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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/09(水) 14:01:30 ID:+7XYcLP9O
玄宗の寵臣にして、唐朝に大打撃を与える反乱を起こした怪人について語るべし。







300px-An_Lu_Shan


安 禄山
(あん ろくざん)は、唐代の軍人、大燕国皇帝。本姓は康で、康国(サマルカンド)出身のソグド人と突厥系の混血。「禄山」はソグド語の「ロクシャン(rwxšn/roxš(a)n 明るい・光の意味)」の音訳。

唐の玄宗に対し安禄山の乱(安史の乱)を起こし、大燕皇帝に即位したが、最後は次男の安慶緒に殺害された。





2: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/09(水) 14:27:02 ID:/+AtKbW00
あれだけ玄宗や楊貴妃に気に入られたんだし、話しぶりなんかがよほど巧みだったんだろうね。

3: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/09(水) 16:16:15 ID:ebIw+M6P0
ソグド人と突厥系の混血って、外見的にはかなりコーカソイドな顔立ちをしていたのかな?
このおデブさん。

4: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/10(木) 01:01:27 ID:1GT7Q9+20
玄宗って若い頃はあんなに聡明だったのに、どうして晩年はグダグダになったんだろう。

5: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/10(木) 01:17:12 ID:snlV9Vja0
この人、糖尿だったって説があるよね

6: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/10(木) 10:04:33 ID:MzB8pY+i0
あんがい、すごい美形だったかもよ。でも、唐朝を崩壊寸前まで脅かした悪魔だから、醜いケダモノでなければならない。だいたい、地面まで届くような腹して、胡旋舞を踊ったってのがすごい。ムリして機嫌とろうとしたのかねぇ。
洛陽で帝位宣言したときには、もう目が見えなくなっていたとか、なにか重大な病気にかかっていたのでしょう。

9: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/11(金) 15:48:41 ID:e8bXVF3E0
>>5>>6
太っていたようだし、やっぱり糖尿病か、それに類した生活習慣病の可能性が高そう。

10: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/11(金) 19:44:02 ID:fznPxL9a0
>>9
失明したのは糖尿病の病状が進行したためかもな。

そもそも、どんな食生活をして太ったのかは興味のあるところだ。
1日10食くらい食っていつも満腹状態だったのかなw

12: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/13(日) 23:58:16 ID:FBVhz9V10
>>10
突厥系でもあったみたいだし、乳製品とか肉をたくさん食っていそうw

8: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/10(木) 22:25:33 ID:yArBUdsO0
森安孝夫『シルクロードと唐帝国』(講談社、2007)に書いてあった「安史の乱=早すぎた征服王朝」説は、読んでてナルホドと思った。

11: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/11(金) 20:15:02 ID:cVLIJfjk0
>>8
それは読んでないけど、その当時の中国…というか東アジア圏ではテュルクとかソグドとかウイグルとかの動きが活発だったからね。鮮卑系王朝唐は、ソグド系混血児の安禄山にツメをたてられ漢族野盗の朱温に破壊され、テュルク系沙陀に乗っ取られる。
さらに、モンゴル系遊牧民族の契丹に押さえつけられ、もう一回テュルク系(漢族とも)趙宋がたってもやはり契丹、女真族、蒙古と、なかなかに忙しいことになっている。

それだけ、周辺国、あるいは周辺民族の文明度というか、パワーが上昇した時代なんだろうね。漢族というより、中国の古くからの土地を守る、という意識は妥当としても民族性正当性は皆無に近いというのがよくわかる。

13: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/15(火) 16:56:55 ID:CgnuMtfP0
悪役のはずだけど、なぜか全く憎めないこの人。むしろファンです。

14: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/15(火) 19:40:53 ID:bTpMuBwL0
楊貴妃の養子になって、あやしてもらったとかいう話は、本当なんだろうか?
想像したらかなり気持ち悪い光景なんだけど。

奇怪な母子

玄宗は、勤政楼の祝宴において玉座の東隣に安禄山を特別に座らせるほどの寵愛ぶりであった。また、楊貴妃の養子になることを請い、それが実現すると入朝して玄宗より先に楊貴妃に拝礼した。理由を問われると、「私は胡人なので、礼は母を先、父を後にします」と答えた。玄宗は大いに喜び、楊貴妃の兄弟姉妹(楊銛、楊錡、楊貴妃の3人の姉)に義兄弟となるように命じ、これも実現している。

天宝10年(751年)、誕生日に玄宗と楊貴妃から多くの贈り物を贈られる。入朝して楊貴妃の赤子を演じ、おむつをして大きな揺り籠に入って出てきて、玄宗を喜ばせ、宮中に自由に出入りするようになる。



30: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/28(木) 12:38:54 ID:INmtJH9D0
元祖・赤ちゃんプレイ

15: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/15(火) 19:43:39 ID:jBFSs2/r0
あんろくさんは本名アレキサンダーを中国語で表記したものって与太話を本気で信じていたよ。

18: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/21(月) 23:04:32 ID:HObPaOaD0

20: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/22(火) 15:04:30 ID:yxvJPoCg0
>>18
楊貴妃役の女優さん、スリムで、楊貴妃としては似つかわしくないのかも知れないけど、スリムだね。
安禄山は説明がなくてもどれなのか一目で分かるw

23: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/27(日) 23:22:34 ID:zrEH+5Ql0
しくじりをしでかしても、上役とかに取り入って、それをごまかす才能にも長けていそうなイメージ。

36: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/19(日) 11:33:37 ID:5YZjLQHH0
安禄山と董卓って似たような風貌のイメージがあるな。

41: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/12(水) 00:50:38 ID:u/eVy/te0
>>36
董卓は配下の将兵からの人望はかなりあったようだけど、安禄山はどうだったのかな?

42: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/12(水) 07:59:39 ID:eH3X/9hX0
>>41
その後の河北騒乱をみてだけど、精神的象徴ほどにもなったとみていいかもしれん…
直接的な人望は、調べてないからわからん。

43: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/25(火) 01:07:10 ID:LahAvWHQ0
河北の旧事か

44: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/25(火) 02:36:20 ID:yrM6iGGR0
唐は河北の収復にはえらい時間がかかったね。
安禄山にあれだけの兵の指揮権を預けるとは、玄宗は本当に呆けていたんだな。

45: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/25(火) 23:59:09 ID:+cnVx43w0
実際に河北が鎮まったのは、五代も後期になった頃だからいかに根強かったかがわかるというもの。遼の南下のおかげで、幽州は中国から切り離されたが魏博、恒冀の仕置きには、かなり腐心していた(領域を削ったり、節度使を分割したり)。
中国にあって、魏州と鎮州(恒州)は、古来よりの要衝だから戦略的見地から軍備が増強されるところというのわかるけど、この頃の独立の気風というのはハンパじゃないようす。

鎮州、魏州には朝廷からそれなりの有力者が派遣されるのだけど、その多くが叛旗を翻すというのは…

47: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/29(土) 03:40:35 ID:RRANy7mo0
安禄山の仮子は八千人もいたらしいけど、一体何人ぐらいの顔を覚えていたんだろう?w

仮子

仮子(かし)もしくは義児(ぎじ)とは、唐から五代十国時代にかけて現れた養子の形態の一つである。地方の群雄や節度使・宦官などの有力者が自らの側近など親近にある個人もしくは集団と擬制的親子関係を結んだものである。隋末から唐初の混乱期に見られ、その後一旦はみられなくなるものの、安史の乱の前後から再び盛んに行われるようになった。


48: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/29(土) 23:02:43 ID:lpDBjnOH0
安禄山の場合、個々人ではなく、集団そのものを仮子にしたのではという説がある。

49: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/02(水) 15:25:16 ID:acv3dMx20
安禄山の頃にはもう、節度使って、その地方の州の刺史なんかに対しても、支配力を行使できたの?

50: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/02(水) 16:32:56 ID:ew9rN7Ft0
>>49
節度使は基本、軍事の統括だけど、職掌として「観察使」を兼ねることになっている。
観察使は文官系の使職で、これが州刺史の統括になる。
安禄山も観察使として州の行政と徴税の権はもっていた。
それらを補佐するのを、観察判官などという。文官の職掌。
軍事の節度使の補佐としては、節度判官、節度掌書記などが、軍の高級幕僚に相当する。
他の州には、鎮将を置いて州刺史や県令の職分を侵食してもいたそうな。

51: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/04(金) 12:13:31 ID:uHgMN7JY0
安禄山時代の范陽節度使の管轄範囲って、後代の盧龍軍節度使の管轄範囲と同じ?

52: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/04(金) 16:58:09 ID:aa8vaq5U0
唐代の方鎮年表も購入しておこうかな。
五代のならもってるから、盧龍軍の支郡はすぐに出てくるが…

「范陽節度使」
使府:幽州
支郡:檀州、嬀州(ぎしゅう)、薊州、恒州(鎮州)、定州、易州、莫州、滄州
の、九州九軍91400人。
これ、《舊唐書》地理一の「范陽節度使」のところを見てだけど、「管兵九萬一千四百人」とあるけど、各州に分けられた管兵を足すと93500人になるのはなぜ?
詳しい人ボスケテ


ちなみに、↓が軍額が盧龍軍に替わった幽州節度使。

「盧龍軍節度使」
使府:幽州
支郡:平州、檀州、涿州、薊州、営州、瀛州、莫州、嬀州、順州、寧州、易州

この中で易州は、後周期に盧龍軍管内に移されたが、本来は定州義武軍節度使の支郡。
だいたい、後周期では幽州は契丹領なんだけど、遥領にしてもなぜ易州を?
よくわからん。
それと、安禄山が范陽節度使として管下においたのは、実に二十州にまで及ぶそうな。
だから、上のは安禄山のときそのものではないみたい。やっぱ年表がいるなぁ。

で、質問の内容の「管轄範囲と同じ?」
これはだいぶ違うみたいです。
というのも、安禄山の頃は、范陽の東の営州に使府を置く平盧節度使があったから。
それは後代の盧龍軍の支郡として編入され、平盧軍は解体され、軍額だけが山東の青州節度使に使われるようになった。さらに、范陽節度使の管内である、恒州、定州、滄州は、それぞれあらたに節度とされた。
で、劉仁恭-劉守光親子の支配のときだけに限ると、さらに順州もとられている。
まぁそのかわり、滄州黄海軍節度使を管下、あるいは兼任していたが。

范陽の支郡20州というのが、どこまでだったのか気になるところだけど、誰か教えてくれないかな。

53: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/22(金) 22:53:30 ID:NncHrDb60
二十州ってかなり多いな。
よくそれだけの広範囲を節度使に委ねたものだ、唐朝は。

56: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/04/24(木) 15:14:27 ID:mh17C5LN0
>>53
それだけ遊牧民の脅威が大きかったということじゃないか

54: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/24(日) 15:23:41 ID:J08p7AFj0
だから節度使を兼任させるって、気狂い沙汰とか思えない。

55: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/26(火) 03:04:29 ID:jneQ2QukO
初めは、たかが地方軍閥。武則天の劣化コピーに過ぎないとはいえ太平公主を倒した俺様は凄いし、今は盛唐じゃん?みんな我が王朝に対して忠勤に励むから、四辺は味方だべ!?
デブのアレキサンダーなんぞ、ボッコボコにしてやんよ。

なんて軽く考えてたら、だんだんシャレんなんなくなってきて、ついにはご機嫌を損ねぬよう、顔色伺いつつ、どっかで『こんだけ目にかけてやって、依怙贔屓してたら、あんがい、忠誠心が湧くんじゃね?』って、思ってたら裏切るしwwww

俺、涙目。プギャー

57: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/04/25(金) 23:03:39 ID:uzEHEK710
武則天~玄宗にかけての唐の繁栄は、遊牧民帝国の脅威が、あまり深刻じゃなかったことも大きかっただろうしね。

64: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/11/28(水) 19:29:52.81 ID:38m7L8IYO
後梁期は河朔三鎮は後梁と晋の草刈場になったらしいからなあ。
安禄山みたいに統一さえできてりゃ…

引用元: ・ 【大燕】 安禄山 【節度使】




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