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1: 劉基 2010/11/02(火) 15:26:41 0
中国史に燦然と輝く超巨人 朱元璋陛下について語ろう。








2: 世界@名無史さん 2010/11/02(火) 15:29:11 0
>燦然と輝く

喧嘩売ってるのか?

3: 世界@名無史さん 2010/11/02(火) 15:34:14 0
光天の下 天聖人を生じ 世の為に則をなす

285: 世界@名無史さん 2013/05/08(水) 19:02:47.08 0
清の順治帝は臣下と歴史談義して中国史上一番は誰かと言う話題になって
居並ぶ群臣が唐の太宗と言ったのに反して洪武帝を挙げたそうだ。

286: 世界@名無史さん 2013/05/08(水) 23:00:05.15 0
朱元璋なんか魅力的なんだよな

287: 世界@名無史さん 2013/05/08(水) 23:20:24.11 O
元末から朱元障が統一する時代は三国志や楚漢の時代に匹敵する群雄割拠で白熱しているのに、あまり小説や漫画には描かれないよな

288: 世界@名無史さん 2013/05/09(木) 19:59:06.17 0
劉邦に対する項羽
劉備に対する曹操のような魅力的なライバルキャラが不在なせいかな

289: 世界@名無史さん 2013/05/09(木) 23:16:35.75 0
順治帝曰く「歴代の賢君の中で洪武帝に及ぶものなし」
康熙帝の書の中に「治 唐宋より隆し」

つまり中国史上随一の名君で、唐宋時代よりも繁栄をもたらしたと評価されている。この二人も相当な名君だが、彼らにここまで言わしめた朱元璋は更に凄いわ。

290: 世界@名無史さん 2013/05/10(金) 19:59:39.36 0
>>289
明につながる清朝だからじゃね?

295: 世界@名無史さん 2013/05/21(火) 23:53:05.95 0
俺は朱元璋そんなにすごいとは思えんけどな。
中国は結構早い段階で身分秩序が崩れてしまってて下の階層出身でも上に行きやすい。
日本じゃ藤原氏や頼朝、秀吉、家康が天皇になるなんて考えられないだろう?
欧米もやはり昔からの身分秩序が多少崩れても厳然と存在してて日本も欧米も下のものが上にいくには越えられない壁がある。
それに中国はアジア的停滞とかいわれて古い王朝が滅んでもすぐにまた同じような王朝ができるってことがパターン化してて朱元璋もそのパターンにのって皇帝になっただけだし。
まあ偉大な人物であることに異論はないけど。

296: 世界@名無史さん 2013/05/24(金) 04:43:55.29 0
朱元璋は般若心経の注釈も書いてる

297: 世界@名無史さん 2013/05/25(土) 02:47:43.76 0
さすが元ぼうさ

313: 世界@名無史さん 2013/12/14(土) 22:16:17.93 0
日本人で朱元璋に匹敵するほどの傑物は豊臣秀吉くらいかな
それだけ中国に比べれば平和だったということでもあるけど

320: 世界@名無史さん 2013/12/16(月) 19:45:43.86 0
徳川将軍も明朝皇帝も基本的に長子相続だけど
前者は割とまともな君主が多かったのに(唯一暗君っぽいのが家重だが、彼は暗君というより障害者だし)
なぜ後者は暴君・暗君だらけなんだろう

322: 世界@名無史さん 2013/12/16(月) 23:22:55.97 O
>>320
明朝にも真っ当な皇帝は何故か早死にしてろくでもない奴は長生きするんだよな。

323: 世界@名無史さん 2013/12/17(火) 02:12:35.24 0
>>322
朱元璋が皇帝独裁を強めるために三省を廃止したから、マトモに政治に精励すると早死にするし、政治なんか無視すれば普通に生きられるってことじゃない?
秦昌帝の死は異常すぎるけど・・・

200px-明光宗


泰昌帝


泰昌帝(たいしょうてい)は、明朝の第15代皇帝。諱は常洛(じょうらく)。廟号は光宗(こうそう)。泰昌帝は幼い頃から英邁だったので臣下たちの期待は高かったが、即位して1ヶ月で崩御した。この泰昌帝の死に関わる事件が「紅丸の案」である。即位してほどなく下痢を催した泰昌帝に、鴻臚寺丞を務めていた李可灼が紅鉛丸(丸薬)を勧め、泰昌帝が一つ服用したところ気分がよくなった。ところが、もう一丸飲んだところ、翌日にわかに崩御したという事件である。


326: 世界@名無史さん 2013/12/17(火) 20:33:00.50 0
>>320
明朝は初代の朱元璋からして暴君だろ。

321: 世界@名無史さん 2013/12/16(月) 19:47:08.69 0
次の清朝は名君揃いなのにな

325: 世界@名無史さん 2013/12/17(火) 17:18:22.98 0
明で弘治帝みたいな名君が出たのは奇跡だな

200px-明孝宗


弘治帝


弘治帝(こうちてい)は、明朝の第10代皇帝。

即位した弘治帝が初めに行ったことは、成化帝が重用し、朝政に何ら貢献することなく高禄を与えられていた道士、僧の追放である。その首魁であった李孜省、僧継暁は投獄、後に死罪とした。弘治帝は賢臣を登用し、専売法の見直し、宦官・道士・僧の綱紀粛正、北のダヤン・ハーンに対する防衛体制の強化などの政策を実施、弛緩していた明朝の国勢を立て直した。一時期、不老長寿を説く宦官を信任したこともあったが、まもなくその害に気付き粛清し、再び政務に励み、後世の史家より明中興の祖と称されている。


327: 世界@名無史さん 2013/12/17(火) 21:12:10.54 0
猜疑心の強さはラストエンペラーの崇禎帝にまで受け継がれている
どんだけ洪武帝の血は濃いんだよww

342: 世界@名無史さん 2013/12/21(土) 22:10:45.42 0
清朝が辛亥革命で倒れ、中華民国が建国された後、孫文が朱元璋の墓参りをしているね
最近では『大明帝国 朱元璋』なんてドラマ化もされたし結構人気あるんだな

347: 世界@名無史さん 2013/12/22(日) 15:25:34.76 O
>>342
辛亥革命の後期スローガンが「滅清興漢」だから
元の勢力を追い出した朱元璋に自らを准えたパフォーマンス的な意味合いが強いかと。

357: 世界@名無史さん 2014/07/20(日) 15:52:38.66 0
光天の下 天聖人を生じ 世の為に則を作る

360: 世界@名無史さん 2014/07/24(木) 15:37:31.27 0
no title

447: 世界@名無史さん 2015/06/10(水) 23:32:41.09 0
>>360
徐一夔がNGワード使って殺されたってのはどうやら与太話らしくて
太祖没後の建文二年に死んだらしいよ
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E5%BE%E4%B8%E5%A4%94

361: 世界@名無史さん 2014/07/25(金) 00:12:07.40 0
ああ陛下!
陛下はルックスもイケメンであります!

全国の寺子屋に奉安殿をもうけ、光明にあふれたる陛下の竜顔を拝ませようと思いまするが
いかがでありましょうや!

362: 世界@名無史さん 2014/07/27(日) 11:11:22.30 0
明の初期、錦衣衛に王宗という料理人がいた。罪を犯して打ち首になるのを恐れた彼は、医者の王允堅から自殺用の毒薬を買求めた。それを知った朱元璋は王允堅を逮捕し、王宗に売ったのと同じ毒薬を飲ませようとする。王允堅は色を失い、飲もうとしない。この時朱元璋は傍らで毒の製法、中毒症状を逐一尋ね、最後に解毒法を尋ねた。尋問された王允堅は解毒剤として冷水、生の大豆汁、煮豆がよく、糞入りの冷水はもっと効き目があると白状した。

朱元璋はそれらの解毒剤を用意した後、王允堅に毒を飲ませた。
中毒症状が現れるや朱元璋は息も絶え絶えの王に苦しみの程度や効き目の進行程度を聞き、絶命寸前に糞入りの水で蘇生させた。しかし翌日、朱元璋は王允堅を打ち首にし、見せしめとして首を曝した。

364: 世界@名無史さん 2014/08/03(日) 13:52:23.47 0
小前亮の「朱元璋 皇帝の貌」は乞食坊主の頃から書いているから好きだ。

365: 世界@名無史さん 2014/08/04(月) 02:58:37.72 0
でも文章が軽いな

366: 世界@名無史さん 2014/09/12(金) 11:42:45.92 0
日本語で出版されてる中で一番面白い奴ってなに?
できれば後半の黒い朱元璋も巧みに描いてる奴が良い

368: 世界@名無史さん 2014/09/23(火) 10:03:53.23 0
>>366
正にこのスレタイ通りの『超巨人・明の太祖朱元璋』(堺屋太一著、講談社文庫、1989年)。

380: 世界@名無史さん 2014/11/15(土) 02:54:15.64 0
火徳の明の太祖が洪武帝みたいな名前にサンズイの入った皇帝で良かったの?

382: 世界@名無史さん 2014/12/22(月) 22:56:53.08 0
>>380
漢を火徳としたのに金徳の刃物を表す劉で良かったの?とか言い出したらキリがない

381: 世界@名無史さん 2014/12/18(木) 15:20:35.29 0
洪武という年号考えたの劉基辺りの儒者連中だからいいんじゃないの?

389: 世界@名無史さん 2015/01/09(金) 07:44:22.66 O
足利義満が臣従したのは太祖?

390: 世界@名無史さん 2015/01/09(金) 11:55:05.50 0
太祖の時代に相手にしていたのは懐良親王
太祖が「てめー倭寇なんとかしろ、早くしねーとシバくぞ?」と親書を送ったら
「あん、やれるもんならやってみ?とりあえずこいつヤッとくから」と使者を殺してしまった狂犬
それなのに太祖はセルフでの冊封組み込みwでお茶を濁し、そのせいで後に義満が苦労した

391: 世界@名無史さん 2015/01/09(金) 16:00:21.74 O
そこで太祖の例の病気は出なかったのかな?

393: 世界@名無史さん 2015/01/22(木) 11:26:19.22 0
太祖は懐良親王が没落死した後でも
「朕が認めた日本国王は良懐だけだ」と言って
足利義満の使者を追い返したんだよな。

418: 世界@名無史さん 2015/02/21(土) 05:05:39.96 0
朱元璋って劉邦の上位互換みたいな人物なのにイマイチ人気が無いのは何故?

419: 世界@名無史さん 2015/02/21(土) 06:30:50.14 0
人として欠けてる所があるからだろ、「だらしない」とか「無能」とか

423: 世界@名無史さん 2015/03/05(木) 16:24:53.00 0
この人は海賊あがりだよね

425: 世界@名無史さん 2015/03/09(月) 15:00:49.11 O
乞食坊主から盗賊だよ。

428: 世界@名無史さん 2015/03/12(木) 00:34:36.92 0
秀吉は?

429: 世界@名無史さん 2015/03/19(木) 11:16:53.50 0
秀吉みたいな誇大妄想狂と朱元璋のように一代で中華統一して300年に及ぶ長命政権築いた偉人を一緒にしちゃ駄目だね。
ここに書き込みするのなら最低限、呉ガンの朱元璋伝(堺屋太一邦訳)を読んでから来た方がいいよ。

430: 世界@名無史さん 2015/03/19(木) 19:06:27.71 0
>ここに書き込みするのなら最低限、呉ガンの朱元璋伝(堺屋太一邦訳)を
読んでから来た方がいいよ。


貧民から成り上がり、農民軍を組織して天下をとった朱元璋の人生が毛沢東と似ているせいか、社会主義イデオロギーの観点から呉ガンは過大評価している。

堺屋太一はすっかり影響をうけて、「織田信長と豊臣秀吉と徳川家康を全部足して、何倍にも掛けたほどの傑物」と持ち上げているが。
でも、本当にそんな人物だったら、中国は、日本はもちろんヨーロッパより早く近代化に成功しただろう(笑)

433: 世界@名無史さん 2015/03/24(火) 18:31:24.22 0
息子たちいっぱいいたけれど、優秀だった奴って燕王以外印象が薄い
だれかいたっけ?

436: 世界@名無史さん 2015/03/25(水) 00:32:13.21 0
>>433
朱シュク
「普済方」「救荒本草」を編纂。漢方薬学の基礎を作る
http://baike.baidu.com/view/55394.htm
朱椿
なおざりにされていた蜀の文化を振興。峨眉山を発展させた
http://baike.baidu.com/subview/125950/16241839.htm
朱旃
明朝六代の重鎮
http://baike.baidu.com/view/7321373.htm?fromtitle=%E6%9C%B1%E6%A0%B4&fromid=8361411&type=syn
朱権
戯曲の研究家
http://baike.baidu.com/subview/211632/5733648.htm

434: 世界@名無史さん 2015/03/24(火) 20:20:24.72 O
皇太子朱標。
温厚な人物で早死にしなければ太祖がやらかしたあり得ない規模の粛清も大分マシだった筈。

438: 世界@名無史さん 2015/03/26(木) 11:55:07.72 0
孫の一人の朱有熹は人間の脳髄が好物で食べ過ぎたため宣徳期に王位を剥奪されてるな。

439: 世界@名無史さん 2015/04/16(木) 11:26:49.90 0
明史読んだら、永楽帝の皇后て徐達の娘なんだよな。
つまり明王朝の皇統には徐達の血が混ざっている。

440: 世界@名無史さん 2015/06/04(木) 07:59:47.26 0
>>439
それを言うなら
徐皇后の母方の祖父が裏切り者の謝再興

444: 世界@名無史さん 2015/06/09(火) 20:31:20.42 0
毛沢東と比較するとあらゆる意味で小物

445: 世界@名無史さん 2015/06/10(水) 16:39:32.30 0
スタートラインのハンデも、統一までの期間も、粛清の規模も全部朱元璋が上じゃないの?
強いて言えば統治した範囲が毛沢東の方が広いけど

446: 世界@名無史さん 2015/06/10(水) 23:17:31.26 0
>>445
いやいや、文革で各1000万人粛清した毛には到底及ばないだろ
太祖の場合、巻き込まれた奴を除いては庶民は標的になってないし

451: 世界@名無史さん 2015/06/11(木) 12:57:56.35 0
>>446
いつも思うけどそれって反毛沢東側から見たプロパガンダじゃん
失政で死んだ人間を虐殺と数えるのはわけわからん
じゃあ江戸時代に改革で失敗した時に死んだ庶民は幕府が虐殺したことになるのか

453: 世界@名無史さん 2015/06/11(木) 16:46:12.60 0
>>451
文革は共産党のかなり抑えた発表でも死者40万人

対して明の太祖は
明史紀事本末で挙げられてる首魁が
李善長、胡美、唐勝宗、陸仲亨、費聚、侯顧時、陳徳、華雲龍、王志、楊璟、朱亮祖、梅思祖、陸聚、金朝興、黄彬、薛顯、毛驤、陳萬亮、耿忠、于琥の二十人
https://zh.wikisource.org/wiki/明史紀事本末/卷13

このうち薛顯、王志が発覚時に本人死亡のため不問に付され
(不問だから弟の武官世襲も許されたと思われる)
金朝興の子は爵位没収&左遷で後にある程度挽回
費聚は爵位没収で孫が挽回を図るも後に不実報告で辺境の一兵卒に
https://zh.wikisource.org/wiki/明史/卷131

主要二十人でこの処分だから実際に殺された数は文革にはるかに及ばないだろう


452: 世界@名無史さん 2015/06/11(木) 13:01:18.03 0
大躍進政策で餓死した人は人為的飢餓による虐殺と見ていいのでは?

455: 世界@名無史さん 2015/06/11(木) 17:22:43.85 0
俺が言いたいのは社会を改革しようとして失敗して多くの「犠牲者」を出した文革と、最初から殺そうとして行った朱元璋の粛清を、死者の数で単純に比較できないでしょってこと

456: 世界@名無史さん 2015/06/11(木) 17:31:36.94 0
ついでに言うと方孝孺
https://zh.wikisource.org/wiki/明史/卷141
方孝孺の家は妻子は自殺、弟は連座で殺されたんだが
いとこの孝復が軍籍に入れられてたので気づかれずに助かったとか書いてあるけど
そんな近親者、一族皆殺し図るなら調べないわけ無かろうに
万暦年間に方孝孺一族で追放された者の子孫が千三百人以上って
一族は殺されたんじゃなくて追放で、孝復はすでに追放同様の身だからそのままにされたんじゃなかろか

あと黄福
https://zh.wikisource.org/wiki/明史/卷154
永楽帝の示した奸党二十九人の一人なのにすぐに工部尚書に起用されてる

劉璟は永楽帝のことをいつまでも「殿下」と呼び続けて
「殿下は百世の後も『簒』の一字から逃れられないでしょう。」と言って投獄されたけど
殺されたんじゃなくて自殺だし一族は連座しなかった
https://zh.wikisource.org/wiki/明史/卷128

永楽帝もそれほど殺してないはず

461: 世界@名無史さん 2015/06/13(土) 07:07:46.04 0
wikiとか洪武帝の陰謀にしたくて
>中書省・御史台を側近で固めた胡惟庸に死角はないように見えた。
>ところが洪武13年正月2日(ユリウス暦:1380年2月8日)、胡惟庸と陳寧が突如逮捕されてしまう。

とか胡惟庸の地位が直前まで揺ぎ無かったように書いてあるけど違うわ

胡惟庸
車夫を勝手に殺したことでなかなか洪武帝の怒りが解けず
軍功を挙げた者にしか許されていない特権を文官が行使
洪武帝が他にも無いか調査したところ胡惟庸と六部も犯していたので処罰寸前

陸仲亨・費聚
不法行為を犯し、次に手柄を立てることで許すことになっていたが、手柄無くさらに譴責

陳寧
税を取り立てるのに民に焼印を押す
これを諌めた息子を殺し洪武帝に憎悪される

https://zh.wikisource.org/wiki/明史/卷308
皆このままでは失脚&処罰の恐れがあったから謀叛を企んだんだよ

胡藍の獄

胡藍の獄(こらん の ごく)は、中国明代初期の洪武13年(1380年)に宰相胡惟庸の造反計画をきっかけに起きた粛清事件「胡惟庸の獄」と、同26年(1393年)に起きた将軍藍玉に関する同様の粛清事件「藍玉の獄」をあわせた総称である。

洪武帝治世後期の徹底した恐怖政治を象徴する事件群であり、いずれも一万人以上の犠牲者を出したといわれる大粛清である。明国内にとどまらず、日本との外交にも影響を及ぼす大事件となった。

462: 世界@名無史さん 2015/06/13(土) 07:42:24.37 0
中書省解体があまりにスムーズに進んだので洪武帝の陰謀とみなされているが胡惟庸が謀叛を起こさなくても
「於是惟庸及六部堂屬鹹當坐罪。」(明史/卷308 )
で胡惟庸以下を追い出して権力集中させすぎてたから改編する予定だったんじゃないか?

463: 世界@名無史さん 2015/06/13(土) 07:57:24.67 0
「藍玉の獄」で注目すべきなのがナガチュの子のチャガン
ナガチュは20万のモンゴル人と共に投降した
これが当時各地に分散されていたわけだが
この逆臣禄のp21の察罕(チャガン)の供述だと
http://vdisk.weibo.com/s/vFnKDDrNVjC4?from=page_100505_profile&wvr=6
モンゴル人は漢地になじめず、藍玉の謀叛が成功したら、皆で北に帰って自由に暮らせることになっていた
当時の状況ではモンゴル人の不満も十分ありえるし
分散させて結束を弱めるはずが一斉蜂起してしまえば各地の要所を抑えることができる状態だった
このとき広東に影響力を持つ何真の子の何栄も一味だった
南京の中央軍には藍玉と生死を共に戦った者も多く強く結びついており
決して無謀な計画ではなかったはず

464: 世界@名無史さん 2015/06/16(火) 18:24:57.61 0
今日私は野球部を辞めました!今後は一流大学の史学科を目指して勉強に禿げんでいきたいと思っている次第であります。私は栄光の甲子園という夢に向かって高校生活を捧げるつもりでいました。しかし残念ながら私の学校の野球部は超ブラックな組織でした

そうまるで明王朝のように。私は挫折しました。しかし今は新たな理想にはげしく燃えている次第であります!さらば高校野球!そしてさらば坊主頭!さらば野球部!

465: 世界@名無史さん 2015/06/16(火) 20:52:05.41 0
no title
>>464 凌遅三千刀、滅九族!
466: 世界@名無史さん 2015/06/17(水) 23:12:10.11 0
ネタにマジレスですまんが
文字の獄で凌遅や族滅になってる人いないからね
文字の獄の典拠は『二十二史箚記』巻三十二の「明初文字之禍」
http://www.guoxue123.com/biji/qing/ees/032.htm
これを全て鵜呑みにしても本人が斬られているに留まる

徐一夔の件は『閒中今古録』が出典とあるけど
現在では『閒中今古録摘抄』しか残ってなくてこれには記されていない
それでこの話の大元は『翦勝野聞』らしいのだが
『翦勝野聞』は『四庫全書総目提要』では内容が荒唐無稽と評されている
実際、徐一夔は建文二年に八十歳越えで没しているのが分かっている
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/徐一夔
また『曝書亭集』にも伝記があるけどそれらしい記述も無い
http://ctext.org/library.pl?if=gb&file=79059&page=85

467: 世界@名無史さん 2015/06/21(日) 08:29:28.88 0
奴隷と乞食坊主と、どっちがより下層かは知らんが、同じ下層の出で、なおかつ有能・勤勉だったからお気に入りだったんだろうな

太祖はブ州を降すと、王興宗を金華知県とした。
王興宗は元は奴隷であったので、李善長と李文忠はともに不可とした。
太祖が言った。「興宗は長い間私に従っており、勤勉実直で決断力もあり、儒生や官吏で興宗より優れた者はいない。」
知県となって三年、果たしてその統治は好評であった。南昌通判に異動となり、のちに知嵩州となった。
このころ民を兵に編入しようということになったが、王興宗は太祖にこう言った。
「元末に結束した民は兵となり、離散した者は民となって、今や兵と民は区別されております。もし民を兵に編入すれば、民は居なくなり、どこから税を取ればよいのでしょうか?」
太祖はこの意見をよしとした。
それから懐慶知府に異動となった。
王興宗が都に報告に来たとき、帝は諸郡守の報告に対し厳しく問い詰めていたが、王興宗が報告する番になるとただ「守公は勤勉で貪る所が無い。問うことも無かろう。」とだけ言った。
それから蘇州に異動となり、河南布政使(従二品)に抜擢された。
赴任する際、挨拶に行くと、太祖は「長らく会わないうちに老いたな。私もまた白髪となった。」と言って、宴会をしてから任地に赴かせた。
王興宗はます職務に励んだ。後に事件に連座したが無罪であることが証明され、在任のまま卒去した。(『明史』巻百四十)

468: 世界@名無史さん 2015/06/23(火) 01:46:27.77 0
乞食坊主ってそもそもちゃんとした身分なのかも不明だし
元々、仏教徒は托鉢で生活するけど、朱元璋は仏教の勉強をいつどこでしていたかは不明だし、朱元璋みたいな食い扶持のために寺に流れた連中が仏教徒の真似事をしはじめてそれが社会現象になったんじゃね?
この時代以外に乞食坊主なんて聞かないけど

469: 世界@名無史さん 2015/06/23(火) 09:07:15.08 O
疫病で一家離散して皇覚寺に引き取られてる。そこで読み書きも習ったのが皇帝への第一歩と言える。
まぁすぐに托鉢の旅に出される、つまり乞食坊主になる事を余儀なくされた訳だが。
ちなみに我が国でも虚無僧(薦僧の美称)、願人坊主など乞食坊主は別に珍しくもない存在。

470: 世界@名無史さん 2015/06/23(火) 15:34:07.88 0
半年で追い出されたんでしょ?
半年で読み書き覚えたんかな

471: 世界@名無史さん 2015/06/23(火) 20:39:22.02 0
寺から出された遊方僧っていうのは共同体から切り離された存在なんじゃなかろか
紅巾の乱が起こって世の中が混乱したから社会に戻れたけど
平時ならいわば「無縁」の存在となって一生放浪して終わるしかない

472: 世界@名無史さん 2015/06/23(火) 20:47:27.83 0
姚広孝も大体同じ頃僧侶になってるけど
あちらは食い詰めてとかじゃないから
同じく僧とは言っても全然違うな

473: 世界@名無史さん 2015/06/23(火) 21:40:13.67 0
朱元璋も皇帝になった頃「あの頃は孤独で才能もなくて放浪してた」的な発言をしたって記述があったと思う
朱元璋って本当世界史の中で最高の成り上がりを果たしてるよね
劉邦みたいな身分は低いけど明るい主人公タイプなのと違ってリアルな感じがする

474: 世界@名無史さん 2015/06/23(火) 23:11:26.59 0
>>473
『大明皇陵碑』かな?
http://ctext.org/wiki.pl?if=en&chapter=816945
「儒臣」に書かせると「粉飾之文」になって子孫への戒めにならないからって
「既非可倚,侶影相將」(既に寄る辺無く影だけが友であった)とか
「聽猿啼夜月而淒涼」(猿の鳴き声を聞き夜の月を見てひどく悲しくなった)
とか、当時の思い出を自分の言葉で書いている

476: 世界@名無史さん 2015/06/30(火) 23:22:11.85 0
朱元璋の一家って疫病で一家の働き手がいなくなったから離散したけどそれ以前はそこそこの家だったんじゃないか?
『大明皇陵碑』だと
父が六十四歳、母が五十九歳で死んでいるけど疫病が無ければもっと生きていたはず
本当に貧困だと体を作るたんぱく質やカルシウムを摂取できないまま長期間過酷な労働で体に負荷がかかるので40代くらいしか生きられない
朱元璋本人も70歳まで生きているから体の基礎を作る年頃にはちゃんと食わせてもらってたんじゃなかろか

『朱氏世徳碑記』
https://zh.wikisource.org/zh-hant/朱氏世德碑记
↑これだと5代前まで遡れるけど貧農なら祖父が分かる程度じゃなかろか

478: 世界@名無史さん 2015/07/03(金) 18:51:46.24 0
>>476
北魏の例からしても「五代くらいはでっち上げてでもお祭りしないと!」って感覚があるっぽいから
多分テキトーに作ってるだろう

479: 世界@名無史さん 2015/07/03(金) 22:30:49.19 0
北魏の場合は五代前で天女の子としているあたり
むしろ口伝として残っていない王が省かれている可能性が高い

話を盛るなら当時の神道碑によくあるように
宋代の名門の子孫なんだけど戦乱で家譜が無くなったとか言いそうな所を
納税しきれなくて田を棄てて逃げたとかあまり誇れないようなことを書いている

檀上寛が20年ほど前に評伝を書いたときこれを事実として記載しているけど
今まで批判されていないようだからその通りなんじゃないのかな

480: 世界@名無史さん 2015/07/03(金) 23:25:44.96 0
少なくとも識字層の家柄に生まれたなら、名前に朱の家の五だの四だのテキトーな名前つけんだろう。零落しきった農家出身というのは事実だろう。
朱元璋に好感が持てるのは、劉宋や李唐みたいに家系を粉飾しないで自他ともに成りあがりを自負してたこと。(逆に宣伝に使っているとも考えられるけど)
本当は富豪の家に生まれてて、しかも後には赤龍の子だのでっち上げた劉邦とは違う。

17: 世界@名無史さん 2010/11/03(水) 00:35:26 0
このすれでは「光」「禿」「僧」「盗」「道」「生」「賊」「則」「寇」などの文字を使用したものは粛清

引用元: ・超巨人・明の太祖朱元璋を語ろう




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