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1: 世界@名無史さん 2009/03/18(水) 17:56:47 0
バイエルン大公からヴィッテルスバッハ家が世襲するバイエルン王国まで
ドイツ、オーストリア、スイスに続き独立の道があった?
実はゲルマン化したケルト人?
ドイツからの独立の可能性が無きにしも非ず?

そんなバイエルンの歴史を語る








4: 世界@名無史さん 2009/03/18(水) 18:14:48 0
オーストリアと同様独立の話があったらしいね
確かにプロイセンの下になるよりは
そっちの方がよかったかも

8: 世界@名無史さん 2009/03/18(水) 18:40:42 0
風説書をみると
ナポレオン戦争の頃は「ドイツ」とは神聖ローマ帝国のことで
プロイセンはプロイセンなんだよな

22: 世界@名無史さん 2009/03/19(木) 20:24:56 0
近代のバイエルンは戦争に勝ったことある?

24: 世界@名無史さん 2009/03/19(木) 20:30:25 P
勝つどころか統一した政体を持ったことすらない。


30: 世界@名無史さん 2009/03/20(金) 09:17:39 0
バイエルンて古代、中世で戦争に勝ったことある?

31: 世界@名無史さん 2009/03/20(金) 21:49:42 P
>>30
たぶんないと思う。
でも、バイエルン地方は古代ローマ帝國の支配下だったので
「我々は最も早くローマナイズ(文明化)されたドイツ人だ!」
という自負はあるみたいよ。
41: 世界@名無史さん 2009/03/29(日) 16:20:12 O
バイエルンはオーストリア継承戦争の戦勝国

43: 世界@名無史さん 2009/03/29(日) 17:31:51 0
プロイセンが勝ったからでしょ 
普墺戦争の時のイタリアみたいなもので

37: 世界@名無史さん 2009/03/21(土) 11:11:10 0
イギリス南部も
「ここは昔ローマの領土だった」
と誇らしく思うことがあるらしい

39: 世界@名無史さん 2009/03/25(水) 20:37:39 0
ローマ時代、この地域は属州ラエティア(現在のスイスの東部および中央部、ドイツのバイエルン州の南部やドナウ川上流部、オーストリアのフォアアルルベルク州、ティロル地方の大部分、イタリアのロンバルディア州の一部)と呼ばれていた。
レーゲンスブルクはローマ第三軍団イタリカの駐屯地カストラ・レジーナが起源。
西ローマ帝国滅亡後は東ゴート王国の支配下に入る。
907年には東フランク王のコンラート1世が、ルイトポルト家のアルヌルフにバイエルン大公位を授ける。しかし、バイエルンがイタリアに進出する上での要衝であったこともあって、1096年まで大公位が1つの家に長く保持されることはなかった。


46: 世界@名無史さん 2009/03/30(月) 01:06:12 0
バイエルンの範囲についての定義を学問的に説明してよ。
バイエルン=バイエルン人・方言の領域とちがうようだけど。
プファルツは?
アルト・バイエルン(古バイエルン)とは何の意味?アルト・バイエルンが本来のバイエルンなの?

49: 世界@名無史さん 2009/04/02(木) 09:37:18 O
>>46
言語で規定しちゃうとオーストリアまで入っちゃうからな

51: 世界@名無史さん 2009/04/03(金) 01:39:52 0
ババロアはバイエルンのフランス語

55: 世界@名無史さん 2009/04/04(土) 10:03:18 0
バイエルン=ギリシャ語のバルバロイが語源というのは、本当に正しい学説なのでようか?

56: 世界@名無史さん 2009/04/04(土) 10:27:59 0
違うと思う

57: 世界@名無史さん 2009/04/04(土) 10:29:58 0
北アフリカのベルベルはそうでしょう?
当の「ベルベル」はそう自称していませんが。

63: 世界@名無史さん 2009/04/05(日) 01:11:10 0
ドナウ川がローマ帝国の北方国境線であったため、その流域はローマ化していたが、民族大移動の後、5世紀に東方から侵入したバヨヴァリ人の占拠するところとなったことから、バイエルンの地名が生じた。(そのバヨヴァリの名称はその先住地ボイエルラント=ベーメンに由来する。)
 
6世紀にフランク王国に服し、その後その支配を脱した時もあったが、結局カール大帝の帝国の一部となった。この間、バイエルン人はキリスト教化し、東方に発展してオストマルクをつくった。

907年、リウトポルト家の辺境侯アルヌルフが公位を認証されたが、一時フランク王国から独立した。しかし、マジャール人と戦ってオストマルクを失い、まもなくオットー1世のもとに服した。


59: 世界@名無史さん 2009/04/04(土) 19:35:01 0
扶墺戦争でオーストリアやバイエルンが勝っていたら
オーストリアがドイツと呼ばれていて
北ドイツはプロイセンと呼ばれていたんだろうか

60: 世界@名無史さん 2009/04/04(土) 21:25:39 0
いまでもミュンヘンっ子は、北ドイツから来る者はみなプロイセン野郎というらしいが。

67: 世界@名無史さん 2009/04/11(土) 16:19:18 0
でも、いまだに消滅も廃止もされないバイエルン
プロイセンは廃止、オーストリアはドイツ語圏のみという現状なのに

ヒトラーやナチスの地盤だったのに、存続してドイツ国内での発言権も大きい

83: 世界@名無史さん 2009/04/14(火) 00:00:21 0
>>67
それでもオーストリアは独立を果たしている
同じガリア人のバイエルンはドイツの一部
95: 世界@名無史さん 2009/04/15(水) 17:16:58 0
何でバイエルンはガリア人なのに戦いに強くないんだろうか
スイス、ウェールズ、アイルランド、スコットランドといったガリア人は傭兵の産地で有名なのに

104: 世界@名無史さん 2009/04/16(木) 14:03:10 0
バイエルン王国は実は国政能力としては極めて優秀。
プロイセンにつけこまれたのはほとんどノイシュヴァンシュタイン城をつくった馬鹿王の責任だろ。ヴァーグナーにあそこまで国王に関係させたってのはバカだけどな。
ノイシュヴァンシュタイン城の建設費をビスマルクが提供するとか論外だし。

107: 世界@名無史さん 2009/04/17(金) 10:57:27 0
バイエルンはドイツ帝国の連邦の中での有力な国家であったが、近代工業の発達という点では遅れた国であり、それは19世紀を通じてあまり変化がなかった。農業の規模においてバイエルンでは大経営は少なく中経営が圧倒的であった。
バイエルンの中で比較的に近代工業が発達したのは北部、ニュルンベルクとフュルトなどその周辺であった。そして各主要都市には労働者連盟がつくられ、それを基にして社会民主党の運動が生まれた。

第一次世界大戦が始まるとバイエルンはまず農業国として食糧供給の上で大きな役割を負わされ、農産物の割り当てや供出について帝国政府の強い監督の下におかれたが、その上農業地帯は工業地帯に比して多くの不利を負わされたので、バイエルンは工場の誘致を中央に要請し、その結果クルップがミュンヘン近郊に新しい工場を建設し、その他戦争の需要に応じてバイエルン地方に多くの軍需工場が発達した。

120: 世界@名無史さん 2009/04/17(金) 22:02:59 O
やはりバイエルンの最盛期は14世紀前半のルートヴィヒ4世の時代か
ハプスブルクを破り皇帝位獲得しブランデンブルク辺境伯領を併合し 姻でネーデルランドの一部(ホラント伯領、ゼーラント伯領、エーノー伯領)を獲得
これがヴィッテルスバッハ家の最大版図だろ

130: 世界@名無史さん 2009/04/18(土) 00:56:34 0
中世のバイエルンについて

181: 世界@名無史さん 2009/04/22(水) 02:02:19 0
>>130
ハインリヒ獅子公とか?
当時何家がどのへんにいたのかよくわからん
ハプスブルク家はまだスイスかな
オーストリアはバーベンベルク家?

186: 世界@名無史さん 2009/04/22(水) 20:32:57 0
>>130
中世初期、バイエルンはフランク王国に服属しながらも、アギロルフィンガー家の下に一つの国を成し、7世紀にはイタリアのランゴバルド族と組んでフランク王国への服属から脱したこともあった。しかしカロリング家がフランクの王位に就いた後、再びその支配下に入り、カール大帝はバイエルンの君主タシロ3世を廃位してしまった。
(ちなみにカール大帝とタシロは母方の従兄弟でもあった)

そしてこの地方は東方からのアヴァール人、スラヴ人の侵入に備える要地に当たるため、その東端に辺境伯領が設けられて国土の防衛に当たった。フランク王国が三つに分裂した後、その一つの東フランク国ではやがてカロリング家の王統が絶え、有力な公が東フランク王位に就くようになった。その中でバイエルンはザクセン、フランケン、シュヴァーベンと並ぶ有力な公国だった。
そして12世紀にシュタウフェル家のフリードリヒ1世バルバロッサによってヴィッテルスバッハ家のオットーがバイエルン侯に封ぜられると、以後この家がバイエルンの君主の座を引き継いでいく。

132: 世界@名無史さん 2009/04/18(土) 09:14:14 0
一般にはあまり知られていないが、10世紀のバイエルン公国の領域は、東は今日のオーストリア(オストマルク)、南は北イタリアに伸びて、一次はアドリア海沿岸にまで達していた。
また、プロイセンのホーエンンツォレルン家は、上プファルツ隣接するニュルンベルクの城伯領の領主から15世紀にブランデンブルク辺境伯に任ぜられたものであり、しかもこの辺境伯にはその以前にヴィッテルスバッハ家が封ぜられたこともあった。

にもかかわらず近代史では負け組になったバイエルン……

133: 世界@名無史さん 2009/04/18(土) 09:23:42 0
>>132
支配はしていないと思うよ。
皇帝から領邦の範囲は指定されたが、実質的な支配は及ばなかった。
領土が決まっているが、君主の支配が及んでいないケースはその時代のヨーロッパには他にもある。
だから地図上の領土はあっても、その全域は支配していない。

134: 世界@名無史さん 2009/04/18(土) 16:22:54 0
>>133
>皇帝から領邦の範囲は指定されたが、実質的な支配は及ばなかった。

そっかー。
でも考えてみれば、神聖ローマ帝国だって北イタリアを実質的に支配していたわけじゃないもんな。

135: 世界@名無史さん 2009/04/20(月) 09:45:51 0
神聖ローマ帝国の領域、国境線?とされている範囲って、最初っから実質的支配領域ではないですが・・・?
なんでもって神聖ローマ帝国の領域とされていたのですか?

136: 世界@名無史さん 2009/04/20(月) 10:12:16 0
>>135
神聖ローマ帝国の領域とは、各領邦の建前上の元首が神聖ローマ皇帝だった範囲。
つまり筋論ではそれらの国々の王や公は、それぞれの国々の元首ではない。
つまり、それらの国々は帝国の中の制度的存在であり、帝国の下位に属する国々という扱い。

そして、ハンガリーやポーランドなど、神聖ローマ皇帝が国王や公と皇帝と個人的な主従の契り(いわゆるパーソナル・ユニオン)を交わしただけの場合は、皇帝の立場はそれらの国々の元首ではないから、独立の王国や公国。王や公はそれぞれの国の元首。
元首同士は主従の契りを交わしていても、ローマ教会が認める国家の格としては、神聖ローマ帝国と対等の独立国。

だからこそたとえば前者の王国と後者の王国で「王」の呼び方が違う。

137: 世界@名無史さん 2009/04/20(月) 10:46:29 0
どげん違うと?

138: 世界@名無史さん 2009/04/20(月) 11:03:47 0
ドイツ語で言えば、前者がケーニッヒ・フォン・どこそこ、後者がケーニッヒ・イン・どこそこ

139: 世界@名無史さん 2009/04/20(月) 11:15:47 0
フォンは英語のofで、インは英語のin、で
ケーニッヒ・フォンの方は、意味的には
ケーニッヒ・フォン・どこそこ(・イン・神聖ローマ帝国)
なんだが、()はいちいち言わなくてもいいから言わないだけ

これでフォンとインの違いは分かるとおもう

140: 世界@名無史さん 2009/04/20(月) 12:43:59 0
ブランデンブルク侯とプロイセン王・・・同一人物なのに、片方では皇帝の臣下、片方では独立した王

150: 世界@名無史さん 2009/04/20(月) 20:45:37 0
>>140
プロイセン王国はカトリック社会から離脱して出来上がった王国だから。
王国成立以前はプロイセン公国とブランデンブルグ候国で、プロイセン公はポーランド王の臣下、ブランデンブルグ候は皇帝の臣下。

145: 世界@名無史さん 2009/04/20(月) 19:52:59 0
アルト・バイエルン=オーバーバイエルン、ニーダーバイエルン、オーバープファルツ

それ以外=シュヴァーベン、ミッテルフランケン、オーバーフランケン、ウンターフランケン、ラインプファルツ

これでOK?

146: 世界@名無史さん 2009/04/20(月) 20:28:08 0
ラインのプファルツだけじゃなく飛び地じゃない「プファルツ」もあったんだ!

飛び地のラインのプファルツはヴィッテルスバッハ家分家の国だったけどプロテスタント。後に統合。だからバイエルンは純カトリックではなくなったみたい。

飛び地じゃない「オーバープファルツ 」も分家の領土だった?

154: 世界@名無史さん 2009/04/20(月) 21:13:21 0
>>146
オーバープファルツ地方もヴィッテルスバッハ家分家の領地だった。

160: 世界@名無史さん 2009/04/21(火) 00:35:42 0
>>154
1777年時点ではオーバープファルツ地方も、バイエルン本家の領地だったと思いますが、ただ、プファルツは本来、地名じゃなく、宮中伯(皇帝の代官のようなもの)のことですから、プファルツという以上、ある時期はライン宮中伯の領地(変遷はげしい)だったのでしょう。

プファルツ・・・日本語の語感としては、代官山がそれに近そうな地名か・・・


163: 世界@名無史さん 2009/04/21(火) 02:02:21 0
>>160
1619~1620年、
プファルツ選帝候フレデリック5世はプロテスタント勢力の首領としてボヘミア王になろうとして、敗戦する。
オーバープファルツだけでなく、その全領土は、選帝候位とともに、バイエルン公に与えらた。ニーダー・プファルツとが1648年にウェストファリア条約によってフレデリックの息子に戻された(バイエルン公に与えたそれとは別に、選帝候位は新たに創設されて与えられた)が、オーバープファルツはバイエルン公の下に残って、それ以来ずっとバイエルンの一部のまま。

147: 世界@名無史さん 2009/04/20(月) 20:32:40 0
バイエルン州内の7行政地区のなかでオーバーバイエルン地区、ニーダーバイエルン地区、オーバープファルツ地区を合わせた南部地域が、アルトバイエルン(古バイエルン、Altbayern)と呼ばれる歴史的に見た狭義のバイエルン地方である。
バイエルン王国の時代からの領土のうち飛び地だったプファルツ地方は、1946年に周辺地域と統合されてラインラント=プファルツ州の一部となった。

148: 世界@名無史さん 2009/04/20(月) 20:39:58 0
1801年にシュヴァーベン、ミッテルフランケン、オーバーフランケン、ウンターフランケンはバイエルン王国に併合された。

149: 世界@名無史さん 2009/04/20(月) 20:43:29 0
当然、シュヴァーベン、フランケン両地方の連中はアルト・バイエルンとは文化・言語的にちがい、この連中は今でも素直にバイエルン語を話さず、事あるごとにミュンヘンに対抗心を持っておる。

151: 世界@名無史さん 2009/04/20(月) 20:49:16 0
>>149
19世紀後半から20世紀初頭にかけて行われたドイツ語の標準化によって、ドイツ全体のなまりの違いはあまり大きくない。アルトバイエルンとそれ以外の地域のなまりの違いもそれ以前の時代に比べると、はるかに小さい。

他のドイツ語圏とかなり違うのがスイス。
それでも昔よりは近づいたので気をつけてゆっくり喋れば互いに通じるが、お互い早口だとスイス人とその他のドイツ語の話し手との間はほとんど通じなくなる。

153: 世界@名無史さん 2009/04/20(月) 21:02:17 0
バイエルン語に愛着を持つのはアルト・バイエルン人だけ。
ミュンヒェン大学のバイエルン文学部教授にアルト・バイエルン人以外を据えようとしたら激怒されるので事実上無理。

198: 世界@名無史さん 2009/04/23(木) 10:35:33 0
今、ナポレオン支配下のドイツ諸邦についてちょっと調べてみたんだけど、バイエルンは230もの旧諸侯を呑み込んで領土を拡大したのね。 こりゃ大幅な行政改革が必要になるわけだ。(マクシミリアン・フォン・モンジュラが行った改革のこと)

シュタインとハルデンベルクの改革だけが有名で、南ドイツ諸邦が行った改革が一般にほとんど知られていないのはどういうことだ。

202: 世界@名無史さん 2009/04/23(木) 14:22:27 0
>>198
日本のドイツ研究者が明治以来のプロイセン至上史観を引きずっているからです。
南ドイツ諸邦の場合、意外にも国王がわりと善良で、国民の不満がそれほど大きくなかったので歴史記述も多くないということもあるとおもわれます。

200: 世界@名無史さん 2009/04/23(木) 11:03:53 0
領主による政治制度に反発してブルジョワたちがプロイセンで起こしたのが反ナポレオン闘争&ドイツ連邦&ドイツ共和制&現在のドイツ国旗

1848年革命で王侯貴族がブルジョワに譲歩してなんとかその場は収まったが、20世紀に入ると王侯貴族が戦争おっぱじめてボロ負けしたので1919年にまた革命が起きて王政廃止
バイエルンはその辺の意識が遅れていた

しかし逆に言えば、ロマン主義が流行したにせよ王侯貴族は意外とコスモポリタン的で、ドイツ民族云々は言わなかった、というかドイツのブルジョワや労働者を相手にするよりは、スラブ人をはじめとした異民族の王侯貴族たちの方を選んでいた

ドイツの民主化ブルジョワ革命は、排他的なドイツ民族主義ドイツ国粋主義がバックボーンになっている
で、あるからナチスはもちろんのこと、ワイマールも、現在のドイツ連邦共和国も排他的な民族主義に陥りがちになる

203: 世界@名無史さん 2009/04/23(木) 14:32:34 0
「バイエルンがドイツの一部にならなかったら、平和な王国のままであったのに」とぼやく、ミュンヘンの爺さん。

引用元: ・バイエルンの歴史




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