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1: 世界@名無史さん 03/12/02 19:40
無いからたてマスタ
東洋の玄関口として栄えた澳門や香港の歴史について語りませう








2: 世界@名無史さん 03/12/02 19:47
マカオは第二次大戦中は亡命者の玄関口になってたらしい

3: 世界@名無史さん 03/12/02 19:47
香港はもともと漁村だよね。
香港最古の黒社会を自称する新義安とて英国の租借以降の歴史。

5: 世界@名無史さん 03/12/02 19:49
明の海禁令中は澳門の貿易事情はどうだったんだ?

6: 世界@名無史さん 03/12/02 19:54
>>5
マカオの主要な貿易先は日本だった鎖国後衰退していった

53: 世界@名無史さん 04/01/15 06:35
>>6
「鉄砲を捨てた日本人」に
マカオにいたイギリス商人が当地に来た大阪商人が使い捨てにする鼻紙を持っていたり、ハンカチは別にリネンのものを持っていると、驚きをもって記録していると書いてあった。日本が主要な貿易相手だったんだね。

7: 世界@名無史さん 03/12/02 20:00
カジノ都市になったのは19世紀?20世紀?
Mrホーなるカジノ王は戦後出現したのだやね?

12: 世界@名無史さん 03/12/02 20:37
>>7
六十年代にマカオのカジノ独占権を買ったらしい 

10: 世界@名無史さん 03/12/02 20:22
香港の九龍城は香港割譲後、清朝の治外法権が認められたが清朝の衰退後、法が行き届かず無法者の巣窟になった

14: 世界@名無史さん 03/12/02 21:54
江戸幕府がポルトガル船を締め出したとき
マカオの使節が幕府に貿易再開の親書をもってきたが、入国した罪で全員斬首されたと言う話がある
詳しいこと御存じの方おられますか?

15: 世界@名無史さん 03/12/02 22:01
>>14
マカオの親書? マカオに王様なんて居たっけ?

18: 世界@名無史さん 03/12/03 00:42
>>15
総督の書簡だったかな?
そこらへん詳しく無いんだけど殺されたのは本当だと思うんだけど

290: 世界@名無史さん 2007/03/21(水) 05:19:31 0
>>14
戦国期に日本にやってきたポルトガル船は、結構襲撃されてやられてるみたい。
金目の物を狙った海賊に襲われたり、現地の大名と小競り合いになったり。
火力装備や、航洋性能は優れてたけど、湾内に停泊状態で白兵攻撃食らうとどうにもならん。
搭載されてたフランキこと西洋式火砲が、海中から引き上げられたりしてたはず。

28: 世界@名無史さん 03/12/04 17:59
マカオ大使らの処刑について詳しいサイトは見つからないね
長崎の西坂で六十名が処刑されたらしいけど


21: 世界@名無史さん 03/12/03 06:24
ポルトガルみたいな小さな国がよく三百年以上もマカオの治外法権維持できなた

22: 世界@名無史さん 03/12/03 16:29
マカオはもともとポルトガルが中国を「露骨に侵略」して奪ったというよりも、明がポルトガル人の居住を「黙認」したことから始まったのだと思う。

23: 世界@名無史さん 03/12/03 18:46
なぜマカオは香港ほど発展しなかったの?

24: 世界@名無史さん 03/12/03 19:23
>>23
マカオの近くに香港あったのが大きな要因だろうと思う
十九世紀以降マカオは衰退していく
ポルトガルと大英帝国の国力や影響力を考えた場合
香港に人が集まるのは仕方が無い

26: 世界@名無史さん 03/12/04 06:25
マカオってオランダが東アジアの制海権握ったとき何度も占領を試しみるけど
毎回、市民軍が結束して撃退するんだよね

34: 世界@名無史さん 03/12/11 11:28
マカオのポルトガル系は貴重な文化遺産だと思うけど、少数民族の一つとして文化的保護されないの?

35: 世界@名無史さん 03/12/11 12:27
マカオは知らんが、マラッカのポルトガル系住民は自分たちの伝統を守ろうとしてたな。

40: 世界@名無史さん 03/12/13 21:33
香港に住んでいた英国人とインド人は殆ど出て行ったの?

41: 世界@名無史さん 03/12/14 08:25
拠点をシンガポールに移したのは、英国系も華僑系財閥も同じ。

43: 世界@名無史さん 03/12/17 17:08
ポルトガル最後の悪あがき 返還直前のマカオをゆく
ttp://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/macau/macau01.html

50: 世界@名無史さん 03/12/28 02:30
>>43
教育より布教とはカトリックは・・・

69: 世界@名無史さん 04/05/19 15:02
一般にマカオのポルトガル系というのは、ポルトガル系白人のみをさしてるんだろうか。それとも、彼らと中国人・マレー人(モルッカ出身)・インド人(ゴア出身)といったアジア系との混血であるマカイエンサも含まれてるんだろうか。

70: 世界@名無史さん 04/06/03 20:16
混血でも、ポルトガル名の人はそうでしょ。

85: 世界@名無史さん 04/10/03 14:51:46
ポルトガル人を中国少数民族の一つにしていないようだね。
中国籍ではないからか。

98: 世界@名無史さん 04/11/03 11:00:28
文豪ヴェンセスラウ・モラエスの伝記によると、モラエスが神戸領事を務めていた当時の在日ポルトガル人はそのほとんどがマカオ出身者だったとか(モラエス自身は本土出身)

109: 世界@名無史さん 04/12/16 12:24:54
香港は漢字表記なのに、マカオはカナ表記が多くて澳門と書かないのはなぜ?

117: 世界@名無史さん 05/02/09 11:53:26 0
>>109
ホンコンは中国語の地名(香港)の現地語読み(ヒョンコン)だから漢字で書く。
マカオは中国語の地名(澳門)の現地語読み(オウムン)とは関係ないからカタカナで書く。

マカオを敢えて中国語で書くと「馬交」。
香港の三流週刊誌のヤクザ・エロ記事なんかでは、そう表記してるのもあるよ。


119: 世界@名無史さん 05/02/10 04:12:49 0
マカオという名称の由来は、港の入り口にある「媽閣」という廟だよ。
港の入り口に来たポルトガル人が、地元の漁民に「ここはどこ?」と尋ねたら「媽閣だよ」と言われて、マカオになった。

香港やマカオなど珠江河口一帯に住む「鶴ィ老人」という水上生活者や漁民はビンナン語(福建語)系の言葉を話す。
「媽閣」は北京語でma ke(マークー)、広東語でma kok(マーコッ)だがビンナン語ではma geo(マーケオ)。
だからマーケオ→マカオってことでしょうね。

マカオの俗称「媽港」「馬交」等は、ポルトガル人が「マカオ」と命名した後の呼び方だよ。
日本語の「アマカワ」は、阿媽閣(アマーケオ)からの転訛。
阿は中国南部一帯で、人に対して「~さん、ちゃん」の意味でつけるが場合によっては神様に対しても使う。日本でも関西方面じゃ「住吉さん」=住吉大社って言うのと同じノリだね。

148: 世界@名無史さん 2005/04/12(火) 16:17:13 0
『「英国は清政府に迫り1898年7月1日から九竜以北、深?河以南の新九竜及び新界地域の租借に成功した。 この地域の租借期限は99年、1997年6月30日午後12時を以って切れることになっていた。」

しかし、租借期限の九九年は本当は十九年だったのです。どこかの英国人が十におヒゲを足して九にした。』

って、真実ですか?

149: 世界@名無史さん 2005/04/12(火) 16:58:16 0
>>148は初耳です。マジですか?まぁあの頃の西洋列強は本当になんでもありだったのだが・・・
にわかには信じがたい話ですね

150: 世界@名無史さん 2005/04/12(火) 21:49:01 0
英文にもヒゲ書き加えるのか?

180: 世界@名無史さん 2005/07/07(木) 17:25:17 0
1966年の紅衛兵越境暴動事件について詳細きぼんぬ
とくにマカオ総督が広東省に降伏したあたりの

181: 世界@名無史さん 2005/07/07(木) 17:35:37 0
>>180
紅衛兵越境暴動事件は1967年の香港での話。
場所は、中国と香港で1つの町を二分して共同警備していた沙頭角地区。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/zatsu/kyodokeibi.html

1966年のマカオ暴動は、小学校の建設中止命令に反発してマカオの住民が起こした事件で中国の紅衛兵が越境して加わったわけではないよ。

183: 世界@名無史さん 2005/07/08(金) 17:34:55 0
1966年のマカオ暴動に関しては、ポルトガルが悪いな。

ポルトガルは教育に不熱心なので、マカオでは1999年の中国返還まで義務教育制度がなかった。したがって、公立の小学校なんかもほとんど存在しなかった。学校と言えばほとんどがカトリック教会が経営する私立学校ばかり。
そこでマカオの離島(タイパ島)の住民が、中国系団体の資金援助を得て小学校を建設していた。これに対してマカオ政庁が「そんな学校は認めない」と、建設中の校舎を壊してしまった。怒った島民が総督府へ抗議に押しかけたところ、警官隊が発砲して多数の死傷者が出た。そのためマカオの住民が暴動を起こしたという次第。

ポルトガルは最初の数日間は強硬姿勢を見せていたがマカオの財界団体もマカオ政庁に謝罪するよう求め広東省政府が、マカオへの水の供給や食糧の輸出をストップすると宣言するとマカオ総督は一転して降伏を決意。総督自ら珠海へ赴いて広東省政府の要求書(降伏文書)に調印した。
広東省政府の要求内容は、住民への謝罪、死傷者への賠償、関係者の処分、台湾との断交、マカオ警察が逮捕していた台湾スパイの引渡し等だったがマカオ総督は「自らが侵略的植民地主義者であると認めること」という一項目については調印を拒否。
「この文書にサインしろというなら、マカオをいますぐ中国へ返すから、引き取ってくれ」と開き直った。
北京からは「マカオの即時返還は、香港に与える動揺が大きいので回避するように」という指示があり広東省政府はこの一項目の要求については削除した。

196: 世界@名無史さん 2005/09/17(土) 10:04:31 0
ポルトガル軍は最後の時点でどのくらいの兵力を配備してたの?

197: 世界@名無史さん 2005/09/17(土) 22:09:35 0
>>196
最後の20年間は兵力ゼロ。

204: 世界@名無史さん 2005/09/24(土) 13:58:01 0
>>197
それはマカオ総督が調印した覚書(降伏文書)のせい?

205: 世界@名無史さん 2005/09/24(土) 14:06:50 0
>>204
すべての兵力をチモールとモザンビークに振り向けたからだよ

206: 世界@名無史さん 2005/09/24(土) 18:59:30 0
1970年代にポルトガルは中国へ「マカオを返還したい」って言ったのに
中国政府から「まだダメ!しばらく預かってろ」って言われてる状態だったんだから
マカオ防衛の兵力なんて配置するつもりもなかったろ。
早く荷物まとめて引き揚げたかったんだから。

208: 世界@名無史さん 2005/09/25(日) 11:45:07 0
>>206 
すでにSalazarから左翼政権に移行した時代だな
それにしても、マカオってアンゴラやモザンビークほど独立運動も激しくなかったのに、なんで放棄したのかな
カジノの収益があるから、持ち出しもそれほどではなくそこそこオイシイ植民地のような気がするのだが

207: 世界@名無史さん 2005/09/24(土) 19:57:54 0
アンゴラ、モザンビークより魅力なかったのか。

にしても、中国外交は、長期的戦略的だな。

209: 世界@名無史さん 2005/09/25(日) 12:33:56 0
1974年にポルトガルはクーデターが起きて左翼政権になったんだけど軍がクーデターを起こした理由は「もうこれ以上、植民地に送られて戦争するのはウンザリ」だから。
つまり軍が植民地へ行きたくないって革命起こしたんだから新政権が「すべての植民地の放棄」を発表したのは当然だろうし、中国側の都合ですぐに放棄できなかったマカオも、軍隊だけはさっさと撤退させちゃったわけね。

210: 世界@名無史さん 2005/09/25(日) 17:10:48 0
マカオ、東ティモール、アンゴラ、モザンビーク、ギニアビザウ、ガーボベルデ・・

ポルトガルのような小国がよくもこれほどの植民地を死守できたもんですな。
西北アフリカにわずかな植民地を保持していたスペインとはえらい違い。

213: 世界@名無史さん 2005/09/25(日) 23:25:39 0
とはいえ、ポルトガル植民地の末路はどれも惨めな撤退だったけどな。

・ダドラ、ナガルアベリー
内陸部にあった飛び地だったので、インド人に通せんぼされてあえなく消滅
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/india/datra.html

・ゴア、ダマン、ディウ
インド軍に攻め込まれ、総督は「徹底抗戦!」と檄を飛ばしたが3日であえなく生け捕り

・サン・ジョアン・バプティスタ・デ・アジュダ
記念式典の余興でアフリカ人に襲われ、ポルトガル兵はトラックに乗せられて追放
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/africa/ajuda.html

・ギニアビザウ
全土の90%以上をゲリラに占領されたところで植民地放棄宣言

・モザンビーク
植民地放棄宣言で無責任に逃げたためその後10年間にわたって餓死者続出

・アンゴラ
右派、左派、中間派の3つのゲリラが混戦してる最中に植民地放棄宣言で放り出す

・東ティモール
ティモール人同士が内戦を始めて、総督とポルトガル兵は沖合いの島へ避難した後に逃亡

これらと比べて、1999年のマカオからの撤退はいかにまともなものだったことか。
中国政府もポルトガルの面子を立ててやったね。66年の総督降伏は無様だったけどw

219: 世界@名無史さん 2005/09/26(月) 14:29:26 0
マカオってもともと広東省の役人にポルトガル人が賄賂贈って住み着いたのが始まりみたいだから
総督が広東省政府に降伏ってのはアリだな

222: 世界@名無史さん 2005/09/26(月) 15:10:36 0
東ティモールからは夜逃げしたらしいね >総督とポルトガル兵

231: 世界@名無史さん 2005/11/22(火) 09:57:53 0
植民地返還に関してのペーパーって台湾にあるんでしょ?
本当なら台湾に返還すべきだったのにね

233: ジーモン ◆.5DV4fMpf6 2005/12/04(日) 22:30:12 O
>>231
イギリスは日米に先駆けて1950年代に中華人民共和国(北京政府)を承認し、中華民国(台北政府)との国交が無くなったからそれは不可能だった。
蒋介石は香港を「回復」したかったようだけどね。

235: 世界@名無史さん 2005/12/21(水) 15:11:58 0
香港が台湾に返還されてたらスゴイ状態になってただろうな

香港内戒厳令→国境封鎖→北京政府「新界は中国固有の領土」で武力侵攻開始→金門・馬祖島再砲撃開始→F15廈門・上海を爆撃→戦術核が台北・高雄に着弾→人民解放軍が台湾西海岸に強襲上陸作戦→台北陥落

引用元: ・香港・澳門(マカオ)の歴史




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