51ZRx3TlPNL



1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/13(木) 08:05:05 ID:LaM/x0jM0
とりあえず鳥羽伏見の戦いで逃げずに戦うところからシュミレーションしてみてください








2: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/13(木) 08:54:09 ID:EFAI6ez+0
最強の幕府艦隊を二つに分け、駿河湾から東海道の薩長勢を叩くとともに、別働隊が江戸湾に入って艦砲射撃を浴びせる。

後に大村も小栗の主張が通っていたら我々の首は無かったと述懐してる。
9: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/13(木) 20:11:45 ID:RDLvqZ/Z0
>>2
はいしつもーん
江戸に向かう経路は果たして東海道だけでしょうか?
どっか重要な街道を見落としてません
11: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/13(木) 22:30:36 ID:igvOAbyV0
>>9
山に挟まれた東山道に主力を並べた状態で幕府が総反撃に出たら、討幕軍の主力は補給を受けられずジリ貧となり包囲殲滅されてた。
長期戦となった場合は制海権をどちらが握るかが戦況を左右するんだよ。

13: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/14(金) 01:45:52 ID:C/gvzBVG0
>>11
当時の弾薬消費量はそれほどでもない。
普仏戦争のときでさえ、フランス深く侵攻したドイツ軍は自国からの補給など絶望的な状況だったが、結局部隊ごとに持ち出した弾薬で何とかなった。
この状況は第一次大戦でも殆ど変わらず、初動での鉄道網の混乱による補給の途絶、鉄道の確保が進行速度に追いつかない/駅から前線までの補給路が大混雑によって機能停止している状況でも微々たる補給で前線を支えている。
この状況の解決は、第二次大戦のアメリカを待たねばならない。

つか、幕府歩兵隊以外でまともに対抗できる戦力は幕府側にあったのか?
その幕府歩兵隊にしても、下士官の不足であの体たらくだし。

14: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/14(金) 01:56:41 ID:C/gvzBVG0
ちなみに、当時の目視による索敵、風向・風力に大きく左右される帆船では、一口に制海権といっても並大抵の努力では為し得ない。
ナポレオン戦争のとき、イギリスがフランスを海上封鎖するのにどれだけの努力を必要としたか考えればわかる。
蒸気機関積んでりゃ風向に左右されずに動くことは動けるが、数が少なすぎ。
熟練度にしたって、阿波沖海戦程度のもんだよ。

15: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/14(金) 18:50:55 ID:ch8oq4Ai0
幕府が恭順しなかった場合、他大名の帰趨が焦点になると思う。
尾張や加賀がどちらにつくかで周辺小藩は巻き込まれるだろうから両方が幕府についた場合は幕府優位になるだろうな。官軍にとって最大の泣き所は補給線じゃなくて金。
戦争が膠着した場合、10万の軍勢を維持できるとは思えない。

短期的には幕府歩兵隊を中心に、幕府側についた各藩の新制兵力を糾合して尾張、美濃、加賀ラインを維持。
多少維持できれば幕府軍の銃兵化が進むだろうから、訓練を満了した部隊を逐次戦線投入。
戦争が長引けば薩摩、長州の主力になってる半農兵、農民兵が多分脱落する。

17: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/15(土) 00:29:49 ID:bvPvC0/Y0
>>15
金がヤバイのは新政府ではなくて、幕府。
幕府は欧米からも借金を払えといわれており、それが払えなくなってフランスに追加借款を頼んでいる始末。
幕府はつぶれたときに、10万両しか手持ちの金が残っていなかったといわれている。
(借金は商人と外国にやまほどある)
なので長期戦をして、なおかつ軍の近代化をすることは非常に難しい。
だから小栗はフランスに追加借款を打診していたのだが、フランスは金がほしいなら、担保を寄越せと色々無理をいっている(まあ当然の話だが)

さらに機内を押さえられると、商人の大半を抑えられているわけで、御用金を巻き上げるのも難しい(つか長州征伐のときに数百万両も御用金をとって金蔵空っぽ)

さらに長州と佐賀は藩を解体したときに、100万両もの貯蓄があったことがわかっており、
長期戦も可能と思われ。

18: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/15(土) 01:10:03 ID:Rhq5+syEO
仙台藩は財力も兵力もあるから、もうちょっとやると思ってたのに

20: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/15(土) 02:59:23 ID:Bz+zwEvn0
https://ja.wikipedia.org/wiki/近代以前の日本の人口統計
明治初期の華族+士族+卒族人口で計算すると

約200万人いた武家人口の内
薩摩:鹿児島・佐土原藩 計35万人
長州:萩・岩国・徳山・豊浦藩 計4万人

幕府方
旗本・御家人 約20万人
仙台藩 14万人(自藩の幕末の統計から)
水戸藩 2万人
会津藩は明治に入って完全に処分

外様雄藩と御三家、いつのまにか薩長側に
熊本藩 11万人
佐賀・蓮池・小城・鹿島藩 8万人
金沢・大聖寺・富山藩 7万人
高知藩 5万人
名古屋藩 5万人
和歌山藩 4万人

薩摩藩の軍事力が圧倒的(全武家人口の1/6を占めていた)だったので、
統率のとれていない幕府側はやっぱ負けたと思う。

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/15(土) 03:38:59 ID:ZRSIE2740
>>20
仙台藩は一関藩を含む。明治維新後は処分により武家人口はたった4万人に。
会津藩は若松県となったあと、士族・卒族人口はゼロ。
幕府方の旗本・御家人は、大体旗本が10万人、直属が10万人といわれているが、明治維新後は静岡藩に士族7万人が残っている。
水戸藩は、処分後の人口なので、幕末の武家人口はもっと多かっただろう。

これらの人口は女子供や老人を含むので、実際に兵力となるのは全体の1/3から1/4程度。
更に武家人口の半数は半農の郷士だったりするので派兵が困難。
それでも薩摩藩は、自分の領地にも守りの兵力を残したまま、数万人規模の兵力を領地外へ派遣することができた。

薩摩藩以外で数万人規模の兵力を領地外へ派遣できるのは、幕府、伊達藩、細川藩、
あと辛うじて鍋島藩と前田藩ぐらい。

22: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/15(土) 03:46:41 ID:18njGY+c0
>>20
幕末~明治初期の薩摩の人口統計はデタラメだよ。
基本的に半士半農の郷士は平民扱いなんだけど、薩摩だけは武家扱いしてるからそういったトンデモな数字になる。
逆にいえば薩摩藩士とは、畑を耕しながら立ち木相手に木刀を振るってた百姓がほとんどで、薩摩には本来の武士が存在しなかったということ。

25: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/15(土) 12:45:10 ID:BUSymsAL0
>>22
明治5年までは卒族という分類があったから、他藩も郷族は卒族扱いとして平民とは区別されていた。 結局かなりの卒族が平民に格落ちとなったけど。

32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/18(火) 05:04:07 ID:mJvHEDWcO
大政奉還を断固拒否したらどうなった?

33: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/18(火) 07:54:03 ID:mcHEXUPh0
>>32
王政復古クーデタは起きなかっただろうね。

36: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/22(土) 09:24:54 ID:5u5Lscd60
>>33
王政復古クーデターは形を変えて行われるよ。
徳川幕府討伐の詔が捏造されて諸大名に送られ、内線がもっと激しくなっていたかも知れない。

41: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/22(土) 22:45:25 ID:DSZ6f8aV0
慶喜が出陣したら半日で京都を制圧できたのに、朝敵になることを恐れたばかりに敗北した。薩長に負けたのではなくて水戸学に負けたのだ。

42: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/22(土) 22:51:23 ID:5u5Lscd60
>>41
だから鳥羽伏見の前に朝敵にならないよう情報収集(諜報)と薩長の謀略潰しをするのが重要。

43: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/23(日) 00:26:39 ID:fNlOhsn20
幕府においてそれができた唯一の人材・原市之進を殺害したのが幕臣なんだから、もうなにをかいわんや

46: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/23(日) 11:02:57 ID:jbtmacWW0
>>43
その原は穀潰しの使えない旗本リストラ策を唱えていたんだが
それが祟って旗本によって夜陰殺されてしまう。

50: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/23(日) 12:29:18 ID:fNlOhsn20
>>43
>旗本リストラ策

この話ところどころで聴くけどソースを知りたい。
まああのハライチさんなら、言ってもぜんぜんおかしくない。
大いにありうるけどねw

68: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/30(日) 09:28:43 ID:n8njPxg90
官軍が江戸に行くには、大井川と箱根を超えなければなりませんが
官軍は大井川をどのようにして渡ったのですか。

70: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/30(日) 17:09:33 ID:n8njPxg90
官軍の一部は中山道を通ったというのは知っていますが
全部、中山道だったのですか。

71: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/30(日) 17:09:47 ID:2U8EMyvl0
第二軍として東海道を進んだ軍もありますが、そちらも大過なく通過してますよ。

むしろ、あまりの抵抗の無さに、京都では「意外」との声が頻りでありました。

72: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/30(日) 19:33:50 ID:n8njPxg90
ありがとうございます。
大井川と箱根を無事に超えた時点で、幕府側の敗北は決まったのですね。

73: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/30(日) 21:01:32 ID:SZ9wY95B0
正直なところ、徳川慶喜が30代という若さで隠居せざるを得なくなったことは無念さを感じずにはいられない

歴代将軍の中には病弱だったり、大した活躍もせずに一生を終えた人がいるというのに・・・

慶喜は知性と健康に恵まれていて、新しい物好きでこの人ほど新時代向きな人もいないだろう

75: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/02(火) 01:22:27 ID:3XJ0i0Xi0
でも権力の座から降りたからこそ長寿を全うしたとも考えられるし

78: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/03(水) 19:27:23 ID:xhd9Cpbj0
第二次長州征伐後ではどうやっても逆転は無理。
あれ幕府は500万両くらい金つかったの。
当然幕府の金蔵は空っぽだし、商人からも御用金を取り立てまくって、なんとか捻出したもの。実は大博打だったのよ。
あれで勝っていれば、失った金はともかく、幕府の威を示せて、諸藩も従っただろうが、それが全て駄目になった、また勝っても、大散財には違いないので、長州領を直轄地にしても、その分を回収するのは何年もあとの話。

つまり長州征伐を主張したバカが悪い、慶喜も強硬派だったな。

79: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/03(水) 19:41:30 ID:xhd9Cpbj0
鳥羽伏見で勝つのは困難。
なぜなら慶喜が逃げなくても勝てない。
なぜならあれ薩長に主力はまだきていないから、先発部隊の暴走なのよ。大村は主力率いていたら幕府軍は壊滅してて、呆れたそうな。
また勝てたとしても、長州や薩摩征伐を再び実行するのは無理。

鳥羽伏見で負けた後はさらに無理。
機内を押さえられたら、物流がストップする、江戸という大消費地は自給できない。
北関東や東北は例年飢饉で、満足な食料は期待できない。

幕府は東海道など主要街道には架橋を禁止し、車輪の使用も禁止した。つまり陸路での大規模な物流も難しかった。水運が主流なのだが、これも幕府が色々規制をしてて、諸藩は大型船の建造を禁止され、西洋風の船は許可がまず下りなかった。
湾口整備もろくにしなかった(全て軍事上の理由)
結果流通が難しく、輸送コストが高く、長州征伐の費用が高騰してしまった。
(大阪に長期間駐留していたので、物価が高騰し調達コストも上昇した)

結論なにをどうやっても勝てない。

81: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/04(木) 00:14:29 ID:/mpMb9A+0
どうやっても勝てないのは分かったけど、徹底抗戦した時にどれだけ悲惨な結果になるのかとか、イギリスとフランスの動きはどうなるのかとか知りたい

82: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/04(木) 12:31:03 ID:K2ERJzI30
フランスはメキシコ干渉の失敗で一杯一杯。よほど長引けば干渉する余裕も出たかも知れんが。
イギリスはアヘン戦争辺りで帝国拡張の限界が見えて、さらに海軍の大刷新期と財政難が重なって大軍縮を始めてる時期。軍事的な積極干渉はまず不可能。
アメは周知の通り南北戦争後の混乱とメキシコ干渉でモンロー主義に振れてる時期。
むしろ長引けばロシアからの干渉の可能性のがあるかもな。

徹底抗戦時の悲惨さは、戦場よりもむしろ経済的混乱によるものの方が酷いだろう。

84: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/04(木) 13:49:51 ID:KPa2XHBU0
>>82
実際、ロッシュの意向は別としてフランス政府はイギリスの局外中立に一応同調はしてたね

83: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/04(木) 13:41:03 ID:A5MoggA50
それはそれぞれの政府の都合であって、武器商人にとっては別な話だろう。
武器商人は買い手がいれば売るだろう。

と、書いたところで思い出したが、買い手の資金がなければ売れないな。
アフリカならダイヤモンド、金、原油などの資源があったが
当時の日本にはないな。

84: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/04(木) 13:49:51 ID:KPa2XHBU0
>>83
そう言えばグラバーは戊辰の内戦が結構早く終わってしまって売るつもりだった武器が売れなくなり、破産したんだっけ
金は当時はまだ産出されてなかった?
石炭も幕末の頃から段々産出量が増えてきてるし当時の日本はまだ資源が無かったとは言えない国だったと思うけど
しかも資源が無ければ土地を出せ、というのが当時の欧米だし

85: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/04(木) 17:32:36 ID:ugcuvvn+0
どうやっても幕府はつぶれるしかなかったのかな?
慶喜の幕引きはどうすべきだったのかな。
徳川家を筆頭とする雄藩連合とかも可能性はあったとも思うが。

86: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/04(木) 17:43:27 ID:KPa2XHBU0
>>85
参与会議を有効活用し、将軍になる前に何らかの方法で長州を赦して抱き込み
大政奉還→議会制民主主義へ進む道筋を作れたなら、何か変わったかもね

87: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/04(木) 18:01:10 ID:A5MoggA50
何をするにも結局人材だから、徳川の旗本直参が無能だから
だめだろう。

88: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/04(木) 18:12:32 ID:KPa2XHBU0
>>87
慶喜に徳川旗本直参や譜代親藩以外からも広く人材を
求める仕組みを作る器量があればねえ

89: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/04(木) 18:36:11 ID:dzExP/t60
慶喜の器量云々よりも江戸方を京都の将軍に従わせるのが先かも。
慶喜が広く人材を受け入れようとしても幕府が受け入れないんじゃないかなw

個人的には板倉勝静って面白い人だと思う。
あの人、北海道まで行っちゃったけど、そこまで佐幕な人なんかね?
なんか勝と正反対な人だw

91: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/04(木) 19:17:54 ID:Sm/iU1De0
>>89
>慶喜の器量云々よりも江戸方を京都の将軍に従わせるのが先かも。
>慶喜が広く人材を受け入れようとしても幕府が受け入れないんじゃないかなw

慶喜さんが新政府代表として既得権益を死守しようとする幕府抵抗勢力をぶっ潰すという手は無かったのかな?

95: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/05(金) 12:48:50 ID:yl7y3Mn/0
>>91
雄藩の取り込みって、譜代・旗本の幕閣権力に対抗する意味もあったんじゃないか。
だから大政奉還は必須事項だった。
つっても、その雄藩にしてからが既得権益集団な訳で。
それをどう捌く積りだったのかには興味があるね。
あと、旗本という邪魔者をどうする気だったのか。

94: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/04(木) 20:18:38 ID:tlRaevul0
慶喜は幕府独裁政権で広く人材を集めるより、幕府が政権を返上して、
諸侯会議で国政を運営する新政府を樹立する道を選んだんだろ

あーあーあー、ハライチさえ生きていればなあ!
子母澤の小説じゃボロクソに書かれてるが
勝や小栗なかよりはるかに、徳川が生き延びる為には必要な人材だった。

96: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/06(土) 07:39:46 ID:omyREMhs0
農民の出で、尊攘派の渋沢栄一を拾ってきている慶喜だから、それなりに人材は求めていたのでは?
譜代・旗本に対抗する為の一会桑政権とも考えられるな。
結局、会桑が慶喜を信用せず暴走を始めたので崩壊したが、そのツケは江戸に帰ってきて際、会桑に「江戸から出ていけ」と徳川宗家の命令として出されて復讐されている。

97: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/06(土) 09:29:57 ID:q1oe2zq00
慶喜って、諸藩を説得し日本を纏め上げられるだけの人望と言うか、カリスマと言うかというか、そういった能力をどの程度持っていたのかな?

98: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/06(土) 09:54:30 ID:WCSVKGIs0
>>97
カリスマ性はほとんどない。
幕府や宮中での姑息な裏工作は得意だったけど、それゆえ誰からも信頼されなかった。
南紀派との抗争を根に持ち、井伊大老死後の彦根を減封したりと、自己中で近視眼的な行動に終始し、結束を誇った徳川家を内部から腐らせたのが慶喜。

100: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/06(土) 10:12:49 ID:omyREMhs0
>>98
慶喜のカリスマ性は非常に高い。高くなければ第十四代将軍候補になった。

>幕府や宮中での姑息な裏工作は得意だったけど、それゆえ誰からも信頼されなかった 

姑息な手・・・井伊大老が和宮降嫁を成功させる為に「和宮の許嫁の悪口を広めた」という姑息な手より、よほどまともな姑息な手を用いたな。彼はそうした政略の手を用いながらも、孝明天皇をはじめ会津藩や桑名藩を取り込んでいるし、松平春嶽、土佐の山内容堂らの信頼は失っていない。彼等は最後まで慶喜を擁護し続けている。

>自己中で近視眼的な行動に終始し、結束を誇った徳川家を内部から腐らせたのが慶喜
 
慶喜と会津桑名両藩は長州処分と大政奉還を巡り敵対するのだが、その際の会津藩の慶喜批判が君とまったく同じものだったw。
つまり、君は会津藩の言い分を間に受け杉と思われる。
幕府を腐らせたのはむしろ井伊直弼に代表される江戸の幕府譜代老中たちだ。
彼等は和宮との政略結婚を実現させる為、出来もしない攘夷決行を天皇に約束する。
この空約束の為に、慶喜や家茂がどれだけ苦しんだ事か・・・。
これは会津藩も同様だろう。松平春嶽が会津藩に京都守護をお願いし、会津藩は幕府の為に引き受けた。
しかし、春嶽はもともと島津久光の率兵上京によって、慶喜と共に復権を果たした人物で、
南紀派の井伊直弼に失脚させられていた人だ。幕府老中達は、この春嶽を江戸から追い払いうと、会津藩の京都守護職の手当を停止したり、守護職を解任させようとしている。
『京都守護職始末』の中で、会津藩主松平容保が江戸にいる老中に怒り、将軍家に直訴しようとした事が書かれてあるよ。
薩長らと政治戦を戦う彼等一会桑の足を引っ張って妨害したのが幕府老中たちなのは間違いない。

103: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/06(土) 18:29:28 ID:nFsb+Uxt0
もし、勝と西郷の江戸城無血開城の会談の時に勝の代理でオグリンを向かわせたら…

どうなる?

105: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/06(土) 19:51:58 ID:GAvQYziC0
>>103
小栗が薩長に武装解除命令。西郷はそれを無視。会談決裂だね。

104: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/06(土) 18:46:15 ID:Mb4himcM0
江戸城流血開城

108: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/07(日) 04:09:09 ID:QZrvqv3oO
徳川斉昭が長生きしてたら慶喜は徹底抗戦したのかな?
やっぱ変わらないかな?

109: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/07(日) 08:44:46 ID:CAztLv/u0
斉昭の時代は幕府がなくなるという発想はなかったからな。
一橋派は雄藩連合の案だったから、それが理想では。
南紀派と違い幕府とは一線を画していたはず。
むしろ斉彬が生きていた方が、かなり面白い。
薩摩の動きがかなり変わったはず。

111: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/07(日) 10:16:26 ID:AGOQucVk0
>>109
水戸斉昭と島津斉彬どちらも生きていたらなおさら面白いかも?

112: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/07(日) 10:22:54 ID:CAztLv/u0
烈公も攘夷はさすがにこのころになると無理と気付いたのでは?
斉彬はとにかく海外を脅威と感じていた。
国内戦争よりは、龍馬のような思想で徳川家を頂点とする
雄藩連合で国難を乗り切ろうとしたのかな。
大名だから、幕府を徹底して倒すということはないと思う。
西郷などは下級藩士だったから、倒幕に至ったのだろう。

113: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/07(日) 11:05:57 ID:N9wSa/lF0
烈公様は安政の大地震で藤田東湖と戸田蓬軒が死んだあとは迷走気味だからなあ
烈公様とセットで東湖と蓬軒も生きてないと意味がないかも
東湖は幕末の志士の憧れの人ナンバーワンだから
彼の思想がどう変遷するかで後の展開もだいぶ変わったろうね

116: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/08(月) 04:44:22 ID:lmhPlA5w0
斉彬が生きていたら史実での慶喜の役割のかなりの部分を斉彬が代行していたと思われ。
京都で尊王攘夷派の暴走を抑え、孝明天皇の頑迷さをほぐし、将軍家茂に助言する。

でも史実の慶喜が働けば働くほど各方面から恨みを買ったように、
仮想の斉彬も「名君だけど謀略が過ぎる」「頭が良すぎて何を考えているのかわからん」
「そもそも薩摩は関ヶ原の敵国。謀叛人の子孫の助言なんか聞けるか!」てなことで
総すかんをくらった思われ(w

117: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/08(月) 04:48:50 ID:lmhPlA5w0
ただ慶喜は一橋家という「家」とはいえない家の当主だったので、
自己固有の手勢をもたたないので、評判の悪化が即政治力の低下につながったけど
斉彬は天下の大藩薩摩藩の藩主で、西郷、大久保など有能な家臣を抱えていたから
政治力は失速せずに、結局斉彬を中心とした雄藩連合政権が京都に出来たのではないか?

119: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/08(月) 08:45:41 ID:OcSXgXgt0
>>117
史実どおりに途中まで行くと、井伊大老さまの安政の大獄で
一橋の一件により烈公さまと同じく蟄居&強制引退させられそうな気が・・・

123: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/09(火) 04:18:03 ID:uK2JNvPw0
>>119
うん。安政の大獄の時に兵を率いて出府して井伊を引退に追い込むか
あるいはいったん井伊に屈服して、桜田門外の変のようなことが起きて井伊が
いなくなってから復活するかしてからの話になるよね。

125: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/09(火) 08:33:49 ID:e+5KzUR70
>>123
史実どおりに事が運び、安政の大獄以後もそのまま存命だったとすると、
将軍後継が家茂になった時点で抗議のため藩兵5000を率いて抗議を計画。
→謀略なども用いて朝廷も上手く利用しうまく事を運ぶ事が出来れば
井伊を失脚に追い込む事が出来るかもしれないが、
井伊が途中で計画に気付き計画を阻止された場合反逆の罪で切腹、
お家お取り潰し、なんて事にもなりかねん・・・。
そんな事になった場合、薩摩藩士が暴走しかねないような気がする。

もし、その前に斉彬が慶喜擁立を断念、家茂擁立に動けば幕政主流派に
入り込むことも出来たかもしれないが、その場合は逆に水戸藩などから
敵視されかねない・・・。
斉彬はあのちょうどいいタイミングで死んだから薩摩藩にとって幸せだったのでは?

123: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/09(火) 04:18:03 ID:uK2JNvPw0
>>119
うん。安政の大獄の時に兵を率いて出府して井伊を引退に追い込むか
あるいはいったん井伊に屈服して、桜田門外の変のようなことが起きて井伊が
いなくなってから復活するかしてからの話になるよね。

120: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/08(月) 09:15:58 ID:qUalV6oA0
斉彬は過大評価されすぎ
ただの新し物好きの浪費家のボンボン

本当に賢明な名君なら国政なんかに色気出さず民政を重んじて領民の暮らしを楽にしてるはず。

実際にやったことはと言えば、最南端の外様のくせに国政参加の野心をもち、
領内の年貢をあげ、将軍候補に首を突っ込んでものの見事にコケている。

家定に直接、慶喜擁立の建白書を送って激怒させたとか、人情の機微を全然解してない。
典型的な、自分は頭良いと思ってるアホだとしか思えん。

もし生きてたら「頭の良い俺の言うことは正しいんだ!」
と老中や天皇を圧迫して、大反発をくってひどいことになってそう。


123: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/09(火) 04:18:03 ID:uK2JNvPw0
>>120
そういわれると自信がなくなってくる(w。
確かに斉彬が名君だというのも当時の世襲の殿様たちの中では名君ということで
鳥なき里のコウモリみたいなものだから。

ただ相対評価で斉彬が名君であることだけでもかなり重大な意味があると思う。

1867年にそれまで雄藩連合路線だった薩摩藩が(もちろん薩長同盟を結んで武力倒幕の"可能性"は留保していたけど)
武力倒幕路線に決定的に舵を切った最大の要因は、「久光と慶喜が差しで話し合うと必ず慶喜が勝ってしまうので
西郷や大久保の意見が国政レベルで反映されない」ということだろう。

つまり逆にいえば、薩摩藩主が列侯会議で慶喜を圧倒する発言力を持っていれば
西郷や大久保はリスクを負って武力倒幕に踏み切らなかった可能性が高い。

久光は慶喜と直接対決するといつも言い負かされていたけど、
斉彬なら慶喜に議論で勝てたのではないか?
そうすれば、西郷や大久保は雄藩連合路線を貫いて、王政復古クーデターもなかったのではないか?

そんなことを想像する。

129: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/09(火) 21:31:46 ID:QkFdmiRR0
よく佐幕屋の著述では鳥羽伏見で幕府兵は勇敢に戦い誠実に職分を果たしたのに慶喜は……
みたいに書かれるけど、実態は逆でしょ。

会津含む幕府兵は「出陣させなきゃ将軍を殺す」といきまいて、いざ戦うと惨めにボロ負けした。

あと慶喜が錦の御旗にびびったからチキンみたいに言われるが、
そもそも最初に御旗を観て腰が抜けて潰走したのは現場の兵士達だ。
だいたいあの当時、衆人環視の中錦の御旗に公然と突撃駆けられるやつっているのかね。
(御所に鉄砲打ち込む某藩をのぞけば)

勝?舟にだって無理じゃ


130: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/09(火) 21:41:27 ID:DZIRKEU00
>>129
その時下っ端の兵士達は『錦の御旗』なんていう代物を生まれて始めて目にして、
それが『錦の御旗』なのか何なのか認識出来なかったという噂もあるが。
実際はそんな所で敵から攻撃されるとは夢にも思わなかった所を急襲され
あまりにも突然の事にびびって潰走したという噂もあるが。
何が本当だかは知らんが。

132: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/10(水) 13:54:31 ID:dIrMzrz20
>>129
錦の御旗が押し出した後でも、橋本とかでは普通に激戦して普通に負けてるぞ。幕府軍。
まぁ淀藩の寝返りとか津藩の新政府軍入りとか色々あったが。

錦の御旗云々ってのは、実際の戦闘よりも、幕府見限った諸大名が堂々と新政府に寝返るのに
非常に都合が良かったんじゃないかと思ってるんだが。

133: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/10(水) 17:41:57 ID:Xx+iqVLc0
結局慶喜は鳥羽伏見で幕府軍の敗退をみて
江戸に帰ったのかな?

134: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/10(水) 19:42:44 ID:0Wlv7b8M0
まぁ俺なら勝てそうだったら残るだろうね

135: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/10(水) 20:43:10 ID:JH4PXD6g0
あそこで戦わなければ慶喜も新政府に入れたのに・・・・(´・ω・`)

137: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/10(水) 21:56:54 ID:/m1vMtPE0
まあ確かに戦ったことで、幕府を滅ぼす大義名分を与えてしまった。
なんで勝てると思ったのかねえ。
その前はその何倍も率いて、長州一藩にすら勝てなかったのに。

138: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/10(水) 22:01:38 ID:61gKMRS10
>>137
案外、まさか自分を朝敵にするような陰謀は成功するはずがない、
利は自分にあるはずと思い込み、
朝廷とフランスを内心当てにしてただけだったりして。

139: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/11(木) 12:35:40 ID:fR151R+j0
慶喜自体は果報は寝て待て状態だったような。
あそこで京に進攻さえしなければ……

引用元: ・慶喜が官軍に徹底抗戦したら日本はどうなった?




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