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1: 世界@名無史さん 2011/01/19(水) 21:33:07 0
962年から1806年まで中欧に存在した政体について。
1300年ごろの版図→ http://www.euratlas.net/history/europe/1300/index.html







8: 世界@名無史さん 2011/01/19(水) 23:48:09 0
神聖でもなく、ローマでもなく、帝国でもない。

9: 世界@名無史さん 2011/01/20(木) 16:55:46 0
けどEU統合で最近は再評価されてる
群小諸侯が連携してフランスを食い止めたり

19: 世界@名無史さん 2011/02/20(日) 09:57:39.54 O
教皇と宗教的な権威について争ってた頃は神聖と言えるかもしれない

21: 世界@名無史さん 2011/02/20(日) 20:01:47.20 0
>>19
叙任権闘争のことか?
あれも結局は教会財産の分捕り合いみたいなもののような気もしないではないが…

20: 世界@名無史さん 2011/02/20(日) 16:58:46.77 O
西洋人のパチモンローマ帝国の歴史は長い。


28: 世界@名無史さん 2011/03/14(月) 21:06:12.69 0
滅亡の仕方がぶざまだった。
「国家滅亡はぶざまにきまっている!」と言われるかもしれないが、それでもやはり、ぶざまな滅亡だと言わざるを得ない。

最後の皇帝が、
「封建領主どもは、どいつもこいつも好き勝手なことばかりしやがって。 皇帝をなんだと思ってるんだ。もう、俺なんかいなくたっていいだろ。やーめた!」
と言って、退位してしまったのだ。

側近がつっこむ。
「あんたもその封建領主の一人でしょ」
「あ、そういやそうだったな。うわぁはっはっはっはっ」

こうして神聖ローマ帝国は滅亡しました。

29: 世界@名無史さん 2011/03/14(月) 23:07:59.28 0
あるいは、
「え?俺って神聖ローマ皇帝だったの?オーストリア国王だってことは知ってたけど、そんな位についていたっけ?ところで神聖ローマ帝国って何?めんどうくさいからもうやめようよ」

こうして滅亡した。

30: 世界@名無史さん 2011/03/17(木) 19:13:39.45 0
いちいち的確な感じでワロタwww

31: 世界@名無史さん 2011/03/17(木) 22:36:56.54 0
東ローマ帝国の滅亡では、皇帝みずから陣頭に立ち、首都を包囲する敵の軍勢に斬り込んで、壮烈な戦死を遂げた。
同じ「ローマ帝国」だというのに、滅亡の仕方や皇帝の態度は、まったく雲泥の違いだね。

34: 世界@名無史さん 2011/04/14(木) 20:36:14.97 0
まあ確かに東ローマ帝国の最期といったら世界史でも有数の壮烈さだからなぁ
神聖ローマ帝国のあっさりさとは比べるべくもない
コンスタンティノス=ドラガセス=パレオロゴスさんマジ漢すぎるだろ

36: 世界@名無史さん 2011/04/25(月) 04:25:31.48 O
ナポレオンには「自分は西ローマ皇帝」とは思ってなかったのかな。
カール大帝の故事に因んだ戴冠をしたり、息子をローマ王にしたり、意識はしていたような気がするけど。

37: 世界@名無史さん 2011/04/25(月) 11:34:08.62 0
>>36
欧米の指導者は常にローマ帝国を意識しているよ
あのブッシュ元大統領(子供のほう)は911のテロの後にアメリカもローマみたいに潰れてしまうのではと考えて、ローマ帝国についての勉強会をしたそうだし、

38: 世界@名無史さん 2011/04/27(水) 17:05:55.95 0
>>37
アメリカ合衆国の大統領って、強大な軍の統帥権と行政上の強い権限を持っています。
元老院に推戴されて帝位についた初期のローマ皇帝とかさなる部分があります。

39: 世界@名無史さん 2011/04/28(木) 10:37:40.89 O
軍の総司令官インペラートルと法律執行の拒否権たる護民官特権か。
州知事の力も強いしなぁ。多民族国家だし。確かに似てる
でもまぁ沿革上は19世紀の立憲主義の下の君主大権が、何故か21世紀に生き残っている
不思議な民主主義ってことなんだろうが。

40: 世界@名無史さん 2011/04/28(木) 11:59:10.40 0
アンヴァリッドのナポレオンの墓にはローマ皇帝と刻まれてたのを見た

41: 世界@名無史さん 2011/04/28(木) 12:16:26.25 0
アメリカは露骨に古典ローマを気取っているところがあるけど、EUは完全に神聖ローマ帝国化しているだろう
最初にEUを構想したEU官僚たちはまだ生き残っているだろう?
一度どういった形のローマ帝国を夢想していたのか聞いてみたいものだな
ちなみに通貨統一が夢物語だった時代の統一通貨モドキの記念貨幣にはカール大帝が刻まれていたけどカール大帝は古典ローマ的ローマ帝国を夢想していたのかな?
ビザンツのパクリでいいと思っていたのかな?
まさか神聖ローマ帝国みたいな形の封建諸侯分立を夢想指定のかな?

42: 世界@名無史さん 2011/04/28(木) 14:15:17.75 0
>>41
カール大帝とビザンツ女帝のエイレネの婚姻による東西ローマ帝国の統一が企てられたと聞いています(出典は忘れてしまいました<(_ _)>企画したのは当時の教皇庁のようです)。

ただ、エレイネがその後に廃位されて流刑になった為、この企ては消えてしまいました。

当時の教皇庁が古典ローマ的ローマ帝国(コンスタンティヌス大帝の時代の再来)を夢想していたのかもしれません。

43: 世界@名無史さん 2011/05/01(日) 11:21:03.59 0
神聖ローマ帝国の全盛期は何時なんだろうな

版図だけで言うとカール5世の時なんだろうけど
いまいち神聖ローマ帝国としてカウントする気になれない不思議

44: 世界@名無史さん 2011/05/01(日) 15:19:44.42 0
ハプスブルク帝国を省くならザクセン朝の頃じゃないかなぁ
ハインリヒ二世とか?

56: 世界@名無史さん 2011/05/22(日) 00:45:37.39 O
>>44
ザクセン朝の頃はそれこそ「神聖」でも無いし「ローマ帝国」とも名乗って無いからな
まあ皇帝って言えば当時の誰が聞いてもローマ皇帝だからそれは良いとしても、神聖ではないし
「神聖ローマ帝国」としてはカール5世が最盛期としか言い様がないんじゃね?
広大な版図はむしろ最もローマ帝国的と思うが、イタリアを含まないのが画竜点睛を欠くな

58: 世界@名無史さん 2011/05/22(日) 02:23:40.31 0
>>56
カール5世は両シチリア王も兼ねてるしイタリア北部諸都市も緩い支配下に置いてる
全土を完全に、ではないけどイタリア含んでるよ

45: 世界@名無史さん 2011/05/05(木) 13:29:37.22 0
「辺境伯」とか「選帝侯」は名前がかっこいいな。

47: 世界@名無史さん 2011/05/06(金) 15:59:10.74 0
名前を初めとして中二病くさい連邦
選帝侯が名前だけの帝国官職もってたり

ちなみにビザンツは過去の栄光に固執する老害帝国

50: 世界@名無史さん 2011/05/08(日) 22:21:54.32 0
宮中伯ってのは、日本だと内大臣みたいなもんかな?

51: 世界@名無史さん 2011/05/08(日) 23:43:35.52 0
>>50
初期には文字どおり宮中に伺候して職務を行う皇帝の側近としての役目も負っていたので内大臣というより政府の大臣に近いかな?
後には地方での諸侯の監視も役目になるけど

54: 世界@名無史さん 2011/05/21(土) 15:23:12.49 0
皇帝の一覧見てたら、
ロタールとルートヴィヒは前者は2世が、後者は3世が欠番でいきなりズップリンゲンベルク家のロタール3世、ヴィッテルスバハ家のルートヴィヒ4世がポッと現れるのですが、欠番になる理由は何かあったのですかね?

あわせて、ルートヴィヒは2世もロタール1世の子なのはわかるのですが20年も在位しながら、治績やエピソードが分かる資料が見当たりません。
何した人だったのでしょう



55: 世界@名無史さん 2011/05/21(土) 16:08:20.79 0
ロタール1世の子、ロタール2世は帝位に就かずロタリンギアの王だったがどうもカウントするみたいだ
ただ、カウントせずにロタール3世を2世とする場合もあるみたい
盲目帝ルードヴィヒ3世の方は901-905年に在位してる

ルードヴィヒ2世のエピはググれば英語版やドイツ語版wikiあたりで簡単に読めると思うが……
文献ということであればピエール・リシェの Die Karolinger. Eine Familie formt Europa とか?

57: 54 2011/05/22(日) 01:45:14.70 0
盲目帝ルートヴィヒ3世ってそんなのがおったんですね
アルヌルフ帝の息子、ルートヴィヒ小児王とは別人ですよね?
カロリング朝の皇帝はアルヌルフ・フォン・ケルンテンが最後で以降オットー大帝まで皇帝はいなかったかのように書いてある本もあるんですが、じゃあその本はスカタンですね。
ルイ3世(プロヴァンス王)(880年頃 - 928年6月5日)は中世西欧の皇帝(ルートヴィヒ3世、在位:901年 - 905年)、プロヴァンス王(在位:887年 - 928年)、イタリア王(対立王、在位:900年 - 905年)。ボゾン家出身。失明させられたことから盲目王(l'Aveugle)といわれる。


68: 世界@名無史さん 2011/08/01(月) 23:09:05.00 0
ハインリヒ6世の世襲帝国化計画が成功していたらドイツの歴史は変わっていたのだろうか? だとしたら、帝国議会で大反対したケルン大司教アドルフは別の意味でドイツの歴史を変えた男になると思ふ

ハインリヒ6世

ハインリヒ6世(1165年11月 - 1197年9月28日)はローマ王(在位:1169年 - 1197年)及びイタリア王(在位:在位:1186年 - 1197年)、並びに中世西ヨーロッパのローマ皇帝(在位:1191年 - 1197年)、シチリア王(在位:1194年 - 1197年)

1195年のバーリの宮廷会議では十字軍への参加を約束し、教会との関係の改善を図った。同年6月にハインリヒはコンスタンツェとフリードリヒをパレルモに残してローマ帝国に帰還し、十字軍の準備を進めるとともに、フリードリヒへのローマ皇帝位の世襲を計画した。

年内に開催されたヴォルムスの帝国会議でハインリヒはフリードリヒのローマ王選挙を求めるが、諸侯の反対によって要求は退けられる。1196年4月に開催されたヴュルツブルクの帝国議会でハインリヒは、ローマ王位をフランスやシチリアと同様の世襲制に代えて諸侯に国王選挙権を放棄させるかわりに、諸侯にも相続権を認める「世襲帝国計画」を提案した。しかし、ケルン大司教アドルフの猛反対に遭って計画は失敗に終わった。


69: 世界@名無史さん 2011/08/06(土) 00:28:02.12 0
固定化したドイツ王家なりドイツ皇帝家なりが成立したとしても割と早々に男子断絶、血統消滅してなかったことになりそう

70: 世界@名無史さん 2011/08/08(月) 12:19:05.15 0
親父のバルバロッサがハインリヒ獅子公を討伐するときに授封強制の前例作っちゃったから、ドイツ内での皇帝権力拡大は難しかったろうな

73: 世界@名無史さん 2011/09/09(金) 01:56:27.17 0
ドイツの子供たちは神聖ローマ帝国期のダラダラとした長い1000年の歴史をやっぱり学ぶの?

74: 世界@名無史さん 2011/09/09(金) 12:40:05.68 0
カール大帝の頃から神聖ローマ帝国として学ぶらしいな

76: 世界@名無史さん 2011/09/09(金) 22:12:18.86 0
ドイツの教科書も興味深いが、オランダやベルギーも知りたいところだな
日本ではマイナーな帝国諸侯のホラント伯やブラバント公の歴史も学ぶのかね

83: 世界@名無史さん 2011/09/13(火) 22:59:47.43 0
流れ切りでスマンが、いつ頃から「ドイツ」って言う地名が使われ出したんだろう?
それ以前は「ゲルマニア」って呼んでたのかな?

84: 世界@名無史さん 2011/09/14(水) 01:49:06.96 0
>>83
wikipediaにはこうある。
『Deutsch (ドイチュ)の原義は「民衆、大衆」で、フランク王国時代にラテン系言語ではなく、ゲルマン系の語を用いるゲルマン人系一般大衆をこう呼んだことに由来する。』
『それまで国名にドイツが冠されていなかったが、15世紀からは「ドイツ国民の神聖ローマ帝国(Heiliges Römisches Reich Deutscher Nation」と称し』
『1667年にザミュエル・フォン・プーフェンドルフ (de:Samuel von Pufendorf) が著した書ドイツ帝国憲法について (Über die Verfassung des deutschen Reiches) において初めて、ドイツ帝国という呼称が確定できる。』

ローマ時代はゲルマニア。(の一部かな?)
フランク王国時代にザクセンとかバイエルンとか平定されて行った。その後フランク王国が分割されて東フランク王国になる。(ドイツ人という意識やまとまりはまだ無い)
力を伸ばした東フランク王オットー1世が西欧の盟主となってローマ皇帝として戴冠。(神聖ローマ帝国)

85: 世界@名無史さん 2011/09/14(水) 17:06:53.39 0
>>83
ハインツ トーマスの「中世の「ドイツ」―カール大帝からルターまで」はまさにその問題を扱っている。今のドイツの地域を「ドイツ」と呼び出したのは、グレゴリウス7世くらいの頃のイタリア側らしい。それ以前のドイツは>>84にもあるように、「民族の」というような意味で、地域名ではなかった。それ以前は、アレマンとかシュヴァーベンとかザクセンとかバイエルンとかフランコニアとか、部族起源の地域名を用いていたようです。
ザリエル朝の途中から国王はイタリア王とは別にローマ王を称するようになり、事実上ドイツ国王=ローマ王となったわけだが、そのうちローマ王が皇太子の称号になったそうです。

86: 世界@名無史さん 2011/09/14(水) 22:16:02.52 0
>>84-85
サンクス。
そうすると、「ドイツ」が使われ始めたのは11世紀のイタリア。
本場のドイツ人が確実に「ドイツ」を自称とするのは15世紀以前ってところかな。
「ローマ王」の自称以前は、「東フランク王」としか呼んでなかったのかな?

87: 世界@名無史さん 2011/09/14(水) 23:32:46.68 0
>>86
西フランク王の国号は、わかりませんが、東フランク王の自称は「フランク王」
だそうです(「中世の「ドイツ」」によれば)。東とか西とかは、東ローマと西ローマと同様、後世の学者がつけたものだと思います。。

こちらWikiに、842年の東フランク王カールと西フランク王ルイの間での盟約シュトラスブールの誓いのラテン語原文と英訳があります。
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Oaths_of_Strasbourg
これによると、ロマンス語とドイツ語(teudisca lingua、romana lingua)
という表現は登場していますが、国王の称号は記載が無いのが残念です。
同書に、1270年頃成立したとされる「大フランス年代記」に、「roi de France(フランス国王)」「nation de France(フランス人)」とあるとのことなので、東西両国王とも、9,10世紀あたりは、「フランク王」を自称し続けたのかも知れません。

88: 世界@名無史さん 2011/09/15(木) 02:55:32.93 0
>>86,87
東フランク王国という言葉は国号としても称号としても実際に使われているよ。
"rex in orientali Francia" 東フランクの王
"Regnum francorum orientalium" 東フランク王国
参考
ttp://de.wikipedia.org/wiki/Ostfrankenreich
Grimald von Weißenburg(800-872)というルートヴィッヒの宮廷に仕えた人が残した史料で使ってるらしい。
参考
ttp://de.wikipedia.org/wiki/Grimald_von_Wei%C3%9Fenburg
ただし他には見られないようなので、"regnum Francorum"が一般的だったのかも知れない
(こちらは多くの史料に登場する)。

89: 87 2011/09/15(木) 20:45:39.22 0
失礼しました。東フランクという用語は使われていたのですね。
グリマルドという人は索引を見たら「中世の「ドイツ」」にも載っていました。それによると、833年にルートヴィッヒドイツ人王の宮廷司祭長になったときに、称号の変更が行われた、とあります。更に、833年は、ルイ一世(在814-840年)の治世中なので、皇帝の領土の下位の地域の称号だった、とあります。

一方、同書には、オトフリート・フォン・ヴァイセンブルグ(800頃-870年頃)という同時代の修道士の著作「福音詩」では、ルートヴィッヒ王を「Frankono kuning(フランク人の国王)」、「Frankono lant(フランク人の国)」と記載しているとのことです。
更にザンクト・ガレン修道院の修道士ノートカー・テウトニクス(950年頃-1022年)は、オットー朝諸王を「Saxones reges(ザクセン人の国王たち)」と呼んでいたそうです。

90: 87 2011/09/15(木) 21:07:55.44 0
追記
10、11世紀のフランス国王の正式称号も同書にありました。
教皇庁でも承認されていたその称号は「rex Franconum(フランス国王)」
「regnum Frankonum(フランス王国)」だそうです。

91: 世界@名無史さん 2011/09/16(金) 21:35:27.50 0
ドイツ史の本に「神聖ローマ帝国は、ドイツ王国、イタリア王国、ブルグンド王国から成る」みたいなことが書いてあったけど、
今までのレスから、この時代の「ドイツ王国」というのは後世の後付けの呼び名ってことか。

92: 世界@名無史さん 2011/09/17(土) 00:38:28.81 0
そういうこと。第二帝国からナチスドイツ時代のドイツ歴史学では、ドイツの成立をできるだけ早期に求める風潮があった。その頃の研究書では、初期王朝時代のドイツが「ドイツ王国」となっていても不思議ではない。このあたりは、近代ドイツの歴史研究史についての文献を読むとよいかも知れない(どれどれとあげることはできないが)。現在でも民族主義色彩の強い研究者は早期に求める傾向があるらしい。

このあたりは、史料に登場するDeutschという言葉の元になった単語をどのように解釈するかで変わってくる(言語を指しているのか、民族名をさしているのか、「民衆」という一般用語なのか、名詞なのか、形容詞なのか、誰がその用語を用いているのか。イタリア人なのか、ドイツ人自身なのか、ドイツ民衆なのか、皇帝なのか、教皇なのか)。

93: 世界@名無史さん 2011/09/19(月) 09:58:17.40 0
移動できない農民は「ドイツ」なんて意識しようがないけど、ハンザ商人とか、バルトの騎士団なんかは大雑把な形で「ドイツ」を意識し始めてなかったのかな?
アイデンティティの形成は、やっぱ外部との接触がきっかけになると思うし。

94: 世界@名無史さん 2011/09/19(月) 12:04:42.25 0
ハンザ商人の時代は「ドイツ」を意識し始めていたかも知れないけど、アイデンティティとしては、ザクセン人、シュヴァーベン人、バイエルン人の方が一般的だったのではないかと思う。例えば一般に「ドイツ人の東方殖民」とされる話は、史料や、より詳しい歴史書では、「ザクセン人」とかになっている。史料ではないけど、15世紀初のポーランドの歴史映画を見ていたら、「シュヴァーベン人」という言い方が出てきた。

デーン人とか、ノルウェー、スウェーデンあたりは、国が分かれたからそれぞれを呼ぶようになっているが、カルマル同盟みたいなのが発展して統一国家になったとしても、デーン、ノルド、スウェディシュの呼び方の方が定着し、「ノルド人」みたいな全体名称は定着しなかったかも知れない。

同様のことは英国にも感じていて、Englandが語源のイギリスという言葉を使うのには抵抗がある。ウェールズ人、スコットランド人、北アイルランド人に反発されそうな感じがしてしまって。英語では、基本UK、たまにブリタニアとか使うけど、絶対に地域名・民族名についてEnglandやEnglishは使わないようにしている(言語を指す時だけEnglishを使うが)。

96: 世界@名無史さん 2011/10/24(月) 00:48:25.01 0
神聖ローマ帝国っていったい何が神聖なの?この場合の神聖ってどういう意味?

100: 世界@名無史さん 2011/10/24(月) 22:28:50.55 0
>>96
ローマ教皇が認可したって意味。

97: 世界@名無史さん 2011/10/24(月) 14:02:17.14 0
教皇権、宗教界という意味。ローマ皇帝は、宗教界と俗界両方を統治するから、「神聖」と
「帝国」がついた。

98: 世界@名無史さん 2011/10/24(月) 20:54:49.32 0
だが神聖ローマ帝国の皇帝はローマの皇帝でもなければ宗教界を統治してもいない訳だが。

101: 世界@名無史さん 2011/10/26(水) 00:37:19.76 0
長文で申し訳ないが、最初に神聖な帝国(sacrum imperium)と言い出したのはシュタウフェン朝のフリードリヒ・バルバロッサ。

当時、西方での主導権をめぐってもめていたローマ教皇ハドリアヌス4世や、二帝問題やシチリア・ロンバルディアへの介入で争うビザンツ皇帝マヌエル1世等の周辺勢力に対して、皇帝の権威を強化する必要があった。
そのためにバルバロッサは腹心のケルン大司教ライナルト・フォン・ダッセルと、自身が擁立した対立教皇パスカリス3世を動かして、カール大帝を列聖して箔付けもしている。

この「神聖」の中身は諸説あるが、大雑把にいえば
・古代ローマ帝国の伝統と権威の強調(当時の常識では、帝国=ローマ帝国)
・ローマ帝国をキリスト教帝国として神聖なものとみなしている
ぐらいのもの。

バルバロッサは、神の摂理でローマと世界の統治権を手中にしたので、神聖なる帝国と神の国を保護しなくちゃね、と頑張りすぎてレニャーノで凹られ、最期はサレフ川で溺死しちゃった。

107: 世界@名無史さん 2011/10/31(月) 22:46:43.39 0
手元にソースがないので、皇帝が諸侯や配下の騎士・ミニステリアーレに、式典で自分を神聖皇帝と呼ばせていたか否かははっきりとはわかんない。すまん。

元々がバルバロッサが1157年にイタリア遠征の招集状に用いた名称で、ぶっちゃけ初めは教皇に対する挑戦状のようなものだった。それが1180年に皇帝の公証人が「神聖なローマ帝国の公証人」と記されるようになり、帝国書記局でバンバン使われるようになって国号となっていった。

105: 世界@名無史さん 2011/10/31(月) 10:50:08.23 0
神聖でもなければ、ローマ的でもなく、帝国でもない。
ドイツ人の、と言ってもベーメンとネーデルラントを含み、皇帝はハンガリー王で、皇帝と覇権を争った国の王は、異教の民族プロイセンの地の王を名乗る。

まさにヨーロッパの妖怪。

引用元: ・神聖ローマ帝国 第二帝国




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