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1: みつを ★ 2018/03/06(火) 07:49:19.65 ID:CAP_USER9
江戸時代初期の大坂城再建で石垣用として切り出されたものの、京都府の木津川河川敷に残された巨石「残念石」の学習会が4日、木津川市山城町の開橋上流であり、参加者約20人が土砂に埋もれた残念石の周囲をきれいにするなどした。

残念石は、再建を任された藤堂高虎が切り出した石材の残りで、木津川の各所に残っているとされる。開橋上流には9個残り、かつては全部見えていたが、ダム建設などで川岸の土砂が流されにくく、たまりやすくなり、大半が埋もれた状態になっている。

学習会は、流域住民でつくる「木津川管内河川レンジャー」が川の変化や残念石の歴史を知ってもらおうと昨年に続いて開催。参加者がスコップなどで土砂を払うと、石5個が姿を現した。


(以下略)


全文は
http://s.kyoto-np.jp/sightseeing/article/20180305000048 

スコップで残念石の周囲をきれいにする参加者たち(木津川市山城町の木津川河川敷)
http://s.kyoto-np.jp/picture/2018/03/20180305115906zannenishi450.jpg








4: 名無しさん@1周年 2018/03/06(火) 07:58:39.32 ID:nSMYz6PH0
取り残された理由が知りたいなあ。

9: 名無しさん@1周年 2018/03/06(火) 08:12:55.67 ID:/L9cgPGv0
>>4
運搬に失敗して落とすと「落城」に繋がるというゲン担ぎらしいよ
http://kikkake-p.com/works/design/zannenishi_navi.html

11: 名無しさん@1周年 2018/03/06(火) 08:15:56.80 ID:I/DM2h1J0
>>4
石切場から大阪城へは船で運んだんだが、重たい石はしばしば船の転覆の原因となり、川へ落下したらしい。
そして「落ちた石」は「落城」につながるので縁起が悪く、城の石垣には使えないということになり、そのまま放置された。

12: 名無しさん@1周年 2018/03/06(火) 08:23:02.70 ID:w2KbV5Y30
>>11
なるほど。こういう注釈は記事に含めておいてほしいね。
もっとも地元の人には説明不要の常識なのかも知れんけど。

5: 名無しさん@1周年 2018/03/06(火) 07:58:39.96 ID:jm4bXRG30
大坂夏の陣冬の陣で破壊しておいて今度は再建かよ、バカ過ぎだろ徳川

13: 名無しさん@1周年 2018/03/06(火) 08:29:17.99 ID:AMF1i5Kn0
>>5
豊臣秀吉の作った城は反乱の拠点になる(実際になった)から完全破壊(石垣は埋める)するのは当たり前
その上に徳川氏が新たに城を作ることで徳川氏の方が豊臣秀吉より格上で現在の支配者だと示した

10: 名無しさん@1周年 2018/03/06(火) 08:13:39.25 ID:5GiyENuV0
都島・毛馬の閘門にもたくさん置いて有る。

19: 名無しさん@1周年 2018/03/06(火) 10:14:01.61 ID:f/sf3Hi60
学習会の筈だったのに、掃除やらされたでござる。

20: 名無しさん@1周年 2018/03/06(火) 12:32:23.37 ID:B5hvEhrC0
蒲生氏郷が巨大な石を京都の街を破壊しながら一直線に運んだ男塾的エピソードが好き

引用元: ・【残念石】大坂城再建時の「残念石」姿現す 京都の木津川河川敷




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