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1: 日本@名無史さん 2011/04/05(火) 19:54:50.34
関西人の俺は、教科書でも習わへんかった。
関西では緒方洪庵先生の方がもっと尊敬されとるで!

主に関東人から尊敬を集めとる人物やな。
関東人は儒学系の渋沢栄一も好きやしな。








3: 日本@名無史さん 2011/04/05(火) 22:49:11.60
鷹山は九州男児

4: 日本@名無史さん 2011/04/05(火) 22:51:05.79
高鍋藩から米沢藩に養子入りした人だけど
生まれも育ちも江戸だよ

6: 日本@名無史さん 2011/04/05(火) 23:25:35.75
吉良上野介のひひ孫
高師直の子孫

12: 日本@名無史さん 2011/04/07(木) 15:11:26.63
>>6
上杉鷹山が吉良上野介の曾孫であることは事実だが、高師直とは無関係。
吉良氏は源氏であり足利氏庶流で室町幕府の高級官僚の出身であるために江戸幕府に儀礼の伝達役として取りたてられたいわゆる「高家」。しかし、高を家名とする高師直とは無関係。
高師直は源氏ではなく公家の高階氏の末裔で、観応の憂乱によりほとんど一族は滅亡してしまった。

16: 日本@名無史さん 2011/04/08(金) 11:47:09.50
>>12
渋川・吉良氏経由で引いているらしい
本当に代々正妻腹の場合の話だが

19: 日本@名無史さん 2011/04/13(水) 10:46:44.46
>>16
高師直の娘が渋川家に嫁いでいるのは事実だが、この渋川家と吉良家との姻戚関係がよくわからない。
ちなみに吉良義央は室町時代の吉良家とは血がつながっておらず、吉良家が絶えたので江戸時代初期に今川家から迎えられた養子の血筋らしい。
高師直から吉良義央につながる系図って、ありますか?

20: 日本@名無史さん 2011/04/13(水) 14:12:36.37
>>19
一応系図じゃあ室町吉良家の直系だよ。
江戸初期に今川から二代続けて嫁もらってるけど、今川からの養子はない。
系図では吉良満貞の妻が渋川義行(高師直婿)の娘になってるけど、年代を考えると義行の姉妹の方が妥当だと思う。それだと、師直の血は引いていないね。
直義妻の渋川氏が吉良邸で出産してるんで、吉良妻が渋川氏だった可能性は強いと思うけど。

127: 日本@名無史さん 2011/05/23(月) 23:14:47.62
あと秋月種実の血も引いてるんだよな。

10: 日本@名無史さん 2011/04/07(木) 11:00:56.17
鷹山って財政家としてどんなことをやったの?

15: 日本@名無史さん 2011/04/08(金) 02:07:49.11
>>10
とりあえず、先代があまりの財政の悪さに藩丸ごと幕府に返上しようとしてた程だったのを、幕末まで延命させたのは鷹山の功績。
実際に改革を担ったのは竹俣当綱と莅戸善政ら財政に詳しい藩士たち。鷹山自身も率先して倹約につとめるなどしているけど、一番偉かったのは抵抗勢力の家老らに屈することなく改革を続けさせたこと。

24: 日本@名無史さん 2011/04/19(火) 20:51:40.98
関ヶ原で西軍に付いたために、減封や転封された大名ってみんな財政難に陥っているよね。
その財政難の米沢藩を再建したその行動力・人望・忍耐強さは現代にも通じる。

25: 日本@名無史さん 2011/04/19(火) 23:18:26.51
>幕末まで延命させたのは鷹山の功績。

延命ではなく、藩の借金を完全に返済した再建のようです。

33: 日本@名無史さん 2011/04/22(金) 23:39:05.49
鷹山の母は上杉家五代目綱憲の孫娘春姫だ。

34: 日本@名無史さん 2011/04/23(土) 03:17:27.12
春姫だけど春姫は早くに亡くなって、祖母に育てられたとか。
で、この祖母が実家の上杉に強く養子を勧めた。
黒田にも養子になりそうな子はいただろうし、重定だって年齢を考えると男子誕生が期待できたのに、よっぽど利発な子だったんだろうね。

35: 日本@名無史さん 2011/04/23(土) 07:18:12.05
>>34
そういえばそうだね。九歳で養子内定ってすごい話だ。

36: 日本@名無史さん 2011/04/23(土) 08:53:02.37
本当にワンポイントリリーフだもんな。
自分の正室は発達障害で、養子に迎えた治広は先代の実子。

37: 日本@名無史さん 2011/04/23(土) 11:36:23.68
武家の名門上杉家に配慮していたんだろうね~。
それが逆によかったんじゃない?

38: 日本@名無史さん 2011/04/23(土) 16:05:18.66
本当は支藩の新田家の次男を養子に迎えるはずだったのだけど、この次男が賢い子で、新田藩の世継ぎにしようと考えていたのを知った上杉家に、鷹山の祖母が「家の孫に賢い子がいます。外曽孫だし検討してみて下され」と声を掛けて来たのが発端。

39: 日本@名無史さん 2011/04/24(日) 02:13:37.76
>>38
新田藩の次男って、金田に養子に行った人かな。
でも結局34才で養子に行って、新田藩は本家の重定の子が継いでるね。

40: 日本@名無史さん 2011/04/24(日) 15:19:04.65
>>39
そうなんだよね。その後継ぎになるとかいう二男は結局他家に養子に出てるし、新田藩は重定の子が継いでいるとなると、>>38の話は矛盾がある。
ソースはどこなのよ?

41: 日本@名無史さん 2011/04/24(日) 15:26:42.52
それに当時の幕府は世継ぎのいない藩が他家から養子を迎えるのに、あまりいい顔をしないぞ。血縁というだけじゃなく、色々な根回しも必要だった。
ただ、頭がいいからなれるというものでもないんだぞ。一応、重定にも実子がいるのに、遠い血縁とはいえ他家の人間が藩主になる世継ぎを養子に勧めるというのも失礼すぎる話だ。非現実すぎる話だな。

47: 日本@名無史さん 2011/04/28(木) 17:40:07.32
>>41
鷹山が上杉重定の養子として米沢藩邸に入ったのが1760年(当時鷹山10歳)
重定の長男勝煕が産まれたのも1760年
実際には鷹山が米沢藩を継ぐことが決定したのは1760年より早いだろう
41歳になるまで男子を得ることがなかった重定は将来娘を目合わせることを条件に
鷹山を養子に取ることに同意→鷹山が上杉家にやってきた年に側室との間に長男誕生
鷹山養子の話がまとまった頃にはまだ重定には男子がなかったはず

42: 日本@名無史さん 2011/04/24(日) 23:15:03.12
豊姫が鷹山を養子に勧めた書状は残ってた思うよ。
賢い、孝行な子だからとか書いてあったと思う。うろ覚えだけど。
重定に男子が誕生したのは確か養子に内定する直前だったけど、すでに養子縁組の話はかなり進んでたんじゃないの。
婚姻とか養子縁組は幕府の許可が必要で、すでに幕閣にお伺いを立てたあとだったのかも。
だけど、>>38の新田藩の次男の話は初めて聞いたよ。
鷹山が養子入りしてから、重定には男子が次々誕生してんだよね。
もしかしてスペアの必要なしということで養子に出されたのかね。

43: 日本@名無史さん 2011/04/26(火) 00:35:53.71
その書状とやらがないと、にわかには信じがたい話だ。
新田藩の二男の話もおかしいし、ちゃんとしたソース出してからにしてくれ。
でないととても信じられない。

44: 日本@名無史さん 2011/04/26(火) 06:12:17.39
豊姫推薦の養子入りの話は、ほとんどの鷹山の伝記に書かれてたと思うから、自分ではすでに定説だと思ってたよ。
ちょっと眉唾もんのケネディ大統領との逸話と違って、伝記でその書状の原文らしき文章を読んだ記憶があるので(大昔だけど)、横山先生の本とかでさがしてみるよ。

45: 日本@名無史さん 2011/04/26(火) 20:56:21.90
全くの事実ではない訳ではないだろうけどね。養子を探していたならその伝手で高鍋藩に話が行ったのかもね。
ただ、他家からの勧めが最初じゃないだろうね。家定が何らかの事情で実子を藩主にしたくないと最初に考えないと、養子の話も始まらないと思うよ。

46: 日本@名無史さん 2011/04/27(水) 11:22:11.29
「上杉家御年譜」によると、豊姫が重定に、直松(鷹山)の聡明さと優れた資質を賞して幸姫(重定の次女)と取り合わせて世子とするようにすすめた事を述べている、
という論文を読みました。

@ソースです。

48: 日本@名無史さん 2011/04/28(木) 20:06:21.23
>>46
この辺りか(祖母の豊姫が後継のない重定に鷹山を養子に取るよう推薦)
http://e-yone.jp/backnumber/yozan/matuno_p1.htm
※リンク切れ

しかし、たかだか10歳に満たない子供が聡明とか資質とか、その時点で分からないだろう
藩主に直系がいれば聡明とか資質とか関係ないわけだから米沢藩が絶えそうだからほんのわずかでも上杉の血を引く子供がいれば養子に迎える段取りだったのだろう
「上杉家御年譜」は多少強引な美談が多いから豊姫の手紙は後付けともとれる

53: 日本@名無史さん 2011/04/29(金) 09:31:15.04
>>48
小学生でも結構、頭の良い・悪いは明確にわかるもんだけどね。

71: 日本@名無史さん 2011/04/30(土) 08:46:12.27
>>53
鷹山が聡明でなかったら養子に迎えられることはなかったとか言うことでもないだろう。
江戸時代は養子で継ぐ大名家は多かったのだし、米沢藩でも誰かが養子に迎えられていたはず。
「見込まれたから養子」「見込まれなければ養子の口なし」とか聞いたことがない

73: 日本@名無史さん 2011/04/30(土) 09:37:15.08
>>71
養子を迎えるにあたって、候補となる子供のうちから聡明な子を選んで迎える、ということは普通に行われていたが?
大切な藩主候補だもの。そりゃ頭の良い子を迎えたいでしょ。

85: 日本@名無史さん 2011/05/02(月) 06:11:29.38
重定は、四十を過ぎても男子がいなかった為、幸姫に養子を迎えて嗣子にしようとする動きが始まった。
「世継ぎの男子なく、国土ひそかに痛心す」(『米沢中興美談』)


@ソースです

86: 日本@名無史さん 2011/05/02(月) 23:24:17.23
確かに四十過ぎで後継ぎいないなら、他家から婿入れるかもね。
それで幸姫に婿といってもなかなか相手が来ないだろうから、藩主の地位も約束した上で婿にとったのかもしれないな。

75: 日本@名無史さん 2011/04/30(土) 12:44:39.08
聡明ってのはあくまで豊姫の私観 
合議中に一族の人間からの薦めがあってそれがたまたま採用されただけなんじゃないか 
一族の話なら偏愛だったとしても無視しづらいだろうし 
適当に血縁だけで選んだ結果、綱憲のようなバカ殿だったらシャレにならない

77: 日本@名無史さん 2011/04/30(土) 20:01:34.62
同時代の松平定信は鷹山のことを三百諸侯随一の名君と呼んでる。 
豊姫の私観は間違ってなかったことになるな。

49: 日本@名無史さん 2011/04/28(木) 21:35:26.54
自分も十に満たない他家の子供を藩主にするだろうかという疑問があった。
ただ、兄も名君の誉れが高く、弟も肥後人吉藩主という驚異の兄弟。江戸での評判も高かったと思う。つまり、豊姫の推挙もあっただろうが、細井平洲や色々な方面からの情報を判断したうえでの養子縁組だったのではないだろうか。

50: 日本@名無史さん 2011/04/29(金) 00:24:20.55
>>49
それもあるかもしれないけど、>>48にも出てるけど、後継ぎ予定だった娘の婿養子だったら直系の血を継げるし血も濃いわけで。

そして、育ての親の祖母・豊姫の教育の、上杉流(+思想)も影響大だったと信じたい。

52: 日本@名無史さん 2011/04/29(金) 06:58:21.76
>後継ぎ予定だった娘

幸姫は後継ぎの予定はないぞ。重定もそんなことは絶対に思ってなかっただろ
うしな。

>直系の血を継げるし血も濃いわけで。

意味解らないんだけど、どういうこと?

54: 日本@名無史さん 2011/04/29(金) 11:30:17.30
>豊姫の教育の、上杉流(+思想)も影響大だったと信じたい。

上杉流の教育とやらが素晴らしいものならば、藩の財源が逼迫することも無かっただろうに。あっても大したことないな。

55: 日本@名無史さん 2011/04/29(金) 12:09:46.81
>>54
関ヶ原で大幅に減封されたのにリストラせんかったからな・・・

56: 日本@名無史さん 2011/04/29(金) 12:24:19.10
>>55
江戸初期のリストラはこの時代にはあんまり意味がないと思うぞ。
同じ東北の南部藩は東軍であったにも関わら戦後に苛烈なリストラをやりまくったが江戸末期は財政難に陥ってる。

58: 日本@名無史さん 2011/04/29(金) 15:04:14.42
>>56
詳しくヨロ

63: 日本@名無史さん 2011/04/29(金) 20:43:40.72
>>58
南部信直利直親子でかなりのリストラをやったからねえ。
信直は九戸の乱で九戸一派の家臣達をリストラし息子の利直は阿曽沼や浄法寺といった大身達を。更には重臣の北家の所領も大幅に削った。
にも関わらず江戸後期は財政難だった。

62: 日本@名無史さん 2011/04/29(金) 18:06:36.41
しかし元禄以後、財政難に直面しなかった藩なんてないんじゃないだろうか
程度にはもちろん差があるだろうが

64: 日本@名無史さん 2011/04/29(金) 21:32:27.71
財政難の藩は多かったよ。でも、米沢藩の財政難は家臣の多さだけじゃないだろ?
鷹山もリストラしないで財政難を解消してるしな。

68: 日本@名無史さん 2011/04/29(金) 23:00:45.29
会津120万石だったころの家臣を抱えたまま、米沢15万石にされてはね

81: 日本@名無史さん 2011/05/01(日) 02:37:54.96
財政再建やった人としか知らん。

82: 日本@名無史さん 2011/05/01(日) 13:27:31.77
鷹山がケネディに尊敬されたとか、小浜に尊敬されたとか言ってる人よくいるが
そんなんで鷹山の株が上がるとか考えてる方が、意味わからん。
たかが政治家に引用されたくらいのことで。


もし俺が政治家だったとして、どこかの国に行くときに
「あ、スピーチするから原稿案頼む。現地語で「こんにちは」って何て言うか、調べといて。あと、現地の有名な人って誰?スピーチに入れときたいから、その人の概要と、有名な言葉があれば引用できるようにしといて」

てなもんだよ。

84: 日本@名無史さん 2011/05/01(日) 16:23:05.31
>>82
だから何なの?ケネディが褒めたって明確なソースは無いし、そんなことで株上がるとか言ってるの、あんただけじゃん。

91: 日本@名無史さん 2011/05/05(木) 15:57:08.20
>>83
>そんなこと
>で株上がるとか言ってるの、あんただけじゃん

↑これはないだろう・・・意味不明。
少なくとも、ケネディが褒めたことで株が上がると思っており、それについて言及したがる人は、世の中に腐るほどいるんだが。


http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog130.html
http://homepage3.nifty.com/~bbf/041102.html
http://www.bestsuppli-kan.com/
http://www.hm.h555.net/~hajinoue/jinbutu/uesugiyouzan.htm
http://www.eurus.dti.ne.jp/~tshinya/kennedy.html

93: 日本@名無史さん 2011/05/06(金) 19:55:26.29
>>91
実際はケネディじゃなく、ル-ズベルト(セオドアの方)という話もあるね。ケネディの大統領就任演説の呼びかけは君達なんだけど、鷹山の伝国の辞の「君」は君主の意味だと思うんだが


90: 日本@名無史さん 2011/05/04(水) 23:03:33.75
ひどいところへ養子に行ったもんだ。
秋月藩の部屋住みの方が楽だろう。

92: 日本@名無史さん 2011/05/05(木) 20:09:34.40
>>90
前藩主重定が財政難のあまり藩返上までしようとしてた状態だったからな。
そこまで追い詰められてたくせに、鷹山が必死で倹約してる中で隠居してからも贅沢を続けるとか重定はどういう神経してるんだか。

99: 日本@名無史さん 2011/05/08(日) 21:09:05.42
今のご時世に鷹山の政策を見習ってたらかえって不況が深刻化するぞ。

101: 日本@名無史さん 2011/05/08(日) 22:09:06.21
国政レベルでやったらとんでもないデフレになりそうだけど・・・

103: 日本@名無史さん 2011/05/09(月) 02:28:27.69
>>101
逸話からすると儒教的名君みたいだが
実際は新田の開発、殖産工業の振興など時代に合った経済政策を推進してる
だいたい民生に対する心構えは立派

105: 日本@名無史さん 2011/05/09(月) 05:59:58.36
<日本3大名君>

 水戸光國
 上杉鷹山
 保科正之

 みんな 儒教的徳治政治をした人だね。

121: 日本@名無史さん 2011/05/22(日) 22:17:12.34
秋月種美
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E6%9C%E7%A8%AE%E7%BE%8E
>鷹山の実父だけあって有能であったが、宝暦3年(1753年)に父が死去するまでは実権はなかった。
父の死後に親政を行なうが、種美の治績は文武を奨励し、藩士子弟の遊学を許して広く人材を求め、藩の軍備を充実させると同時に、民政においても代官には人格ある学者を起用するなど、人事制度に大きな治績を残している。種美は「国家の至宝は人材に有り」と述べているが、後に鷹山が成功したのはこのような父親の藩政を見習ったためかもしれない。

wikiから引用するのはあれだが、鷹山の人格、治政はやはり親父譲りのものであると確信している。

123: 日本@名無史さん 2011/05/23(月) 02:16:00.33
この時代とすれば鷹山は名君だろ
まず放漫財政にメスを入れる(貧窮した藩はどこでもしてるが)
次ぎにそれだけでは貧すれば鈍するから(デフレ)乏しい財政から再生産のための新田の開発、商品作物の奨励、殖産工業のために投資をしてる
(農民だけじゃ無く藩士にも、人材もそれに応じて登用)
儒教的側面ばかりの人では無い

128: 日本@名無史さん 2011/05/25(水) 00:17:56.05
>>123
風評被害だよ。
それまでの上杉家は放漫ではないよ。
上杉家が困窮したのは、家録が半分に減らされたのに幕府の方針で人減らしが出来なかったからだよ。
そして、他の外様大名だって財政危機を起こした事はあるのだよ。
鷹山を持ち上げるのと平行して上杉家を卑しめられるのには閉口するよ。

131: 日本@名無史さん 2011/06/10(金) 23:57:00.69
>>128
リストラできないのは幕府の方針なの
はじめて聞いた

134: 日本@名無史さん 2011/06/11(土) 01:40:17.05
>>131
>>128じゃないけど、15万石半知にされた時の話のことじゃないの
当時の藩中枢は召し放ちしようとしたんだけど、保科正之が浪人増加を嫌って反対した
でも実際は足軽ら下級藩士を中心に約千五百人ぐらいが召し放ちされた。
「召放ちはなし」ってよく言われるけど、間違いだよ
自治体史には詳しく書いてあると思う

167: 日本@名無史さん 2012/02/04(土) 10:09:21.69
>>134
ありがとう

自分の読んだ本では召し放しは無し、って書いてた

まぁ どちらにせよそれから経済が困窮した

132: 日本@名無史さん 2011/06/11(土) 00:49:02.59
120万石→30万石→15万石
謙信以来の名家という誇りがあったのだろうが身の丈にあった藩政運営を怠ったのは事実だろう

引用元: ・上杉鷹山ってそんなに凄い人やったんやな




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