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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/18(日) 05:11:22 ID:KLVhOa9K
徳川四天王の一人、本多忠勝を語るスレ。
家康の天下取りを支えた戦国時代有数の豪傑を語りましょう








226: 人間七七四年 2008/05/21(水) 23:31:59 ID:OS7mu+uX
最近、忠勝の辞世の句を知ったが愚直なまでの忠誠心が出てて良いな~
句としてはかなり稚拙だと思うけどそこが常に戦場にいた忠勝っぽい

227: 人間七七四年@全板トナメ開催中 2008/06/05(木) 16:21:24 ID:T0Ey/v+/
死にともな嗚呼死にともな死にともな 深き御恩の君を思えば

か、こんなに思われる家康もすごいなあ

228: 人間七七四年@全板トナメ開催中 2008/06/06(金) 00:42:55 ID:geZFtVPo
>>227
ただ、歌としてはかなり下手糞な部類だろうなw非常に忠勝らしいが。

252: 人間七七四年 2008/12/11(木) 14:46:38 ID:3UPmBVZ+
本多は酒井と比べると少ないよね 老中。

253: 人間七七四年 2008/12/22(月) 15:43:57 ID:51n5m7g1
酒井が多いのも初期から前期だよ。

254: 人間七七四年 2008/12/22(月) 15:52:33 ID:i5VpnL4D
老中は元々将軍の使用人で格式の高い譜代大名が任命される役職じゃないから
本多クラスの譜代大名は原則老中にはならない。

256: 人間七七四年 2009/01/19(月) 01:41:12 ID:X+j/xHAs
蜻蛉切=人は無理だが蜻蛉ぐらいなら切れる
軽装=さっさと逃げるため
無傷=戦わないで逃げるから

こういう新解釈の元に小説家にヘタレ忠勝を描いて欲しい
采配はいいが喧嘩はめっぽう弱く、臆病な感じで
忠勝に視線を集めるには今までのような豪傑だけじゃダメ

257: 人間七七四年 2009/01/20(火) 00:26:16 ID:isspDHyr
しかしそれならばヘタレ武将が数万の軍勢相手に数百の軍勢で誘いにかかった理由を考えないといけないな

ヘタレ武将ならば自分>主君の図式が成り立ってしまう

258: 人間七七四年 2009/01/30(金) 19:39:39 ID:W7boRjdR
>>257
逸話だろうけどそのときに秀吉が言ったといわれてる言葉はちょっと感動
徳川四天王でも信長・秀吉・家康の三傑から認められた唯一の人間だし
特に信長が褒めたことは特筆

259: 人間七七四年 2009/02/01(日) 17:23:14 ID:eVokYWVa
信長は結構徳川家の武将を褒めてる印象。
清洲同盟の時の植村家政、浅井攻めの時に来た援軍の水野勝成や松平信一、長篠の時の内藤正成と、有名どころじゃないのを含めたらまだ出てくるから信長は同盟相手に気を使ってると思う。

261: 人間七七四年 2009/02/13(金) 15:41:06 ID:1FV3cPjs
平八は特に褒められたね。

262: 人間七七四年 2009/02/21(土) 15:40:12 ID:QOhRosMt
欲しくなるような武将だから。

270: 人間七七四年 2009/03/26(木) 11:54:36 ID:zC5fCdmt
家臣たちは、忠勝と一緒に戦うと「背中が鉄板で守られているような」安心感を持ったそうだよ。
一種のカリスマだったのかな。

271: 人間七七四年 2009/03/29(日) 12:42:05 ID:/0mb5B62
大名になってからは、戦争ばかりしてもいられなくなった(戦争自体なくなっていったわけだが)んだが、その時も「文盲至極」と言い切ってるね。
国を治める方法は、家康様の金言を聞いているうちに自然と覚えた、と。

…ちと、対立しはじめていた本多正信ら吏僚派へのあてつけくさいが。

273: 人間七七四年 2009/03/31(火) 04:06:32 ID:GUbDqzwS
同じ本多一族なんだから仲良くすればいいのに。

275: 人間七七四年 2009/04/11(土) 15:29:42 ID:JvBiP+0/
>>273
だいぶ遠い親類だから。

279: 人間七七四年 2009/04/15(水) 01:00:31 ID:Jk70JTgM
忠勝軍って結構地味じゃね
井伊の赤備えだっけ?こっちの方が世間的に有名だろ
徳川軍最強軍団は赤備えみたいなイメージってあるし


286: 人間七七四年 2009/05/07(木) 21:44:19 ID:f9IY2JQu
>>279
終盤には突撃隊長はほぼ赤備えの井伊だったとかなんかで読んだ
軍団の先頭に立って突っ込んでくる部隊は相手から見たら脅威だからどうしても目立ち度・知名度はそっちに行っちゃうんだろうなあ
赤備え自体にもエピソードがあるわけだし

280: 人間七七四年 2009/04/15(水) 12:15:31 ID:A7Q91hR4
自分の中の忠勝はどっちかというと武田(山県昌景)の赤備えに単機で突っ込んでいって撫で斬りにしてるイメージ

282: 人間七七四年 2009/04/22(水) 05:12:20 ID:tZGk6aYo
世間的には本多忠勝も井伊も無名だろ。
家康の家臣で知名度があるのは圧倒的に本多正信だよ。

286: 人間七七四年 2009/05/07(木) 21:44:19 ID:f9IY2JQu
>>282
それは無いと思う

290: 人間七七四年 2009/05/08(金) 11:02:40 ID:lzwBOXLl
忠勝は強い強いと言われてるが、これといった見せ場がないよね
張飛の長坂橋みたいなエピソードでもあればもっと人気出たと思う。

291: 人間七七四年 2009/05/09(土) 01:04:15 ID:qw0ksXkE
結局そういう話って逸話の域にも足を突っ込んじゃうからな
一言坂での殿とか、小牧での豊臣軍銃撃とか、あっても部隊指揮官だからね

292: 人間七七四年 2009/05/11(月) 12:04:01 ID:HjfmKA5O
トンボ切りって最初聞いたときはよわそーな名前でなんじゃこらって思ったけど
伝説の職人、マサムネが作ったと聞いたときは驚いたよ。

293: 人間七七四年 2009/05/11(月) 17:19:41 ID:svcKuPeI
蜻蛉切は正宗じゃなくて三河文殊の正真だよ

正宗と思ってる人は一定数居るけど、そういう紹介がどっかでされてんのかな?

294: 人間七七四年 2009/05/12(火) 23:41:34 ID:kEqvTlz5
正宗じゃなくて村正一派とはよく聞くな。
まあ、忠勝も正宗持ってたみたいだけどな。国宝にもなってるし。 

295: 人間七七四年 2009/05/13(水) 04:31:46 ID:9I4TIy8w
村正は徳川家に祟る(性格には松平時代の家康の祖父と父が斬られた刀が村正だったからとか。実際にそうだったかは?だが)
だから幕末の志士達は村正を好んで身に着けたっていう話聞いたことある。
その反論として、家康何度も救った本多忠勝だって村正もってたじゃん、とかいわれるそうだ。

317: 人間七七四年 2009/09/12(土) 22:43:54 ID:zYNGekKy
>>295
村正は伊勢の刀工だし、
中部地方に持っている人間が多いというのは当然の話になるわな
銘を潰したり、茎を削ったり(村正は特徴的だったらしい)しておけば村正かな?と誰かが思ってもいくらでもしらばっくれられたんじゃないの

298: 人間七七四年 2009/05/17(日) 18:12:34 ID:EocNJciJ
本多忠勝の領地(桑名)は栄えてたのかな?石高は10万石だった?

299: 人間七七四年 2009/05/18(月) 13:14:44 ID:bssJ+kyH
桑名は江戸期を通じて栄えた都市だよ。

300: 人間七七四年 2009/05/19(火) 10:18:47 ID:HdhFUobI
桑名といえば松平越中守家が印象深い。

302: 人間七七四年 2009/05/19(火) 16:15:28 ID:f6Fit6pX
桑名の本多忠勝像
no title


303: 人間七七四年 2009/05/27(水) 15:47:39 ID:+lc2JI00
>>302
渋いね。

304: 人間七七四年 2009/06/06(土) 14:09:34 ID:2E4lOzOk
忠勝系が桑名にいた期間は短いんだね。


311: 人間七七四年 2009/08/06(木) 15:09:03 ID:Pgq6pcj3
やはりこの人あっての徳川、という感じなんですかな

312: 人間七七四年 2009/08/06(木) 19:29:09 ID:e9+hMxCy
家康に過ぎたるものだしねぇ

318: 人間七七四年 2009/09/18(金) 00:11:36 ID:EeMOdwu2
岡崎市にある、本多平八郎忠勝誕生地を見てきたよ。
住宅街に石碑と説明看板があってわかりにくい場所にあるよ。
探すの苦労したよ。行く人は、県道39号線を岡崎市街地から北に行くと青木川に掛かる青木橋を渡ってすぐの西の道へ行き、道なりに少し行くと最初の西に行く道があるので、そっちを見れば石碑が見えるよ。
ただ、道が狭いから車は石碑の場所まで行くと駐車する所が無いから注意してね。

328: 人間七七四年 2009/10/22(木) 02:14:09 ID:jViXJzHl
忠勝の娘と真田信幸の婚姻は秀吉が死ぬ前?死んだ後?

329: 人間七七四年 2009/10/22(木) 09:06:40 ID:d1j2sDGV
第一次上田合戦の後だから当然秀吉は生きてる

330: 人間七七四年 2009/10/22(木) 12:10:07 ID:jViXJzHl
>>329
ありがとう。
忠勝関連の本でなんかオススメの本あったら誰か教えてください。

332: 人間七七四年 2009/10/22(木) 17:40:38 ID:L6h19mMS
忠勝にも海老掬い的な逸話は無いんかな?
愉快な忠勝さんも見てみたいぜ。

355: 人間七七四年 2010/01/29(金) 23:06:31 ID:ZgedWMdT
蜻蛉切って実物残ってるんだよな?具足と一緒に見てみたいなー

356: 人間七七四年 2010/02/10(水) 04:19:27 ID:13GEaFZ6
レプリカは岡崎城にあるんだっけか

本物は子孫の家にあるんだったな

135px-An_Ō-sasaho_yari,_the_copy_of_Tonbogiri


蜻蛉切


蜻蛉切(とんぼきり)は、戦国時代の武将本多忠勝が愛用した事で知られる天下三名槍と呼ばれた槍。黒糸威胴丸具足(鹿角の兜)と共に本多家に伝わったが、第二次世界大戦時に同家を離れ、その後、沼津市の実業家・収集家の矢部利雄(1905-1996)が入手した。

愛知県岡崎市の岡崎城内「三河武士のやかた家康館」にレプリカが展示されている。三島市の佐野美術館に寄託され、2015年1月から11年ぶりに展示された。


364: 人間七七四年 2010/04/28(水) 20:59:52 ID:zv8+/HGA
実績はともかく徳川武将で一番華があるよな。
本多忠勝がメジャーじゃないとか、家康のほとんどの戦で先鋒張ってたのに知名度がゼロな大須賀さんにあやまれ。

365: 人間七七四年 2010/04/29(木) 08:22:25 ID:isx7kfs1
よく比較される立花宗茂と比べると運と勇気はあるけど、指揮や戦術は正直微妙じゃね?
伊賀越えや殿とかそれなりに功績だとは思うけど、それくらいなら他にもいるだろうし。

371: 人間七七四年 2010/04/30(金) 12:36:06 ID:fIpLROFI
本でしか読んだことないけど一言坂とか長久手の戦いの忠勝って戦術的にもすごかったんじゃないの

386: 人間七七四年 2010/09/05(日) 09:44:55 ID:15mFTMV5
何故関ヶ原の時はかなりの少勢だったのですか?

387: 人間七七四年 2010/09/05(日) 09:53:49 ID:L6bF3QSm
大部分を息子の忠政に預けて中山道にいたから
元々、忠勝は急病で倒れた井伊直政の替りに東軍先鋒の軍監として出向いていた

391: 人間七七四年 2010/12/06(月) 22:58:10 ID:o3lZyXkD
しかし関ヶ原では何人、忠勝がいるんだよっう位に出没してたなwww
足軽バテバテだろwww

393: 人間七七四年 2011/04/27(水) 01:18:00.62 ID:2quN2tIf
関ヶ原の合戦の首帳とか残ってますか?
400人で首90はすごいと思うが

395: 人間七七四年 2011/04/27(水) 08:26:50.95 ID:X2YCcWwt
>>393
朝野旧聞褒藁にあったはず

394: 人間七七四年 2011/04/27(水) 03:37:22.06 ID:F3xRGBrJ
家康はすげぇケチだよねぇ
よく譜代がついて言ったな

398: 人間七七四年 2011/05/02(月) 12:31:25.81 ID:Giqfa7GO
>>394
徳川家の内規みたいなものがあってだね。
関東移封時点で、方面軍司令(先備え)
酒井家次    3万石
平岩親吉    3万3,000石
鳥居元忠    4万石
秀吉の氏名による加増
大久保忠世   4万5千石
榊原康政 10万石
本多忠勝 10万石
井伊直政 12万石
これを見ればわかるように、4万石が徳川サラリーキャップ制の頂点なんだな。

天下を取ってからは、この上限が15万石以下に引き上げられた。
15万石超えると、遠国において親しくせず、政治や軍事に関わらせるなというのが家康の方針
現に立花宗茂に関して、秀忠に忠告した言葉が「親しく使いたかったら、15万石以上の石高は与えてはいかん」だからな。
本多正純も15万石貰った時点で引退すれば、あの末路を迎えなかったろう。

389: 人間七七四年 2010/12/05(日) 00:07:51 ID:iOhTzwV6
桑名での藩政に見るべきものはあるの?
勇猛で名をはせた武将が国づくりにも達者とは限らないよね。
忠勝は達者であってほしけど。

390: 人間七七四年 2010/12/06(月) 10:08:48 ID:CrIJLnAY
領内に目安箱を設置したり
裁判をしたそうだ
その裁判には藩主自らが出るとか

415: 人間七七四年 2011/10/11(火) 15:43:02.21 ID:gjBmZS0y
本多忠勝 57戦無傷ってさ

武力があるんじゃなく、後ろに居たからじゃねぇの?
後ろで指揮してりゃ無傷だろうしなぁ

441: 人間七七四年 2012/07/18(水) 21:56:58.67 ID:qWYWlIb1
>>415
姉川では一万に単騎で突っ込んでんだよ

417: 人間七七四年 2011/10/12(水) 18:58:34.20 ID:YeTiR+u0
でもさ
無傷はありえねぇと思うは
刀もって振り回すだけで、普通は小傷が出来るはずだし

無傷って事は、戦闘に参加してなかったとしか思えんがな

418: 人間七七四年 2011/10/12(水) 20:42:58.12 ID:QQbed5xE
>>417
そこはあくまで比喩じゃないの?

420: 人間七七四年 2011/10/13(木) 09:35:40.80 ID:aqbvqIwj
晩年、小刀で自分の指切って死期を悟ったって逸話があるくらいだから、身に刀を受けた事がないって意味だと思ってる。
合戦してたら、打ち身とか打撲は普通にありそうだし。

422: 人間七七四年 2011/10/13(木) 11:02:50.12 ID:KbMs/8Vz
指揮者とか、大将格はたいていが無傷だろ
忠勝だけじゃねぇだろ。足軽に混じって戦うのは馬鹿だったってあるし

426: 人間七七四年 2011/10/13(木) 14:22:07.37 ID:aqbvqIwj
死にはしてしないけど、鼻もげてたり、指がなかったり、歩行不良になったりってのは、徳川の侍大将にいるから、同じ先手の忠勝だけが後方にいられたとは考えづらい。
まして、見付じゃ山県相手の撤退戦で七回敵陣突っ込んだ事が同じ陣にいた大久保の家譜にも出てくるし、若い頃は大将の家康自身が突っ込んで行くタイプだから、それをのほほんと見送る訳にいかんだろう。
忠勝の甲冑は見た目の割に軽いらしいから、機動力や身軽さがあったのかもね。

あと、無傷の武将なら、たしか大久保にもいたはず。
五行でいえば、金気の寄らない性質なんだろうな。

427: 人間七七四年 2011/10/14(金) 18:33:53.69 ID:tvyRMPUm
井伊が傷だらけって言われているから、外傷はなかったのかもね

437: 人間七七四年 2012/07/02(月) 14:37:47.83 ID:PdwfjYPD
関ヶ原の戦後、福島正則が褒めた件って、どういう話なの?

438: 人間七七四年 2012/07/09(月) 17:38:31.68 ID:ZiRjJAEA
>>437
関ヶ原の戦いの時に息子を中山道の秀忠隊に付けてた為、忠勝の手持ちの兵は500だった。それを見た、福島正則が寡兵過ぎるから、邪魔しないでね♪みたいな事言ったが関ヶ原後半で、島津義弘が退き口の特攻して来たんだが朝鮮の役で島津義弘の強さを目の当たりにしてる正則はびびって道を開けるしか無かったが、その島津隊に勇猛果敢に追撃したのが、井伊直政、本多忠勝、松平忠吉隊。
途中、井伊直政・松平忠吉が捨てがまり食らって被弾して負傷して、後退する中 忠勝だけが落馬してもかすり傷一つ追わずに島津兵をことごとく粉砕した。これを見た福島正則が、忠勝に凄いですね。。って言ったら、忠勝が敵が弱すぎただけ。と言った。

当時、忠勝が戦国最強なのはこの時に確定したんだよね。

442: 人間七七四年 2012/07/18(水) 21:59:35.46 ID:qWYWlIb1
>>438
めちゃくちゃカッコイイなそれ

引用元: ・【鹿角脇立兜】本多平八郎忠勝【蜻蛉切】