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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/19(金) 02:50:09 ID:6cYX6mCU0
まともに語れる場が欲しかったので立てました。
徳川と皇室ともにトップクラスの血を引き、強烈父上への世間の憧れ憎悪をそのまま引き継いでしまい、思考過程を一切口に出さないままいきなり行動にでてしまう徳川最後の将軍について語りましょう。
周辺人物の話題もOK。ヘタレ臆病者等々の罵詈雑言には適当にお相手を。








162: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/11(金) 09:21:46.21 ID:IOLXeFqW0
七郎麿→昭致→慶喜 
諱が昭致だったのは、どこでなにをしていた時期ですか? 

163: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/12(土) 01:07:21.08 ID:XSGNSdQo0
一橋に移ったときは慶喜だったし 
水戸にいたときは松平の七郎麿だったし 
いつだろう

164: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/13(日) 22:30:42.47 ID:1eMomnSW0
七郎麻呂は諱じゃなく幼名では。 
七郎麻呂が元服して松平昭致になり、一橋に養子にいって諱が慶喜になったんじゃね?

167: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/15(火) 08:49:50.38 ID:aO99czE/0
元服して斉昭の偏諱で松平昭致だから、まだ水戸家にいたころのはず。 
一橋家を継いだそのときはまだ将軍から偏諱を受けてないので、徳川昭致? 
数ヵ月後に慶喜になっている。 

168: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/15(火) 15:15:59.55 ID:1Us1kcBp0
慶喜って名前自体やんごとなきところの拝領系だから刑部卿任官という時点で慶喜なんだと思う。つまり一橋家に入った時点で拝領したのでは?水戸は兄貴が継いでるから普通は部屋住みの日陰者だけど御三家オヤジがどうにかしたんだろうとしか思えない。 
七郎麻呂の幼名の通りオヤジのヨシアキラは八方の絶倫で子供世継ぎには事欠かない。 
よって慶喜は水戸の悪竜のセガレといって大奥から若年より忌まれることになる。 

まあ、数ヶ月後というのがキモなんですよ。 
当時は発布つうか今のメディアみたいにスグ宣言してすぐなれるわけじゃねえぇ。 
大阪から逃げて江戸で待機してたのも幕藩律令を十分に踏まえた慶喜特有の達観の経緯だと思います。 

ちなみに「慶」も「喜」の字も侍ではなく、カシコキアタリから頂く忌み名でありますよ。

169: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/15(火) 15:26:00.21 ID:iCVNISDs0
将軍家慶の正室と水戸斉昭の正室が実の姉妹。 
将軍家のほうから七郎麿の一橋家相続を持ちかける。 
斉昭は七郎麿にかぎるのかほかの男子でもいいか照会。 
七郎麿に限るとの返答。母親の縁であろうことは明白。 

一橋家相続時、当人は何才であったか。 
自分の考えで諱を選べると考えるは不自然。

170: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/15(火) 15:46:02.58 ID:1Us1kcBp0
そらカシコキアタリは深夜までつうか朝寝して下肢さんざん考えんだろうが、多分七歳ぐらいだろうなとも。違うかもな。 
オカンも有栖宮だしな、天下の副将軍(ツウ役職はは一切ないが)のオウチならいいかなミタイナ。 
福地源一郎翁の著作をあたればそこはかとなく幕府の能吏秀才体質は知れるのでコレを頼みにしようとしても間違いではないと思いますよ。 

171: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/17(木) 02:23:31.01 ID:QO79+1nnO
家を継ぐ、家職を継ぐ、名を継ぐ 

これはセットだからな 
どれかだけを継ぐ奴が現れると後継者問題が発生し政変になって幕閣も大改造。 

あぁややこしいやぁ

172: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/22(火) 01:56:36.44 ID:Ifw8JGkm0
家慶は若き慶喜を大層かってたからな 
因習や血筋に縛られることがなければ日本国の歴史も大いに変わってただろう 
歴史のifを語るのは詮無きことだけど13代が慶喜だったら・・・14代が慶喜だったら・・・と渋沢や勝も考えただろう

178: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/29(火) 03:54:25.40 ID:rzfjR19e0
>>172 
家慶が慶喜を気に入ってたのは、慶喜が美少年だったことが大きかったんじゃないか? 
・・・あまり大きな声では言えんけどな。 
初対面で可愛い、美しいと思い、やがて利発だと知り、ますます寵愛は深くなっていった。 
手取り足取り弓を教えたり、慶喜に歌わせ自分は舞い、自分が歌って慶喜に舞わせたり。 
家祥(のちの家定)はどんな心境だったんだろうか。

179: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/30(水) 10:22:04.06 ID:rlPSpqWj0
鷹狩の件とかな。 
家慶が慶喜好きすぎて笑う。


180: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/02(土) 22:26:28.96 ID:YYV9kII40
あまたいる兄弟の中で、昭武とだけは終生仲良しだった
なぜ~

181: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/03(日) 01:58:31.21 ID:pTq9axFr0
天狗党を捕縛粛清し、五代友厚とはフランス万国博で激突した人だから。
帰ってみたら既に明治でしたけどね。

182: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/04(月) 23:55:02.03 ID:5lu/LV1s0
両方と縁が深い渋沢が手引きしたのかもしれない

183: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/05(火) 02:19:18.33 ID:XqtFU1cT0
いや、渋沢うんぬん言う前に、本国寺党のシンボル的存在として水戸からまだ10代前半の昭武を連れて来てたから。
181の言うように、天狗党上洛による捕縛戦にも昭武を同行してるな。
・・・五代友厚と万国博で激突してたのか?知らなかったが。
渋沢は幕末ではまだまだ慶喜とは距離あるだろ。すでに崇拝感情は芽生えてるにせよ、幕末の慶喜の傍にいたのは、やっぱり平岡だったり原だったり、だから。
ほんと、なんであんなに仲良いんだろうな。そもそも昭武がどういう人柄なのかあまり知らん。

184: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/05(火) 10:10:19.64 ID:Nn3KWDLD0
昭武がどういう人柄なのか俺も知らないから、知りたいな。
やっぱり慶喜とかに比べると史料が少ないからなー

186: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/06(水) 04:51:48.74 ID:qnFSSA0GO
>>184
パリに同行した人の感想で素直で聡明だったというような話があったかと。
主君だからいくらか太鼓叩いたとしても、まあエエとこのエエ坊っちゃんタイプであれこれ画策する人物ではなさそう。

188: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/11(月) 10:33:48.90 ID:AlgOkb8Y0
>>186
そうなのか。
なんかの本で慶喜に似て聡明って読んだことはあったけど、慶喜と性格が似てるって訳じゃないのな

189: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/11(月) 13:33:23.63 ID:Ck2n4cqA0
慶喜と性格が似てるのは大久保とかそっちだな
どっちも近代日本の生みの親なのに嫌われてるのは勝西郷みたいにわかりやすい性格じゃないから

192: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/12(火) 04:04:42.16 ID:Em+Bx14/0
>>189
いやいや、勝西郷はかなーり複雑な性格だと思うよ。
反対に自分は大久保のほうが理解しやすい、と感じてる。少なくとも三傑のなかでは一番理解しやすいんじゃないかと。

190: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/11(月) 14:11:49.34 ID:ft3K//gAO
慶喜と大久保似てるかなあ、慶喜はあんな粘りというかしつこくないだろう
明治政府なら井上馨が慶喜に近そうなイメージ。
まあ、旧幕臣いわく井上は小栗に似てるそうだからちょっと違うかもしれないけど。

192: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/12(火) 04:04:42.16 ID:Em+Bx14/0
>>190
うえええ、井上!? いや井上好きなんだけど。
慶喜と大久保似てない、ってのには同意。
なんつか、権力欲、権力を欲する過程で生ずる異様な執念・執着が決定的に違うかと。
あと、大久保は冷静沈着な表に、内には燃えたぎる情熱・信念が感じられるんだが、
慶喜は・・・  良く調べてみても、「昔夢会筆記」読んで肉声(の筆記)を聞いても、
「熱」があるのかどうなのかよく分からんのだ。ほんと掴みづらい。

昭武は慶喜より喜怒哀楽を素直におもてに出すイメージがある。

191: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/11(月) 14:14:19.41 ID:b/cmW86s0
よりによってカネに汚い井上w
育ちが違いすぎる

199: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/19(火) 11:43:11.58 ID:Yv3o6gh30
慶喜は勝と似てるような気がする。
全てが似てるっていうんじゃなくて、どことなく偏屈っぽいところとか。
勝と慶喜は同属嫌悪っぽい。

200: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/19(火) 11:55:22.89 ID:++8tNxUl0
嫌悪なんてしてないでしょう。
仕事上衝突することがあったというだけで。

203: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/24(日) 17:50:37.95 ID:S6eVg3pW0
慶喜は小笠原長行の率兵上京に付き合えなかったのかな…
慶喜がついてたら、会津藩は止められなかったでしょ

204: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/26(火) 02:16:33.57 ID:5hR/EZUS0
慶喜って偏屈かね・・・?
わりと本読んできてるけど、偏屈・ひねくれてる、というイメージは無いんだよ。
偏屈とかいうとなんか小物っぽくないか?
そうじゃなくて、自分がこうと決めたことには彼なりの強い根拠(客観的に見て慶喜の行動というのは理にかなっている、合理的なのがほとんど)があって、信念という域に達している。自分の生きるスタイルを持っていると思う。

205: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/26(火) 17:56:17.95 ID:/juE8RqX0
慶喜がもうちょっと柔軟だったら、公武合体で終わっていたと思う。
神戸開港、長州征伐、どうして同時にできないのか。

218: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/05(木) 09:00:08.57 ID:IeSpvOUpO
慶喜の肉声テープ公開して欲しい

219: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/05(木) 13:55:34.05 ID:hZNStJCL0
>>218
「昔夢会筆記」の存在を知らないのか

220: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/10(火) 03:34:55.50 ID:YxsoSgdp0
いやあれは肉声の「筆記録」だから。
箔付きの美声だもんな。自分も聞いてみたい。
顔の骨格を再現すれば声も再現できる科学技術が開発されたと聞いてるが。
高くもなく低くもない、丁度良いくらいの柔らかい声だったのではと想像してる。
「昔夢会日記」の口調はとても柔らかく上品だ。

221: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/10(火) 10:22:06.54 ID:EhF3lL460
俺も肉声は聞いてみたい。
慶喜の印象を語っているものではかなりの確率で「声がいい」って書かれてるからな。
そうとう良かったんだと思う。

昔夢会の口調の上品さが凄く好きだ。

222: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/11(水) 23:03:58.98 ID:PohubI8U0
その人の性格とか生き様は年老いたときの顔に現れるっていうけど
晩年の慶喜の写真を見ると、どれも気品があって美しいね~

227: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/12(木) 21:44:39.77 ID:WzXXX+T/0
>>222
本人はフランス語とか外国語は喋れなかったかもしれないが
気品や振る舞いはパークスロッシュと当時の2大超大国の外交官から非常に高く評価されてる
慶喜と論争した幕閣老中や大名はやり過ごした井伊以外は全員論破されてるが
ディベートのように完全に理詰めで言いくるめたんだろうな

今も昔も理性より情が優先される日本人が慶喜を好きになるわけないか(笑)

239: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/18(水) 02:19:22.10 ID:iNicug8h0
>>227
ま、理(ことわり)を解する人が全人口の一割にも満たないから。それが人間。
大衆はどこの国も感情的かな、と思う。
ある歴史作家さんの言葉だけど、
「人は、味方の現実主義者よりも敵の理想主義者を愛する」
これ真理。
そして自分は理を解する人間が好きだ。
理を解しながら情も知り、その間で揺れ動きながら志を貫いていく人が。

慶喜の晩年の写真といえば、公爵位を与えられたときの大礼服姿の写真が好きだ。
あくまでも凛として気高い。なんという写真だろう、と感じたよ。


255: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/07/08(金) 22:01:06.64 ID:PSpPPWCK0
トンズラ大将

256: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/07/08(金) 22:10:16.54 ID:qzM0Z+mT0
トンズラしないで戦争続けたらどうなっていたのやら。
やっぱ外国につけ込まれ植民地コースだったのかな?

258: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/07/09(土) 13:05:36.02 ID:faDpJI720
当時の欧州情勢的に、つけ込んで勢力拡大できるほど余裕のある列強は居なかったと思う
もちろんそれを機に既得権益の伸張は図ってくるだろうけど

259: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/07/10(日) 00:24:15.40 ID:jm3BqchN0
慶喜が大政奉還して恭順したから、戊辰戦争はあの程度で済んで、日本を救ったけど
佐幕側としては腰抜けの裏切り者なんだろうな。

第二次大戦でもマリアナ沖海戦で勝負は決したのだから、慶喜のように自らを捨てて
敗戦工作をする勇気あるリーダーがいたら、随分日本の被害も少なかっただろうな。
残念ながら1944年の日本には、慶喜のように後世裏切り者の汚名を着る覚悟のある
勇気あるリーダーはいなかった。

260: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/07/10(日) 00:32:09.25 ID:cuOfl4mi0
大政奉還の頃はまだやる気満々だよ。
返されてたら自分たちじゃ何もできないからどうせ困るだろと思っていた。
幕府軍が弱いことを鳥羽伏見で思い知って恭順することにした。
まあ江戸が戦火をまぬがれて本当に良かった。

262: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/07/12(火) 21:23:01.75 ID:sohNAUWx0
辞官納地を突きつけられて、二条城から大阪城に引いた段階で、すでに慶喜にやる気はない。
やる気あるなら二条城にいる。京都から離れた時点で、薩摩に敗北した事を悟っている。
天皇を薩摩側に獲られる事は分りきっているんだから、京都を出た段階で
尊王の慶喜は戦えない。

263: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/07/12(火) 22:16:46.55 ID:htM6X9g70
京ではまだ土佐と越前が頑張ってたやん?
それに、二条城は堅固な城って訳でもないからなぁ。むしろ柔い部類。
準備不十分なうちになし崩しに開戦するよりは、堅固で交通の要衝である大阪に下って政治的な成果を待ちつつ軍を整え仕切りなおすって選択肢も十分ありだと思うが。
むしろ、会津や桑名は兎も角、それ単体でも新政府軍に数で勝る幕府陸軍の精鋭が負ける可能性を考えてなかったんじゃね?w
まぁ何にせよ、政治工作の成果の是非も見えないっつかむしろ有利に進んでた時に開戦したのは慶喜の本意ではなかったと思うが。

265: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/07/13(水) 17:50:35.84 ID:ppPxcMs+0
>>263
>京ではまだ土佐と越前が頑張ってたやん?

幕軍が大阪に後退しているのに、土佐と越前に何が出来るのか?
せいぜい徳川家存続の道を探るぐらい。

>それに、二条城は堅固な城って訳でもないからなぁ

それを言うなら薩摩藩邸なんて何の防御力もない。二条城なら堀も壁もありはるかに上回る防御力。そして二条城は御所の目の前にあるという立地が最大の武器。幕軍が二条城にいる限り薩摩も簡単に天皇を擁して新政府を作ることはできない。
慶喜が大阪に引いた段階で負けを悟っていた

310: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/08/11(木) 21:00:06.77 ID:pCofB9y10
慶喜=昭和天皇
明治天皇=合衆国大統領
内戦がすぐ終わり江戸が燃えなかった明治≠日本全土が焼け野原になった昭和

トップが1人で泥を飲んだので被害を最小限に食い止められたのが明治維新
輔弼だのなんだので無能な取り巻きしかいなかった軍部と幕府高官はそっくりだが振り回されるのは頂点に生まれついたものと下々の連中ばかり
慶喜と昭和天皇の2人とも敗北から名誉の復権が生きてるうちになされたのは良かった

346: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/14(金) 14:13:50.91 ID:ZuSq7aRx0
慶喜はもっと世間的にも評価されてもいいと思うだけどな・・・

347: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/14(金) 23:22:11.49 ID:OIwp3BQi0
>>346
まぁ、大阪城を逃げ出した時のみっともなさの印象があまりにも凄まじくって、政治的力量によってそれまでに積み上げていたプラスのポイントを全て帳消しにしてしまったから・・・

348: 忍法帖【Lv=14,xxxPT】 2011/10/14(金) 23:59:39.26 ID:rQo1Ino50
旧体制の象徴だからだろ

349: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/15(土) 19:04:32.87 ID:7iFwrBnsP
幕内では改革派だったのにな。

350: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/16(日) 01:41:14.44 ID:SApfssfw0
新政府側から見たら、割と評価高くなるんじゃないか?江戸城無血開城だし。
慶喜を外務卿にしようぜって話もあったようなかったような。

351: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/17(月) 22:24:30.47 ID:dRaenf6t0
新政府も評価しているからこそ公爵を与えたんだろう

352: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/18(火) 22:42:15.75 ID:eNqTNDWQO
慶喜は、日本の内戦を早く切り上げたのは、大変評価出来るでしょ(狙ってやったのかは、わからんがw)
ただ、戦争無しで、新政府に徳川が加わる事が出来たら、かなりよかった。

353: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/23(日) 18:08:02.73 ID:S2BacBll0
日本史上で、権力を持っていながら平和的な委譲を行ったのは彼が初。

354: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/25(火) 14:10:27.16 ID:2dWyU1S20
慶喜は身内(味方)から評価悪くて、敵からは評価高いよな。

356: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/25(火) 20:33:50.83 ID:uDYV1mYX0
禁裏守衛時代の慶喜は幕閣から長州と通じているのではと疑われていた。

357: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/27(木) 08:59:01.51 ID:uchgXwjz0
>>356
ほんと味方から疑われてんのな。
幕閣連中がもう少し慶喜のこと信頼してたらまた違ったかもしれんのに。
と思えてならない。

358: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/27(木) 09:56:45.46 ID:EDHyfpVr0
>>357
>ほんと味方から疑われてんのな。

これに関しては、本人の問題と環境の問題のどっちが大きいのか解らんからなぁ。

オヤジの斉昭が幕閣や大奥から嫌われていたし、水戸の天狗党の連中も「慶喜様なら俺たちの気持ちを解ってくれるはずだ」っつって、あちこちで争乱を巻き起こしながら慶喜のところに向かってくるなんつーことをしでかしてくれたから。

359: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/28(金) 09:40:01.16 ID:nE9fYde/0
>>358
本人の問題と環境の問題、両方良い具合に交じり合ってそうなったんだろうと思う。

360: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/30(日) 16:36:35.68 ID:aV9ycLUw0
実家も水戸藩は内粉ばかりなだけでなく、どこよりも幕府の足を引っ張りまくりだし、家臣にも恵まれず、個人の力だけではどうしょうもない。

361: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/31(月) 09:01:42.43 ID:HSu+usJi0
水戸藩は慶喜の考えと正反対の方向に突き進んでるもんなぁ・・・

362: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/01(火) 23:30:22.39 ID:LJzN7R6Y0
城を明け渡す時って、城の中の人や、一般人はどんな気持ちだったのかね??

363: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/02(水) 20:31:49.30 ID:+0kugaLh0
篤姫あたりは、「何で薩摩如きの田舎者に渡す必要があるのだ、徳川が永久不変の天下人なのだ」と憤懣やるせなかった。それで輪王寺宮の側近や仙台藩に、反薩摩で武力蜂起するように呼びかけている。

でもその篤姫が、薩摩なんだけどね。

370: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/24(木) 15:38:09.30 ID:ikn97hWy0
>>363
高祖父に天皇と摂政関白藤氏長者、10代前に源氏長者家康の血が入ってる慶喜と比べたら篤姫なんてはるかに卑しい出自だからなあ
こいつとか幕臣みたいな何の能力もない連中が幕府に縋ったのも分かるわ

374: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/11(日) 16:58:33.61 ID:x4dANd/N0
近代史という視点から見ると、自転車に乗って、写真を撮っていたら、公爵になっちゃったひと

375: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/11(日) 19:26:32.95 ID:mcCGx0HA0
>>374
静岡から上京して明治天皇と皇后に拝謁し、受爵するまではけっこう長かった。

380: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/29(木) 18:50:52.87 ID:PFuOlo5c0
せめて大阪城で「俺の首と引き換えに部下の罪は問わないでくれ」
ってやればよかったんだけどねえ・・・。
386: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/02(月) 17:45:34.50 ID:ieqpLNPSP
上で身内から嫌われていたと書かれているけど、慶喜は、鳥羽伏見の戦いの前に新政府から排除されることが決まらなければ、新政府において幕府方をバンバン切り捨てたんじゃないだろうか。そのくらいドライな人だったと思う。
明治維新が軟着陸した理由の一つだったと思う。

387: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/02(月) 19:16:13.51 ID:rUh8uHtL0
慶喜は水戸や薩摩らいわゆる旧一橋派の傀儡としてのみ利用価値があったんだけど、なまじ頭が切れるだけに主導権を握ろうとして、最大の庇護者であるはずの薩摩の造反に合い失敗した。

それにしても、この時期の薩摩の政治力は圧巻だな。
慶喜有利に傾いていた政局を巻き返し、大政奉還も抱き込んで結局は志を貫徹させている。

引用元: ・徳川慶喜を語ろう