51B96CW0DGL



1: 世界@名無史さん 04/09/13 16:27:53
無かったので立てました。

関連記事①【李氏】☆☆唐帝国の歴史総合スレッド☆☆【天命】
    ②【李氏】☆☆唐帝国の歴史総合スレッド☆☆【天命】







471: 世界@名無史さん 2005/12/17(土) 23:12:21 0
唐代の音楽とか舞踊って日本に残ってる?
残ってるとしたら、どのくらい原型とどめてる?

474: 世界@名無史さん 2005/12/18(日) 13:23:40 0
>>471
宮廷の雅楽は違うのかな

475: 山野野衾 ◆CXSSL1llHI 2005/12/18(日) 18:43:41 0
戦国期に一旦衰退してから再編成されたものですし、それまでにも変化や断絶(秘伝が多かった為)がありましたから、かなり変化している筈。

477: 世界@名無史さん 2005/12/20(火) 22:28:40 O
安史の乱以後特に自立性が強かった河朔三鎮は何故唐から分離するまで至らなかったんだろうか?

河朔三鎮

河朔三鎮(かさくさんちん)とは、中国の晩唐期に国内各地の節度使が藩鎮として割拠した状況下において、河朔地区の3つの藩鎮、すなわち幽州、成徳、魏博を指す。

安史の乱後、代宗は安禄山の旧臣であった李懐仙を幽州に、田承嗣を魏博に、張忠志(後に李宝臣)を成徳に封じた。その後河朔三鎮は次第に地方勢力として独立し、唐王朝の勢力が及ばなくなった。三鎮は「河朔の旧事」と称してその主帥は代々唐王朝の任命によらずに世襲や部下による擁立によって就任し、勝手に領内の文武百官を任命して租税の上供を拒んだ。これによって藩鎮の弊害の嚆矢ともいえる存在になるとともに北方地区の政情不安の原因となった。


478: 世界@名無史さん 2005/12/20(火) 22:31:46 0
下手に独立したら中央&契丹から討伐受けるから無難に唐に寄生する手段を選んだんでしょ。

481: 世界@名無史さん 2005/12/21(水) 20:45:25 0
藩鎭の節度使たちは、強固な世襲制による地位の継承ができてなかったのが一番でかいんじゃないかな>唐から分離するまで至らなかった

食糧を兵士に支給できなければ、反旗を翻されて地位を追われるわけで、簡単な頭のすげ替えを防ぐために下の人間を納得させる権威、中央政府の官爵を必要としたのが藩鎭支配の形ですし。

唐の中央と河朔三鎭の関係は、変則的な冊封体制として見るのがよいかと…。

483: 世界@名無史さん 2005/12/22(木) 18:12:51 0
李世民の頃の唐は中国が最も輝いた時代だと思う。
その後の宋は文明国だが、なんか地味だ。

484: 世界@名無史さん 2005/12/22(木) 19:41:19 0
俺は北宋が中国史で最も好きだが。
唐よりもリベラルで明るい感じ。

485: 世界@名無史さん 2005/12/22(木) 20:22:10 0
>>484 
「リベラル」の結果、史上最大の党争王朝に・・・

489: 世界@名無史さん 2005/12/22(木) 22:36:41 0
>>485
党争が起きるのは仕方のないことだと思う。今の日本だって党が争っているわけだし。まあ、宋はそれで国力を弱めてしまったのは弱いところだが。

まあ、でも権力闘争も左遷程度で済ませていた(党争が過激化する前ね)のはあの時代にしちゃ良くできた方なんじゃないかと。文化的にも色々な発展があった時期だし、数学なんかも発展した、中国史上の黄金時代なんじゃないかと思うわけだが。
逆に言えばその後の推移は何で、という思いがあるけど。民間活力の発展はあったとは言え、政治や主流文化の面ではどうも暗くなる。

487: 世界@名無史さん 2005/12/22(木) 22:05:39 0
唐が世界帝国とかよく言うけど、本当の世界帝国とは清とか元だよ。
宋も唐も美化されまくりなんだよ。

491: 世界@名無史さん 2005/12/23(金) 00:07:53 0
>>487
いや、イメージでさ。
初期の唐はなんか国際的で世界最高の文明国って感じ。
元と清はなんか薄暗いイメージでいかにも非文明国って感じ。

492: 世界@名無史さん 2005/12/23(金) 20:06:32 0
>>487
当時としたら大唐帝国とイスラム帝国は十分に“世界帝国”の範疇にはいるだろ。

493: 世界@名無史さん 2005/12/23(金) 20:40:28 0
唐が西域に影響力を持っていたのはほんの短期間だよ。
すぐに内地すら十分に支配できなくなっていくのにイランからエジプト以西まで支配したイスラム帝国と較べるなんて出来ないよ。

494: 首ライ 2005/12/23(金) 20:43:06 0
でも元の頃に文学作品はたくさん出来てないですか?
清は、非合理的、儀礼主義ないメージが

495: 世界@名無史さん 2005/12/23(金) 20:49:18 0
清が礼儀的、非合理的というのは清末のイメージだね。
もともとの清、特に順治、康熙、雍正の頃は実利主義だよ。
唐は晩唐をもって代表しないのに、清は清末の印象で語られる。
これが清の不幸だな。

503: 世界@名無史さん 2006/01/05(木) 22:32:02 0
武則天が容易に周建国出来た要因を幾つか挙げてみようよ

504: 世界@名無史さん 2006/01/05(木) 22:52:32 0
>>503
高宗が惰弱に過ぎた。
いくら恐妻家でも、妻の言うなりに長子(廃太子忠)を殺して娘二人を幽閉し廃后の決意を固めたかと思えばばれた途端に「朕は何も知らぬ」。
ここまで腐った男も珍しい。おまけに体も弱い。
権力が武后に集中するのも当然。

Gaozong_of_Tang


高宗

高宗(こうそう)は、唐の第3代皇帝。

この時期になると、外戚の長孫氏が皇后である武氏の一派によって追放され、代わって武后が政治の実権を掌握するようになっていた。このため高宗は武后廃立を計画したが、失敗する。のちに丹薬による中毒で眼病を患い、健康をそこなった皇帝のもとで実権は完全に武后により掌握された。このような状況のなか683年に死去した。

病気がちであった高宗は、政治において主導権を発揮することはなく、最初は外戚の長孫無忌、その後は皇后の武則天に実権を握られ続けた。


505: 世界@名無史さん 2006/01/05(木) 23:00:21 0
>>503
高宗在世中に培った権力を存分に活かして一大恐怖政治を敷き、唐の宗室を虐殺しまくって自分の子孫以外の李氏をほぼ全滅させ抵抗勢力をなくした。

506: 世界@名無史さん 2006/01/05(木) 23:01:56 0
李氏がそもそも漢人じゃないだけに、女性の発言力が高かったんだろうね。
北魏の文明太后なんかの類型かな

509: 世界@名無史さん 2006/01/06(金) 09:44:51 0
高宗惰弱もあるけど、官僚機構主導型の国家に移行していったのもあるかと。
北魏~隋までの「なにかと皇帝が指揮を執る」っていうのを否定したのは関隴系貴族集団だけが主導するってのを否定するのにも通じる。寒門が台頭して良い理由ができたわけだし、そうなれば彼らは旗頭を求めるわけで

何か、前漢が儒を真面目に取り入れた結果、「有徳者に禅定しちゃっていいじゃん」ってことになって王莽にやられたのに似ているような気がしないでもない。

宋以降みたいに民族主義に基づく国家っていうようなのがないわけだから皇室は権威を否定されたらアウトだなって感じもする。

510: 世界@名無史さん 2006/01/07(土) 19:35:57 0
>宋以降みたいに民族主義に基づく国家っていうようなのがないわけだから

華夷思想が高揚した宋代でも、趙氏は突厥サダ部の出身という説がある。
事実だとしたら、宋の開祖の祖先は、唐の時代は中原を脅かしていた夷狄禽獣になってしまう。

511: 世界@名無史さん 2006/01/07(土) 21:22:49 0
でも漢民族自体が「中華文明の恩恵によくした人」の総称であって出自や祖先の民族をこだわってもってきがしないでもない。往時の中華帝国にとっては漢民族=現代でいうアメリカ市民権みたいな感覚だろ。

512: 世界@名無史さん 2006/01/22(日) 16:05:08 0
なんで唐は大興城を長安に改名したんだろ

516: 世界@名無史さん 2006/02/15(水) 15:42:24 0
>>512
隋の文帝は,即位前に大興郡公に封ぜられていたため,新都を大興城と命名したと考えられる。唐高祖は即位するや,隋代の名称を変更するため,都の名を,もとのこの地にあった都,長安に戻したと考えられる。ただし,旧長安城と新長安城(大興城)は別の場所。
この考え,違うかな?今ひとつ自信ないが……

517: 世界@名無史さん 2006/02/16(木) 20:05:06 0
安禄山の乱でウイグルに援軍申し込んだくらいでまるで唐がウイグルの属国になったと言っている杉山先生に辟易しました。

526: 世界@名無史さん 2006/03/25(土) 13:16:54 0
>>517
「遊牧民から見た世界史」杉山正明 だね。
確かにこれを見たときかなり違和感があった。ウイグルが世界警察だというのは噴飯ものだ。
唐が勝手に過大評価してやられたい放題になっただけと思う。(現代の日本と朝鮮の関係に近い)

525: 世界@名無史さん 2006/03/25(土) 03:31:46 0
>>517
そーいえば682年に東突厥が独立した時点で世界帝国としての唐は終わりてなふうなことも書いてるなー。吐蕃からのタリム奪還も北庭都護府設置もタラス川の戦いも未だだというのになんぼなんでも早すぎやろと思った。まぁそーゆーこと言いたくて執筆してる面も無きにしも非ずだからしょーがないのかもしれん。

それにしてもタラス川の敗戦や安氏の乱があったというのにさらに30年程も北庭や安西の都護府を維持したとはしぶといな。そこが陥落してもさらに100年も存続するとは唐とはしぶとい王朝ですなー。

524: 世界@名無史さん 2006/03/24(金) 22:12:36 0
李勣より影が薄くなりがちな李靖について

李靖


李 靖
( 571年 - 649年)は、中国唐代に太宗に仕えた軍人・政治家。李勣とともに初唐の名将として知られ、突厥征伐などで戦功を挙げた。李靖と太宗の対話は『李衛公問対』という書物にまとめられ、兵法書として高い評価を受けている。


527: 世界@名無史さん 2006/03/26(日) 19:10:10 0
>>524
田中芳樹が散々持ち上げていたな。
中国史で最初に騎馬民族の大軍を破った名将とかで。

531: 世界@名無史さん 2006/03/26(日) 20:17:38 0
>>527
いくら田中でもそこまでポカするかいな。
彼がいうには「最初に有効な対遊牧民戦略を確立した」のが戦国時代の李牧。
そして李靖は「定住民の軍隊を率いて遊牧民の本拠地に攻め込んで遊牧国家を崩壊させた名将」。
もちろん衛青、霍去病、蒙恬についても言及してるよ。

こうして一度アフォとされたヤツの評価が実像以上にアフォ化されていく・・・

530: 世界@名無史さん 2006/03/26(日) 20:17:20 0
でも李靖が太宗より長生きして高宗に仕えたとしたらおそらく長孫無忌と対立して失脚するか李勣のように武則天擁立を傍観して天寿をまっとうする道を選んだかのどちらかだと思う。

543: 世界@名無史さん 2006/06/08(木) 17:36:08 0
唐の皇族の生き残りっているの?
朱全忠に皆殺しにされたらしいけど、相当な人数がいたみたいだし。

544: 世界@名無史さん 2006/06/08(木) 17:45:28 0
>>543
武則天の粛清で睿宗系以外の皇族宗族は大半が断絶
睿宗ー玄宗系の皇族の傍流は後に五代十国時代でも微々としてだが存続した。
朱全忠が皆殺しにしたのは最後の皇帝である哀帝とその兄弟。

545: 世界@名無史さん 2006/06/17(土) 19:56:07 0
哀帝とか霊帝とか名前聞くだけで悲惨な存在だと思う。

546: 世界@名無史さん 2006/06/17(土) 21:21:21 0
だから贈名を・・・・

559: 世界@名無史さん 2006/08/15(火) 13:20:26 0
俺は唐の皇族[玄宗以降]には生まれたくないな。生まれたときから隔離されて一郭を与えられて暮らしていくしかないし、名誉職はあっても仕事にはつけないし。
食事などもあてがいぶちで品質は悪い(文宗の代にあまりにひどいので係が処罰されている)など良いことはない。
早く分離してもらって一般の士族になったほうが楽しいわ。

565: 世界@名無史さん 2006/10/06(金) 22:41:19 0
唐の皇太子は悲惨な目に遭ってる奴が多い。

566: 世界@名無史さん 2006/10/06(金) 23:19:23 0
>>565
元やトルコの皇太子もそんなの多いな。遊牧民族の血かねえ?

561: 世界@名無史さん 2006/08/28(月) 14:18:36 0
地図で見ると、吐番の勢力って結構長安に近いよな
長安って西の方から攻められたら危なそう

562: 世界@名無史さん 2006/08/28(月) 14:20:24 0
元々、長安は東からの侵攻に対する守りだし。

563: 世界@名無史さん 2006/09/09(土) 05:59:25 0
長安こそが侵攻する東だったのでは?

564: 世界@名無史さん 2006/10/04(水) 08:02:07 0
>>563
文脈が読めないやしだな。562は561を受けて、長安は東からの侵攻に対する守りには強いが、西からの侵攻には弱いという意味だよ。
実際、代宗のときに、吐蕃に長安落とされてるだろ。

570: 李林甫 2006/10/22(日) 00:19:45 O
そろそろ安禄山について語ろうか

300px-An_Lu_Shan


安 禄山
(あん ろくざん)は、唐代の軍人、大燕国皇帝。本姓は康で、康国(サマルカンド)出身のソグド人と突厥系の混血。「禄山」はソグド語の「ロクシャン(rwxšn/roxš(a)n 明るい・光の意味)」の音訳。

唐の玄宗に対し安禄山の乱(安史の乱)を起こし、大燕皇帝に即位したが、最後は次男の安慶緒に殺害された。


571: 世界@名無史さん 2006/10/22(日) 08:48:45 0
12世紀頃にアゼルバイジャンの詩人ニザーミーが書いた「七王妃物語」のなかでルーシャンという悪徳宰相が登場して「名前はルーシャン(光)なのに心は闇」と書いてある。
これってアン・ルーシャン(安禄山)がモデル??

572: 世界@名無史さん 2006/10/22(日) 22:16:59 O
悪徳宰相の名前がルーシャンって 禄山と楊国忠と李林甫を足して2で割ったような人物だな

573: 世界@名無史さん 2006/10/23(月) 00:24:16 0
3人を2で割ってどうするw

とあえて釣られてみる

576: 世界@名無史さん 2006/10/23(月) 20:12:47 O
いや、安禄山がいるから4で割るべきだ

575: 世界@名無史さん 2006/10/23(月) 01:00:06 0
老上単于の名前って、ペルシア語の「ルーシャン」と関係ないのかなあ

578: 世界@名無史さん 2006/10/23(月) 21:16:43 0
>>575
ラオシャンは知らんが、その後に続く稽粥(けいいく)という部分がモンゴル帝国のグユクと同じじゃないかという説はあるな。

574: 世界@名無史さん 2006/10/23(月) 00:51:27 O
唐代における女性の地位はシナ史の中では高め。
女性皇帝が出た点で水増しされた部分を差し引いても高い印象がある。
ズボン履いて活動的なイメージ。
まぁ、デブ専はいただけないが。

577: 世界@名無史さん 2006/10/23(月) 20:21:50 0
女性の地位は高めというけど太平公主の本名が不明なのはどうかと

579: 世界@名無史さん 2006/11/01(水) 17:10:05 0
太平公主の名前は「李令月」。

583: 世界@名無史さん 2006/11/08(水) 21:39:59 0
武則天がいなかったら唐は長孫無忌に簒奪されてたかもしれない。

長孫無忌

?‐659

中国,唐朝の元勲。長孫氏は北魏帝室の支流。父の長孫晟は隋の将軍,妹は唐の太宗の皇后。太宗の片腕として活躍し,太宗朝には勲功第一とされた。尚書・門下2省の長官を兼ね,三公の位に進んだ。立太子問題では皇后の実子李治(高宗)を推し,太宗の遺詔によって高宗を輔政したが,高宗の則天武后冊立に反対し,武后派に謀反ありと告発されて黔州に流され,現地で自殺を強いられた。宰相として《五代史志》《永徽律令》の編纂を監修したことでも知られる。


585: 世界@名無史さん 2006/11/10(金) 00:12:09 0
唐代の女性は纏足してなかったし、馬にも乗ったりしてたし
後の時代よりはかなり自由に行動できたはず。

582: 世界@名無史さん 2006/11/08(水) 19:35:32 0
唐以降の時代はユニークな人物が出てこないね

586: 世界@名無史さん 2006/11/10(金) 04:23:16 0
>>582
唐時代を含んで?
武則天と配下の酷吏、李林甫、安禄山、楊国忠はユニークだと思うがただ、それ以降は中国史からユニークが人物がいなくなるに同意。
国家の官僚化が進んだせいだと思うが

587: 世界@名無史さん 2006/11/13(月) 03:39:04 0
>>586
その面子だとユニークというよりブラックユーモアだと思うが。
特に拷問手段に仙人献花とか名前付けていた酷吏連中。

593: 世界@名無史さん 2006/11/30(木) 21:46:54 0
誰か黄巣の乱について語れ

594: 世界@名無史さん 2006/11/30(木) 22:17:45 0
蜀に逃げた皇帝に見棄てられた後宮の美女たちは黄巣を「黄王さま」と呼んで歓迎したらしいな。
唐が長安を回復すると黄巣軍に手を付けられた宮女たちは処刑された。

引用元: ・【李氏】☆☆唐帝国の歴史総合スレッド☆☆【天命】




大唐帝国の女性たち
大唐帝国の女性たち
posted with amazlet at 18.03.20
高 世瑜
岩波書店
売り上げランキング: 1,012,525