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1: シリアンヌ ◆n4K5UQyXY2 2011/12/18(日) 16:44:28.20 0
漢~五胡時代にかけての総合スレッドです。
質問等、なんでも、お書き下さい。









259: 世界@名無史さん 2013/11/14(木) 00:01:13.96 0
三国志って完全にバッドエンドだよな
天下を取ったのが魏でも呉でも蜀でもなくぽっと出の晋
仕舞には内輪揉めと異民族の蜂起でアボーンという最悪の幕引き

261: 世界@名無史さん 2013/11/14(木) 20:37:27.25 0
武帝の治世は武帝自身の暴虐非道な性格を反映して、乱世である五胡十六国時代の中でも最も非道が罷り通る時代と評されている。中でも次々に大宮殿を造営したり、統治下の漢民族から馬、美女、物資などありとあらゆるものを徴発し続けた結果、漢人の10人に7人が破産し、妻を取られて自殺する者も後を絶たなかったという。
しかし凶暴な性格ではあるが、仏教に対しては寛容であり、仏図澄を国師待遇していた。


マジでリアル北斗だな。どこの世紀末だよ・・
石 虎

石 虎(せき こ)は、五胡十六国時代の後趙の第3代皇帝。

石勒(後趙の初代皇帝・明帝)の従子(甥もしくは1世代下の親族)であり、石勒の没後、石弘から帝位を奪って皇帝になった。石虎は将として有能だったことから石勒に信頼され、後趙の華北周辺の平定に多大な貢献をした。しかし同時にその暴虐さでも知られ、後趙の天王を称した際には非道な法律、重い税金と労働を課し、それを大宮殿を建てたり妾を集めることに費やした。その没後は、子の石祗らと養孫の冉閔が後継争いを繰り広げ、後趙の崩壊を早めた


262: 世界@名無史さん 2013/11/14(木) 21:37:57.78 0
北燕の馮跋も胡族だっていう論文見たぜ

265: 世界@名無史さん 2013/11/16(土) 21:49:48.23 0
胡族というより異民族の生活圏に長く居すぎたせいで文化生活習慣がそこに染まってしまったというのが妥当だろ。

266: 世界@名無史さん 2013/11/16(土) 22:52:59.09 0
孝文帝はガチで五胡族
宇文泰や独孤信は漢化をやめて五胡族の昔に戻した
楊氏は普六茹氏、李氏は大野氏という具合に一旦戻した。

267: 世界@名無史さん 2013/11/17(日) 13:07:56.85 0
>>266
>一旦戻した


これは”戻した”確定なんですか?
適当な胡族の氏族名や部族名拾ってきたんじゃなくて

268: 世界@名無史さん 2013/11/17(日) 16:16:15.47 0
この時代は孝文帝時代の拓跋を元に改姓した時代の反動が起きた時代であり、西晋滅亡後、後趙末期同様の民族間の紛争が激化した時代だから胡姓を賜るとかいう現象が起きる。
専門書とかで「戻した」とか深読みするのはその後宇文泰をはじめとする武川鎮軍閥が支配者としての地位を独占するなど排他的性格の強さが原因にある。

初期の後周は弱小であり、生き残りのための周礼に基づいた賢才主義や八柱国一二大将軍のような軍国主義は北斉や南朝とは相当毛色の違う国であることを基本として考えなければならない。

272: 世界@名無史さん 2013/11/17(日) 20:28:24.46 0
>>268
「戻した」という表現は後の研究者が武川鎮軍閥の身内意識や西魏・北周の挙国体制的なものもしくは彼らが唱えた民族的ルーツの存在を 通して見た結果出てきたのであって実際の系図・血統にまでは踏み込んでというわけではないという感じで良いでしょうか?

269: 世界@名無史さん 2013/11/17(日) 16:24:37.54 0
楊氏や李氏が、チベッタンネームなりモンゴリアンネームを貰うのは嬉しいものなのか?

270: 世界@名無史さん 2013/11/17(日) 16:28:29.54 0
賜るっつーんだから喜んでるフリだけでもしないとヤバくね?

271: 世界@名無史さん 2013/11/17(日) 17:19:00.71 0
時代はタクバァーツ!な感じだったんじゃねぇの
西ローマ崩壊後のガロ・ローマン富貴層がゲルマン名つけたりといった事例もあることだし

284: 世界@名無史さん 2014/01/16(木) 00:33:07.42 0
漢 vs 匈奴
ローマ vs ゲルマン

文明と野蛮の戦い

285: 世界@名無史さん 2014/01/18(土) 20:28:05.56 0
>>284
五胡の場合

住人もほとんどが五胡の野蛮人に入れ替わってるから
どうなんそれ…

287: 世界@名無史さん 2014/01/18(土) 20:57:34.61 0
後漢末の騒乱で人口が10分の1になったというがあれは住民が逃散したり戸籍がなくなったことが大きくいくら乱世でもそこまで激減はしない

289: 世界@名無史さん 2014/01/18(土) 21:04:29.38 0
五胡の胡族が増えたから漢字も訛った
胡族の比率は高そうだな

290: 世界@名無史さん 2014/01/18(土) 21:09:42.63 0
>>289
北京官話は女真族訛りの漢語だしな

293: 世界@名無史さん 2014/01/19(日) 00:48:01.94 0
五胡十六国程度の時代に漢民族が民族浄化されて消えてたら、そもそも偉大な漢民族論自体が成り立たないと思うわ
春秋戦国時代には優れた思想があったねー程度になるだろ

296: 世界@名無史さん 2014/01/19(日) 14:42:22.76 0
漢以外の諸民族は匈奴とか鮮卑とかバラバラだったことも胡のアイデンティティが残らなかった原因だろな
表意文字の漢語は各言語の違いを表しにくくもある

297: 世界@名無史さん 2014/01/27(月) 11:22:39.73 0
>>296
その民族内も部族でバラバラだからな。

298: 世界@名無史さん 2014/02/07(金) 22:04:10.38 0
>>296
華北の住人の10の内6人が匈奴や鮮卑になったらしいな

302: 世界@名無史さん 2014/02/11(火) 20:25:27.67 0
>>298
それは単純に江南に人口が流入したから
相対的にはそれほど変わってないと思われ

300: 世界@名無史さん 2014/02/08(土) 10:09:05.66 0
ほとんどの五胡は漢代から陝西や山西に漢人と居住していたよ。匈奴はオルドスに居住していが
それも漢化して農耕をしていた。この当時の西方、インドからやってきたのは仏図澄が有名だが
石勒、石虎はその呪術要素を尊重したのであって先進文明である仏教を消化したとは言えないな。

301: 世界@名無史さん 2014/02/11(火) 17:34:48.59 0
>>300
石勒、石虎もどっちも屑なのが笑える

303: 世界@名無史さん 2014/02/11(火) 22:27:30.92 0
江南に大量流入するのは、唐末の黄巣の乱の頃みたいだよ。
南方の百家姓各宗族の来歴は、唐末に南へ移住した記述か多い。

304: 世界@名無史さん 2014/02/11(火) 22:53:44.93 0
そういう人らってほとんどが客家なのか、そうでない家もあるのかどっちなんだろう
ちなみに客家語の発音は、中古音にかなり近いから大多数がその時代の移住者と思われる

305: 世界@名無史さん 2014/02/11(火) 23:12:30.68 0
客家は、唐末に山東省や徐州・連雲港あたりにいたと自称しているパターンが結構あるね。

306: 世界@名無史さん 2014/02/13(木) 20:09:15.64 0
平安京などの北けつ型の都城って、やっぱ遊牧民の感性に基づくものなんだろうな
満洲の十王亭の建物の配置も、南を前にして左右翼という感じだし
中華が理想とする都城は、面朝后市型という南に宮殿があるタイプだしね

307: 世界@名無史さん 2014/02/13(木) 21:02:42.55 0
う~ん、遊牧民はあんま関係ない気がするね・・・後漢時代の洛陽がすでに北ベースだし


(前漢・長安) no title

(後漢・洛陽) no title

洛陽の形態がその後の動乱期を経て唐に至っても基本変わらずで、それをコピーしたのが平城・平安京という流れ
面朝后市ってたしかに周礼にはあるけど、実際はそんな確固としたものとは認識されてなかったと思うよ
たぶん、それを真に受けて本気でプラン作りしたのはクビライの大都が初めてだと思う

308: 世界@名無史さん 2014/03/08(土) 03:05:20.87 0
五胡十六国時代の匈奴系の「夏」、赫連勃勃から3代つづいた赫連(カクレン)氏って、ひょっとして単于氏族である虚連題(キョレンテイ)氏の転化だったりする?

309: 世界@名無史さん 2014/03/15(土) 10:33:19.11 O
その可能性は否定しないけど、正史では違う理由が語られているね

310: 世界@名無史さん 2014/03/15(土) 16:34:57.25 0
このくだりかな?
「帝王者,系為天子,是為徽赫,實在天連」之義
この意で中核になるのは「赫」と「天連」だけど、天を抜いて赫連にするのってどうなの?
主旨を表せてないような気がするけど・・・音が先にあってこじつけという気がしないでもない

311: 世界@名無史さん 2014/04/27(日) 11:47:17.94 0
>>309-310
単なるコジツケでそ。領内の漢人勢力へのアピールかな。

315: 世界@名無史さん 2014/04/30(水) 22:48:55.09 0
中国の有名な暗君

幽王-西周最期の君主。寵妃である褒姒を笑わせるために、諸侯の軍を参集させる烽火を乱用。結果、本当に異民族の侵攻があったにも関わらず誰も助けに来なくなると言うイソップ童話を字で行く逸話を残す。

劉禅-蜀漢最後の君主。その幼名「阿斗」が中国ではどうしようもない人物を指す言葉になるほどの人気のなさ。
日本においては「在位40年は歴代皇帝トップクラス」「そもそも蜀は無理ゲー」と言う評価が強く、彼の記事を見ても分かる様にその評価をどうするか考えることは三国志ファンが必ず通る道である。

恵帝-西晋の二代目。あの司馬懿の子孫で司馬炎の息子とは思えないほどの超絶暗君。
マリーアントワネットより千五百年前に「穀物がないのならば肉粥を食べればいいではないか」と言う言葉を吐いたと言う。西晋が短命王朝で終わったことや、異民族時代である五胡十六国時代の遠因となった人物。

蕭宝巻-南朝斉の第6代皇帝。内向的性格で、幼馴染の寵妃のために無茶苦茶な後宮工事を施す。反乱のさなか、衛兵に殺害され首を蝋で固められて反乱勢力の手土産にされると言う屈辱的な最期を迎える。死後、諸侯に落とされ「愚かな東の侯」という意味で東昏侯の号を与えられた。

後主(高緯)-北朝北斉の第5代皇帝。奸臣を近づけ忠臣を退けた典型的な暗君。
次々に国土を失う中にあっても「まだ一生遊ぶには十分な国土がある」と言う奸臣の甘言(?)に納得してしまい、結果自分も含めた一族皆殺しの結果を招く。

後主(陳叔宝)-南朝陳の最期の皇帝。隋軍に宮廷を包囲された際も逃げ隠れするなどの醜態をさらす。
亡国を招いたことやその過程で妃が殺されたにも関わらず、何ら恥じる様子もなく連行先の長安で楊堅に仕えた。
あまりの情けなさに殺されることもなく天寿を全うすることができたと言う。

317: 後周宣帝 2014/05/01(木) 15:13:45.72 0
>>315
後主(高緯)を挙げて朕を挙げんのは片手落ちもいいところだゴルァ

316: 世界@名無史さん 2014/05/01(木) 10:23:38.90 0
万暦帝は?

319: 世界@名無史さん 2014/05/01(木) 20:52:22.28 0
劉禅何気にすごくね?
平時ならまだしも乱世において曲がりなりにも在位40年だぞ
万暦帝などとは訳が違う

320: 世界@名無史さん 2014/05/02(金) 21:22:36.61 0
成漢も西晋に劣らず暗君率高いな
安定したのは李雄の時代だけだし

324: 世界@名無史さん 2014/05/02(金) 23:21:18.17 0
>>320
李雄ひとりでお釣り来るくらい名君だろ
李 雄

李 雄(り ゆう、274年 - 334年)は、五胡十六国成漢の初代皇帝。父は成漢の基礎を築いた李特。

李雄は私情に囚われずに賢人を愛し、その才能に合わせて人材を用いた。氐族の苻成や隗文は一旦降伏しておきながら反乱を起こし、さらに李雄の母に傷をつけたが、再び降伏すると罪を許して厚く遇した。これにより異民族・漢民族問わず人心は安定し、その威は西土を震動させたという。

322: 世界@名無史さん 2014/05/02(金) 23:11:03.60 0
宇宙大将軍を超える称号はないだろう

323: 世界@名無史さん 2014/05/02(金) 23:14:14.73 0
なんていうか厨二病ここにきわまれりって感じだな

326: 世界@名無史さん 2014/05/23(金) 09:11:58.26 0
耶律阿保機はエルアボキ、完顔阿骨打はワンヤンアクダ、愛新覚羅溥儀はアイシンギョロブーイーだけど
赫連勃勃や禿髪烏孤などはなんて読むんだろな。

328: 世界@名無史さん 2014/06/01(日) 20:37:51.13 0
>>326
仮に中古音で再現(※「周法高」式)すると、だいたいこんな感じ
赫連勃勃 xak-laen-buat-buat  ※aeはエとアの中間の音を表記したもの

332: 世界@名無史さん 2014/07/10(木) 23:46:48.87 0
>>326
クリエン・ボボとかトゥバ・ウルクとか適当に読むと遊牧民ぽい
330: 世界@名無史さん 2014/06/20(金) 23:10:22.62 O
赫連勃勃は史料によって佛佛とか書いてあるな 
禿髪氏も偸髪とか禿撥とか表記しているものがあるから、そのあたりを照合すれば面白いかもね

327: 世界@名無史さん 2014/06/01(日) 20:00:12.20 0
石勒曰く、

「朕若逢高皇、當北面而事之、與韓彭競鞭而爭先耳。 脫遇光武、當並驅于中原、未知鹿死誰手。大丈夫行事當礌礌落落、如日月皎然、終不能如曹孟德、司馬仲達父子、欺他孤兒寡婦、狐媚以取天下也。朕當在二劉之間耳、軒轅豈所擬乎」


「高皇に会ったら、(その部下となり)韓信や彭越と先陣を競うだろう。光武に会ったなら、互いに中原の鹿を追い(天下を争い)雌雄を決するだろう。(しかし)大丈夫(立派な男)たる者、磊磊落落(「磊落」の強調)、日月が明るく輝くように物事を行うべきであって、曹孟徳や司馬仲達父子のように、孤児や寡婦を欺き、狐のように媚びて天下を取るような真似は絶対にできない」

331: 世界@名無史さん 2014/06/20(金) 23:24:40.58 0
>>327
なんで劉邦とは対抗しないの?
別格なの?

334: 世界@名無史さん 2014/07/15(火) 23:14:49.92 0
>>331
親分肌が性に合うんだろう
光武はなんか出来すぎでつまらない
そんな奴の作る世に生きるよか自分を試したくなる

335: 世界@名無史さん 2014/07/16(水) 15:01:30.96 0
でも劉邦だと、もれなく謀反の疑い掛けられて殺されそうな。
それを乗り越えても、呂后がおるし。 それは別として喋ったんならスゴいもんだよな<熟蕃

340: 世界@名無史さん 2014/09/01(月) 10:53:03.11 0
質問です
五胡十六国時代の中国に庶民として生まれるなら、どの国のどの時期が一番暮らしやすいですか。

343: 世界@名無史さん 2014/09/01(月) 20:13:04.36 0
どこも嫌だ

344: 世界@名無史さん 2014/09/01(月) 20:26:03.34 0
鳩摩羅什のパトロンになった後秦がいいかな・・・

345: 世界@名無史さん 2014/09/01(月) 20:37:14.28 0
>>344
劉裕「いただきまーす
赫連勃勃「いただきまーす

347: 世界@名無史さん 2014/09/01(月) 20:42:20.99 0
東晋か梁だな
それ以外だと北魏の全盛期は割とマシかも知れない

357: 世界@名無史さん 2014/09/12(金) 21:03:12.62 0
>>347
梁はもう今のアメリカのように拝金主義が横行する最悪の社会だよ。
南斉のころから貨幣不足による経済の混乱は悪化する一方で陽夏謝氏のような名門でも貧困層になるなど地主貴族層も没落し、皇族と結びついた目端の利く特権商人が幅を利かす歪みに歪んだ社会で侯景の乱がなくても梁は破滅していただろう。

350: 世界@名無史さん 2014/09/01(月) 21:47:21.36 0
北魏を入れて良いなら北魏一択
そこそこ安定してたから戦乱に巻き込まれる恐れは少ないだろう

351: 世界@名無史さん 2014/09/04(木) 22:26:22.92 O
ヒ水戦までなら前秦は治安も良かったらしいから良いのでは?
ヒ水後は食糧難で長安とか地獄のようだったらしいがね

352: 世界@名無史さん 2014/09/05(金) 21:47:13.08 0
>>351
アドバイスありがとうございました。
まずは華北統一直後の前秦に行って、その後の身の振り方を考えることにします。

355: 世界@名無史さん 2014/09/06(土) 09:01:51.90 O
>>352
行くんかい!
ヒ水後にどの国行くかで運命が激変しそうだな
姚興時代の後秦あたりは良さそうだけど、あとはどこ行っても他国に連れ去られることになりそう

361: 世界@名無史さん 2014/10/22(水) 20:36:00.96 0
この時代、最悪な暴君・暗君といえば誰だろう?

南北どちらでもOKだよ。

362: 文宣帝高洋 2014/10/22(水) 22:41:12.84 0
朕に1票
根拠は最狂伝説の数
文宣帝(ぶんせんてい)は、北朝北斉の初代皇帝。王朝の創始者だけに有能といえば有能であったが、執念深さと残忍さ、そして死因ともなった酒乱が欠点であり、その勢いで臣下を含めてたくさんの人々が殺害された。有能さと暴君的要素を併せ持った二重面の魔性の人物といえるだろう。

364: 世界@名無史さん 2014/10/26(日) 16:10:25.46 0
劉宋 後廃帝とかどうでしょう。

>>362
暴君だけど暗君じゃなくないですか?
後廃帝

後廃帝(こうはいてい)は、南朝宋の第7代皇帝(在位:472年 - 477年)。姓は劉、諱は昱(いく)。帝位から引きずり落とされて殺害された皇帝、つまり「廃帝」であるが、南朝宋では第5代皇帝の劉子業もそうした運命をたどっているため、劉子業を「前廃帝」、劉昱を「後廃帝」と呼んで区別する。

劉昱は残虐な性格であり、幼い頃から自分の命令に従わないものは殴打するという調子だった。皇帝に即位した後も、殺人を好み、毎日のように街に出ては自ら凶器を持ち歩いて手当たり次第に人を殺し、殺人をしなかった日は悶々としていたという。ある時、ニンニクばかりを食べている将軍の腹はニンニク臭いのかを調べるために将軍の腹を割いたり、たまたま通りかかった妊婦の腹が気になり切り裂こうとしたり(これは医師の徐文伯という人物が針治療により早産に成功し、未遂に終わった)と子供ながらにして残虐を極めた人物であった。しまいには蕭道成の腹を矢の的にしようとした。

以上の逸話から、後廃帝劉昱は中国史上屈指の暴君とされているが、これらは蕭道成による奪権を正当化するために暴虐ぶりが誇張されている可能性はある。

365: 世界@名無史さん 2014/10/26(日) 16:51:39.09 0
しかし高洋は傍にいつも処刑道具や処刑用の囚人とか置いてるんだから暗君でないけど異常だよな

369: 世界@名無史さん 2014/10/29(水) 22:59:26.76 O
高洋って殺害用に罪人をキープしておいて、何ヶ月か殺されずに済んだら釈放してたんだっけ?

366: 世界@名無史さん 2014/10/26(日) 17:32:40.26 0
最初は良かったけど、皇帝になってからおかしくなったとか<繊細な彼の心をむしばんだか
宮崎市定解釈では「変態社会の産物である」とか書いてある<大唐帝国、当該部

367: 世界@名無史さん 2014/10/26(日) 17:39:09.24 0
一年、二年で殺されたりすると評価対象外だよね。
前廃帝とか東昏侯とか劉義符とか劉劭とか侯景とか。

斉・宗の明帝は身内殺してるだけで統治者としては変じゃないし。高洋とか石虎も同様。
暴君・暗君の両要素持ってて一定期間続くのは難しい。
後廃帝押したけど、それでも短いからなぁ。

380: 世界@名無史さん 2015/05/29(金) 21:59:19.65 0
西晋の話
石崇は客を招いて宴会するたびに、いつも美女に酒をすすめさせた。
酒を飲み干さない客があると、宦者に命じて次々と美女を斬り殺させた。

武帝司馬炎が王済の家を訪れた時、王済は全て瑠璃の器を用いて食事を出した。
また、百人を超える侍女全てがあや絹や薄絹の衣装を身につけていた。
更に蒸した豚はよく肥えておいしく、普通の味と違っていた。
武帝が不思議に思って尋ねると、「人間の乳を豚に飲ませて育てたものです」
と答えた。武帝はひどく不愉快に思って、食事も終わらぬうちに立ち去った。
※人の母乳で、豚肉を蒸したという話もあります。
以下略

381: 世界@名無史さん 2015/05/29(金) 22:18:51.89 0
与太話だろ
石崇は西晋の安定期の人間
そんなに人殺ししてたらすぐに失脚するわ

で、司馬炎が王済の私邸を訪れるってのもウソだよなあ

383: 世界@名無史さん 2015/05/31(日) 14:37:36.84 O
一般人捕まえて食っちゃうのは唐末のことじゃないか?

秦宗権とかいうキチが巨大な臼に人を投げ込んでミンチにして食糧にあててたって話だった気がする

385: 世界@名無史さん 2015/05/31(日) 20:45:17.88 0
>>383
秦宗権でググって出たサイトでは、それは黄巣の乱での黄巣の事例として紹介されているな

386: 世界@名無史さん 2015/06/01(月) 19:36:50.18 0
人肉食なら20世紀に中国でも事例があるよ

387: 世界@名無史さん 2015/06/01(月) 20:39:14.57 0
そんなこと言ったら20世紀の日本でも事例があるだろww

389: 世界@名無史さん 2015/06/01(月) 22:40:58.83 O
石虎だの赫連勃勃だのも凄いけど、南朝の皇帝たちも異常としか思えんな

392: 世界@名無史さん 2015/06/01(月) 23:22:23.84 0
石虎はバランバー、赫連勃勃はウルディンとほぼ同時代人なんだな

391: 世界@名無史さん 2015/06/01(月) 22:46:03.67 0
苻堅が名君扱いされているけど、あいつこそ破綻者だと思うけどな

姉弟丼ぶりとか、はい

393: 世界@名無史さん 2015/06/02(火) 01:00:17.31 0
苻堅の負けっぷりを見ると、曹操や劉備の敗戦処理の上手さが引き立つ

400: 世界@名無史さん 2015/06/03(水) 23:50:56.30 0
こないだ亡くなった陳舜臣氏が苻堅のなんか書いてなかったっけ。

401: 世界@名無史さん 2015/06/04(木) 01:47:55.90 0
小前亮が苻堅の話を書いてたような

404: 世界@名無史さん 2015/06/05(金) 02:24:56.64 0
曹操も劉備も孫氏三代もおらず
袁術や劉璋や劉表だけ出てくる三国志みたいな感じ>五胡十六国時代
しかも董卓がいっぱいいる

405: 世界@名無史さん 2015/06/05(金) 06:54:55.14 0
董卓っぽく専権振るったやつはあんまり思い付かないなー

王猛は諸葛亮っぽいし
慕容恪は周瑜っぽいし
桓温は曹操っぽい

409: 世界@名無史さん 2015/06/05(金) 13:20:24.56 0
>>405
家臣じゃなく、君主として董卓みたいな奴が多いって意味で書いた
三国志が人気あるのは血生臭い奴が最初に退場してそれっきりってこともある気がするわ

406: 世界@名無史さん 2015/06/05(金) 07:42:49.28 0
あんなデブはなかなかいないw

409: 世界@名無史さん 2015/06/05(金) 13:20:24.56 0
>>406
つ司馬保
保體質豐偉,嘗自稱重八百斤。

引用元: ・漢・三国・晋・五胡十六国史総合スレ




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