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1: 世界@名無史さん 02/02/20 23:43
ペルシア帝国の「不死隊」、帝政ローマの近衛隊、オスマン帝国のイエニチェリ、ロシアのプレオブラジェンスキー連隊、英国のコールドストリーム近衛連隊、ナポレオンの近衛隊、ナチスのSS、ルーマニアのセキュリタテ、イラクの共和国防衛隊等々・・・
歴史上の近衛隊・親衛隊について語ってください。








2: 世界@名無史さん 02/02/21 00:24
ナポレオンのフランス帝国時代に老近衛兵。
かれらは最後の最後まで敵国と戦いました。

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古参近衛隊


古参近衛隊は、フランス第一帝政時代のフランス陸軍の近衛軍団のなかの第3師団の通称、または単にナポレオンの大陸軍のなかでの最強部隊を意味する。日本語では老親衛隊(ろうしんえいたい)とも訳される。

ワーテルローの戦いでは、終盤にネイ元帥が繰り返し近衛隊の投入を要請したが、ナポレオンはこれを拒否。躊躇したことが勝利を逃す一因になったとも言われているが、実際にはすでに退路を遮断しようとしたプロイセン軍をプランスノアから撃退するのに出動中であり、ナポレオンのもとには予備兵力はほぼなかった。

敗北が決まった後も、古参近衛隊だけは戦場に踏みとどまって味方の退却を援護しつづけた。敵に完全に包囲されて降伏を勧告されるが、連隊長カンブロンヌ将軍は「近衛隊は死すとも降伏せず」7と言ったという伝説がある。カンブロンヌは無口で片言が多い人物として知られており、実際には「糞ったれ!」と言い放ったと広く信じられている。

ともかく1840年12月、ナポレオンの遺体がパリに帰還した際の式典には、綻びた軍服を身につけた生き残りの古参近衛隊がパレードに参加した。


3: 世界@名無史さん 02/02/21 00:31
アイルランド近衛兵連隊もスコットランドハイランダースと並ぶ英国最強部隊です。

5: 世界@名無史さん 02/02/21 00:49
近衛隊・近衛兵の定義を簡単に

6: 世界@名無史さん 02/02/21 13:06
>>5
宮廷や戦場で常に君主の身辺に侍し、警護に当たる部隊かな。
エリートとしての名誉や特権をもつ。
国内の諸勢力を抑制する君主の武力。

7: 世界@名無史さん 02/02/21 13:15
>国内の諸勢力を抑制する君主の武力。

共和制でもKGBやフランスの国家憲兵なんかは、近衛隊・近衛兵に近くない? 
大統領府や書記局の私兵という意味で。

8: 世界@名無史さん 02/02/21 13:28
>>7
そうですね、共和国の場合、親衛隊と呼ぶ例が多いですが、近代においては反革命運動を鎮圧するための革命政府の道具として現れる例が多い(広義の警察任務)ので、親衛隊に近いと思います。

9: 世界@名無史さん 02/02/21 13:40
ローマの近衛隊やオスマン朝のイェニチェリの場合、あまりに権力を持ちすぎて、主である皇帝の擁廃立を左右するようになっちゃったけどね。

イェニチェリ

イェニチェリは、14世紀から19世紀の初頭まで存在したオスマン帝国の常備歩兵軍団で、スプーンをシンボルにしていたことが知られている常備軍団カプクルの中核をなし、火器で武装した最精鋭であった。トルコ語でイェニは「新しい」、チェリは「兵隊」を意味する。
 
オスマン帝国が拡大する過程で、従来の騎射を主戦術とするトルコ系軽騎兵の軍事力に頼らない君主の直属兵力として創設された。

24: 世界@名無史さん 02/02/21 23:09
イエニチェリは美少年ばかりそろえたそうですが、さぞや・・・w

40: 世界@名無史さん 02/02/22 21:12
>>24 
イエニチェリは独身を通すことを義務づけられていたというのは本当ですか? 
もし本当なら、いったい何のために?

51: 世界@名無史さん 02/02/23 02:07
イェニチェリはたしか、初期(16世紀くらいまで)は除隊するまで結婚禁止、子弟の入隊禁止。後期(19世紀の廃止まで)は結婚可・世襲可です。 
数が多いこともあって、(とくに後期は)親衛隊というよりただの常備歩兵軍といったほうが適切かもしれません。 

>>24 
徴収されてきたカプ・クルのうちとびきり容姿端麗頭脳明晰と見られた者は 
内廷に入れて小姓・太刀持ちになります。 
彼ら小姓は士官候補生となり、宰相クラスの軍人を輩出しました。 
イェニチェリはそこから漏れた連中なので一段劣っていたんではないか、と。

12: 世界@名無史さん 02/02/21 14:12
ローマ帝国の近衛隊で一番笑えるエピソードは、やっぱり皇帝位を公開競売にかけたことだね。ディディウス・ユリアヌスという銀行家が最高札で落札したけど、案の定すぐ破滅した。

10: 世界@名無史さん 02/02/21 13:44
軍隊内での格付けはかなり上の方と考えていいんですか?
日本の帝国軍も、近衛兵は郡に一人しか出してないといいますな。

11: 世界@名無史さん 02/02/21 13:58
>>10
ナポレオンの皇帝親衛隊の場合は上のほうだったみたいですね。
近衛隊・親衛隊にも2つのタイプがあって、

①高貴な家柄の子弟や、厳格なイデオロギー上の試練を通過したエリートのみが入隊を許される。
②隊員の出身身分は低く、奴隷や異民族、外国人であることが珍しくない。

でもこれと軍隊内での格付けがイコールで結ばれるのかどうか・・・

13: 世界@名無史さん 02/02/21 14:34
>>11
②のメリットとして考えられるのは、政治的利害に属さない、ってところですか?
色目人しかりグルカ兵しかりマジャール族しかり、異民族を登用する意図はさまざまだが・・・

①だと名誉職化し実戦経験の少ないお子ちゃま軍隊となる危険も伴う。
②だと忠誠が徹底しないと外患を誘致する危険も伴う。
いずれにせよ、たぶん①と②の混成部隊はなかったと思います。

15: 世界@名無史さん 02/02/21 18:17
>>13
モンゴル帝国の「キプチャク侍衛軍団」は色目人を登用していたのですか?

21: 世界@名無史さん 02/02/21 22:41
>>15
失礼。色目人は文官への抜擢でした。
マジャール族は二重統治の要として、グルカ族は夜行性と遠目を活かして狙撃兵に多く登用。

近衛兵に相応しい人材って、どんなんでしょうか?
肉体的にはもちろんだろうが、勇猛果敢であるとか強靭な精神力とか・・・
軍事教練なんかはやはり精神教育を重視したり殺人演習とかやったのかな?

20: 靡莫 02/02/21 22:21
曹操が率いていた虎豹騎は、近衛隊・親衛隊ですよね?
歴代の隊長は曹氏一族(曹休、曹真、曹純)でしたし、 >>11さんの分類だと、①に当てはまるでしょうか?

23: 世界@名無史さん 02/02/21 23:00
フリードリッヒ大王の親父さん、フリードリッヒ・ヴィルヘルムI世の作った
巨人部隊は親衛隊になるんでしょうかねぇ。

巨人連隊


巨人連隊(きょじんれんたい)は、《兵隊王》フリードリヒ・ヴィルヘルム1世によって編成されたプロイセンの歩兵連隊。正式な名称はプロイセン第6歩兵連隊である。

フリードリヒ・ヴィルヘルム時代の近衛連隊であり、ポツダム巨人軍とも呼ばれる。プロイセンの軍事優先主義を象徴するものとして当時から有名だった。

王は長身の男こそ理想的な兵士になると信じていたので、ひたすら背の高さだけを追い求めて兵を集めた。



27: 世界@名無史さん 02/02/21 23:25
>>23
あれはガーズですので近衛部隊です。現在でもポツダムのサンスーシ宮殿警備のお巡りさんは身長2m近いのだけで構成されているよ…
写真を撮ったのだが…私は宙吊り状態になった…W


28: 世界@名無史さん 02/02/21 23:26
ビザンティンのヴァリャーギ親衛隊…
かっこわるいぞただの蛮族兵じゃねえか。
あんなの表紙に使うんじゃねえよオスプレイ。

37: 世界@名無史さん 02/02/22 14:49
>>28
ワランギア近衛隊のことですね。
キエフのウラディーミル一世がバシレイオス二世のために派遣したスウェーデン戦士たちが起源らしいです。
1066年のノルマン・コンクェストの後は、イングランドを追われたアングロ・サクソン人やデーン人も入るようになりました。

55: 世界@名無史さん 02/02/23 13:39
>>28
ビザンツ帝国の場合、単純素朴な蛮族のほうが、なまじ陰謀ずれしたビザンツ人よりも信用できるという考えがあったのかもしれない。

31:   02/02/22 10:20
イラクのフセイン親衛軍団も湾岸戦争前は精鋭部隊と大いに喧伝されてたけど、いざ戦争が始まると思いのほかヘタレでしたな。

73: 世界@名無史さん 02/02/25 21:23
>>31
湾岸戦争直後に、フセインは南部のシーア派と北部のクルド人の反乱に対して温存していた共和国防衛隊を派遣。アメリカ軍には歯がたたなかったが、反乱軍には遺憾なくその内弁慶ぶりを発揮して鎮圧。

45: 世界@名無史さん 02/02/22 21:46
近衛兵は各国とも容姿端麗なものをそろえていたというのは本当ですか?

52: 世界@名無史さん 02/02/23 09:47
>>45
ヴァティカンのスイス傭兵とか、ソ連のレーニン廟の前に立ってる兵士はとびきりハンサムなのをそろえてたらしいです。
でもこれは親衛隊とはちょっと違うかな・・・

57: 世界@名無史さん 02/02/23 20:01
ナポレオンの近衛隊は一般兵士に比べて待遇の面でも優遇されてたらしいね。
皇帝とは心情的な紐帯で結ばれていた。
ワーテルローでは「最後の切り札」として投入されたけど、結局退却を余儀なくされた。

58: 世界@名無史さん 02/02/23 21:22
ロシアからの後退時には、食料補給優先的に受けて怨嗟の的だったよ

66: 世界@名無史さん 02/02/24 11:03
ロシア史上有名なのがイヴァン雷帝の「オプリーチニキ」だね。
ツァーリの敵(多くの場合、大貴族)を叩き潰すのが仕事。
なかでもすごかったのがノヴゴロドの懲罰で、街全体が壊滅した。
オプリーチニキ

オプリーチニキとは、イヴァン雷帝の直轄領オプリーチニナを治めるために集められた、ツァーリだけに忠実なエリート階級の親衛隊のこと。オプリーチニキは、ボヤール(大貴族)以外にも士族やタタール、ドイツ人、リトアニア人、コサックなど家柄の良くない者や外国人もツァーリからオプリーチニクとして任命された。

彼らオプリーチニキの主な役割は要するに秘密警察であり、黒衣を着て黒馬に跨り、ツァーリの敵に噛み付くという意味の犬の頭、反逆者の掃討を意味する箒とを鞍に下げた。


102: 世界@名無史さん 02/03/07 11:13
ロシアで「オプリーチニキ」と並んで勇名なのが、銃兵隊(ストレリツィ)。 
イヴァン雷帝によって創設されたが、17世紀になって、あからさまに政治に介入するようになる。ピョートル大帝が幼いころ、銃兵隊が反乱を起こし、実権は異母姉のソフィアに握られた。17歳のとき、摂政ソフィアにあやうく暗殺されそうになったこともある。 
ピョートルがソフィアを追放したあと、彼の改革に不満を抱いた銃兵隊は反乱をおこすが鎮圧され、約2000名が処刑された。 
これによって銃兵隊は完全に解体。

104: 世界@名無史さん 02/03/10 15:33
>>102 
ピョートルによって銃兵隊が解体されたあと、プレオブラジェンスキー及びセミョーノフ近衛連隊がつくられ、近代ロシア軍の中核となる。 
後にイズマイロフスキー連隊も加えられた。

74: 世界@名無史さん 02/02/26 00:53
イエニチェリは支配下のバルカン半島からギリシア系の物心ついていない子供をひっさらってきて(?)スルタンの子として育てたって聞いたけど・・・
(スルタンを父親だと彼らに刷り込んで洗脳って事?)

ギリシア系なのは、体格がいい奴が多いからだとか。

76: 世界@名無史さん 02/02/26 01:19
>>74
もともと遊牧民には、血のつながりがない子供でもひろって育て上げ、将来の戦力にするという習慣があったので、その延長線上に出来た習慣なのではないかと思います。
ギリシア系に限らずバルカン半島のキリスト教徒の子弟が多かったようです。

77: 世界@名無史さん 02/02/26 01:33
カプ・クル(オスマン皇帝直属の常備軍人階層。イェニチェリに限らない)に「徴集」されたのは幼児ではなく青少年(10歳~20歳くらい)、子として育てたのではなく「スルタンの僕」として教育した。

79: 世界@名無史さん 02/02/27 17:48
マケドニアのフィリッポス2世は、重騎兵隊(ヘタイロイ)と長槍歩兵隊(ペゼタイロイ)という二つの部隊を編成したけど、 息子のアレクサンドロスはペゼタイロイの中からさらに精鋭を選抜して盾持ち隊(ヒュパスピスタイ)を創設。
これは国家の戦略予備兵力としての性格が強いかな。
アレクサンドロスの東征でも活躍した。
以下、漫画「ヒストリエ」のネタバレが4レスが続きます。





80: 世界@名無史さん 02/02/28 11:05
>>79
銀盾隊とも言うね。後継者戦争では精鋭として知られるけど、俸給目当てに司令官のエウメネスを裏切った廉で、アンティゴノス王に全員生き埋めにされちゃいます。ローマの近衛隊もそうだけど、みんな金次第でころころ主人を裏切るよなあ。

86: 世界@名無史さん 02/03/01 14:46
>>80
アレクサンドロスの死後、秘書官だったエウメネスは、「盾持ち隊」の旧兵を集め、自分のエリート歩兵部隊(銀盾隊)として再編成した。
隊員の多くはフィリッポス2世時代からの老兵で、60歳を越えているものもいたが、その戦闘力にはいささかの陰りもなく、アンティゴノスの軍隊を幾度も撃破した。ところがガビエネの会戦で、アンティゴノス軍によって家族が捕らえられたことを知った「銀盾隊」の将兵は、エウメネスを裏切り、彼の身柄をアンティゴノスに引き渡してしまう。
かくして「銀盾隊」は裏切り者の汚名にまみれることに・・・

94: 80 02/03/03 12:52
>>86
へえー、ガビエネの会戦って言うんですか。当方、「プルタルコス英雄伝」と「フィリッポスの歴史」しか原史料持ってないんで、詳しいことは分からんかったです。
サンクス。
ヘレニズム期の軍隊は傭兵が主体だった、とも言われてるけど、各王家は常備軍的な近衛軍を持っていたんですかね(フィリッポス、アレクサンドロスは半常備軍的な重装歩兵隊を持っていたらしいですが)。

99: 世界@名無史さん 02/03/06 01:43
>>86
っで挙句に全員生き埋めか‥
悲惨だな‥

87: 世界@名無史さん 02/03/01 18:35
現在のフランスの「共和国親衛隊」(ギャルド・レピュブリケーヌ)とナポレオンの「皇帝親衛隊」(ギャルド・アンペリアル)の間に連続性はありますか?

89: 世界@名無史さん 02/03/01 21:02
>>87
無いと思います。近衛竜騎兵部隊は庶民が入隊出来ないで有名な部隊。
どちらかというとルイ王朝1780年勅令の伝統をひいてます。

90: 世界@名無史さん 02/03/02 16:52
ナポレオンの「皇帝親衛隊」は、イタリア戦役のときのナポレオンの警護隊ギド(嚮導隊)と、「立法院衛兵隊」(ギャルド・デュ・コール・レジスラティーフ)と、「総裁政府親衛隊」(ギャルド・デュ・ディレクトワール)の三つが統合されたものです。
そのなかでも「老親衛隊」(ヴェーユ・ギャルド)の擲弾兵が、選抜された歴戦の精兵から成っていました。

96: 世界@名無史さん 02/03/05 02:03
このスレは中国に言及してないので挙げてみると明朝の錦衣衛や清朝の侍衛処が近衛兵に相当するな。
それにしても非民主主義国家のシークレットサービス部隊は名誉を分かたれるだけでなく
政治にも影響力を及ぼすのは多々あることだが、その原型が上記両者に見て取れるな。

105: 世界@名無史さん 02/03/10 19:44
>>96
錦衣衛は秘密警察的な要素が強かったみたいですね。近衛隊とは言い難いかも。

錦衣衛

錦衣衛(きんいえい)は、明朝の秘密警察・軍事組織で、禁衛軍の1つ。

明朝の洪武15年(1382年)に、儀鸞司が再編・改称されたもので、侍衛上直軍の1つとして親軍指揮使司に属し、勲戚の都督の下に南北両鎮撫司・十四所を統轄して儀仗と宮禁守護が職務とされたが、実際には特務機関としてその側面が強くなり、北鎮撫司の処理する招獄が別称となった。東廠設置後は、その下部組織として兵刑両権を行使して恐怖政治を実現し、人々から恐れられた。


106: 世界@名無史さん 02/03/10 21:40
>>105
旧ソ連のKGBみたいなもんですかね。
KGBは「連邦防諜局」と名前を変えて生き延びてるらしいけど。

97: 世界@名無史さん 02/03/05 02:27
>>96 
隋の煬帝がつくった「驍果衛」はどうですか?

98: 96 02/03/06 01:31
中国古典小説の『隋唐演義』の邦訳読んだとき、煬帝の美少女護衛隊に萌えました。
これが演義の創作でなくて、史実と見なされているのでしょうか?
そうだとすると、もしかしたらその「驍果衛」が該当する訳ですかね。

100: 世界@名無史さん 02/03/06 01:49
驍果衛は、煬帝の高句麗遠征が失敗に終わった後、国内が不穏な情勢になってきたので、新たに兵を募集して煬帝の近衛隊をつくったらしいです。
それ以上のことはわたしもあまりわからないので・・・


122: 世界@名無史さん 02/03/14 23:22
中国史に詳しい方にお尋ねします。
元代に、「禁衛軍」というのがありますが、これも皇帝の近衛隊ですか?

124: 世界@名無史さん 02/03/15 16:48
>>122
満洲軍では近衛部隊に相当してます。

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禁衛隊


禁衛隊とは、満州国において、皇帝の身辺警護にあたる近衛兵組織。

満州国建国直後、執政の愛新覚羅溥儀は、モンゴル人によって構成される約300人の「護軍」を組織し、自らの親衛隊とした。また、満州国軍からも兵士を派遣させ「翊衛軍」と名づけ、自らの護衛に当たらせた。1934年(康徳元年)に、護軍は宮内府に編入し皇宮警察化した。そして、翊衛軍は「禁衛歩兵団」に改組された。禁衛歩兵団の人員は415人であった。1936年(康徳3年)には、威儀を正すのに最適な騎兵や礼砲の実施要員としての砲兵も加え、「禁衛隊」とした。

131: 靡莫 02/03/17 00:40
>>122
ご質問の「禁衛軍」に相当するかは分かりませんが、皇帝警備の部隊として、元朝には「怯薛(モンゴル語に漢音を当てたもの。中国の史書では「宿衛」と訳)」というものがあり、まだ部族制だったチンギス・ハンの時代から由来するものです。
「怯薛」は4部隊あり、兵員はモンゴル貴族の子弟から選ばれ、4人の部隊長はいずれも世襲でした。

130: 靡莫 02/03/16 23:58
古代中国の親衛隊としては、以下のものがあります。
(波多野善大『中国近代軍閥の研究』からの引用です)

まず、前漢です。
国都長安には南北両軍が置かれ、衛士が南軍に配属されて宮城の守備に任じられています。
その後、武帝の時代に三輔都尉が新設されると、衛士の一部はこれに属して関中の警備にあたり、残りの一部は城門校尉に配属されて宮城の守備にあたりました。そして、皇帝の親衛隊として期門・羽林の両営も新設され、関中六郡の良家の子弟をその隊員としてあてています。

後漢光武帝は、前漢の七校尉を五校尉に減じ、これを宮城の防衛にあてています。
そして衛士・執金吾・羽林左右騎・虎賁・羽林の諸隊を設置して、宮城内の守護及び皇帝の宿衛儀仗にあてています。なお、これらの兵は、儒教思想に基づいて世襲化していました。この中央軍・親衛隊の世襲化は、魏の曹操にも受け継がれています。
(曹操については、僕が>>20に書き込んだ「虎豹騎」が有名ですね)

132: 世界@名無史さん 02/03/18 11:37
中国における今の所つーかおそらく最後の文字通りの「禁衛軍」は、清朝最末期の軍制改革で誕生した
満洲人オンリーの近衛軍ですね。


134: 世界@名無史さん 02/03/21 17:22
ルイ13世ころできた「近衛銃士隊」はガイシュツじゃないね?
ダルタニャンが出てくるヤツ。どうやら実在の人物だそうだが。

135: 世界@名無史さん 02/03/21 21:33
>>134
4人とも実在します。一番偉くなったのがダルタニヤン。彼が近衛銃士隊を率いてた当時の首相がリシュリーで、彼はリシュリーと組んでアルザス・ロレーヌなどの占領に加担してます。

140: 世界@名無史さん 02/03/23 00:08
>>135
ダルタニャンが近衛銃士隊長になったのは、マザラン枢機卿が宰相になった時代。
厳密に言うと近衛銃士隊長は国王自身だから、隊長代理だけど。

147: 世界@名無史さん 02/03/26 20:50
アケメネス朝ペルシアの「不死隊」だけど、実態についてはよくわからないらしいね。
王直属の精鋭部隊で1万人のペルシア人から成っていたけど、貴族だけだったのか、それとも平民も混じっていたのかは不明。
同様に同数のメディア人も王の護衛部隊を構成していた。

不死隊

不死隊(ふしたい)とはアケメネス朝ペルシアの定員一万人の精鋭部隊である。ペルシア戦争期にはヒュダルネスが率いた。一人の兵士が倒されてもまた別の新しい兵士がすぐに補充され戦闘に加わり戦ったことからヘロドトスがこれを指してアタナトイ(不死の意)、もしくは一万騎兵と呼んだものが起源で、英語でイモータルズ、不滅隊などとも呼称される。

引用元: ・近衛隊・親衛隊の歴史




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