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1: 日本@名無史さん 05/02/15 16:33:01
語ろうと思ったけど、やめた。








12: 日本@名無史さん 05/03/10 21:34:22
もともとは歌人の家の出
島津家始祖の忠久の父の惟宗広言は後白河院に今様の名人として近仕した
私撰集『言葉集』を編纂。家集『惟宗広言集』がある。
千載集初出(5首)。勅撰集には計6首入集。

16: 日本@名無史さん 05/03/18 22:15:21
確かに広言みたいな文人の子ではしっくりこないな。通字も違うし。

22: 日本@名無史さん 05/03/18 23:26:47
>>15-16
確かに通字の問題から島津忠久の実父は惟宗広言ではないと言う説も有力です。
九州の別の武将で惟宗広言を先祖とする一族がおり、鎌倉時代にはお互いの系図が偽書だと言いあい、既に争論になっております。

と言うのをどこかの論文で読んだ(w

23: 日本@名無史さん 05/03/20 14:25:37
>>22
>鎌倉時代にはお互いの系図が偽書だと言いあい、既に争論になっております。

島津家では忠久は頼朝のご落胤で惟宗広言は養父になっているのでそういう論争は起こり得ないのではないの?

25: 日本@名無史さん 05/03/20 19:51:56
>>23
今私たちが見る島津の系図は色々伝えられてきたものを寛永年間に徳川幕府の命令で提出するときに編集したものが元になっているからね。

鎌倉時代の島津の系図は今私たちが見る物とは一寸違う可能性有。

26: 日本@名無史さん 2005/03/26(土) 00:16:40
>>23
>島津家では忠久は頼朝のご落胤で惟宗広言は養父になっているので
>そういう論争は起こり得ないのではないの?

頼朝落胤説が出てくるのは15世紀以降。
>>22 が言っている争論は、13世紀(鎌倉時代中期)の話し。

17: 日本@名無史さん 05/03/18 22:19:28
島津といえば義弘をイメージするから勇ましく感じるのだろうけど
島津家歴代すべてが勇ましかったのか?というと
よく知らないが、たぶん勇ましくなかった人もいたんじゃないの?

54: 日本@名無史さん 2005/04/21(木) 01:24:44
>>17
島津と言えば田舎武士、勇猛というイメージがあるが実際は地方の名家なんてのは武田とかもそうだが地方貴族的な側面もあり文化に憧れていた。
良く今川義元をお歯黒ダヌキとか文弱に流れたなんてこんにちでは言われてるが地方の名門武士はみんなそんなものだった。和歌を習い、茶道を楽しみ、貴族ふうの格好をし、合戦の時も高貴な格好でのぞんだ。
島津家久は合戦の時はお歯黒を欠かさなかったというが、他の者たちもそんなもんだろうね。

19: 日本@名無史さん 05/03/18 22:25:39
戦国時代の島津義久は古今伝授を受けた秀でた歌人だし島津義弘もよく和歌を詠んでいたそうだから目立たないけれど島津家には歌人としての伝統が流れているような感じがする

古今伝授(こきんでんじゅ)または古今伝受とは、勅撰和歌集である古今和歌集の解釈を、秘伝として師から弟子に伝えたもの。狭義では東常縁から宗祇に伝えられ、以降相伝されたものを指す。



29: 日本@名無史さん 2005/04/16(土) 15:11:36
島津忠義の娘は美人が多いだけではなく長生きも多い。
六女貞子96歳、十女為子92歳等。

島津 忠義(しまづ ただよし)は、幕末から明治時代の大名、華族。薩摩藩の第12代(最後)の藩主で、島津氏第29代当主。


31: 日本@名無史さん 2005/04/16(土) 16:28:19
>>29
へぇ
ところで忠義氏の正室氏(二人とも斉彬の娘だったと思うが)は次々と夭折したと記憶してるのだが
となるとこの娘さん達はいわゆる側室との間の子と言うことになるの?

43: 日本@名無史さん 2005/04/18(月) 17:36:36
>>31
はい。忠義の正室の産んだ子は死にました。なので成人された方は皆側室腹だと思います。

48: 日本@名無史さん 2005/04/20(水) 19:06:45
良子皇太后が長生きだったのは島津の血のおかげ?

香淳皇后(こうじゅんこうごう、1903年(明治36年)3月6日 - 2000年(平成12年)6月16日)は、昭和天皇の皇后。歴代皇后の中で最長寿である(満97歳没)。久邇宮邦彦王の第一女子。母は12代薩摩藩主公爵島津忠義の七女俔子


50: 日本@名無史さん 2005/04/20(水) 21:21:05
長生きの家系かどうかと言うと短命な藩主もいる罠 
確か宝暦治水を命じられたときの藩主(重豪の伯父と父だったか)は2代に渡って20代の若さで死んでたかと 
しかし他藩と比べると一度も他家から養子を迎えたことが無く、強靱な血脈を護ってるのは確か。

51: 日本@名無史さん 2005/04/20(水) 21:23:34
重豪はもの凄い長生きだけど。
111: 日本@名無史さん 2005/06/25(土) 15:45:08
島津忠義の子は誰と誰が同腹なんだろうか。

112: 日本@名無史さん 2005/06/25(土) 22:21:53
>>111 
漏れも知りたい 
これはさすがに霞会館の例の本にも載ってなさそ。

113: 日本@名無史さん 2005/06/28(火) 18:57:22
俔子(1879生)、正子、忠重(1886生)の生母は寿満さんのはず。

115: 日本@名無史さん 2005/06/28(火) 21:08:43
>>113 
㌧楠 
寿満さんの出身は何家なのでしょうか? 
ぐぐっても分からなかったので、教えてチャンでスマソ・・・

117: 日本@名無史さん 2005/06/28(火) 23:31:07
黒田清子(実質長女、明治4年生)から4男忠重(実質長男、明治19年生)まで1男7女はみな続けて寿満子一人。 
跡取りを産んで、やっとお役御免になったみたい。 

忠重弟忠備以降の生母が一人かどうかは知らない。 
寿満子の子は、みんな美形ぞろいだね。 
特に忠重は眉目秀麗という言葉がぴったりだ。

118: 日本@名無史さん 2005/06/29(水) 11:50:21
>>117 
久邇宮妃倶子妃は「・・・」な写真しか見たこと無いんだが(汗 
ちなみにドイツに行ったときに梨本宮伊都子妃達と並んで撮った写真。 

忠重さんはこんな写真しか転がってなかったw 

no title

120: 日本@名無史さん 2005/06/29(水) 17:56:51
>>118 
常子妃に似ていますね。

119: 日本@名無史さん 2005/06/29(水) 17:53:11
>>117 
9女徳川正子さんは?

126: 日本@名無史さん 2005/06/30(木) 22:28:41
>>119 
正子さんは、須磨子さん腹の最後の女子。

128: 日本@名無史さん 2005/07/01(金) 18:44:46
黒田清子さんから久邇俔子さんまで8年間で7人の娘が生まれている。 
寿満子さんは多産であると同時に女腹なんだな。 
そしてその子孫同士で結婚する人もいる。

130: 日本@名無史さん 2005/07/01(金) 22:28:34
>>128 
戦国時代から島津は同族内結婚が多いからね。 

ところで寿満子さんって何家のご出身? 
『平成華族家系集成』?には載ってなかった。

131: 日本@名無史さん 2005/07/02(土) 13:19:44
島津斉彬の娘寧姫は明治12年に忠寶という子を産んでいるが(漢字あってる?)忠寶が成人したら島津家を継いでいたと思う。 
暐姫は明治2年に房という娘を産んだらしいが暐姫も寧姫も出産で死んでいる。
132: 日本@名無史さん 2005/07/02(土) 13:24:38
忠義次女充子は産後4ヶ月で池田詮政と離縁してるのはなぜ?あと出戻り後の充子がどうなったか知りたい。

137: 日本@名無史さん 2005/07/02(土) 17:47:23
>>132 
『平成新修旧華族家系集成』によれば年度は分からないが松平直亮(元松江藩)と再婚している。

138: 日本@名無史さん 2005/07/04(月) 19:32:26
>>137 
松平直亮の妻は島津允子となっていたが充子の間違い?

139: 日本@名無史さん 2005/07/04(月) 23:27:30
>>138 
ちょっと信用度は薄くなりますがw 
『皇族・華族古写真帖』(新人物往来社)でも島津忠義の次女の名前は「充子」となっていました。

140: 日本@名無史さん 2005/07/05(火) 19:00:24
>>139 
次女充子の写真を!

142: 日本@名無史さん 2005/07/05(火) 19:57:57
>>140 
もってねーよw 
期待に添えなくてすまんな 

図書館でこの辺りの本を見たら載っているかも知れないのでヒントだけころがしとく 
『薩摩島津古写真集』 
『日本の肖像 旧皇族・華族秘蔵アルバム』

33: 日本@名無史さん 2005/04/17(日) 13:53:39
道南に島津姓が多いね。 なんで?

34: 日本@名無史さん 2005/04/17(日) 14:58:21
>>33
移住した

55: 日本@名無史さん 2005/04/21(木) 01:32:52
>>33
明治の名字令の時にたくさんの昭和新姓が生まれた。
薩摩のある村では全員が「島津」という名字が良いと希望し全員島津姓になったという。
そんなふうに島津家とは縁もゆかりもない連中が島津姓にあこがれたり何か良い事あるのではないかと島津を名乗った連中もたくさんいる。

少し関係ないが、政府が武田家嫡流を認定しようとしたさい、多数の「わが家こそは」という立候補がありその中には単に名字が「武田」というだけの連中もたくさん応募していたとか。

61: 日本@名無史さん 2005/04/21(木) 23:29:23
>>55
> 薩摩のある村では全員が「島津」という名字が良いと希望し全員島津姓になったという
この部分のソース教えてくれ。

殿様の姓を取るなんて封建的な鹿児島では考えられんが。
以前鹿児島に住んでて何人か島津姓の人と会ったことあるが、皆旧藩主一族の人だった。

鹿児島の新姓の話だと、薩摩半島に鰻温泉というところがあるのだが、そこら辺の住人が皆苗字を鰻にしたという話は聞いたことがある。
ただ、あまりにおかしいということで後で改姓した家が多かったらしいが。
一応今でも鰻姓は少しだがいる。

鹿児島は士族の苗字があまりバラエティに富んでないので苗字で旧身分が分かることがあるんだよね・・・

78: 日本@名無史さん 2005/04/28(木) 23:38:30
俺は>>55ではないが俺も確かそういう話しは「戦国ものしり事典」みたいな一般向けにおもしろおかしく書かれた本で読んだ事はある。
ただ薩摩とは書かれてなかったかも。

35: 日本@名無史さん 2005/04/17(日) 15:06:18
何で移住したんだろ?
とうほぐの藩のような事情はないはずだが

36: 日本@名無史さん 2005/04/17(日) 17:05:24
>>35
開拓使に関係あるんじゃないの?

41: 日本@名無史さん 2005/04/18(月) 13:06:33
「島津 北海道 開拓」ググってみた。
明治に分領制とやらで北海道の開拓を、強制的に幕府から命じられたらしい。
一度は断って、二度目はその負い目から相当本気で開拓に取り組んでたみたい。


エロイ人、補足してください。

37: 日本@名無史さん 2005/04/17(日) 17:33:04
島津家って、実は朝鮮系だと聞いたことがあるが本当?

40: 日本@名無史さん 2005/04/18(月) 04:38:34
>>37
本姓惟宗なので、遡れば秦氏、すなわち新羅系。
但し、そんなん言い始めたらキリがない。田村麻呂や津軽氏や現在いる村主さんとか勝さんとかいう苗字の人とか、錦織さんとか
大友、丹波、秋月、大蔵、早良、原田、赤染、菅野、真野、三善、‥‥
赤染衛門や三善清行なんて、日本人とするのが自然。

75: 日本@名無史さん 2005/04/28(木) 22:21:25
秦氏というのは任那でしょう?

それと、惟宗氏というのは秦氏説が高いけど
実は、出自が曖昧であり、また、島津氏の初代当主の忠久の実の父親も分かっていないわけで。

76: 日本@名無史さん 2005/04/28(木) 22:22:48
あと、秦氏というのは当時の日本ではあくまでも漢系として分類されていた。

84: 日本@名無史さん 2005/04/29(金) 01:52:48
島津の先祖は古代では秦氏を自称し、藤原氏が勢力を拡大すると藤原氏を自称するようになり、武家社会になると源氏を自称して現代に至る。
つまり先祖代々そういう連中なのであれば、そもそも秦氏かどうかさえ怪しいとも言える。

92: 日本@名無史さん 2005/04/29(金) 09:31:09
古代の日本の中で、渡来人の出身選別では秦氏は漢人系(中国系)として分類されている。その分類では、任那系、百済系、新羅系などとは別待遇だった。
よって、秦氏は終始一貫、中国系とされている。

島津氏の先祖の可能性がある惟宗氏は秦氏説が高いがこれとて、確証的なことはない。
ましてや、島津氏の初代の忠久の実の父が誰か?という確証的な資料も無い。
源頼朝の落胤は嘘くさいし、後白河天皇の落胤も嘘くさい、
養父だと見られる惟宗広言は有名な文化人ではあるが、この人物との親子関係も、近年は完全に否定されている。
可能性が高いのは、惟宗忠康とかいう無名の下級貴族だが、これは単純に、この人物の名前に「忠」の字があるからという推測の域を出ない。

島津家のことで確かなのは、鎌倉初期から幕末までの800年間、終始、藤原摂家筆頭の近衛家の家臣という立場だったこと。関が原の時も、島津義弘は近衛家に助けてもらっているし、江戸時代も近衛家と島津家は婚姻関係を結び、また、島津氏は主君である近衛家に財政援助したりしている。
そもそも、島津の領国は、近衛家の元荘園であり、島津家を語る上で、近衛家の存在は絶対的なものである。

52: 日本@名無史さん 2005/04/20(水) 22:05:22
義久、義弘の祖父である日新の肖像は漫画みたいだが、誰も怒らなかったのだろうか?
Shimazu_Tadayoshi(16th)

53: 日本@名無史さん 2005/04/21(木) 00:29:05
>>52
し~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ
あれは見なかったことにするのよ!(w

68: 日本@名無史さん 2005/04/23(土) 10:53:51
NHKの女子アナ、島津有理子は埼玉生まれだけど薩摩と関係あるのかな
島津だったら家紋はやっぱり○に+なんだろうか?

69: 日本@名無史さん 2005/04/23(土) 11:40:51
>>68
明治維新以降、鹿児島から関東に移住した島津一族は多い。
但し、後北条氏に仕えていた島津氏もいたらしいんだよね。
上杉に仕えていた信濃在住島津氏(薩摩島津氏の遠い親戚)もいるし。

97: 分家 2005/05/09(月) 00:08:47
島津家の第10代から12代ぐらいのことを関東地方で良く知ることが出来る方法って何かありますか?

国会図書館で古文書を漁るしかないのでしょうか?
できたら、兄弟や分家などを調べられればと思っています。

98: 日本@名無史さん 2005/05/09(月) 00:35:09
>>97
とりあえず国立図書館逝って『島津氏正統系図』見るところからかな
あと『寛政重修御家譜』の島津氏の系図は見ました?これはちょっと大きい図書館にはあると思うけど



159: 日本@名無史さん 2005/07/13(水) 12:11:21
ちょっと前から気になっていたんだが、
ノーベル賞受賞した田中さんのいる島津製作所(京都)と、大名の島津氏って関係あるのか?
島津家の家紋と会社の社章が同じデザインなんだが。

160: 日本@名無史さん 2005/07/13(水) 12:55:15
島津製作所

現在の『丸に十の字』の社章は薩摩の島津家の家紋に由来するが、創業者の初代島津源蔵は京都の出身である。大名の島津家とは血縁がないが、創業者の祖先である井上惣兵衛尉茂一が島津義弘から家紋と「島津」の姓を与えられた。そのときの経緯は以下の通り。

薩摩の島津義弘が、京都の伏見から帰国の途上に、豊臣秀吉から与えられた播州姫路の領地に立ち寄った。その際、そこに住んでいた井上惣兵衛尉茂一は領地の検分などの世話をした。それに対する褒美として“島津”の姓と“丸に十の字(くつわ)の家紋”をもらった。ちなみに、十字の線の太さは目の錯覚を考慮に入れ、丸の線の1.1倍と定められている。

162: 159 2005/07/15(金) 15:32:13
>>160
薩摩島津氏と血縁関係は無いけど、関わりがあったと言う事ですね。

163: 日本@名無史さん 2005/07/15(金) 17:11:03
>>159=>>162
島津氏側には記録がないので、島津源蔵(島津製作所創設者)家側の一方的な言い分かも知れない
但し、島津氏は一時期豊臣秀吉から播磨に1万石の飛び地をもらっていたこと、
また、播磨に島津氏の分家がいたこと(赤松氏の配下だったらしい)は事実。

161: 日本@名無史さん 2005/07/15(金) 11:26:49
近衛家つながりで津軽氏との関係も深いの?
ほぼ最北端と最南端。

163: 日本@名無史さん 2005/07/15(金) 17:11:03
>>161
江戸時代には島津氏、津軽氏の間に深い交流があった形跡が伺えない
島津氏が津軽氏から正室をもらったこともないし
逆に津軽氏が島津氏から正室をもらったこともない。

164: 日本@名無史さん 2005/07/15(金) 21:39:29
八戸藩2万石には島津重豪の息子が養子で入っているね
九代藩主南部信順がその人
そういう島津との縁で、奥羽越列藩同盟には結局入らなかったらしい

166: 日本@名無史さん 2005/07/25(月) 08:58:01
武田信玄、上杉謙信と呼ばれるなら、島津伯龍と呼ばれないのはなぜ?

168: 日本@名無史さん 2005/07/25(月) 12:41:30
>>166
質問の意図がよくワカラン
ちなみに天正16年以降、文書の自署署名は全て「龍伯」になっている。
友人でもあり、平安末期から関係の深かった近衛家の当時の当主・近衛前久の出家名「龍山」にあやかった物かも知れないが、命名の由来を明記した史料はなく、詳細は不明。

169: 日本@名無史さん 2005/07/25(月) 14:51:42
>>168
平安末期に近衛家はまだ無いと思うが。
島津家系図が源頼朝から始まるわけだし。

170: 日本@名無史さん 2005/07/25(月) 15:34:07
細かいつっこみするなあ・・・

後に近衛家となる藤原摂関家の家司であった惟宗氏の後裔が島津氏

171: 日本@名無史さん 2005/07/25(月) 20:42:21
>>168
なんで現代では、武田信玄や上杉謙信は武田晴信、上杉輝虎じゃなくって坊主名で呼ばれる事が多いのに、同じく坊主の島津義久はこいつらと違って俗名で呼ばれる事が普通なのかって疑問じゃねーの?

176: 日本@名無史さん 2005/07/25(月) 23:37:36
>>171
ああ、そういう意図だったのか。

出家して龍伯となった後は、”対外的に”島津家の当主と見られていたのは弟の義弘だったため島津”龍伯”の印象は後世の歴史家には薄かったのだろう。
実際には義久が出家した後も島津家の家臣の中では「島津家全体の当主は義久」と考えていた人の方が圧倒的に多かった。

177: 日本@名無史さん 2005/08/02(火) 20:17:21
『島津』って名前が付く人は皆、島津家に由来する人なんでしょうかね??

180: 日本@名無史さん 2005/08/02(火) 22:51:04
島津と名乗る人
1.薩摩の元藩主と親戚の一部
2.福井・長野等の元土豪の一部(1の鎌倉時代に分かれた遠い親戚)
3.1が借金する時に苗字を与えた家系(島津製作所はこれ)
4.明治以降に勝手に名乗った人

192: 日本@名無史さん 2005/09/10(土) 02:32:08
知り合いの島津さんが出張で鹿児島に行ったら大歓迎の殿様扱い・・・全然薩摩島津とは関係ないようだが。。。

184: 日本@名無史さん 2005/09/03(土) 15:52:44
義久の人物画がないとか、義弘が家督を継いだという話は、義弘の息子、家久(忠恒)が画策した事だと思う。

185: 日本@名無史さん 2005/09/03(土) 20:22:39
>>184
『島津義久』(PHP文庫)のあとがきの話だね。

義久の肖像画に関しては三戦史板のあるスレ(既にdatおち)で義久没後に高野山に義久の木像が納められた(「島津世家」という史料に出てくるらしい)が、当該寺院が何回も火災にあったため現在、木像の消息ははっきりしないらしいことが指摘されている。

義弘の”家督相続”については、確かに忠恒(家久)の工作(自分の正当性を強調するため)でしょうな。

引用元: ・薩摩島津家について




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