51nx6etKVsL


1: 人間七七四年 2007/02/17(土) 21:24:53 ID:kgpQVoWf
戦国時代を代表する文化人幽斎と
幽斎の息子で激情家で知られる忠興を語りましょう。
関連記事【1】細川幽斎(藤孝)・忠興父子を語るスレ








196: 人間七七四年 2007/07/19(木) 00:14:39 ID:b2TJORpm
忠興は隠居してから「三斎」と号したが、これをもじって別名「三災」とも言われてたらしい。
(本能寺の変で光秀に付くか否かの二者択一を迫られたこと、秀次事件で連座させられそうになったこと、関が原の折ガラシャが自刃させられたこと、以上3つの災難で三災というわけ)

197: 宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c 2007/07/19(木) 00:30:25 ID:Lg7Zmxbe
備中兵乱の際、毛利宇喜多に攻められた三村元親は、細川幽斎と仲が良かったらしい。
元親が松山城に籠城してる時、幽斎は元親に歌書「八雲集」を届けている。
また、元親が自害する際にも幽斎へ一句残している。
この2人の繋がりが個人的に気になってる。
流れぶったぎってすまん。
198: 人間七七四年
三淵光行さんって藤孝に養育されたようなのですが、結局細川家臣にはならなかったんでしょうか? この人の資料ってあんまり無くて・・ 

199: 人間七七四年 2007/07/23(月) 00:16:37 ID:E747rRLj
田辺篭城の際によく幽斎を助けたことを、あとで知った家康に高く評価され旗本として召しだされた(1609年近江に千石与えられた)

205: 人間七七四年 2007/07/27(金) 19:42:58 ID:7S38pBFb
細川忠興が越中褌を考案したという説はどのていど信憑性があるのでしょうか?

211: 人間七七四年 2007/07/31(火) 17:48:40 ID:srSCuB2v
>>205
忠興って結構器用で、関が原の時生煮えになった米を上手く炊き直したり、石切り場で石工に石の切り方まで指導したり、甲冑(越中流)や刀(肥後拵え)とか工夫したりとそういうの得意だったみたいだから、可能性はかなり高いかもね。

219: 人間七七四年 2007/08/12(日) 19:02:08 ID:lwNuflh5
幽斎は誰かに古今伝授したの?
古今伝授(こきんでんじゅ)または古今伝受とは、勅撰和歌集である古今和歌集の解釈を、秘伝として師から弟子に伝えたもの。三条西家は代々一家で相伝していたが、三条西実枝はその子がまだ幼かったため、後に子孫に伝授を行うという約束で細川幽斎に伝授を行った。


220: 人間七七四年 2007/08/12(日) 23:00:31 ID:NvOLFIZM
八条宮とか島津義久とか

221: Y ◆nzdGjBH722 2007/08/12(日) 23:01:54 ID:Xpwnn3ph
木下勝俊・・・関ヶ原改易後幽斎から古今伝授を受け、木下長嘯子と名乗り山家記を記した。

222: 人間七七四年 2007/08/14(火) 21:11:13 ID:Nv+DkaMS
あと烏丸光廣。
ちなみに、龍伯については彼が質問した部分が秘伝に触れるため誓詞を出させたといういきさつなのでホントの意味での古今伝授ではない。

225: 人間七七四年 2007/08/15(水) 00:10:58 ID:YDz7VXMP
>>222
kwsk

228: 人間七七四年 2007/08/16(木) 18:18:40 ID:UdN/2sju
>>225
すみません。夭折した別の弟・蓮丸のエピと混同してました。蓮丸は忠興とは結構年が離れてて一緒に舞台に立って能を舞ったと記録にあるそうで幽斎夫妻が描かせた画像が南禅寺に残されてる。
細川家は能が好きで松井等家臣と天正11年から慶長5年の間に50回以上演能してますね。
幸隆も若くして亡くなって、能楽史の上で結構重要な本を残してるらしいです。

227: 人間七七四年 2007/08/15(水) 10:16:53 ID:i1kAQV5+
>>222 
伝授した人物(補足)

三条西公国
後に息子に相伝することを条件に、三条西実枝は幽斎に古今伝授した。
実枝の死後、天正8年約束通り公国に「返し伝授」したが、後に彼は32歳で亡くなってしまった。

中院 通勝
実枝の甥。公国の死後、伝授を開始したが一旦中断。最終的に終了したのは慶長9年。

烏丸 光広
慶長8年に伝授終了。ちなみにこの人の息子に忠興の娘(万)が嫁ぐ。

229: 人間七七四年 2007/08/17(金) 23:25:46 ID:auFjydC1
「立花宗茂」の小説読んでたら、忠興と仲良しのように描かれてたけど(ホントかいね?) (しかも宗茂に側女を紹介してたし!)

231: 人間七七四年 2007/08/19(日) 14:35:37 ID:YUBoWjL/
>>229
宗茂と忠興が仲良しという明確な証拠になる史料は知らないが細川家が宗茂に側室・矢島氏を融通したのは本当のようだね
河村哲夫『立花宗茂』に書いてある話。

234: 人間七七四年 2007/08/22(水) 00:59:45 ID:4ip6oDyj
>>231
忠興弟・興元の2度目の妻が宗茂の娘だから、それが関係してるかも?

236: 人間七七四年 2007/08/22(水) 06:34:32 ID:gsbfuuQL
>>231
立花宗茂は夏の陣の時に忠興の部隊と一緒に毛利勝永と戦ってるしね。
客観的に見ると仲良しとして描かれるだけの接点はあるように思われる。

237: 人間七七四年 2007/08/22(水) 06:56:53 ID:05DsuYBW
矢島氏が来たせいで正室と別居になったんじゃないっけ?宗茂

240: 人間七七四年 2007/08/22(水) 12:37:47 ID:57h2NKHl
細川親子の肖像画てないの?

241: 人間七七四年 2007/08/22(水) 13:38:30 ID:6A0he+1L
藤孝は菩提寺の南禅寺天受庵に左うちわwの肖像画があるよ。
これは掛け軸になった物で、妻の麝香夫人のも対である。

忠興のもあったと思うが所蔵までは覚えていない。
Hosokawa_Yusai


245: 人間七七四年 2007/08/23(木) 01:11:00 ID:/PYL2tyV
忠興の肖像画っぽいのみたことあるけど、結構イイ男だった
ガラシャとは美男美女夫婦と言われてたらしいし

246: 人間七七四年 2007/08/23(木) 22:50:59 ID:bZYN+J/k
永青文庫の「細川家歴代の肖像画400年」展(19日で終了)で、幽斎・忠興の隠居・剃髪後の肖像画見たけど、幽斎は丸顔で、忠興は面長だったよ。
忠利はどっちかつうと、束帯姿の幽斎に似てたな。(性格的にも忠興の子とは思えん。)

255: 人間七七四年 2007/08/28(火) 06:10:55 ID:OyWw+vxW
忠興の鎧が見たいけどググっても出てこない

256: 人間七七四年 2007/08/28(火) 10:38:53 ID:1JiPSSVk
>>255
http://www.kmnh.jp/hosokawa/
の黒糸威横矧二枚胴具足
hosokawa-gusoku
黒糸威横矧二枚胴具足 永青文庫蔵


257: 人間七七四年 2007/08/30(木) 15:06:37 ID:6Uy48X28
>>256
ありがとう!
頭の羽すげーwww目立ちまくりじゃないか

259: 人間七七四年 2007/08/30(木) 21:05:06 ID:lrtx4y4H
>>257
関ヶ原で舞鶴に例えられたくらいだしな。
現代人には奇抜に見えるけど当時はかなり綺麗に見えたみたい

264: 人間七七四年 2007/09/05(水) 00:28:34 ID:LeEKSpo7
細川幽斎って、京都で猛牛が暴れて突進したのを素手で止めたってどっかの本で読んだけど、本当?
だと、すると、相当の体格のいい人だったんだね。

265: 人間七七四年 2007/09/12(水) 23:02:14 ID:+2GNlpDH
>>264
弟子の松永貞徳が幽斎から直接聞いた話だそうで「戴恩記」に載ってる話。
他の怪力エピとしては、幽斎が織田信勝の屋敷へ入ろうとした時に門番が不審人物と誤解し竹の棒を突き出され、すかさず竹棒とともに門番の手をねじり上げ手の骨を砕いてしまったという話もある。

266: 人間七七四年 2007/09/17(月) 22:15:56 ID:CDKLH4zR
日本史小典の中に織豊時代の人々<キリスト教の伝来>で黒田如水と一緒になぜか忠興が載っている。如水の備考欄は「受洗大名」だが、忠興のは「妻・ガラシア」となっていた!だったらガラシャを項目にすべきと思うが・・・。

267: 人間七七四年 2007/09/17(月) 23:24:18 ID:CDKLH4zR
ガラシャが忠興宛に書いた手紙を読むと「この書に対してはお返事は結構です」
とわざわざ断り書きしてるとこ見ると、ガラシャが次の手紙書く前に忠興から手紙届いちゃってたのかな?
(他の書状読むとガラシャは筆不精だったみたいで、だとしたら苦痛だろうな)

269: 人間七七四年 2007/09/18(火) 01:40:44 ID:KzpgK+bw
忠利との書簡もかなり残っていたり、娘に「頭を剃ったら親父そっくりだw」なんて手紙を送ったりしてるあたり、かなり細川忠興という人は筆まめだったんじゃないか

270: 人間七七四年 2007/09/18(火) 13:59:37 ID:zMxinAnR
「夫の留守中くらい、こっちはノンビリしたいのに、あの人ったら手紙まで寄越して来て、しつこいのよ!」って感じかも
忠興の(愛の)束縛が鬱陶しかったのね~

271: 人間七七四年 2007/09/18(火) 18:12:57 ID:62oZhhrc
律儀な忠利は、忠興からあんまりおびただしく書状がくるので閉口しながら返事してたらしい。実際、忠興が手紙の中で「なにより手紙を書くのが好きなので」と書いてる(笑)
忠利死後、今度は孫の光尚が忠興の相手しなければならなかったから手紙の量にびっくりしたんじゃないか?

272: 人間七七四年 2007/09/18(火) 21:05:32 ID:Z/Chww4x
今の時代だったら忠興はメール魔だな

273: 人間七七四年 2007/09/18(火) 21:31:21 ID:h8mGDazl
忠興「何よりメールを送るのが好きなので」

274: 人間七七四年 2007/09/18(火) 23:42:20 ID:ISKvZY53
世が世なら防犯カメラでなく、嫁に監視カメラと盗聴マイクをつける家庭内ストーカーだな。

276: 人間七七四年 2007/09/19(水) 00:56:08 ID:izyk0OFm
>>274
絶対やっていたはず!

279: 人間七七四年 2007/09/19(水) 21:46:03 ID:EnGCmEJ0
>>276
そのとおり!
「この若い越中殿の妻に対する過度の嫉妬と彼女に対して行った極端な監禁は普通一般の日本人の習慣とは大いに異なって信じられぬほど厳しいものであった。2人の身分の高い家臣に昼夜を問わず妻の監視を義務付けた。ごく親しい親戚か身内の者以外には彼女へのいかなる伝言も許さぬようにした。」
-ルイス・フロイス「日本史」より要約-

280: 人間七七四年 2007/09/19(水) 23:09:06 ID:d2Yg4h9w
極端な監禁って、当時の身分が高い奥方なら普通だった外出の規制を文化の誤解で(または忠興を反キリスト教な人物として)書いたとも考えられる。昼夜を問わずの監視も、身辺警護なら昼夜を問わないで行うのは普通だし。自殺しそうなガラシャを見張るためだったとも言える。
「普通一般の習慣と違い」って一般庶民の妻と大名の妻とでは、厳しさが異なって当然だからフロイスの言葉を全て鵜呑みにするのは危険だと思うが。

281: 人間七七四年 2007/09/19(水) 23:20:41 ID:aGk56WC7
フロイスの日本史は確かに貴重な資料ではあるけど、キリスト教に好意的でない奴らのことはボロクソ書くし、秀吉の側室200人というのも、実際は側室とそのお付きや侍女も含めての人数で、どうもフロイスはそこらへん理解出来てなかったみたいだし。鵜呑みはできまいて

289: 人間七七四年 2007/09/25(火) 22:50:31 ID:Fpt/V0cQ
忠興公(俺達熊本県民はこう呼んでいる)はガラシャ夫人亡き後イエズズ会宣教師と親しくなりローマ字の印鑑をプレゼントされたらしいが(『tadawoqui』と彫られている)

290: 289 2007/09/25(火) 22:59:42 ID:Fpt/V0cQ
さらにいえば3男の忠利公もローマ字印をプレゼントされたとのこと(『tadatoxi』と彫られている)

283: 人間七七四年 2007/09/21(金) 23:19:37 ID:Pmo0BrdU
細川細川つってるけど、元は三淵氏。
だが三淵氏についてハッキリしない。
尊氏の落胤とか義満の落胤とか。

285: 人間七七四年 2007/09/22(土) 00:36:18 ID:zcmkoxF0
>>283
その三淵晴員が和泉守護細川家の出身で、彼の母系が三淵氏だったはず。
つまり、父系では細川、母系では三淵氏(将軍家の落胤?)の血筋

287: 人間七七四年 2007/09/25(火) 21:29:28 ID:4qZ7ZXiu
幽斉の血筋なんて、どうでもいいよっ
細川忠興は、細川奥州家の細川輝経の家系を継いだんだから
肥後熊本藩にとっては、細川輝経の経歴のほうが重要
細川 輝経

細川 輝経(ほそかわ てるつね、生没年未詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。細川氏の一族で、細川奥州家当主であり、前奥州家当主である細川晴経の子。一族の細川藤孝の長男忠興を養子とし、藤孝や一色藤長らと共に将軍家の近習として義輝に仕えた後、義輝の弟の義昭にも仕え、義昭が織田信長に追放された後も他の幕臣と共に義昭に従い、備後鞆の浦に下向した。

関ヶ原の戦いの前には大坂細川邸にて忠興の妻玉を守ろうとし、丹後久美浜城の守将を務めたが、戦後西軍に内通したとして切腹させられた。

291: 人間七七四年 2007/09/25(火) 23:07:36 ID:6HynxyT6
>肥後熊本藩にとっては、細川輝経の経歴のほうが重要

忠興自身は自分の才覚で大名になったという自負のほうが大きかったようだけど。
忠興が幕府から藤孝以前のことを聞かれて”俺が初代なんで、その前のことなんて知らね”といったとか。

でも何で嫡妻の子供でしかも長男を養子に出したんだろう。
すぐ下に同母弟もいるのに。

293: 人間七七四年 2007/09/26(水) 00:07:23 ID:buPTAHVQ
>>291
>でも何で嫡妻の子供でしかも長男を養子に出したんだろう。
>すぐ下に同母弟もいるのに。

義輝の命令で養子に出したという話が本当であれば話は簡単。
興元がまだ生まれていなかったから。
339: 人間七七四年 2008/01/04(金) 14:07:46 ID:FwXTsQGn
忠興って細川輝経の養子になったのに藤孝のそばにずっといたのはなぜ? 
更に、小さい頃から藤孝のこと嫌ってたよね。 
手に負えなくて玉甫和尚のトコに預けられてたし。

342: 人間七七四年 2008/01/05(土) 13:50:13 ID:Q3IneSqI
>>339 
長岡姓にも同じように改名しているし、藤孝が隠居したときにも忠興が所領を相続しているんだから 
輝経との関係はあくまで名目上のことにすぎないのでは。 

340: 人間七七四年 2008/01/05(土) 10:46:24 ID:VdxvkJ7k
忠興が玉甫に預けられた期間って藤孝らが義昭を連れてに各地を巡っていた頃なんですかね? 
じゃあ玉甫が忠興の傅役ってことになるのかなぁー

342: 人間七七四年 2008/01/05(土) 13:50:13 ID:Q3IneSqI
>>340 
藤孝が義昭と亡命生活を送っていたときは、忠興は守り役の夫婦と一緒に、京都で潜伏生活をしていた。 
この夫婦の子孫は江戸時代にも引き続いて細川家に仕えている。(全然高待遇じゃないけど)

344: 人間七七四年 2008/01/05(土) 18:39:19 ID:VdxvkJ7k
>>342 
答えていただきありがとうございます。 
その傅役は中村と言う夫婦でしょうか? 
手持ちの資料には記載がなかったので、もう少し詳しく教えていただけませんか?

346: 人間七七四年 2008/01/06(日) 13:08:49 ID:T7WgS4EO
>>344
乳母は細川家家臣中村新助の妻。 
のちに細川家奥向きの大局をつとめる。知行百石。 
忠興-忠利の書状に、大局の娘から借米した話がいくつかでてくるので、結構お金持ち?

382: 人間七七四年 2008/01/18(金) 23:00:01 ID:UffQBCTM
以前中村新助について質問させていただいた者なのですが、あれから中村新助について調べてみたのですが、手に入った資料には来歴までは書かれていませんでした(汗)。 

彼はそこそこ高い身分にあったのでしょうか? 奥さんの事は書いてありましたが、彼がどのように生きて亡くなったか、どなたか教えて頂けませんか? 

なにとぞよろしくお願いします。

383: 人間七七四年 2008/01/19(土) 21:40:50 ID:/cVr/oYs
>>382 
永禄11年に百五十石遣わされたと記録にあり。 
(乳母である妻には別に百石与えられた) 
豊前で病死したらしい。 

302: 人間七七四年 2007/09/28(金) 19:53:00 ID:iUQCkcdy
義輝が殺されたとき、藤孝は勝竜寺にいたため、難を免れたとする小説があるんだが、
当時、三好党が支配する勝竜寺に、藤孝がいれるはずがないよね。

303: 人間七七四年 2007/09/28(金) 22:41:48 ID:5T9qZzE/
>>302
いや、義輝家臣をみな殺しにするって目的だったわけでもないし。(後に義昭の家臣になった足利氏の譜代家臣が一杯登場するでしょ)
非番かなにかで、藤孝が居城にいたらとりあえず危険はない。
屋敷を囲んで奇襲かけたから、屋敷内の男達は全滅かもしれないけど。

304: 人間七七四年 2007/10/11(木) 02:54:13 ID:C6LWWsWS
>>302
足利義輝暗殺の翌年の段階では、岩成友通が城主になっているが、それより以前は細川元常(細川幽斎の養父)が城主なんだよな。だから藤孝が城主で、義輝暗殺後に三好が接収した可能性もあると思うが、誰か詳しい人いる?

ただ、藤孝にポジションからみても、洛中の自邸にいた可能性も否定はできんかな。


細川家中の岩間六兵衛が武田義信の遺児という情報をみたことあるが、本当かなあ。尾池玄蕃といい、おちぶれた名族のたまり場になっている気がw

305: 人間七七四年 2007/10/11(木) 23:23:48 ID:HQj+EhU+
>>304
>岩間六兵衛

ググると、信玄・六男:武田信清の子となってるな。
ただ本当に武田氏の縁者なら、若狭武田氏の方が可能性があると思うな。

306: 人間七七四年 2007/10/12(金) 17:40:32 ID:rp8V+8si
>>305
義信の遺児で、小笠原経由で細川に仕官らしいが。
信清の子っていうのもぐぐると出てくるな。

307: 人間七七四年 2007/10/27(土) 17:21:57 ID:ZWdcSEUy
熊本藩って水戸藩並みにうさんくさい家柄の人物取り立ててるよな

308: 人間七七四年 2007/10/27(土) 17:35:58 ID:RQ+880Mp
>>307
この両藩は没落した名門の溜まり場と化してる雰囲気。

310: 人間七七四年 2007/10/31(水) 17:11:50 ID:uJ5Xt29f
ttp://www.shinshindoh.com/00-x-busyou.htm


斯波武衛家の末裔までいるのか・・・

311: 人間七七四年 2007/11/02(金) 08:59:12 ID:8Qddn4QZ
>>310
リンク先みるかぎり、水戸藩みたいに手当たりしだいに集めたというわけじゃなくて、室町幕府に仕えた仲とか血縁などを頼って自然と集まったって感じですかね。

しかし、吉良親実と久武親直の子孫が両方仕えているってのもすごいな。

312: 人間七七四年 2007/11/02(金) 09:30:57 ID:O0Ox5kXL
しかも久武の子孫が吉良の子孫を頼っている件w

>>311
重臣も旧室町幕臣系が多いしね。

313: 人間七七四年 2007/11/03(土) 01:09:59 ID:qPG4mCDW
まぁ、厚顔な家系なんだろうねぇ。
逆だったら泣けるが・・・

320: 人間七七四年 2007/11/19(月) 21:24:09 ID:IGoRsXKH
まあ久武に関して言えば家督の問題で元親の意を汲んで動いていたっぽいからなぁ
公では対立しても私では恨みとかなかったんではないのかなぁ
しかし面白いぐらいに没落した人が集っているね

321: 人間七七四年 2007/11/19(月) 21:28:56 ID:BN+3KB/I
足利幕府の後始末をまとめて引き受けた、って感じか。

322: 人間七七四年 2007/12/15(土) 09:54:25 ID:xJ5csQ+v
03年頃のスレみてたが
忠興が男色家だったと書かれてて全く否定する人いなくて笑ったw
あと牛肉大好きだったのは意外だな

323: 人間七七四年 2007/12/17(月) 17:47:46 ID:d+6lPTtn
忠興は家中の衆道を禁じたらしいから男色ってセンは薄そうだけどなぁ

324: 人間七七四年 2007/12/17(月) 22:07:33 ID:C3JgtkH+
うん、それを知ってるから余計もどかしくてさ~w
戦国武将=男色で忠興もひとまとめにされてた頃があったんだなぁと

326: 人間七七四年 2007/12/18(火) 21:20:14 ID:wOlXkKQi
細川家に残ってる右近の決別の書状だと意味深だよな

327: 人間七七四年 2007/12/18(火) 23:01:43 ID:0BWl94I8
>>326
ちらっと紹介してクレクレ>右近の決別の書状

329: 人間七七四年 2007/12/20(木) 21:18:58 ID:LgQBnDaG
>>327
「近々、出船いたすことになりました。ところで、このたび一軸の掛物を差し上げます。どなたに差上げようかと思案しましたが、やはり貴方様にこそ相応しいもの、私のほんの志ばかりでございます。
(中略)
六十年来の苦もなんのその、今こそ、ここに別れがやって参りました。先般来の御心尽くしのお礼は、筆舌につくす事はできません。・・・」
八代市でやってた小西行長展に陳列されてたらしい。


366: 人間七七四年 2008/01/14(月) 22:55:30 ID:6Qza703d
名物・阿弥陀堂釜を、忠興が休無(忠隆)に譲った時に「おまえのような数寄者にこの釜をつかわすのはあたかも阿弥陀を地獄に落としたようなものだ」と言ったそうだ・・・。なんてひどい言いようだ。
その後忠隆は(忠興死後)甥の光尚にこれを譲ったそうで、こんなひどい言われたかたしたんじゃ持っていたくなかったのでは?

373: 人間七七四年 2008/01/15(火) 19:04:07 ID:NQSByyxt
>>366
なんせ茶杓を譲るのに「涙を流して・・・」などと未練たっぷりな添え状出すような奴だからね。

377: 人間七七四年 2008/01/15(火) 22:54:20 ID:l6tSV1Ew
>>373
光尚も被害者その3です。[肥後拵え]だか「歌仙拵え」のどちらかを婚礼の時引き出物で忠興から譲られたんだけど、涙を流して惜しんで「特別にくれてやる」とか言って与えたそうだから、光尚もいやな思いしてるよ。
でも総合して考えると、一番接点が多かった忠利が一番の被害者かも。


374: 人間七七四年 2008/01/15(火) 20:03:04 ID:1UQJwfTF
このスレでさんざん分かっていたつもりだったんだが





・・・超弩級に嫌みな奴じゃん、忠興w
よく幕府に取りつぶされなかったもんだ。

375: 人間七七四年 2008/01/15(火) 22:04:49 ID:UMn+MXsx
>>374
幕府に対してはとても良い人だったから。

378: 人間七七四年 2008/01/16(水) 09:16:04 ID:Nmp5+zVa
狡猾也。細川家。まぁそれでもお家守るって考え方では良いのかな? 
それだけだけど・・。

379: 人間七七四年 2008/01/17(木) 18:12:51 ID:gjlIG4Ys
人間的な問題点もまた興味深いし面白いと思うんだがなぁ、忠興

引用元: ・細川幽斎(藤孝)・忠興父子を語るスレ




細川三代 〔幽斎・三斎・忠利〕
春名 徹
藤原書店
売り上げランキング: 354,507