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大鳥圭介


1832~1911。江戸時代から明治時代の洋学者、軍人。幕府陸軍伝習隊を率いて官軍と戦い、敗れる。のち明治政府に取り立てられ、英、米へ留学し、鉱工業や美術・建築を視撮後に工部大学校長兼工作局長などを務め、産業振興に貢献。学習院院長などとして教育にも功績を残した。




14: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/23(木) 09:56:14 ID:ihNCh8OT0
大鳥は函館戦争ではは教え子の黒田清隆と戦うのは複雑だっただろう
2年半投獄され特赦後渡米し伊藤博文と意気投合→工部省へ

23: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/28(金) 07:52:55 ID:buU7/i0Q0
宇都宮とか日光とか、見せ場が無いわけじゃないんだがなぁ……

24: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/01/30(日) 18:25:31 ID:tespJQAf0
当時は、旧幕よりの新聞がもて囃したり、錦絵にも描かれたり、官軍の将たちに大鳥の弟子がたくさんいたりして、有名だったし評価も高かった。

26: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/04(金) 20:30:53 ID:kOTwj+wW0
大鳥は官軍側に知り合いが多くて戦争していても胸中は複雑だったと思う。
投獄されている時適塾の先輩の大村が暗殺されたことを知り親しくしていた人の死の悲しみと日本の為には不幸なことだと号泣した…
大村がすごい人物なことを知っていたし函館戦争のこともあって決して陸軍に所属することを拒んだ

もともと軍人ではない大鳥は渡米し伊藤博文と意気投合し工部省へ

27: sage 2011/02/12(土) 00:27:04 ID:Q97JfbOW0
実際は明治になって陸軍の参謀局に一度入っているけど、軍人になるのはやはり嫌だったらしい。
「大に不本意」と知人に手紙でこぼしていた。
戊辰戦争のことも、人に語ることをせず、家族にも話さなかったとのこと。 

30: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/28(月) 17:31:50.85 ID:A1xP/CIf0
大鳥圭介伝に
「函館で降参した時も榎本は正直だからしきりに切腹したがった(が、)僕はそう思っていたよ。なに降参したって殺されやしない」
と言ったと言う知人の伝聞があるが、大鳥は寛典が読めていたのだろうか?その後2年以上も処分保留で入牢したのに強がりでないとしたら相当先が読めるね

34: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/04(金) 00:44:10.41 ID:jIp6ZLo50
>>30
大鳥にはよく、他人に対しては自分をピエロにして強がる言動がある。
同じ大鳥圭介伝で、大鳥が人生で死を覚悟した三度のことの第一に、降伏の時を挙げている(後の二つは日清戦争と小田原津波)。
「獄に下って以降も確かに極刑を期していた」と大鳥自身の言葉がある。降伏時「砲は裂け艦は摧け吾が事終る、幡然衆に代わってこの躬を殺す」
と、死を覚悟する漢詩を詠んだ。
「今よりは 世を捨つる身」と獄中でも身の終焉を和歌で詠んだ。
「我々を誅戮して自余の脱走人を寛典に処したまえ」と獄吏に告げた。
「死生の境」では大鳥らは赦免の直前まで死罪か釈放か知らされておらず、今日首を取られるか明日斬罪になるか「血も枯れる思い」だったとある。

31: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/02(水) 21:57:22.37 ID:X1OB8dll0
大鳥はもともと学者で黒田、大山巌、井上馨は教え子…
自宅で食事もしたり奥さんと子供達も3人に紹介したりしているから戊辰戦争の時は相当複雑な心境だったと思う

同じ適塾の後輩の高松凌雲を通じて黒田は大鳥に何度も降伏してほしいと交渉していた
1年経って処刑されなければ殺されないだろうと大鳥は言っていたらしい

無事釈放が決まったら大鳥は榎本らとビールで乾杯w

釈放されたらほどなく渡米し伊藤博文と意気投合

大鳥や榎本らは相当優秀な人たちだったので恩赦された
…土方や近藤のように京都で長州や土佐の志士らと対立したわけでもないし江藤のように大久保と対立したわけでもない…

大鳥は函館戦争は兄弟げんか
日清戦争の時の方が大変だったと発言している

32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/03(木) 15:36:32.17 ID:XBssamEf0
大村益次郎も「大鳥は今は敵だが、これからの日本の役に立つため生かしておかねばなりません」と評価してたらしいね

33: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/03(木) 23:47:37.64 ID:Gd8mpctZ0
それにしては長州は厳罰論で困ったらしいじゃん
誰が厳罰論を引っ張ったのさ。木戸?木戸は寛大な処分に回ることが多かったと思うが
ソース西郷隆盛の書簡「薩長寛猛の違い」

35: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/04(金) 01:20:51.99 ID:jIp6ZLo50
>>33
「薩長寛猛之違」が明治五年一月十二日の西郷→桂四郎書簡のことなら、「長州人も近来は思ひ當り寛論相立候得共、木戸一人之處置六ヶ敷御座候」
黒田が赦免すべしという寛論を主張し、長州でも寛論が出たが木戸が一人死刑に処すべしという猛論を主張した、という事。

なお、五稜郭史 (片上楽天、1921年、懐旧館) に、この議論が、「四年十二月の時、顕官長州出身の木戸孝允は突如最も乱暴極めて非常識然たる暴論を主張して云ふ、国賊榎本らはまだ壮年、彼ら身を終る迄飼ひ殺しは頗る厄介。宜しく引摺出して斬首せん…望みとあらば先ず卿(黒田)を血祭る又可らん」
と、煙草盆が飛び椅子が舞わんばかりの光景だった、とある。

36: 35 2011/03/04(金) 01:41:43.47 ID:jIp6ZLo50
(続き)
しかし実は木戸は、本当は榎本らを救いたかったのだが、維新の旧幕対薩長という立場上、それはできなかった。
なので、木戸は殊更、極めて突飛な暴論を吐いて、反対論を喚起させようと試みた。その奇計が見事に的中し、黒田によって特赦説が出されたのである、と著者は述べている。

37: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/04(金) 08:22:58.09 ID:1po+mVe70
まぁ、松平容保を助命しといて今更って感はあるなw
長州藩の恨みとしては、この殿様が一番買ってるだろうし。

39: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/04(金) 18:45:52.37 ID:wt45Xb8A0
函館戦争が終わって降伏会見があったのだが
大鳥が明るい性格でみんなを盛り上げたらしく明るい雰囲気で山田顕義も驚いたらしい

2年半投獄されている時に号泣したことは尊敬する適塾の先輩の大村が暗殺されたことを新聞で読んで嘆き優れた軍政家の大村の死は日本にとって不幸なことだと榎本らに言っていた

42: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/04(月) 16:26:30.16 ID:414fLF8V0
大鳥は結局男爵にしかなれんかったノー
かわいそうだのー

43: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/08(金) 19:08:02.99 ID:krQjBpQV0
大鳥は敵方として新政府と交戦しているし
政治家ではなく元々学者さんなので男爵なら妥当でしょう。
学者さんでお互い仲が良かったのが大隈重信

44: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/08(金) 22:13:44.00 ID:3NClDTINP
まあ大鳥は維新後に上手く立ち回ったと思うよ。
少なくとも鹿鳴館で乱痴気騒ぎやらかしてた榎本なんかよりはマシだな。
なんで佐賀藩の残りカスの大隈が学者として出てくるのかしらんけど。

48: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/23(月) 22:07:23.25 ID:OYUO7bY/0
大鳥圭介の伝記アニメ「けいすけじゃ」について誰か詳しく。



57: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/08/17(水) 05:33:22.58 ID:653kW4H1O
>>48
漫画ならとある大鳥のサイトにうPされてます
伝承の類を引用しすぎかと
漫画としては充分おもしろい


49: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/30(月) 08:11:58.85 ID:eqZT4zrP0
常敗無勝。戊辰戦争では指揮により人を遣わすと勝つが、自身が戦うと連戦連敗。 
しかし、「またも負けたか」と笑い飛ばし、人望があって五稜郭まで戦い抜いた。

50: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/06/02(木) 23:05:18.57 ID:OF7nZISR0
>>49 
少なくとも、小山、武井村、藤原、峠下、木古内、七重村とそれぞれ勝っているが。 
常敗無勝や連戦敗が大嘘であることは、記録を見ればすぐに分かる。

63: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/09/28(水) 14:21:36.96 ID:fgWXyPq+0
大鳥の連戦連敗だとか土方との対立説なんて誰が言い出したんかね。
野口武彦あたりも「幕府歩兵隊」で土方と比べて大鳥をくさしてる
だったら大村の大鳥評は何だっつの。母成峠の件も会津藩首脳がのんびりしてたのが大きい
結局外人部隊は最後は悪評押し付けられるんだよ

函館戦争に興味があるけど、大鳥に関しては特に対朝鮮・清外交での外交官としての活躍も見逃せないところ
榎本は比較的穏健無難な解決を望む傾向があったが、大鳥は仕掛ける所では仕掛けるタイプだった

64: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/05(水) 10:39:00.59 ID:H9Vjb4ZyO
>>63
個人的にはやっぱり司馬大先生()が問題かなーと。
燃えよ剣での書かれ方が余りにひどいと聞いた
だから読んでないけどw


あと地元も最近まで赤穂浪士のひとりを推してて大鳥なんか空気扱いだったみたいだし、それに関しては元が医者の息子って言うのがネックなのかと思ってる。
政治家の地盤じゃないけど、元々が武士の家系ってどんなに落ちぶれても過去の栄光を語り継ぐような所があると思う。

でも、大鳥はそんなの気にしなそうだなーw
51: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/06/05(日) 18:50:22.23 ID:tKOISHEKO
大鳥と薩摩藩の関係性が気になる 
薩摩藩とはどの程度の関わりがあったのか 
同時期に蘭書の翻訳、化学的研究・開発に携わっていた人物との関係性を知りたい

52: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/06/12(日) 17:21:44.94 ID:Z/nySGiI0
適塾に居たんだから当然薩摩の蘭学者とのつきあいはあっただろうな。

65: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/09(日) 10:02:31.30 ID:f5+PAwJJ0
大鳥は成彬公に乞われ藩士たちに英語や砲学を講義している
だから西郷とは交流はあったと思われる
江川太郎左衛門の塾で塾頭だった時の教え子が
黒田 大山

66: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/11(火) 01:48:56.09 ID:42643FAM0
貧乏書生の頃に、薩摩藩邸に拾われて翻訳バイト開始、それから薩摩藩のために台場の設計したり、蒸気船の模型作ったり、写真の撮り方を教えたり。
名前が売れてきたのは江川塾の講師のころからだが。その前の無名の頃から薩摩との関わりは深かった。
後ろ盾もコネも全くない平民が、才覚だけで伸し上がったのは凄い。

68: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/11(火) 17:17:30.22 ID:iHmc1uTD0
幕藩システムってのはどうしようもない身分制だけどそういう才人を丁寧に拾っていく枠組みみたいなのがあったんかね。

69: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/11(火) 17:56:49.20 ID:0sjMymb30
学者はあんまり身分関係ない。

70: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/11(火) 21:34:05.60 ID:hmg71HTiO
うんうん、私は坪井塾に移ったのが転機だと思ってる。
元々知り合いだった何とか(名前失念)の親が薩摩藩邸の留守居役で、その縁で研究・翻訳を重ねていたようだけど、斉彬との御目見得はなかった。
坪井のその後を見れば、坪井の後押しがあって当然かと思うんだけど、まだ坪井サイドを調べてないw


英語を教えてたって資料もみたことないな。
斉彬の死後ならあるけど。
薩摩にはジョン万もいたし、大鳥自身はジョン万から習った英語では満足できてなかったようだし…

例えば同時期にガス灯を発明した人等との繋がりはあったのか知りたい。
大鳥側からは確認できなかったよ~

71: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/24(月) 01:05:45.73 ID:aG456rKQ0
>>70
ガス灯の発明者マードックは1754-1839没、没年で大鳥6~7歳。
まず繋がりは無いかと思われる。
大鳥は、米国の炭田か油田由来のガス灯の描写を石炭編か石油編で行っていたから、その二つを見れば何かわかるのでは。

薩摩については、大鳥が設計に関与した品川台場を阿部伊勢守に案内した際、大鳥は斉彬候と顔合わせはしている。

72: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/24(月) 10:13:04.63 ID:hQH/8iXHO
>>71
おおすまん
書き方が悪かったです。
マードックでなく、八木玄悦です。
他にも集成館事業に携わっていた人達、と書けばよかった。
ごめんなさい

石炭編、石油編漁ってみます~
ありがとう

でもでも、お目見得と顔合わせは違うと思う。
その台場建設の説明の時も、終わってから阿部・斉彬らは会食を楽しんだけど大鳥は呼ばれてない。その後の繋がりも全く確認できてない。
写真の件も間に人が入っているし、御目見得がない以上、斉彬に乞われてっていうのは成り立たないと思う。揚げ足を取りたいわけではないんだけど、斉彬から何らかの力が加わると全く違ってくると思うから。
しつこくてすみません。

75: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/07(月) 16:13:39.64 ID:b82k+EvN0
荒井って海軍→陸軍伝習所→海軍と両刀なんだな。
さすがの大鳥も榎本が逝去した時は「これで荒井と俺しか函館以来の奴はいなくなった」
と言ったみたいだから、荒井の翌年の逝去はショックだっただろうね。

幕臣はとにかく数が多いんで…幕臣が網羅できるような研究書ないかな…

76: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/08(火) 23:14:51.50 ID:Mqq40llm0
>>75
榎本死没時の大鳥の懐旧談は涙を誘うね。

樋口武彦氏の著作が、さまざまな人物の調査が深くお勧め。
明治の文章が苦にならないなら、「旧幕府」「同方会誌」あたりを。

77: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/10(木) 19:12:22.84 ID:4HEKuqfy0
大鳥は適塾の優秀な先輩の大村益次郎を尊敬していた
2年半投獄されている時に大村の暗殺を知りこの事態は個人の悲しみとともにこれはまさに国家にとって大損失と語って号泣した

榎本は伊藤の暗殺を知らずに亡くなったのはよかったような
榎本が亡くなったのは伊藤が暗殺される前年のこと…
伊藤の暗殺は誰もが唖然としたわけで…
井上馨は高杉と伊藤に先立たれ号泣した

78: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/10(木) 23:06:56.72 ID:DQP1e74jO
>>77
大村も、大鳥は役に立つから助命してくれ、と減刑するよう働きかけたらしいね。
榎本と伊藤の命日が同じ日なのは知らなかったわ

81: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/01/12(木) 22:20:18.39 ID:2/I8zpMA0
荒井郁之助は大鳥、榎本、勝海舟らが長く明治政府にいるよう説得したけど駄目だったみたいだね
函館戦争で戦って降参して牢獄した後政府に出仕して長く活躍したのは榎本 大鳥 沢太郎左衛門の3人

星亮一さんが大鳥の書籍を去年刊行している
政府に出仕して渡米後伊藤と意気投合して才能を認められ工業の技術者としてトップに任命したのが伊藤(薩長閥の枠を超えて) 榎本がすごい出世で元の幕臣たちもみんな驚いてていたとか…


87: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/01/03(金) 19:25:51.50 ID:fZ51pxFR0
大河ドラマ級だよな?
松陰の妹(久坂の嫁)で松下村塾やるなら
適塾の戦前戦後の群像劇をやった方が面白くね?

88: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/07/08(火) 19:34:35.07 ID:1qNWmF9o0
三谷さんが適塾のメンバーのい生涯を大河で製作したいらしいけど生き残った人が大鳥と福沢だけなので 地味すぎて大河化は難しいかもしれない

大鳥は学者さんなので
幕府軍の大将なので 特に薩摩の西郷 黒田 大山 野津らはびっくり仰天だった
大鳥先生は戦をする人ではないので早く降参してくれとずっと説得 交渉していた
函館戦争で徹底抗戦せず榎本らを降参させたのは大鳥の功績…

明治政府に出仕後は 本来の学者さんで西郷 黒田 井上薫も安堵したらしい
実際は敵方のトップの榎本だけ最初はみんな警戒していたけどすごく優秀な人なので
明治政府の中心人物になった

97: 名無しさん@お腹いっぱい。 2017/06/17(土) 11:53:18.40 ID:JjFJe6jt0
この人の過小評価はほとんど司馬遼太郎のせい
人物像や性格が、「燃えよ剣」と史実では全く逆なんだもん
28: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/12(土) 00:57:47 ID:T6Gew9eyO
1994年に亡くなられたんですよね。 
親しみ易いキャラで人気がありましたが。

29: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/14(月) 01:10:16 ID:/sZDKaL40
その人は、大鳥圭介を尊敬していて、 
芸名もそこからもらったと新聞で言っていたね。

引用元: ・大鳥圭介って過小評価されてるよね?




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