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1: 世界@名無史さん 2007/04/26(木) 16:09:15 0
何故かスレッドが無かったので立ててみた。

1940年から1942年まで存在したヴィシー・フランスについて語るスレです。
また大戦前のフランス・ファシズム組織の話題も大歓迎。

関連記事
ヴィシー・フランスについて語るスレ







ヴィシー政権

ヴィシー政権は、第二次世界大戦中における、フランスの政権(1940年 - 1944年)。フランス中部の町、ヴィシーに首都を置いたことからそう呼ばれた。

ヴィシー政府は連合国側から「傀儡政権」とされ、連合国側の勝利、自由フランスによるフランス共和国臨時政府の成立、第四共和政の樹立とともにそのような評価が一般的となった。このため、フランス第四共和政はヴィシー政府からの継承国と見なされていない。しかしヴィシー政府が導入した老齢年金・家族手当など一部の制度は形を変えて存続し、戦後のモネ・プランに対するヴィシー政府経済政策の類似性も指摘されている[65]。また、ヴィシー時代の対独協力が擬態であったか否かについての議論は継続されており、しばしば政治的問題ともなる。





5: 世界@名無史さん 2007/04/27(金) 10:48:06 0
ペタン元帥は「親ナチの傀儡」か、「休戦によってフランスを戦争の荒廃から救った英雄」の二つの評価に分かれてるな。意外にも年配層にペタン元帥を称える人が多いらしい。 
某仏旅行関係サイトに「私はペタン元帥が大好き」というお婆さんにあった話が載ってた

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フィリップ・ペタン

アンリ・フィリップ・ベノニ・オメル・ジョセフ・ペタン(1856年4月24日 - 1951年7月23日)は、フランスの軍人、政治家。フランス第三共和政最後の首相およびフランス国(ヴィシー政権)の主席をつとめた。

戦後

ペタンは1945年4月にドイツからスイスを経由してフランスに戻り、逮捕された。1946年の7月から8月にかけて裁判にかけられ、死刑を宣告された。しかし、1946年8月17日、ド・ゴールによって高齢を理由に無期禁固刑に減刑された。裁判後にはアカデミー・フランセーズからも追放されたが、ペタンの存命中には席次18は空位として扱われた。1951年7月23日、流刑先であるブルターニュ地方のユー島で生涯を閉じた。


7: 世界@名無史さん 2007/04/30(月) 12:16:31 0
この人、第1次大戦で、本土決戦の地獄を見ちゃったから、継戦する気がなくなっちゃったんだよね。ペタン元帥。
マジノ線も、本土決戦を絶対にやりたくなかったから、抑止効果も兼ねて作ったんじゃなかろうか、なんて思ってしまう。

13: 世界@名無史さん 2007/04/30(月) 19:23:09 0
小説家のセリーヌも第一次大戦に従軍して、その時の体験から、この悲惨な戦争はユダヤのせいで起きたと考えるようになって親ナチだったんだよな。

14: 世界@名無史さん 2007/05/01(火) 22:51:25 0
反ユダヤ思想は当時の西欧のスタンダードカルチャーみたいなもんだからな。
ヨーロッパの相対的な力の低下と、植民地での勢いづく反乱それに伴う社会不安、それが「ユダヤ人の陰謀」と言うはけ口を求めた。

268: 世界@名無史さん 2009/05/07(木) 22:41:06 0
フランスからヴィシーになる時は、議員の投票であっさり決まったらしいんだが、戻る時はひと悶着なかったのかな?ペタンは普通に捕まってたけど、逃げるとか抵抗するとかそういうのなかったの??

272: 世界@名無史さん 2009/05/10(日) 13:02:03 0
副首相のダルランだって(暗殺されたとはいえ)寝返ってるもんね

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フランソワ・ダルラン


ジャン・ルイ・グザヴィエ・フランソワ・ダルラン(1881年8月7日 - 1942年12月24日)は、フランスの海軍軍人、政治家。最終的にフランス海軍の提督に進級、第二次世界大戦中はヴィシー政権の重要人物だった。

1942年12月24日午後、20歳のフランス君主主義者フェルナン・ボニエ・ド・ラ・シャペル(英語版)はアルジェのダルランの本部へ侵入、ダルランへ2回発砲した。ラ・シャペルはアンリ・ダスティエ(フランス語版)が率いる抵抗組織の一員であったとも言われるし、単独行動を取ったとも言われている。

273: 世界@名無史さん 2009/05/11(月) 18:53:45 0
>>272
ダルラン提督って王党派?の青年に暗殺されたんだっけ?

274: 世界@名無史さん 2009/05/11(月) 19:12:40 0
ダルランはフランス海軍に忠誠を誓ってた、っつーか大事に思ってたんじゃネーノ?
派閥関係なし、イギリスが俺の大事な戦艦を沈めようとしやがった!メルド!とか。
いや本当はどうか知らんが。

276: 世界@名無史さん 2009/06/02(火) 13:12:29 0
ご先祖様がアブキールだったかトラファルガーだったかに参加していたんじゃなかったっけ

277: 世界@名無史さん 2009/06/19(金) 19:57:40 0
ダルラン大将の曾祖父が戦列艦ルドゥタブルの乗組員で、トラファルガーでイギリスと戦ったって話。
メール・エル・ケービルで英国から攻撃されて怒ってただけじゃなく、元から由緒正しいアンチ英国派でもある訳だな。

278: 世界@名無史さん 2009/06/19(金) 22:01:28 0
もしナチスが戦争に勝ったら、北フランスもヴィシー政府に返してたのかな

280: 世界@名無史さん 2009/06/20(土) 02:09:27 O
北はパリフランス(オイル)南はそのまま(オック)

281: 世界@名無史さん 2009/06/21(日) 14:36:06 0
エルザス・ロートリンゲンは正式にドイツ領へ復帰させて……北部国境は……
オランダとベルギーの扱いをどうするかにも関わってくる問題だな。

287: 世界@名無史さん 2009/07/29(水) 21:38:33 0
質問なんですが、
ポーランド占領地はGeneralgovernement
チェコ占領地はProtektrat
とか言ってたようですが、フランス占領地は何と呼ばれていたのでしょうか?

また、占領地区とヴィシー地区とでどう違ったのでしょうか?
すいませんが、誰か教えてください。

288: 世界@名無史さん 2009/07/30(木) 01:39:51 0

290: 世界@名無史さん 2009/07/31(金) 22:39:27 0
>>288
いろいろな資料を見ても
ヴィシー政権(南部)と自由フランス(亡命)の2つしか書いていない。
北西部のドイツ占領地の政治体系についてわからないんです。
総督がいたわけでもないようだし、通貨もRMを使ってたわけでもない。
切手も独自のものがあったわけではなく、どうもヴィシー地区と共通だったようなのですが・・・・・・

だれか教えてください。

291: 世界@名無史さん 2009/08/01(土) 19:35:46 0
北西部は保障占領とか書いてあるが・・・・・

292: 世界@名無史さん 2009/08/01(土) 21:17:23 0
要するにフランス政府の施政権は及ばないけど、フランス領のままってこと。
もし第二次大戦がドイツ有利に終わってたら(まあ、現実にはありえないけど)、ペタン政府に返還されてたろうな。

293: 世界@名無史さん 2009/08/01(土) 22:19:35 0
占領中はベルギーやオランダと同じ様な状態だったんじゃね??
ヴィシーはドイツ勝利後に有利な条件で取引しようと、随分擦り寄ってたらしいが、
もしドイツ完全勝利だったら史実よりはやく独仏の友好的な関係が構築されたのだろうか。

298: 世界@名無史さん 2009/08/19(水) 13:34:59 0
ヴィシー政権って中立だったのに、連合軍の侵攻を受けたっのて、どうかんがえてもパリ不戦条約違反じゃないか?

300: 世界@名無史さん 2009/08/20(木) 22:36:12 0
>>298
ドイツよりの中立じゃ連合軍の都合でかんたんに無視されるよ

303: 世界@名無史さん 2009/09/08(火) 13:03:54 0
>>300
スペインのフランコ政権は無視されんかったね

304: 世界@名無史さん 2009/09/08(火) 14:07:21 0
>>303
途中で立場変えてるし、ジブラルタルがあるし。

299: 世界@名無史さん 2009/08/20(木) 21:57:32 0
ドゴールはなんでルーズベルトに嫌われてたの?

302: 世界@名無史さん 2009/08/21(金) 10:55:54 0
ドゴールにしろルクレルクにしろ、口を開いちゃ”フランスの栄光”ばっかり言ってるからな

309: 世界@名無史さん 2009/09/20(日) 22:24:17 0
ヴィシー政権には王党派もいたらしいけど王政復古への働きかけとかはあったの?
それと、オルレアン家の当主はその頃どこで何やってたんだろう。

310: 世界@名無史さん 2009/09/21(月) 00:12:18 0
アリベール法相やウェイガン将軍のような王党派はまずペタン元帥を擬似君主化することに努力していたようだ。
そうすることで王政復古へのハードルを下げられると踏んでいたのだろう。
特にアリベール法相は法令の書式を「余、フィリップ・ペタン、フランス国元帥にしてフランス国首席が命ず……」と
いつの時代だ?と言いたくなるようなものにしたりしている。

オルレアン家は当時国外追放中だったが、パリ伯アンリは軍に志願し断られ、次に英軍にも志願したがやっぱり断られて最終的には外人部隊に入隊している。
ただ、アメリカの外交官に「ペタン元帥の死後、王政復古の機会が巡ってくる」と語ったり、ドイツとヴィシーの特別の許可を得て元帥と会見したりと軍務とは別の面に忙しかったようだw

1942年にアルジェリアが連合軍に占領され、ダルラン、ジロー、ド・ゴールの間で「誰がフランス人の代表か?」争いが起こった時には仲裁役として名乗りをあげ三人の上に立つ形で代表者の地位を狙ったが失敗している。
以後は大人しくしていたようだな。

315: 世界@名無史さん 2009/09/24(木) 09:35:22 0
>>310
ヴィシー側にいながら、末期にレジスタンス側にいたミッテラン のようなフランス人はごろごろいたろうね

フランス革命の時代からの向こうのお家芸

322: 世界@名無史さん 2009/09/30(水) 09:30:47 0
>>310
ブルボン家やボナパルト家が王政復古に動く、とか無かったんでしょうか?

323: 世界@名無史さん 2009/09/30(水) 09:59:26 0
>>322
当時既にアクシオン・フランセーズくらいしかアクティブな王党派は残っていなかったし、それすら対独協力が原因で戦後壊滅

元所属のミッテランは、レジスタンスに寝返って、大統領選挙で、王党派の残党から推薦されてたけど

313: 世界@名無史さん 2009/09/23(水) 18:30:36 0
>「余、フィリップ・ペタン、フランス国元帥にしてフランス国首席が命ず……」

これ読んで、素直にカッコエエと思ったw

330: 世界@名無史さん 2009/09/30(水) 22:55:04 0
指導者のモーラスが、(読んだことは無いけど)
自分は無神論者で、おまけに国王もそれ自身は空虚な存在でしかないが
フランスを纏め上げるために不可欠なのだ、しかじかと論文を出していたらしいから
カトリック信仰と歴史的伝統に生きる王族としては「馬鹿にするな」と思ったのではなかろうか。

331: 世界@名無史さん 2009/10/01(木) 00:16:17 0
ブルボン家の場合、シャンボール伯アンリの死をもってフランス・ブルボン家が断絶した為、スペイン・ブルボン家に継承権が移行したというのが彼らの主張だが……

①ユトレヒト条約によってスペイン・ブルボン家はフランス王位請求権を放棄している
②アルフォンソ13世自身、当のスペインから亡命中に客死している(1941年)
とオルレアン派に比べて弱い立場にあった。

加えて、アルフォンソ13世の死後、彼の次男であるセゴビア公ハイメがアンリ6世を称したが彼は耳が不自由な上にスペイン王位の請求権さえも放棄した身であるという状態で、実際的な活動は殆ど見られない。
むしろ戦後になってからの方がフランス国内・国外のブルボン家支持派を糾合可能になったせいか活発化している。

ボナパルト家の場合、当時のナポレオン公ルイ(ナポレオン6世)も軍に志願したが入隊を断られ、結局は偽名を使って外人部隊に入隊した。しかし彼の方はパリ伯アンリと違って勇敢に戦い、休戦後もレジスタンスに参加しようとフランスへの密入国を試みるも逮捕される。
イタリア王家の仲介もあり収容所送りを免れて軟禁されるが結局はレジスタンスに参加して負傷。そのまま終戦を迎え偽名のままフランスに残ろうとするが(ボナパルト家も当時は刻が追放の対象だったので)、発覚してスイスへ追放された。当主がこれだから支持者は推して知るべし、というところか。

332: 世界@名無史さん 2009/10/01(木) 21:44:28 0
結局右が左への遺恨返しと、かやるのに忙しくて、王党派の入ってくる場所が無かったのかな?

王政復古のシナリオとかあれば面白そうだったけど、ここまで読んでみると可能性はなさそうだ。

334: 世界@名無史さん 2009/10/02(金) 15:04:05 0
王政復古について可能性があるとすれば、ホルティ提督のハンガリーのような形でペタン元帥が摂政に就任し、なおかつフランコ統領のスペインのような形で元帥の死後に王位継承者(オルレアン家かスペイン・ブルボン家はともかくとして)を即位させる……といった形だろうか。
確かに一時期、パリ伯アンリなどはこの方向を目指して活動していた節がある。
ただこの実現可能性は、ヴィシー・フランスの方が元帥よりも長持ちしないことにはどうにもだし、そうなるとドイツの意向も絡んでくる微妙な話になってしまうのだが。

共和政時代の復讐劇については極右やファシズム指導者たちが期待していたほどではないにせよ、
「議会人を葬り去る」という点においては達成されたといえよう。
とはいえ、極右指導者たちがそのまま後釜に座れた訳でもないのがヴィシー・フランスらしいところではある。

339: 世界@名無史さん 2009/10/04(日) 18:55:55 0
勝てば仏軍、負ければ独軍

340: 世界@名無史さん 2009/10/05(月) 21:58:37 0
>>339
念のため言っておきますが、フランスはアメリカに助けてもらってやっと戦勝国の仲間入りさせてもらっただけです。

342: 世界@名無史さん 2009/10/06(火) 07:47:47 0
いえいえむしろ自由フランス軍がいたから米軍はあんだけの大突破をできたと言うのもあながち嘘ではないと思う。
ギリシャなんかでは共産軍を統制できなくて、内戦で大戦中より多くの死傷者を出してる。
英軍はオランダでも相当にてこずってるし。ポーランドのレジスタンスも壊滅。

日本陸軍中野学校が最後に国内遊撃戦の模範にしようとしたのがフランスのレジスタンスだったと言う。
大村益次郎がフランスを模範にして奇兵隊などを編成し、幕府軍が伝習隊を編成し、一時メッケル式参謀教育なども採用し政治的に悪用したが、第一次大戦後は、戦闘機も爆撃機も戦車も砲兵も要塞もフランス式。機関銃はホッチキス。
フットギアはドイツみたいな長靴じゃなくてフランス式ゲートル。
最後の模範はフランスのレジスタンス。

ヴィシーの怨敵ド・ゴールが四方八方に手を回していなかったらギリシャやポーランドや・・のようになっていた可能性は十分にあった。それに比べるとアイゼンハワーはただの野戦司令官。

344: 世界@名無史さん 2009/10/07(水) 00:12:13 0
レジスタンス神話信奉者乙

345: 世界@名無史さん 2009/10/07(水) 02:48:32 0
ド・ゴールって何やったっけか?

大戦中はパルチザンに対して随分と冷淡だったらしい。
「もうちょっと本土で頑張ってるパルチザンの事も考えてあげて。」とか言う手紙を書かれてたし。

346: 世界@名無史さん 2009/10/07(水) 04:09:25 0
でも自由フランスがなかったらフランス植民地の多くが中立のままだったんじゃないかな?
それどころか枢軸で参戦もしたかもしれないし。

347: 世界@名無史さん 2009/10/07(水) 05:03:04 0
植民地はやる気満々だった。
「何で本土はアッサリ降伏してるんだよ。こっちに来て継続しろよ」みたいな。

アルジェリアに脱出した本土組が旗揚げしてたら、そっちに付いたんじゃないかな?
その場合ド・ゴールが合流したとしても、イニシアチブは握れないかも知れん。
ミュズリエとかにあごでこき使われてたかも。

348: 世界@名無史さん 2009/10/07(水) 17:20:46 0
それはないなあ
ヴェイガンに命令されて仏領北アフリカも近東もヴィシーに従う道を選んでるし

349: 世界@名無史さん 2009/10/07(水) 18:03:34 0
レジスタンス、神話を信奉しなくても事実は事実。
フランス共産党の主張は相当に眉唾だと思うが。
英米軍がフランス上陸前に大量の兵器物資を投下したのは事実。
いくら何でももだーれもいなかったら投下する訳ない。

ド・ゴールはアゴでこき使われてもいいと思ってお願いしたがカトルー以外は誰もこなかった。北アフリカのノゲスとかカトルーはむしろド・ゴールのカリスマに期待した。
ミュズリエは英軍にとっつかまって自滅した。むしろ本気で反乱したのは黒人のエブエ。

後は次郎か。

381: 世界@名無史さん 2009/11/07(土) 23:17:22 0
ナポレオン時代の再現を夢見て、ナポレオンの甥というだけの凡庸な男を大統領に選び、ついで皇帝にしてしまい、メキシコ遠征や普仏戦争の愚を犯させたのもその一例だが、根拠のない大国の誇りを持とうとしたフランス
国民のあがきがもっとも典型的に見られたのは、第二次大戦中のナチによる占領の屈辱に対する反応においてであろう。

382: 世界@名無史さん 2009/11/07(土) 23:19:16 0
フランス国民はひたすらこの屈辱を否認しようとしたそのためにつくられたのが例のレジスタンス神話である。
実際、第二次大戦中ドイツに占領された国でドイツと一体化しようとした国はフランスだけで(ヴィシー政権)、占領下のフランス人はナチにむしろ積極的に協力していた。

ナチに対して勇敢に抵抗し反逆したのは、一九四三年のワルシャワ・ゲットーの反乱、四四年のワルシャワ市民蜂起に見られるように、ポーランド人であった。
ところが戦後、ポーランド人のレジスタンスのことは余り語られず、フランス人はナチに占領されるとただちに国民が一丸となってレジスタンスをやったかのように喧伝された。やった者がやったことをあまり知られておらず、やらなかった者が大いにやったかのように伝えられているというこのコントラストは非常に面白い。

385: 世界@名無史さん 2009/11/08(日) 15:01:40 0
レジスタンスじゃなくて自由フランス軍の話なんだけどね・・・。

大体フランスがナチスを信頼する訳ないのは、1942年11月に米英に投降下のを見ても、ツーロンで地中海艦隊が自沈したのを見てもわかるべ。ありゃ仏共ともド・ゴールとも関係ない。
どう見てもヴィシー・フランス海軍はドイツ軍に積極的に協力したようには見えない。

それともツーロン自沈も神話であるとか?

フランス海軍

ダルラン元帥は連合軍代表アイゼンハワーやカニンガムと協定を結び、北アフリカのフランス陸海空軍は連合国側と協力して枢軸群と戦うことを約束した。しかし、ドイツを通さずに勝手に交渉した行為に激怒したアドルフ・ヒトラーは報復としてヴィシー・フランスに進駐、ドイツは数的にまだドイツ海軍と互角の大型艦を持つヴィシー・フランス海軍艦隊を接収せんとトゥーロンに戦車隊を差し向けた。

だが、ドイツ軍が到着する直前の1942年11月27日に、ヴィシー政権下のフランス艦隊は、旗艦「ストラスブール」からの号令の元、トゥーロン港において一斉に自沈した。これにより戦艦3隻、巡洋艦7隻、駆逐艦32隻、潜水艦16隻、水上機母艦1隻、小艦艇18隻が無力化し、枢軸側にわたるのを防いだ。



389: ラ・ロック 2009/11/09(月) 03:49:42 O
ラヴァルに死を!

390: 世界@名無史さん 2009/11/09(月) 20:58:46 0
>>389
でも仕事はやらん
窓際で暇してるがいいw

392: 世界@名無史さん 2009/11/10(火) 21:34:10 0
ラヴァル元首相の処刑って残酷すぎないか?

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ピエール・ラヴァル


ピエール・ラヴァル(1883年6月28日 - 1945年10月15日)は、フランスの政治家。第三共和政下で2度首相を務めた。フランス敗北後にはヴィシー政権の成立に主導的な役割を果たし、副首相および首相を務め、積極的な対独協力政策(コラボラシオン)を主導した。


393: 世界@名無史さん 2009/11/11(水) 09:58:30 0
あのゲシュタポでさえ、「いいかげんにしろ」とあきれ果てるくらいユダヤ人狩りをやりまくり、結果的にナチスを悩ませ、苦しめた英雄的な国。

398: 世界@名無史さん 2009/11/16(月) 21:34:56 0
ナチ占領下のフランスというと必ずレジスタンスがでてきますが
あれは戦後作られた神話で、そんなものほとんどなかったって
本当だったんですね。

399: 世界@名無史さん 2009/11/16(月) 22:00:50 0
5%のレジスタンスと5%のミリスと90%の一般人がいただけだろう。

400: 世界@名無史さん 2009/11/17(火) 14:10:34 0
在仏独軍にとっては5パーのレジスタンスでもかなりうざい。
英米軍にとってはかなり使える。

402: 世界@名無史さん 2009/11/17(火) 14:26:03 0
当時のフランスの人口って4千万人ぐらいだろ。
その5%といったら、200万人。そんなにレジスタンスはいないだろ。

403: 世界@名無史さん 2009/11/17(火) 22:00:49 0
レジスタンスの活動人員は41年末頃で1000人ぐらい、42年末で7万、ノルマンディー上陸作戦の半月ぐらい後でやっと20万だ。
ちなみにミリスは確か1万人ぐらい(うろ憶え)、シャルルマーニュ師団とかのドイツ軍部隊に入ったフランス人が2万人。

404: 世界@名無史さん 2009/11/17(火) 23:16:23 0
ドゴールだって、だいたい、連合軍がパリに入城したとき金魚のウンコみたいについていって
「同日にレジスタンスがパリを解放した!記念すべき日である」とか
ほざいてた奴。

408: 世界@名無史さん 2009/11/20(金) 14:19:35 0
>>404
ド・ゴールはパリを解放した全国レジスタンス評議会のロル大佐とも面会を拒み、会っても握手もしなかった。

パリ解放パレードでも大佐に「一歩下がりたまえ」とか言って非常に無礼で傲慢な態度だったそうな。

409: 世界@名無史さん 2009/11/20(金) 19:27:54 0
いや当然じゃないか。全国レジスタンス評議会はケーニグが司令官の国内軍(FFI)の指揮下にあったのだ。そして国内軍は再編された1943年に再編されたフランス軍の指揮下にあるのだ!
パリを解放したのはフランス軍の指揮下にあるレジスタンス、つまりフランス軍、そして第2戦車師団である!
そしてフランス軍はド・ゴール大将の指揮下にある!大佐と大将は対等ではない!勘違いするな!
第2戦車師団はこれより米軍の指揮下を離れる!レジスタンスはフランス軍に編入する!
フランスの復活!?フランスは滅びていない!ヴィシーフランスはフランスではない!

♪いざ~起て~、あ~いこ~くの子~らよ~、栄光の日が来~たり~


410: 世界@名無史さん 2009/11/20(金) 20:37:35 0
>>409
フランスの復活!?フランスは滅びていない!

そう!!!
アメリカ軍のおかげでな。

416: 世界@名無史さん 2009/11/21(土) 13:36:10 0
>そしてフランス軍はド・ゴール大将の指揮下にある!大佐と大将は対等ではない!勘違いするな!

どこの誰が大将だって?

417: 世界@名無史さん 2009/11/21(土) 18:17:01 0
暫定准将の大佐だよなw

引用元: ・ヴィシー・フランスについて語るスレ




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