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1: 世界@名無史さん 2008/08/26(火) 18:32:52 0
意外にも無かったので立ててみた。

1871年1月18日から1918年11月9日まで存在した
3代のドイツ皇帝によって統治された国、ドイツ帝国
(Deutsches Reich、第二帝国)について語ろう!








2: 世界@名無史さん 2008/08/26(火) 18:43:02 0
【ドイツ帝国 Deutsches Kaiserreich 構成諸国】
このうちドイツ皇帝はプロイセン王を兼任。
プロイセン王国の首都ベルリンがドイツ帝国の首都。

【王国 Königreich】
プロイセン、バイエルン、ヴュルテンベルク、ザクセン

【大公国 Großherzogtum】
バーデン、メクレンブルク=シュヴェリン、ヘッセン、オルデンブルク
ザクセン=ヴァイマル=アイゼナッハ、メクレンブルク=シュトレリッツ

【公国 Herzogtum】
ブラウンシュヴァイク、ザクセン=マイニンゲン、アンハルト
ザクセン=コーブルク=ウント=ゴータ、ザクセン=アルテンブルク

【候国 Fürstentum】
リッペ、ヴァルデック、シュワルツブルク=ルードルシュタット
シュヴァルツブルク=ゾンデルスハウゼン、ロイス(弟系)
シャウムブルク=リッペ、ロイス(兄系)

【直轄州 Reichsland】
エルザス=ロートリンゲン(フランス名、アルザス=ロレーヌ)

【自由都市 Freie Stadt】
ハンブルク、リューベック、ブレーメン

3: 世界@名無史さん 2008/08/26(火) 19:21:28 0
「ドイツ皇帝なんてわけの解らん物より、プロイセン王のほうが価値があるだろjk」としぶるヴィルヘルム1世に、
「うるせえ!ガタガタ言わずに皇帝に即位して統一ドイツ作りやがれ!」とビスマルクが一喝して成立した国。

10: 世界@名無史さん 2008/08/27(水) 00:24:55 0
>>3
ヴィルヘルム1世がドイツ皇帝即位を渋ったのはドイツ帝国が成立してしまったら由緒あるプロイセン王国が帝国の事実上の一州になりかねないと考えたから。

事実、孫のヴィルヘルム2世の時代になるとプロイセンは独立王国としては半ば形骸化していた感がありヴィルヘルム2世自身、もはやプロイセン王を名乗ることは殆ど無かった。

4: 世界@名無史さん 2008/08/26(火) 19:38:34 0
敵国の城で戴冠式を行うのはやりすぎ

5: 世界@名無史さん 2008/08/26(火) 21:57:33 0
【歴代ドイツ皇帝 Kaiser】 自分なりにわかりやすくまとめてみた。

初代皇帝 ヴィルヘルム1世

第七代プロイセン王。仇名は白髭王(バルバブランサ)。
ビスマルクや息子の助言により仕方なくドイツ皇帝になったらしい。
(一日前まで皇帝即位に駄々をこねてたという伝説がある。)
普仏戦争でフランスで勝利し敵国フランスのヴェルサイユ宮殿でドイツ皇帝に即位。
別名、皇帝ビスマルク1世の操り人形。
だが本人は決して無能ではなく軍制改革を実行するなど政治的に才能があった。

二代皇帝 フリードリヒ3世

自由主義者であり、国民からの愛称は「我らがフリッツ」(フリードリヒの愛称=フリッツ)。
第八代プロイセン王。前代ヴィルヘルム唯一の息子。
親父であるヴィルヘルム1世にドイツ皇帝になるように説得した。
だが即位前から患ってた喉頭癌のためにわずか3ヶ月と9日で死亡。
最も影が薄い皇帝。

三代皇帝 ヴィルヘルム2世

第九代プロイセン王。前代フリードリヒの長男。
ビスマルクをクビにした挙句、自国よりも他国侵略を目論む植民地政策に走り
また日露戦争後に黄色人種国家打倒を唱えたがシカトされた。
差別政策やイギリス・ロシア両帝国との関係悪化、侵略政策により批判が増大。
そしてWWIでオーストリアの味方としてむりやり参戦させるが
不満が爆発した部下たちにより権利を剥奪、皇帝も退位させられる。
オランダに亡命後、寂しく他界。

6: 世界@名無史さん 2008/08/26(火) 22:00:30 0
ちなみに現在もプロイセン王家である。
ホーエンツォレルン家は存続している。

現在の本家当主(プロイセン王系)
ゲオルク・フリードリヒ・フェルディナント 

王家の者としての名はゲオルク・フリードリヒ・フォン・プロイセン
「殿下」の敬称、イギリス王位継承順位151位を持つ。ベルリン在住。
独身。キラ王女財団理事長を勤める。

一応、ここまでまとめてみたぜw

7: 世界@名無史さん 2008/08/26(火) 22:05:11 0
エムス電報事件~ツィンメルマン電報事件

電報に始まり、電報に終わった国家だったなw
エムス電報事件

エムス電報事件は、プロイセン王国宰相オットー・フォン・ビスマルクが、同国国王ヴィルヘルム1世から受け取った電報に意図的な編集を行って世間に公表した事件である。当時のスペイン王位継承問題に端を発するもので、普仏戦争の直接の原因となった。


ツィンメルマン電報

ツィンメルマン電報は第一次世界大戦中にドイツ帝国の外務大臣アルトゥール・ツィンメルマンによって1917年1月16日にメキシコ政府に急送された電報。

電文はイギリス海軍の諜報部、ウィリアム・R・ホール提督に指揮された「ルーム40」の暗号解読者ナイジェル・デ・グレイおよびウィリアム・モントゴメリーによって傍受、解読された。ツィンメルマンの電文は、もしアメリカ合衆国が参戦するならば、ドイツはメキシコと同盟を結ぶという提案だった。さらに、アメリカへのメキシコの先制攻撃はドイツが援助し、大戦でドイツが勝利した場合には米墨戦争によってアメリカに奪われたテキサス州、ニューメキシコ州、アリゾナ州をメキシコに返還するというものであった。


9: 世界@名無史さん 2008/08/26(火) 23:18:39 0
帝国の中に王国があるとかややこしすぎる政治体制だよな。
まぁ今のロシアの中にも「~~共和国」とかあるが。

617: 世界@名無史さん 2008/10/06(月) 11:55:35 0
>>9
帝国の中に王国があっても別におかしなことではない
帝政ドイツにおいては王は大公や公、侯といった爵位の一つと考えればいい
それに英領インド帝国や歴代中国王朝にも帝国の中に(藩)王国があるし

744: 世界@名無史さん 2008/10/29(水) 14:58:10 0
>>9
というより、だから帝国っていうんだろう

諸王の上に立ってたり諸民族の上に立ってたりするから帝国なわけで。
(訳語の問題でインカ帝国みたいなのもあるけど)

12: 世界@名無史さん 2008/08/27(水) 05:31:38 O
フランクフルトあたりを首都にしてスペイン王候補だった王子をドイツ皇帝にすればプロイセン王国が消滅することも無駄に英仏と衝突することもなかったんや!
初代皇帝はフリッツでもいいけどその場合プロイセン王が上と下から挟み撃ちになるからな…

14: 世界@名無史さん 2008/08/27(水) 14:30:35 0
ヴィルヘルム1世にとってはドイツ全体よりプロイセンの方が大事だったんだよな。

16: 世界@名無史さん 2008/08/27(水) 20:15:01 O
ビスマルクはほんとはドイツよりプロイセンのほうが大事だったって聞いたんだけど本当?
対外政策より内政充実に努めたのもプロイセンの権力を維持したままで安定させたかったとかなんとか

17: 世界@名無史さん 2008/08/27(水) 21:24:04 0
ドイツ帝国内の諸国の大体の位置関係がわからないのだが
とりあえずベルリン周辺はプロイセンだとしたら…
画像か何かないか?

あとシュレースヴィヒ公国とホルシュタイン公国って属してたの
オーストリアだっけ?それともドイツ帝国か?

18: 世界@名無史さん 2008/08/27(水) 21:46:31 0
「1852年のドイツ」というあまり見やすくない地図があるが・・・
ttp://www.euratlas.net/cartogra/deutschland/index.html

一応クリックした所を拡大できるけど

20: 世界@名無史さん 2008/08/29(金) 01:14:14 0

正式な国号 (Deutsches Reich)

21: 世界@名無史さん 2008/08/29(金) 14:43:15 0
帝国というより、「ドイツ連合国」って呼んだほうが正しい感じだよな。

22: 世界@名無史さん 2008/08/29(金) 18:29:53 0
>>21
正式名称は「ドイツ国」(ドイチェス ライヒ)なんだけど。
実際、連邦国家だよね。

帝国の中に王国があるとかわけ分からん仕組みだけど。

34: 世界@名無史さん 2008/08/30(土) 15:54:44 0
>>22
ドイツ帝国はプロイセン王を皇帝に戴く連邦制の国家ではあったが諸邦国は自治権を有しており、諸侯たちも地位がきちんと認められていた。だが帝国そのものの君主はやはり皇帝であり、皇帝の即位式には諸侯たちが一同に会して皇帝を自分たちの盟主として仰いだ。

そしてドイツ帝国が崩壊したときも皇帝の退位と共に諸侯たちは皆退位し、王朝は全て葬り去られた。まさに一蓮托生だったわけだな。

35: 世界@名無史さん 2008/08/30(土) 23:10:11 0
>>34
あぁ、そういうことなのか。
王国は形だけってことか。国王、大公とかで何が違うんだろ。
それと自由都市って何だ?ハンザ同盟の都市と同じか?

23: 世界@名無史さん 2008/08/29(金) 18:32:22 O
プロイセンて嫌われものなん?

26: 世界@名無史さん 2008/08/30(土) 02:45:58 0
>>23
>プロイセンて嫌われものなん?

有名な話がある。(実話かネタかを自分で本当に確認してはいないが。)
あるとき、西ドイツのバイエルン州の都市で電車(バスだったかな?)の交通事故が起こり、かなりの死者が出た。犠牲者の中に、西ベルリンからの旅行者が一人混じっていた。

そうしたら翌日の地元の新聞(地方紙)の見出しに「死者、男性○名、女性○名、プロイセン人1名」と出ていたそうだ。
バイエルンではプロイセン人は人間ではないらしい。

28: 世界@名無史さん 2008/08/30(土) 12:41:14 0
>>26
それは、当時のプロイセンが、「東ドイツ」にあった事が理由。

33: 世界@名無史さん 2008/08/30(土) 15:24:20 0
ドイツって君主制復活しないのかな?
やっぱり、シュタージ協力者の数を見るに、現在のドイツは(特に東)アカの手先が多いから無理だろうが。でもバイエルンで復活しないのは意味不。やはりそれだけ高いハードルということか。

35: 世界@名無史さん 2008/08/30(土) 23:10:11 0
>>33
個人的にはカリーニングラードのドイツ返還を希望しているんだが…
さすがにそれは無理かな。
あの土地はもうドイツとは接してないし。

36: 世界@名無史さん 2008/08/30(土) 23:14:48 0
ていうかかつてのプロイセン王国領は大半はロシアとポーランドになってるんだっけ。
今のドイツに残ってる旧プロイセン王国領はベルリンとブランデンブルク州だけか。

38: 世界@名無史さん 2008/08/31(日) 00:36:34 0
>>36 
ドイツってかつてはプロテスタントじゃなかったら正統派っぽくなかったけど、(ポーランド侵攻の時、カトリックのドイツ人が殺されたのを聞いたことがある。)今やプロテスタントは少数派だね。西ドイツなんてカトリック連合だったし。オーストリアと南ドイツを合わせるとカトリックが多い。

40: 世界@名無史さん 2008/08/31(日) 02:49:02 0
ドイツ帝国の真の支配者はビスマルク朝オットー1世

41: 世界@名無史さん 2008/08/31(日) 08:36:55 0
>>40
とはいえ、オットー閣下はフリードリヒの馬鹿息子に罷免された。

55: 世界@名無史さん 2008/08/31(日) 21:57:09 0
ところでフリードリヒ3世は即位式は結局してないのかな?

56: 世界@名無史さん 2008/08/31(日) 22:35:51 0
在位50数日だったっけ>フリードリヒ3世

59: 世界@名無史さん 2008/08/31(日) 22:46:09 0
>>56
99日な。縁起悪い・・・。
即位の時50代後半だったし、ガンだったし。

60: 世界@名無史さん 2008/08/31(日) 23:14:16 0
妻はヴィクトリア女王の娘です。
インテリで社会福祉事業に熱心な嫁だったそうな。

61: 世界@名無史さん 2008/08/31(日) 23:20:51 0
フリードリヒ3世の妻、即ちヴィルヘルム2世の母親であるヴィッキーは聡明なことで知られ、ヴィクトリア女王夫妻の大のお気に入りだったそうな。

彼女の影響でフリードリヒ3世も自由主義的思想を抱き、そのため彼は父帝や鉄血宰相と思想面で対立していたとか。

62: 世界@名無史さん 2008/08/31(日) 23:27:42 0
その妻のヴィクトリア(ヴィッキー)だけどものすごく頭が良い人ではあったけど、その分嫁ぎ先のプロイセンの時代遅れさや頑迷さがよけいに目についてしまい、そこのとこを母国と比較しては文句ばっかり言っていたらしい。

67: 世界@名無史さん 2008/09/01(月) 07:02:41 O
ヴィルヘルム一世はビスマルクと何回も衝突してたらしいけど、辞任させなかったのはなんで?

78: 世界@名無史さん 2008/09/01(月) 19:19:58 0
>>67
老皇帝と鉄血宰相は保守的という点では一致していたが、それでも衝突することは少なくなかった。普墺戦争でも、戦争の続行を望むヴィルヘルム1世と戦争の早期停戦を主張するビスマルクの間で意見が真っ向から分かれ、ヴィルヘルム1世を説得させるためにビスマルクは建物の窓から飛び降りたりまでしている。

こうして意見が対立することもあった二人だが、いつも最後には皇帝が宰相のいうことに従った。老皇帝はビスマルクが自分以上に帝国に必要とされている存在であることを謙虚に認めていたからだ。

剛直な武人だったからこそ、ヴィルヘルム1世はビスマルクをの能力を謙虚に認め、全面的に彼に政治を委ねた。

「鉄血宰相」の最大の理解者は他ならぬ「白髭王」ヴィルヘルム1世自身だったのだ。

86: 世界@名無史さん 2008/09/02(火) 02:14:20 0
>>67>>78
「今やドイツのみでなくヨーロッパの秩序全体がビスマルクの能力によって支えられている」という認識は、ヴィルヘルム1世だけでなく、在位3ヶ月で崩じたフリードリヒ3世にもあったはずだ。激しくビスマルクを憎んでいたはずの皇太子だが、彼をクビにしなかったのは病苦で判断や執務が何もできなかったからではなく、この認識があったからだ。
 
その証拠に、プロイセン内相プットカーマーは在位中に罷免されている。リベラルなフリードリヒ3世は、言論、結社への残酷な弾圧で評判の悪すぎたプットカーマーを道連れにしていった。ビスマルクも自分の右腕をあえて見捨てた。

問題は、「今やドイツのみでなくヨーロッパの秩序全体が・・・」という(通常の判断力があれば誰でも持てるはずの)認識を持っていない男が皇帝になったことだ。
ビスマルクだっていつかは引退または死去するが、こんな有能な臣下は元気な間は使えるだけ使うのが当然だろう。なのに、あの皇帝ときたら、自分がビスマルクより有能だと信じ込んで・・・・ あとの経過は歴史書に載っている通り。

79: 世界@名無史さん 2008/09/01(月) 19:53:05 0
ヴィルヘルム一世とビスマルクって、歴史上まれに見る超名コンビだよね。

80: 世界@名無史さん 2008/09/01(月) 23:36:16 0
まあそれを維持する事は出来なかったわけだが。
創業は易く守成は成り難しとは、将にこの事だ。大陸国家の宿命と言えよう。

82: 世界@名無史さん 2008/09/01(月) 23:58:22 0
欧州最大級の人口
欧州最高級の能率的な官僚機構
欧州最高峰の兵士、将校、科学技術者
を持っていたドイツ帝国。
強過ぎる故に自己過信と周囲の警戒を招いて1945年に全国土を占領されるまで「世界に冠たるドイツ」の夢想から醒めることは無かった

85: 世界@名無史さん 2008/09/02(火) 01:58:24 0
>>82
つーか第一次大戦で敗れた時点で思い知れっつのw
軍隊がそのまま国家になったような国ってのはこれだから…

90: 世界@名無史さん 2008/09/02(火) 11:09:46 0
>>82
というかヴィルヘルム2世が悪い
カリギュラにたとえられたこの皇帝が死んでいれば世界はもっと平和だった

87: 世界@名無史さん 2008/09/02(火) 09:13:16 0
ビスマルクの政治的遺産とはなんであったか。
彼は政治教育のひとかけらも受けていない国民を後に残した。政治的意志のひとかけらも持ち合わせない国民を後に残した。
国民は、自分たちの頂点に立つ大政治家が〔一人で〕自分たちのために政治をやってくれるだろう、という考えに慣れきってしまい、かつまた誤った君主制的感情によって、ビスマルクの退任後彼の椅子に腰を下ろし、驚くべき無邪気さで統治の手綱を握った人々の政治的資質に疑惑の目を向けることもなく、その政治を「君主制的統治」の名の下に、運命として耐え忍ぶことに慣れきってしまった。

93: 世界@名無史さん 2008/09/02(火) 12:14:12 0
海軍協会とか、なんだったんだありゃ。

96: 世界@名無史さん 2008/09/02(火) 16:40:09 0
>>93
海軍大増強という巨大な内需のおかげで重工業(軍需)が潤うことになり、輸出が多少減っても大丈夫ということになったため、政府は外国農産物の輸入を規制(農業関税をアップする)して国内の農業関係者の支持を集めるという政策に転換した。

95: 世界@名無史さん 2008/09/02(火) 16:37:31 0
ヴィルヘルム2世はアルフレッド・マハンの著書の愛読者だった。
1897年に海軍長官に就任したティルピッツ提督の主導のもと、まず1898年に「建艦法」を、続いて1900年に「第2次建艦法」を制定して、1920年までに戦艦38隻を常備するという大計画をぶちあげた。
当時のドイツは経済的に著しい躍進を示しており、特に重工業は90年代のうちにイギリスを凌駕、20世紀に入る頃のGNP成長率はイギリスの2倍にも達していた。しかも人口も増えていて国中に若々しい活力が溢れていた。

103: 世界@名無史さん 2008/09/03(水) 01:15:09 0
産業革命の旗手であったイギリスのお株を奪う勢いがあったからこそ、必然的に敵対したともいえる。

105: 世界@名無史さん 2008/09/03(水) 15:41:39 0
>>103
イギリスで起こった第一次産業革命はそのほとんどがアマチュアの手になるものであったのに対し、第二次産業革命では、専門家に主導権が移ってしまった。

ドイツ人はいきあたりばったりの研究方法を廃止して、工業学校や工科大学で専門家を育成した。したがってときおりの天才や幸運な思い付きを待たなくても、進歩が見られた。この知識の訓練は技術をこえて純粋科学に、科学をこえて学問全般に適用された。

106: 世界@名無史さん 2008/09/03(水) 21:07:25 0
ヴィルヘルム二世ってモテたろうな。バルバブランサと比べたらもう
遺伝子一緒かってくらい違う。脳みそのほうも。
300px-Kaiser_Guglielmo_II


113: 世界@名無史さん 2008/09/04(木) 19:01:36 0
>>106
バルバブランサって誰?

114: 世界@名無史さん 2008/09/04(木) 19:28:36 0
>>113
バルバブランサ(白髭王)、つまりヴィルヘルム1世のこと。

108: 世界@名無史さん 2008/09/03(水) 21:26:25 0
ヴィルヘルム1世は壮年時代から既に頭髪が寂しくなっていたがヴィルヘルム2世は年老いてからもフサフサだな。

112: 世界@名無史さん 2008/09/04(木) 18:23:26 0
見た目だけだったらあらゆる歴史上の人物のうちで一番くらいに好きだ
ヴィルヘルム2世

123: 世界@名無史さん 2008/09/05(金) 21:03:38 0
>>112
まさに当時の「ドイツ人」の典型的な姿をしていたからね。というか、あの人の髭を真似る人が多かったから、帝政期のドイツ人の標準的な姿は髭の印象があるが。
でもあの人って意外にも二次大戦中盤まで生きていて、ドイツ軍がパリに入場した時は、予の軍隊がフランスに勝利した、とか相変わらずお馬鹿な発言をのたまりましたが。

115: 世界@名無史さん 2008/09/04(木) 22:05:01 0
ヴィルヘルム2世時代のドイツ外交は、目的をはっきりさせずにあちこちに首を突っ込んで、各国の反感を買いまくりという印象。

117: 世界@名無史さん 2008/09/05(金) 00:28:55 0
>>115
その時その時で目的ははっきりしていた。
ただ、その目的がころころ変わっただけの話だ。

125: 世界@名無史さん 2008/09/05(金) 21:42:32 0
当時、多くのドイツ人将校は眉毛にカットをかけ先端を上向きにさせて固めるということまでしていたとか。

129: 世界@名無史さん 2008/09/05(金) 22:48:45 0
帝政期のドイツで、オイレンブルク事件というのが起きたな。
ヴィルヘルム2世の個人的相談役フィリップ・オイレンブルク侯爵がマクシミリアン・ハルデンの告発によって同性愛者とされ、それによって皇帝が侯爵との絶交を余儀なくされた事件。

オイレンブルクは発展家で、皇帝から漁民まで、多くの「愛人」と関わりがあったらしいが、宮廷内での彼らの関係が、政敵からは激しい非難の対象になった。ただ、それは性的スキャンダルとして糾弾されたばかりではなく、男性同性愛者は「女性的」、「政治に不向き」、「決断力や剛毅さの欠如」などといったジェンダー・バイアス的な評価からくる非難にも晒された。

131: 世界@名無史さん 2008/09/06(土) 02:22:59 0
大帝国を築いたローマ帝国の男色を知らんかったのか

132: 世界@名無史さん 2008/09/06(土) 02:31:51 0
つ キリスト教

133: 世界@名無史さん 2008/09/06(土) 09:33:27 0
ヴィルヘルム期には、同性愛は外国では「ドイツ風悪徳」だとみなされていた。
ちなみに、ドイツの同性愛は、メナーブント(男性同盟)と結びついていたのが他の国とは違った特色。

134: 世界@名無史さん 2008/09/06(土) 10:47:01 0
ヴィルヘルム2世本人は男色家ではなかったと聞くけどその辺はもう神のみぞ知ることなのかな。

『男たちの帝国』では皇帝も男色家にされていたような。

138: 世界@名無史さん 2008/09/06(土) 13:45:01 0
>>134
その辺は欧米人の、根深い同性愛差別が根底にあるのだろうな。
ヒトラーも定期的に同性愛説が出てくるし。

136: 世界@名無史さん 2008/09/06(土) 13:27:03 0
プロイセンの軍人が帽子につけている髑髏のマークは、「骨になっても祖国のために戦う」という意味であって、別にオカルトとは何の関係もない。

149: 世界@名無史さん 2008/09/07(日) 13:31:53 0
>>136
あの帽子を被った姿は、明らかに野蛮人のそれ以外には見れない。
よく二十世紀にもなってあんなへんちくりんな帽子を被れたもんだ。
ヴィルヘルム二世のこれを被っている姿とか目が当てられん。
通常の格好ではまともな君主に見えるのに、この帽子を被った瞬間、野蛮な部族の族長となってしまう。

155: 世界@名無史さん 2008/09/07(日) 15:00:36 0
>>149
ttp://kaiser-collection.com/map1.html
これを見ると、女性も髑髏のついた帽子をかぶっている。

162: 世界@名無史さん 2008/09/07(日) 18:05:31 0
>>155
髑髏の帽子というのはこれかな?かぶっている人はヴィルヘルム2世の
末っ子ヴィクトリア・ルイーズ王女。

no title


こちらのヘルメットはピッケルハウベ。かぶっている人はヴィルヘルム2世の
長男ヴィルヘルム皇太子の妻のツェツェーリエ皇太子妃。

no title

142: 世界@名無史さん 2008/09/06(土) 22:52:00 0
統一を成し遂げてからのドイツの人口増加はすごいな。

145: 世界@名無史さん 2008/09/07(日) 08:41:31 0
>>142
カトリック地域(バイエルン、ポーランド人の多いポーゼン)の人口が増えた
ロシア帝国からもポーランド人が大挙してシュレジェンやルールに移住してきた

143: 世界@名無史さん 2008/09/06(土) 23:00:08 0
統一してからはアメリカへの移民が減ったんじゃないの?

グスタフ・フォン・ボーレン・ウント・ハルバッハ(ベルタ・クルップの婿)なんて、アメリカ移民の家系で、ドイツへの出戻りだし。

166: 世界@名無史さん 2008/09/07(日) 22:59:28 0
このドイツ帝国って、案外民主的だよね。少なくともプロイセン的なガチガチの軍国主義とは
違うイメージがある。勿論自由主義とかとは程遠いが。

167: 世界@名無史さん 2008/09/07(日) 23:08:10 0
社会民主党の存在を許容していたのは大きい>案外民主的
イギリス流とは異なるけどれっきとした立憲君主国家だし。

ただ、ガチガチ軍国主義はまたそれとは別にしっかり帝政社会で生きていたように思う。

184: 世界@名無史さん 2008/09/08(月) 10:19:01 0
>>167
>ただ、ガチガチ軍国主義はまたそれとは別に
>しっかり帝政社会で生きていたように思う。

ドイツ帝国では、予備役将校として貴族的で封建的な連隊に関係があると、出世に有利だったからね。
裕福なブルジョワも、貴族の将校団のメンバーと娘を結婚させたがった。


194: 世界@名無史さん 2008/09/08(月) 18:51:20 0
>>167
まああれは党首のフリードリヒ・エーベルトが君主制賛成(社会党の人が!)であるのが大きいと思う。帝国の支配階級の理想は、社会保守的な民主主義国家としてドイツを運営することだと思う。
ところで、ググってたらこんな画像が出てきた。


2005_München

ついに帝政復活の動きがでたのか!と思ったらナチ公共だった(泣)

195: 世界@名無史さん 2008/09/08(月) 18:56:35 0
>>194
ドイツ帝国は、ワイマール期ほどではないにせよ、それなりにユダヤ人が社会参加できていたんだから、ナチの理念とは相容れないだろうに。

169: 世界@名無史さん 2008/09/07(日) 23:21:38 0
議会無視して皇帝が好き勝手やれちゃう体質だったのが痛いところ。
君臨すれども統治せずの精神があったら…

170: 世界@名無史さん 2008/09/07(日) 23:38:59 0
>>169
国家の上に、超国家機関として参謀本部があったのが最大の問題点だと指摘されてない?
皇帝すら参謀本部の意思に従わざるをえなかったそうだし。

180: 世界@名無史さん 2008/09/08(月) 00:23:26 0
>>170
軍事はそうだね。結局そのせいで皇帝が反対していたのにもかかわらずWW1の回避ができなかったし。軍事的必要性という言葉で政治が押し切られたという意味でも悪例。

政治では皇帝の鶴の一声ですべてがひっくり返ってしまうし、実際にひっくり返ってしまってフランス封じ込めという国家戦略が破綻した。

引用元: ・【プロイセン】 ドイツ帝国について 【第二帝国】




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