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1: 人間七七四年 2008/03/02(日) 04:56:42 ID:gyM9mSpl
黒田如水に見いだされ、朝鮮出兵や関ケ原で活躍し「黒田八虎」にまで上りつめたものの、
世継ぎ・長政との折り合いが悪く、黒田家を出奔して乞食同然に。
そして最期は豊臣方の武将として大坂の陣で散った波瀾万丈の名将・後藤又兵衛(基次)について語りましょう。








5: 人間七七四年 2008/03/03(月) 03:17:38 ID:xzOqbQxq
朝鮮で武者働きしてた長政を高見の見物しえたのは本当かな?

後藤基次

文禄の役で長政が朝鮮軍の敵将と組み合って川中に落ちた際、基次は傍に居たが、この一騎討ちにまったく加勢しなかった。不思議に思った小西行長の家来に問われると、基次は「敵に討たれるようなら我が殿ではない」と言って、悠然と見物を続けたという。長政は、どうにか敵将を討ち取ったものの、この一件で基次を非常に恨むようになったとされる。


6: 人間七七四年 2008/03/03(月) 03:35:31 ID:hEwX9bXu
幸村ともソリが合わなかったようだし、扱いにくい性格だったんだろうな

7: 人間七七四年 2008/03/03(月) 09:48:00 ID:AoH9NOu0
大名になれる能力があるのになれなかった理由は性格にあるかもな。

8: 人間七七四年 2008/03/04(火) 04:06:08 ID:lXytPelG
>>7
実際、大阪の陣で家康からの内応も断ってる

14: 人間七七四年 2008/03/04(火) 20:06:31 ID:+i+3Hf+M
豪傑が豪傑らしい最期を遂げたからそれはそれでいいじゃないかな
大名になれても福島正則のようなのは御免だ

17: 人間七七四年 2008/03/05(水) 03:45:03 ID:9JNna48Y
豪傑らしく死にたいのなら養う家族や家来なぞ持つべきじゃないな

18: 人間七七四年 2008/03/05(水) 04:25:04 ID:0qdNHcqw
浪人してた時は、他家からのお誘いはかなりあったようだぞ。

19: 人間七七四年 2008/03/05(水) 18:20:23 ID:ksXQ9kxc
全部長政が妨害したけどな

20: 人間七七四年 2008/03/14(金) 05:57:41 ID:GpPU97x3
>>19
奉公構だっけ?
奉公構

奉公構(ほうこうかまい、ほうこうかまえ)は、桃山時代および江戸時代において武家が家中の武士(家臣)に対して科した刑罰の一つ。構(かまえ)は集団からの追放を意味するが、旧主の赦しがない限り将来の仕官(雇用)をも禁止されるため、通常の追放刑よりも一層重い罰である。

25: 人間七七四年 2008/04/14(月) 18:55:01 ID:7PmQ/W3F
黒田長政って本当に腹立つ奴だわ・・・

26: 人間七七四年 2008/04/15(火) 00:42:24 ID:OT3kEqUU
でも、あのまま仕官してても、だらりんと余生を送っただけだけどな。

44: 人間七七四年 2008/06/16(月) 23:53:39 ID:WGw+W7uI
長政と又兵衛の険悪エピソードは、大坂の陣後、黒田家に類が及ぶのを避けるために、
ちょっと過剰に言われている部分もあるんだろう

45: 人間七七四年 2008/06/17(火) 01:22:56 ID:ilAOaJGD
天守閣まで壊したからな長政は

27: 人間七七四年 2008/04/15(火) 06:57:39 ID:uqF7A2fZ
又兵衛は武田勝頼と並ぶ男の中の男だな。
多分、いい男でもあったんだろうな。

28: 人間七七四年 2008/04/15(火) 07:22:02 ID:KD+sG5JY
肖像画頭でかいおっさんだけどな

375px-Gotou_Mototuhgu


29: 人間七七四年 2008/04/15(火) 10:15:14 ID:45LL7rGL
イメージぴったりじゃねえか

32: 人間七七四年 2008/04/16(水) 23:02:50 ID:ZTQ9w5FB
又兵衛、俺が持ってた漫画日本の歴史では2こましか出てなくて
しかもなんか山賊みたいな雑魚顔だったから
又兵衛って名前ともにどうしても大物のイメージがもてなかった・・・

出番抜粋↓
又兵衛「うらーこの又兵衛が道明寺より一歩もとおさーん!!」
鉄砲連射
又兵衛「ぎゃー」
足軽「伊達の鉄砲隊もきた。俺たちも逃げよう」

これだけ

33: 人間七七四年 2008/04/17(木) 09:21:14 ID:BuElsdR7
>>32
全黒田家臣が泣いた・・・

41: 人間七七四年 2008/06/09(月) 23:50:34 ID:fmSYmLAQ
>>32
それ見たことあるw
泥棒髭で髪もくしゃくしゃのやられキャラだったw

又兵衛テラカワイソス

39: 人間七七四年@全板トナメ開催中 2008/06/02(月) 22:21:03 ID:FhO8o0Zk
手塚治虫の『後藤又兵衛』での又兵衛はかなりかっこいいんだがな
戦国最後の武士、って感じの豪傑で
又兵衛好きなら探して買っておくべき

46: 人間七七四年 2008/06/25(水) 23:58:15 ID:Cxi8Fguw
川越のちっこい資料館に又兵衛の兜あったよ。髪の毛のやつ。
大河のOPでも使われてた。
地元だからたまたま入ったんだけど、後藤又兵衛基次とか書いてあって予想外だったのもあって感動した。

47: 人間七七四年 2008/06/27(金) 11:00:49 ID:32dpVc3a
>>46
川越の、なんて資料館?
うちから遠くないから、こんど行ってみるわ。


ところで、大佛次郎が書いた「乞食大将」て、勝新太郎が又兵衛役で、映画化されてたのね
ふつうに知らんかった

49: 人間七七四年 2008/06/27(金) 20:15:38 ID:ja6sOlRd
>>47
川越歴史博物館だった(直リンはしないけどHPもあった)
家近い割に行ったのが数年前でウロ覚えなんだけど、喜多院のすぐ近く。成田山の目の前(行ったらすぐ分かると思う)。骨董市やってる日に行ったら結構賑わってるし資料館以外にも楽しめるよ。
で、髪の毛のやつじゃなかったです、基次の兜。近くに髪の毛のがあってごっちゃに記憶してたみたいです…。

小さい博物館だけど、サスマタとか捕縛系のものとかあって面白い。
川越藩のお姫様の簪とかもあった。各階でテーマごとにわかれてて、人も少ないしじっっっくり見れるw拝観料が安いのに、スタッフのおじさんたくさん説明してくれるよ。
自分も何であそこに基次の兜があるのか次行ったら聞いてみる。

いくつかある兜のどれかが、大河独眼竜政宗で使われてたと説明文があったのは多分記憶違いではないw

69: 人間七七四年 2008/07/25(金) 13:51:56 ID:kWeu5BLk
このひと、生年とかも含めて前半生は実は良くわかってないんだね。 
播磨攻めのときすでに南山田城主で篭城していたっていう説はどの資料にあるんだろうか? 
もしそうだとすると如水に引き取られたっていうより下って、後はずっと黒田の家臣、だったということになるんだろうか?

54: 人間七七四年 2008/06/28(土) 03:24:02 ID:nTWCzytE

結局彼は誰に直接討ち取られたんだ?


66: 人間七七四年 2008/07/09(水) 15:10:06 ID:P8XVFEwY
>>54
鉄砲で胸を打ちぬかれた。

67: 人間七七四年 2008/07/21(月) 23:10:50 ID:5vcWzvk4
大坂方では長宗我部盛親に次ぐ有名な大将だったでおk?

68: 人間七七四年 2008/07/22(火) 00:07:03 ID:I25l1jnT
>>67
明石全登は?

72: 人間七七四年 2008/08/13(水) 07:03:18 ID:iFwbgy2U
>>68
仕えてた大名の家格では、宇喜多>黒田かな?

73: 人間七七四年 2008/08/13(水) 07:55:22 ID:UfF+CgD7
>>72
知行3万石の家老と侍大将という違いもあるしね。


74: 人間七七四年 2008/08/13(水) 11:12:25 ID:5X0EIbDC
関ヶ原以降で出奔あるいは改易された時の石高

長曽我部 25万石 の大名

明石 3万石の家老

後藤 2万石の家老

塙団右衛門 350石 侍大将

毛利勝永 6万石の大名の息子で他に自領1万石を持ってた

真田信繁 5万石の大名の息子

氏家行広 2万5千石の大名

75: 人間七七四年 2008/08/13(水) 11:37:52 ID:/tY91wmo
地図見てたら、大分県の山の中に後藤又兵衛の墓って表記見つけたんだがこれ何?

77: 人間七七四年 2008/08/13(水) 21:59:31 ID:2G/4e7fV
家老になったのは関ヶ原あとだっけ?
関ヶ原後の知行は井上九郎右衛門の次に高くて2番目みたいだが結構優遇されてるんだよね。
出奔の理由は長政との不仲がよく言われるけど実際はどうなんだろう

>>75
小嶋太門という又兵衛の研究をしていた方の本によると又兵衛の墓の一つのようだが、その墓によると死んだのが95歳なので本物というには疑わしいみたい

85: 人間七七四年 2008/09/12(金) 12:56:26 ID:iCgBz+Iq
>>75
大分県北部な。
山と田んぼしかない所にポツンと又兵衞の墓がある。

全国、他にもあるのかな?

86: 人間七七四年 2008/09/16(火) 21:12:10 ID:pyIqHn+b
no title

これか

なんか寂しそうだな
170: 人間七七四年 2009/09/11(金) 13:44:51 ID:NGa4Nmkz
大分県耶馬溪にも墓がある 

他にもあったような? 

一体いくつ墓があるんだろう???

91: 人間七七四年 2009/01/24(土) 04:44:42 ID:YdntTK6d
地元にあるとある家に後藤又兵衛が大坂へいく前か娘を預けたという話があるらしい
その家は又兵衛の槍を持っているらしい
又兵衛の武勇を慕ってできた話かもしれないけど本当だったら彼が少し身近に感じられちょっと嬉しいな

92: 人間七七四年 2009/01/24(土) 07:16:22 ID:iA5ay3qX
>>91
そういう話もあるんだ
地元ってどのあたりか差し支えなければ教えて欲しい
又兵衛って結構子どもがいて渡った大名のとこに預けたりもしてるみたい
自分の持ってる本では11人も子どもがいた
出奔中に新しい妻ももったようだから、預けた話も意外と本当かもしれないね

93: 人間七七四年 2009/01/24(土) 07:59:38 ID:YdntTK6d
>>92
すごい田舎なんですが福岡県の行橋(豊前あたり?)というとこです
その家の名前を言っていいかどうか悩んでいますが
「行橋」「後藤又兵衛」とググったらニュースの記事としてちょっと出てきます
ただもう期限が切れたので全部は見れません
切れ端から
「明治時代、聴雨という人が又兵衛の槍を見るために行橋の何何家を訪ねた」
という文です。
娘を預けたという話は父から聞いたものですので本とかはわかりません。
大名家ではないです(武家だったらしいですが)。
本当に田舎の話なのであんまり参考にならないかと思います
田舎者なので興味を示してもらったのがつい嬉しくてまどろっこしい説明をしてしまいました。失礼いたしました

94: 人間七七四年 2009/01/25(日) 21:44:03 ID:Vm78+gmR
>>93
ありがとうございます。
そこは当時細川領だったのかな?
又兵衛出奔の際は大人数で一族も連れてのものだったらしいので本当の娘ではなくても一族の子を預けて槍をあげた、とかも考えられますよね。
又兵衛の槍見てみたいなあ

161: 人間七七四年 2009/05/04(月) 06:21:51 ID:kmTTuQBQ
大阪の陣で夜討ちしたあとに後藤見参とかいいのことしたこの人だっけ?(後世の創作かもしれんけど)
大阪方の武将って自意識過剰な人が多いなw

163: 人間七七四年 2009/05/16(土) 19:22:56 ID:wGS0X5mp
団衛門と聞いたが

164: 人間七七四年 2009/05/20(水) 06:04:10 ID:7f7SXhow
たしか団さん

169: 人間七七四年 2009/08/28(金) 01:54:24 ID:MVncpZPV
鳥取城の近くに後藤又兵衛のお墓があるお寺があります、そのお寺の近くに住む中学の時の歴史の先生に聞いたら最後は鳥取に落ち延びてきて死んだらしいです。


175: 人間七七四年 2010/02/18(木) 23:32:59 ID:uU/RVmjE
刺客が送られて仕官もさんざん邪魔されて
長政に何やったんだろう

179: 人間七七四年 2010/03/05(金) 04:35:03 ID:nEoXDWpz
>>175
そばで敵兵に殺されそうになってるのを鼻糞ほじりながら見てたそうな。

182: 人間七七四年 2010/03/05(金) 08:24:15 ID:Qjk10Ifx
細川との関係が原因てのが本当のところっぽいね
又兵衛の二男を小姓にしたり、関ヶ原後の加増とか見る限り、又兵衛と長政の不仲逸話は黒田家側のプロパガンダだと思うなあ

185: 人間七七四年 2010/03/08(月) 22:53:56 ID:knMUirsM
>>182
又兵衛が誓紙で誓ったにも関わらず細川と手紙のやり取りを続けてて長政も堪忍できなかったんだろうね。
他にも又兵衛の長男は罪を犯してしまい、又兵衛の懇願にも関わらず結局追放されたり、次男の小姓のことがあったりと逸話のように元々仲が悪かったというより、悪い出来事が重なっていって修復できなくなったんじゃないかなあ
追放された又兵衛を呼び戻してるのは長政だし、仲がこじれる前は又兵衛のことを自分の第一の家臣として信頼していたと思う。

184: 人間七七四年 2010/03/08(月) 18:53:25 ID:PXh2Bl4g
立花家が黒田家と細川家の間に立って仲裁してれば丸く収まったかもね。

187: 人間七七四年 2010/04/23(金) 20:51:23 ID:/YpmZc+v
ひょっとしたら又兵衛と長政の仲は悪かったんじゃなくて悪く見せる必要があったってことなんじゃね?

つまり関ヶ原みたいに徳川と豊臣に「両張り」していたということ。大阪の陣は徳川の圧倒的優勢としても、豊臣家も勝ち目が無い訳ではなく、秀頼の器量も未知数。
死兵と化す可能性の有る浪人を多数抱える以上、一発逆転もありえない話でもない。

そこで、大阪の陣で徳川が敗れる万一を考えて、豊臣家への繋ぎになる人物を送り込むことを長政が考える。

流石に豊臣の逆転劇は可能性が低いうえ、黒田家の一門が加担すると、下手に大封を得ているだけに、戦後幕府に難癖を付けられかねない。そこで、一門ではないが、如水の代からの臣である又兵衛を「感情的な物別れ」に装って追放する。

そのまま、大阪に向かうと疑われるので又兵衛はアリバイ作りに細川家に仕える素振りを見せ、細川家がその気になって召抱えようとすると感情的に装った長政が「奉公構い」で邪魔をして大阪以外に行けない状況を作り出す。

正直まどっころしいが、黒田家が細心の注意で幕府の追及を極力かわせる形で「両張り」した、と見ると又兵衛入阪はしっくりくるんだよな。

188: 人間七七四年 2010/04/24(土) 00:17:51 ID:xC0x86ag
>>187
自分もそういう妄想をしてみたことがあるw
ここに長政とは縁戚であり、関ヶ原後は黒田家に匿われていた明石全登もグルだったと考えると更に信憑性が出てくるかもしれない

190: 人間七七四年 2010/04/28(水) 21:47:20 ID:zv8+/HGA
又兵衛の傲岸不遜なキャラと普段からの長政とのやり取りを考えると、そんな器用な真似できる奴には思えないけどね。面白いけど。

あと、関ヶ原前夜から家康の為に尽力してた長政が両張りする理屈なんてなさそうだし、長政ならあの時点でどうやっても豊臣家は詰みで降伏以外に手がないってみえてそうだけど。

191: 人間七七四年 2010/05/08(土) 01:32:03 ID:sw1RpQ0H
そうかも知れんが、下馬評が覆されることなんてスポーツの世界でも良くある事で、まして生死を賭けた戦いであれば、さらにその可能性は高くなる訳で、それに関ヶ原の「両張り」が如水と長政で手分けしての「両張り」なら、ありえない話ではないんでは?

如水=西軍(毛利)、長政=東軍(徳川)で関ヶ原が長期戦になると睨んで、如水の九州勢を率いての大阪入り。

おそらく如水も長政も東軍勝利(少なくとも三成の単独勝利は無い)と見ていただろうから当主の長政は東軍に着いた。しかし長期戦となった場合、東軍の旗色次第で毛利が秀頼を担いで関ヶ原に出陣してくる可能性が有り、そうなった場合東軍の中枢に入った長政の身が危ない。

192: 人間七七四年 2010/05/08(土) 01:33:38 ID:sw1RpQ0H
その場合に備え、如水が北九州を押さえて実利を確保の後、「豊臣恩顧の重鎮」として瀬戸内を通って秀頼の元に参じる。この策は東軍が例え関ヶ原に勝っても、毛利が大阪篭城で徹底抗戦に及んだ場合も使える。
結果的には関ヶ原は短期決戦となり、家康が毛利を懐柔しきったので、必要なくなった。

如水と長政の密議に又兵衛が同席していれば、大阪の陣の際も万が一を考えての「両張り」を又兵衛が進言してもおかしくない。
まあ、あくまでも仮説・可能性の話だけど。

201: 人間七七四年 2011/01/16(日) 03:59:49 ID:7l4B4kal
幕末の後藤象二郎は子孫って本当?

202: 人間七七四年 2011/01/16(日) 07:37:56 ID:CucFCDgx
又兵衛の遺児が、山内一豊に250石で仕えたっていう伝説があり
その家系が象二郎の家系だってことだそうな
事実かどうかは分からんけどね

204: 人間七七四年 2011/06/07(火) 03:12:20.58 ID:2mLKkjDH
このオッチャンの生き様すげーかっこいいな。

205: 人間七七四年 2011/06/08(水) 23:59:45.60 ID:tok62JJ1
後藤又兵衛は日本人がイメージする最もステレオタイプな『戦国武将』の典型かもしれないな。

212: 人間七七四年 2011/09/04(日) 05:18:45.50 ID:ZLEd2HsY
後藤家は本来、黒田家より格上。別所・小寺家と同格。
赤松家が衰退して、戦国大名化したのが別所・小寺。一緒に衰退したのが後藤。
ttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/h_goto_k.html

地元に後藤ゆかりの地名とか残っているし、子孫も住んでいるよ。

213: 人間七七四年 2011/09/04(日) 05:26:46.24 ID:ZLEd2HsY
センゴクに親父の後藤基国がちらっと出てきたけど、別所の城持ち重臣クラスだから
後藤又兵衛の立場も超微妙だったはず。

214: 人間七七四年 2011/09/05(月) 00:00:19.31 ID:VdfKOxYZ
基国の子だと後藤家の本家筋の嫡男て事になるんだよな。
地元では基国は伯父ではないかという説もあるみたいだが
そのくらいで収まっても黒田より名門の出である事には違いないのか。

215: 人間七七四年 2011/09/05(月) 09:28:03.65 ID:aP+Wi+RA
そりゃ黒田家家臣には黒田より名門出の家なんていくらでもあるしねえ

216: 人間七七四年 2011/09/05(月) 21:09:01.50 ID:A4aFX2NC
でも、1560年生まれ説なら、三木城攻めの際は初陣も済んでいるころだから、
黒田側についているのも?なところがあるし、幼いときから黒官に長政と兄弟同然
に育てられた云々も?なところがあるんだよな。

220: 2011/11/13(日) 07:02:35.80 ID:FIyfi+VZ
朝鮮出兵で朝鮮人に殺されそうになってるのに助けないって
よっぽど長政の事嫌いだったんだろうなw

どこが嫌いだったのか知りたいねw

221: 人間七七四年 2011/11/13(日) 10:20:59.30 ID:1S2s1492
>>220
そのへんは出奔後作られた話。
後藤又兵衛がどんな人間だったかを表す一次史料は、実はほとんど存在しない。

222: 人間七七四年 2011/11/20(日) 09:23:50.96 ID:b1DJG+9z
むしろ、数少ない一次史料からは、出奔頃までは良好な主従関係だったようだね

223: 人間七七四年 2012/01/01(日) 21:30:08.91 ID:V4mz1Yht
仕官横やりってなんでだったのかな
黒田家の機密事項に関わってたから?
それとも、黒田家に帰ってきて欲しかったから?
自分はちょっと長政やりすぎって思っちゃうけど、どんな事情があったのか知りたい

引用元: ・【黒田】後藤又兵衛(基次)を語る【大坂の陣】




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