41cp56xk0pL (3)








8: 世界@名無史さん 2012/10/02(火) 09:21:29.62 O
張遼、徐晃、楽進、張コウ、于禁の序列ってどうなってるの?
于禁>>徐晃=張コウ=楽進≧張遼?
なんとなくイメージですが・・

9: 世界@名無史さん 2012/10/02(火) 11:34:09.78 0
ほとんど横並び
信頼のされかたでいえば于禁だけが頭ひとつ抜けてるくらい

華々しさ、単純な武功、武勇伝でいえば張遼>その他になるが、そんなに簡単な話じゃない

33: 世界@名無史さん 2012/10/20(土) 10:03:24.53 0
質問ですが。
呂布や賈詡がもらった「都亭侯」っていう爵位は列侯なんですよね?
あと、これは「都の亭の侯」という意味で「都」は洛陽とかを指すんでしょうか。

35: 世界@名無史さん 2012/10/20(土) 13:13:30.04 0
亭侯の一種ではあるらしい。○○亭侯との違いはいろんな説があって不詳。
魏の当時(正確には後漢末から)だと列侯の中に、県侯・郷侯・亭侯の三段階有り。
後漢の頃にも事実上その区分はあったが、制度としてのランクまでにはなってない模様。
都は亭内の中心部って説が有力のような。
2行目の解釈は聞いたことがないけど、案外あたりかも?

145: 世界@名無史さん 2012/11/11(日) 11:03:06.54 O
袁術はあれだけの名声と勢力があったのに、どうして徐州方面は影響下に置けなかったんだろ?

148: 世界@名無史さん 2012/11/12(月) 17:57:14.93 0
>>145
袁術助けたら袁紹と曹操に睨まれちゃうだろ。

149: 世界@名無史さん 2012/11/13(火) 08:41:02.03 O
>>145
劉備が強かったからってのが意外と妥当な理由だったり。

陶謙時代→連携。後に仲たがい。
劉備時代→交戦状態
呂布時代→友好?袁術側が没落

徐州を影響下に置くには劉備時代だが、戦争で優勢で、劉備を徐州から追い出すことができても、戦略的には成功しているとはいえない。

150: 世界@名無史さん 2012/11/13(火) 11:32:29.77 0
該当の州内部の名士衆とつながりなしに外部勢力が純粋に軍事力のみで一州を制圧・実行支配するということが事実上不可能な時期だ

もうちょっと後の曹操と袁紹でさえ、複数の州の統治ができるようになっても完全に掌握できていたのはそのうちの一部

袁術は大勢力にみえても、その実行支配力は傘下にある「個の人」に依存するんだよね
袁術の力の根源は地方自治体の任命権・人事権であって中央集権的な軍事力ではない
だから袁術は献帝の権威を徹底的に否定しようとした
節を奪ったのも単なる幼稚性の悪意ではない
献帝の権威の正統性が広がり始めた(関東諸侯の間で回復しはじめた)のと淮南での袁術勢力の分解はほぼ反比例している

151: 世界@名無史さん 2012/11/13(火) 12:03:43.51 0
>>150
最後おかしくないか?
袁術はむしろ献帝の権威を利用してたように思うんだが

馬日テイは袁術に協力したとして孔融に批判されたように、曹操と袁紹が献帝を確保する以前は袁術は献帝の権威を自分の権力拡大に利用してたと目されてる

袁術の勢力分解はむしろ自分が保持してたはずの献帝の権威が曹操と袁紹に確保されてしまったことによるアドバンテージの消失からで、その消失を補うための皇帝即位ではないの?

152: 世界@名無史さん 2012/11/13(火) 13:55:57.20 0
袁紹が劉虞を奉戴しようとした際は親献帝にみえるが
小康状態の長安政権に対して陶謙や曹操が示した姿勢や行動の記録がない
この時点で何もしないというのは事実上、反献帝だろうな
劉焉・曹操・張楊・陶謙・公孫サンなど時期は違えど何れも親献帝の立場をあらわした


あからさまに黙殺したのは袁紹劉表

それに袁術


初期こそ周囲にたいしては袁術は「親」を演じたかもしれないが、帝から正規に任官された者とバッティングしても蹴散らした上にまるでフォローをしない(この点が曹操と決定的に違う)点からして、「漢の忠臣・名門」から「実力者」というふうにスライドしていったのだと思う

153: 世界@名無史さん 2012/11/13(火) 14:31:03.93 0
>>152
親献帝に見えるというよりは反袁紹として袁紹が権威ある存在を手に入れることを嫌ったんでは?

154: 世界@名無史さん 2012/11/13(火) 14:35:47.69 0
あと袁術は黙殺したんじゃなくて李カクとやり取りして色々便宜図って貰ってるよ

当時の李カクは献帝を擁立してる
官爵を与えることと受け入れることで相互に正統性を補完してる
袁術が何もしなかった、というけど袁術は普通に献帝から受け入れてるから
親献帝として曹操が献帝を手に入れるまで動いてるよ

むしろ問題になるのが曹操で袁紹の命令に従ってあちこちの防衛に駆出されてて
何もしとらんどころか嬉々として袁紹に従っとる

155: 世界@名無史さん 2012/11/13(火) 22:33:48.02 0
そこまで袁紹に従ってるイメージないな
たとえば公孫サンと戦ったのは東郡所属の発干に進駐されたからなんだろうし

156: 世界@名無史さん 2012/11/14(水) 05:38:03.40 0
袁紹包囲網も袁術派の動員力っていうよりパワーバランスの結果だからな
曹操の立場もまたしかり

例えば欧州戦線でドイツはソ・英・米と戦って負けたが
その実はソ連に対して100個師団300万人以上を投入し
それに比べれば西部戦線や地中海なんか「バカンス」の土地といってもいいくらい力をいれてない

公孫サンは間違いなくドイツに対するソ連であって袁紹包囲網のコアを占めるわけだが
そのソ連の力は対独打倒を最初から叫んでいた英(袁術)の力ではない

ドイツが四方八方から総攻撃を受けたら同盟国のイタリア(曹操)は
当然のようにその一方面くらいは分担しようとするだろう
それをもってしてイタリアはドイツの属国であったかというとそうじゃない

157: 世界@名無史さん 2012/11/15(木) 00:11:20.77 0
>>155-156
いや曹操は青州まで遠征しとるがな
方面持ったってレベルじゃなくて普通に袁紹に率いられてあちこち連れ回されてる

159: 世界@名無史さん 2012/11/16(金) 00:20:11.75 O
献帝手に入れるまでは曹操は袁紹隷下の軍閥じゃないの?
大内氏と毛利氏とかモンゴル帝国と漢人4大軍閥とかローマ帝国とヘロデ王とか、そんな感じ。
徐州大虐殺やその発端となった曹嵩SATSUGAIも袁紹系の曹操と公孫サン系の陶謙との争いだろ?

160: 世界@名無史さん 2012/11/16(金) 08:16:56.45 0
陶謙は独立独歩系

皇帝僭称の賊と結んだり
予州に食指をのばしたり
朱シュンを後援したり
名士を弾圧したかとおもえば死後悼まれたり

なかなかレベルが高い妖怪の類だな
こいつこそ「若ければ乱世に覇を・・・」みたいな感じだ

162: 世界@名無史さん 2012/11/16(金) 08:56:38.42 O
公孫さん配下の劉備が陶謙の救援に行ったのは、自陣営に引き入れようとしてたのか?
でも救援に来た劉備の妖怪っぷりを陶謙が気に入って、妖怪の後継者に。

163: 世界@名無史さん 2012/11/16(金) 09:29:03.85 0
実際劉備が陶謙勢力を引き継いだ時点で袁術-公孫サン系から袁紹系に鞍替えしてるからな

しかし陶謙という男は曹操の恥部を隠すために必要以上に悪に書かれたり
劉備の正統性を示すために大人しい無害な老人に書かれたり
孫策とはよろしくなかったけど孫呉陣営の北方名士とはパイプがあったりと
各々が自由にイメージできる素材だなw

166: 世界@名無史さん 2012/11/16(金) 12:20:45.12 0
劉備が死にそうになって、諸葛亮に「せがれが駄目ならお前取ってかわれや」といったのは、陶謙の影響だろう。

168: 世界@名無史さん 2012/11/17(土) 00:52:19.23 0
陶謙は元幽州太守だっけ

169: 世界@名無史さん 2012/11/17(土) 02:38:22.36 O
>>168
確かそうだったはず。
だけど、細かいけど州なら「刺史」な。

171: 世界@名無史さん 2012/11/18(日) 07:30:43.82 0
>>169
陶謙は泰山太守応劭等と朱儁(シュン)を擁立したから,泰山郡は仲間の圏内。
曹操は東郡太守から兗(エン)州牧になったけど,東平や済北で青州黄巾と戦って降伏させたばかり。
別人や地名誤りの可能性もあるけど,決してできないことはないのでは。

172: 世界@名無史さん 2012/11/18(日) 14:53:36.75 0
陶謙は中牟にいる朱儁に兵士の供与したりしてたしね。
後に任城に侵入したりもしてるし、発干まで進軍できた可能性はある。

173: 世界@名無史さん 2012/11/18(日) 20:04:12.58 0
曹操・袁紹を牽制するなら発干にまで陶謙自ら出張るのは不自然だと思うよ
それこそエン州を南方から圧迫した方が、相手方戦力の分散にもなる
発干まで行くコスト、撃退されて帰還するコスト、どちらも甚大
エン州刺史の単経が平原ではなく発干におり、代わりに平原にいたのは田階だと考えた方が自然

174: 世界@名無史さん 2012/11/19(月) 10:02:03.69 0
同姓同名の別人の陶謙だった場合は置いとくとして
同一人物で、徐州から発干に出兵したとしても別に公孫サンの部下だから出兵したわけじゃないからな

まぁその後の田楷への援軍要請の成り行きからして陶謙本人だった可能性が大だけど

175: 世界@名無史さん 2012/11/21(水) 09:57:12.97 O
陶謙話おもしろい。
陶商、陶応はその後どうなったんだろね。
徐州で勢力を残した風じゃないし、丹楊は孫家の影響下に入ってるから帰れないよね。

176: 世界@名無史さん 2012/11/21(水) 15:08:16.36 0
帰れないってか、そもそも徐州に来ていたかどうかも分からんよ
孫静や孫策だって孫堅に同行してなかったわけで

177: 世界@名無史さん 2012/11/21(水) 17:48:20.82 0
軍の世襲でも難しい(孫堅)時代に一州まるまるを世襲なんて無理
外界と遮断されてる劉焉がやっとできるくらいで
子が親の権力を受け継ぐという概念が通用するのはもっと時代が下ってから

178: 世界@名無史さん 2012/11/22(木) 01:50:37.56 0
そう考えると劉表って凄いよな

180: 世界@名無史さん 2012/11/22(木) 08:50:24.56 O
>>178
劉表の場合ほとんど「王位継承」だもんね。

179: 世界@名無史さん 2012/11/22(木) 06:34:09.49 0
だから袁紹が我が子たちに重責を与えるってのはおかしくないんだよね
ボスが生きているうちから政権運営に高いレベルで参与させておくと
死んだあとに遠縁や重臣の台頭を防げるからね

本命が袁尚にしろ袁譚にしろ一人に絞ってしまうと不慮の際に
(大本命の織田信忠死後のように)
残りの織田家に力が無く秀吉に操られてしまう結果をみるに、なんともいえないね・・・

181: 世界@名無史さん 2012/11/22(木) 20:15:54.52 0
あまり詳細のわからない倉亭が袁譚の政治生命終らせたのかなと推測してみるテスト

倉亭の戦いは青州方向から攻め込んでいるがこれに負けたので
勢力内での信望失って後継の道が断たれたとか

182: 世界@名無史さん 2012/11/23(金) 03:12:42.84 0
青州って不服従勢力が強くて、袁譚は全土治められてない。
やっと治めていた少しの領土を戦争で荒らされたら再起不能だ罠。

185: 世界@名無史さん 2012/11/27(火) 04:27:12.57 0
統治しづらい青州をうまく治めたぞという箔をつけて後継者にでもするつもりだったのか

186: 世界@名無史さん 2012/11/27(火) 04:39:07.03 0
後継争いになったら、一番貧弱な袁譚が真っ先に潰されて終わるやん

187: 世界@名無史さん 2012/11/27(火) 11:18:30.73 O
袁紹の勢力圏てどこも不安定では?
冀州は豊かだけど反乱も多いし。幽・并は辺境だから、掌握できてたのは青州と変わらないかそれ以下。

188: 世界@名無史さん 2012/11/27(火) 12:37:31.12 0
まぁ袁紹が冀州を統治したのは10年足らずで
しかも袁紹とは、もともと縁もゆかりもない土地・・・どころか、かなり際どく乗っ取った土地

曹操もそうだし、日本の戦国時代もそうだけど、土地の実質的な領主である土着の名士人を完全にコントロールできるまでが難しいんだよな
劉表も劉璋も孫策も呂布も陶謙も劉備もみ~んなそう

189: 世界@名無史さん 2012/11/27(火) 19:18:38.79 0
袁譚は伯父の家を継いでたから後継者権はないのでは?
あと、これって漢晋春秋に書かれてるだけだっけ?

190: 世界@名無史さん 2012/11/27(火) 22:39:43.82 0
>>189
誰の家を継いでようが勢力を引き継いだり同等の官位を引き継いだりすることは出来るだろ
出来ないのは爵位の相続だけ

195: 世界@名無史さん 2012/11/28(水) 12:23:18.67 O
前に誰かが言ってたが、勢力の継承ってのは大分時代が進まなければ無理だったんじゃないかと。
だから継承の可否で「資格」を問うのはちょっと違うんじゃないか?
軍勢のみ息子に継がせて、自身は中央政界に行った馬騰は他とは違う戦略を持ってたんじゃないか?

202: 世界@名無史さん 2012/11/30(金) 09:15:56.88 O
地方の太守や州刺史(牧)が独立勢力になるのは理解できるが、将軍位しかないやつが勢力をつくるのってどういう流れ?
地方にいて、軍勢握ってたとかならまだわかるが、袁術が南陽で勢力を作った基盤が良くわからない。
名声だけで統治権は確立するものだろうか?

203: 世界@名無史さん 2012/11/30(金) 09:40:33.61 0
>>202
袁術はばっちり軍団引き連れてきただろw

206: 202 2012/11/30(金) 16:36:48.87 O
>>203
張咨の後釜として南陽を支配するまでは、後将軍とはいえ軍勢は率いてないのでは?
孫堅が張咨を殺さなければ、袁術の勢力の基盤はできなかったのか?っていう疑問です。

207: 世界@名無史さん 2012/11/30(金) 23:26:08.20 0
袁紹と同じで、董卓打倒を旗頭に義兵を募ったんじゃないの?

208: 世界@名無史さん 2012/12/01(土) 05:41:08.14 0
身一つで飛び出した袁紹よりは、しばらく都に残ってた袁術はいろいろ準備していそうな感じ。
後将軍号もきっちりもらってるしね。

209: 世界@名無史さん 2012/12/01(土) 07:01:13.95 0
袁紹が反董卓連合の盟主っていわれてるけど、ホント?
連合の中では地位も爵位も貧弱だし(自称奮武将軍の曹操よりはましだが諸侯の中では話にならない)、曹操みたいに先手を打って主導権を発揮したわけでもなし。

212: 世界@名無史さん 2012/12/01(土) 09:12:53.59 0
>>209
少なくとも三国志(武帝紀、袁紹伝)にはそう書いてある。

213: 世界@名無史さん 2012/12/01(土) 09:16:43.20 0
袁紹がすごいのはないない尽くしのところから冀州ぶんどりやったところでね。
曹操と同じ成り上がりタイプでしょ。
名門を武器にしてないよ。

215: 世界@名無史さん 2012/12/01(土) 14:19:54.86 0
汝南は曹操に取られたし、ていうかその前から黄巾も跋扈してるしで、とても袁術の基盤として役に立ったとは・・・。

216: 世界@名無史さん 2012/12/01(土) 14:32:46.57 0
汝南袁氏って董卓によって全滅してるだろ。
二袁に袁氏一族の人材が乏しい、っていうかほぼいないのをみても根絶やしにされてるようだ。
これでは汝南が基盤でも使えない。

217: 世界@名無史さん 2012/12/01(土) 15:19:27.12 0
>>216
全滅って豪族舐め過ぎでない?
棟梁格の袁隗、袁基は死んどるが地元に残ってる連中はいるはずだぞ
袁遺、袁胤辺りもいたから「ほぼいない」というのはおかしいと思うんだ

ちなみに袁術は袁術で後に殺される兄の基が家継いでたから
反乱当初は分家扱いなんだよな

218: 世界@名無史さん 2012/12/01(土) 15:25:40.89 0
>>217
>地元に残ってる連中はいるはず

誰一人でてこないが。

>袁遺、袁胤辺りもいたから「ほぼいない」というのはおかしいと思うんだ

二袁とあわせて4人しかいないってのが絶望的。
曹操のほうがまだましだぞ。

219: 世界@名無史さん 2012/12/01(土) 15:33:26.14 0
>>218
王朝残して親族の記録が詳細に残ってる連中と一緒にするなよ
首魁の袁紹、袁術ですら嫁の記録ほとんど残ってない袁氏に対して
妾の名前までいくつも残ってる曹操とその一族の親族の記録量比較するのはバカげてる

223: 世界@名無史さん 2012/12/02(日) 22:31:16.08 0
そういう目線で見ると、
蜀陣営に吸収されたとはいえ馬一族初めとする涼州軍閥の一族武将率は異常

224: 世界@名無史さん 2012/12/03(月) 21:31:33.89 0
>>223
逆だろ
一族くらいしかまともに動員できる戦力がなかった零細ってこった

225: 世界@名無史さん 2012/12/04(火) 17:47:38.40 0
一族すらろくに動員できなかったのが二袁w

227: 世界@名無史さん 2012/12/04(火) 21:02:19.16 0
>>225
そらそうよ
二人とも一族の総帥じゃねーんだから
一族動員できる立場だった袁隗と袁基が死ぬまでは一族動かせないし
死んでからも本家争いするからそうそう動員できねーよ
そんな中でも親族の名前出てるんだから二袁はやはりたいしたもんだよ

232: 世界@名無史さん 2012/12/08(土) 18:21:06.16 0
まあ、袁紹、袁術の直系を除いて、袁遺、袁胤、袁渙ぐらいしかいなかった点、
極めて厳しかった。他は皆殺しになったんでしょ。袁隗、袁基、袁滂など、有力な
のは董卓によって皆殺しにされたからね。

ちなみに、傍系には高幹、高柔などがいる。高柔は魏時代に三公にまでなっている。

233: 世界@名無史さん 2012/12/08(土) 19:06:14.09 0
>>232
袁渙は汝南の袁氏じゃない
新唐書宰相世系ではかなり近い親族のように書かれてるけど
それを否定する碑文があったはず

234: 世界@名無史さん 2012/12/11(火) 19:25:53.00 0
諸葛亮が劉表の親戚の親戚ってのはどうにも眉唾だと思うけどな
なんで裴松之が注に入れないんだっていう
いつだかこのスレで指摘してる人がいたけど
現存する襄陽紀は、すでに散逸したものを清代に再編集したものなんだと

235: 世界@名無史さん 2012/12/11(火) 20:33:07.11 0
>>234
諸葛亮の妻方の一族が蔡氏と結婚して、蔡氏が劉表と結婚して・・・という関係じゃなかったか
そんな関係では逆に裴松之としてもそれをわざわざ収録する必要があるのか、っていうことも言える

236: 世界@名無史さん 2012/12/11(火) 22:06:45.06 0
>>235
でも結構、瑣末な事柄も注で収録してたりするからなぁ
零陵先賢伝を引いて、諸葛亮が荊南3郡を統治した時に居住した県名を記したり

あと襄陽記(紀じゃなかった)を引いて黄承彦のことに触れてる箇所があるけど
なんでそこでついでに書かなかったのかと思う

237: 世界@名無史さん 2012/12/11(火) 22:37:50.36 0
でも諸葛亮って劉表生前から劉キに近付いたり劉備に近付いたり
内部で相当動けてるんだよなぁ
20代の若造が簡単にできることではない

239: 世界@名無史さん 2012/12/12(水) 11:00:25.73 O
>>237
魏晋南北朝期は評判がモノを言うからなぁ。

司馬徽門下の将来有望な逸材として名は通っていたんだろうな。

就職活動中の学生がOBの会社訪問するみたいな感じで、案外簡単に会えたのかもしれん。

ところでお前らは諸葛亮と諸葛瑾が兄弟じゃない説についてはどう思ってるの?

241: 世界@名無史さん 2012/12/12(水) 13:29:54.26 0
>>239
ありえない話ではないが肯定する理由はない思い付きの域を出ない珍説だろ

240: 世界@名無史さん 2012/12/12(水) 11:17:52.82 O
>>239
そういうお前はどう思ってるんだ?
少なくとも正史には兄弟だとわかる記述が載ってるが。
実際の血縁や生育環境はわからんが、一族的には兄弟なんじゃないか?

242: 世界@名無史さん 2012/12/14(金) 15:14:53.18 O
>>240>>241
正史にははっきり「兄弟」って書いてあるし、
孔明マニアの陳寿の言うことだから、信じるべきなんだろうけど。

でも瑾、亮、均ってやっぱり統一感がないんだなぁ。
珪と瑾で、排行が違うのに同じ玉へんなのも気になるし。

珪、瑾、璋で兄弟で、
孔明にとって瑾は「親戚のお兄ちゃん」だった、というのはオレにとっては説得力のある説なんだが。

244: 世界@名無史さん 2012/12/14(金) 21:23:50.15 0
>>242
曹操と曹拠も本当は兄弟だって言うなら諸葛亮と驢馬が兄弟じゃないっていうのも信じてもいいけどな

245: 世界@名無史さん 2012/12/15(土) 10:47:53.34 0
司馬懿の兄弟:朗懿孚馗恂進通敏
司馬懿の息子:師昭亮伷京駿幹肜倫
司馬炎の息子:衷柬瑋乂允晏遐穎熾

こちらも統一感はないと思う
あざなは共通字があるけど

249: 世界@名無史さん 2012/12/23(日) 08:26:42.69 0
そもそも排行とかいつ成立したんだっけ?

日本だって通し字の成立は意外と遅くて平安後期なのだが

254: 世界@名無史さん 2013/01/03(木) 10:09:34.69 O
この時代って正月祝ったりしてたのかな?

256: 世界@名無史さん 2013/01/03(木) 17:51:34.94 0
南北朝時代まで下っていいんなら、
北魏末の爾朱兆は正月の宴会やってた隙に強襲されて高歓に滅ぼされた
宴会というより部族内での年頭集会の意味合いが強いんだろうが

257: 世界@名無史さん 2013/01/03(木) 20:13:20.30 0
当然祝ってるよ

三国志の中に何回か出てくるだろ
正月中に日食があった事件の描写もあったような記憶があるが

258: 世界@名無史さん 2013/01/03(木) 20:20:22.25 0
文帝の二年に、
「春正月、天地明堂を郊祀す。」
とあるな。

259: 世界@名無史さん 2013/01/03(木) 21:30:32.89 0
2月っていうほど春か?って昔の奴らに言いたい

262: 世界@名無史さん 2013/01/04(金) 09:12:38.19 0
>>259
旧正月って大体今で言う二月の頭から中頃だから
春って「一番寒い時期が終ってこれから暖かくなる時期」という認識だよね
日本でも二月中頃過ぎると一気に暖かくなるから国は違えども感覚的には理解できると思う

278: 世界@名無史さん 2013/01/20(日) 04:11:55.76 0
>>262
日本と中国の暦が作られた地方は気候が全然違うよ。
日本だと立春は1年で1番寒い時期とほとんど変わらない。
日本の多くの地域なり主要な地域で春になるのは、早くて春分から。
最近だともっと遅い感じだけど。

引用元: ・正史『三国志』 二十八巻




正史 三国志 全8巻セット (ちくま学芸文庫)
陳 寿 裴 松之
筑摩書房
売り上げランキング: 79,071