51MKUxBzu9L



1: 名無し三等兵 2012/05/25(金) 22:17:27.48 ID:???
治承・寿永の乱つまりいわゆる源平合戦を軍事分析をしましょう。
保元の乱・平治の乱も範疇に入れます。









4: 名無し三等兵 2012/05/25(金) 22:29:04.96 ID:???
平氏も北陸を実効支配して兵站を確保していれば敗北しなかった。
義仲も養和の大飢饉がなければ京で強引な徴発をする必要が無く朝廷から見放されはしなかった。

7: 名無し三等兵 2012/05/26(土) 09:02:30.32 ID:???
保元の乱って、上皇側が夜襲していたら
どうなっていただろう?

8: 名無し三等兵 2012/05/26(土) 09:26:02.60 ID:???
市街で両軍の遭遇戦 数の多い後白河側が押し切ったと思う

9: 名無し三等兵 2012/05/26(土) 09:51:39.99 ID:???
>>8
やはり興福寺勢を宇治で足止めされたのが響くか。

10: 名無し三等兵 2012/05/26(土) 09:56:41.54 ID:???
つーか中世の日本の戦いなんて軍事的に語るもんなんか無いっしょ。
原始的な小競り合いしかやってないんだから

29: 名無し三等兵 2012/05/31(木) 00:46:22.18 ID:???
>>10
阿津賀志山の戦いなんて残されてる遺構が長篠の戦いより大規模なのに

26: 名無し三等兵 2012/05/29(火) 23:22:40.77 ID:???
古典的なイメージだと一騎打ちだの押せ押せ引け引けのしょぼい戦のイメージなんだろうが
記録を見る限りかなり広い範囲で連携しての複雑な集団戦闘が行われている訳で
大河始め創作物での単純化が行き過ぎてイメージが歪められていると言うしかない

戦国時代の桶狭間も最近は掘り下げる作品も出て来たけど世間では未だにバカ殿が谷で休んでるとこを奇襲したってイメージしかないだろ

27: 名無し三等兵 2012/05/30(水) 18:29:32.01 ID:???
源平以前に関しても、前九年の役とか天慶の乱とか歩兵も大量動員して結構大規模な集団戦闘をやってるんだよなあ。
調べれば調べるほど、名乗りあって一騎打ちなんてのはごく稀なレアケースだったことがわかるよね。

28: 名無し三等兵 2012/05/30(水) 18:30:28.45 ID:rauBkmyl
ごく稀なレアケースのほうが伝承に残り易いというものあるね。

31: 名無し三等兵 2012/06/01(金) 00:15:28.97 ID:???
古代にそんな大要塞が建設されていたってのが後世の人にはイメージ出来なかったんだろう

32: 名無し三等兵 2012/06/01(金) 10:08:58.32 ID:dyPucTv9
じゃあ、いつから戦国以前の武士は名乗りあって一騎打ち~みたいな俗説が広まったんだろうか?

47: 名無し三等兵 2012/06/03(日) 01:55:37.23 ID:+PmLv8wu
>>32
真面目な話、教科書で平安~鎌倉時代の戦の作法とされてる

双方の大将が名乗りあう

鏑矢からの矢合わせ

騎馬武者達が各自互いに名乗りあって一騎打ち

という流れで行われた合戦が実際にあったのか知りたい。
或いはそういう作法に乗っ取らなかった武将が非難された例とか。

49: 名無し三等兵 2012/06/03(日) 18:08:28.07 ID:???
>>47
攻める際に敵に名乗りを上げる記述自体は保元物語や平治物語にはしばしば出てくる。
ただ、一騎打ち自体は義平VS重盛(といっても、義平が一方的に重盛を追い回してただけだが)くらいしか例が無かったと思う。

52: 名無し三等兵 2012/06/04(月) 21:11:13.37 ID:???
三国志と一緒。
演義だと大将どうしの戦いばかりだけど正史だと2回しかない。
だいたい少数で奇襲とかしといて「やぁやぁ我こそは」なんてやるわけないでしょ。
せっかく虚をついたのにたちまち態勢整えられフルボッコ喰らうわ

54: 名無し三等兵 2012/06/04(月) 21:33:40.81 ID:GtyC3FsB
屋島の那須与一とか壇ノ浦の平教経とか名乗ってなかったか?
時代は下るが山中鹿之助とタラ木狼之介(字が出ない)の一騎打ちなどもあります。
ただし、実際に行われたのか、後世の講釈師の創作かは不明。
真田幸村だって、「家康はいずこぞ!?我こそは・・・」と名乗らないと絵にならないし。

ただ、軍記物などを読むと、よく、大将が「者ども続け!!」と真っ先かけて突進すると、「大将を討たすな」と家臣がいっせいに敵に突撃する場面が描かれます。実際、そういう勇気と武勇があるから「武家の棟梁」なわけで、その際、黙って突進してもしょうがないから例えば「我こそは沙亜也!!」かなんか名乗っただろうなと思われます。
聞いただけで「あ・・・赤い彗星だ・・・逃げろおおお!!」なんてこともあったでしょうし。

家臣もまた、一応「あいつの手柄だ」と認められないと恩賞に預かれないわけですから、「こいつは俺が討ち取ったんだぞ」と名乗りを上げる必要があったことは「雑兵物語」にもあります。
中世以前の合戦がどんなだったか史料がほとんどないのでわかりませんが、「一銭五厘」の大量消耗戦の時代と違い、一世一代の命をかけた大舞台なのだから、自分の名前くらいはみんなに知っててほしい、死んでも後世まで伝えてほしい、という願望が強かったと思われるので、名乗りあっての一騎打ち、というのもあっただろうなと思います。

55: 名無し三等兵 2012/06/04(月) 22:14:33.10 ID:???
さすがに教科書での元寇の記述にあるような間抜けな事は無かったと思うよ。
平家物語だって名乗り上げてるシーンは全部乱戦してる最中だからね。
それを周囲全員が手を止めて黙って聞いてたとは思えないし。
双方の矢が飛び交う中を「○○以下百騎、推して参る!」って駆け抜け
乱戦の最中に「名のある方とお見受けした!」ってなるのが実際じゃね?

61: 名無し三等兵 2012/06/05(火) 20:18:45.62 ID:???
>>55
流石に今の教科書だと一騎打ちの記述は消えてる
が、文永の役神風で勝ったってのは相変わらず

57: 名無し三等兵 2012/06/05(火) 00:43:10.06 ID:???
実際は有力者達はその子弟達を危険性の高い配置にはできるだけ置かなかったんじゃないかな

58: 名無し三等兵 2012/06/05(火) 07:42:39.43 ID:???
武士といっても、もともと地元での所領や権利争いのために武装していた連中だから、正々堂々とはほど遠いえげつない戦いをしてきたと思うよ。

でも保元の乱以降は中央の権力争いに巻き込まれる様になって、知らない連中が多い中で戦う様になって、敵味方識別のためにも名乗りと言うか、なんらかの自己紹介的なものがあったかもしれないという気はする。

軍記物は面白おかしく伝えるため名乗りの部分を戦いのメインにすえているけど、現代だって少年ジャンプのバトルシーンとかそうでしょ。やっぱそうなっちゃうと思うよ。

65: 名無し三等兵 2012/06/05(火) 23:15:04.66 ID:???
大部隊同士が平原でぶつかるみたいなことは日本では滅多に無く数十人単位の衝突があちこちで同時に行われるパターンが多かった
平安~戦国初期までは動員されてるのは殆どが身分のある武士や地元名士やその従者
混戦では偶発的に名のある武将同士がぶつかることは珍しくもなかった筈

実際にあったか疑わしい一騎打ち描写も流石に乱戦の中で偶々という流れで描かれるのが殆ど
当時は複数人で連携するという意味での新撰組的な集団戦術は発達していなくて
乱戦になるとしばしば一対一での斬り合いも生じてしまったものと思われる

68: 名無し三等兵 2012/06/06(水) 01:26:57.96 ID:???
>>65
日本では大規模な合戦が殆ど無かったというが人口を考えると軍記物は誇張とはいえ、動員兵力の規模は世界的に見てもかなり多い方だと思うんだが。

69: 名無し三等兵 2012/06/06(水) 20:10:19.08 ID:???
>>68
一箇所に固まらずに広い戦場に分散してあちこちで戦闘してたのが日本の戦の特徴
関ヶ原の合戦などが好例

67: 名無し三等兵 2012/06/06(水) 00:36:41.18 ID:???
一騎討ちに関しては義家の時代に、廃れてしまったことを嘆いている様子が描写されていた

71: 名無し三等兵 2012/06/06(水) 20:26:55.79 ID:P/3f1W6/
一騎打ちといえば、平敦盛みたいに、よせばいいのにわざわざ戻ってきた人もいる。

もっとも、「豹は死して皮を残し人は死して名を残す」のがモットーだった時代、壇ノ浦あたりで17歳の少年が十把ひとからげに死ぬよりは、負けたとはいえ数百年間広く日本人の間にその名を残したのだから、本人としても本望だったかもしれない。

137: 名無し三等兵 2012/06/10(日) 15:59:11.71 ID:???
とりあえず名乗りとかに関しては、当時の一次史料一通り当たってみたらいんじゃね?

139: 名無し三等兵 2012/06/10(日) 16:19:46.34 ID:???
玉葉は一次史料になる?

140: 名無し三等兵 2012/06/10(日) 16:51:44.55 ID:???
有名なのは玉葉、吾妻鏡、愚管抄だが
他には今鏡、増鏡、建礼門淫右京大夫集、山塊記、吉記、百練抄
そして頼長くんのほもほも日記くらいかな?

144: 名無し三等兵 2012/06/11(月) 02:34:07.88 ID:???
史書たって、著者が見たものばかり書いてるわけじゃなくて、著者が信用した本やら日記やらの引用が大部分な訳でして。
つまり、史書とは悪く言えば公立二次資料な訳です。

149: 名無し三等兵 2012/06/11(月) 23:12:59.84 ID:???

むしろ日本って、
「日記を付けるという行為が、日本の伝統の中にあまりにも確固たる地位を占めている」
って言われるぐらい日記多くて結構助かってる

吾妻鏡、各種貴族日記、愚管抄、延慶本平家物語とかど付き合わせて真相を確かめようってのはぶっちゃけ基本だろ

197: 名無し三等兵 2012/06/16(土) 19:10:15.09 ID:???
>>149
つっか、藤原北家が明治まで残ったのと、京都が空襲されなかったお陰で、日記がかなり残ってるんだと思うわ

室町になって守護が国府機能を吸収して、国衙が消滅したのは痛いと思う
室町以前の史料が乏しいのは、そのせいだろ
未だ、国衙の場所すらわかんないところも多いし

150: 名無し三等兵 2012/06/12(火) 00:19:05.26 ID:2bB7lLC3
だが残念ながら、当の武家の日記は江戸時代を待たねばならない。
だから合戦の模様がどんなだったかほとんどわからない。
ほんのひとこと、「何某を討つ」という記述の行間に、果たして名乗りをあげたのか、どれだけの死闘があったのか、想像にまかせる以外にない。(だから小説が成り立つが)

151: 名無し三等兵 2012/06/12(火) 00:45:12.61 ID:???
武士自身が合戦の記録を残すのは蒙古襲来絵詞が最初かな?

152: 名無し三等兵 2012/06/12(火) 00:54:35.44 ID:???
その蒙古襲来絵詞では名乗り上げたり、一騎打ち挑んだ描写は皆無だから少なくとも鎌倉時代にはそういう事は殆どやらなかったんだろうね。

155: 名無し三等兵 2012/06/13(水) 10:59:58.45 ID:???
>>152
そう考えると、その図式が崩れたのは源平~鎌倉幕府成立の頃かな?
源平の戦いは日本史においては初めての全国規模の内乱って言われてるし。

158: 名無し三等兵 2012/06/14(木) 05:15:22.03 ID:???
>>155
そもそも名乗りあって一騎打ちなんて図式は最初から日本にはなかっただろ
古代から中世まで一貫して集団戦法で戦ってる

160: 名無し三等兵 2012/06/14(木) 10:31:50.82 ID:???
ご恩と奉公なんかもそうなんだろうけど、個々の武士は自分の権利を維持あるいは新たに獲得するために戦ってるから、場合によってはあくの強い自己主張も必要だろうね。
自分の属した集団が勝つのは重要だけど、それ以上に目立った活躍がないとリターンも少なくなるし。

162: 名無し三等兵 2012/06/14(木) 11:20:49.37 ID:???
でも軍記物ですら長いのは保元物語と平治物語くらいでしか見かけないよ。

163: 162 2012/06/14(木) 11:56:57.46 ID:???
名乗りのことね>長いのは。
平家物語だと名乗りを上げるシーンはわずか4つくらいしかない。
それもいずれも乱戦や追撃の最中でのことだ。
脚色が強い軍記物ですらこんなんだから
実際に名乗ったケースなんて殆ど無いんじゃない?
ましてやスレチだけど旗印が普及した鎌倉以降はね。

171: 名無し三等兵 2012/06/15(金) 08:39:25.84 ID:???
武器の供給というか調達は末端で行ってたのか、一族単位なのかちょっとわからんな
一族で鍛冶や精錬やっていたような資料はちょっとは見つかる
売買の記録はあまりない

合成弓の制作も特殊技能
矢なら火入れして作るのもそれほど技量がいらない
今でも滅びつつあるアマゾンの部族の一員が矢だけ大量に作ってるってのあったはず
弓を作る技術者や弓を使う人間は感染症で全滅
足が不自由だが矢は作れる人間が生き延びて、ひたすら使うことのない矢を作っている

172: 名無し三等兵 2012/06/15(金) 19:29:35.36 ID:+f6Me5Nb
日本の弓は合成弓じゃないよ
かんたんなものなら裏の竹やぶから竹切り出してつくってた。
矢も、村上水軍とか、「矢竹」といって切ったらすぐ矢に使えるまっすぐな竹を植えていた。
矢じりや尾羽はある程度技術がいるけど。

で、合成弓じゃないから、元寇のときとか、
「敵の弓は日本より半分くらいしかないのに飛距離も殺傷力も倍以上」となった。
それでもなぜ、器用な日本人が合成弓や石弓を使用しなかったのか不思議。
もっと複雑な鉄砲はあれだけ短期間に大量に普及したのに。

175: 名無し三等兵 2012/06/15(金) 21:31:55.64 ID:???
平安末期には伏竹弓や三枚打弓があったことも知らねえのか 
元寇の弓に関しては元々は「二時ばかり」という記述が写本で「二町ばかり」に誤植されたせいで広まった俗説で森教授の検証では実際には和弓の方が構造的には威力が上だったという結果が出ている。

クロスボウに関しては大和朝廷時代ではむしろ主力兵器だったけど蝦夷との戦いで敵の騎射戦術に苦戦したのと、律令体制の崩壊で大量に生産するノウハウが失われたのと、同時期に勃興した武士が騎射をメインにした上に「誰でも簡単に撃てるクロスボウ」を使いたがらなかったから中世には廃れたんだよ。城や砦を防衛する為の大型のものは一部で使われたみたいだがな。
その頃には弓の性能も奈良時代とは比べものにならない程上がったから再び歩兵戦がメインになる南北朝以降でも、わざわざ復活させるメリットは無かったしましてや種子島が伝わってきた戦国時代なら尚更のことだよ。

177: 名無し三等兵 2012/06/15(金) 22:17:11.58 ID:???
合成弓は普通は木・竹製の弓にそれ以外の材料を組み合わせたものをいう
馬上で使用するため小型であることが多い
最近は竹と弓で作った和弓を合成弓だと声高に主張する人が多いせいで合成弓の説明時にわざわざ「和弓以外の合成弓は~」と言わないといけない面倒

182: 名無し三等兵 2012/06/16(土) 08:41:45.64 ID:???
製造技術的には合成弓の枠
技能持ちが道具持っていないと作れない
小規模工房でも作れるけど、それは一族に属するのか、それとも量産して販売していたのか
いまいちわからん
刀剣とちがって経年劣化するある意味消耗品だから、継続的な更新が必要

歩兵に関しては投石の方が弓より配備も教育も楽
金がかかって機動が難しく、威力的にも微妙な弓歩兵が少ないのはしょうがない
雨降って濡れたら弓壊れるよ

184: 名無し三等兵 2012/06/16(土) 09:07:21.14 ID:???
雨の日は弓壊れるから戦しませんってか、のどかで良いなあ

185: 名無し三等兵 2012/06/16(土) 10:00:48.50 ID:???
>>184
古今東西の戦史みれば明白だろ?
弓兵は水に濡れないように弓を袋に入れて行軍し、
弓兵力に劣る側は悪天候を選んで戦闘を仕掛けるのが常道。

186: 名無し三等兵 2012/06/16(土) 10:24:24.76 ID:bqGEJ6sU
火縄銃じゃあるまいし、雨降ったら弓使えないなんて聞いたことない。
「弓袋」って、防水ビニールシートかなんかですか?画像キボンヌ。

ところで、日本で合成弓が普及しなかったのは、獣の皮を使用するから、「穢れたもの」として敬遠された、という説もあるみたいね。

187: 名無し三等兵 2012/06/16(土) 12:27:25.65 ID:???
雨の中で弓は使えなくはないけど、濡れると膠が剥がれて壊れる
使用後にすぐ乾燥させないと後方送りで修復か使い捨てになる

膠使ってる時点で獣が絡むけどな

189: 名無し三等兵 2012/06/16(土) 12:56:43.72 ID:bqGEJ6sU
この降水量の多い日本で、「雨が降ったら使えなくなる」兵器が大量普及するわけがない。
いや、ぬれたままで放っておいたら当時の素材は大概腐って土に戻るけど。
しかしそれをいうなら鎧とか刀とかぬれたら錆びるから使えないのか?
川を挟んでむきあえば、一気に押し渡ったほうが負けることになるのか?
「後方送り」ってなんだよ。弓で戦争やってる時代に「後方送り」なんてあったのかよ。
いったいどこの国の話やってるの?

191: 名無し三等兵 2012/06/16(土) 13:56:32.08 ID:???
和弓になんで漆が塗ってあったのか、刀がなぜ漆を塗った鞘に収めてあるのか、良く考えてみればいい。
あと、武具は大事にされてはいても、床の間の飾りなどではなく、実戦で使う実用品だって事にも留意して欲しい。

引用元: ・【源平合戦】治承・寿永の乱を軍事分析【平家物語】