51gDzYL1TxL



1: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/02/09(金) 21:22:45 ID:Wh3OtXxt
四国地方の戦国大名について語り合うスレです。
瀬戸内、淡路、豊予、太平洋側の水軍(海賊)の話もOKです。

四国は三好、長宗我部、村上水軍だけじゃないはず!







2: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/02/09(金) 21:23:46 ID:Wh3OtXxt
とりあえず有名どころ

伊予・・・河野、西園寺、宇都宮、来島
土佐・・・長宗我部、一条、土居、安芸、香宗我部
讃岐阿波・・・阿波細川、三好、十河、池田、香川、大西
淡路・・・篠原、安宅etc...
水軍・・・風早河野、三島村上、来島村上、飽塩、篠原etc...

その後の四国にまわされた武将、藩主など。
伊予…加藤嘉明・光泰、藤堂、脇坂、戸田、福島、小早川、安国寺、伊達、一柳、蒲生、久松etc...
土佐…長宗我部、山内
讃岐阿波…十河、香川、長宗我部、生駒、蜂須賀
淡路…仙石etc...

315: 人間七七四年 2009/12/27(日) 22:33:04 ID:Lsqk+an5
土佐って讃岐や阿波みたいに畿内の争いに深く関わってなかったの?

317: 人間七七四年 2009/12/28(月) 02:12:36 ID:Ad5FkF7Y
>>315
土佐も細川氏の領国で応仁の乱には長宗我部・大平・安芸ら諸氏が在京したようですが、土佐での細川氏の権威は徐々に失墜。その頃、下向してきた一条氏を求心力として国人領主の間では一時的に平和が訪れたものの、畿内での細川氏内紛に絡んで守護代一族も土佐から離れると、再び国人領主間での争乱状態。
土佐での細川家有力被官だった長宗我部氏とて所詮は寺奉行程度、それも他の国人領主らに反長宗我部連合を組まれるほどで阿波の三好氏らほどの力もなく、畿内進出の野望があったとしても無理だったのでは?

318: 人間七七四年 2009/12/28(月) 06:42:29 ID:m+yVfXlB
>>317
へぇ、土佐にいた細川氏は早いうちに引き揚げて影響はなくなってたってことか。
なんで土佐には京兆家-内衆/同族体制ってのが確固とした形で築かれなかったのだろう
讃岐や阿波では畿内の争いでも守護や守護代は宗家や分家が在国して引き揚げるってことはなかったわけだけど
引き上げざるを得ないほど統制が取れてなかったのかな?
戦国時代に入る前も土佐の支配は弱かったのかな?

319: 人間七七四年 2009/12/28(月) 21:16:55 ID:cgDy+eEM
>>318
単純に遠いから、ではないかと思ってます。
細川氏が四国統一できなかったというのもあるかもしれませんけれども。

京兆家から見れば土佐は飛び地ですし、畿内から近いとも言い切れません。
讃岐は引き上げるも何も有力家臣の根拠地になっていますから他に行く宛もないと思うのですが、侵略地とも言えそうな土佐では家中で内紛が起これば求心力はなくなりそうです。
河内畠山家にとっての越中と同じような位置づけとは言えないでしょうか??

320: 人間七七四年 2009/12/28(月) 22:54:37 ID:Ad5FkF7Y
>>319さんもおっしゃるように地勢的なことが主因ではないかと考えます。
応仁の乱では土佐の国人衆も上洛していたものの、讃岐勢や阿波勢に比べて在京期間は短かったと思われます。それには経済的な事情もあったでしょう。
京兆家の支配体制にしても讃岐のように細川氏と共に入国した部将に分郡の支配を任せたりするような形跡もありませんし、また阿波の三好氏のようにかなり有能な家宰的な国人も育たなかったと。その為に派遣した守護代の細川氏ですが、結局は土佐の国人衆をまとめ切れなかった事もあるのでは?

324: 319 2009/12/30(水) 15:29:01 ID:/fhLQRvg
細川氏の話を。
室町期に伊予の新居、宇摩二郡は幕府裁定で細川氏の分郡守護地となっていたと思いますが、宇摩郡が備中細川氏(野州家)、新居郡が京兆家だったでしょうか。
なのでこちらも京兆家にとっては讃岐から飛び地と言えそうです。

土佐同様に細川氏の統制はとれなくなって、備中細川氏の守護代(?)石川氏の一族が新居郡に入り、さらに金子氏が台頭して野々市原の合戦に繋がっていく、と。

325: 人間七七四年 2009/12/30(水) 17:21:09 ID:hxw7VSE2
>>324
詳しくないので誤ってるかもしれませんが、分郡守護は宇摩郡が野州家、新居郡が備中守護家で、石川氏は備中守護家の守護代として新居郡にいて、備中の各守護代同様備中守護家の衰退・断絶により実権を握り、そしてその後国人が台頭したというのが自然でしょうか。

326: 人間七七四年 2009/12/30(水) 23:29:06 ID:/fhLQRvg
>>325
適当に書いてしまったみたいで、野州家と備中守護家は別物なのですね、失礼。

石川氏は16世紀初頭くらいに通昌が備中から来たという「澄水記」の裏付けを取られていた方がいたはずですが、それまでの間の支配はどうなっていたのか……。

ただ、備中守護家も早くに衰退しているので京兆家支配下でなくてもやはり細川氏からは離れてしまいそうですね。

329: 人間七七四年 2010/01/09(土) 11:52:36 ID:cMahSWIq
新居・宇摩って讃岐との経済や政治的な結びつきは深かったの?
讃岐弁の境界が新居浜市というけど。

330: 人間七七四年 2010/01/10(日) 21:02:26 ID:4Z+eaFL2
>>329
詳しくは、多分話を鎌倉幕府滅亡まで遡らないといけないが簡単に説明すると、足利義満の頃に幕府内部の争いがあった。
幕府の反細川派は一気に細川頼之を滅ぼそうとするが、機先を制した頼之が伊予に侵攻し、反細川派の河野通尭は敗死。
将軍義満の仲介で細川氏に伊予東端の新居、宇摩二郡を分郡守護として割譲を条件に細川、河野両氏が和睦した
(その後も伊予は度々細川氏の介入を受け続けるのだけれど)。
以後、戦国時代に至るまでこの二郡は細川一門の支配下にあったので、近隣で同じく細川支配下の讃岐とは親しい地域であったということは言えると思う。
(元々地理的にも予讃の国境は四国の中では平坦な部類なので関係が浅かったとは思えないけれど)

なお、何故かこの二郡に河野宗家と争いを続けた分家(予州家)の根拠地があったとするものがあるが、「河野家譜」で通尭の遺児の一人通之の烏帽子親に頼之がなったとしているのが影響しているのかもしれない。
この名乗りも普通に考えれば河野氏の通字「通」を上に、頼之の「之」を下に置いていることから、偏諱を受けた訳ではないと理解した方がよさそうだけれど。
通朝、通尭と二代続けて細川氏に敗死している恨みもあるだろうし。

331: 人間七七四年 2010/01/11(月) 00:20:49 ID:gVexY4EY
>>330
>>325によると備中守護家と野州家が支配してたようだけど
讃岐と言語が似かよるようになったのは人や物の交流の結果なのかな?
上の二つの家が香川氏に対して二郡の統治に関して協力や指図をした例はあるんだろうか

332: 人間七七四年 2010/01/11(月) 19:01:40 ID:qvlRZKUY
>>331
あー、確かに>>330は地理的、政治的には条件が揃ってた部分はあるってことにはなるけど、強い証拠とは言えないかも。
ただ、京兆家が弱体化するまでは、野州家も備中守護家も強く独自の動きをとる事はなかったろうから伊予東部が讃岐の動向に左右されることは多かったのではないかな。

逆に言えば細川氏の力もせいぜいそれも室町期の200年位のことなので、それがどの程度影響しているのか
そもそも言葉がどの程度新居郡まで影響しているのか、という所でもありますし。

むしろ、上方へ向かう沿岸航路の影響の方が考えられるのかな?
新居郡からであれば沿岸部を東へ向かい讃岐を経由するのだろうけれど、越智郡より西からであれば芸予諸島沿いに安芸、備後へと抜けるのではないかと思われるので。

334: 人間七七四年 2010/01/12(火) 01:49:34 ID:lynUSYF9
方言でいうと香川徳島は似てて関西より、愛媛は中国より、高知は独特

これはやはり室町時代の頃の影響なのかな。

335: 人間七七四年 2010/01/14(木) 13:41:49 ID:7FHuz5DW
>>334
細川京兆家は内衆(重臣)の一族を畿内や他の各地に行き来させて手足のようにしてたから
言語的な影響は大きいと思う。讃岐はとりわけ京兆家自身が守護を勤めてたし。
実際に讃岐弁はイントネーションが室町時代の京に近いとか。

阿波は近世以降の影響も強いみたい。
土佐が独特なのは細川氏の支配があまり行き届いてなかったためか。
現地にいた細川氏も守護じゃなく守護代のみ、しかも頼春流(頼之の兄弟)じゃないし
在京することのあった大平氏もあまり名前が見られなかったり、畿内の国の守護代になることもなかったりと内衆と呼べるかあやしい。

337: 人間七七四年 2010/01/17(日) 08:23:12 ID:Qp+hJEBy
内衆とされる者に限らず、讃岐の主な国人は被官化されて京にのぼったりもしてたようだ

341: 人間七七四年 2010/01/20(水) 18:07:09 ID:JTVpjY0B
三好は四国なんか捨てて畿内に勢力集中すれば良かったのに

342: 人間七七四年 2010/01/20(水) 22:35:04 ID:gx8MFjWu
>>341
させてたじゃないか。
讃岐や阿波の豪族は在京の者を立てて兵役を課してた。

言っておくが信長の野望みたいなのは無理だぞ。

343: 人間七七四年 2010/01/22(金) 19:02:05 ID:DrASonKv
畿内に進出すると、寺社勢力との軋轢がどうしても生じる。
その点四国は畿内に比べると寺社勢力の力が弱いし、(0では無い。)
水軍を使えば陸路より素早く兵を送り込める。
わざわざ権益を捨てる理由は無いと思うが、どうよ?
勢力のピークの時期も短いし、完全に畿内を掌握出来てなかったのが実情ではないのかな?

344: 人間七七四年 2010/01/25(月) 22:57:24 ID:OP3pc+Q0
天霧城包囲戦以降といえば篠原長房だけど、薬師寺元一の反乱の結果讃岐守護の地位が阿波守護家に渡されて以降の讃岐って阿波守護家の実効支配を受けてたの?
大内義興の上洛でフイになったりはしてない?

346: 人間七七四年 2010/01/31(日) 23:49:01 ID:KbfOWgOd
>>344
持隆の伊予遠征の際、阿波淡路讃岐の兵を率いてるなどまったく影響力がなかったわけでもないみたいだけど、実質的には管領家の影響のほうが強かったと思う。
香川氏などはずっとそうだし。

347: 人間七七四年 2010/02/01(月) 00:58:51 ID:ULqWPzuL
>>346
その遠征は晴元が管領に決まって以降だね。
義興・高国時代には東讃には義興に主君を変えた国人もいたようだけど、香川香西安富のような有力内衆は高国の下で元の地位に戻れたのかな?
高国単独政権の1525年頃の京を描いた絵の解説本によると、将軍の邸宅を香川氏の家の跡に持ってくるうんぬんってことが書かれてたけど、これは単に洛中の別の場所に引っ越したんだろうか、それとももう京に居場所がなく在地領主化してたのか…

348: 人間七七四年 2010/02/01(月) 18:14:35 ID:WMvCF8iR
>>347
内衆自体がフェードアウトしだした時期な上に敵側だった三氏は讃岐に戻らざるを得なかったんじゃないかな。てか三氏としても親族の相次ぐ討ち死にに嫌気さしてただろうし。
天文年間からは在地領主としてかなり自発的に動き始めてるよね。
けど香川香西両氏の三好嫌いは異常(笑
細川の管領の入れ替わりや三好への入れ替わりとかで散々兵役課せられてブチきれたのかな。

349: 人間七七四年 2010/02/13(土) 02:29:07 ID:9RBsfT5K
ちょっと調べたけど遊初軒の戦いに至るまでに脱落してる者がいたり、高国の離反にも内衆の働きかけがあったりと永正の錯乱でそれまでの内衆が一掃されたわけではないようだ。
当時の記録に香川上野介満景、安富新兵衛尉元顕などと個人名が記されてるから内衆の氏族全体が行動を共にしたようなことはなく、その勢力もまだ健在だったってところかな。
となるとやはり高国政権の崩壊自体が画期かなー…

>けど香川香西両氏の三好嫌いは異常(笑
これについては、阿波守護家の反乱に対して政元が譲歩し、澄元の後見人の三好之長に立場を脅かされたのだからまあ当然というか。
細川成之が澄元の後見を従来の京兆家内衆に任せてればあれほどの混乱にはならなかったんでは…。

350: 人間七七四年 2010/02/13(土) 02:49:33 ID:9RBsfT5K
あ、そもそも京兆家に反乱を起こした時点でそれは無理な話か…

351: 人間七七四年 2010/02/16(火) 22:04:20 ID:px3pr8jm
土佐に武田勝頼あるいはその遺児が流れてきて土佐武田氏になったっていうのはマユツバかな
うちの親戚がソレなんだけど

352: 人間七七四年 2010/02/16(火) 23:51:00 ID:u93V0cgP
>>351
安芸か若狭の武田氏が流れてきたってほうがありそうな気が…

353: 人間七七四年 2010/02/17(水) 00:11:36 ID:OxPsj9+5
>>351
大崎玄蕃のことですね。
ということはそのご親戚はこの会の会員さんでしょうか?
                 ↓
http://katsuyoritosa.web.fc2.com/index.html

けっこう色々なイベントやアプローチをしているようですよ。
彼を祀る大崎八幡宮は新興宗教です。
                 ↓
http://www.choseikyo.com/honin/index.htm
※リンク切れ

356: 人間七七四年 2010/02/17(水) 21:13:46 ID:Dgcm5R5L
四国に武田一族がいるとしたら、鎌倉時代に小笠原の手先としてついていったって考えるのが一番自然だろう
安芸武田の一族とか若狭武田の一族も十分ありうるけど

357: 人間七七四年 2010/02/17(水) 23:28:28 ID:G+ShA8aA
ttp://www.city.kochi.kochi.jp/deeps/01/0104/rekishi/re0703.htm
※リンク切れ

一応高知市が書いてることだから資料のあるものなんだろう

奇遇だけど板垣退助は武田信玄の育て役と名高い板垣爺の子だか孫だかが掛川城主になった一豊に仕えてそのまま土佐藩にもついてきたってことになってるんだっけ
これもマユツバくさいけど

359: 人間七七四年 2010/02/18(木) 16:53:29 ID:FdpxPqVM
馬場美濃の子孫も幕末土佐にいたな
わざわざ甲斐の山田舎から土佐の島山田舎に来る物好きな名将の末裔がそんなに多いとは

361: 人間七七四年 2010/02/18(木) 23:57:01 ID:IPO2AXHe
源平の昔から落ちゆく先は決まっているじゃないですか。
だから「わざわざ」来る方もおられるのでは?
(真偽のほどは別として。)

362: 人間七七四年 2010/02/19(金) 18:48:01 ID:dI9foh5k
「〇〇平」何て付いた地名は殆どが平家の落ち武者関係

364: 人間七七四年 2010/02/20(土) 02:30:50 ID:KNv92I0r
「○○平」地名はもともと山間の平坦地形のことのようですね。

詳細な統計をとった訳ではありませんが、土佐でも源氏より平家の後裔を名乗る家が多いようですよ。

370: 人間七七四年 2010/04/23(金) 19:56:40 ID:qNKB3qbK
土佐での山内さん家の嫌われ方は異常です

371: 人間七七四年 2010/04/24(土) 02:30:37 ID:jpHDn+2a
それって現代の話じゃないですよね?

372: 人間七七四年 2010/04/24(土) 08:17:42 ID:AZ8OWJv7
大河で取り上げられた時にはそれなりに活用していたね>山内一豊&千代
実際に高知に行ってみると、地元の人に関心を持たれているのは長宗我部でも山内でもなく坂本さんなんだなあ・・・と思うよ。

374: 人間七七四年 2010/07/09(金) 21:18:36 ID:bMztBMom
夏草の賦に出てくる一条兼定と十河存保は酷く矮小化され過ぎなんじゃないか?

375: 人間七七四年 2010/07/09(金) 22:19:47 ID:dL0XvBGO
主役は長宗我部なんだし仕方ないんじゃね?

376: 人間七七四年 2010/07/13(火) 20:04:37 ID:xZ48M6kZ
だとしても一条兼定の扱いはかなり酷いと思う
幾らバカ殿でも普通他家の妻女をNTRしようとはしないだろう?
まあ、家臣の妻をNTRするのならO友宗麟の悪例があるけど・・・

それに兼定の復帰戦四万十川の戦いが全くスルーされてるのも頂けないな
司馬センセは四万十川の戦いをご存じなかったのかな??

377: 人間七七四年 2010/07/13(火) 23:56:27 ID:bciDIy23
小説ですから・・・・・・

380: 人間七七四年 2010/08/25(水) 02:08:49 ID:LuFus0Je
河野水軍の子孫って愛媛と大分に広がっているよね。

387: 人間七七四年 2010/11/26(金) 12:54:19 ID:OaKdDNEW
>>380
確証がなくていいなら、伊藤博文だって、河野の子孫なんだぜ?
愛媛は本拠し、大分の森に来島氏がいくじゃん?
来島通康は、通直(ノブヤボでの初代)の実子という説もあるから、河野の子孫を名乗る連中がいたんじゃねーの?
美濃稲葉氏が河野子孫を名乗ってるのが意味わからん。

392: 人間七七四年 2011/02/21(月) 21:59:40.69 ID:4ZLAyvs8
>>387
一応美濃に領土持ってたっぽい
だから通盛は六波羅滅亡時番場から鎌倉に逃げれた

395: 人間七七四年 2011/02/26(土) 19:58:04.26 ID:SFbwPSGo
一時衰退していた河野家を通有君が元寇の時の活躍で盛り返した。(瀬戸内の三島水軍を率いて敵将を討ち取る大手柄)

397: 人間七七四年 2011/03/01(火) 19:31:14.69 ID:VKKrsIF0
河野通有は、海音寺潮五郎の蒙古来たるの中では国士無双として描かれてるんだけどな~。
河野通有の末子である河野通盛なんかは、太平記の中に頻繁に出てくる勇将だし(蓮華王院の戦いを参照)、有力庶子家の土居・得能両氏が敵対する中で、相当頑張った方だと評価できると思う。河野通盛の孫の河野通堯(通直)なんか、もうその生涯がまさに波乱万丈。
田中芳樹の小説でいうならば、アルスラーン戦記の主人公並みの人物なんだけどなぁ~。マイナーだけど、河野氏は、結構いい題材になる人物を輩出してるとおもうな~。
河野通堯以降の河野氏は、確かに物足りないけど。。。

400: 人間七七四年 2011/04/30(土) 16:50:24.37 ID:Hdt/g2XO
土佐国なのに安芸氏とはこれいかに?

401: 人間七七四年 2011/05/01(日) 04:09:05.47 ID:c2qUz0BY
>>400
土佐の「安芸」の由来は安芸氏の先祖「蘇我赤兄」に由来する…とか聞いたことがある。
本当かどうかはわかんないけどね。
広島は安芸は元々「阿岐」と書いていたみたいなんでこの2つ(安芸郡と安芸国)の名前が一緒なのは単なる偶然かなと思う。

408: 人間七七四年 2011/07/31(日) 19:26:08.39 ID:iFHV6Vhv
元親に各個撃破を許した四国大名・豪族の連携の無さは嘆かわしい

409: 人間七七四年 2011/07/31(日) 22:36:00.10 ID:eL8sDgSR
十河存保&仙石秀久タッグも長宗我部に敗北したな

417: 人間七七四年 2011/11/02(水) 11:51:57.19 ID:T6leHAUP
話のネタに四国の武将について研究してるんだが
あんまり書き込まれてないな
やっぱマイナーなのか

418: 人間七七四年 2011/11/02(水) 19:48:21.15 ID:0BMrDLTI
大名として残ったのが
久留島(来島)家だけだから

419: 人間七七四年 2011/11/03(木) 18:28:56.57 ID:6iZO42i+
みんなどこ行ったの?

420: 人間七七四年 2011/11/04(金) 01:14:58.07 ID:XH34CmfQ
十河家は大名として残るチャンスはあったけど
アホの仙石と生駒家のせいで消滅

421: 人間七七四年 2011/11/08(火) 21:57:34.21 ID:iqgdKAs8
(´;ω;`) ぶわっ

423: 人間七七四年 2011/11/10(木) 15:16:29.46 ID:2HRCga/i
十河家は存保が戦死し、その遺児は生駒氏によって謀殺される
安宅家は清康が所領を失い、その後没している
三好康長は豊臣秀次を養子にするなどして生き延び
その子・康俊は山内家に仕えている。

424: 人間七七四年 2011/11/10(木) 21:37:09.81 ID:bVq2UIQ0
河野の傍流は稲葉、一柳と残ってるな
まあ、系譜がちょっと怪しかったりするけど

426: 人間七七四年 2011/11/13(日) 21:24:53.13 ID:SRJqbLSX
織田はともかく、羽柴・徳川と連続して滅ぼされたイメージがある四国土着大名たち
とくに罪も無い西園寺家を潰した戸田勝隆は許せねえ・・・

引用元: ・【河野・安芸】四国の戦国大名 その2【長宗我部】




土佐物語―四国の勇士の戦国記
中島重勝 吉田孝世
南の風社
売り上げランキング: 1,824,836