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5: 世界@名無史さん 2005/10/13(木) 20:44:37 0
ハプスブルク家には突出した名君が不在。
奇人変人には事欠かないが。

8: 世界@名無史さん 2005/10/13(木) 21:49:24 0
>>5
君主の資質が優れていたって、それがスムーズに伝わるシステムがないと意味が無い。
そういう意味でオーストリアは最後まで旧態依然としてたと言える。
ただ、君主に左右されないという事は、大失敗もしないという事なんだな。
マキャベリも言ってるけど伝統が全てを支えた政体という事が言える。

15: 世界@名無史さん 2005/10/15(土) 13:20:17 0
>>5
ハプスブルクの揺籃期には名君が多いと思うけど、ルドルフ一世とか、まだ中世臭さを残していた頃の君主は結構好きだな。まぁ息子のアルプレヒト一世みたいな馬鹿もいたけどさ。
それでも、なんつ~か人間味のある香具師が多い。

17: 世界@名無史さん 2005/10/15(土) 20:52:32 0
>>15
アルブレヒトは馬鹿じゃないと思うけど。
ただルドルフ以外はぱっとしない家系だよな。

18: 世界@名無史さん 2005/10/15(土) 20:58:04 0
>>17
アルプレヒトの息子達は有名なんだけどな?
日本で触れられる事が少ないだけで。これは彼らに限った話じゃないけどね。

506: 世界@名無史さん 2006/04/26(水) 08:08:49 0
>ハプスブルク家には突出した名君が不在。 
 

だから長持ちしたんじゃないの。
あまりにも凄すぎる名君いると、その子供や孫の代になって、偉大な父や祖父に負けないような偉業を成し遂げようとして自爆するから。

6: 世界@名無史さん 2005/10/13(木) 21:17:43 0
マリア・テレジアもだめかな?

7: 世界@名無史さん 2005/10/13(木) 21:32:58 0
>>6
フリードリヒ大王に終始負け続けたから 

10: Ryuju ◆RlujhF6VrA 2005/10/14(金) 10:57:23 0
>>7
終始負け続けというほど負けてないと思うが・・・。
結果として負けたのは事実だが、戦局の途中では優位に立ってた期間も長い。
ただ、自国の軍事力が整いきる前に戦争始めた(先に攻めてきたのはプロイセンだが)のがまずかったと言えばまずかった。
それが援軍頼みになって、結果としてフリードリヒに逆転を許した。
・・・まあエリザヴェータが死んだのは計算外だったろうけど。

結果として、その辺の判断に関してはフリードリヒは正しかったのかも知れん。

11: 世界@名無史さん 2005/10/14(金) 13:56:18 0
>>10
七年戦争の肝は三枚のペチコートにあるんだよ。
そもそもオーストリア一国で、プロイセンを倒せるとまでは誰も思ってなかった。
だからネーデルラントまで手放すつもりで外交革命を起こしたわけで。
プロイセンとは和解したんだから、向こうに先手を打たせたのは計画の内だと思われ。
ハプスブルク家は面子を大事にするからね。

最大の誤算はやっぱりエリザヴェータの急死とロシア軍の撤退。
オーストリアとフランスは圧力をかけるだけで戦略的を意味は果してた。

12: Ryuju ◆RlujhF6VrA 2005/10/14(金) 21:15:42 0
>>11
まあ、確かにそうなんだろうけど(「まずかったと言えばまずかった」ってのは結果論的な意味も込めてる)、>>8のマキャベリなんかも私の意識としてあったもんだから。
マキャベリは援軍について非常に批判的で、君主論では「役に立たない別の軍備である」とさえ言っている。ここまで言うか、という印象。

敢えてマリア・テレジアを批判する点を挙げるとすれば、という程度の話だから。

13: 世界@名無史さん 2005/10/15(土) 01:09:07 0
>>12
普通、マリア・テレジアを批判する際にはハンガリーへの統治政策を挙げるけどな。
七年戦争の敗北は不可抗力といっていいから、彼女に帰するのは酷というもの。
ハンガリーの既存制度の温存が、その後の民族問題に繋がったのは明らかだからね。

ちなみにマキャベリの援軍に対する論理とこの場合を同一視するのはちょっと無理があるんだけどね。

14: 世界@名無史さん 2005/10/15(土) 10:23:22 0
>>13
フランスに固執するあまり、イタリア方面の外交がボロボロってのもよく言われるね。

19: 世界@名無史さん 2005/10/15(土) 23:00:50 0
ハプスブルク家事実上最後の皇帝フランツ・ヨーゼフと大久保利通の髭って似てるように感じる。と言うか大久保がフランツ・ヨーゼフの真似をもしかしたらしたのかな??
Emperor_Francis_Joseph

20: 世界@名無史さん 2005/10/15(土) 23:10:45 0
あのヒゲ天然じゃないのか!?

21: 世界@名無史さん 2005/10/16(日) 17:48:49 0
ハプスブルクの君主で戦場で活躍した人っていますか?

22: 世界@名無史さん 2005/10/16(日) 22:27:19 0
>>21
「ソルフェリーノの戦い」でのフランツ・ヨーゼフ1世陛下は?

23: 22 2005/10/16(日) 22:28:33 0

あとカール5世なんかも活躍してそうでつ。

24: 世界@名無史さん 2005/10/16(日) 22:40:22 0
中世最後の騎士マクシミリアンを忘れるな…って
戦場で活躍と言う訳ではないか…

25: 世界@名無史さん 2005/10/17(月) 00:06:04 0
>>24
マクシミリアンは親征を何度もしてるよ。

27: 世界@名無史さん 2005/10/17(月) 02:30:03 0
>>25
マクシミリアンはかっこいいんだけど、なんというかまあ、勝ちっぷりが悪いよね。

26: ギシュクラ・ヤーノシュ ◆4yzbf0MFE. 2005/10/17(月) 00:15:01 0
始祖のルドルフ1世ですね。「鋼鉄と黄金の王」と呼ばれたオットカル2世を破るのですから・・。

あまり、軍の先頭に立つというイメージの方はいないような気がします。

27: 世界@名無史さん 2005/10/17(月) 02:30:03 0
>>26
なんつっても「戦争は他の国にやらせとけ!」が家訓ですからねえ。
※「戦争は他家に任せておけ。幸いなオーストリアよ、汝は結婚せよ」

28: ギシュクラ・ヤーノシュ ◆4yzbf0MFE. 2005/10/17(月) 23:00:08 0
>>26
あれ、本当に「家訓」なんですか。逃げ回ってばかりいるフリードリッヒ3世をハンガリー王のマーチャーシュが皮肉ったものという節を聞いたことがあるのですが。
しかし、長生き、多産というのは強力な武器ですね。

49: 世界@名無史さん 2005/11/24(木) 18:21:08 0
ハプスブルクの皇帝は名宰相に補佐されて始めて複雑な多民族国家を統治できるのよ。
なまじ半端な名君はかえって弊害となる。

57: 世界@名無史さん 2005/12/04(日) 08:47:54 0
>>49
名宰相ってたとえば誰や?

58: 世界@名無史さん 2005/12/04(日) 10:49:10 0
>>57
カウニッツ

60: 世界@名無史さん 2005/12/10(土) 09:04:56 0
>>57
メッテルニヒ

68: 世界@名無史さん 2006/01/02(月) 00:39:16 0
神聖ローマ皇帝位を世襲化したハプスブルク家はすごいね

69: 世界@名無史さん 2006/01/02(月) 02:56:31 0
「実質世襲化」だけどね

71: 世界@名無史さん 2006/01/08(日) 21:04:04 0
マリア・テレジアに萌える 


njin

72: 世界@名無史さん 2006/01/08(日) 22:06:57 0
けっこう美人だね

75: 世界@名無史さん 2006/01/11(水) 11:35:44 0
エドゥアルトカッコヨス。でもフランツが一番カコイイ!

76: 世界@名無史さん 2006/01/11(水) 16:20:23 0
シシィの10分の1でもマリア・テレジアがダイエットしててくれたら・・・

800px-Kaiserin_Maria_Theresia_(HRR)

78: 世界@名無史さん 2006/01/11(水) 22:58:54 0
ハプスブルク家の中じゃマリア・テレジアが一番政治力高いんじゃないか

79: 世界@名無史さん 2006/01/11(水) 23:10:12 0
>>78
ルドルフ1世じゃないかなあ。さすがに。
次点で(結果オーライという意味で)マクシミリアン1世あたり。
っていうか、マリア・テレジアは外交はボロボロじゃない?

80: 世界@名無史さん 2006/01/12(木) 01:51:08 0
>>79
外交革命は評価してもいいんじゃないかい

81: 世界@名無史さん 2006/01/12(木) 04:23:42 0
マリア・テレジアの外交は悪くないだろう
プロイセンが強すぎたんだ。

82: Ryuju ◆RlujhF6VrA 2006/01/12(木) 11:15:38 0
あれに関しては運不運も絡んでるからなあ。エリザヴェータの死。
敢えて言うなら「他国の援軍に依存しすぎた」のが欠点か。
本来、もっと自軍の実力を蓄えてから戦争すべきだったと思う。
外交革命がすぐ漏れた(公表した?)のがまずかったんでないかと。
そういう意味で、情勢の変化を知って即座に攻め込んだフリードリヒの判断は結果として正しかったことになるかな。

84: 世界@名無史さん 2006/01/14(土) 17:57:11 0
>>82
「他国の援軍に依存しすぎた」という観点が既にダメ。
だってそういう戦略なんだもの。オーストリアの国土状況から考えて自身が対プロイセンの矢面に立つなんて下策。

自軍の実力を蓄えるとか言ってる時点でちょっと・・・。

109: Ryuju ◆RlujhF6VrA 2006/01/20(金) 14:00:30 0
>>84
別に反論するわけじゃないんだけど、マキアヴェッリの君主論読んでるせいか、その辺どうしても辛口になってしまうんだよね。
君主論では援軍に関してかなり否定的で、運命についても
「人間の力量がそれに逆らってあらかじめ策を講じておかなかった場所において」
威力を発揮すると書いてある。エリザヴェータの死が完全に予想外だったのは事実だろうけどね。

フリードリヒは散々あがきまくって引き分けに持ち込んだんだから、マリア・テレジアももう少しあがいてたら、結果もまた変わってたんじゃないかなと思う。実際にロシア軍がプロイセン側に立って行動したのは、1762年の春から夏にかけての数ヶ月くらいだし。でもってこの年で実際の戦闘は終結してる。
要は、マリア・テレジアにはもう少し粘って欲しかったなと。

110: 世界@名無史さん 2006/01/21(土) 00:31:33 0
>>109
>フリードリヒは散々あがきまくって引き分けに持ち込んだんだから

引き分けではないですよ。そもそもシュレジエンの領有を巡って戦っていたんだから、誰がどうみても、最終的にシュレジエンの領有に成功したプロイセンの勝ちですよ。

>マリア・テレジアももう少しあがいてたら、結果もまた変わってたんじゃないかなと思う。実際にロシア軍がプロイセン側に立って行動したのは、1762年の春から夏にかけての数ヶ月くらいだし。でもってこの年で実際の戦闘は終結してる。
要は、マリア・テレジアにはもう少し粘って欲しかったなと。

粘れといわれても、オーストリアには単独であがく力がなかったんだよ。
既に、オーストリアは1761年,戦争中にもかかわらず軍隊を削減しなければならなかった。プロイセンの苦境ばかり史実では目立つけど、オーストリアも財政難で苦しかった。
ロシア軍が頼みの綱になっていた。その後、フランスはイギリスに敗れたし、プロイセンはロシアの援助で反撃してきた。独力で戦う力はオーストリアには残っていなかったので、講和を結ぶしかなかったのだ。

111: 世界@名無史さん 2006/01/21(土) 08:30:04 0
>>110
そんなところだろうねえ。ロシアがプロイセン側に立って援助したのは、数ヶ月だったけど、その後ロシアは撤兵して、オーストリア側に再びついたわけではないからね。

112: Ryuju ◆RlujhF6VrA 2006/01/21(土) 12:00:34 0
>>110
引き分けというのは戦争前からの(領土面での)現状維持という意味で書いた。
戦争目的からすれば、プロイセンの勝利だろうけど。

あれから調べたら、ロシアとプロイセンの間で講和条約が結ばれたのが5/5で、同盟に発展したのが六月、実際にロシア軍がフリードリヒの指揮下に入ったのが6/30、その直後の7/9にはロシアでエカチェリーナが即位して、7/19にはフリードリヒの下にいたロシア軍に、撤兵すべしとの命令が届いてる。厳密には実質二十日なんだよね。
その撤兵命令に対し、フリードリヒは三日間の猶予を求めたが、21日のプロイセンの攻勢に
ロシア軍が参加したかどうかの記述も手元の本にはない。

何というかなあ、状況はよく分かるけれども、それだけに勿体ないというか。
折角マリア・テレジアも本気になって国内改革をしていたのに、その成果が出る前に戦争を始めてしまったような気がしてね。外交革命がすぐに漏れなければ、フリードリヒが1756年に戦争を始めることもなく、その間に戦力を充実させて、とか考えてしまうんだわ。
実際、漏らす必要もなかっただろうしね。

121: 世界@名無史さん 2006/01/21(土) 20:12:08 0
>>112
戦力を充実させてって、ゲームじゃないんだからボタンひとつじゃ出来ないよ?

113: 勇者トンヌラ ◆CSZ6G0yP9Q 2006/01/21(土) 13:41:24 0
>>109>>112
マキアヴェッリが批判しているのは、援軍に完全に依存してしまう事であって、七年戦争当時のオーストリアの戦略、いわゆる外交革命はグランドデザインとしては非常に斬新な物だったと言えます。
フランスとオーストリアが圧力をかけ、ロシアが背後から急襲するという軍事戦略であったので君主論で論じられている問題とは全く次元が異なっています。一緒くたにしてはいけない問題では無いでしょうか?

更に戦争の帰趨について触れると、七年戦争の政治上の勝者はマリア・テレジアです。
領土回復には成功しませんでしたけれども、ドイツの中での威信は完全に回復できましたので。単独でシュレジレンの回復を望んでいたら敗北を喫していたでしょうからさっさと手を引いた彼女の政治眼は優れたものであったと言えます。

外交革命後、すぐに七年戦争を起こしたのは早くしないと領土回復という大義名分が消滅するからです。これはシュレジレンがオーストリア領になった事情を考えれば納得が行くかと。

国内改革については、既得権の破壊を意味していますから急激な作業は不可能です。それをやってしまったヨーゼフ2世がどれ程非難されているかを考えれば納得がいくのでは?
彼女の国内統治における慧眼は多民族を内包する領土という現実を認識して様々なバリエーションを設けたという事だと思いますよ。

119: 世界@名無史さん 2006/01/21(土) 16:18:23 0
>>113
要するにマリア・テレジアは優秀な政治家だったんだな

85: 世界@名無史さん 2006/01/14(土) 23:38:38 0
オーストリア継承戦争はともかく、七年戦争は余計じゃない?
ちょちょいとひねってシュレジエンを取り返すつもりだったんだろうけど、あの戦力差でなんで負けますかと…。
マリア・テレジアの失策じゃなくて、フリードリヒがすごすぎただけかもしれんが。

86: 世界@名無史さん 2006/01/15(日) 14:57:03 0
七年戦争がなければ、オーストリアはドイツでのイニシアティブを完全に失っていたし、列強のひとつに加えられる事も無かったかも。テレジア自身は失地回復を果せなくて悔しかったかも知れないけど国際政治的には戦争をしたという事が重要で、領土問題はあんまり重要じゃない。

87: 世界@名無史さん 2006/01/16(月) 08:16:12 0
シュレジエンはドイツでも裕福な土地だったし、失地回復を果たさなければオーストリアの面子も立たないしな。七年戦争はフリードリヒの運勢の強さを誉めるべきだろう。

97: 世界@名無史さん 2006/01/17(火) 22:42:20 0
>>87
フリードリヒの人気のたまものともいえる。

89: 世界@名無史さん 2006/01/16(月) 09:25:59 0
皇帝に限らずハプスブルク家の人々のなかで
ゲイないし男色家として有名な人物は誰でしょうか?

90: 世界@名無史さん 2006/01/16(月) 10:21:01 0
フランツ・ヨーゼフ帝の弟がたしか男色OK!なヤツだったような気がする、が有名じゃあないな。

91: 世界@名無史さん 2006/01/16(月) 12:16:13 0
>>90
ルートヴィヒ・ヴィクトールですね。

フランツ・ヨーゼフの兄弟では
二男のマクシミリアンにもそのケがあったという説もあるらしい。
とある私設秘書(♂)と親密の度が過ぎるのだそうだ。

98: 世界@名無史さん 2006/01/18(水) 13:57:10 0
所詮女は感情的でその場の判断しかできないから先を見通すことができず天下国家のことは考えられないと言われるが、マリア・テレジアはりっぱだったね

99: 世界@名無史さん 2006/01/18(水) 16:45:24 0
子育てに失敗しちゃったのがちょっとアレだけどね。
夢見がちな理想主義者と陽気なカタブツと、役目をはたせなかった政略結婚のが数人と…。

100: 世界@名無史さん 2006/01/18(水) 17:29:33 0
マリア・テレジアの後は正確にはハプスブルク-ロートリゲンだから
マリア・テレジアは“最後のハプスブルク”だった

103: 世界@名無史さん 2006/01/18(水) 21:54:03 0
マリアテレジアの時がオーストリアの全盛時代、

106: 世界@名無史さん 2006/01/19(木) 22:11:52 0
>>103
ハプスブルクの全盛期はカール五世だと思うが?

107: 世界@名無史さん 2006/01/19(木) 22:41:23 0
「オーストリア」って限定してるんだから、落ち目の時代の中で一番マシな時期ってことだろう。

108: 世界@名無史さん 2006/01/20(金) 08:17:49 0
ハプスブルク家という範囲でみれば、カール5世。
オーストリアという国でみれば、マリアテレジア?

126: 世界@名無史さん 2006/01/22(日) 05:10:33 0
音楽史方面だと「乞食のような音楽家一家(モーツァルト父子のこと)を雇ってはいけない」という手紙を一族郎党に書き送ったマリア・テレジアは評判が悪く、モーツァルト贔屓だったヨーゼフ2世は評判良いんだけどなー
まあ、現在に至るまで、モーツァルトの墓も遺骨もわからないのはヨーゼフの倹約政策のせいでもあるけれど。

128: 世界@名無史さん 2006/01/22(日) 16:41:21 0
ハプスブルク家と聞くと、すぐに頭に浮かぶのはカール五世とフェリペ二世。
前者は歴代ローマ教皇とルター派の諸侯とトルコ帝国相手によくもあれだけ
頑張れたものだと感心する。後者は晩年はともかく、前半は輝かしいイメー
ジがある。でも、皇帝フェルディナンドの影が薄いが…。

131: 世界@名無史さん 2006/01/23(月) 21:58:46 0
マリア・テレジアの政治力は世界史的にみて傑出していますか?

132: 世界@名無史さん 2006/01/23(月) 23:42:11 0
>>131
世界史的という評価基準が意味不明。同条件でもないのに比べられるわけない。
ただ優秀な統治者であった事は確か。

136: 世界@名無史さん 2006/01/24(火) 14:26:38 0
マリア・テレジアががんばったのは確かだけど、斜陽を一時的に留まらせた程度じゃないかなあ。
いまどきヴェストファーレン史観ははやらんか…。

145: 世界@名無史さん 2006/01/26(木) 00:09:30 0
オーストリアはマリアテレジアでなければフリードリヒに潰されてドイツ帝国が出来上がっていたのかな。

146: 世界@名無史さん 2006/01/26(木) 03:05:44 0
だから当時のプロイセンにそこまでする国力はないって。
フリードリヒ大王は偉大な人物だったんだろうけど、過大評価し過ぎ。
オーストリア継承戦争が全くのハプスブルクの敗北に終わったらバイエルンにオーストリアは吸収されていたから、ドイツは南に重心が移ったかもしれない。
if話なんて所詮は想像だけど。

162: 世界@名無史さん 2006/01/31(火) 00:55:50 0
ハプスブルクの女傑マリア・テレジア。
フリードリヒ大王ともガチンコでやりあった鉄の女。
彼女の死後、遺品の中からこの様なメモが見付かった。
「29年6ヶ月6日。335ヶ月、1540週、
1万781時間、35万8744分」

自分に先立って死んだ旦那と過ごした時間らしい。

163: 世界@名無史さん 2006/01/31(火) 01:10:46 0
そこまでいくとかなり怖い。
連れ合いがつきあい始めてからの時間を分単位で言い出したらむっちゃ引くね。

164: 世界@名無史さん 2006/01/31(火) 02:11:59 0
まあ当時としては異常な「恋愛結婚」だから仕方ないかな。
確かに少し怖いが彼女は君主ってよりは政治家として評価したい。
君主の仕事は生殖というのはレーニンの言葉だっけか、彼女は少なくとも格下のロートリンゲン公と結婚、さらに君主としての子孫の量産、そして統治者としての業績・・・と考えればケチは幾らでもつけられるが(子女の婚姻のブルボン偏重とかカトリック主義の政策とか、他も少なくとも啓蒙専制君主ではない)それなりの評価を与えてもいいのではないか?

継承戦争を乗り切って夫を帝位に就けた政治手腕は少なくとも評価するべきだろう。

165: 世界@名無史さん 2006/01/31(火) 04:18:17 0
>>164
あの当時、カトリックを重視した政策取らなきゃ国が割れます。
修道院に対して介入したのだけでも大英断。
現在の視点で判断するのは止めた方が良いよ。

ブルボンへの傾倒はなぁ・・・。継承戦争で身内同然のバイエルンにも裏切られてドイツの諸侯に対して人間不信に陥っちゃったのかもね。旦那と暮らした時間のメモやシュレジレンへの執念といい、凝り性(というか怖い部類)だったのかも知れん。

ところでマリア・テレジアとフランツって恋愛結婚というよりは、政略結婚から発生した
おしどり夫婦だと思うんだけど。当初は兄貴が旦那候補だったわけで。

170: 世界@名無史さん 2006/01/31(火) 11:05:54 0
幼いころ、美男子のフランツ・シュテファンを見て一目ぼれ。後年、政略とも合致して、めでたく結婚。って話も聞くけど実際はどうだったんでしょうね。
これに続いてマリア・テレジアの娘たちが、自分は幸せな恋愛結婚をしたくせに娘たちを政略結婚のコマに使ったことを恨んでいたという話も続くけど。(4女を除く)

マリア・テレジアの風紀政策が男性に甘かったのは、フランツが犯罪者にならないようにしたためなんて俗説もあるし、面白い夫婦ですよね。 

引用元: ・ハプスブルク家の人々3




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