン陥落と神聖ローマ帝国消滅も外せないでしょう

27: 世界@名無史さん 2011/11/12(土) 11:25:36.20 0
ナポレオン時代のフランス国歌 
http://www.youtube.com/watch?v=4qXVjcbWIF8
114: 世界@名無史さん 2012/03/05(月) 18:37:24.98 i
創元社の知の再発見シリーズのヴァイキングを読んでいたら、ヴァイキングのパリ包囲の部分で
”当時のパリ城は河に浮かぶ島のようなもので、ヴァイキングは昼夜攻撃を加えた“
とあった
驚きだね
地形も今とはだいぶ違ったのだろうか

115: 世界@名無史さん 2012/03/05(月) 23:04:53.26 0
>>114
ローマ帝政期のルテティアの時代は、シテ島の対岸も繁栄してたんだけどね。


no title

蛮族侵入以後は、防衛しやすいシテ島の重要性が高まっていくのは自然な流れ。

116: 世界@名無史さん 2012/03/06(火) 02:08:09.35 0
>>115
埋め立てたのはずっと後かね?

面白いよねえ

117: 世界@名無史さん 2012/03/06(火) 06:34:37.06 0
>>116
およよ?誤解なされているようだけど、セーヌ川とその中州シテ島は健在ですぞ。

有名どころでは、ノートルダム寺院などが建っています。

118: 世界@名無史さん 2012/03/07(水) 00:50:04.05 i
ルテティア=パリでもないのかい?
誤差はあるだろうけど

119: 世界@名無史さん 2012/03/07(水) 01:07:06.63 0
誤差っていうか・・・数学的にいや、「ルテティア ∈ パリ」でしょう。
現代のパリはダダ広い。中心部のさらにごく一部がルテティア領域。
ルテティア

ルテティア (ラテン語: Lutetia) は、前ローマ時代およびローマ時代のガリア地方にあった町である。ガロ・ローマ都市であるルテティアは、メロヴィング朝時代に再建され、現代のパリの祖先となった。セーヌ川の洗い越しとして造られたシテ島は、ルテティアとパリの共通する数少ない場所である。

120: 世界@名無史さん 2012/03/08(木) 01:28:56.10 0
ルテティアはフランク人にとってどの程度価値があったのだろうか
ユーグカペーも辺境伯扱いだよね

これはローマ時代のルテティアの存在価値という意味と同義ですが…

121: 世界@名無史さん 2012/03/14(水) 22:32:49.47 0
>>120
ローマ側ではなく、フランク王国側からみると、王国枢要部というのは、実は長兄が相続した帯状の地域なんだよね(ロタリンギア)。長兄の王国は、地理的版図としては大変に評判が悪く、「だからすぐに崩壊した」と書かれることが多いが、実はこの地域、その後もずっと人口稠密で経済力の強い地域で、今では、「青いバナナ」と言われ、米国北東回廊(ボストンからワシントンまで)、日本の太平洋ベルト地帯と並ぶ、「世界三大帯状メガロポリス」という扱いになっている。

そこからみると、パリというのは、枢要から外れた平原の真ん中の中州にぽつねんとある、謎の辺境都市。
そういうところだったからこそ、弱いながらも王権が持続して生き延びたのかもしれない。

122: 世界@名無史さん 2012/03/15(木) 02:29:03.86 i
>>121
ああ、「ロタールの国」ってやつね


なるほど…
大河沿いに街を造るのはローマ式の流通形式で、ルテティアも単なる多くの町の一つだったのかな

147: 世界@名無史さん 2013/07/17(水) NY:AN:NY.AN 0
リシュリューのあたりが全盛期
ハプスブルクとガチやり合い

148: 世界@名無史さん 2013/07/18(木) NY:AN:NY.AN 0
ルイ16世のあたりが全盛期
英海軍を破り、貧弱なアメリカ植民地を助けて独立させた

152: 世界@名無史さん 2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN 0
動力船や鉄道が発達する前のヨーロッパではきっとフランスは交通上そして商業でも極め有利な位置だったんだろうな。
19世紀半ば以降は凋落していってるけどそれも関係あるのだろうか。

155: 世界@名無史さん 2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN 0
もあね、正直百年戦争だフランスなんか全土をイギリスに征服された方が幸せだったんじゃないかって思うんだ。

485: 世界@名無史さん 2017/04/22(土) 13:34:08.23 0
>>155
もしもそうなっていたら、今ごろイギリスではフランス語が話されていたであろう
・・・というのは、よく言われる有名な話だが

170: 世界@名無史さん 2013/09/26(木) 01:18:04.37 0
イタリアが統一される過程は歴史のトピックでよく取り上げられる。
ドイツが統一される過程も歴史のトピックで取り上げられる。
でもフランスの統一される過程というのはスルーされている。
百年戦争はイギリスとフランスの戦いと説明されているが、その頃フランスはまだ統一されていない。
ブルゴーニュ公国やナバラ王国はいつどのようにフランスに組み込まれていったのでしょうか?
なぜ中世のフランスはひとつの国として世界史の教科書に載っているのでしょう?

171: 世界@名無史さん 2013/09/26(木) 10:09:40.05 0
神聖ローマは領邦国家の集合体でしかなかったけど、教科書ではひとつの国として扱われてるのと同じ理由では?

174: 世界@名無史さん 2013/09/26(木) 14:20:17.15 0
>>171
神聖ローマは1648年ウエストファリア条約で「神聖ローマ帝国の死亡診断書」ってケジメをつけさせられるけどフランスにはそういったケジメを教わらないですよね。

172: 世界@名無史さん 2013/09/26(木) 12:54:59.09 0
百年戦争でだいたい統一と見なされているからじゃないか。

174: 世界@名無史さん 2013/09/26(木) 14:20:17.15 0
>>172
百年戦争の解説で「フランスの統一がうながされた」的なことってあんまり見かけないです。
このときブルゴーニュ公国がジャンヌダルクの命運を左右するはずなんですが不思議なほどブルゴーニュは無視されてる気がします。

173: 世界@名無史さん 2013/09/26(木) 14:17:08.40 0
ナバラ王国

古代ローマ時代、バスクとガスコン(ガスコーニュ)などのヴァスコン族がいた。
西ゴート族・フランク王国や後ウマイヤ朝がゆるく支配
メロヴィング朝時代ヴァスコニア公国となる
カール・マルテルによりヴァスコニア公国はフランク王国に統合。
ピレネー山脈南はパンプローナ周辺にまとまる。
パンプローナが独立、パンプローナ王国成立のち、ナバラ王国と名乗る
ブロワ家が継承、ブロワ家がフランス王を継承
ナバラ内戦
フォワ家が継承、フランス王女が摂政
カスティーリャがナバラの領土を侵食
1512-21年ピレネー南部をカスティーリャが奪取し分割。
のちスペイン成立後、副王領となり、1833年にスペイン王国に併合

ピレネー北部(ナヴァール王国)
マルグリット・ド・ナヴァールがナバラ王アンリ・ダルブレと結婚。
1589年にマルグリット経由でフランス王アンリ4世がナバラ王
ユグノー戦争ではユグノーの勢力圏になる
1620年フランスに吸収(ナバラ王の称号は残る)

175: 世界@名無史さん 2013/09/26(木) 14:33:54.00 0
>>173
ナバラはスペイン史の一部なのか、それともフランス史の一部なのか難しいですね

176: 世界@名無史さん 2013/09/26(木) 14:39:17.37 0
・プロヴァンスのフランス統合

411年ゲルマン系ブルグント族が建国
534年フランク王国により滅亡
879年ボソが反乱して独立(キスユラブルグント王国)
882年西フランク王国領になる
884年カール3世が西フランク王位を獲得してフランク王国領
887年カール3世の死去で、2つに分かれて復活。ユーラブルグント・キスユラブルグント(プロヴァンス王国)王国
911年キスユラブルグント王国は、アルルに遷都したので、アルル王国とも呼ばれる。
933年キスユラブルグントは、ユーラブルグントの吸収される。
975年プロヴァンス辺境伯領を設置
1032年年神聖ローマ帝国皇帝が王位を相続して神聖ローマ帝国領
1062年トゥールーズ伯がプロヴァンス辺境伯を相続。
11世紀終わりに、プロヴァンス伯領からフォルカルキエ伯領分離。
1112年バルセロナ伯が、プロヴァンス伯領を相続。
バルセロナ伯とトゥールーズ伯が対立
1125年デュランス川で分割。川の北をトゥールーズ伯、南をバルセロナ伯が所有。
1229年モー条約で、トゥールーズ伯・プロヴァンス辺境伯領(ナルボンヌ公領も)がフランス王家のものとなる。
1246年バルセロナ女伯ベアトリスがアンジュー・シチリア家のシチリア王シャルル1世と結婚、
プロヴァンス伯領は、アンジュー・シチリア王家が所有
1382年ヴァロア・アンジュー家の所有になる
1481年プロヴァンス伯領をルイ11世が相続
1484年にフランス王がプロヴァンス伯を世襲

プロヴァンス伯領よりも、プロヴァンス辺境伯領の方がフランスの内側にあるのは経緯を知らないと難しい。

177: 世界@名無史さん 2013/09/26(木) 16:21:17.24 0
・消滅した国は、教科書では記述が省かれやすい。

・複数の地域や国に分かれている場合、記述も分割されていて、自分で総合しないといけないので記憶に残りにくい。
最悪、なかった扱いされる。

・フランス「統一」という言葉は、まず記述としては出てこない。
王権伸張・中央集権化のほうがより適しているとはいえ、イタリアとかと表記を合わせたいなら、統一になるし、フランスが統一されたのはいつかと聞かれて、一言の回答は(解答ではない)、百年戦争が多いと思う。

・百年戦争を簡潔に説明するとブルゴーニュは省く。

178: 世界@名無史さん 2013/09/26(木) 18:38:45.65 0
・ブルゴーニュ公国

411年ブルグント族がブルグント王国建国
534年フランク王国に組み込まれる
843年ヴェルダン条約でロタールの国
855年ロタール1世の死後、分割相続でロタリンギア
870年メルセン条約で分割
922年東フランク王国に組み込まれる

1031年ブルゴーニュ公設置
1361年バロア家に吸収
1363年バロア家フィリップ剛胆公で復活。
1384年ブルゴーニュ伯領を受領、妻経由でフランドル伯領・アルトワ伯領を取得
1419年ジャン無怖公暗殺
1430年フィリップ善良公ブラバント、ロタリンギア、リンブルク3公領
ホラント、ゼーラント、エノー3伯領取得。
1443年ルクセンブルク公領を支配下に置く、シャルル突進公がアルザス、ロレーヌを一時保有、ヘルレ侯領を支配。
1474年ブルゴーニュ戦争開始
1476年ロレーヌ公国のナンシーを奪回される
1477年ナンシーの戦いで突進公戦死。
ブルゴーニュ公領フランスへ
ネーデルラントとブルゴーニュ伯領は、突進公の娘マリー経由でハプスブルク家へ

179: 世界@名無史さん 2013/09/26(木) 18:51:30.94 0
イングランドとバロア家のフランス王位を巡る争い。
バロア家って何?となるから、イングランドとフランスのフランス王位を巡る争い。
現在の国境を考慮すると、完全にイングランドが悪っぽい。
しかもジャンヌが正義ぽいから、悪役決定。

180: 世界@名無史さん 2013/09/26(木) 19:35:08.65 0
リュック・ベッソンの映画とかでも省略されている。
いきなりブルゴーニュ派というよくわからない謎の親イングランド王派らしき存在が出てくる。
パリ攻撃が失敗したら、いきなり、謎のブルゴーニュ派を攻撃してしまう。

182: 世界@名無史さん 2013/09/26(木) 20:22:30.13 0
突進公の死後、ブルゴーニュにフランスが侵攻をするのは、百年戦争の恨みからだろうか?
完全に別国扱いだよね。

183: 世界@名無史さん 2013/09/26(木) 20:50:20.50 0
アルマニャック派vsブルゴーニュ派だから、ブルゴーニュ派を出してるんだろうけど。
唐突だよね。
ただ、この対立も、説明すると複雑だし、

シャルル6世が、精神異常となる。
叔父のブルゴーニュ公と王弟オルレアン公ルイの主導権争い。
裏で介入する姑息なイングランド。
1407年にオルレアン公ルイが暗殺される。
アルマニャック派に近づき、拒否されると。
1415年に、イングランドがフランスへ侵攻を開始。
1419年アルマニャック派が和平の場で、ジャン無怖公を暗殺。
これによりフィリップ善良公はイングランドと同盟。

ジャンヌが刺客ではという恐れも、オルレアン公ルイやジャン無怖公の暗殺を受けてのことだろうし。

184: 世界@名無史さん 2013/09/26(木) 21:19:11.07 0
1415年ジャックリーヌ・ド・エノーは、シャルル(後の7世)の兄ジャンと結婚。
ジャンの兄ルイが死んで、王太子となる。
1417年にジャンも死亡する
1430年にフィリップ善良公が、ジャックリーヌ・ド・エノーからホラント、ゼーラント、エノー3伯領取得。
ジャンが生きていれば、3伯領はフランスとして確定していただろう。

こういった複雑なのが面白いと思うか覚えにくいと思うか

188: 世界@名無史さん 2013/09/28(土) 19:34:03.40 0
ブルゴーニュって、百年戦争とフランドル絵画(絵画史)ぐらいしか登場しないから印象が薄い。

189: 世界@名無史さん 2013/09/28(土) 21:22:31.07 0
百年戦争を描いた映画でも無きがごとくの扱いのブルゴーニュ、かわいそう。
バスク人とかカタロニア人みたいに執念ぶかく恨みをアピールするほうが記憶してもらえるんだな。

193: 世界@名無史さん 2013/10/02(水) 04:46:45.17 0
ブルターニュはブルゴーニュ以上に語られないよな。
ブルターニュ継承戦争とか、イギリス側にいるのに公弟のリッシュモン伯がフランス軍司令官になってることとか、色々あると思うんだが

196: 世界@名無史さん 2013/10/02(水) 16:45:00.09 0
アルマニャック派にブルターニュ公がいたりするけど、普通は知らない。
ブリトン人・ケルト文化・フクロウ党・・・・
一般人は知らん。

15: 世界@名無史さん 2011/11/11(金) 21:09:08.63 0
おい、今日はフランスが第一次世界大戦でドイツに完全勝利した日だぞ。
フランス万歳!!

引用元: ・フランスの歴史




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