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1: 日本@名無史さん 04/11/27 00:42:59
義民の鑑・佐倉宗吾を語ろう。







佐倉 惣五郎

佐倉 惣五郎(生年不詳 – 承応2年8月3日(1653年9月24日)?)は、江戸時代前期の下総国佐倉藩領の義民として知られる人物。領主堀田氏の重税に苦しむ農民のために将軍への直訴をおこない、処刑されたという義民伝説で知られる。代表的な義民として名高いが、史実として確認できることは少ない。惣五郎の義民伝説は江戸時代後期に形成され、実録本や講釈・浪花節、歌舞伎上演などで広く知られるようになった。





2: 求道心 04/11/27 02:25:09
一つ肥後の清正公、二は二宮金次郎、三は佐倉の惣五郎~
一般的にはマイナーやね。
東北のあちこちに、佐倉惣五郎にあやかって建立した宗吾神社が多いので興味があれば参拝してください。

4: 日本@名無史さん 04/11/27 14:40:38
酒々井に住んでた頃、何度か行ったことあるなぁ~

5: 日本@名無史さん 04/11/27 17:27:25
義士には人気があるのに義民はマイナーって何故?

11: 堀田備中守 04/12/31 03:52:24
一揆が発生したのは事実ですが、あれは千葉氏の残党が起こした蜂起であって、あたかも堀田氏の苛性が原因かのような言い方は甚だ迷惑です。

10: 日本@名無史さん 04/12/31 03:47:29
近年の研究では実在しなかったらしいがどうなのよ?

12: 日本@名無史さん 05/01/04 00:21:09
>>10
詳細

13: 日本@名無史さん 05/01/04 00:42:38
>>12
んーとね、まず芝居や講談になっている内容は虚構らしいのな
直訴とかいう話しがあるけど詳しい状況なんかを調べると登場人物とか場所設定とかありえないらしいのね。

そして事件があったとされる年代近辺の資料には宗吾若しくは宗吾郎っていう人物は出てこないらしいのね。

もちろん時代が下がると宗吾は登場するんだけどそれは伝説からの逆輸入じゃないかとされています。

17: 日本@名無史さん 05/01/10 09:26:59
>>13
児玉幸多『佐倉宗五郎』(吉川弘文館)では名寄帳が実在の根拠になっていたと思うがどうよ?
確認できる生涯

かつては非実在説が唱えられたこともあるが、堀田氏時代の公津村名寄帳によって「惣五郎」という富裕な農民が実在していたことは確認できる。1715年に成立した『総葉概録』(佐倉藩主稲葉正往の命により藩儒磯辺昌言が編纂)には、堀田氏時代に公津村の「総五」が何らかの罪によって処刑されたこと、「総五」が冤罪であると主張して城主を罵りながら死んだこと、堀田氏の改易(1660年)が「総五」の祟りとみなされたこと、このために「惣五宮」という祠が建てられたことが記されている。しかし、惣五郎が一揆や直訴を行ったということを確認できる史料はない。


18: 日本@名無史さん 05/01/10 11:45:47
堀田家が近江堅田に知行地を受け堅田藩が成立した際、土地の有力者に佐倉姓を与えたのは有名な話です。

19: 堀田加賀守正盛 05/01/19 17:05:41
だからそれはデマなんですよ。
確かに藩主・加賀守正盛が江戸城普請の総奉行を命ぜられ、その負担は領民に押しかかり、佐倉藩民は塗炭の苦しみを味わっていたが、代表越訴型一揆の当事者としてデマが流れてる。

26: 日本@名無史さん 2005/05/02(月) 20:55:37
>代表越訴型一揆の当事者としてデマが流れてる。

デマが流れたとする確証はどういった証拠、例えば文献などで判断できるのか教えて下さい。史実としては実際に荷起こった一揆などがどこまで判明しているのか等。

27: 日本@名無史さん 2005/05/02(月) 21:03:16
>>26
デマというかそういった話のウラが取れなかったってことな筈。
つまり首謀者として処刑云々の以前に
その当時一揆や越訴があったという同時代の史料は無かったとオモ。

28: 日本@名無史さん 2005/05/02(月) 21:09:11
あと誤解している人がいるようだが
当時直訴は別に違法なものではなかったという罠。近年の研究によると直訴の内容が不届きとして処罰された事例はあっても直訴行為自体が処罰された事例はないという罠。
直訴する権利は請願権の一種のようなものであり公に認められていた模様。

35: 日本@名無史さん 2005/07/23(土) 02:27:20
>>28
違法かどうかと言うより、当時は人権は無かったのだから領主の大名の意に反する事をすれば、領主の胸一つで死刑になる。
人間の意味が当時と今とでは違う。
とは言う俺も佐倉宗吾の話は、泣ける。
かわいそう。

36: 2005/07/23(土) 17:45:32
「佐倉宗吾伝説」は,芝居の題材になる前に「通夜物語」などのアングラ文書として江戸時代に流布してきた.
それらで語られてゐることが史実かどうかが問題なのではなく,当時の人々の政治意識に照らして,それらが信じるに足るものとして受け止められてきた,といふ事実をどう考へるかでせう.

37: 日本@名無史さん 2005/07/23(土) 19:01:38
どう考えても事実だろう
伝説や読み物は事実の後に作られたものだろう

39: ?♪ 2005/07/31(日) 18:38:07
木内惣五郎について,確実にわかってゐることは,有力農民だったこと(名主だったといふ記録はない)と子供4人とともに刑死したこと,ぐらゐなんですけれどね.
鎌倉時代の地頭の末裔で没落した名家の木内氏と徳川大名の堀田氏の間でなんらかのトラブルがあったと想像することはできるが,農民一揆らしきものが存在したかどうかさへもよくわからないのです.

しかし,伝説の中の佐倉惣五郎と同じ立場に立たされた名主や庄屋は,江戸時代に何百人となくゐたのも,また事実でありませう.
江戸初期の農民争議で史料の明らかなものとしては,館山の万石騒動あたりですね.
じっさい,地蔵堂通夜物語のあらすじも,門訴→駕篭訴→直訴の段階をふんでゐて万石騒動のそれと酷似してゐる.作者はそのへんを参考にしたのではないか.

41: ?♪ 2005/08/08(月) 00:29:04
伝説が史実に基づいてゐるかどうかは,ここではあまり大きな問題ではないのです.
惣五郎なる人物については,あまりよくわかってゐなくても,同じやうな立場の庄屋や名主は大勢ゐたわけで,万石騒動の名主たちの行った闘争も,戦術といひ実行力といひ,実にこれが立派なんですなあ.

万石騒動の場合,合法闘争路線ですから,名主たちは死刑になんかなってません.
老中に直訴したのが不届きだといふので,数名の名主が追放になっただけの軽い処分.一方,大名は改易,家老は切腹,農民の要求はほぼ実現され,農民たちの大勝利に終はった.

73: 日本@名無史さん 2006/09/16(土) 21:19:16
宗吾霊堂の記念館は古臭いけどなかなか素晴らしい。
テープで解説が流れるけど、入場券売り場のベテランおばさんにちょっと頼むと、自ら解説してくれる。抑揚もつけてくれて、涙の甚兵衛渡しのシーンでは思わず涙汲むこと間違いなし。
あの他人に厳しい福沢諭吉でさえ「学問のススメ」で中でほとんど唯一認めているのが、佐倉惣五郎だよ。もっとこういう人物を日本人は語るべきだね。
人民の権義を主張し正理を唱えて政府に迫り、その命を棄てて終わりをよくし、. 世界中に対して恥ずることなかるべき者は、古来ただ一名の佐倉惣五郎あるのみ。

学問のすすめ

74: 日本@名無史さん 2006/09/18(月) 23:16:49
佐倉藩主の孫という人から、佐倉藩主の伝承を聞いたことがある。
「木内惣五郎は佐倉藩の圧制を直訴したのではなく、以前の主家であった没落した千葉氏の再興を直訴したのだ。」
「藩主の堀田氏が講談等で悪者になってしまっているが、そんな悪政を行ってはいない。」そうです。
ちなみにその時、隣の人物から彼は「殿様」と呼ばれていた。

77: 日本@名無史さん 2006/09/19(火) 22:55:19
その人は元佐倉市長の堀田正久氏?
最近亡くなった尾張家の徳川義宣氏の実の兄弟のはず。

80: 日本@名無史さん 2006/09/21(木) 07:31:12
事実が歪曲されてしまった原因は、地元民の藩主に対する不満のはけ口がなくて、夢物語で慰めようとしたんだろう

81: 日本@名無史さん 2006/10/04(水) 20:01:18
宗吾の死後、宗吾の娘は男の子の名前をつけられ、「男児」って事にして処刑されたんだよな?

引用元: ・佐倉宗吾を語る




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