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1: ローマ皇帝 03/01/04 14:27
なぜ西洋人の真似してビザンツと貶めねばならん。堂々と東ローマと呼ぶべきはずだ。
体質の変化なんてローマは王政~共和制~帝政(元首制~専制君主制)といつものことではないか?

関連記事【1】ビザンツは東ローマ帝国と呼ぶべきだ






276: 世界@名無史さん 04/08/24 00:35
欧米の歴史学者たちも、「なぜ、西ローマ帝国が滅亡した後の東ローマ帝国を『ビザンツ』と呼ぶのか」については、さまざまな説明をしている。

最も多いのは、「中世のドイツにできた『神聖ローマ帝国』と混同しないためだ」というもの。

それにしても、シャルルマーニュ大帝やオットー大帝の戴冠も、「西ローマ帝国の継承・復活」を多分に意識したものだっただけに、シャルルマーニュの王国を「西ローマ帝国」と呼んでも良さそうなものだが。

277: 世界@名無史さん 04/08/24 01:58
>>276
>それにしても、シャルルマーニュ大帝やオットー大帝の戴冠も、西ローマ帝国の継承・復活」を多分に意識したものだっただけに、シャルルマーニュの王国を「西ローマ帝国」と呼んでも良さそうなものだが。

理念的には西ローマ帝国を受継いでいるんだろうけど、歴史学的に区別するほうが便利なんだろうと思われ。中国史でも同名の国号が出てくると、区別のために「後」とか「東」とかつけて呼称しているわけだし。
同名の国家が登場すると、混乱する。

278: 世界@名無史さん 04/08/24 05:43
劉秀の立てたのを日本では「後漢(ごかん)」、中国では「東漢」、
劉知遠の立てたのを日本では「後漢(こうかん)」、中国では「後漢」。

中国の言い方のほうが理に適っていると思う。

284: 世界@名無史さん 04/08/26 02:09
15世紀まで正式名称はローマ共和国だったのか…
すげえなあ。

285: 世界@名無史さん 04/08/26 15:32
ローマ帝国衰亡史は、日本語訳しか知らんが、途中でビザンツになったら原本の3巻までがローマ帝国衰亡史で4巻5巻がビザンツ帝国興隆史で5巻6巻をビザンツ帝国衰亡史になっちゃうの
岩波では、ギリシア帝国と東ローマを併用しながらも一応最後まで東ローマになっているが

293: 世界@名無史さん 04/08/28 00:34
「征服されたギリシャ人は文化において猛きローマを征服した」

つまり、すでに東西分裂前「ローマ帝国は精神的にはギリシア人の帝国」だったわけだ。
とすれば、「中世」とは精神が支配する時代なワケだから、「ローマ帝国=ギリシア人帝国」として、版図が東地中海に偏るのは自然な流れだった。
むしろ、そうなることで帝国の純粋性を増していったと考えて良いだろう。
ギボンの『ローマ帝国衰亡史』が1453年をもって「ローマ帝国の滅亡」としているのもうなづける。

よって、「ローマ」か「ロマニア」でいいんじゃないか?

325: 世界@名無史さん 04/09/08 20:24
強烈なキリスト教国家だったくせに、ローマという名ににこだわる方がおかしい。
故にビザンツと呼ぶほうが正しい。

327: 世界@名無史さん 04/09/08 23:46
カソリックのキリスト教国家がもとの宗主国が没落、滅亡したからなかったことにしたいだけ。ローマ帝国がせっかくつづいているのに名前を変える必要があるのかな
西欧人がビザンツと呼びたいのは、なんとなくわかるが、つづいているほうに感動をおぼえる。
それよりビザンツが正しいと主張する人が多いのが不思議

340: 世界@名無史さん 04/10/23 12:59:25
東ローマをビザンツと蔑称することによって東ローマを歴史の主脈からきりはなし、代わってメロヴィング国家→カロリング国家を歴史の中心に置こうとする西洋人の傲慢な意図のあらわれ。いや、実際には「東ローマ」というのもおかしい。
「西ローマ」「東ローマ」なるふたつの国家が存在した事実はないのだから。「ビザンツ」は純然たる「ローマ帝国」なのだ。
日本人が西洋史をやることの本当の意味は、西洋人によるこういう歴史の捏造をあばくことにあるはずだ。ところが実際は、みんなホイホイ西洋諸国に留学し、いいなりになって帰ってくる。
嘆かわしいことだ。

346: 世界@名無史さん 04/10/23 23:27:02
>>340
>みんなホイホイ西洋諸国に留学し、いいなりになって帰ってくる。

井上浩一氏をはじめとした日本のビザンティン帝国研究者はそうでもないぞ。
呼称こそビザンティン帝国を使用してるけど、ちゃんとローマ帝国との連続性を重視し、西洋史観を批判してる。
渡辺金一氏なんか、「中世ローマ帝国」という本まで出してる。

347: 世界@名無史さん 04/10/24 02:20:17
>>346
東ローマ研究者は別だよ。彼らは、その重要性が分かってるから東ローマ研究をしてるわけで。
つまり彼らには歴史の本筋が分かっているワケ。
問題は「純然たる」「西洋史の本道たる」西洋史研究の方にある。日本の古代・中世西洋史の問題は、ここに尽きていると思うんだよね。
それと比べると、今はなき堀米庸三が偉かった。いわく、
「従来は西欧中世社会の形成を説くに急な余り、東ローマの実質的影響力を軽視ないし無視する傾向が強かった。そこからしてカール大帝の事業が不当に誇張され、またその西欧的色彩が強調されすぎた嫌いがある」
(岩波講座世界歴史7、中世1)。
1969年の時点にして、この感覚。カールへの通常評価を「不当」とまで言い切ってる。それよりも東ローマの存在が重要だと。
東洋の研究者はここから勇気を受け取るべきだ。

348: アクィラ ◆0fUIPC892c 04/10/24 02:26:31
>>347
単純に語学とかのハードルの高さが、「東方のギリシア語圏のキリスト教ローマ帝国」研究者が、少ない理由じゃないかなぁ。
あ、就職ポストの少なさもあるかも。

354: カラジチ ◆mWYugocC.c 04/10/24 15:23:33
西中心、っていう見方はやっぱりマルクスの影響なんでしょうかね。
しかし実際問題としてビザンツ研究やろうとしたら語学大変そうだなあ。
大学で第二外国語として習えない言語を中心にするってのは、結構辛い。
まあ、古典ギリシア・ラテンって習う機会も手段も多めではありますけど。

358: 世界@名無史さん 04/10/25 04:51:21
西欧中心なのは近々はやはり冷戦が原因だろ。
東ローマは結局はロシアやイスラム社会に寧ろ継承されていくからね。
特に正教との対抗意識からカトリシズムの歴史観から逃れられていない。
ギボンも塩野もこの辺りは大差ないよ。

383: 世界@名無史さん 04/11/01 14:59:50
宗教もちがけりゃ、言語も違い、土地も違うビザンツをローマと呼ぶ方がおかしい。

419: 世界@名無史さん 04/12/30 00:38:50
英語だとイースタン・ローマン・エンパイアだから東のローマ帝国なんだよね
東ローマ帝国と西ローマ帝国があったんじゃなくて東にもローマ帝国があり西にもローマ帝国があった

430: 世界@名無史さん 05/01/12 21:55:27
>>419
帝国が存在した当時の正式な国号はギリシャ語で「ローマ帝国」を意味する「バシレイア・トーン・ロマイオン」だったのだが。東・西自体が後世便宜的に付けられただけ。

431: 世界@名無史さん 05/01/12 21:59:09
イタリアを失陥しておいてなおローマを名乗る恥知らず国家だな。

432: 世界@名無史さん 05/01/12 22:10:35
>>431
コンスタンティノポリス=新しいローマっていう概念だから無問題。古代末期には既にローマ市の重要性は低下していた。西ローマ帝国さえ首都をラヴェンナに置いていたくらいだ。

437: 世界@名無史さん 05/01/13 21:33:43
ミラノやシラクサって流石にローマ市よりは守りが堅かったんだろうな。
ラヴェンナと初期のコンスタンティノープルはどっちが守り堅かったんだろうか?

438: 世界@名無史さん 05/01/13 22:38:42
>>437
初期ってのは、もちろん「テオドシウス(2世)の大城壁が出来る前だよねぇ。
それでもやっぱコンスタンティノポリスじゃないかなぁ。最初から首都として城
壁を作った訳だし。

439: 世界@名無史さん 05/01/13 23:13:09
テオドリック大王が三年(だったっけ?)かけても完全には陥とせなかったラヴェンナも何気に凄い希ガス。

450: 世界@名無史さん 05/01/16 21:41:01
パレオロゴス朝は、すでにいわゆる「帝国」じゃあなくなってたからなあ。領土が(´・ω・`)
まあ数は少なめだが一応多くの民族を「ローマ人」としてなおも扱ってはいたんだけど。
ミニ帝国だな。

474: 世界@名無史さん 05/01/29 20:50:39 0
ところで、あんたらやっぱりオスマントルコは嫌い?

523: 世界@名無史さん 05/02/14 12:46:07 0
>>474
ビザンツに止めを刺してくれたのが偉大なオスマン帝国で良かった。
それでこそ最期が伝説になったというか。
ヘタレ十字軍に占領されたのでなし崩し的にビザンツ滅亡なんてことになってたら目も当てられんかった。

477: 世界@名無史さん 05/01/29 20:54:34 O
オスマンは「偉大なる敵」
By 尚樹啓太郎

480:   05/01/30 01:04:17 0
東ローマは「ローマ」ではない。
ローマ人のスピリットなど一つも受け継いでいないではないか。ロシアがローマ帝国の後継者を縁戚関係から名乗っていたのと同じこと。

491: 世界@名無史さん 05/01/30 12:38:24 0
スピリット程曖昧な言葉はないな。
タキトゥスなんかは、カエサルでローマは滅んだとか言いそうだw

492: 世界@名無史さん 05/01/30 13:11:01 0
「カエサル、アウグストゥスによって共和制が形骸化した以降は~」とかなんとか、「スピリット」なんてどうとでも言えるしな。

539: 世界@名無史さん 05/02/25 22:28:57 O
ビザンツ帝国の名前の由来は後世の学者が古代ローマと区別するため。ちなみに東ローマ帝国もまわりが言ってるだけで本人達はローマ帝国と自称していた

542: 世界@名無史さん 05/02/26 18:05:54 0
>>539
サーサーン朝のころも東ローマは「フローム」と呼ばれていました。
イスラム時代以降も「ユーナーン(イオニア)」とも呼ばれていましたが、やはり「ルーム」と言う呼称も一般的でした。

コンスタンティノープルも「クスタンティーナ」か「イスタンブール」と呼ばれていましたが、イスラム時代以降に限って言えば「ビザンティン」に類する呼称は使われていません。

543: 世界@名無史さん 05/02/26 20:38:53 O
>>542
そういえば「ルーム・セルジューク」の「ルーム」は「ローマ」って意味なんだよな。

547: 世界@名無史さん 2005/04/12(火) 10:05:14 0
1461年まで存続したトレビゾンド帝国が最後の東ローマ帝国。

563: 世界@名無史さん 2005/05/01(日) 23:51:14 0
パレオロゴス朝ってギリシャ帝国と呼んでも差し支えないような…。
まあ当の現代ギリシャ人は嫌がるだろうけど。

565: 世界@名無史さん 2005/05/04(水) 03:37:16 0
ローマ自体が、もともと、建国の由縁をトロイ戦争の遺民を始祖とし、ギリシャと同祖同族を主張していたんだから。

573: 世界@名無史さん 2005/05/09(月) 22:07:45 0
西ローマは早々と滅んでしまったのだからローマ帝国は東ローマしかないんだからビザンツはローマだろう?1453にビザンツ滅んでからはロシアがローマを引き継いだ。神聖ローマ帝国というのは歴史家の便宜的名称

574: 世界@名無史さん 2005/05/10(火) 00:07:15 0
>>573
このスレで何度も出てるように帝国の中心はイタリア以西じゃなくてギリシア、シリア、アジア、エジプトだったし、オドアケルがゼノンに西ローマ皇帝位を返還してるんだから、東ローマ帝国じゃなくてローマ帝国でいいと思うんだけどね。
ただ、ビザンツのことをローマと呼べって言う輩は大抵オスマンのことをトルコって言ってるんだからどっちもどっちだと思うけど。

613: 世界@名無史さん 2005/05/25(水) 11:41:19 0
まぁ、ピザンツってのもなんだが、東ローマ帝国・西ローマ帝国ってのもどーかと
ローマ帝国の東側・西側ってだけなのに

614: 世界@名無史さん 2005/05/26(木) 12:36:26 0
中国史だと西漢、東漢、西晋東晋とかいうけど

615: 世界@名無史さん 2005/05/26(木) 13:36:04 0
>>614
それは一応別の国家として扱ってるから分ける方がいいんでは

616: 世界@名無史さん 2005/05/26(木) 14:40:15 0
中国の漢に関して言えば、うちらは劉邦のは前漢(中国だと西漢)
劉秀のは後漢(東漢)劉備のは蜀漢といってるが、自称は全部漢なので
そこあたりいってるんじゃないか?
別の国家として扱うなら東ローマもそういう感じじゃない?

617: 世界@名無史さん 2005/05/26(木) 15:49:33 0
東ローマの場合は、1つの国家の半分を放棄したような状態だと思うが
ローマ帝国を二つや四つに分割統治したり、それぞれ争ってたりしてたけど

618: 世界@名無史さん 2005/05/26(木) 18:27:39 0
首都を移した時点で「東」ローマ帝国でいいんじゃネーノ?あくまで後世の呼び方なんだし。

619: 世界@名無史さん 2005/05/29(日) 22:59:41 0
属州(プロウィンキア)が姿を消して、テマ(軍管区)制度が確立した時点で、東ローマ帝国とは別の国家になったのでは?

620: 世界@名無史さん 2005/05/29(日) 23:14:19 0
>>619
でも制度が変わった=別の国家になったってのは違和感あるなあ。

勃興期の都市国家ローマと後の拡大したローマは制度上も領域上も全く異なるにもかかわらず別の国家とはされない。
共和制だろうがスラやカエサルが独裁権力を握ろうが帝政になろうがやはり同一の国家とされる。
キリスト教が国教となって古来からの神々の重要性が低下しても同一とされ
首都がローマからコンスタンティノポリスへうつり分割統治なんて制度が用いられてもやはりローマ帝国とされる。

632: 世界@名無史さん 2005/05/30(月) 21:45:45 0
ビザンツ帝国ってのは本質を表してるので悪くないと思うが。
ローマから始まりローマに終わるのがローマ帝国なら、コンスタンティノポリスに始まり終わるのがビザンツ帝国。
ビザンツ帝国(中世ローマ帝国)の表記でいいだろ。

644: 世界@名無史さん 2005/06/18(土) 02:22:16 0
「キリスト教化したギリシャ人によるローマ帝国」がビザンティン帝国だね。

ギリシャがトルコから独立する際に、コンスタンティノープルを組み込めなかったことをいまだに怨んでいるそうだな。
しかし、もしコンスタンティノープルがギリシャの首都として復活していたら、アヤ=ソフィアでのミサが見れたんだろな。

649: 世界@名無史さん 2005/06/19(日) 00:39:04 0
>>644
アタテュルクががんばったからなぁ…
イズミルとかだってギリシャ人いっぱいいたんだろ?確か

571: 世界@名無史さん 2005/05/09(月) 12:53:05 0
我々は>>1が何故このようなスレッドを立てたのかという疑問を解決するため、>>1の故郷であるダマスカス郊外の寒村に向かった。
「まだ我がユスティニアヌス帝の治世にこんなところがあったのか…」
思わず口に出てしまった言葉を同行した兵士に失礼だと咎められた。

小人が住むような小さな家、ツギハギだらけの服を着る農夫たち、そして土着の小官吏達は身なりのいい我々を監視する様に見詰めている。コンスタンティンノープル遷都だの、ローマ法大全だの、パンとサーカスだので浮かれていた我々はビサンティンの現状を噛み締めていた。

ボロ屑のような家に居たのは老いた母親一人
我々を見るなり全てを悟ったのか、涙ながらに
「うちのバカが申し訳ありません」と我々に何度も土下座して詫びた。

我々はこの時初めて>>1を許そうと思った。
誰が悪い訳ではない、この村の貧しさが全て悪かったのだ。
我々は母親から貰った干葡萄を手に、打ちひしがれながらコンスタンチンノープルへと帰路についた


607: 世界@名無史さん 2005/05/21(土) 16:59:41 0
>>571
ワロタ。よく出来てる。

引用元: ・ビザンツは東ローマ帝国と呼ぶべきだ




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