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1: 人間七七四年 2011/05/19(木) 00:15:02.39 ID:pVEk4y/d
菅達長、船越景直、安宅冬康、野口冬長などマイナー過ぎる淡路島の武将について語ろう

淡路細川氏家臣団?
近藤氏、吉川氏、船越氏、福良氏、広田氏
賀集氏、安宅氏、野口氏、梶原氏、管氏

淡路七人衆?
小田館主 小田将監

淡路十人衆?
庄田城主 船越景直
湊里城主 安宅秀益
志知城主 野口則守
郡家城主 田村経春
蟇浦城主 蟇浦常利
柳沢城主 柳沢直孝
猪熊城主 菅達長
栗原城主 島田時儀
山添城主 加藤主殿
沼島城主 梶原秀景
鍛冶屋城主 賀集盛政
阿那賀城主 武田久忠

安宅八家衆?
炬口城主 安宅秀興
湊里城主 安宅秀益
洲本城主 安宅冬康
白巣城主 安宅冬秀
猪鼻城主 安宅冬俊
由良城主 安宅清康
安乎城主 安宅隼人
岩屋城主 安宅宗景








2: 人間七七四年 2011/05/20(金) 00:17:49.55 ID:QpjGtpv8
野崎内蔵介

淡路島一帯の海賊、北淡路・岩屋城の城主。
長宗我部元親傘下に入り羽柴秀吉と対立、元親が秀吉に敗北した後に菅達長の家老となる。
九州征伐、小田原征伐、朝鮮の役に参陣、関ケ原では菅氏が西軍についたのに対し東軍に参加、藤堂高虎の船手頭として五千石となった。

3: 人間七七四年 2011/05/20(金) 00:19:21.23 ID:QpjGtpv8
広田藤吾

広田氏は、元は淡路の土豪で広田城の城主。
羽柴秀吉の淡路攻めの際は、仙石秀久の家臣団に加わり、洲本城攻めで功績を立てる。
その後、脇坂安治、蜂須賀氏など淡路を治めた歴代の領主に仕えた。

4: 人間七七四年 2011/05/20(金) 10:13:48.66 ID:UMNd2qPD
脇坂氏が後に奉じられたんだっけ?

8: 人間七七四年 2011/05/23(月) 17:37:35.72 ID:NHC3b6Tv
>>4
淡路国洲本藩

立藩 藩主 脇坂安治

廃藩

伊勢国津藩属領 藩主 藤堂高虎

播磨国姫路藩属領 藩主 池田輝政

再立藩 藩主 池田忠雄

廃藩

阿波国阿波藩所領 藩主 蜂須賀至鎮

由良城代→洲本城代 稲田示植

5: 人間七七四年 2011/05/20(金) 19:19:26.60 ID:4n+6ajPN
細川氏淡路守護家もここか
奉公衆一番番頭だったそうだから在京だったのかな

9: 人間七七四年 2011/05/24(火) 18:19:35.82 ID:0v50fm16
蟇浦経利

三好氏家臣。通称藤次。「常利」とも。淡路蟇浦城主。
1528年、三好元長が京畿から四国へ帰還した際、炬口城主安宅秀益が背いたので、経利は栗原城主島田時儀と共に元長に率いられて秀益を討った。

10: 人間七七四年 2011/05/24(火) 18:54:19.16 ID:0v50fm16
元長の信頼も厚い常利を妬んだ他の城主の讒言により、常利は蟇浦城の開城を求められた。しかし、一切やましいところがない常利は頑として聞き入れず、ついには知行差し止めとなり、浪人となってしまった。
その後、炬口城主安宅秀興の子秀益が三好元長に謀反を企てようとしていることを耳に入れた常利は、浪人の身であることも忘れ栗原城主島田時儀と共に炬口城を夜討ちした。城主秀益は不意をつかれ由良城の安宅氏のところに逃げ延びた。
これを知った元長は自らを恥じ、常利を元の蟇浦城に戻した。

11: 人間七七四年 2011/05/24(火) 22:28:38.15 ID:pCDoygft
すごいマニアックな武将の逸話だなw
淡路の戦国時代は資料不足で散々だから是非賑わってほしいところ
特に三好関連は何気に嬉しいな

12: 人間七七四年 2011/05/26(木) 23:16:45.87 ID:tqgB8emK
田村経春

三好氏の家老・篠原氏の一族で、郡家城の城主。
田村氏は、淡路国一宮(伊弉諾神宮)の社家で、坂上田村麻呂の子孫という伝承がある。
篠原長房との上桜城の戦いで淡路勢として参戦した。その後、武田勝頼との戦いに際し、織田信長は、作戦の上手い経春に先陣を任せようと考え、何度も使いをよこしたが、経春はそのたびに病気や留守だと理由をつけ断り続けた。しまいに腹を立てた信長は、経春に切腹を命じた。経春は、一宮の森や、妙京寺の馬場の見える庭で切腹したという。
経春の跡を田村村春、康広が継いだが羽柴秀吉の淡路攻めの際、秀吉軍に従わず落城して田村氏は滅んだ。

14: 人間七七四年 2011/05/30(月) 18:59:30.01 ID:91+XGeMi
地勢的に上方の商人たちと密接な付き合いがありそう?

15: 人間七七四年 2011/05/30(月) 21:44:43.31 ID:naA3NOcs
水軍が発達してる印象

16: 人間七七四年 2011/05/31(火) 17:12:59.15 ID:hkj1wZ2U
洲本一帯が安宅水軍の牙城
北部一帯が野口氏・管水軍の牙城
沼島一帯が梶原氏・沼島水軍の牙城
南部~瀬戸内海沿いに水軍を持たない諸勢が乱立

こんな感じ?

21: 人間七七四年 2011/06/04(土) 22:05:04.05 ID:r7OmnNL9
野口冬長が気になる

野口 冬長

野口 冬長は、戦国時代の武将。三好氏の家臣。淡路国・志知を本拠地とする野口氏の養子に入って家督を継承、淡路を拠点に播磨国から讃岐国の東にかけて、本州と四国の間を取り持ち交流する役割を与えられていたという。しかし、天文22年(1553年)に兄・実休が主君・細川持隆をクーデターで殺害した折、それに憤った持隆家臣達との間で生じた鑓場の合戦において、戦死したといわれる[1]。若くして死去したためか冬長は事績に乏しく、三好家を扱った文献の中では、十河一存を末弟とし、冬長はその存在自体がなかったものとして扱われていることが多々ある。


22: 人間七七四年 2011/06/04(土) 22:39:28.65 ID:pKLA0HDL
三好長慶、三好義賢、安宅冬康、十河一存、野口冬長

同じ三好一族でも野口冬長だけ謎過ぎる
志知の野口氏の養子に入ったことぐらいしかわからない

23: 人間七七四年 2011/06/09(木) 19:57:47.09 ID:+6BHIZSW
安宅冬康から偏諱を受けたと見ていいのか?

24: 人間七七四年 2011/06/09(木) 21:55:41.22 ID:kNrHuitd
足利義冬じゃね?

25: 人間七七四年 2011/06/09(木) 21:57:59.21 ID:+6BHIZSW
義冬って誰かと思ったが、義維かなるほど
阿波公方なら三好とも関係が深かろうしな

26: 人間七七四年 2011/06/12(日) 12:02:55.80 ID:2BkFy3l1
そもそも冬長って史料上の動向を確認できるのかな?

27: 人間七七四年 2011/07/17(日) 23:28:40.13 ID:8TtYaiXq
『大阪府全志』に冬長が原田直政の戦死後養子になって原田氏を継いだ…なんて話が載ってるらしい
ソースは知らない

31: 人間七七四年 2012/01/24(火) 03:24:13.16 ID:hKpG0aYS
第1次木津川口の戦いで野口某って人物が戦死してる

32: 人間七七四年 2012/01/31(火) 14:58:22.84 ID:pOgZGRIS
同一人物だったとしたら切ないな

44: 人間七七四年 2016/04/30(土) 21:00:49.49 ID:RZh44P5b
野口冬長
早くに亡くなった説もあるけど原田直政の養子になった説や、松永久秀が野口某に宛てて、長慶の病状が思わしくないので覚悟しておいてください、と書いてる手紙があるんだっけ
そう考えると実は兄弟で一番長く生きてたのかもしれないが存在空気という哀れさ

45: 人間七七四年 2016/05/01(日) 02:11:35.63 ID:JB94HEVq
>>44
松永久秀の手紙は野口に宛てたものとは限らないし原田直政への養子は限りなく可能性は低い
もっと言うと仮に淡路の野口某が養子に行ったとして織田家臣の原田じゃなく摂津の土豪の原田氏であろう

48: 人間七七四年 2016/08/28(日) 10:13:41.52 ID:nsCo7tKi
>>45
久秀の手紙にある菅若は、野口氏が属する淡路菅水軍を継承していた野口冬長かその後継者(冬長が若年で死亡しているとするなら、菅家本流が復帰しているはず)を指すものと思われる。
で、菅水軍の地位は三好政権下では安宅系の勢力が強まったことで相対的に低下しており、長慶の病状みたいな機密事項を久秀がおいそれと中堅どころの豪族に通達するとは思えない。
ただ、久秀の手紙とされるもの自体の信ぴょう性がわからないんだけど、あれコピペでしか見たことないんだが典拠はどこなんだ?

46: 人間七七四年 2016/05/02(月) 21:28:16.56 ID:maLwbYI1
三好末期だと野口長宗って人物がわりとちょろちょろ名前出てくる気がするけど冬長と血縁関係とかあるのかね?
単にそのころの野口氏の代表的人物なだけかな

50: 人間七七四年 2017/05/04(木) 21:30:38.25 ID:6evuyK3k
「松弾」の手紙の出典を長い事探してたが、20年くらい前の杉本苑子の『歴史を語る手紙たち』(文春文庫)にも同じようなエピソードがあるらしい。
この本を手に入れて出典を見れば話の元が分かるんじゃないかな。
図書館とかにあればそれでもいいんだが。

51: 人間七七四年 2017/05/04(木) 23:33:52.67 ID:6evuyK3k
「松永久秀書状」年未詳九月十四日付(徳島市立徳島城博物館『勝瑞時代』の写真より一部訂正)

でググったところ、
実物はおそらく「双柏文庫」にあって、『ヒストリア』のバックナンバーに活字が、『勝瑞時代』っていう本に写真が載ってる。

52: 人間七七四年 2017/05/05(金) 00:41:32.60 ID:3bvmY21F

53: 人間七七四年 2017/05/05(金) 08:57:16.61 ID:3bvmY21F
御折紙令拝見候、
仍榎並給人方事、
被止御違乱之由、可然存候、
長慶内証之様鉢咲止ニ存、
御心中とも不存候つれ共、
各為御意得申候き、
然者給人方田地事不可有其隠候、
乍去御不審事候ハ、
給人衆之帳可有御覧候、
尚 へ申渡候間、不能一二候、恐々謹言、
松弹(天文二十一年力)九月十四日久秀(花押)
(菅若狭守、安宅方榎並代官)菅若

多分、これ天野「三好氏の畿内支配とその構造」だと思うんだけど、専門家が花押付きの真贋を誤るわけはないから、松永の手紙なのは確かだろう。

でも、天野さんの見立てでは手紙の時期が「天文21年」、つまり、鑓場義戦の前年だと思ってるわけで、「菅若」が野口冬長だったとしても、生存説には寄与しない。

54: 人間七七四年 2017/05/27(土) 20:45:41.15 ID:e6qm2US7
江戸時代の淡路の武士ってやっぱ蜂須賀にくっついてきた余所の出身者が多いんかな?

55: 人間七七四年 2017/05/28(日) 23:36:52.24 ID:WuZgBHwV
そりゃ、稲田氏自体の譜代が80とかいたらしいからね。

38: 人間七七四年 2013/11/09(土) 11:58:57.07 ID:p7DVYnoZ
淡路守護細川氏の居城もしくは居館ってどこだったかわかりますか?

39: 人間七七四年 2014/01/12(日) 17:39:16.02 ID:ZDCVqHAe

43: 人間七七四年 2016/03/22(火) 17:16:35.09 ID:lBWcfkMb
淡路洲本城に行ってきたけど
たけのくち城と一緒くたにされてて悲しかった

引用元: ・【菅・船越】淡路島の武将【安宅・野口】




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