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3: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/17(土) 03:41:49.91 ID:BaBAQisY0
西郷隆盛曰く「あれはジゴロだ」

4: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/18(日) 17:31:44.64 ID:J8sIAkfh0
西郷とは合わなかった

6: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/23(金) 03:02:15.82 ID:bD/iK4Cd0
この人明治になっても存在感抜群
政治性は希薄だが要所(廃藩置県、西南戦争)での行動で実証される
取り巻きに影響されず兄の斉彬とも親密だった

9: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/05(日) 01:03:32.95 ID:rH+Nb3tq0
まぁ倒幕達成後は西郷にも大久保にもウザがられてたけどな
始末に困り切ってた

10: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/07(火) 07:02:48.43 ID:QXQSgM7N0
ところで、島津幕府はいつになったら出来るのだ?

11: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/19(日) 11:11:32.20 ID:Ze1hmIv40
兄が偉大すぎた

26: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/15(日) 14:33:13.70 ID:YOOeu+yA0
斉彬の病死はタイミング良すぎ

17: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/21(火) 02:50:07.25 ID:O5I3Ckzm0
この人明治政府で左大臣になったが守旧的な建白書を出したりして政府の中では浮いていた
たぶん分かってて不平士族の不満のガス抜きのために行動したのでは?
自ら緩衝材に甘んじる事を選んだのでは?

本心は分からないが現実に改革の進行にブレーキをかけた事は無い


27: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/15(日) 21:28:48.60 ID:YZo/0zBG0
部屋住みだったくせに、左大臣とか公爵とか分不相応だろ

40: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/06/04(木) 15:11:19.67 ID:28WwL5ru0
幕末屈指の重要人物なのに、全く価値を認められてない人物だな。
薩摩藩の政策はほぼ久光が抑えてたと言っても過言じゃないのに。

西郷吉之助ですら2度目の遠島の後は久光に対して逆らわなくなってる。
文久から慶応3年中盤までは間違いなく久光の路線の範囲内で薩摩藩指導者は行動してるよ

51: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/21(木) 01:50:56.05 ID:Xdie32bl0
>>40
久光も十分認められているでしょ。
西郷と大久保がその後の日本史を決定づける想定外の革命をやったたために目立たなくなっているだけで
55: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/27(水) 18:05:55.37 ID:jX1B2WLq0
島津の家臣連中は野郎同士も「お盛ん」だった様子だから 
単に西郷は「俺は斉彬様のモノ」という感覚で久光のお誘いには乗らなかったのだろう

56: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/07/28(木) 23:22:18.43 ID:LlCPZ0EL0
>>55 
西郷どんはいつも薩摩訛りで武家言葉も話せない久光の事を田舎者だと侮蔑していた 
なお鹿児島弁では地五郎という意味でジゴロと言う

28: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/06/04(月) 23:41:09.27 ID:LEYXK5nD0
花火好き

43: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/06/21(火) 18:23:54.14 ID:Qp+Sxsbn0
久光が廃藩置県の時に一晩中花火を打ち上げたのは腹いせだと言われているが実は鹿児島城下にある火薬を全部使い切って不平分子の暴走を防ぐのが裏の狙いだったんじゃないかと密かに思っている


60: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/08/05(金) 18:34:40.28 ID:lpT0Jcor0
時代が違えば天下取れてたかもな

67: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/02/01(木) 14:59:17.16 ID:J37+8aE00
島津久光は維新後も封建制度にこだわってたらしいけど自分やその子供や孫をショーグンにしたかったのかな
もし新政府の中枢の人物が不慮の事故や病気、暗殺などで多くが死んで久光が主導権を握ってたら明治維新はどうなってたのかな

68: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/02/02(金) 20:21:23.48 ID:ae6DTyxD0
生涯髷を落とさなかったって聞いたけど、そんな人がよく西郷や大久保を重用したな。

74: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/03/14(水) 14:59:44.70 ID:uXM0S+bB0
島津久光よりも、兄、島津斉彬が有能だわ。
兄は亡くなる前にN02(新家老職)を決めておいて、お由良騒動後に家老職を設置させてる。そのまたN02が優秀なんだわ....(^-^;)
このN02の資料は本当に少ないけど根性入れて調べたら判るよ 
薩摩の情報隠蔽術は鉄壁だったんだなーと思える事が判って頂けます。

75: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/03/19(月) 03:05:43.68 ID:JVJ69Yeq0
むしろ斉彬は虚名先行という感じしかしない
門閥体制の打破という点では全く手つかず
対井伊政権でも京都工作に手を付けた割に途中で腰砕け
通商政策も結局は認めたし何のための反幕行動か分からない

いわゆる幕末薩摩藩を築いたのはやはり久光の手腕

77: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/03/21(水) 13:53:20.85 ID:uG0TLHb+0
んだからある意味弟子の西郷よろしく斉彬も「壊し屋」だったのよwと
素性を理解していたから親父が警戒していた

78: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/03/21(水) 16:10:52.03 ID:m/XAeeTt0
斉彬は門閥体制に手をつけてないからな。
やったことはモデル事業を起こしたこと、直接登用の役職に藩士を登用したこと
だから没後に斉興体制の復活を許している

ちょうど事業仕分け以外に見るところのなかった某政権みたいなもんだね
パフォーマンスには長けていたが政治的な目的は独力で達成したことのない人だよ

79: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/03/21(水) 16:13:13.90 ID:m/XAeeTt0
斉彬の襲封もお家騒動が直接の原因ではないし、昔は過大評価だったんだなあって感じだね

76: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/03/21(水) 13:46:47.28 ID:wCXS8VTF0
で、わしはいつ将軍になれるのだ?
174: 日本@名無史さん 2005/07/25(月) 22:21:01
公爵に島津から2家は多すぎ。国父とかいって 
久光がいばってる。生麦事件反省しろ。

175: 日本@名無史さん 2005/07/25(月) 23:21:45
久光は大名ですらないのにな。 
でも無位無官で勅使の護衛名目で江戸に来て、復路に生麦事件。

260: 日本@名無史さん 2005/10/08(土) 23:11:27
賢侯斉彬はコロリか赤痢で死んだとされているが暗殺説も有力。 
斉彬の子供達も一人残らず「病死」というのも不可解 
お由羅-久光派の陰謀?? 
賢侯の死後実権を握ったのは「ジゴロ」 
西郷が久光を嫌っていたのは久光の狭量さだけでなくお由羅-久光派が斉彬とその子供達を暗殺したと信じていたからか? 

261: 日本@名無史さん 2005/10/09(日) 11:23:20
嫌っていたのは久光公のほうだろ

262: 日本@名無史さん 2005/10/09(日) 21:34:11
斉彬の子、典姫はわりと長生きしたよ。明治39年没。 

263: 日本@名無史さん 2005/10/09(日) 23:06:07
斉彬の子供達も一人残らず「病死」というのも不可解 
     ↓ 
斉彬の男児も一人残らず「病死」というのも不可解 

西郷が斉彬に仕えていたとき 
お由羅を「奸女!!」と罵ってたと言われてるが 
久光は「ジゴロ!!」

429: 日本@名無史さん 2005/12/26(月) 01:57:33
島津久光の実母・お由羅の方は「お由羅騒動」の後どうなったんでしょうか。 
騒動の黒幕という話しもある割に、その後の処罰なはネットで検索した限りでは分かりませんでした。 
また、お由羅騒動などが書いてある一般向けの本をみても、お由羅の方のその後について触れている物はみあたらなかったので・・・

431: 日本@名無史さん 2005/12/31(土) 13:20:20
慶応年間まで生きてたはず>お由羅

483: 日本@名無史さん 2006/03/14(火) 03:38:12
久光は斉彬と敵対してたわけじゃない。寧ろ積極的に兄の事績を踏襲してるし。 
お由羅派の黒幕は斉興しょ。賢候と呼ばれた斉彬も史料見ると結構策動してる。 
急死したのは確かだが年齢考えれば普通に死んでもおかしくない歳。 

622: 日本@名無史さん 2006/08/07(月) 06:43:27
明治の徹底的な廃仏毀釈のせいで重要な古文書や貴重な歴史資料が仏寺から消失または散逸したのが痛い 
この点において文化財の破壊具合は他府県の比ではないくらいに多い 

率先して法令遂行するにしても島津氏の菩提寺までぶっ壊す徹底ぶりはどうなのよ

623: 日本@名無史さん 2006/08/08(火) 11:10:33
>>622 
これとても不思議です。島津久光ってとても保守的な人物だったんでしょう? 
なぜよりによって薩摩でこんなことになったのですか? 

625: 日本@名無史さん 2006/08/24(木) 17:35:14
何か隠された目的でもあったんじゃないか? 
勘ぐりたくもなるなw

630: 日本@名無史さん 2006/08/31(木) 23:50:34
薩摩の廃仏毀釈はね、複合的な要因があるのよね 
久光にしても茂久にしてももう関与しねーよ状態だったし 
知識のある上級士族の東京流出も大きく響いた 

知っての通り薩摩では庶民の信仰する一向宗は幕末まで弾圧されてた 
薩摩地方には隠れ念仏と呼ばれるものが各地にある 

島津氏の菩提寺である福昌寺を始め日新寺とか坊津の一乗院やら 
徹底的にぶっ壊されたこれらの寺は曹洞宗やらの宗派が多い 

廃仏毀釈の後は民衆支持が基盤の浄土真宗の寺がたーくさん出来た 
今じゃ鹿児島のお寺の9割ぐらいは東西本願寺の浄土真宗 

で、下級士族と民衆が率先して寺ぶっ壊して回ったわけだが 
伝来・保管してあった史料価値なぞ分かるわけも無く 
商家に安くで売り渡して私腹肥やしたりタダで配ったりしたそうだ

776: 日本@名無史さん 2007/09/02(日) 01:00:08
斉興は斉彬の生母周子(弥姫)が池田治道の正室育姫(伊達重村の娘)の所生であったことにコンプレックスがあったらしい。自身の生母、お八百は身分が低かったから。 
それもあってお由羅の産んだ久光を溺愛した 
生母の身分が高いことも場合によっては不幸だね

778: 日本@名無史さん 2007/09/02(日) 14:17:11
斉興は、江戸で育ちお国言葉を話せない斉彬よりも手元で育てた久光の方が単純に可愛かったからじゃねーの

779: 日本@名無史さん 2007/09/02(日) 16:49:32
>>778 
でも斉興も参勤交代してるから、斉彬と久光(忠教)を1年交代に眺めてたはずなんだがなぁ。 

780: 日本@名無史さん 2007/09/03(月) 16:18:26
遅レスだが重豪が幕末の布石を打っていたと言えなくもないな 
アクセル(開明浪費路線)もブレーキ(その後の財政再建路線)も利かせすぎで、後世の内紛の種も蒔いたわけだがね

781: 日本@名無史さん 2007/09/03(月) 22:51:12
>>780 
重豪がああいう幕末を理想としていたとは思えないんだが、結果としてそういうことになりましたね 
ともかく金の使い方から女遊びまで文字通りのゴージャスなオヤジだから>重豪 

820: 日本@名無史さん 2007/11/23(金) 21:07:12
島津斉彬の死因が父斉興の指示により家老島津豊後久宝の手の者による毒殺との話がありますが、どうなんでしょうか?確か当時、公式にはコレラとかだったと思いますが、伝染病で一人しか死なないのも変だし。

821: 日本@名無史さん 2007/11/25(日) 12:42:18
>>820 
斉彬は確か火葬のはずなので今となっては遺骨を発掘しても推測不能としか 

ただ、斉彬の周辺は(斉興・久光サイドにとっては)タイミング良く人が死んでいってるんだよな 
斉彬の男子は全員夭折 
斉彬の正室(一橋家出身)は斉彬の死後わずか2ヶ月で江戸にて死去 
唯一成人した3人の女子も忠義に嫁いだ娘2人は出産と同時に子供と同時に死去 
分家の珍彦に嫁いだ典姫のみ無事生涯全う 
結果、島津本宗家から斉彬の血統は抹消された・・・ 

久光の子供はほとんど夭折してないことと考え合わすと 
何か陰謀があったと考えられても不思議ではない状況

引用元: ・薩摩島津家について

引用元: ・島津久光



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