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1: 世界@名無史さん 2011/10/22(土) 21:11:52.94 0
古代末期に始まったゲルマン人の大移動、および彼らが各地に建国した諸王国について語りましょう








112: 世界@名無史さん 2011/11/16(水) 23:46:44.56 0
ゲルマン人っていつの間にクリスチャンでなってたの?

113: 世界@名無史さん 2011/11/17(木) 19:19:26.63 0
最初はアリウス派。

114: 世界@名無史さん 2011/11/17(木) 19:30:31.28 0
同じゲルマン人でも、ザクセン人は長い間キリスト教への改宗を拒否していたが

117: 世界@名無史さん 2011/11/17(木) 21:22:21.57 0
君主制を好まない部族の伝統をもちつづけたザクセン人は、多神教から超越的一神教への改宗に強い拒否反応を示した

彼らがキリスト教に改宗するのはカール大帝によって軍事的に征服されてから

118: 世界@名無史さん 2011/11/18(金) 07:53:10.65 O
ゲルマン語は他の印欧語とかなりかけ離れているらしいな。
一つの語族にしていいもんかな。

145: 世界@名無史さん 2011/11/19(土) 20:38:56.30 0
>>118
ゲルマン人(というか金髪碧眼の北ヨーロッパ人)はもともと印欧語ではない原ゲルマン語をしゃべっていたのだろうが、どれくらい非印欧語由来の言葉が残っていればゲルマン語を独立した語族に認定できるんだろうか。

122: 世界@名無史さん 2011/11/18(金) 21:21:12.31 0
アレマン族
セムノーネス族を中心に首長制の多数の小支族を糾合する部族連合として、
リーメスの北、マイン川の上流域にあらわれ、やがて部族内部の人口の増加にともなって、徐々にネッカー川をこえてイラー川、レヒ川の流域まで、またスイスやライン川流域まで居住地域を拡大。アレマン族のもとでは、四世紀に多数の王と小王が並立していたが、五世紀になると政治権力の集中が進み、五世紀末までには単一王制が樹立された

ザクセン族
原ザクセン族はタキトゥスが記しているレウディグニー族であり、部族連合は、カウキー族を主要構成グループとして、アングリワリイー、ケルスキーその他 群小の部族の自発的な結合または征服による併合によって形成された。
混成大部族ザクセンの形成当初の定住領域は、エルベ・ヴェーザー両川間の地域であったが、フランク族が移住したのちヴェーザー・ライン下流間の地域に拡大ザクセン部族国家は、総じて王権の伸張をみた移動期を通じて、古ゲルマンの首長制の伝統を保持した例外だった

123: 世界@名無史さん 2011/11/18(金) 21:50:40.57 0
テューリンゲン族
ドイツ中東部に、スエービー族系のヘルムンドゥーリー族を中心とし、これにアングリイー(アングル)、ワリーニーの諸族が加わって形成された。彼らは、南はナープ川、レーゲン川の流域に進出、北はハルツをこえオーカー川、オーレ川の流域にまで定住地域を広げ、彼らが築いた部族王国は500年ころ最盛期を迎えたが、531年、フランク族とザクセン族によって征服された

バイエルン族
おそらくスエービーおよびマルコマンニーを中核的要素として、ゲルマン諸部族断片が混合したもの。彼らは、テウデベルト王の治世(543~548)にフランク王国の支配に服し、部族の内部では、アギロルフィング家出身の大公が国王類似の地位をもっていた

124: 世界@名無史さん 2011/11/18(金) 21:57:09.00 0
フリーゼン族
ローマ時代にはライン河口とエムス川のあいだの北海沿岸地方にいたが、三世紀末にローマの支配から離脱、四世紀ないし五世紀以降にはさらにエムス川の東にも広がっている。彼らが築いた部族王国は、七世紀末のラートボト王のとき最大の広がりを持った。

125: 世界@名無史さん 2011/11/19(土) 02:04:28.40 0
東ゴートが攻撃されたのがキッカケだっけ?

147: 世界@名無史さん 2011/11/19(土) 21:06:40.42 0
>>125
375年、ローマ帝国東端のステップ地帯にフン族が到来し、彼らは当時ドニエプル川流域に定住していたゴート族を圧迫した。東ゴート族はフン族に従い、一方西ゴート族は西へ逃れてドナウ川のローマ国境へ向かい、コンスタンティノープルのローマ皇帝ウァレンスにドナウ渡河の許可を求めた。
これがゲルマン民族大移動の発端

151: 世界@名無史さん 2011/11/19(土) 22:46:59.81 0
>>147
ゴート人はなぜ元来たヴィスワ川のほうへと向かわなかったのか?
当時のあそこは森林と湖沼が広がる地帯だからフンはやってこれないはずだ
そこはスエビか何かがいたのか?それとも原スラヴか?

152: 世界@名無史さん 2011/11/19(土) 23:02:32.34 0
>>151
東ゴート族は早々とフン族に敗れてしまった
西ゴート族の執政アタナリックは、プルト、ドナウ両河の間に連なる山岳地帯に強力な防御線を整えれば、フン族による侵攻からワラキアの沃野を守れると考えたらしい
けれど恐怖のあまりパニック状態に陥ったのか、西ゴート族はフン族から逃れる途はただ一つ、ドナウ川を挟んでの防衛以外にない、と速断してしまった

153: 世界@名無史さん 2011/11/19(土) 23:14:05.26 0
>>151
付け加えとくと、フンが黒海北岸に至ったときにすでにゴート族はダキアや現在のワラキアにも居住していて、コンスタンティヌス1世~コンスタンティウス2世による軍事作戦の後、ローマと盟約を結んで活発な交易を行なっていた。盟約を破ったゴート族に対してヴァレンスはドナウ川の北で懲罰的な軍事作戦を行なったりもしている

だから、ゴート族がドナウ渡河と移住を申し入れてきたとき、ローマにとっては彼らは最近現れた新参者ではなかった

155: 世界@名無史さん 2011/11/20(日) 06:29:16.85 0
>>151
『ローマ帝国衰亡史 2』(E・ギボン、ちくま文庫、P.28)

…こうして旧ダキア属州を充たし、その後いつのまにか一大国民へと混融していった
この雑種族植民地も、ただゴート人としての名声と威厳は依然として棄てず、スカンディナヴィア発祥説という架空の栄誉だけは、あくまでも主張し続けた。
同時にまた、たまたまゴートなる族名がゲタエGetaeなる族名と似ているところから、 こは軽信のゴート人のこととて、彼等の祖先は、はるか古代からこのダキア地方に住みついており、親しくかのザルモシクスの訓育を受け、勝利に傲るセソリストス王やダリウス王の遠征軍を阻んだのも、実は彼等の祖先たちだったという奇説まで、本気で信じるようになっていたのだ。

157: 世界@名無史さん 2011/11/20(日) 13:22:06.68 0
>>155
チェルニャコフ文化の変遷具合を見ると明らかに当時の原住民諸部族の分化が混じってきてるしな
時代が下るにつれてゴート社会の上から下までひっくるめてスラヴ人やダキア人などとの混血がすすんだんだろうな

チェルニャヒーウ文化ないしチェルニャホフ文化は2世紀から5世紀にかけて黒海の北西一帯(現在のウクライナ、モルドバ、ルーマニア、ポーランド南部)にかけて広がっていた文化。これまでに数千の遺跡が発掘されている。もとはサルマタイ人とスラヴ人の混合文化であったが、のちにダキア人、ゲタイ人、ゴート人などがやってきて定住した。


136: 世界@名無史さん 2011/11/19(土) 16:30:24.93 0
ヴァンダル族の嫌われっぷりは異常。
ガイセリックが周囲を力で抑えられるうちは良かったけどね。

ヴァンダル族

ヴァンダル族は、古代末期にゲルマニアから北アフリカに移住した民族。
ローマ領外の蛮族による民族移動時代にローマ領内へ侵入して北アフリカにまで進軍し、カルタゴを首都とするヴァンダル王国を建国した。彼らが北アフリカに進出する前に一時的に定着したスペインのアンダルシア(もともとはVandalusiaと綴った)や、破壊行為を意味するヴァンダリズムの語源ともなっている。


148: 世界@名無史さん 2011/11/19(土) 21:16:10.77 0
>>136
ヴァンダル族が嫌われたのは、彼らがとくにアリウス派色の強い部族だったことも原因の一つじゃね?アスディング・ヴァンダル族が定着したヒスパニアの東ガラエキアでは、異端プリスキリアヌス派が勢力を保っていたこともあり、カトリックの聖職者は異端に敏感な傾向があった
ヴァンダル人のアリウス派信仰への嫌悪からトラブルとなり、圧迫を避けヒスパニアを去るカトリック聖職者もいた
ブラガの司教オロシウスも、この時期にアフリカに逃れて聖アウグスティヌスと出会い、その求めに応じて『異教駁論』を編纂している

150: 世界@名無史さん 2011/11/19(土) 22:38:31.97 0
ヴァンダル族がなぜアリウス派を頑なに守ったかというと、実は彼らはスラヴ人(プロトスラヴ人の西方群)が人口的な基層のスラヴ、ゲルマン、ケルトの三者混成部族だったから?リングァ・フランカがゲルマン語で

193: 世界@名無史さん 2011/12/05(月) 02:42:05.12 0
アンダルシアの名前の由来がヴァンダルだとすると、誰がヴァンダルの記憶を継承してたのだろう?
やはりベルベル人?

194: 世界@名無史さん 2011/12/06(火) 01:29:38.37 0
ベルベルのうちの金髪部族と原ポーランド人はどっちももとは血筋から言えばヴァンダル人(プシェヴォルスク文化)だろ普通に
前者の場合はベルベルの文化に、後者の場合は東方からきたプラハ・コルチャク文化という文化群に影響されて、前者がベルベル化、後者がスラヴ化

201: 世界@名無史さん 2011/12/10(土) 18:48:15.71 0
>>194
おい、せいぜい1~2%だぞ。ヴァンダルの地元民に対する人口比率は。
で、なんでベルベルの金髪系が即ヴァンダルって言えるんだよ。

195: 世界@名無史さん 2011/12/06(火) 12:20:37.35 0
ヴァンダリズム

196: 世界@名無史さん 2011/12/06(火) 13:32:33.24 0
ヴァンダリズムはローマ人やフランク人の側から見たイメージが付随しているが、言語がスラブ化したヴァンダル族と思われるポーランド王国初期部族(ポラン族・ゴプラン族)は戦争が滅茶苦茶強かったからなあ。
ボレスワフ1世は神聖ローマ帝国の領土深く攻め入って現在の東ドイツ内陸部一帯を確保し、その返す刀で今度はキエフまで攻め入って右岸ウクライナ全域を占領したぐらい。
こんな芸当はヴァンダル族でないとできない。

197: 世界@名無史さん 2011/12/10(土) 01:06:48.09 0
わずかな単語でもそれぞれの言語にヴァンダル語の痕跡を残してないかな

198: 世界@名無史さん 2011/12/10(土) 10:40:14.19 0
・そもそもヴァンダル語自体がほんとうは何系の言語なのかはっきりしない
・ゴート語と似ているゲルマン語であるという説があるが、だとすればゴート語起源とされている単語のいくつかがヴァンダル語起源かもしれない

ゴート語と原スラヴ語の関係はこちら
http://en.wikipedia.org/wiki/Proto-Slavic_borrowings
ポーランド語にはヴァンダル語起源のものも混じってるのかもしれない

199: 世界@名無史さん 2011/12/10(土) 10:51:28.34 0
なんとなくヴァンダル語はゲルマン語と原スラヴ語(とケルト語?)のミックスで、一種のピジン語だったんじゃないかと

欧州のピジン語だとドイツ語とヘブライ語のミックスでポーランドで発展したイディッシュ語などがあるが、ポーランドという土地の社会が古代からピジン語を産みやすい伝統的背景を持っていたのかもしれない
一言でいえば多民族共存社会

200: 世界@名無史さん 2011/12/10(土) 10:54:49.54 0
つまりクレオール語
スラヴ語そのものが古い時代の他言語からの借用語がやたら多いが、スラヴ語はクレオール語として発展したのではないかと
その傾向が最も強いのがポーランド語
チェコ語も古い時代のチェコ語はその傾向が強かったが、19世紀に「発掘」され国語として人工的に整備されてからその傾向は弱まった

クレオール言語とは、意思疎通ができない異なる言語の商人らなどの間で自然に作り上げられた言語(ピジン言語)が、その話者達の子供達の世代で母語として話されるようになった言語を指す。公用語や共通語として使用されている地域・国もある。


205: 世界@名無史さん 2011/12/15(木) 12:14:58.51 0
ヴァンダルといえば、鎧が有名。
特徴は、顔面をすっぽりと覆うメイルコイフ。
目の辺りが眼鏡状になっており、目だし帽の様な姿。
初期のヴィーキングの墓やサクソンの墓からも発見されている。

206: 世界@名無史さん 2011/12/15(木) 13:34:22.53 0
ヴァンダルとアランが組んでいたというのは、西スラヴ人が時代に応じて東方遊牧民との同盟を半ば伝統としていたのと似ているね
ヴァンダルはルギィ族だからおそらく東ゲルマン系部族と西スラヴ系部族の混合の部族連合だったろうが、人口的には後者が前者を圧倒してたはず

207: 世界@名無史さん 2011/12/16(金) 09:56:49.46 0
ゼノンやレオ一世が、援軍を出して西ローマ帝国を助ける事ができなかったのかね?
イタリア半島とダルマティアぐらいしか領土は維持できないだろうが。

211: 世界@名無史さん 2011/12/16(金) 23:17:05.40 0
>>207
ピレンヌによれば、

当時の東ローマは、ドナウの防衛ラインを常に圧迫されていて、西ローマ帝国に介入するどころではなかった
唯一ヴァンダルには介入したが、穀倉地帯を抑えたヴァンダルとは国力が均衡していて、失敗した

東皇帝ゼノンは、ゲルマン人傭兵隊長オドアケルをパトリキウスに任命
そのオドアケルはヴァンダルからシチリアを、西ゴートからプロヴァンスを取り戻した

だが、ゼノンはこの西ローマ帝国を立て直すどころか、ドナウ河畔(パンノニア)を圧迫していたテオドリッヒにパトリキウスの称号を与え、ゲルマン人(東ゴート族)にゲルマン人(オドアケル)をぶつけるという、その後ビザンツでおなじみになる方法をとった
東ゴート族はイタリアを獲得、ゼノンはそれを正式に承認するという形で、東ゴートの後ろ盾となった

要するに、利害関係が錯綜としすぎてる

208: 世界@名無史さん 2011/12/16(金) 12:55:19.83 0
戦争というのは普通は勝った時の経済的メリットが見えないとやらないものだが、東ローマが政治的対立者である西ローマを助けることの経済的メリットは?
むしろ東ローマにとっては西ローマなど潰れてくれた方がよかろう

213: 世界@名無史さん 2011/12/17(土) 22:31:26.24 0
ホノリウス帝時代から、もう西ローマ帝国は、ちゃんと維持出来ている領土は、イタリア半島とシチリア島と今のクロアチアとアルジェリア北部程度でしょう。
この様を見ると、もう既に西は、東にとっての脅威では無くなっている感じがする。

>むしろ東ローマにとっては西ローマなど潰れてくれた方がよかろう

レオ1世の甥っ子が、西ローマ帝で、東は何とか助けようとしていたジャン。ダメだったけど。

>当時の東ローマは、ドナウの防衛ラインを常に圧迫されていて、西ローマ帝国に介入するどころではなかった
>唯一ヴァンダルには介入したが、穀倉地帯を抑えたヴァンダルとは国力が均衡していて、失敗した


東ローマの15万の兵力では、ライン川沿いのゲルマン人撃破は難しいと?
東ローマの北アフリカ制圧失敗は、残念でしたね。ユスティアヌスの時代まで無理だと言う事ですかね。

確かにアナトリア東部やシリアにはペルシャが来ていますモンね。
パレスチナとシナイ半島にはベドゥインが、エジプトにはヌミディア人が・・・

ヴァンダル制圧には海からだけでなく、エジプト駐屯の東ローマ軍団を西進させて、リビア北部の海岸地帯を進撃して挟み撃ちにすれば良かったのに。ヌミディア人やベルベル人も行きがけの駄賃で制圧出来たであろうに。

216: 世界@名無史さん 2011/12/18(日) 07:50:15.29 0
>>213
圧迫どころかフン族の攻撃によってドナウ川の防衛線は崩壊した。
441~443年と447/8年のフン族によるバルカン半島への攻撃は文字通り熾烈を極めたみたい。

441年、ドナウ川の要塞コンスタンティアを攻略した後、442年にはドナウ川を渡り、シルミウムをはじめドナウ川沿岸の拠点を攻略した。

443年には都市ナイッススを包囲し、人海戦術と破城鎚や攻城塔を用いて攻略した後、首都コンスタンティノープルの城壁まで迫った。交渉の結果、従来の貢納金額を3倍にし、ローマ人捕虜への身代金を支払う旨の協定が結ばれた。

447年、フン族は再びドナウ川を渡り、ウトゥスでローマ軍を破ってトラキアまで侵入した。同時代の歴史家で、アッティラとの交渉にもかかわったプリスクスによると、ドナウ川国境地域の主要都市が攻略され、都市アセムスのみが攻撃を免れたという。

翌448年に結ばれた協定では、フン族への貢納金の支払いに加え、西はシンギドゥヌムから東はノヴァエまで、南はドナウ川から5日の行程距離までの範囲を無人の地(緩衝地帯)として放棄し、ナイッススを両者の国境の都市として市場を開くことをローマ側は強いられた。アッティラのもとへ交渉に向かう途上、プリスクスは、死者が埋葬されず、教会にいる病人以外人気のないナイッススの様子を叙述している。
また、447年にはフン族の侵入の報を聞いたテオドシウス2世はヴァンダル攻撃に向かった部隊を引きかえさせているし、ローマの野戦軍は2度大敗を喫している。
 
考古史料でも、この地域の多くの要塞や都市が、5世紀中葉からアナスタシウスの治世になるまで放棄or破壊されて再建されないままだったり貨幣(特に兵士が駐屯している指標となる金貨)流通が激減or中断していることが示されている。

国境の防衛設備も人的資源も崩壊した5世紀後半のバルカン半島ではテオドリック(アマルとストラボ)をはじめ多くの「同盟部族」が半島内に存在していた。帝国政府に要求(金品、官職、定住地、食糧供給など)が受け入れられなかった場合は各地を移動して都市を略奪して回ったりする、帝国から独立した集団がごろごろ存在していた状態。有力な軍事力を持たなかったゼノンはその勢力を減じるための決定的な施策を取れずに手をこまねいていた状態だった。

214: 世界@名無史さん 2011/12/17(土) 22:33:48.73 0
東の政界がダメだと進言したらさすがのレオ1世も独断では動けないのでは?
制度的には可能でも、政局的に難しい

217: 世界@名無史さん 2011/12/18(日) 07:52:03.58 0
>>214
通史ぐらいは読んだほうがいいよ。
レオ1世は西ローマ皇帝アンテミウスと共同で兵員10万軍船500隻(数字は史料ママ)からなる討伐部隊をヴァンダルに派遣している。史料の数字が正確とは言い難いけど、レオ1世はかなり精力的にヴァンダル討伐に取り組んでいたと思われるよ。

>穀倉地帯を抑えたヴァンダルとは国力が均衡していて、失敗した
というよりも討伐部隊司令官のバジリスクスの失策で大敗を喫したと言ったほうがいい。

長文すぎな上に行もがたがたでごめんなさい。

218: 世界@名無史さん 2011/12/18(日) 09:31:29.91 0
>>216>>217
詳しいですな、レオ一世時代の東西共同のヴァンダル討伐作戦が成功していれば、ゲルマン人もビビッて両ローマ帝国国境侵犯を少しは、抑えたかも。

ゲルマン人の中でもヴァンダル族は特にローマ系住民に対する暴行は凄かったらしい。
ヴァンダル族のローマ略奪(455年)では、市内で片っ端に女性達に対する暴行が発生した。ローマ市内の金品の略奪は当然で、それへの反発もありアンテミウス以前にもオリブリオス帝がヴァンダル王国を攻撃しようとしていたが、ガイセリックの先制攻撃に会い失敗している。

ヴァンダル族のローマ略奪(455年)の時はペトロニウス・マクシムス帝と近衛隊は何してたんだ?と思う。ラベンナに引き篭もっていただけ?

今でも当時でも北アフリカは、有数な穀倉地帯だし、そこをローマが奪回すれば国力経済力の観点から言っても、だいぶ違っただろう。特に西のあのあっけない滅亡はもう少し遅くなったかも知れない。

ゼノン帝はともかくレオ一世は、確かに西を何とか支援していた感があるな。
レオ1世が、もう少し長生きしていたら西ローマ滅亡時にも甥っ子のネポスへの支援ぐらいは続けただろう。一番良いのは、東ローマ軍とネポスが合流しイタリア半島を再征服する事だが、ゲルマン人軍事長官のアスパル親子を滅ぼした事もあり、そんな余裕無さげだな。

220: 世界@名無史さん 2011/12/18(日) 22:57:26.63 0
>ヴァンダル族のローマ略奪(455年)の時はペトロニウス・マクシムス帝と近衛隊は何してたんだ?
>と思う。ラベンナに引き篭もっていただけ?

ペトロニウス・マクシムス帝はローマに居たけど、ヴァンダル軍接近の報に激怒した民衆に投石で殺されたよ

221: 世界@名無史さん 2011/12/19(月) 15:19:08.07 0
>>220
Mjd?
ヴァンダル軍接近って西皇帝の所為なの? 
皇帝殺して事態の解決になるの?

222: 世界@名無史さん 2011/12/19(月) 16:03:37.59 0
>ゲルマン人の中でもヴァンダル族は特にローマ系住民に対する暴行は凄かったらしい。
>ヴァンダル族のローマ略奪(455年)では、市内で片っ端に女性達に対する暴行が発生した。ローマ市内の金品の略奪は当然で、


これは逆だろ
当時は占領地の婦女暴行というのは普通

いっぽう、ゲンセリックとレオ1世の取り決めに反して物品の略奪が起きてしまったため
こっちのほうがヴァンダリズムという用語ができるほど後々問題視された

223: 世界@名無史さん 2011/12/19(月) 23:03:05.81 0
レオ1世は、ローマでの婦女暴行は認めて、略奪はダメって言ったのか?
凄いな。援軍送ってローマ市民を助けろよって感じだが。

後世の絵では、ヴァンダル族のローマでの略奪では、中東系や黒人系の人も多く参加している。それが事実なら、その事も被害を甚大化させたのでは?

uoh



228: 世界@名無史さん 2011/12/20(火) 09:14:37.61 0
>>223
実際、北アフリカのムーア人も多く参加していたから

224: 世界@名無史さん 2011/12/19(月) 23:16:23.20 0
いや婦女暴行については積極的に認めたというか、いずれにせよとにかく略奪だけはしないでくれという感じだったんじゃない?
ヴァンダルのほうもガイセリクは司令官ではあるけれど、当時の司令官は戦闘での指揮には積極的でも占領統治の治安維持については泥縄だったから、占領時に配下の各部族の統制を取れなかったのは特に不思議でもない。

236: 世界@名無史さん 2011/12/20(火) 16:05:21.99 O
ヴァンダル人は王国崩壊後、ヨーロッパへ戻った連中がいるの?

240: 世界@名無史さん 2011/12/21(水) 12:00:00.88 0
>>236
多分ね、中世の昔から言われていることだが、ポーランド人というのはやっぱりヴァンダルの可能性が高い
祖先が多民族の今のポーランド人がヴァンダル直系でなく血が薄まっていることは当然だが、ピャスト朝の初期はより純粋なヴァンダルだったんじゃないか

ミェシコ1世につながるピャストの公や侯たちがヴァイキングを従えていたことはよく知られているしコウォブジェク(ドイツ語コルベルク)を通じてザクセン出身者との交流も頻繁
ピャスト初期はザクセン、デンマーク、(後の)スウェーデン、モラビア、コンスタンチノープル、キエフと繋がりが深く、公家に限らず姻戚関係もある

237: 世界@名無史さん 2011/12/20(火) 18:59:12.31 0
レオ1世時代の東西共同でのヴァンダル制圧が成功していたら、北アフリカ(アルジェリア&リビアの北部、チェニジア)は、東西どちらの物になっていたんだろう?

245: 世界@名無史さん 2011/12/21(水) 15:54:11.80 0
>>237
力関係から言ったら東だろう。
西に預けてもヌミディア人やベルベル人の侵入に耐えられそうも無い。

アフリカ伯ボニファティウスですらヌミディア人やベルベル人には手を焼いていたし、ヴァンダル族の侵入を阻止できなかった。
ヴァンダル王国を滅ぼしても少なくてもそこには2万人の軍隊が駐留する必要がある。
西ローマにそんな余裕は無く、シチリア島を返えしてもらえば御の字じゃね?

250: 世界@名無史さん 2011/12/25(日) 01:01:29.86 0
ゲルマン諸国の国はどうしてメシがむちゃくちゃショボイんだ?
発展途上国ってなもんじゃないぞ。ドイツ、オランダ、イギリス、北欧知らん。
ポテトとパンとハムとソーセージしか無い。

258: 世界@名無史さん 2011/12/25(日) 20:38:31.48 0
>>250
それだけ完成してるからだろ ゲルマン系の料理が世界中で食われているのもその証拠
現代になって何でも食えるのに、ずっと過去の伝統的な食事をしているのは立派なことだ

外国人が毎日同じ外国料理食ったら飽きるのは当然だが、それを持ってして低く見るのは間違いだろう

現代になんて何でも食えるよう担って以来、伝統的な食事がどんどん廃れ米食が小麦食に逆転され、コメは余りまくってるのに高い小麦を輸入しまくるなんて恥ずかしい事態になるよりよほど、素晴らしい食文化だよ

263: 世界@名無史さん 2011/12/26(月) 07:16:52.62 0
>>258
ゲルマン系の料理って何がある?
ハンバーグ(古くなったタタールステーキに食中毒を嫌って火を通しただけ)やソーセージやザワークラウトはもともとタタール起源だし、チーズもゲルマン起源ではないし、本当に何があるよ?

264: 世界@名無史さん 2011/12/26(月) 13:17:12.35 0
>>263
イノシシ(豚かも知れないが)の丸焼き、鳥の丸焼き。

ゲルマン戦士(貴族)階級で、ローストビーフかローストチキン(しかも塩漬のメチャクチャショッパイやつ)
鳥も豚も内臓は取り出して木の実ナンカを詰め込んでいたかも。あとオートミールぐらい。要するに半農半猟社会。海や川に近ければ、魚を燻製か塩漬けぐらいにはしていたかも。

この程度だよ、古代ゲルマン時代の食事は。ジャガイモは、まだだから、パンやビールも疑わしい。ガリアのガロローマ人は、今のフランス料理の原型見たいのを食べていただろう。ワインも当然あるが、もっとも水で薄めて蜂蜜で味付けしないと渋くて飲めなかったらしい。

266: 世界@名無史さん 2011/12/26(月) 14:02:02.50 0
>>264
それも決してゲルマン起源ではないな

251: 世界@名無史さん 2011/12/25(日) 06:10:35.89 0
ゲルマンの血を血で洗う修羅世界において旨い飯に舌鼓を鳴らすような輩は、粗食に耐える屈強な連中に滅ぼされて淘汰されてきたからです

253: 世界@名無史さん 2011/12/25(日) 09:59:30.82 0
南欧と違って食材の種類が少ないだけだ。
ポテトと麦と肉と乳しかない。だからそれでいろいろ作るだけ。

254: 世界@名無史さん 2011/12/25(日) 10:00:09.03 0
キャベツだって赤カブだってあるお

270: 世界@名無史さん 2011/12/26(月) 18:36:25.68 0
フランドル(ゲルマン人)のブリューゲルの絵で16世紀当時の結婚式のがある
その結婚式のごちそうとして描かれているのがオートミール
絵の中の人たち、オートミールが食べれてみんな嬉しそうだ

323: 世界@名無史さん 2012/01/18(水) 19:43:11.19 0
>>270
世界史の副読本に12~13世紀の祝祭日メニューがあって、、
パイとピザが中心だった。
肉、魚、野菜、果物、あらゆる具のパイとピザが出てきた。


引用元: ・ゲルマン人の大移動と彼らが建てた諸王国



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