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254: 世界@名無史さん 2013/01/03(木) 10:09:34.69 O
この時代って正月祝ったりしてたのかな?

256: 世界@名無史さん 2013/01/03(木) 17:51:34.94 0
南北朝時代まで下っていいんなら、北魏末の爾朱兆は正月の宴会やってた隙に強襲されて高歓に滅ぼされた
宴会というより部族内での年頭集会の意味合いが強いんだろうが

257: 世界@名無史さん 2013/01/03(木) 20:13:20.30 0
当然祝ってるよ

三国志の中に何回か出てくるだろ
正月中に日食があった事件の描写もあったような記憶があるが

258: 世界@名無史さん 2013/01/03(木) 20:20:22.25 0
文帝の二年に、
「春正月、天地明堂を郊祀す。」
とあるな。

259: 世界@名無史さん 2013/01/03(木) 21:30:32.89 0
2月っていうほど春か?って昔の奴らに言いたい

262: 世界@名無史さん 2013/01/04(金) 09:12:38.19 0
>>259
旧正月って大体今で言う二月の頭から中頃だから
春って「一番寒い時期が終ってこれから暖かくなる時期」という認識だよね
日本でも二月中頃過ぎると一気に暖かくなるから国は違えども感覚的には理解できると思う

278: 世界@名無史さん 2013/01/20(日) 04:11:55.76 0
>>262
日本と中国の暦が作られた地方は気候が全然違うよ。
日本だと立春は1年で1番寒い時期とほとんど変わらない。
日本の多くの地域なり主要な地域で春になるのは、早くて春分から。
最近だともっと遅い感じだけど。

283: 世界@名無史さん 2013/02/02(土) 00:17:06.73 O
孫権と孫静、孫賁ら親族って当初は対等っぽいよね。
それが孫権を頂点にした体制に変わる契機ってなんだろう?
黄祖戦?赤壁?それとも漸進的な以降?
孫権が孫策の跡を継いだ時、反乱(対等勢力の争い)があったって記述はないよね?
孫策→孫権の権力委譲ってすんなり書かれてるけど、結構重大な出来事だよね。

284: 世界@名無史さん 2013/02/02(土) 07:38:57.20 0
対等というか、単純に一族の「頭領」である孫権が弱すぎただけ

赤壁からが権力回帰の始まりだね
巨大な脅威の前にはまとまらないといけないという認識ができた

日本でも守護大名で似たようなケースが多い

286: 世界@名無史さん 2013/02/02(土) 23:04:45.03 0
孫賁家は多分自分達が一家のあるじだと思っていただろうな・・・

288: 世界@名無史さん 2013/02/02(土) 23:39:03.23 O
孫策はまだ孫賁に気を遣ってたきらいはあるけどね。
孫権が討虜将軍兼会稽太守になったのが、孫氏勢力の後継者としての公認だったのかな。
だとしたら曹操に感謝だな。

289: 世界@名無史さん 2013/02/03(日) 02:36:53.46 0
孫策が孫権を後継指名して、宿将や江南名士がそれを守って盛りたてて行ったのが大きいだろう
つまり孫策に大きな求心力があったというのが一番の要因だと思う

304: 世界@名無史さん 2013/02/12(火) 21:01:02.64 0
>>289
孫策は反逆者の袁術と縁切って、ちゃんと後漢(曹操)の部下やってるから、名士に支えてもらえた。
孫権が権力握って後漢との対立を始めたとき、名士たちは総出で反対したわけだからね。
賛成したのは軍人グループと魯粛ぐらい。

291: 世界@名無史さん 2013/02/04(月) 00:16:47.47 O
孫策の勢力圏って丹陽、呉、会稽が中心だけど、丹陽は陳禹や厳象など揚州刺史の勢力、呉は他の孫一族の勢力が強く、事実上自ら切り取った会稽が本拠になってたのかもな。
本人も孫権も太守になってるし。

296: 世界@名無史さん 2013/02/09(土) 13:21:29.11 P
袁紹・曹操共に天下を治めるチカラを有していた。
只一つ、両者にとって決定的に無かったものは、許攸の才知を発揮させるだけの器量である。

嗚呼 惜しい哉 許子遠

297: 世界@名無史さん 2013/02/09(土) 15:06:18.44 0
許攸のような古いタイプは袁紹や曹操のことを「あるじ」とは見ずに
せいぜい「同期の出世頭」くらいにしかおもわなかっただろうな
「役職上は上司だが人となりの格は同じ」とかね

そういうのはえてして後漢の価値観のまま乱世に突入してしまい
結局適応できずに(時代が進むにつれてそういうのは全部粛清された)淘汰されたといえる
荀彧みたいに確信的に抗って粛清されたわけじゃないしね

時勢を読めなかった無能というのは言い過ぎではないと思う

298: 世界@名無史さん 2013/02/09(土) 15:16:58.41 0
この当時って400年続く、しかも一度滅亡しながら復活した漢朝の存在があって
現代の感覚よりも易姓革命が遠い世界だったろうから我々の目から見て遅れた価値観に見えるものでも当時としては一般的なものだったかもしれない。

299: 世界@名無史さん 2013/02/09(土) 19:54:03.05 0
孔融なんて曹操のことを完全に格下だと思い込んでいたのではないか

300: 世界@名無史さん 2013/02/10(日) 00:33:35.02 0
とうぜん宦官野郎の孫のくせにw
って思ってたでしょ

301: 世界@名無史さん 2013/02/11(月) 11:09:59.91 0
実際に仕官した年やキャリアを考えると孔融のほうが先輩で格上だからな
孔融は正真正銘、正規の北海太守で早くから名士中の名士に評価されてきた人物だが曹操は宦官の孫でかなり怪しくつっこみどころがある?州刺史

ただ、曹操の実力を完全に見誤った

335: 世界@名無史さん 2013/02/14(木) 13:39:00.39 0
ところで孫堅がなったって言う仮の尉は県尉?

336: 世界@名無史さん 2013/02/14(木) 14:43:38.06 0
後に県の丞になってるから、たぶん県尉。
しかし仮の尉ってなんだ?

337: 世界@名無史さん 2013/02/14(木) 15:16:10.74 0
仮の尉とされたじゃなくて、仮に尉とされたって読むべきなのかな?

338: 世界@名無史さん 2013/02/15(金) 02:42:48.86 0
本当はその地位にふさわしくない人に任命する際に
「変なことしたらやめてもらうけど任命するよ」ってニュアンスかと思う

339: 世界@名無史さん 2013/02/15(金) 03:09:43.76 0
尉クラスの任免権持ってるのって誰だっけ?

340: 世界@名無史さん 2013/02/15(金) 09:46:48.90 0
建前上は命官なので皇帝、守尉(代行)の場合は太守。
けど、通常は県尉の人事までいちいち皇帝が関与しないよな。
特別に関心がある場合以外は、人事案に承認出すだけでしょう。
後漢末期あたりだと、だれが人事案作るんだろう?
守尉も、実質は功曹が決めるときもあるんだろう。
ちなみに守尉→正規の尉と言う昇進人事は通常はあり得ない、
少なくとも通例ではない。(大庭修氏)
もっとも後漢末みたいな乱世はまた別だろうけど。

354: 世界@名無史さん 2013/02/21(木) 02:54:12.16 0
諸葛亮はなんで勝ち目がなさそうな北伐を繰り返したんですか?

355: 世界@名無史さん 2013/02/21(木) 05:37:25.91 0
勝ち目はあったよ
一回目で成功してれば繰り返す必要も無かったし
諸葛亮の命令に背いて街亭を失った馬謖が悪い

356: 世界@名無史さん 2013/02/21(木) 06:46:14.30 0
後詰に諸葛亮の本隊がいただろ。
何で援軍を突っ込まなかったの?

358: 世界@名無史さん 2013/02/21(木) 20:55:36.60 0
街亭取られたら作戦全部終わりなのに、なんでそこで帰っちゃうんだよ諸葛亮は取り返しに行けよ

360: 世界@名無史さん 2013/02/21(木) 21:16:59.83 0
張コウが手勢だけで街亭まで出てきてるんだから、むしろ討ち取るチャンスだぞ。
馬謖をエサに敵の大将を釣り上げたのに、なぜそこで決戦を挑まないのか。

361: 世界@名無史さん 2013/02/21(木) 22:35:25.89 0
http://twitter.yfrog.com/z/esf2auej
※リンク切れ

諸葛亮が布陣した本陣から街亭までの距離が遠すぎるという現実

369: 世界@名無史さん 2013/02/22(金) 01:26:53.36 0
第一次北伐の場合は先鋒本隊というよりも隴西各地の制圧に蜀軍が分散してて街亭へ向かった部隊は隴西制圧の時間稼ぎ
または魏軍反攻の際に隴西各地へ向かった部隊の集結を待つための時間稼ぎでは?

370: 世界@名無史さん 2013/02/22(金) 02:58:34.10 0
亮使馬謖督諸軍在前とあるから先鋒にはしたんじゃない?
その企図がどこにあるかは想像するしかないけどさ

377: 世界@名無史さん 2013/03/04(月) 14:18:46.74 0
張飛が殺されたのって別に部下に無理な命令したからじゃないんだね
やはりネットのこんな末端の末端で情報探すよりちゃんと原典にあたるべきだね
でも平凡社のしか無いんだよな・・・

378: 世界@名無史さん 2013/03/04(月) 15:50:02.66 O
中華書局のがあるだろうが。
白文読めないならちくま学芸文庫から日本語訳が出てるぞ。

張飛が部下を残虐に扱ってたのは事実だし、呉討伐の直前に殺されてるから、演義のように無茶な命令を出したことが原因となったのは十分に考えられることだと思うが。

381: 世界@名無史さん 2013/03/04(月) 16:50:47.67 0
つうか。
呉の工作じゃないのかな?

382: 世界@名無史さん 2013/03/04(月) 17:03:15.73 0
元々暴力癖があった張飛が、部下に恨まれて殺されただけ

379: 世界@名無史さん 2013/03/04(月) 16:23:53.51 0
張飛ってちゃっかりしてるよね。
娘を次期皇后にしちゃってるし。

384: 世界@名無史さん 2013/03/04(月) 21:02:28.62 0
張飛が生きていたら
黄権の代わりに別働隊を率いることになって黄権は劉備直属になったであろうか?それとも主力を任せられて史実では抜けなった孫桓を撃破することになったであろうか?

すくなくとも黄権か張飛のどちらかが劉備の側にいて同じ火計による大敗というのはありえなかっただろうな。

そもそも張飛は長い対峙のあとに張コウの軍が「長く伸びきって連携が疎かになった状態」であることを看破したのか、それともそうなるよう仕向けるようにしたのか、どちらにせよそれを攻撃して破った将帥だから劉備が同じような状況になったら違いなく制止するはず。

385: 世界@名無史さん 2013/03/04(月) 21:57:06.56 O
たらればNo.1は「法正が生きていれば」なんだろうが、張飛や黄権が劉備の陣立てに意見するのは考えにくいかな。

黄権は実際ケチをつけようとしたけど、支作戦に回されて発言を封じられたし、張飛はイケイケドンドンだろう(正史厨でも張飛が前線に出ず、参謀の役割を担うのは違和感があるのでは?)。何より関羽の弔い合戦は心情的に張飛・劉備が担うもので、黄権が何を言ったところで無駄だった。

張飛が例え生きていたとしても曹丕にpgrされる程度の陣立てて敗北は必然かと。

386: 世界@名無史さん 2013/03/05(火) 09:06:27.54 O
曹丕に馬鹿にされたってのが残念の極みだよね。
戦の実績ほとんどないくせにベテランに向かって何を言ってるのかと。
頭は良かったんだろうけど、皇帝じゃなきゃ諸葛カクみたいな扱いだったんじゃないか曹丕。
いや、大好きなんだけどね。

387: 世界@名無史さん 2013/03/06(水) 12:19:07.33 0
馬鹿にされることやったんだから仕方ないさ

393: 世界@名無史さん 2013/03/08(金) 18:51:26.50 0
「曹操が最初は袁紹の部下で、曹操が袁紹を裏切って戦争を仕掛けた」
という説をネット上で目にしたのですが、これは本当なのでしょうか?
もし本当なら何で三国志ではそう書かれないのでしょうか?

ご教授よろしくお願いします。

397: 世界@名無史さん 2013/03/09(土) 09:39:50.43 0
>>393
マジレスすると、献帝を保護して袁紹との仲は一気に破綻したんだろうな。
袁紹は打倒唐卓軍(=献帝の即位を認めない)の盟主だったし、更に劉虞を立てようとした(当時部下の曹操が反対して実現せず)わけだから、献帝の保護が許せなかったんだろう。これを袁紹が裏切りと表現してもおかしくない。

また、名士の意外に多くが袁紹を支持し、袁紹と運命を共にしたことから(その中には、荀彧の弟や郭嘉の兄などもいる)必ずしも袁紹の戦略が間違って
いたとは言えない。

401: 世界@名無史さん 2013/03/09(土) 12:56:10.13 0
>>397
劉虞擁立に失敗したのは曹操の反対じゃなくて劉虞本人の拒否が原因だろう

398: 世界@名無史さん 2013/03/09(土) 11:12:27.07 0
「部下」という定義が
・体系的な命令系統の有無
・人事・任命権の実効力
だとしたら
曹操は一度足りとも袁紹の部下になってないって

袁紹は一度たりとも曹操と曹操勢力下に対して任命権限を発揮したことがないし
曹操を自分のシステマティックな命令系統の中に入れることはできてない
精々「格が落ちる盟友」程度

直江兼続は上杉景勝の「部下」だが、徳川家康は織田信長の「部下」じゃない

399: 世界@名無史さん 2013/03/09(土) 11:15:37.85 0
>>398
訂正
>袁紹は一度たりとも曹操と曹操勢力下に対して任命権限を発揮したことがない

東郡太守の際は影響力を発揮したが、翌年には曹操は自分の力でローカル勢力の支持を得てエン州牧と自称しているから
やはり曹操は袁紹の部下ではない

402: 世界@名無史さん 2013/03/09(土) 13:39:41.44 0
>>399
後漢書で後になって曹操をエン州牧にしたのは俺、と袁紹が上表してるし自称じゃないでしょ。

403: 世界@名無史さん 2013/03/09(土) 16:00:14.02 0
部下って言葉の定義次第だけど、少なくとも格下の同盟者とか、影響下の人物、まあ簡単に言うと弟分子分であった時期がある、そこまで否定できないでしょう。
曹操本人の意識はともかく、世間はそう見てる。
袁紹側から見れば裏切りと見えるのは当然。

415: 世界@名無史さん 2013/03/14(木) 23:48:44.59 0
袁譚と袁尚
曹丕と曹植
なんで仲悪いんだろ

416: 世界@名無史さん 2013/03/15(金) 00:17:29.93 O
逆に仲の良い兄弟の方が思い付かない。
曹爽兄弟とか仲良さそうな勝手なイメージ。

418: 世界@名無史さん 2013/03/15(金) 00:45:34.35 0
古代中世においては兄弟なんて敵であることの方が多いよね

419: 世界@名無史さん 2013/03/15(金) 00:56:27.06 0
権力者の家に生まれた兄弟は取り巻きが仲を悪くさせるからしゃーない

420: 世界@名無史さん 2013/03/15(金) 01:10:27.96 0
一触即発の後継ぎ争いを混乱させたまま親父が死んだ割には曹丕は曹植殺さなかったんだから慈悲深いくらいだ
普通なら殺しちゃうとこだよ
関連記事どぎつい性格 曹丕


421: 世界@名無史さん 2013/03/15(金) 01:30:18.27 0
曹丕は献帝も殺さなかったし慈悲深いよ

422: 世界@名無史さん 2013/03/15(金) 01:31:16.43 0
その慈悲を受けられなかった奴もいるんだよなあ…

423: 世界@名無史さん 2013/03/15(金) 01:33:55.18 0
ウキンがヘマこかなかったら、魏が関羽をやっつけて荊州ゲット→三国時代終わってただろ

424: 世界@名無史さん 2013/03/15(金) 01:38:17.45 0
孫権は藩臣になりますと申し出てきていて、魏が荊州を取れば、もはや残るは劉備だけ。
蜀攻略に全力をかけて三国志終了、統一王朝魏誕生。
曹丕は苦手な戦争もせず、皇帝として優雅に文化政策をやっていただろう。
それをすべてぶち壊しにした張本人

434: 世界@名無史さん 2013/03/18(月) 09:12:12.69 0
曹丕が冷酷とかいってるやつらは、あのとき荊州を失って孫権を優遇しなきゃいけなくなったことで、三国鼎立が完全に成立してしまったということをどう考えるのか。
怒るの当然だろ。

435: 世界@名無史さん 2013/03/18(月) 13:26:09.05 0
曹丕批判ばっかり目立つけど、于禁への批判がないのはなんか変。
だって、どう考えても于禁が負けたせいで、三国志になってしまったわけで。
曹操だって于禁をばっちり批判してるのにね。

于禁の忠義だの晩節だの、曹丕の非常だの残酷だの、そういう論争で真実が隠されているのではないか。

451: 世界@名無史さん 2013/03/21(木) 03:08:43.27 0
>>435
于禁が負けたから三国志になったというのは意味不明

452: 世界@名無史さん 2013/03/21(木) 19:54:55.37 0
>>451
于禁が勝ってれば、荊州を拠点とした蜀攻略が可能になる。
荊州→益州はかつて光武帝が公孫述を討つときに使ったルートであり、
蜀の天険に突っ込むより簡単に蜀を降せた。
後漢が健在のうちに統一できるのだから、魏国へ禅譲する意味がない。

437: 世界@名無史さん 2013/03/18(月) 19:57:43.72 0
司馬光が言うには

責任とらせるならさっさと殺ってしまえば良いのに
許すと見せかけて手の込んだ仕掛けで恥を掻かせるなんていい大人のやることじゃない

438: 世界@名無史さん 2013/03/18(月) 20:12:18.93 0
冷酷は違うかもしれないけど、なんか陰湿というか陰険というか。
クルルみたいな。

441: 世界@名無史さん 2013/03/18(月) 21:54:29.86 0
曹丕は冷酷じゃないっていう擁護は他所でも見たことあるがなんでなんだろう
仮に冷酷じゃなくても性格悪いと思うんだけど
流石に慈悲深いとかない

443: 世界@名無史さん 2013/03/18(月) 23:47:09.50 0
>>441
殺さないと王朝が危ない曹彰でも罪をかぶせずに謎の病死で片づけて彼の名誉を守ったし、後ろだてさえ消せば殺さなくてもどうにかなりそうな曹植は殺さずに済ませた
テンパランス戦の承太郎並に慈悲深いよ

451: 世界@名無史さん 2013/03/21(木) 03:08:43.27 0
>>443
曹彰の死を暗殺とする根拠はない

あと八王の乱をよく知らない人間が多いと思う
八王の乱の前半はただの(?)中央政変の連続なので、これは魏でも呉でも何度も起きたこと
八王の乱の後半みたいなのは、意志薄弱の皇帝がいるのが前提なので
曹丕・曹叡が存命の間は起きない

455: 世界@名無史さん 2013/03/21(木) 20:57:04.47 0
>>451
世説新語でははっきり毒殺と書かれてるよ
それを信じるかどうかの問題はあるが、根拠はないというのはただの不勉強

464: 世界@名無史さん 2013/03/22(金) 03:52:36.65 0
>>455
世說新語の曹彰毒殺の話の末尾にはこうある。
太后曰:「汝已殺我任城,不得復殺我東阿。」
曹植が東阿王になったのは曹丕死後だから、与太話だろう

494: 世界@名無史さん 2013/04/19(金) 00:17:11.02 0
孫皓の帰命侯は名号侯だって説もあるようだけど、それだと随分劉禅より格が落ちるな。
なんでだろう?
県公>開国侯~男爵>県侯~亭侯>関内侯>名号侯

495: 世界@名無史さん 2013/04/19(金) 00:58:49.61 0
暴君として名高い&9割がた統一完了してる状態で最後になってやっと降伏したような奴にそんなに高い地位をやる必要はない

496: 世界@名無史さん 2013/04/19(金) 07:34:21.69 0
孫皓と司馬炎が絡むエピソードは劉禅より多い
たぶん個人的に司馬炎が優遇していたのだろう

504: 世界@名無史さん 2013/05/09(木) 09:27:59.83 0
>>496
孫皓の詩もいいよな
昔は汝と隣為(な)り  今は汝の臣為り
 汝に一桮(いっぱい)の酒を上(たてまつ)る  汝の寿を万春ならしめん

やはり太宰治的だが

引用元: ・正史『三国志』 二十八巻




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