51NpWwEFXKL



1: 日本@名無史さん 02/11/16 02:12
之長から義継、存保まで、戦国史にからむこの一族に突いて篤く語ろう!!!








25: 日本@名無史さん 03/01/11 09:09
三好氏って、いつから細川氏の配下に入ったんだ。南北朝抗争時代には、名を見ないが。

34: 日本@名無史さん 03/01/26 13:08
>>25
細川氏の四国掌握の過程で、臣下に入ったのじゃないかな。中央進出の契機は、1507年の細川氏京兆家の政元謀殺事件後の跡目争議で、阿波守護家の澄元が京兆家相続者におさまり、その家来として之長がついていったから。

38: 日本@名無史さん 03/01/26 14:32
>>34
翌1508年には、前将軍義稙を奉ずる細川高国に敗れて、澄元共々、阿波に追い返されました。結局細川高国を倒せず、1520年には敗死しました。

39: 日本@名無史さん 03/01/26 16:10
>>38
その後1531年に孫の三好元長が、仇敵の細川高国を敗死させました。
三好之長1458~1520 --- 長秀 --- 元長1501~1532 --- 長慶1523~1564

41: 日本@名無史さん 03/01/26 16:41
>>39
しかし翌1532年、元長は細川晴元と結んだ一向宗徒に攻められ、堺で敗死しました。

30: 日本@名無史さん 03/01/20 03:50
十河氏について、質問です。
豊臣期に2万石が没収された後って、一族がどうなったのか知りませんか?


31: 日本@名無史さん 03/01/20 12:37
>30
大坂の陣で討ち死に

32: 日本@名無史さん 03/01/20 14:48
>>31
今でも讃岐には十河姓は多いのですが、それは一族・家臣が帰農したものなのか、それとも農民が慕って、明治期に十河姓を名乗ったのか、あるいは、生駒藩や高松藩に召抱えられた者が、かなりいたのか・・・

この辺どうでしょう?

35: 日本@名無史さん 03/01/26 13:52
十河存保って、長曽我部信親といっしょに九州で討ち死にしたんですよねえ? 

42: 日本@名無史さん 03/01/27 04:14
長慶って1523~1564までしか生きられなかったんだ。
最後ボケて死んだように記憶してたんだが・・・。

43: 日本@名無史さん 03/01/27 04:31
一代で下克上の妙味をとくと味わった長慶と道三に萌え。

44: はて? 03/01/27 04:57
道三は親子2代説の可能性が高かったような?

69: 日本@名無史さん 03/02/06 18:44
三好って一応甲斐源氏小笠原一族だよね。義維なんて担がずに、征夷大将軍になって三好幕府開けばよかったのに。

70: 日本@名無史さん 03/02/07 14:53
世間体を考えたんでしょうよ。

72: 日本@名無史さん 03/02/12 21:45
最終的に三好一族ってどうなるんだっけ?
なんかの形で残ってたかな?

73: 日本@名無史さん 03/02/12 21:47
↑士族、それも上士としてね

74: 日本@名無史さん 03/02/12 21:55
一番マシなのが三好康長家臣の三好房一で河内で2300石、御相伴衆。
ただ、3代前以前が係累不明。どっかで繋がってるとは思うけど

75: 日本@名無史さん 03/02/12 22:34
生駒藩に三好狩りがあったし、2300石はなかなかですね。筆頭か次席家老位の地位ですか。

76: 日本@名無史さん 03/02/13 15:00
たしか三好政勝の子孫が幕臣になっています。

79: 日本@名無史さん 03/02/17 21:17
十河存保の子も生き残ってたはず

83: 日本@名無史さん 03/02/18 10:02
>>79
知る限りでは存保の子供のうち少なくともひとりは生駒氏に殺されたはず。

86: 日本@名無史さん 03/02/18 11:53
>>79>>83
存保の息子は大坂の陣で入場し、戦死しています。

87: 日本@名無史さん 03/02/18 21:39
十河存保の子には、存英、存継がいて、存継の子が重以、重以の子が以存。
詳しい事績はしらんけどさ・・・

81: 日本@名無史さん 03/02/17 21:36
安宅信康には子供はいなかったの?

90: 日本@名無史さん 03/02/27 20:17
>>81
安宅信康の子供は信長に降伏したあと紀州に行ったが早死にしたんだったと思う
紀州の安宅が名字の由来で

91: 日本@名無史さん 03/02/28 11:03
>>90
信康に子供はいないでしょう。
だから弟の清康が継いだんでは?

92: 日本@名無史さん 03/02/28 23:47
安宅信康、清康の下に康重っていう弟がいるみたいだけど、こいつがサパーリわからない。誰か知らないかなぁ?

272: 日本@名無史さん 05/02/07 12:49:18
>>92
確か清康と同じ運命を辿ったとか

113: 日本@名無史さん 03/03/14 16:06
三好長慶は阿波の出身らしいが、どうやって摂津の大名になったんですか?

114: 日本@名無史さん 03/03/14 18:17
元々細川の家臣として京畿に活躍していた家系。阿波が本国だが段々勢力を増していく過程の中で芥川城や飯盛山城を拠点とし、京都に近い摂津に本拠を置くようになった。
近畿では結局負け組になったので、本国である阿波・弟の治めていた讃岐・親三好派のいた東伊予に一族・家臣らは逃れて隠棲したらしい。

148: 日本@名無史さん 03/11/11 02:53
篠原長房は「長」の字をつけてるが
一門?それとも家臣で「長」の字をもらったの?

150: 日本@名無史さん 03/11/14 01:13
阿波の篠原氏は、橘氏で勝浦郡篠原郷発祥。
有力国人衆なのだろうけど、婚姻などは三好氏の間に交わしているから準一門と言って差し支えなし。
長はもらいものでしょうが、長房の代からではなく、かなり前の代から長の字をもらって代々つけているようです。

167: 日本@名無史さん 03/12/03 22:58
関ヶ原の戦いに名前が出てくる三好為三というのは阿波三好と関係あるのでしょうか?

168: 日本@名無史さん 03/12/04 00:25
三好為三入道(伊三)政勝。
阿波三好と全く関係なし。

170: 日本@名無史さん 03/12/04 11:00
三好晴海は政康がモデルの架空の人物だが、三好為三は政勝がモデルのそれではないの?

172: 日本@名無史さん 03/12/28 11:38
最近の研究では、政勝と政康が兄弟だったのは間違いないようだ。
政勝はどちらかといえば、河内・摂津・丹波・播磨を転戦しつつも、基本的に阿波・讃岐の三好主流とは敵の間柄だったが、この兄弟がどうしてそうなったのかは興味深いところではある。

191: 日本@名無史さん 04/02/04 12:41
豊臣秀次って三好氏の養子になってたんだな!

某サイトの豊臣秀次の説明
>実父の三好吉房は旧姓長尾氏で、大和国の古代豪族三輪氏族の子孫。息子の氏である三好を名乗った。
>三好氏は阿波国の大族で清和源氏小笠原氏族。

192: 日本@名無史さん 04/02/04 22:59
信長上洛以前には、京都の事実上の支配者として将軍家をも意のままにあやつり、三好政権を樹立した巨族。

しかし英雄・三好長慶亡き後は衰退の一途で、ついに三好家の長老・三好笑岩(若き日の長康)は秀吉に近づき秀次を養子に向かえ三好姓を継がせる。その後の笑岩の消息は不明。

が、秀次は豊臣姓になるに至り事実上、三好宗家は消滅。わずかに支流の三好政勝の家系が残る。ただ三好政康は大坂の陣に豊臣方として参戦、討死したらしい。大坂の陣には十河英存も参戦、討死している。

以上でよろしいですか>191

196: 日本@名無史さん 04/02/05 01:49
>>192
>三好政勝の家系が残る。ただ三好政康は大坂の陣に豊臣方として参戦、討死したらしい。

三好政勝以外に一族の三好房一も徳川旗本として残りました。
ちなみにこの二人は、徳川家康が上杉景勝討伐で関東に下ったときにそれに従ったメンバーとしても名前を残しています。

三好政勝(1536~1631/12/10)
右衛門大夫・因幡守、入道号:為三(伊三)、斎号:一任斎。
足利義昭の御教書(狩野文書)に「舎兄下野守(政康)」と書かれているので、最近の研究では政康・政勝はやはり兄弟であり、どちらかが養子に出されたのだろうと考えられいます。関が原後は家康に仕え河内で2020石余を知行し、寛永8年12月10日に96歳で没しました(重修譜)。

三好房一(1554~1614/7/12)
新右衛門尉、丹後守。
三好伊賀守長直の孫、備中守長房の子。
三好康長の指揮下にあったが、後に信長に使え、さらに秀吉の馬廻、黄母衣衆、次いで赤母衣衆。家康の上杉攻めに従軍したときは1万石を領していたらしいが、関が原戦後は2300石。慶長19年7月12日、駿府にて61歳で没しました(重修譜)。

政勝、房一、それに政康・康長ら三好一族は、秀吉・秀次のもとでそれぞれ1~数万石を有していたが、豊臣家とのつながりが深いことや「主家簒奪」で悪名高い一族であることから、豊臣家から天下を奪いたい家康としては、そういった悪いイメージを持つ三好一族は鬼門。例え豊臣家から自分に乗り換えてくれても、厚遇する気にはなれず、関が原以後は万石未満の旗本に落とされていったのでしょうね。

194: 日本@名無史さん 04/02/04 23:14
秀次が三好姓になった時に弟もなったはずだよ。
でも三好一族の「長」の字が使われてないのがイタイ。

217: 日本@名無史さん 04/05/02 22:19
三好は人気や華や威が無い。
そのかわり品を感じる。

218: 日本@名無史さん 04/05/08 17:59
人気はインパクトの強い松永久秀と足利義輝に奪われている。
実力や人柄は三好長慶のがあると思うけど。

222: 日本@名無史さん 04/05/11 16:17
結城秀康の子、松平直基(川越藩)の母方祖父が三好長虎となっておりますが、手持ちの三好系図には載っておりません。
どなたかご存じの方おられませんか?

279: 日本@名無史さん 05/02/20 03:44:37
>>222
遅レスでスマンのだが。
讃岐の香西氏を調べていたら、それらしい人を発見した。

結城秀康の室の月照院の父が三谷長基。
島根県史によるとこの人は、三好長基が阿波国美馬郡三谷村に在住した事で三谷と名乗った人らしい。 「三好記」によると、阿波国美馬郡を当時は三好康長の嫡子徳太郎が預かっていたようだ。なので、三好長基は三好康長の子ではないか。

…という研究書を読んだ。

280: 日本@名無史さん 05/02/20 06:07:28
>>279
それわたしも知りたかったのでThx.<長虎

三好長虎ってなんかリアリティに欠ける名前だよね(笑

281: 279 05/02/20 21:40:53
>>280
何か結城家の家系図見てたら、色々勘違いしてたようだ。
三好長虎女の子が直基(川越藩)で、三谷長基女の子が直政(松江藩)なんだな。
同一人物のように書いてしまってスマン。

松平氏に、三好の血がこれだけ入ってるってのもちょっと凄いな。

228: 日本史@名無史さん 04/05/31 22:50
三好の出自=承久の乱の後、前守護佐々木経高(朝廷方)に替わって守護として新阿波国守護としてやってきたのが、小笠原長清。本人は六波羅探題を任されていたで、子の長房が守護代として赴任。因みにこの御方が、藍を阿波に最初に持ち込んだ。長房は勝瑞に守護所を置き(後に岩倉城)、室町まで代々続いたが、細川和氏が阿波国守護に着てから、小笠原氏は姓を三好と代えた。余談ながら吉野川は、三好の川から来たとか。

265: 日本@名無史さん 05/01/29 13:56:01
>>228
>三好の出自..細川和氏が阿波国守護に着てから、小笠原氏は姓を三好と代えた..
という通説は、実は胡散臭いらしい。実体は土着民の久米氏の阿波小笠原氏
系図侵入説が。北朝守護細川氏の四国平定に協力したからこそ、阿波細川氏
の重臣になれたんだろうし、傍流とはいえ南朝方旧守護家小笠原氏の一族が
敵対相手の家来になるだろうか。本流信濃小笠原氏の貞宗が、北朝方で戦功
勢威があるのに。
三好長慶の先祖-阿波三好氏の系図疑惑について-
ttp://shushen.hp.infoseek.co.jp/keihu/miyosi/miyosi1.htm
※リンク切れ

295: 日本@名無史さん 05/02/28 04:06:58
>>265
>三好の出自..細川和氏が阿波国守護に着てから、小笠原氏は姓を三好と代えた.. という通説は、実は胡散臭いらしい。

だったら、小笠原長時と貞慶はなんでわざわざ三好氏に身を寄せたりするんだよ。
貞慶なんて三好長慶から名前までもらってるじゃん。

296: 日本@名無史さん 05/02/28 06:59:52
>>295
>貞慶なんて三好長慶から名前までもらってるじゃん。

もらった字を実名の下につけることはありえない。
小笠原家の記録を見ても近江で元服して貞慶と称したとある。一字拝領は誤伝だろう。

297: 日本@名無史さん 05/02/28 14:23:13
>>296
「ありえない」わけではないけど珍しい&失敬だわなぁ。

レアケースだと織田勝長、とか。

299: 日本@名無史さん 05/03/01 00:37:09
>>297
>レアケースだと織田勝長、とか。

勝長は系図類だけにしかない実名で、書状で確認できるのは信房だけのはず。

247: 日本@名無史さん 04/10/30 19:19:01
三好長堅-長興
阿波三好氏の庶流。
元長からもその武勇は認められていたが、細川氏の家臣を諍いの中で斬ってしまい出奔、その後、葦名氏に仕え武名を挙げ一躍家老の列に加えられたが、それを嫉む松本氏ら譜代の宿老・家老たちによって退却時のしんがりを任された後、孤立無援の中、討死した。
最後には親子二人に小者三名だけで数百人の敵兵相手に半時も戦い、数十人を倒したため、 恐れた敵は遠巻きにして弓の一斉射撃で三好親子を討ち取ったという。
遠国にあってその便りを聞いた三好一族はその死を悲しみ、長慶と一存は河内の海瑛寺に碑を建てて彼らを祭ったという。

248: 日本@名無史さん 04/11/01 04:22:47
>>245-247
へ~
けっこう、いろいろな人がいるんだ
三好ってズバ抜けた人はいないけど、中堅レベルの人材が、同時代にこれだけの人数をひとつの一族から供給できるってのはすごいよねえ
やっぱり戦国においても珍しい一族だよなあ・・・
こんな特殊な一族って、あとは島津と毛利ぐらいかな

引用元: ・三好一族についてかたれ!!




戦国期三好政権の研究
天野 忠幸
清文堂出版
売り上げランキング: 726,234