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1: 陽の沈まぬ国よ、再び・・・ 03/02/07 01:54
第1次大戦で力及ばず、民族自決の原則で解体されたオーストリアはハプスブルク帝国。

しかし、解体の直前まで、ロスチャイルドをバックに、広大な国土を統合する鉄道建設
がすすめられ、銀行制度が整備され、中欧の大国として近代国家の道を着々と歩んでい
ました。

その大帝国の力は、モーツァルトやシュトラウスの音楽やユーゲントスティル様式の建築
は勿論のこと、経済学のハイエクやベームバヴェルク、論理実証主義、そしてEUの源泉を
なした汎欧州主義など、学問・思想の各方面に及びました。

しかし、1918年、敗戦の結果無残に崩壊したオーストリア帝国は、本来ドイツ語圏だっ
た南チロルまで切り離されて、やがてこのような文化・芸術の伝統も衰え、欧州の二流国と
して、地味な道を歩む運命となります。

しかし、いまでも、かつてハプスブルクの版図に含まれていた、トリエステ(現イタリア領)、
リボフ(現ウクライナ領)、オラディア(現ルーマニア領)などを訪れ、その素晴らしい建築
の遺構に触れるたび、この欧州の大国が永遠の幻のかなたに消えてしまったことを、悔やまず
にいられません。

もし、ハプスブルク帝国が21世紀の今現存していたら、どんな国になっていたでしょうか。
そんな、ハプスブルク帝国への想いを、皆で語り合いましょう。








4: 世界@名無史さん 03/02/07 04:59
各民族がいがみ合い、テロが頻発するひどい国家になったろうな。
一部では虐殺が起き、反政府組織とゲリラ戦は膠着状態。

6: 世界@名無史さん 03/02/07 11:02
旧ソ連や旧ユーゴスラビアのような状態になっていた。

7: 世界@名無史さん 03/02/07 13:12
各民族に高度な自治権を与えていれば、緩やかな連邦国家として生き残っていたと信じたい。

チェコ人にはハンガリー並みの自治権を与えようとしていたんだっけ?

11: 世界@名無史さん 03/02/07 17:30
>>7
それに対してハンガリーが反対した。

9: SEXYQ 03/02/07 17:14
滅びるべくして滅んだんじゃないかしら。現在の欧州で多民族を束ねるほど王権は強くないのでは?

10: 世界@名無史さん 03/02/07 17:22
滅びるべくして滅んだっつうか自滅だろ
実質ナポレオン時代から2流国家になりかけてたし

12: SEXYQ 03/02/07 18:06
確かに19世紀からはボロボロだもんね

13: 成功の種はあった 03/02/07 20:50
>>12
>実質ナポレオン時代から2流国家になりかけてたし

フランスがフランス革命を通じ、共和派の進歩的な潮流を代表したとすれば、ハプスブルク帝国が、欧州で保守的潮流の代表だったわけだ。それで、ベートーベンですら、あのナポレオンといういんちきな独裁者に交響曲を献呈しそうになったほどだった。
しかし、このハプスブルク帝国に流れる保守思想は、意外なことに、ハイエクの思想につながり、今日のネオリベラリズムをイデオロギーの面から支えることになっている。
ロスチャイルドも、こうした保守的な思想潮流に乗りながら、オーストリアを近代国家再生へと再生する賭けをしたわけだ。そしてそれは、かなり成功しそうになっていた…
もし、第1次大戦で敗戦せず、経済力が高まっていれば、当然ウィーンの求心力も大きくなったはず。

14: 世界@名無史さん 03/02/07 22:03
「ハプスブルクであること」に、フランツ・ヨーゼフが囚われすぎたのが滅亡の最大要因だろう。保守的で、政治改革にも消極的。
大体、皇太子(甥の方)の結婚に反対してたんだから、暗殺されても放っておけばいいものを、国家の威信とやらで戦争に踏み切る。軍備も旧式なのしかなく、これが第一次大戦での敗因となった。

正直言って、ハプスブルク家は結婚で領土増やしてきた面がかなりあるから、(通史を見るに、あまり戦争は得意ではない。はっきり言って他国・他勢力に依存しすぎ)
国際情勢の変化でそれが出来なくなれば、領土を増やすのをやめるかやり方を変えて最新軍備を導入するかしかない。
それを怠ったんだから負けるのは当たり前だった。

15: 世界@名無史さん 03/02/07 22:06
まあ、我が身を顧みず、バルカンなんかに進出したのがいけなかった。

17: 世界@名無史さん 03/02/07 22:48
帝国が存続するためには、良い貿易港が欲しいなあ。

19: ゑ゛じゃないか解放戦線伊勢派 ◆Q.pECj.Kaw 03/02/07 22:58
第一次大戦でオーストリアだけでなく、なにげにハンガリーも領土大削減されてるな。
海への出口にスロバキアにトランシルバニア・・・。

20: 世界@名無史さん 03/02/07 23:27
>>19
現ルーマニア領トランシルバニアは、戦後に至るまで、ハンガリーが領有権を主張していた。ハンガリーの少数民族が、多数住んでいる。
今は、ハンガリーの方がルーマニアよりずっと発展しているから、これらの少数民族は、恨めしいだろうね。

21: 世界@名無史さん 03/02/08 00:29
同じ共産主義陣営内でもハンガリーとルーマニアは仲が悪かったよな。

22: 世界@名無史さん 03/02/08 00:35
ハンガリー本土の大部分がオスマン帝国の直轄支配を受けてる時代もオスマン帝国の保護国とはいえトランシルバニア公国はハンガリー人貴族の中から公を選出したりして自治を行ってた歴史のある地域だしな。

31: 世界@名無史さん 03/02/08 17:53
1次大戦後、独立したハンガリーが王制を宣言したため、オーストリアを追い出された皇帝一家が嬉々としてハンガリーに行ったけど、摂政ホルティに丁重に追い出されたらしいな。

32: 世界@名無史さん 03/02/08 18:20
>>31
確か、「王のいない王国」ですよね。
ホルティは何を考えて王制を採ったのでしょう。

33: 世界@名無史さん 03/02/08 18:35
>>32
フランコ時代のスペインも確か王なき王国だったとおもう。

35: 世界@名無史さん 03/02/08 19:49
>>31
国王即位どころか皇帝一家を逮捕・処刑してもおかしく無い世情だったらしい。
そのなかで皇帝一家を「丁重に」国外追放したホルティは忠義の旧臣と言われたらしいぞ。
皇帝一家にはボロクソ言われたらしいが。

36: モーツァルト@音楽史さん 03/02/08 20:57
>>1
>モーツァルトやシュトラウスの音楽

ハイドン、モーツァルト、ベートーベン、シューベルトという古典派音楽という芸術ジャンルそのものが、ハプスブルク帝国の産物であることは、今日、音楽史の中ではほとんど忘れ去られてしまってるね。
なぜモーツァルトがオペラ「後宮からの逃走」や「トルコ行進曲」を書いたか、なぜ「ドン・ジョバンニ」の初演が今はチェコのプラハだったかということも、当時のハプスブルク帝国の版図のありさまを抜きにしては、本来語れないよね。
ウィーンが、今のような小さなオーストリアだけの首都だったら、これだけの芸術が花開くことはなかったはずだな。

37: 世界@名無史さん 03/02/09 09:02
>>36
>ハプスブルク帝国の産物であることは、今日、音楽史の中ではほとんど忘れ去られてしまってるね。

クラシックを聴く人なら誰でも知っていると思うが・・・

50: モーツァルト@音楽史さん 03/02/09 19:58
>>37
>クラシックを聴く人なら誰でも知っていると思うが・・・

そうかな?
たとえば、「新世界より」交響曲を書いたドボルザーク。チェコ人ということになっているが、当時はもちろん、ハプスブルク帝国=オーストリアの臣民だった。
プラハという都市で活躍したのだが、ハプスブルクの音楽芸術の伝統をいうまでもなく受け継いでいる。
しかし、ハプスブルク崩壊後、ナショナリズムの高揚で、ドボルザーク=国籍はオーストリアとは、誰も言わなくなっただろ?
ハンガリー狂詩曲のフランツ・リストも同じ。

また、「トルコ行進曲」。なぜ、モーツァルトが「トルコ」に強く関心を抱いたのか? 近くにクラシック音楽愛好家がいたら、聞いてみるといい。
そのうち何人が、ハプスブルク帝国とオスマントルコが実は当時国境を接していて、オーストリアとトルコとは、対抗しあう隣国だった、と答えられるか?
そういう時代に、モーツァルトが、「後宮からの逃走」でイスラムとの融和を説いている。

41: 世界@名無史さん 03/02/09 10:15
ハプスブルク帝国を評価してる人多いですね
ジョージ・ケナンとかゴーロ・マンとかも確かそうだったような

44: シュヴァルツェンベルク 03/02/09 13:59
>>41
シュテファン・ツヴァイクもね…感傷が先に立ってはいるが

45: 世界@名無史さん 03/02/09 14:33
戦争起こしたのが、国益に基づく判断でなくて王家の事情ってのがイタいよなあ。

ただ、その後の連合国側の処理がお粗末だったために新興諸国はナチス・ドイツにあっさりなびいた。戦後は戦後でソ連の衛星国になるし。NATOやEUを「欧州という共通の家」と表現しているのを聞くと、やり切れない。
独立によってナショナリズム的感情は一時的に満足したかも知れないが、その後の歴史を考えると良かったのかどうか。
理想と現実の乖離がこの地域の実情だと思う。

46: 世界@名無史さん 03/02/09 16:18
ハプスブルクは遠くなりにけり

47: 世界@名無史さん 03/02/09 16:21
やっぱり「民族自決」というのは、ごく限られた地域でしか通用しないのかも。
なんでもかんでも西欧と同じにするのが果たしていいことなのか。

49: 世界@名無史さん 03/02/09 17:00
>1
フランツ・ヨーゼフ帝は、時代の流れの見えていない、血統至上主義に凝り固まった頭の固いジジィとしか言いようがない。後継者のカールやその妃ツィタも、ハンガリー王位を求めてのこのこハンガリーにやってくるあたり、やはり時代を読めていない。政治見識ゼロだ。彼らが典型的なハプスブルグの皇帝・皇族なのだとすれば、その帝国が生き残ることに何の意味があるのか?
仮に第1次大戦を生き延びたとしても、第2次大戦では命脈を絶たれるだろう。たとえ戦争で倒れなくとも、いつかは革命で崩壊する。
ハプスブルグのラストエンペラー・カールが退位宣言書に署名させられたのは、交戦国の軍によってではなく、蜂起したウィーンの民衆によってだった。

53: オーストリア社会主義共和国? 03/02/14 23:40
>>49
>蜂起したウィーンの民衆によってだった。

まあ、ハプスブルク王家が腐ってたのは事実と思うけどね。
で、もし、帝国が解体する前に、蜂起したウィーンの民衆が社会主義革命を起こし、帝国の領域全体が社会主義国になってたとしたらどうだろうか。
実例としては、ロシアと中国がある。帝国の領域が、そのまま今の国家領域になって
いる。 

55: 世界@名無史さん 03/02/15 00:04
>>53
ソ連におけるロシア人、中国における漢民族のような核になる民族が無いからオーストリア=ハンガリー帝国全体が丸々社会主義国にはなれないんじゃないかなぁ。
オーストリア=ハンガリー帝国全体ののドイツ人の割合って何%くらいだったのかな?

60: 世界@名無史さん 03/02/23 16:09
>>55
ロシア帝国でも、中央アジアなんかではロシア人の割合は低かったし。
チェコの周辺にドイツ人が多数居住していたことは、戦前のズデーテンの状況からも明らか。
ドイツと連携を保ちながら、民族の自治をなるべく拡大するような方向で、結構いけたんじゃないか?

61: 世界@名無しさん 03/02/23 16:43
>>55
1910年の統計でハンガリーを除く地域でドイツ人の比率は35%ぐらい。
ハンガリーでは10%程度。
ドイツ人の比率は意外と(?)少ない。
ところでハプスブルク王家の復位の話は無いのだろうか? 10年程前に現当主がテレビに出ていたのを覚えているが。

62: 世界@名無史さん 03/02/23 17:19
>>61
ハンガリーの社会主義政権の終了後、現当主のオットー殿下を大統領候補に推す勢力があったな。
本人は固辞したけど。殿下は自由を求める東独国民をハンガリー経由で西側に逃すような活動をしてたな。また、当時、自由化を推進してたハンガリーの社会主義政権もそれを黙認してた。

51: 世界@名無史さん 03/02/09 20:52
ハプスブルク家は長らく神聖ローマ皇帝だったわけだが、ボヘミア王の資格で選帝侯だったわけだよな?

52: 世界@名無史さん 03/02/10 22:35
>>51
そのとおり。ハプスブルク家はボヘミア王の資格で選帝侯でもあった。
ただし、形式的にはボヘミアも選挙王制で、ハプスブルク家の当主が選出されなかった一時期は選帝侯位を失った。

57: 総督 03/02/15 02:16
>>52
ボヘミアって選帝侯だったんだ。知らなんだ・・・
要するにフェルディナント1世時代からちゃっかり選帝侯もやってたんだ。

58: 総督 03/02/15 02:22
1805年時点でハプスブルク家のフランツ2世の肩書きは「神聖ローマ皇帝兼ボヘミア王兼ハンガリー王兼オーストリア公」?
トスカナとかパルマとかはどういう扱いだったんだろう?

59: 世界@名無史さん 03/02/15 09:43
>>58
トスカナは弟のフェルディナントが大公だったと思うが。パルマは知らん。
神聖ローマ皇帝兼ハンガリー王兼ボヘミア王兼オーストリア大公兼ロートリンゲン公」かな?ロンバルディア=ヴェネト王はナポレオン戦争後だったかな?

123: 歴史学者の戯言 03/06/11 17:56
単に中欧にハプスブルグ帝国が存続するだけでなく、オスマン=トルコ帝国が何某かの形で存続できていたら、紛争のかなりの部分が減ってたろうな。
と思う。
まあ帝国じゃなくても立憲君主で連邦ないし合衆国としてでも。

124: 世界@名無史さん 03/06/11 18:19
確かに「もしもオスマン=トルコ帝国が崩壊しなかったら」のほうが面白いは面白いのだが。

126: 世界@名無史さん 03/06/11 23:35
してみると昨今のEUはハプスブルグ(神聖ローマ+スペイン)の欧州統一の宿願を果たしつつあるといえるのかも。まあEUが形を変えたハプスブルグの再興としても・・対するオスマン帝国相当するイスラム圏は今のトコあの体たらくだし・・・
はあ願望としちゃ統一イスラムみたいなオスマン帝国の再興と、統一欧州=ハプスブルグの再来が、地中海で海戦やらかしてとかやってほしいが無理だろな。

128: 世界@名無史さん 03/06/12 22:15
>>126
EUの原型となるアイディアを考えたのは、帝政時代のオーストリア人貴族、グーテンホフ・カレルギー。彼は、日本人とケコーンした。
こんな雄大なことを考えられただけでも、当時のオーストリアが大国だったとわかるな。悲しい。

今のEUは、たしかに領域的には、
>ハプスブルグ(神聖ローマ+スペイン)の欧州統一の宿願を果たしつつある

といえるかもしらんが、同じ宿願は、ヒトラーもナポレオンも持っていたわけで、別にハプスブルク固有じゃない。
むしろ、今のEU統合の中で、オーストリアは完全に脇役に追いやられている。中心は、独仏だ。
この点も、オーストリアファンには悲しいことだよね。

127: 世界@名無史さん 03/06/12 00:31
トルコ主導の統一イスラムは面白そうだけど戦争は勘弁

130: カトー 03/06/14 19:30
オスマン=トルコ大帝国が存続するとするとオスマン家を帝国統合の象徴として緩やかな連邦制度-多分にアメリカ合衆国をモデルに立憲君主制度でもとるのかな。
問題は版図だ北アフリカ・エジプト・バルカンそしてアナトリアにカフカス・シリアはじめ中東。こんな版図を保つには西欧列強にそれなりに対抗できる体力が必要だし、少なくとも第2時大戦まで乗り切れば米ソ冷戦。反共の防壁と石油資源を武器に結構有力國になりそうだ。
21世紀まで乗り切ったオーストリア帝国とオスマン立憲君主帝国
うーんぜひとも見てみたかったよ。

132: 審問官 03/06/16 03:20
三十年戦争で、スペインと教皇が勝利してプロテスタントの芽を摘み、プロテスタント諸侯の領地がハプスブルク領に組み込まれて、ハプスブルク朝統合欧州帝国が成立する──というシナリオはどうかな?

ヨーロッパは中東並みに何でもかんでも宗教が問題になる社会であり続け、異端審問によって近代科学の発生が抑圧される。史実の近代欧州史では戦争が絶えなかったが、統合欧州の成立によって戦争は起こらなくなり、軍事技術も停滞する。
それでも、ハプスブルク帝国の版図の中で民衆は平和を謳歌し、江戸文化の西洋版といった感じの、マターリした平和な文化が開花する。

しかし、欧州における激しい異端弾圧は多くの宗教難民を生むことにもなる。
弾圧された異端派は続々と新大陸に移民し、新大陸の人口は急速に増加する。
新大陸に移民した人々は、実際主義的な精神で新たな文明を築き始める。
近代という歴史段階はここから始まることになるが、欧州本土では新しい発見や発明が抑圧されているので、科学技術の進歩は史実よりもずっと遅れる。

この結果、アジアの諸文化圏と欧州との発展段階の格差は開かず、欧州系諸国と他の文化圏は対等の立場で交流していくことになり、この世界の科学技術文明は、最初から多文化混合的な形で発展する。
2003年現在、蒸気駆動の飛行船という最先端の技術に、その世界の人々は21世紀の夢を託している……。

142: 世界@名無史さん 03/06/20 20:56
現実の歴史を知っていると、>>132 は不自然に思えるけど、実は、西欧以外の文化圏全てがたどった自然な道のりだよね。もっと強力な意思と軍事的才能を持った君主がハプスブルク家にいたら、西欧も同じ道をたどる可能性は確かにあったと思う。でも、そうして西欧が統一されたら、史実の西欧の特殊性もなくなってしまい、西欧による世界征服は起きなかったかもしれない。
だとしたら、戦下手なハプスブルク家の君主たちに、西欧人は大いに感謝しないといけないわけだな。

143: 世界@名無史さん 03/06/20 22:57
>>142
戦の上手下手の問題だけじゃないと思う。なにしろ教皇が皇帝権力の増大を恐れてフランスとかオスマントルコに肩入れしたり・・腐敗したあげく新教の怒りが爆発した後の尻拭いだけ都合よくやらせたりとか・・
 
てわけでローマ教皇と言う足かせが最大のネックか?でも教皇の支持がなくてはハプスブルグの権威は無いわけで・・・・
すくなくともハプスブルグがもうちょいイタリー半島や教皇に拘泥しなければ

148: 世界@名無史さん 03/06/22 04:25
マクシミリアンのメキシコ帝国がフアレスを打倒してパナマ運河建設にハプスブルグが一枚噛んで、とかなったらその後の歴史はどうなったでしょう?
アメリカはあそこまで大きな領土を持ち得ず、イギリスに伍してフランスが海洋帝国を作り、ハプスブルグは・・・どうなるのでしょうか?

149: 世界@名無史さん 03/06/22 11:03
なんだかんだでアメリカが勢力を強引に伸ばしたんじゃないかな。
まあフランスの影響力は無視できなくなるにしても。
ハプスブルグは所詮中欧以外じゃ華にみえない。私的に無茶苦茶違和感ある
だからそんな想定考えたくないな。どこかで米仏双方に足引っ張られてメキシコ帝國はが瓦解したんじゃないか。

162: 世界@名無史さん 03/06/28 22:13
一つの方法としてはWW1の時の帰趨次第か。万一休戦で終わってれば。
なんぞのIF歴史本の引用だが、封印列車が転覆事故起してレーニン以下が死去、清朝では西太后が暗殺され麻薬と催眠の気違い兵士の万歳突撃で英国とのアヘン戦争を和解交渉まで持ちこんだ恭親王が強引な富国強兵し明治日本と強引な共同指導で朝鮮の近代化を強要。日英同盟に準じて日本は欧州に派兵。
サラエボではオーストリアじゃなく間違いでドイツの皇太子が暗殺されていたとかのご都合本があった。
欧州でのWW1和解交渉では、欧州各国(なんとロシアはケレンスキー首相、ドイツはローザルクセンブルク外相が代表だそうだ 藁)
そして清と日本と朝鮮そしてオスマン-トルコの代表も出席し・・・・・。
すげーとある種違う意味で感心したが。

164: 世界@名無史さん 03/06/29 04:54
WWⅠ休戦、封印列車が転覆してレーニン以下が死去…
アメリカから日本を経由してロシアに入ったクラスノシチョーコフを首班とする極東共和国が資本主義を基盤にしつつ中道左派な政府を建設。
ウラル以西に重心を置くヨーロッパロシアとエニセイ川以東を支配する極東共和国が並立。
両国間の小競り合いにより東欧、ザカフカス、中央アジア方面へのロシアの圧力が減少。
その隙にナショナリズムの赴くままにバルカンへの侵攻を図るトルコ共和国。
反トルコをアイデンティティとして復興を図るハプスブルグ…

無理か。

165: 世界@名無史さん 03/07/01 16:22
最大時の、ハプスブルグ帝国領土と大日本帝国領土とを比較すると、どちらのほうが面積が大きいですか?
領海も入れると日本のほうが大きいのはわかりますが。
また、よろしければ当時の経済力の比較なども教えてください。

166: 世界@名無史さん 03/07/01 22:47
比較が微妙だ・・。何せハプスブルグ帝国は長続きしてるが日本は帝国としちゃ短期間すぎる。大日本帝国がせめて200年は続いてみんことにゃ植民地の民政の成果とか、植民地への先行投資の回収とか・・・・、まあ陸地面積だけからすれば日本が上だが中国人の反日行為とか、ジャングルとか・・・
とてもとてもハプスブルグの版図ほど恵まれてないような気が・・。

168: 世界@名無史さん 03/07/02 00:49
>>166
単純に・・
面積は満州国を含めれば日本が広かった。
ただし最大時ハプスブルク領土っつうのがスペイン王等も兼ねていた時代だと南米~メキシコ~フィリピン、イベリア半島にネーデルランド、両シチリアが加わるのでハプスブルクの方が第二次大戦中の占領地を含めた日本よりも圧倒的に広い。

経済的にはハプスブルク領土のが恐らくは繁栄していたでしょう。
実際ハプスブルク時代の民衆生活は同時代の日本より水準が高く、又、二重帝国の経済はドイツ帝国と極めて密接にリンクしていましたので。
 
ついでに、ハプスブルク二重帝国もチェコ人の夜郎自大な民族主義の台頭。
セルビア・ルーマニアやイタリアの拡張主義や国内セルビア人のテロ活動。
ドイツ人・マジャール人・スラブ系人の微妙な人口比率。
指導民たるドイツ人の帝国が隣にもう一つあり求心力に問題があった事。
政情不安なバルカン半島との隣接と、日本に比べて統治領域が恵まれていた環境にあったとは言えないでしょう。

169: パシッチ ◆mWYugocC.c 03/07/02 09:58
二重帝国はハンガリー人とスラヴ系諸民族をどうバランス取るかに苦慮し続けますからねえ。
「今からどっかの国の皇帝になるには」なんてスレがあるけど、
間違ってもあんな国の皇帝にはなりたくない(笑

引用元: ・★もしハプスブルク帝国が崩壊しなかったら★




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