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1: 世界@名無史さん 2017/01/09(月) 05:20:27.52 0
改めて考えると凄いなって思うなあ。








2: 世界@名無史さん 2017/01/09(月) 06:24:01.84 0
中学校の歴史の教材で
「アレクサンドロスはアリストテレスから教えを受けた。しかし後年の彼の行動を見るにあまり影響を受けなかったようだ」
というようなこと書かれてたな

3: 世界@名無史さん 2017/01/09(月) 06:31:53.06 0
ディオゲネスにちょっかいをかけたりするあたり、成人してからも哲学への関心は残っていたかも
ディオゲネス

ディオゲネス(紀元前412年? - 紀元前323年)は古代ギリシアの哲学者。

紀元前336年、アレクサンドロス大王がコリントスに将軍として訪れたとき、ディオゲネスが挨拶に来なかったので、大王の方から会いに行った。ディオゲネスは、体育場の隅にいて日向ぼっこをしていた。大勢の供を連れたアレクサンドロス大王が挨拶をして、何か希望はないかと聞くと、「あなたがそこに立たれると日陰になるからどいてください」とだけ言った。帰途、大王は「私がもしアレクサンドロスでなかったらディオゲネスになりたい」と言った。


6: 世界@名無史さん 2017/01/10(火) 11:08:23.87 0
アレクサンドロスはアリストテレスの信奉者でアリストテレスの教えを具現化するためにこそ大征服に乗り出したとも聞く

大征服がなぜアリストテレスの教えを具現化することになるのか知らんけど
大帝国を建設してアリストテレスの教えを国教にしてとかそおういうつもりなのかねえ

7: 世界@名無史さん 2017/01/10(火) 11:58:16.24 0
アレクサンドロスは、ディオゲネスとの面会後、自分はアレクサンドロスでなければディオゲネスになりたいと語った。

さてその人ディオゲネスはコスモポリタンとして有名な人物である。
アレクの思考を想像するに、自分は世界がひとつとなるコスモポリタニズムに惹かれているが、幸い自分には軍事的才能があるから、その理想を哲学者としてでなく軍事指導者として目指したい、ということであろう。

9: 世界@名無史さん 2017/01/10(火) 21:30:42.86 0
ディオゲネスになったら樽の中で無一物で暮らさないといけないぞ。
変態呼ばわりもされるし。

12: 世界@名無史さん 2017/01/13(金) 07:19:47.57 0
戦術の独創性では親父のフィリッポス2世に及ばない。

13: 世界@名無史さん 2017/01/13(金) 23:19:48.86 0
歴史上唯一の生涯無敗だからな

17: 世界@名無史さん 2017/01/14(土) 08:26:03.62 0
32歳で若死にしてあの最大版図だからな。
もし60とかまで生きていたら、世界征服を完成していたろう。

21: 世界@名無史さん 2017/01/14(土) 09:31:57.01 0
>>17
近代以前に中央ユーラシアを非遊牧民が征服するのはムリ

39: 世界@名無史さん 2017/01/16(月) 09:13:02.89 0
>>21
アレキサンダーは騎馬民族スキタイを破って心服させている。
スキタイの王「大王が命じたことならなんでもします! 許してヽ(;▽;)ノ」
ヤクサルテス川の戦い

ヤクサルテス川の戦いは紀元前329年にアレクサンドロス大王率いるマケドニア軍とシルダリヤ川 (ラテン語名: ヤクサルテス川) 河畔に住んでいたスキタイの間で起こった戦闘である。

約1,200人のスキタイ軍は包囲されて捕らえられ、司令官であったサトラケスも死亡した。捕虜は150人を超え、1800頭の馬が捕まった。アレクサンドロス大王は途中、飲んだ水が悪かったせいで激しい腹痛を催し、追撃戦を中止したおかげで、スキタイ軍は全滅の憂き目を辛うじて逃れることができた。マケドニア人とギリシア人が知る限りにおいて、遊牧民軍を押さえつけ破る事のできる司令官はダレイオス1世を含めこれまで誰も存在していなかった。これは士気を大いに高め、ヤクサルテス川北部に住む遊牧民にとって心理的に大きな打撃となった。

スキタイの王はこれに仰天し、「アレクサンドロス大王が命じたことならなんでも実行するから許してほしい」という旨の使節をアレクサンドロス大王に送った。アレクサンドロス大王の主な目的は遊牧民を征服することではなく、彼はより深刻な危機が訪れていた南方への進出を望んでいたため、これを快く受け入れ、慇懃な友好の返書を送った。また、アレクサンドロス3世は身代金を要求することなく囚人を解放した。これ以後、スキタイはアレクサンドロス大王に二度と逆らうことはなく、むしろマケドニア軍の東方遠征を援護するようになる。


16: 世界@名無史さん 2017/01/14(土) 05:22:36.93 0
すげえ過大評価される人物筆頭だよな

23: 世界@名無史さん 2017/01/14(土) 15:27:46.54 0
曲がりなりにもたった一代でギリシャ統一とペルシャ帝国の滅亡をやったんだから過大評価もクソもないだろ

武帝やユスティニアヌス、ビクトリアみたいに家臣の七光りで名君使いされてる連中のほうがよっぽど過大評価じゃ

48: ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2017/01/16(月) 23:14:32.65 0
>>23

正直、ギリシャ統一の方がペルシャ帝国の滅亡の数倍難しい気がしますww

29: 世界@名無史さん 2017/01/15(日) 18:04:50.66 0
ジンギスカンより強かったの?

31: 世界@名無史さん 2017/01/15(日) 22:08:06.90 0
騎馬というものがアレクサンドロスの時代には無い未来技術だから公平な比較にはならんな

33: 世界@名無史さん 2017/01/15(日) 22:45:49.17 0
>>31
この超有名な絵画を見たことが無いとは驚きだ。

Battleofissus333BC-mosaic


マケドニア王国は騎馬戦術に長けていた。

32: 世界@名無史さん 2017/01/15(日) 22:30:59.43 0
アレクサンドロスの時代なら騎馬はあるぞ

34: 世界@名無史さん 2017/01/15(日) 23:04:08.69 0
とはいえ騎兵はまだ補助的な役割だったけどな

36: 世界@名無史さん 2017/01/15(日) 23:23:59.59 0
>>34
紀元前5世紀のトゥキュディデスの記述からは、マケドニア王国の軍が騎兵主体であったことが窺え、馬術に優れてたとしている。アレキサンダー3世の父王フィリッポス2世は、その伝統に加えて歩兵を重視しマケドニア式ファランクスで覇を唱えたが、一方でオリンピックの競馬や戦車競技に自慢の馬を送り込んでは優勝を攫い、ギリシア人を悔しがらせていた。
要するに、マケドニアは古くからお馬さんと親しんでいたお国柄である。

37: 世界@名無史さん 2017/01/15(日) 23:44:02.48 0
フィリッポスの名前の意味は馬を愛する人と言う意味だしな
つまりそんな名前の王様がいるほど騎馬文化が栄えた国だった

38: 世界@名無史さん 2017/01/15(日) 23:51:21.18 0
馬をアホみたいに大量生産できるモンゴル軍とモンゴルよりか遥かに大量生産できない歩兵が基本のアレク軍は勝ち目なし
モンゴル軍は重騎兵、軽騎兵、騎馬投擲兵の三段式だからのろますぎてハチの巣に一方的に虐殺されて終わる・・・
モンゴルに対応してもっと騎兵に比重を置いてもモンゴル騎兵は一人で5頭くらいの替え馬もってたくらいだからな・・・


アレクサンドロス3世は好きだけど時代が違いすぎるよ・・・

41: 世界@名無史さん 2017/01/16(月) 18:50:00.63 0
>>38
数で圧倒的にまさるスキタイ軍をマケドニア軍は壊滅させてるから
チンギスハン時代のモンゴル軍だと相当厳しいだろうな

>モンゴルに対応してもっと騎兵に比重を置いてもモンゴル騎兵は一人で5頭くらいの替え馬もってたくらいだからな・

これは大半の国がやってる
日本でも替え馬を管理する手明という兵科があったぐらいだし

40: 世界@名無史さん 2017/01/16(月) 12:44:51.24 0
鐙が無い時代に騎馬戦術ができる騎馬民族マジチート

56: 世界@名無史さん 2017/01/17(火) 11:10:44.95 0
マケドニアは時期がよかったのもある気がする
アテナイ、スパルタ、テーバイなどギリシア諸国たちは内ゲバで潰し合い、ペルシアですら、しょっちゅう反乱、離反するエジプトに掛かりきりでかなり疲弊していた
一方でマケドニアはアテナイへの木材輸出などで少しずつ国力を蓄えていた

危うくイリュリアに滅ぼされかけたけど

58: 世界@名無史さん 2017/01/19(木) 18:10:30.40 0
>>56
>アテナイ、スパルタ、テーバイなどギリシア諸国たちは内ゲバで潰し合い、

その内ゲバに裏で手を引いてたのがペルシャ何だが
ギリシャ統一した時点でペルシャに目をつけられるのは確定で向こうが攻めてくるのを待ち構えるか
こっちから打って出るかの二者択一しかなかった

>しょっちゅう反乱、離反するエジプトに掛かりきりでかなり疲弊していた

エジプトに限らずダレイオスの代からどの属州もずっーっと反乱起こし続けてるし
属州同士や属州内の覇権をめぐる争いも建国まもなくから状態化してたんだが

64: 世界@名無史さん 2017/01/20(金) 13:35:56.51 0
アレクサンドロス王への欧州人の過大評価は、アケメネスよりは欧州人と文化的に近いからなのか、と思う。

宇宙開拓について、ソ連が先行していたにもかかわらずアメリカの業績をやたらと持ち上げているように。

69: 世界@名無史さん 2017/01/20(金) 21:29:35.06 0
ヨーロッパからインドまで攻め込めた人間が他にいない。
これは偉業視されても仕方がない。

73: ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2017/01/20(金) 22:36:13.89 0
冒頓単于さんとかどうなんでしょう
とりあえず一代で世界帝国を築いたところなんかは似ている気がしますが

74: 世界@名無史さん 2017/01/20(金) 22:45:54.30 0
冒頓単于とか北アジアの遊牧民の頂点に立っただけで複数の文明圏を包括する世界帝国と言えるものは作れてない
粛清と内戦で疲弊しまくっていた漢ですら滅ぼせなかったしティムールやアッティラと比べても見劣りする

80: 世界@名無史さん 2017/01/20(金) 23:57:30.58 0
>>74
漢を滅ぼすより敢えて劉邦を見逃してやって漢を存続させ
貢納させる道を選んだ冒頓単于はかなり頭も切れる人物だよ
単なる軍事力に長けたヒャッハー蛮族の王じゃない

83: 世界@名無史さん 2017/01/21(土) 00:31:27.13 0
>>80
見逃したのは閼氏だが
匈奴の支配人口は一郡にも満たないと言われるほど少数だったわけで漢と全面衝突できるほどの力はない
講和を選んだのは妥協だよ

88: 世界@名無史さん 2017/01/21(土) 09:34:20.05 0
アレクサンドロスは諸将兵の「もうこのへんでよかでしょう」という声で膨張行動を収めたが、もしあの時死なずにずっと生き続けてたら、10年と待たずに周囲への進出を再開してたんだろうなー

90: 世界@名無史さん 2017/01/21(土) 10:23:09.35 0
死の直前に地中海やアラビアとか今度は西方を征服する予定だったからローマやカルタゴは征服されたはず

チムールが明に遠征しようとしたけど死んだので中止されたのに似ている

93: 世界@名無史さん 2017/01/22(日) 01:29:46.52 0
ネルーがアレクのやったことなんて大したことない。
虐殺とかして残酷なヤツだとディスっているが、ヨーロッパから来てインドを支配したイギリスとイメージがかぶるからなんだろうな。
もっと残酷なジンギスカンにはあこがれを感じるとか言ってるしw

109: 世界@名無史さん 2017/01/22(日) 11:19:56.25 0
>>93
アレクサンダーもチンギスもやってる事は大して変わんねー
アレクサンダーをより残酷にしたのがチンギスで
チンギスにギリシャ的な価値観が混ぜて少し大人しくなったのがアレクサンダーという程度で
なんで前者が英雄で後者は残忍な征服者になってるのか大してかわんねーよ

94: 世界@名無史さん 2017/01/22(日) 01:34:00.21 0
群雄割拠していたオリエントを統一したキュロスとか
相争っていた遊牧民を統合して大勢力に育て上げた冒頓に比べて
アレクサンドロスはペルシャ乗っ取っただけにも見える。

103: 世界@名無史さん 2017/01/22(日) 10:31:55.41 0
>>94
過小評価されているのはセレウコス1世
ディアドコイ版家康

96: 世界@名無史さん 2017/01/22(日) 04:57:13.47 0
過小評価すべきではない歴史の大偉人のひとりだが聖化、過大評価はやめよう
太古の昔から現代に続く欧米人の過剰な喧伝には冷静になったほうがいい

97: 世界@名無史さん 2017/01/22(日) 05:05:31.79 0
アレクサンドル(露)とかアレハンドロ(西)とか、現在でも人気のある男子名だな

111: 世界@名無史さん 2017/01/22(日) 14:20:37.89 0
チンギスが残虐だというのも大分後世のバイアスがかかってるだろ
むしろ歴代ハーンの中では相当寛大な部類
例えば遼の実質的な創始者の述律皇后とか粛清に次ぐ粛清を繰り返して最後は自分も粛清されるんだが
チンギスは功臣たちを子孫まで厚遇し打ち破った部族に対しても寛大に接している
タタール部は完全に抹殺したという伝承があるがチンギスの代の千人長にはもうタタル部出身のものが見えていて疑わしい
西夏の徹底虐殺をやったのも実際はオゴデイの代になってからでそれまでは皇帝含めて助命してる
関連記事モンゴル大虐殺史


129: 世界@名無史さん 2017/01/24(火) 15:10:22.75 0
>>111
まぁチンギスハーンの残虐伝説は尾ひれがついてて
当のチンギス軍もその残虐話を敵の士気をくじく為に誇張して喧伝してたという節もあるみたいだけど残虐だったのは確かだろう

100: 世界@名無史さん 2017/01/22(日) 10:09:59.88 0
100年帝国を目指してたんだろうか、アレクサンドロスさんは。

110: 世界@名無史さん 2017/01/22(日) 12:10:45.19 0
ベッソスを討った後はノープランだろう。
むしろ何某かのプランがあったらあんな遠征はできない。

169: 世界@名無史さん 2017/01/30(月) 10:09:54.18 0
アレクサンドロスの部下たちが王朝を作ったから300年王朝ともいえるね

193: 世界@名無史さん 2017/03/14(火) 14:35:23.52 0
中国の記録にアレクサンドロスは残ってないよね

194: 世界@名無史さん 2017/03/16(木) 12:49:16.49 0
安禄山

195: 世界@名無史さん 2017/04/13(木) 00:33:27.56 0
>>194
その発想はなかったわw

198: 世界@名無史さん 2017/06/07(水) 21:27:56.50 0
大王にはタリム盆地を越えて欲しかったぜ

199: 世界@名無史さん 2017/06/08(木) 22:55:36.37 0
インドで止まらず東進を続ければ、遅くともBC310年には中国に達する。
戦国七雄の中で調子が出始めていた秦の背後を衝くことになるだろう。
その兵を吸収して一気に中国統一。そして次なる目標は日本。

338: 世界@名無史さん 2017/09/08(金) 01:57:13.37 0
>>199
インドはペルシア帝国時代の行政資料があったからハイペースで進めた
その先が未知の世界だったので偵察隊を送ろうとしたら部下もびびってて拒絶されたわけ(ブリアン)
だからそのままのペースで進めるはずもなく、そこからは遅々としたものになるはず
幸運によってガンジスまで征服し、さらにシーナにまで到達したとしても、すでに昭王の時代であり、そこで白起将軍に迎撃されてオワリだな・・・

200: 世界@名無史さん 2017/06/09(金) 01:08:17.91 0
月氏や匈奴ともぶつかった筈

201: 世界@名無史さん 2017/06/09(金) 14:40:07.40 0
インドは暑すぎてマケドニア兵がギブアップしたんだろ。

202: 世界@名無史さん 2017/06/09(金) 18:05:47.45 0
インドの冬の間に作戦完了すれば...

206: 世界@名無史さん 2017/06/11(日) 22:08:14.72 0
タリム盆地を越えて中国征服に成功した勢力は存在しない

211: 世界@名無史さん 2017/06/12(月) 15:58:54.62 0
>>206
チムールも残念すぎた  
明と戦ってほしかった

213: 世界@名無史さん 2017/06/13(火) 23:02:29.52 0
アレクサンドロス軍が5m以上の長い槍衾で押し寄せてくる時
戦国時代の中国兵が持っている戈では短すぎて、相手に刃が届く前に自分が串刺しになってしまう。マケドニアン・ファランクスの敵ではないだろうな。

214: 世界@名無史さん 2017/06/13(火) 23:34:25.64 0
>>213
同時代の歩兵に標準的に装備されてる弩のいい的だろw

215: 世界@名無史さん 2017/06/14(水) 07:04:04.98 0
>>214
弩は射程が案外短く、連射がきかない。
最初の矢がマケドニアの盾に刺さったあと、二本目を装填しようとあたふたしているところで時間切れ。
串刺しパーティのはじまりはじまり。

216: 世界@名無史さん 2017/06/14(水) 08:53:32.10 0
>>215
弩って射角付けた射撃が苦手なだけで射程は200m程度あるんだが

マケドニアのファランクスの歩兵は200mを一気に埋められないし騎兵は盾持ってないし、というか今でいう軽騎兵で投射武器で戦うから弩に頗る相性悪いんだよ

紀元前の地中海世界の戦術って強力な投射武器のない前提で組み立てられてるから実は弩と戦うと全然勝負にならない

396: 世界@名無史さん 2017/11/15(水) 01:53:51.66 0
>>216
弩兵なんか大王の騎兵隊が駆逐するだろ

401: 世界@名無史さん 2017/12/04(月) 22:27:46.78 0
>>396
大規模な騎兵軍団を率いる匈奴相手に戦ってるBC4世紀頃に確立されたのが中原の弩兵戦術なもんで小規模な精鋭騎兵しか持ってないアレクサンドロスのお友達は話にならないんだよなぁ

217: 世界@名無史さん 2017/06/14(水) 23:05:28.55 0
弩砲(バリスタ)はフィリッポス2世が大量に保有していたらしいぞ

222: 世界@名無史さん 2017/06/15(木) 20:50:13.00 0
>>217
アレクサンドロスが対スキタイ戦で用いたりもしているけどあれは遊軍の渡河を支援するという特殊な状況下のものであってヘレニズム期までのバリスタは基本的に攻囲用であり野戦で歩兵密集隊形と一緒に運用されることは想定されていない

移動式バリスタが野戦にもタップリ投入されるのは後の帝政初期ローマから

232: 世界@名無史さん 2017/06/16(金) 22:38:40.26 0
古代ギリシャでも紀元前5世紀には携帯式の弩が使われているけど
Gastraphetesとかいうやつ
一番右のな
no title


ヨセフスのユダヤ戦記によるとガリラヤ戦ではローマ軍は石段を放つタイプのGastraphetesを保有しており
その轟音で城内は恐慌状態に陥ったという記述がある

234: 世界@名無史さん 2017/06/16(金) 23:29:49.58 0
>>232
ガストラフェテスは大体2mくらいのサイズでな
別に持って運べないこたないけど一番下側にアーチ状の構造あるだろ?
そこが人間の胴体の幅くらいあって腰骨とか肋骨に押し当ててガッシャコン!と押し込んで使うもの
さらに射撃も手で持って行うのではなくあらかじめ支えの台座用意してそこにセットする
個人が簡単に使えるもんでもないし、そもそも数を大量に揃えられるもんでもない
さすがにそれを弩と同様の個人が手にもって使う武器扱いしたらおかしいんだな

引用元: ・アレクサンドロス三世「改めて考えると凄いなって思うなあ。俺はやっぱ」




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