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1: 中華@名無史さん 02/06/09 02:03
西漢を混乱に陥れた”王莽”
”光武帝・劉秀”を始め、その配下の二十四将の活躍
更始帝を頂点とする”緑林軍”
時代の一陣を駆け抜けた”赤眉軍”
”王郎”・”公孫述”等の群雄達

この時代も色々有った。
興味の有る方達、どうぞ語って下さい。








262: 怨霊 ◆NRtIkON8C2 03/07/23 22:50
懲りもせず文帝のヤバイ話とか書いてみる?
小ネタだけど。

263: 永遠の青 ◆V9k1yZSe4M 03/07/23 22:55
>>262
どうぞ。
って言うか、文帝・景帝の二帝も相当キナ臭い人物じゃないですか。

264: 怨霊 ◆NRtIkON8C2 03/07/23 23:06
>>263
まあ、キナ臭いヤツらでもなけりゃあれほどの大帝国作れませんよ多分。

文帝のは大した話じゃないッス。
代王時代に王后(正妻)が居て、男子4人産んでいるのに、即位前後にその正妻も男子も続々と死んだという・・・。
(これが王莽だったら、「出世のために妻や子を殺したんだ」とか言われているでしょうにね)

さて代王后と王子たちがどうして死んだか?
あくまでも推測(妄想)ですが、その后はきっと呂氏。
(なお史記・漢書等ではその后の姓は不明です)
実際、趙王などの例を見ると呂后時代に諸侯王の元には呂氏関係の后や丞相などが送り込まれていたようですから。
そして、クーデター後に代王が即位する裏条件が
「呂氏に連なる者を全て消せ」
だったのではないかと。
呂氏を滅ぼしたクーデター派の功臣たちは呂氏の復讐を恐れたのです。

後の文帝はこの条件を飲み、正妻&子供達を排除・・・。

というお話。

269: 永遠の青 ◆V9k1yZSe4M 03/07/24 00:30
>>264
呂氏は族滅されてますからね。
呂后の妹の子である樊伉(樊噲の嫡子)も、呂氏の血が入ってるという理由で殺されてますし。それを考えれば、あまりキナ臭い話でもないですね。
(審食其が罷免だけで済んだのは、かなり不可解ですが)

むしろ、代から連れて来た腹心の宋昌(楚の上将軍宋義の孫)を臨時に将軍に任命して、南軍と北軍の軍権を掌握させ、張武をその場で郎中令に任命して、宮中を押さえさせた行動の方に、キナ臭さを感じます。
その後、代から連れて来た腹心6人(たぶん、宋昌と張武も含まれています)を九卿に任命したのも、皇族や元勲を抑えて、独裁権を握ろうとした一種のクーデターのような気がするのです。特に宋昌と張武は重用され、宋昌は壯武侯に封じられ(景帝の代に剥奪されて関内侯に落とされていますが)、張武はたびたび将軍として出征しています。

270: 怨霊 ◆NRtIkON8C2 03/07/24 00:47
>>269
文帝に密談を要求する周勃に対して宋昌は
「密談しないよ。堂々とみんなの前で言いなさい」
って言ってますよね。
多分本当は功臣達主導で打ち合わせみたいなのをするつもりだったんでしょう。
功臣の人事や論功行賞など。
でも堂々と言えない事だから功臣は当てが外れた。

あと審食其は、これも推測ですが呂后死後は不遇のようでして、呂氏を倒す時には功臣側に積極的に協力したのではないでしょうか。だから呂氏側とは見なされなかったのではないかと。

それに、彼も沛人で周勃らとは旧知のハズですし。

271: 永遠の青 ◆V9k1yZSe4M 03/07/24 01:09
>>270
>あと審食其は、これも推測ですが呂后死後は不遇のようでして、
>呂氏を倒す時には功臣側に積極的に協力したのではないでしょうか。
>だから呂氏側とは見なされなかったのではないかと。 

審食其は呂后が死ぬと同時に、左丞相を罷免されて、太傅に棚上げされてます。
呂后に追い落とされた王陵と同じパターンです。
文帝が即位すると、その太傅の地位も剥奪されてますが、「命と辟陽侯の爵位は保障する」という何らかの密約があったんでしょうね。

>それに、彼も沛人で周勃らとは旧知のハズですし。

審食其は「功臣が生きてると物騒だから、皆殺しにしてしまえ」と、呂后に吹き込んだ男なんですけどね。旧知の情は、審食其と沛人の元勲の間には、もはや存在していなかったように思われます。

277: 世界@名無史さん 03/08/20 16:55
結局、漢代の名君は武帝ですか?

279: 怨霊 ◆NRtIkON8C2 03/08/20 19:36
>>277
宣帝の方が名君には相応しいと思うなぁ・・・。

そんなことより諱の残っていない少帝(恵帝の子)がかわいそうです。

280: 世界@名無史さん 03/08/20 19:57
実は景帝の方が上かもしれないよ

281: 世界@名無史さん 03/08/21 00:52
というか、武帝を名君と呼ぶヤツが珍しいだろ。

282: 世界@名無史さん 03/08/21 09:19
前漢だと文帝、景帝、宣帝、後漢だと光武帝ってとこですか<名君

ルイ14世を名君と呼ぶのであれば、武帝も名君っぽいけど国庫を浪費して国力を低下する遠因を作ったからなあ。

286: 怨霊 ◆NRtIkON8C2 03/08/23 19:03
能力という点では哀帝も優れていたと思うが、名君じゃないのは間違いないね。
景帝は呉太子を殴り殺す豪胆さと腕力に萌えましょう。

289: 怨霊 ◆NRtIkON8C2 03/09/04 22:24
宣帝は宋代あたりの関中方面の餅屋で祀られていたそうですよ。
餅屋の神様として。

290: 世界@名無史さん 03/09/07 01:03
>餅屋の神様として

餅好きだったから?

291: 怨霊 ◆NRtIkON8C2 03/09/07 01:11
>>290
コイツが来ると餅屋がもうかるというジンクスがあったから。

338: 怨霊 ◆NRtIkON8C2 03/11/29 22:55
後漢、三国では同姓同名たくさんいるよね。
霊帝の時の宦官曹節と献帝曹皇后とか。

339: 世界@名無史さん 03/12/05 12:00
>>338
王郎も、そうかな?

340: 世界@名無史さん 03/12/06 18:06
>>339
多分、これのことでしょ?

王郎
邯鄲の群雄・王郎(王昌)

三国時代の王郎景興(文官としては有能だが、孫策に江東から追い払われ、演義では魏陣にて諸葛亮と舌戦を繰り広げて負ける)

他にも三国時代にはいるんですよ。

賈逵
明帝・章帝の頃の儒学者・賈逵景伯

三国時代の魏の文官・賈逵梁道、曹操の葬儀委員長

王平
明帝頃の偽預言書作成者(楚王英伝)

三国時代、魏将から蜀将となった、王平子均 


今見つけた同姓同名の人物・・・別人だと思う(もし同一人物なら、それだけで小説のネタになる)

李育
王郎の大司馬(本紀一上)
公孫述の将(隗囂伝)(公孫述伝)

341: 世界@名無史さん 03/12/06 18:09
三国時代の有名な宰相・「王ろう」は「王朗」。

342: 怨霊 ◆NRtIkON8C2 03/12/06 21:16
もうひとり王平
斉人、前漢昭帝の時の廷尉
字子心

343: 世界@名無史さん 03/12/06 22:17
160年頃、悪名高い、下ヒの宦官徐コウの親族で地方長官として横暴を働き罰せられた名を、同じ徐州
で、広陵の徐宣・瑯邪の徐盛の親がつけている。
344: 煽り君 03/12/06 22:17
>>343
出典は何ですか? 『後漢書』(岩波)の列伝には名前が無いので。
ひょっとして、『三国史(正史)』? 

345: 世界@名無史さん 03/12/11 21:59
>>344
後漢書の宦者列伝(単超)の所です。

346: 煽り君 03/12/11 23:13
>>345
ありがとうございます。
小黄門の徐[王黄]ですね。跋扈将軍こと梁冀伝にも徐[王黄]の名はありました。

後漢書の宦官列伝なら、600円でダウンロードできますが、漢文が読めるのでしたら、岩波の高い『後漢書』買っていないので、チェックはパスさせて頂きます。すみません。

540: 世界@名無史さん 2005/04/21(木) 18:20:00 0
光武帝はすごいよな 後漢書以外で光武帝の事跡を詳細に記している書物はないものだろうか

541: 世界@名無史さん 2005/04/21(木) 18:37:13 0
資治通鑑

575: 世界@名無史さん 2005/09/08(木) 23:19:08 0
光武って度量あるよなあ

576: 世界@名無史さん 2005/09/09(金) 21:12:31 0
劉邦の漢と劉秀の漢って基本的に継続性無いじゃん。
たまたま新の後継王朝を建てたのが劉邦の子孫だったというだけで。
晋や宋とは違う。

578: 世界@名無史さん 2005/09/10(土) 01:37:27 0
>>576
たまたまと言うけど、劉邦の子孫だったからこそ旗頭となりえた。
緑林も赤眉も劉氏を旗頭にしたし、王朗もご落胤と称している。
この時代ではどっかの馬の骨は無理だっただろうよ

581: 世界@名無史さん 2005/10/06(木) 15:10:07 0
光武帝の廟号も世祖なわけだし一応連続性があるって主張はしてるけどな

601: 世界@名無史さん 2005/12/10(土) 10:46:13 0
>>1
そういえばその頃を題材にした小説や漫画ってすくないよな…
一番好きな時代なのに…orz

605: 世界@名無史さん 2005/12/23(金) 12:57:15 0
>>601
塚本青史の小説「王莽」とかあるね。既出だったかな? 
606: 世界@名無史さん 2005/12/23(金) 13:07:09 0
”靑”史、な。

評価は別にしても、『光武帝』も書いてる。


624: 世界@名無史さん 2006/03/16(木) 14:01:23 0
人は足ることを知らず…
も、劉秀が老子をアレンジしたんでしょ? 以前にそういう話を聞いたことがある。ヤフーの掲示板で。

625: 世界@名無史さん 2006/03/16(木) 17:59:17 0
>>624
三国志で曹操が言った、隴を得て蜀を望むの諺のことか?

626: 世界@名無史さん 2006/03/16(木) 20:56:18 0
曹操は劉秀を凄く尊敬していたからね。

627: 世界@名無史さん 2006/03/16(木) 22:48:13 0
論拠がないから、詳しく突っ込まれると弱いのだけど…
「望蜀」ではなくて、「人は足ることを…云々」 の部分。
「望蜀」は、その老子を引用して、愚痴りつつも蜀を取ろうとした劉秀のひととなりというか、葛藤というか、そういった人間くささが見て取れると、勝手に思ってます。

629: 煽り君 2006/03/18(土) 01:47:50 0
>>627
岑彭伝ですね。光武帝が岑彭に指図した手紙に「(隗囂の居る西城・公孫述の将李育の守る上?の)両城が降れば、兵を率いて、南の虜(公孫述)を撃て。人は満足することを知らないから苦しむ。既に隴を平らげ、また蜀を望む。兵を進軍させる度に、頭髪はそのために白くなる」とあって、光武帝が岑彭に、心情を吐露しています。すごく人間味溢れている。私は特に白髪の部分にそれを感じます。時に劉秀38歳、この歳にしては白髪が気になる状況だったんでしょうね。何で白髪が増えたんだ、きっと軍を進めることに悩んでいたからだとか、思っていたのでしょう。で、手紙にもそれを書いたと。
 
只、私は光武帝は闇雲に蜀を欲しがっていたわけではなく、蜀は西漢時代も漢の一部であったし、公孫述は皇帝を僭称している以上、中国を統べる唯一の皇帝の立場としては、公孫述を倒さなければならないわけで、その自分を考えて、足ることを知らないなと自嘲的に言っていると思います。それを部下への指図の中で、吐露気味に書く辺りが、光武帝の光武帝らしいところ。

630: 世界@名無史さん 2006/03/18(土) 10:29:22 0
>>629 
そうですね。 
で、その後の岑彭の戦いぶりがまた感動というか、かっこいいんですよね。
公孫述「神業としか思えん!」というやつ。

631: 煽り君 2006/03/18(土) 18:13:36 0
>>630
誤解されそうな端折り方なので、もう少し補足しましょうよ。
建武八年、岑彭は天水を破り、呉漢と共に隗囂のいる西城を囲み、耿[合廾]・蓋延は公孫述の将李育のいる上[圭β]を囲み、光武帝は東に戻る。ここで光武帝は「望蜀」の手紙を岑彭に送った。ところが、隗囂の将の行巡・周宗は蜀の兵を率いて現れ、隗囂は西城を脱出。一方、光武帝軍の糧食が尽きたため、岑彭・呉漢は兵を退き、耿[合廾]・蓋延も撤退する。隗囂はその退く兵を追撃するが、岑彭は殿(しんがり)としてこれを防ぐ。
 
建武九年、公孫述は長江(江水)を降って、荊州の夷陵・夷道を落とし、岑彭は、この公孫述軍に対応するが、撃退できず。
 
建武十一年春、岑彭は呉漢らと、荊州の兵士・船頭を集めて、反攻に出る。呉漢は、船頭には糧食が掛かるから止めようとするが、岑彭は必要欠くべからずと、光武帝に上書し、光武帝は「大司馬(呉漢)は歩兵騎兵には巧みだが、水兵に通暁しているわけではない。征南(大将軍岑彭)公を一番に重視しよう」と岑彭に任せる。
この時の戦いで、公孫述に「これ何ぞ神なるや」と言わせる。

638: 世界@名無史さん 2006/03/25(土) 09:00:21 0
劉秀と愉快な仲間たちの活躍ぶりを一般人が楽しめる史書ってない?
牛に乗って登場とか大樹将軍とかいろんな伝説が紹介されてるのがいいんだけど

639: 世界@名無史さん 2006/03/25(土) 19:04:54 0

>>638 
そういうエピはなかったと思うけど、「十八史略」見てて、普通に笑ったところがあったのを覚えてる。
ほかの時代では、「かっこいいな~」とか「ほぉお」なのに、そこだけはなぜか微笑んでしまうという…

652: 世界@名無史さん 2006/05/18(木) 22:44:55 0
しかし、この時代の本ってぜんぜん発売されないな。
最近では水滸伝も結構色々本でてるのに。
いまだに小説で印象に残ってるのって陳小説18史略ぐらいしかない
ちくま文庫あたりでだしてほしいな。

656: 世界@名無史さん 2006/06/10(土) 20:30:53 0
個人的に塚本さんの本は霍去病や白起よんだんだけど、小説としては続きが見たいというきにならないんだよね。
文庫になったら読んでみようとおもうんだけど。
でも王莽なんか結構本でてるのに、なんでだろ。
徳川二十八神将とかも元は劉秀からきてるのに、もう少し本でてもいいと思うのになぁ。

658: 世界@名無史さん 2006/06/19(月) 21:54:59 0
光武帝の敵はザコばっか。
故に小説にしても面白くない。
また光武帝自身は公務員タイプだし
あんまり面白みがない。

659: 世界@名無史さん 2006/06/20(火) 00:00:07 0
>>658
たしかにライバルがぱっとしないが(というか、光武帝が強すぎたのだが)
光武帝自身はテラ面白い。
隣の幼女に萌えていたり、突如牛に乗って表れたり、「元気なジジイだな」等名言も多い。

660: 世界@名無史さん 2006/06/20(火) 00:15:22 0
光武帝は強くないぞ。
優秀な参謀いないし。
武力で突出した武将もいない。
才能的には劉備とどっこいどっこいじゃないか?

663: 世界@名無史さん 2006/06/20(火) 05:10:45 0
>>660
光武帝は個人としての武芸の腕前は知らないけど、戦術指揮官として前線で突っ込んでいくタイプだぞ。戦功でのし上がって皇帝になったような人物。
確かに敵がショボかったってのはあるかもしれない。

ちなみに光武帝の参謀は
戦略:鄧禹
戦術:馮異
あたりかな?

681: 世界@名無史さん 2006/06/24(土) 11:37:24 0
全勢力と外交云々ではなく、力づくで叩きのめした素敵な光武帝に乾杯

714: 世界@名無史さん 2006/07/25(火) 00:47:51 0
『唐説』という凄い話もあるようです。こっちも劉秀が二十八将を殺してしまって、転生後、二十八将が恨みを晴らさんとするもの。
にしても、光武帝が転生して、太宗とはね。
http://www.sun-inet.or.jp/~satoshin/kakadan/kakacont/tensei.htm

716: 世界@名無史さん 2006/07/25(火) 02:33:22 0
光武帝は天下を争ったメンツがしょぼかったから人気がないだけ。
劉邦・劉備程強烈な個性も無いし、配下にも飛び抜けた人物はいないし。

二十八将を殺したってのは全くのでっち上げだし、どこからそんな話が生まれたのかも分からん・・・

717: 世界@名無史さん 2006/07/25(火) 03:51:56 0
>>716
逆に考えたほうがいいでそ。あまりに光武帝が突出していたんで、他の面子がしょぼく見えた。

723: 世界@名無史さん 2006/07/25(火) 12:41:23 0
>>717
唐の太宗主従は似たようなこと言っているね。
光武の配下が張良韓信に劣っているのではなく、光武があまりにも偉大なので配下が見劣りしてしまうのだと。

721: 世界@名無史さん 2006/07/25(火) 11:38:52 0
劉秀が勝った相手ってほとんど寄せ集めの軍隊ばっかだし。
新軍だって戦争はほとんど経験してないからな。
黄巾の乱でも分かるように農民反乱軍なんか寡兵で撃ち破るのは大して難しくもない。
まあ、弱くもないと思うけど、大して強いと思われる要素がない。
劉備・劉邦も戦は大して得意ではなかったが、相手が強敵ぞろいだったのが大きなインパクトになってる。

722: 世界@名無史さん 2006/07/25(火) 12:24:33 0
むむぅ。 いささか強弁という気がしないでもないが…
そういう見方もあるのね。

だけど、後世の例で言うと、唐末に発生した黄巣の乱を寡兵でさんざん打ち破った鴉軍が、大したことはないとは思えないし、その黄巣軍にてこずった朱全忠はどうなんだ、といわざるを得ない。
農民反乱も一概に弱いとも言えないと思うけどなぁ…

724: 世界@名無史さん 2006/07/25(火) 12:44:12 0
王蒙が簡単に光武帝に負けてしまったので、後世の人間は弱いように感じるが、じつはすごい強力だったのだ。
蒙が簡単に負けたから蒙は弱いと結論づけるのは間違いで、強力な蒙を簡単に打ち破った光武が凄いと結論づけるのが正しい。
と後世の人間がいっている

725: 世界@名無史さん 2006/07/25(火) 13:05:42 0
まぁ、魅力的なライバルがいないのが致命傷

726: 世界@名無史さん 2006/07/25(火) 13:08:18 0
王蒙も稀代の大悪党っていうより小狡さしか目立たないヤツだしな

727: 世界@名無史さん 2006/07/25(火) 15:23:04 0
ライバルはいなくても逸話がこれほど残る人達も結構めずらしくね?

729: 世界@名無史さん 2006/07/25(火) 16:11:31 0
その逸話を全て無視すると塚本氏の光武帝のできあがり・・・

732: 世界@名無史さん 2006/07/25(火) 16:45:58 0
王莽の書物が多いのに劉秀の書物の少なさがいまいち納得できない

733: 世界@名無史さん 2006/07/25(火) 16:48:48 0
王莽のほうが研究しがいのある素材だからじゃないか

735: 世界@名無史さん 2006/07/25(火) 17:33:08 0
王莽を滅ぼしたのは更始帝軍な訳だが・・・
まあ、昆陽の戦は天下分け目になったけどね。

740: 世界@名無史さん 2006/07/25(火) 19:31:42 0
王莽の最期が漢書であれだけ詳細に伝えられているのは最後まで側に史官がいて、その言動を一々記録していたからだろうか。

「斜めに階段を降り」とか有名な「天、徳を予に生せり。漢兵それ予を如何せん」とか
よくぞ後世に残ったものだと思う。臨場感がある。

742: 世界@名無史さん 2006/07/25(火) 20:56:48 0
>>740
考えたらそれすごいよな。史官あたりは書物をもってすぐに降参しそうなイメージがあるんだが。
やっぱ王莽の台詞は周を意識した発言だったのかな。あまりにも綺麗だ

741: 世界@名無史さん 2006/07/25(火) 20:03:16 0
>>「斜めに階段を降り」

実はこのあたりの史書は読んだことがないのだけど、そういえば「新五代史」(欧陽脩)のにも、儒者の服装や様子などが、場違いに説明されている箇所があったりしてワロス
中国の史官連中が物語りしているようなイメージだ。

742: 世界@名無史さん 2006/07/25(火) 20:56:48 0
>>741
何か思いついたのように書いてるよなは確かにある。

743: 世界@名無史さん 2006/07/25(火) 21:44:12 0
まあ、欧陽脩のはなにしろ『嗚呼史』だから。

748: 世界@名無史さん 2006/08/04(金) 21:45:03 0
光武帝が董宣を杖で殴り殺そうとした話があるけど、廷杖は光武帝が元祖?それともっと古くから有ったの?
いや、廷杖は明だけかと思ってたから意外で。

749: 世界@名無史さん 2006/08/05(土) 21:11:47 0
>>748
ふむ。それでは小生の手許にある『漢書』筑摩文庫の刑法志第三に書いてあることを転記しよう。
 
聖人は天の秩序によって五礼を制定し、天の討伐によって五刑を作った。大刑は軍兵を用いる誅伐であり、その次は斧鉞を用いる斬刑であり、中刑は刀鋸を用いる割刑であり脚斬刑であり、その次は錐鑿を用いる膝頭割刑であり刺青刑であり、薄刑は鞭や杖を用いる笞刑である。大刑には屍を野原に連ね、小刑には市場や朝廷に晒し、その由来する所は久しい。
 
つまり、漢以前に笞刑は有ったということです。

750: 世界@名無史さん 2006/08/05(土) 21:14:33 0
中国人が如何に光武帝を思っているかの一例。今、東京江戸博物館で「驚異の地下帝国
始皇帝と彩色兵馬俑展~司馬遷『史記』の世界~」というのをやっているので、一通
り見て、お土産コーナーで買ったトランプ。
 
スペードのエースが劉秀、おおおお。
ジャックがフビライ
クイーンが李世民
キングが趙匡胤

中国人ちゃんと分ってるよすげえと、思ったがその後が引けた。

ハートのエースは司馬炎(えっ?)
ジャックが朱棣
クイーンが則天武后
キングがチンギス・ハーン

まあ、そんなもんだろ。
 
クローバーのエースは煬帝(えっ?)
ジャックが康熙帝
クイーンが玄宗
キングが朱元璋
ダイヤのエースは李淵
ジャックが乾隆帝
クイーンが徽宗
キングがヌルハチ

ちなみに2枚のジョーカーは始皇帝に劉邦。

結局、秦1枚、漢2枚、普3枚、宋13枚、隋1枚、唐4枚、元6枚、明10枚、清12枚。
中国歴代有成就的皇帝名録ってカードが付いていたが、煬帝に徽宗や溥儀も入れるって、どうよって気もする。

一緒に買った『三国志演義』トランプには更に愕然としたが、スレが違うのでパスしよう。 

754: 世界@名無史さん 2006/08/05(土) 22:20:56 0
>>750
一箇所訂正、明12枚

757: 世界@名無史さん 2006/08/06(日) 21:03:37 0
>>754
それどこが作ってるの?w
絵柄が格好良かったら欲しいかも。

751: 世界@名無史さん 2006/08/05(土) 21:18:14 0
三国志の話も聞きたいなあ。
ちなみにそれぞれいくら?

754: 世界@名無史さん 2006/08/05(土) 22:20:56 0
>>751
トランプは一律税込み630円です。歴代皇帝のトランプは新旧あって、2つ買ったら殆ど同じだった orz。
 
ご期待に応えて『三国志演義』トランプです。

ジョーカーは諸葛亮に司馬懿、ふむ。
スペード:蜀、エースは劉備。なぜかクイーンが貂蝉。
ハート:魏、エースは曹操。孟達入れるか渋いなと思えば、廖化入れるかおいおい、クイーンは糜夫人か絶句! キングは張飛・・・。
クローバー:呉、エースは孫権、劉璋居るよおいおい、クイーンが孫夫人か渋いな。
ダイヤ:その他、エースは董卓、袁紹、王允、張松って、張遼とは渋いな、夏侯淵って違うよ、呂布、公孫瓉、于禁って違うよ、姜維って違う! 鄧艾ってなあ、クイーンが呉国太ってなあ、キングは曹仁・・・死んだ。
 
ということで愕然としました。

他にも2つトランプがあって兵馬俑のトランプに中国歴代名大臣トランプ。値段は同じ。ちなみに中国歴代名大臣トランプ、三国志を含めない東漢では、班超のみエントリー。

753: 世界@名無史さん 2006/08/05(土) 21:55:26 0
7・8年前に買ったトランプでは劉秀はハートの3だったんだが、出世したな

755: 世界@名無史さん 2006/08/06(日) 07:26:21 0
征夷大将軍の通称「大樹公」は馮異のエピソードが元なんだと最近知りました。
この時代のことを人に勧めたいのですが初心者むけの本ありますか?。
やっぱり陳舜臣の小説でしょうか。

756: 世界@名無史さん 2006/08/06(日) 11:46:31 0
>やっぱり陳舜臣の小説でしょうか。
まあ、そうだろうね。講談社文庫の小説十八史略だろうね。

他に塚本青史という人の光武帝という歴史小説がある。
読んだことが無いので内容は不明だが、過去に後漢関係のサイトで逝ってよし的な評価をされていたんだよなあ。

764: 世界@名無史さん 2006/08/10(木) 21:04:25 0
陳の本なら続・中国任侠伝もオススメ。
初心者むけなら集英社の人物中国の歴史5も良いけど両方とも絶版だっけか?。
611: 世界@名無史さん 2006/01/14(土) 21:53:48 0
素朴な質問です。 
王莽って正史に認められたちゃんとした皇帝なんですか? 
一代限りだけど10年以上続いているし、禅定うけてるし。 
でも新史ないよな。 

613: 煽り君 2006/01/15(日) 22:34:17 0
>>611 
小生は、こう思っています。 
まず後に出来た王朝の時代に、前世代の歴史を編纂して、それが公に認められれば、著名な史書となります。後漢の場合は、建前として漢は復興されたことになるため、新・王莽は一時的な簒奪政権として描く必要があります。こういう時代を背景に『漢書』は、王莽の死までを扱う官撰による史書として、皇帝らに認められて、成立しています。 
 
よって『漢書』では、王莽は本紀ではなく列伝に描かれ、帝と記述されることなく、莽、莽、莽と記され、漢兵・漢軍と記述されていても新軍・新兵とは記述されていません。このように一旦『漢書』によって新・王莽はその王朝を継ぐ正統性を拒絶され、漢王朝の時代、漢王朝の人物と扱われています。 
 
次に歴代の王朝によって正当な歴史、つまり正史として扱われるようになると、『史記』『漢書』はその正史の代表作として扱われました。理由の一つは『漢書』というのが、初めての一王朝史というスタイルを採用したためであり、以後、王朝ごとの歴史は『漢書』を基本とすることになった訳です。 
 
そうすると、新・王莽の正統性は無いというのが『漢書』によって、以降自明扱いになる訳です。その『漢書』に新の時代が描かれている以上『新書』が存在しても、正史とは認められないでしょう。仮に『新書』を認めるという学者がいたとして『漢書』に逆らうほどの意味があるのか。 
 
そういうことで王莽は実際には皇帝ですが、正史上では皇帝扱いされない。 
正史に載るから正しいとか判断するのではなく、正史が名目で書かれているが、実質は異なっていると、見抜くことが大事だと思います。特に後の王朝では、自王朝の正当性を強調する余り、倒した王朝の短所・欠陥をあげつらう傾向があります。漢書王莽伝の幾つか逸話は、誇張されたものかも知れません。

614: 世界@名無史さん 2006/01/16(月) 00:18:38 0
王莽は桓玄や侯景に近い扱い?

615: 世界@名無史さん 2006/01/16(月) 22:12:40 0
いや、彼は間違いなく中国全土の皇帝だった。 
隋の文帝と煬帝を合わせたようなものじゃないか?むしろ。

引用元: ・『西漢』 → 『新』 → 『東漢』(光武帝)




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