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1: 日本@名無史さん 2005/10/20(木) 21:31:13
徳川歴代の将軍は、どんな贅沢をしていたんだ・・・








279: 日本@名無史さん 2007/04/30(月) 04:29:27
庶民よりもよい住居に住み
庶民よりもよい服を着
庶民よりも治安が守られ
庶民よりも医療対策が充実しており
庶民よりも栄養価が高くうまいものを食い
庶民よりも教育が行き届き
庶民よりも教養娯楽が多く与えられ
庶民よりも高い地位で扱われ政治を操り
庶民よりもより人間らしく生きることができる

これ以上な贅沢はない。征夷大将軍がうらやましい


281: 日本@名無史さん 2007/04/30(月) 08:24:10
お中ろうと呼ばれる将軍お手つきの女中は、将軍との交尾はある意味、辛いお勤めだったかもしれないね。しかし、最盛期には千人近くいたという大奥の女中たちは、手のつかない者も多く(お清と呼ばれる女性しかつけない地位もあった)、江戸時代、女性唯一の立身出世の場だった。
大奥の女性の地位がどれくらい高かったかというと、御年寄と呼ばれる大奥筆頭の給料は、将軍側近の老中とまったく同じ。大奥のことに関しては、老中や側用人といえど、口をださせなかった。一生、大奥で勤め上げ、預貯金で老後を送る女性もいたというわけ。

283: 日本@名無史さん 2007/05/02(水) 13:47:56
大奥ってとんでもなく非生産的な組織だったんだな・・・

284: 日本@名無史さん 2007/05/02(水) 14:08:28
だから度々改革されている
まあ改革っていっても節制だけどさ

327: 日本@名無史さん 2007/05/31(木) 05:21:53
興味本位で大奥を扱った本なんかを読んでると
「大奥の維持費は江戸幕府の国家予算の数分の一に及び、幕府財政を大いに圧迫してた」
なんてあるがこれって事実なのかね
いくら奥の女性達が贅沢しようが国家を傾けるほど浪費は出来ないと思うんだが・・・

328: 日本@名無史さん 2007/05/31(木) 07:56:23
将軍吉宗当時の予算を見てみると、
幕府の年間予算は80万両(約640億円)。 そのうち、大奥は20万両とじつに幕府財政の25%も使っていたのである。
その20万両の約半分は女性達が身につけるものに使用されていた。

徳川幕府 大奥(おおおく) の なぞ(フナハシ学習塾)
http://funahashi.kids.coocan.jp

331: 日本@名無史さん 2007/05/31(木) 14:39:55
>幕府の年間予算は80万両(約640億円)。そのうち、大奥は20万両とじつに幕府財政の25%も使っていたのである。

江戸城の予算の内、表(政庁)が7.5割、奥が2.5割と考えれば他の大名家でも別に普通かと。
家臣団はそれぞれ知行を持っていて、それぞれに小さな奥と表があってそれぞれに運営しているし。
すなわち、封建制。
また町方は町年寄衆らの負担によってそれぞれ運営されている。
幕府は中央政府というより、封建領主の大なるもの。
幕末、海外との関係において中央政府たろうとしたことで様々の混乱が生じた。

332: 日本@名無史さん 2007/05/31(木) 16:44:55
吉宗の代に大奥の規模を随分縮小してこれだから酷いときはもっと使ってたんじゃないかなと思う

304: 日本@名無史さん 2007/05/25(金) 00:07:06
石高の多さが収入の多寡を意味し
それが贅沢の具合につながるなら
400万石を抱える徳川将軍は一番の贅沢ができる

305: 日本@名無史さん 2007/05/25(金) 08:33:40
収入だけでは語れないだろ
支出も考えないとさ。。。

306: 日本@名無史さん 2007/05/25(金) 22:07:46
昔、学研の学習で将軍の食事を再現した写真があったが、かなり贅沢だった記憶があるんだが。
膳が4つか5つあって、数種類の肉や魚がメインで、彩りも豊かだった。


308: 日本@名無史さん 2007/05/29(火) 04:44:07
朝昼は一汁二菜、
夕食はそれに焼き魚と煮物がつくくらい
しかもできてから2時間くらいたったの食べるわけだが

310: 日本@名無史さん 2007/05/29(火) 16:46:50
けど将軍の食事って一つの皿の料理は三箸までしか付けたらダメっていう慣習じゃあなかったかな
ご飯は3杯までお代わりOKだったらしいが。
好きな料理の一箸はとてつもなく大きくなりそうだな。

311: 日本@名無史さん 2007/05/29(火) 17:08:40
結局 守らなくても誰も何も言わないだろ

315: 日本@名無史さん 2007/05/30(水) 05:45:01
>>311
自分で豆を炒っても怒られないんだし、何をしようとおこる人はいないだろうな。

312: 日本@名無史さん 2007/05/29(火) 18:39:12
俺は一箸と聞いたが。
んで残り物は料理人達が持って帰ると

313: 日本@名無史さん 2007/05/29(火) 19:32:05
関西テレビ制作の「大奥」でそんなシーンがあったな。
将軍ではないが、将軍継嗣の食事がそんな風だった。
同じ料理を持った女中が継嗣の前に並び継嗣が料理に一箸だけ付けて、その残りは女中(ある程度の身分の)の飯に払い下げられていた。(一箸を付けると次の女中が持つ料理に一箸を付ける)
また将軍をはじめ継嗣、御台所などは魚を返して裏側を食べることはなかった。

314: 日本@名無史さん 2007/05/29(火) 19:33:35
上の「大奥」は沖雅也が徳川家光を演じていたやつね。

316: 日本@名無史さん 2007/05/30(水) 05:56:37
家慶の遺体を調べたらあごが全然発達していなかったんだよね。
どうも>>313さんのいうように魚でも同じ料理がずらーっと出てきて一箸ずつ(やわらかいところ)しかつけなかったその結果らしい。

高貴な人って温かいものが食べられなかったから、みんな猫舌だったんだよね。ちょっと気の毒。

318: 日本@名無史さん 2007/05/30(水) 15:26:57
かなり前の読んだのでうろ覚えなんだが。
将軍の食事のご飯。
普通に炊いたご飯じゃなかったそうだ。
米を蒸したご飯だったとか。
粘り気のないもち米のような感じになるのかなあ。
食事全部、毒見役の手を経てるから冷えてるもんなあ。
熱い炊きたてのご飯のおいしさを知らなかったんだ。

320: 日本@名無史さん 2007/05/30(水) 18:05:53
天皇家の場合は公式の雑煮とは別に女官が本当に食べる雑煮を作っていたそうだ。
ということは天皇は温かい食事を食べられたと言うことで、それに比べて将軍は……権力者はつらいね。

321: 日本@名無史さん 2007/05/30(水) 19:53:25
将軍家は、真夏に富士山麓より氷を運ばせ食べていた。
冷蔵庫なんかない時代にこれほどの贅沢はないだろう。

322: 日本@名無史さん 2007/05/30(水) 20:18:23
>>321
加賀前田からも氷は届けられた
熱海の温泉のお湯も届けられてた(伊豆代官江川氏から)

324: 日本@名無史さん 2007/05/30(水) 22:43:30
>>321
豊後日出藩から城下カレイが早馬で献上されていた記録がある。

325: 日本@名無史さん 2007/05/31(木) 03:12:03
食事作ってから口に入るまで相当時間がかかり冷めるので途中で暖めなおしてたそうな
当然電子レンジなんぞ無い時代だから火で焼きなおす事になる
その結果料理はボソボソになった
しかもその後また毒見役を通すので結局冷めているという…

326: 日本@名無史さん 2007/05/31(木) 05:11:31
氷に酒かけて食ったらうまい

337: 日本@名無史さん 2007/06/01(金) 07:24:35
>>326
昔の酒なら旨かったかも??
今の水みたいな?酒だと、あんまり旨そうではない

338: 本郷 義昭 2007/06/02(土) 09:51:21
酒は濁酒でしたから、現代の清酒の方が高級です。

339: 日本@名無史さん 2007/06/02(土) 11:16:35
>>338

江戸幕府を開く前の慶長5年には清酒が造られているんだが?

340: 本郷 義昭 2007/06/02(土) 14:01:59
開発史ではなく普及史の話。
幕末までは雲の上でも濁酒。
当然、明治になっても貧民は濁酒。

濁り酒濁れる飲みて      
島崎藤村

今日でも一々清酒と大書するのは、近年まで 清酒=高級 だったからです。

341: 日本@名無史さん 2007/06/02(土) 14:29:07
>>340
清酒(せいしゅ)じゃなくて清酒(すみざけ)は?
江戸中期には庶民が清酒を飲んでいた記録はあるんだけどね

348: 日本@名無史さん 2007/06/03(日) 06:33:50
贅沢とは関係ないのですが、将軍は6時頃に起床したようですね。そして小姓が寝所に入り、「もう~」と大声を出していたらしい。
この「もう~」の言葉は何に由来しているのでしょか。意味不明な言葉だとは思いませんか?

349: 日本@名無史さん 2007/06/03(日) 07:05:46
>>348
申し上げます の 「もう」 だったらしい

351: 日本@名無史さん 2007/06/03(日) 14:00:42
>>348
もうお目覚めでござる、
の 「もう」 じゃ無かったっけ。
ソースはNHK「お江戸でござる」か何かの脳内記憶。

350: 日本@名無史さん 2007/06/03(日) 08:53:16
不定時法ですから、6時と断定できません。
卯刻。

403: 日本@名無史さん 2007/06/15(金) 14:07:40
超大豪邸に住み、地位と名誉と金があり、美味い料理を食らい、旨い酒を飲み、いい女を抱きたい時に抱きたいだけ抱く。
誰もが絶対に逆らわず頭を下げる。
凄いてか、最適な形容詞がみつからない。

404: 日本@名無史さん 2007/06/15(金) 17:55:20
>>403
そんなバカ殿、いない。
徳川将軍てのは庶民から見てもあまり羨ましい存在ではなかったと、何かに書いてあったよ。

407: 日本@名無史さん 2007/06/15(金) 21:17:11
>>403
金持ちの一般人と勘違いしてるのか?

405: 日本@名無史さん 2007/06/15(金) 18:17:08
質素倹約。
麻の着物しか着ない>将軍吉宗

406: 日本@名無史さん 2007/06/15(金) 20:33:08
立場上、儒学を最も実践しなきゃいけないしね

460: 日本@名無史さん 2007/06/20(水) 10:01:21
毒見がいたぐらいだから毎回 食事のたびにひやひやもんだったろうな
贅沢というより地獄じゃね?

461: 日本@名無史さん 2007/06/20(水) 12:14:53
毒見もそうだけど、御膳が目の前に運ばれてくるまでにいろいろ手間がかかって、実際食べる頃には汁も冷め切ってたらしいね。禁忌物もいろいろあったし、食事に関しては熱々の出来たてや穫れたての食材をそのまま料理して食べられた庶民のほうがずっとよかったように思う。今の時代からしたら、当時の庶民が食べてたもののほうが今や高級で贅沢なくらいだし。

463: 日本@名無史さん 2007/06/20(水) 20:09:54
なんだか動物園の動物達より悲惨だな…

464: 日本@名無史さん 2007/06/20(水) 20:55:40
将軍は天皇と同じようにむやみに外出できないし、食事も形式 ばった物しか食えないだろうけど、大御所の生活はどうだったんだろう?
将軍よりは自由な暮らしができたのだろうか?

467: 日本@名無史さん 2007/06/20(水) 22:49:33
元禄頃で比較すると天皇と将軍はどちらが贅沢だったか?

469: 日本@名無史さん 2007/06/20(水) 23:14:21
>>467
将軍じゃないかな?
食事はほとんど変わらないと思うけど、着る物や住んでいる屋敷などは、将軍の方が上みたいだし。それに風呂上がりで体を拭く時は、水分がなくなるまで何回も綿の羽織りを体に羽織って水分と取ったり(もちろん新品のを何着も使って)、寝床の枕は将軍が厠に行くごとに新品の枕に取り替えたりとしているから、将軍の方が贅沢だろう。
贅沢かどうかはわからんが居城の江戸城を御所では比較にならない大きさだしな。

470: 日本@名無史さん 2007/06/20(水) 23:29:47
天皇は在位中はほぼ御所から出られなかったからなあ。
庭も申し程度で敷地も狭い、あんな御所で135日いると普通に発狂しそう。俺だったらとりあえず1年我慢してすぐ譲位するなあ。
将軍は江戸城も広いし、吹上に行ったり紅葉山に行ったりとある程度のハイキングができるし、鷹狩で外にも年に数回は出れるから、こっちの方が良い。
それでS○X相手も選べるしね。(身分に関係なく自分の好みで選べる)
しかし、天皇は公家の娘しかほとんど選べないからな。

471: 日本@名無史さん 2007/06/21(木) 08:28:07
ん?
大奥の制度がなかった創業者家康の頃は、鷹狩りに行ったときに陳情してきた未亡人をそのまま城へつれて帰って、側室にしてチョメチョメ・・・ってことも可能だったけれども、大奥制度確立後の家光以降は、大奥の中からしか調達できないぞ。自分で江戸の町へ出て行ったりして、将軍自身が選んでくることなど、不可能。
天皇が在位中御所から出れんのは確かだが、まあ、御所は言うほど狭くない。現在の京都御所は、戦時中にかなりの建物が壊されたから。江戸城よりは狭いが。
毎日、公家や女官たちに囲まれて、それなりに平和に暮らしてたんじゃないか?
将軍も、戦がなくなると、毎日やってることは公家とそんなにかわらんし。

476: 470 2007/06/21(木) 19:19:19
>>471
>>自分で江戸の町へ出て行ったりして、
将軍自身が選んでくることなど・・

いや、そういう意味ではなく、大奥の数多くいる女中から気に入ったのを選べると言う意味だったんだよ。御所に詰める女官はある程度の身分の出しかいないから天皇が農民の娘をSEXなんて実質不可能だった。
それに比べ大奥には上は皇族、下は農民の娘がいたから身分に関係なく選べると言ったまでで。 言葉足らずだったのはスマヌ。
472: 日本@名無史さん 2007/06/21(木) 08:57:35
天皇は大奥はないんかな

473: 日本@名無史さん 2007/06/21(木) 09:16:35
大奥・・・とは呼ばなかったけれども、後宮は持っていたね。
江戸時代の天皇の正室(女御、あるいは中宮)は、内裏の北側に廊下続きで設けられた、女御御殿、あるいは皇后常御殿などと呼ばれる御殿に住んでいた。それとは別に、江戸時代、天皇が日常生活を送った「御常御殿」には、男居という雑用係の男や、稚児をのぞき、基本的に女官ばかりが詰めていた。
平安時代の女官のトップ「尚侍」は江戸時代には置かれなくなり、実質上のトップ「典侍」は、実務をつんで出世してきた女官の場合と、天皇の側室の場合がある。
天皇に仕える女官の中でも、御末と呼ばれるような下位の女官はともかく、羽林家や名家出身の女官であれば、気に入れば、手をつけて典侍や権典侍として寝所に侍らすことができたみたいだね。

520: 日本@名無史さん 2007/07/08(日) 14:42:08
大奥で生まれた文化ってなんかあるの?女流文学的なものとか

521: 日本@名無史さん 2007/07/08(日) 23:01:08
>>520
ない。
いかなる意味でも生産的でないもの、それが大奥。

523: 日本@名無史さん 2007/07/10(火) 00:27:35
>>521
大奥での浪費が江戸の経済を活性化させていたのは有名な事実。
女中たちの家具や衣類が中古品として出回り、高値で取引された。

京や地方の文化を江戸に持ち込んだのも大奥。
華道や香道を庶民まで広めたのも大奥。

一概に非生産的とは言えないし、子作りと将軍の世話以外にも大きな役割を持っていたのに、性的なイメージがつきすぎている。

526: 日本@名無史さん 2007/07/16(月) 10:00:28
日記とかは残って無いの?

529: 日本@名無史さん 2007/07/16(月) 12:32:43
経済・文化発展に貢献したが、特定の何か(日記や物語など)を残したわけじゃない。
まあ、天皇家の後宮とはちょっと違うわな。

530: 日本@名無史さん 2007/07/16(月) 12:38:32
徳川将軍で、大奥生活をエンジョイできたのは12代家慶までだろうな。
家慶は死の前年に最後の子供をこしらえてるから、存分に大奥を満喫したようだw

一方、家定は虚弱で不能だったとか言われてるし、側室と伝えられてるのもお志賀の方だけ。
家茂は、皇女を嫁にもらった上、多事多難でそれどころじゃなかった。
慶喜は一橋時代からの愛妾はいるが、ずっと京都暮らしで大奥に入れなかった。

思うに、家慶没後の大奥は、年増の後家ばかりで華やかさに欠ける世界だったろうな。

538: 日本@名無史さん 2007/07/17(火) 19:47:06
家茂時代の大奥って、溥儀が退位した直後の紫禁城に似てるな。
幼君と先代、先々代の夫人たちの居住空間。

家茂=溥儀
天璋院=隆裕皇太后(光緒帝の皇后)
本寿院・実成院=光緒帝や同治帝の側室たち

563: 日本@名無史さん 2007/11/02(金) 13:34:29
将軍家定などは大奥に泊まらず
中奥に泊まることも多かったらしいしね
ちなみに中奥は将軍の居住空間で男しか詰めてない

565: 日本@名無史さん 2007/12/07(金) 18:08:36
大奥構成員の中で御台所や生母が将軍の家族だということはわかるが、側室はもともとは大奥構成員の一女中にすぎないよね。お手つきとなって中ろうに格上げになっても、女中の一人に過ぎず、大奥全体の序列から見ればたいしたことのない地位で。
将軍生母に力があったのは分かるけれども、側室程度では真ん中程度の女中、というだけ。
子は将軍の子として扱ってもらえるだろうが、側室は将軍ファミリーの一員というほどのことではないだろう。

573: 日本@名無史さん 2007/12/09(日) 20:22:27
まぁ最大の贅沢は、江戸城の修築だろうな。
失火で焼けすぎ。
最後には修築費すらない有様。。。

575: 日本@名無史さん 2007/12/23(日) 10:17:57
明暦の大火後に再建した万治度の本丸御殿は1840年代まで使用された。
その後、火災が連続して弘化度、安政度の造営と続いた。
安政度の御殿が文久3年の火災で焼失した後は、ついに再建されなかった。

576: 日本@名無史さん 2007/12/23(日) 11:37:03
保科肥前守は天守閣消失後は富士見櫓を天守閣に代行したらしいね

600: 日本@名無史さん 2008/05/28(水) 17:52:52
将軍が食べる米は一級品をさらに一粒ずつ女中が選んでたんだと。
でもご飯は炊くのではなく蒸したもの。
中奥で作る→毒味→お錠口へ運ぶ→温めなおす→毒味→盛り付けなおす→将軍のもとへ運ぶ
すっかり冷めて美味しくないだろうね。
将軍が食べた量は秤できっちり計って医者に報告するんだって。健康管理の為。
将軍と御台所の食事は広さ二百坪の御膳所で30人の調理人と40人の下働きが作ってた。
当時のメニューを再現した写真とかないかな?
見てみたい。

602: 日本@名無史さん 2008/05/30(金) 20:15:59
贅沢といっても長生きになる健康的な贅沢とそのときの欲求を満たすだけで寿命を縮める贅沢の二つがある
質素な精進料理や和食を適量食べるとかいうのが前者
ビーフステーキやフランス料理のようなものを満腹するまで食べ酒もたくさん飲むというのが後者
 
家康は前者の究極を極めた(だから豊臣家滅亡まで長生きして徳川の世を200年以上続かせた)といえる
元禄あたりから後者の贅沢になっていったんではないか?
大名も贅沢食やアルコールが原因で短命というのが多くなってくるし

604: 日本@名無史さん 2008/05/31(土) 18:33:05
健康的な贅沢をしたのは徳川家康と昭和天皇が双璧だと思う

605: 日本@名無史さん 2008/05/31(土) 19:13:31
皇帝やツアリーの贅沢から比べたら、何もいえないよな
これは将軍に限らず、道長なんかもそうだが

引用元: ・徳川将軍の贅沢について・・・




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