1: 人間七七四年 2007/07/01(日) 03:47:30 ID:sbNCVy1x
戦国時代に意外と少なかった
戦場での働きだけで有名になった武将
豪傑と呼ばれたような武将を語ってくれ!








2: 宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c 2007/07/01(日) 03:54:53 ID:tv2mib8o
馬場職家

3: 人間七七四年 2007/07/01(日) 03:55:49 ID:+FhOatHU
塙直之
塙 直之

塙 直之(ばん なおゆき)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。後世、『難波戦記』などの軍記物や岩見重太郎の講談などで有名になったため、塙 団右衛門(ばん だんえもん)の名でも知られる。

慶長19年(1614年)、大坂冬の陣が始まると、直之は還俗。浪人衆の1人として大将・大野治房の組に預けられ、和議が迫った頃、志願して夜襲の許可を得て、11月17日、直之は米田監物と共に蜂須賀至鎮の陣に夜襲をし、その家臣・中村右近を討ち取るなど戦果をあげた。その際、直之は本町橋の上に床几を置いて腰かけて動かず、士卒に下知を飛ばして戦い、「夜討ちの大将 塙団右衛門直之」と書いた木札をばら撒かせた。


48: 人間七七四年 2008/03/02(日) 05:06:52 ID:gyM9mSpl
薄田兼相(岩見重太郎)

>>3
諱の「直之」よりも、「団右衛門」の方が有名だな。

5: 人間七七四年 2007/07/01(日) 11:45:40 ID:eyW0WuUr
馬場職家なんて宇喜多家臣の中でも下っ端だろうが。

6: 人間七七四年 2007/07/01(日) 12:51:10 ID:787+KIpk
最初から最後まで槍働きの武将って、大軍を率いる機会がなかったか、大軍を率いる能力がなかったかのどちらかだな。


7: 宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c 2007/07/01(日) 13:48:44 ID:tv2mib8o
飯田覚兵衛

飯田 直景(いいだ なおかげ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。尾張加藤氏の家臣。日本槍柱七本や加藤十六将、加藤家三傑の1人。武勇に優れ、中でも槍術は特筆すべきものであった。天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いにおいても清正の先鋒として活躍した。

10: 宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c 2007/07/02(月) 03:22:57 ID:Pfg6pPka
「槍師々々多けれど、名古屋山三は一の槍」

蒲生氏郷の小姓。後に津山城にて喧嘩した男である。

名古屋山三郎

名古屋(那古野) 山三郎は、安土桃山時代の武将。蒲生氏、森氏の家臣。

名生城の一揆勢攻略では、白綾に赤裏を付した具足を着け、猩々緋の羽織を着て、手槍を掲げて城中に駆け入り、一番槍を付け好首を挙げた。これはのちに小歌にもなり、「鑓仕(槍士)鑓仕は多けれど、那古野山三は一の鑓」とうたいはやされた。

慶長8年(1603年)、忠政は関ヶ原の戦いにおける恩賞として美作国津山藩に移封された後に新しい城を院庄に立てる事を計画。この時、山三郎は宇右衛門を殺すように忠政より命令され、忠政から直々に刀を賜っている。その後、工事現場において宇右衛門と居合わせた山三郎は喧嘩口論の末に抜刀して襲い掛かるが、逆に宇右衛門に切り伏せられ死亡する。享年は28とも32とも伝わる。

11: 人間七七四年 2007/07/02(月) 22:37:10 ID:lTA5Alhk
返り討ちにあって死んだやつかw

12: 人間七七四年 2007/07/03(火) 00:01:10 ID:dpo5BGie
本多平八郎・島津忠常・後藤又兵衛
直江兼続・飯田覚兵衛・吉川広家に小野和泉を
含めて日本七槍

13: 人間七七四年 2007/07/18(水) 12:57:49 ID:JV15YAYo
>>12
一軍を率いている人物が多いような・・・
もし彼らが槍働きをしている間
誰が指揮を取るんだ?

14: 人間七七四年 2007/07/18(水) 13:27:30 ID:zyJq5ClG
槍といえば槍の又座だろ
前田利家は本田忠勝が勝てないと言った相手だぞ

47: 人間七七四年 2007/12/28(金) 14:15:44 ID:8GwoTYGH
>>14
家康が忠勝、半蔵などを連れて来た所、信長はなんと前田利家一人しか連れてこなかった
そこで家康が

家康「いざとなったら斬れるか?」
忠勝「いえ、とても斬れそうにありません」
半蔵「相打ち覚悟なら斬れます、だが確実に殿も斬られるでしょう」

じゃなかったけ?

15: 人間七七四年 2007/07/18(水) 13:54:37 ID:MadPQKci
正確には勝てなかった、じゃなくて「勝負したらどうなるか?」みたいなことを家康に聞いて「勝てそうにありません」と忠勝が答えたらしい、程度だけどな
でも当時年齢差があることを考えると……
49: 人間七七四年 2008/03/02(日) 05:56:03 ID:Eq04T6Gc
>>14-15って清洲同盟で忠勝が家康の護衛でついてった時のかな 
実際家康と信長の本人同士が会うわけないなんて話もあるが 
もしその時なら家康19歳、忠勝14歳、利家23歳か・・・ 
家康、中坊に変な質問すんなよ・・・

16: 人間七七四年 2007/07/19(木) 07:09:16 ID:oMsUj+eE
>>1
富田重政

冨田 重政

冨田 重政(とだ しげまさ、永禄7年(1564年) - 寛永2年4月19日(1625年5月25日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。

1583年の能登国末森城の戦いでは一番槍の武功を挙げたことから利家の賞賛を受け、富田景政の娘を妻とした。小田原征伐や関ヶ原の戦いにおいても、前田軍の武将として従軍している。これらの戦功から、1万3670石の所領を与えられた。

利常に従って1614年からの大坂の陣にも参戦し、19人の敵兵の首級を挙げるという武功を立てた。1625年に死去。享年62。戦国時代における中条流の剣豪の一人であり、越後守の官位から「名人越後」と称されて恐れられた。


17: 人間七七四年 2007/07/23(月) 16:02:02 ID:hSzZZXnj
笹の才蔵がすき
可児 吉長

可児 吉長(かに よしなが)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。

笹の指物を背負って戦い、戦いにおいては敵の首を討つことが常に多くてとても腰に抱えることができなかったため指物の笹の葉をとって首の切り口に入れておいた(あるいは口にくわえさせた)という。このため、才蔵の討った首と合戦の直後にすぐにわかったという。これらの経緯から、「笹の才蔵」と称された。


19: 人間七七四年 2007/07/23(月) 20:04:55 ID:TJst5c7P
最近、才蔵の小説読んだが使えた主人が福島政則 以外滅んでるのなw

20: 人間七七四年 2007/07/24(火) 01:45:49 ID:mdXDtTfl
藤堂高虎並の疫病神だな
21: 人間七七四年 2007/07/24(火) 03:18:07 ID:0mMiO6Wb
「武士たるもの七度、主君を変えねば武士とは言えぬ」 
福島も改易だけどな・・

22: 宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c 2007/07/24(火) 03:32:23 ID:tXSITDDh
>>21
実際に主君を7人変えたのって、日根野弘就ぐらいしか思いつかんがね。
斎藤道三→斎藤義龍→斎藤龍興→今川氏真→浅井長政→織田信長→豊臣秀吉→豊臣秀頼

義龍→龍興と秀吉→秀頼はいいが、斎藤家では義龍弟2人暗殺の実行犯。

25: 人間七七四年 2007/07/24(火) 14:52:25 ID:0dLSKzGh
>>22
立花宗茂も一応7人になるんかな?
宗麟→吉統→秀吉→秀頼→家康→秀忠→家光
自分から選んだというよりは、流れでそうなっちまったって感じだけど。

これだけ主君がコロコロ変わっておきながら旧領復帰というのは、戦国一のラッキーマンだな。それだけ実力も認められてたんだろうけどさ。

26: 人間七七四年 2007/07/24(火) 15:57:05 ID:dA0/D2Bk
>>25
宗茂というより家臣がしっかりしてたからね。
小野・由布辺りか。 
18: 人間七七四年 2007/07/23(月) 16:10:40 ID:EE8bM4Bj
長坂血槍九郎

長坂 信政(ながさか のぶまさ、生年不詳 - 元亀3年11月15日(1572年12月19日))は、戦国時代の武将。

松平氏三代(松平清康、松平広忠、松平家康)に仕え、尾張の織田氏との戦いで活躍するなど、槍働きで功名を挙げたため「血鑓九郎」の異名を与えられ、この異名は信政の子孫代々に受け継がれた。

30: 人間七七四年 2007/07/27(金) 04:54:54 ID:3rtVjZVW
槍なら若かりし頃の榊原康政を推してみる


32: 宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c 2007/07/27(金) 13:12:07 ID:dUmWdNlc
宇喜多家の誇る八浜七本槍

能勢頼吉
国富貞次
宍甘太郎兵衛
馬場職家
岸本総次郎
小森三郎右衛門
粟井三郎兵衛(戸川秀安を入れる異説もある)

34: 人間七七四年 2007/08/05(日) 17:43:02 ID:NLdnmgel
小豆坂七本槍

織田信光
織田造酒丞
下方弥三郎(貞清)
岡田助右衛門尉(重善)
佐々隼人正
佐々孫介
中野又兵衛(一安)

35: 人間七七四年 2007/08/06(月) 10:29:25 ID:u1DeqTZY
八浜の七本槍(中国の役)

能勢又五郎
国富源右衛門
宍甘太郎兵衛
馬場重助
岸本惣次郎
小森三郎右衛門
栗井三郎

36: 人間七七四年 2007/08/09(木) 05:04:01 ID:P7QQ4Ut7
○々橋の七本槍というのを見たことがある。
確かビタビタとフリガナが振られていたと思うが。
小豆坂七本槍の後から関ケ原の間だった。

38: 人間七七四年 2007/08/26(日) 23:53:37 ID:gS/OCQZj
渡辺半蔵を推す!

39: 人間七七四年 2007/08/27(月) 22:14:13 ID:5U6SbxxU
>>38
徳川信康の介錯をした人だっけ?

50: 人間七七四年 2008/03/02(日) 05:56:54 ID:Eq04T6Gc
>>38
一応スレタイの渡辺って半蔵守綱だよな
他にいるのかな

51: 人間七七四年 2008/03/02(日) 06:27:58 ID:gyM9mSpl
>>50
渡辺了(勘兵衛)では?

45: 人間七七四年 2007/11/27(火) 13:00:31 ID:bwgWipLl
水野勝成

46: 人間七七四年 2007/11/28(水) 15:22:41 ID:sGi2VIyU
池田輝政が何故でない・・・・・・・・・・・。

52: 人間七七四年 2008/03/02(日) 15:23:10 ID:6d3gXX1s
槍弾正こと保科正俊
保科 正俊

保科 正俊(ほしな まさとし、永正8年(1511年)- 文禄2年8月6日(1593年9月1日))は、戦国時代の武将。武田氏の信濃先方衆(120騎持)の1人として活躍し、下伊那攻めや北信濃攻めに従軍した。特に槍に優れた使い手であったため、「戦国の三弾正」に数えられ、高坂昌信の「逃げ弾正」、真田幸隆の「攻め弾正」に対して「槍弾正」と称された。

引用元: ・【可児】槍働きの武将を語る【渡辺】