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1: 世界@名無史さん 2006/10/30(月) 01:19:40 0
古今東西、食文化の歴史について語りましょう。 








214: 世界@名無史さん 2006/11/06(月) 20:33:27 0
明の皇帝は、江南の出身で北京に住んでる(永楽帝以後)のですが、米と小麦とどっちを主に食べていたんでしょうか?
清(満漢全席)だとやっぱり小麦主体なんでしょうか?

北京の庶民だと小麦主体な気がしますけど。

215: 世界@名無史さん 2006/11/06(月) 21:53:00 0
明の時代の技術・品種では小麦は華北で栽培できないよ。
穀物は黍または粟だろう。

221: 世界@名無史さん 2006/11/07(火) 10:20:15 0
>>215
マジ?
さすがに雑穀農耕だとあの人口を維持できんだろうに。
黄河文明圏は、なに食ってたんだ。
ホントに粟が主食だったのか?
古代ならともかく、明の時代まで?

220: 世界@名無史さん 2006/11/07(火) 04:49:23 0
皇帝が黍や粟を食うとは思えないんだが・・・
庶民ならそれでもいいけどさ。

222: 世界@名無史さん 2006/11/07(火) 12:18:09 0
んな訳ないだろ。大昔から小麦を栽培して食っとるわ

223: 世界@名無史さん 2006/11/07(火) 12:21:18 0
小麦が華北で栽培できないとは思えないがなあ。最適の気候とまでは言わんけど。
必要ないから、あるいはもっと別の作物が良かったから、栽培しなかったんじゃ?

224: 世界@名無史さん 2006/11/07(火) 13:18:23 0
小麦は漢の頃に黄河流域で栽培されはじめた、と聞いたが。

231: 世界@名無史さん 2006/11/07(火) 20:59:52 0
孔子があちこちウロウロしてた時代は普通に五穀の雑穀飯を食ってたんじゃないの?

232: 世界@名無史さん 2006/11/07(火) 21:15:44 0
孔子はキビ飯を手づかみで食ったという。
この話を例に、「殷の紂王が象牙の箸を使ったというが、これは後世の創作で、春秋時代でもまだ箸は使われていなかった」
とする説がある。

258: 世界@名無史さん 2006/11/08(水) 15:24:56 0
後漢の頃の黄河は今と流路が違って今の山東省の南、陝西省を突っ切って今の淮河の流路に近いものだから、流域で稲も小麦も十分栽培できる。
前漢の頃には小麦そのものが無いし、春作ができるようになるのは品種改良の進んだ18世紀からだし。

262: 世界@名無史さん 2006/11/08(水) 17:27:52 0
>前漢の頃には小麦そのものが無いし

マジで?小麦がそんなに歴史浅いはずが無いと思うんだけど
しかも春作って春に蒔くって意味だよね?それが出来ない意味も分からんのですが。
一番良い発育時期でしょ。
品種改良のおかげで休耕期に麦の栽培が出来たって文意にしたいなら秋作のほうでは

263: 世界@名無史さん 2006/11/08(水) 18:21:51 0
>>262
伝わってきていないという意味で、支那世界にはその時代に小麦は無い。
小麦も大麦も地中海性気候のもとで進化したもので、あまり寒くならず降雨の多い冬季に生育し、高温だが乾燥する夏には休眠状態となる生態。
豌豆、菠薐草、菜種、大根、玉葱、チューリップ、シクラメン、蓮華草などが、こういう性質を持つ。動物にもあって、繁殖に水の必要な、蚊には、専ら冬季に活動する生態を獲得したものもある。有名で実害のあるものは、昭和40年代に伝来したチカイエカ。
春撒の小麦は、なんとか経済性の高い(売ると儲かる)小麦を自国で大量に生産したいというドイツがちゅうしんになって18世紀に開発した。

270: 世界@名無史さん 2006/11/08(水) 23:11:18 0
NHKの「新シルクロード」によれば、すでに4000年前にタクラマカン砂漠のオアシスには小麦があったというよ。

277: 世界@名無史さん 2006/11/09(木) 00:05:45 0
>>270
4000年前のタクラマカンって中国(支那)圏ではなくて、ペルシャの文化圏だし。

278: 世界@名無史さん 2006/11/09(木) 00:18:41 0
石毛直道の『文化麺類学ことはじめ』によれば、6000年前の河南省の遺跡から炭化した小麦が発見されている。
すでに前漢時代には華北では本格的に小麦が栽培され、それを製粉するための碾き臼も多数発見されている、とのこと。

279: 世界@名無史さん 2006/11/09(木) 01:41:49 0
メソポタミアで小麦の栽培が始まってはや1万数千年。
小麦栽培が支那に到達したのもすごく早かったんじゃないの?

283: 世界@名無史さん 2006/11/09(木) 19:29:22 0
>>279
メソポタミア、インダス、エジプトは文明化がほぼ同時に始まっているけれども、黄河・長江は1000年くらい遅れているよ。

285: 世界@名無史さん 2006/11/09(木) 20:08:02 0
<小麦について>米に比べた時の小麦の長所・短所
○雨の少ない乾燥地帯でも育てやすい。
○日本で栽培した場合、冬にまく小麦は6月には収穫できるので夏の水不足、台風などの影響を受けにくい。
○反対に梅雨時の長雨に弱い。
○外皮が強く胚乳(中身)がもろいので、米のように粒としては利用しずらい。粉にして利用するが製粉の手間が大変。
○小麦粉はグルテンの採用でノビがあり麺状に加工しやすい。

栽培の歴史 紀元前9000年-ジェリコ(現イスラエル)で小麦が栽培される。(遺跡から栽培跡が発見されています。)
紀元前7000年-チグリス、ユーフラテス流域(イラク、トルコ、シリア)で小麦の栽培が始まる。大麦と共に最初の栽培穀物。
紀元前5000年-今日の小麦の90%を占める"パンコムギ"が出現(コーカサス)
紀元前3000年-小麦栽培がヨーロッパ全土、及び中国に広がる
紀元前1000年-"デュラムコムギ"の出現
紀元後3世紀-日本に伝えられる(弥生前期と言われる松山市の鶴ヶ峠遺跡から小麦が見つかる)
17世紀-アメリカ大陸に伝わる
18世紀-オーストラリアに伝わる

※紀元前3000年-小麦栽培がヨーロッパ全土、及び中国に広がる

289: 世界@名無史さん 2006/11/10(金) 00:01:50 0
>>285
稲と比較すれば乾燥に耐えるけれども、小麦そのものは乾燥地の植物ではない。
どちらかというと乾燥には弱い。

290: 世界@名無史さん 2006/11/10(金) 00:58:54 0
俺も小麦は乾燥地に向くと聞いたがなあ。web上でもそのように書いた記述が多いし、少なくとも、どちらかと言えば乾燥に弱い、っつうのは違うと思うが。

292: 世界@名無史さん 2006/11/10(金) 01:29:00 0
文明化による集団化(都市集住)によって灌漑が可能になり、栽培が広がったもので、ハナから乾燥しまくってるところに小麦が生えているわけではないよ。

秋に蒔くから寒さに強いとか、気候の乾燥した地域での栽培が多かったり本邦で収穫期の梅雨で品質が低下したりするから乾燥に強いとか、いうのは誤解だ。冬季にほどよい暖かさが必要で寒すぎると収量が減るし、生育期にはそれなりに水が必要で本邦の冬には水が不足しやすい(冬~春の降雨が安定しない)ために収量が安定しないということは忘れられがち。冬季に降雨が足らなかったり、寒すぎたりすると、秋蒔きの小麦は産業的に栽培できず、大麦やライ麦や燕麦やらにとって代わられる。
なんで、燕麦というか。燕州(今の北京の周辺)の麦だから、燕麦だよ。今でも黄土地帯で灌漑の施設の整わない、用水の不足するところで栽培されている攸麦とというのが、この乾燥と寒さに強い燕麦のことだ。

233: 世界@名無史さん 2006/11/07(火) 21:25:50 0
匕か匙のたぐいは使われていなかったのだろうか。

234: 世界@名無史さん 2006/11/07(火) 21:44:41 0
骨製、青銅製の殷周春秋期のものがいくらでも出土してますよ、匕。

236: 世界@名無史さん 2006/11/07(火) 23:45:03 0
殷代の箸は出土していないの?

256: 世界@名無史さん 2006/11/08(水) 14:39:02 0
>>236
安陽の殷墟から、ちゃんと青銅製の箸が出土してる。

「目前出土最早的実物是河南省安陽市侯家荘M1005的銅箸和...」
http://www.guoxue.com/economics/ReadNews.asp?NewsID=3328&BigClassID=22&SmallClassID=94&SpecialID=86
※リンク切れ

237: 世界@名無史さん 2006/11/08(水) 00:50:34 0
傷害をおってフリーターもできなくなった俺
金も無くなった
在庫が米と納豆と味噌と雨水だけになった。付き気分は戦国時代の篭城食
年金(援軍)到来まで1月近くありますが、ろう城側の食事についてきしりたいな

350: 世界@名無史さん 2006/11/15(水) 13:58:09 0
>>237

ちと亀レスだが、篭城戦の悲劇コピペ。

明の末期の崇禎15(1642)年四月、かつて北宋の都として栄えた開封の街が、李自成率いる反乱軍に包囲された、以後城内の百万もの人間は、貴賎問わず飢餓地獄に叩き落されていくのである。

包囲されて数ヶ月のちの八月下旬にはついに穀物の備蓄が尽き、人々はドブの糸ミミズを掬い上げ、葱とともに炒めて食った。味は魚に似ていたという。一斤800銭で売られ、のちには三千銭に高騰した。屋根の上のれんげ草も食料として売られ、最初200銭、後に1100銭。溝の水草も食った。肥やし用の人糞に湧いた蛆も食い、それが尽きると粘土や馬糞を炒め、無理やり水で飲み下した。

これらが尽きるとついに人間に手を出す。大人数で哀れな一人を追い込んで捕まえて喰らう。敵の捕虜を切り刻んで城壁からばら撒くと、兵士も民も競って肉片を拾った。
九月はじめになると、身内同士でも喰らいあった。父は子を、夫は妻を、兄は弟を喰らう畜生道。金持ちは守備兵に財産をすべて没収された挙句、皆殺しにされていた。このころには人肉以外の食料は完全に尽き、肉をそぎ落とされた白骨が城内に散乱している。ボロをまとい垢まみれ、幽鬼の如く瘠せた生き残りが、白骨を打ち割り、骨髄までもすすって生きながらえていた。

9月18日、ついに開封の街は陥落した。かつての人口は100万人。戦が始まると新たに城外から2万人逃げ込んできて、やがて城壁の内部のほとんどが餓死戦死、そして食われた。生きて城外に出られたのは1万人のみだった。街の中心には明王室の宗室の宮殿があり、兵士や女官が1万人いたが、このうち生き残れたのは200人のみだった。

数ヶ月の篭城戦で、100万人が死に絶えたのである。

239: 世界@名無史さん 2006/11/08(水) 00:53:43 0
まずは篭城時に備えて城内に果実の木などを植えておくことが大切だ。

いまさら言っても遅いな。

240: 世界@名無史さん 2006/11/08(水) 00:55:47 0
太鼓の皮を破って煮て食ったり、革靴を煮て食ったり、人糞にたかる蛆を食ったり、土を食ったりするんだよ。
馬が死ねば馬を食う。そして人肉を食う。

242: 世界@名無史さん 2006/11/08(水) 01:02:09 0
城には松の木がよく生えているが、これにも美観以外の意味があるんだよ。
松は油が多いので、薪や松明に使えるし、根を焚いて取った煤は火薬の原料になる。
そして甘皮はよく煮て、餅に搗きこんで食う。

西洋の篭城はどうしているかは知らない。

253: 世界@名無史さん 2006/11/08(水) 03:56:40 0
>>242
そういや手塚治虫の終戦直後を描いた作品で、国から支給された(?)乏しい食料の中に「松葉ニッキ」と名付けられた松の葉っぱ(細長いトゲトゲのアレ)があったけど、実際に食べれるものなんだろうか?

ググってみたけど食べ方とか特に出てこないしちょっと気になる。

244: 世界@名無史さん 2006/11/08(水) 01:19:48 0
保存の利く乾物やら昆布やら何やらを壁の中に埋めるだの塗りこむだの入れておくだのそういう話は聞いたことがあるけど実際食えたもんなんだろうか

245: 世界@名無史さん 2006/11/08(水) 01:21:04 0
清の順治9(1652)年、南に逃げた明の残兵が新会の県城を包囲し、場内が飢餓に見舞われた際、清の官軍は住民を殺して食糧に当てた。ある将軍が老婆を食べるために殺そうとしたところが、莫という婦人が老婆の命乞いをした。将軍は老婆を解放し、かわりに莫婦人を煮て食べた。
李婦人は夫を兵士に連れ去られた。婦人が泣いて懇願することには
「夫にはまだ子供がありません。このままでは血筋が絶えてしまいます。かわりに私を食べて下さい。」
兵士は李婦人を煮て食べ、骨をその夫に与えて埋葬させた。
またある時、周辺数百人の農民が保護を求めて城内へ立ち入ろうとした。
県令は許さなかったが、例の将軍は「城内に入れろ!いざというときは我々の十日分の食糧となる。」と、彼らを城内に避難させた。
城は八ヶ月に渡って包囲され、一万人もの住人が清の官軍に食べられた。
戦乱が収まった後、将軍が道を歩いていると一人の男が彼を跪いて拝んだ。
訝しがって訊ねる将軍に彼は答えた。
「私の両親も妻も皆あなた様の腹の中で眠っております。彼らには墓がありませぬ、もうじき寒水節だというのにあなた様の腹を拝まなければ他の何を拝めば良いのでありましょうか」
さすがに将軍は恥じ、逃げるようにその場を去ったという。

247: 世界@名無史さん 2006/11/08(水) 02:01:45 0
そこまで酷い兵糧攻めは、日本には無かった。
殿様は人肉喰らう前に腹を切った。

251: 世界@名無史さん 2006/11/08(水) 02:47:27 0
>>247
三木の干殺しや鳥取の渇殺しのときに人肉食う兵が続出した、って記録があるけど、別所長治や吉川経家は食わずにすんだのかな。


307: 世界@名無史さん 2006/11/11(土) 21:43:12 0
北京ダックは皮のみクレープに包んで食うらしいが、肉はどうするの?

312: 自転車小僧 ◆IBmI/K76EY 2006/11/11(土) 22:37:49 0
>>307
捨てるところもあるけれど、従業員の賄いというのも多い。もちろん別の料理にして付け合せで出すところもある。自分が行った北京の便宜坊では肉の部分を野菜と炒めたものとスープにして出してくれた。
ただ聞いた話では北京ダックに使ったアヒルの肉は長時間窯で焼くから脂が抜けてしまい臭みだけが多くなって肉料理として食べると非常にマズイそうだ。
だから濃い味付けの炒め物や調味料で下味を付け直してスープにするんだろうけど。

310: 世界@名無史さん 2006/11/11(土) 21:57:37 0
以前台湾で、照り焼きアヒル肉が乗った飯「鴨肉飯」食ったことがあったが、骨のかけらがたくさん混じっていて口の中を傷めた。

肉を客が食わないのは、客の口を傷めないためだったりして。

313: 世界@名無史さん 2006/11/11(土) 23:20:11 0
北京ダックのコースの場合、肉は肉料理に加工して食べ、骨はスープに用いる。
また、水かきは辛子和えにしたり、肝臓は素揚げにしたりと、無駄なく一羽食べることができる。


317: 世界@名無史さん 2006/11/12(日) 08:31:31 0
北京ダックの肉を食ってみた人が言うには、
旨みが全く抜けてしまっていて食えたものじゃないとのこと。

319: 世界@名無史さん 2006/11/12(日) 15:35:33 0
もともとアヒルの焙り焼きは南京の料理だったが、燕賊簒位で都が北京に移ったのち、北京に持ち込まれて名物になった。

320: 世界@名無史さん 2006/11/12(日) 18:44:37 0
肉まで食わせるとおなかいっぱいになって他の料理を注文しなくなるので、皮だけ食うものだよ、とかいう誤魔化し方をするようになった。
本来は、皮も身も食うものだよ。

321: 世界@名無史さん 2006/11/12(日) 18:46:37 0
赤坂の中華料理屋では、肉ありと肉なしを選べたが……
肉ありを食べたけどおいしかった。

322: 世界@名無史さん 2006/11/12(日) 21:49:09 0
北京ダックは店の人に言えば肉も普通に出してくれるよ。
旨みが抜けててもちゃんと味付けてくれるから不味くて食えないなんてことはない。子豚の丸焼きは香港ではお店や事務所の新装開店祝いの時には欠かせない料理で肉もあとからちゃんと出てくるよん。

323: 世界@名無史さん 2006/11/12(日) 23:16:10 0
北京ダックに使うアヒルは「填鴨」(ティエンヤー)といい、生後二ヶ月くらいから米ぬか、玉蜀黍粉、小麦粉などを練った団子を強制的に食わせて肥育したものである。
ちょうどフォアグラのガチョウのようなものだ。

328: 世界@名無史さん 2006/11/13(月) 02:58:35 0
フォアグラはガチョウに無理やり餌を食わせて作るため、動物虐待と見る向きもアル。

332: 世界@名無史さん 2006/11/13(月) 07:28:48 0
>>328
いまは動物保護のため制限されている。

342: 世界@名無史さん 2006/11/15(水) 01:21:27 0
英国海軍は壊血病予防に船にライムを詰め込んだというが、ライムって英国の気候では栽培できないやろ?

あと、柑橘類って長持ちする?

343: 世界@名無史さん 2006/11/15(水) 01:28:05 0
英国ならばベリー類を干せば長持ちしそうなのにな。
高緯度圏なら大抵の土地に生えているし、量も結構採れる。

344: 世界@名無史さん 2006/11/15(水) 02:05:47 0
もっともライムやレモンが効くのは分かっていてもビタミンC自体がわかってるわけじゃないので、その他の果物や野菜などが、どれだけ効果があるかは特に初期は分からなかった。
最初期はライムしか効かないと思ってたやつもいるだろう。

346: 世界@名無史さん 2006/11/15(水) 10:05:52 0
ビタミンCが要るのに、干しては本末転倒

347: 世界@名無史さん 2006/11/15(水) 10:10:14 0
ジャムにでもして樽に詰めるか?

368: 世界@名無史さん 2006/11/16(木) 03:36:10 0
「何故米は粉にしないのか」の疑問は何度も出ている。
カレーの話題はいつも盛り上がる。

372: 世界@名無史さん 2006/11/16(木) 10:20:04 0
>>368
白玉粉ぐらいしか思いつかないな。
ビーフンは米を粉にしても、麺にするもんな。
粉ではないが、割粥と言って、米を轢き割りにして粥にするものがある。
秀吉の好物だったそうな。


374: 世界@名無史さん 2006/11/16(木) 14:54:07 0
>>372
挽き割りにしたのではなくて、篩いにかけて割れた米を選別したもの。
割れていない方が上等なんだれれども、当時は玄米のまま食べるのが主流だったので割れた米は早く火が通るということを知っていた、という話。
つまりは、庶民の出だということを強調する話。

375: 世界@名無史さん 2006/11/16(木) 19:26:30 0
後の徳川家光である竹千代の乳母であったお福は、竹千代の食が細いのを心配して毎朝「七色飯」といって七種類の飯を炊かせた。七種類の飯を一口くらいづつ食えば、ひと椀くらいの分量にはなる、という配慮である。

その七種類の飯の中に、挽き割り飯もあった。

380: 世界@名無史さん 2006/11/16(木) 23:35:00 0
NHK教育で22:25からやってた番組がこのスレに沿った内容で結構おもしろかったです。

日本人の肉食の話(幕末~明治)

・ペリーが交渉時に幕府側70人を接待した(パリ仕込みの料理人連れてきていた)
塩漬け肉のステーキ(下茹で後に焼いている)がうまそうでした。熟成が進んでうまみが凝縮されているとのこと
無論、接待で出したものだから上等な部分を使ったのでしょうが、帆船の塩漬け肉ってまずそうなイメージだったのに。

・条約締結後にアメリカ側から、牛肉・牛乳の提供を要求されたが、”日本では牛は食料ではないから”との理由で拒否
アメリカへの説明で”牛は重い荷物を運んだりしてくれて恩義があるから、それを食べるなんて・・・”って言っているのが微笑ましい。
宗教上(穢れとか)って理由じゃないんですね。

・明治に流行った牛鍋は味噌を溶いた中でブツ切りのねぎを入れて、薄切り肉をシャブシャブってするような感じで長時間煮込んでなかった。
・牛鍋は安価(現代の感覚で500円くらい)、高価というイメージだったので意外でした。

397: 世界@名無史さん 2006/11/18(土) 02:20:23 0
>>380
>・牛鍋は安価(現代の感覚で500円くらい)、高価というイメージだったので意外でした。

ほんとに「安価」だった?
ひょっとして死んだ牛馬の肉だったのか?

420: 山野野衾 ◆CXSSL1llHI 2006/11/22(水) 00:13:37 0
>>397
福沢諭吉あたりが、病気で死んだか何で死んだか分からなかったと書いていましたね。

381: 世界@名無史さん 2006/11/16(木) 23:39:02 0
なにせ貧乏書生だったころの福沢諭吉は牛鍋を好んで食っていたからね。

404: 世界@名無史さん 2006/11/18(土) 21:24:40 0
>>ほんとに「安価」だった?

当時の都心だけで数百の牧場があったって、その番組中でいってたから流通量が多くて安かったのでは?
政府が肉食奨励で維新直後くらいから、官営牧場も経営していたみたいですし。


405: 世界@名無史さん 2006/11/18(土) 21:41:10 0
下総や新冠の御料牧場で競走馬生産していたり、明治政府はいろんな畜産に手を出していたんだな。

408: 世界@名無史さん 2006/11/20(月) 22:39:05 0
平安時代の食生活記した木簡、奈良・西大寺跡から出土
 
奈良市の西大寺食堂(じきどう)院跡で見つかった井戸(約2・3メートル四方)から、寺での米や酒、野菜の出し入れなどを記した平安時代(10世紀)の木簡が出土したと、奈良文化財研究所が20日、発表した。
禁制だったはずの酒をたしなむなど、当時の僧侶の食生活がうかがえる。

出土した木簡は約60点。このうち、「伊賀栗拾使食料」と記された木簡は、伊賀国(三重県)へクリ拾いに行く使者に、ご飯4合(0・6キロ)を出したとする記録で、弁当の支給伝票とみられる。カブラを洗って漬けた人に、ご飯6・6キロを与えたとする木簡もあった。

「醤漬(ひしおづけ)瓜六斗」と書かれたものや、僧侶らに酒を振る舞ったことを示す「浄酒二升」、「木瓜(きうり)」「茄子(なす)」と記され木簡もあった。

木簡は21日~12月17日、奈良市内にある同研究所平城宮跡資料館で公開される。

伝承料理研究家の奥村彪生(あやお)さんは日本の家庭料理の原点とも言え、興味深い」と話している。

(2006年11月20日22時23分 読売新聞)

414: 世界@名無史さん 2006/11/21(火) 21:22:31 0
平安時代から、お寺では酒を「般若湯」と言っていたの?

419: 山野野衾 ◆CXSSL1llHI 2006/11/21(火) 23:58:13 0
>>414
僧侶の肉食・飲酒・妻帯は平安時代から見られますが、般若湯という用語の使用が見られるのは、15世紀頃からのようです。現在に繋がる日本文化の基礎が築かれたのが、15~16世紀。
余談ながら、江戸時代に葬式仏教化して仏教は衰えたとよく言われますが、近世にも往生伝や霊験記は制作されており、葬式以外にも需要はあった。
法事に呼ばれて酒を飲むぐらいの行為は古代から存在していたのであって、江戸時代に僧侶が堕落したというよりは、元々日本人は戒律好みでなかったようです。その方が俗人にも都合がよかった。

422: 世界@名無史さん 2006/11/22(水) 21:47:54 0
>>419
杉本苑子の小説『今昔物語ふぁんたじあ』で、お寺で「般若湯」の歓待に預かる場面の描写がある。これは時代考証まちがい?

昭和60年ごろ出版された赤塚富士夫のマンガ「徒然草」。
「身分の低いものに酒飲ませたりするものでない。ある坊さんが卑しい男に酒を飲ませたら暴れだし、刀持って暴れだした。坊さんは腰を酷く斬られ、一生歩けない体になってしまった」なる話の段で「般若湯」なる語が出てきた。
これもやはり時代考証間違い?

425: 山野野衾 ◆CXSSL1llHI 2006/11/23(木) 00:40:44 0
>>422
>『今昔物語集』

索引を引いてみましたが、般若(悟りの智慧)という項目はあるものの、般若湯という項目は出ておりません。意訳でしょう。
なお、鬼女の面を般若というのは、般若坊という面打ちの作品に由来するという伝承があります。本来は『般若心経』でも知られる善い言葉。

>『徒然草』

烏丸本87段ですか。「般若湯」という単語は出てきませんね。

引用元: ・食物と酒、嗜好品の歴史 21皿目@世界史板




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