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1: 世界@名無史さん 2007/12/23(日) 18:21:54 0
スターリンの故郷として有名なグルジアの歴史を語るスレ








2: 世界@名無史さん 2007/12/23(日) 18:44:42 0
古代=ローマとペルシャの属国
中世=東ローマとアラブの属国
ダヴィド~タマルの間の黄金期
近代ロシアの一部
てイメージが・・・・

3: 世界@名無史さん 2007/12/23(日) 19:09:19 0
グルジアではスターリンはどう評価されてるの?

4: 世界@名無史さん 2007/12/23(日) 19:59:59 0
銅像がたてられたり、スターリンのひ孫が
「自分の名字ではグルジアにいられない」
と国外に出て行ったりと複雑なようだ。

13: 世界@名無史さん 2007/12/26(水) 19:36:10 0
>>4
嫌われてるのか評価されてるのがわからんな

5: 世界@名無史さん 2007/12/23(日) 20:14:02 0
出身地のゴリにはいまだにスターリンの銅像が建っている。



Goristatue

2010年に撤去されました。

9: 世界@名無史さん 2007/12/24(月) 14:43:26 0
>>5
フルシチョフもゴルバチョフもシェワルナゼもその銅像を壊すことはできなかったって話があったような。
351: 世界@名無史さん 2008/09/05(金) 02:46:43 0

これがグルジア人の本音ですよ~↓ 

故郷に生きるスターリン::日本インターネット新聞JanJan 
ttp://www.news.janjan.jp/world/0412/0412041318/1.php 
※リンク切れ

-------------------------本文転載開始---------------------------- 
ゴリ市の大学生に話を聴いた。 

「スターリンの新しい思想によって多くの人が自由を得た」 
「新しい社会を作るためには、時には犠牲者を出すこともある」 
「故郷のヒーローだ」と口々に言う。これも身内びいきなのだろうか。 

ソ連時代から博物館案内ガイドを勤めるマナナさんになると「思い入れ」はさらに強烈だ。「スターリンは貧しい人々のリーダーだった。 
死んだ時、衣服以外何も残さなかった。ばく大なカネを残したサダム・フセインと比べてほしい」と訴えるように語った。 

スターリンの“偉業”を滔々と小一時間程まくしたてると、最後にマナナさんは「なぜスターリンを独裁者だと思うのか」と真剣な表情で尋ねてきた。筆者は返答に窮した。 
-------------------------本文転載終了-------------------------- 


356: 世界@名無史さん 2008/09/05(金) 03:48:59 0
>>351 
スターリンによって処刑、収容所送りとなった犠牲者はあわせて2000万人をゆうに越える。20世紀の悪夢を演出した一人として忌み嫌う人は多いが故郷はいつまでも彼をかばってくれているようだ。 

百人でも大変な数の犠牲者なのに2千万人は誇張だろ。 
スターリンがいくら天才だったとしても不可能な数字。

357: 世界@名無史さん 2008/09/05(金) 04:58:18 0
>>356 
ポル・ポトだって人口比で滅茶苦茶な人数を片付けたろ。 
何故スターリンに出来ないと思うのか。

8: 世界@名無史さん 2007/12/24(月) 13:17:02 0
セルジューク・トルコに勝ったことがあるってすごくない?

10: 世界@名無史さん 2007/12/24(月) 22:16:19 0
>セルジューク朝に勝った

いつの話ですか?

11: 世界@名無史さん 2007/12/26(水) 14:56:16 0
1104年、ダヴィドは常備軍を率いてカルトリと Kakhetiからせるジュークを追い出し、1105年には、 Ertsukhiの闘いで、大きなトルコ軍を破った。
続く1110-1118年には、 Samshvilde, Rustavi, Gishi, Kubala, 、Loreの町を開放した。しかしこの時は、まだ軍隊は封建領主に従う部分も多く、全てが国王に従属していたわけではなかった。絶え間ない戦争は、農村から、生産者を奪う結果となり、これを補うために、ダビッドは、キプチャックから4万名の傭兵を招いた。コーカサスの不穏な動きに、スルタンムハマドは、最高の将軍である、Radjin Al-Din Ilguziを差し向けた。
1121年8月12日、Didgori近郊で、ダヴィド4世は、セルジューク軍を破った。

ttp://heartland.geocities.jp/zae06141/georgia1.html

14: 世界@名無史さん 2007/12/26(水) 20:48:41 0
>>11
キプチャックって、トルコ系でしょ。

結局実質トルコ兵同士の戦いだったんじゃ。グルジア人が勝利したと言えるのだろうか?

16: 世界@名無史さん 2007/12/27(木) 12:17:37 0
1104年から1115年までは自力で戦っていたんじゃないか?
そのリンク先を全部見ればわかるが
「常備軍を作った」て書いてある

19: 世界@名無史さん 2007/12/27(木) 19:32:09 0
>>16
キプチャク傭兵で常備軍を作ったのかも知れない。

21: 世界@名無史さん 2007/12/28(金) 03:19:59 0
>>19
傭兵の集団など常備軍とはいえない

20: 世界@名無史さん 2007/12/28(金) 00:39:15 0
失礼。1104年から1115年までは自力みたいだね。
でも、セルジュークの本体というわけじゃないので、セルジュークからすれば、周辺に過ぎなかったんじゃないの。
で、セルジュークが差し向けた本体に対しては、傭兵を追加した、という感じなのかも。

21: 世界@名無史さん 2007/12/28(金) 03:19:59 0
>>20
セルジュークの本体に備えるためではなく
地元民の負担を減らすために傭兵まねいたとあるが?

29: 世界@名無史さん 2007/12/29(土) 01:30:17 0
>傭兵の集団など常備軍とはいえない

近世ヨーロッパ各国の常備軍もそもそも傭兵を集めて作ったものだろう

31: 世界@名無史さん 2007/12/29(土) 03:20:07 0
一時雇いの傭兵も多かったがね

32: 世界@名無史さん 2007/12/29(土) 03:27:16 0
>>11
その文章に書いてある通り
住民の負担を減らすため
一時的に傭兵を雇うこともあるが

35: 世界@名無史さん 2007/12/29(土) 05:28:41 0
ヨーロッパで常備軍といったら基本は傭兵ですね
傭兵9割に徴兵1割とか
傭兵主体ではない軍隊の登場はフランス革命を待つ必要がある

常備でない軍隊とは勿論、戦時に徴兵したり雇用した兵隊

24: 世界@名無史さん 2007/12/28(金) 04:14:37 0
ところで、神話のアルゴス探検隊がいったのもこの辺りだよね。
トロイア戦争の頃にはグルジアにも都市があったのかな?
なんか遺跡みたいなものはないの?

アルゴナウタイ

アルゴナウタイは、ギリシア神話の長編叙事詩に登場する英雄たちの総称。イアーソーンに率いられて巨大なアルゴー船で数々の航海をする。

イオールコスを出航した一行は、レームノス島をはじめとした数々の冒険を経てコルキスに達した。コルキスではイアーソーンと恋に落ちたコルキスの王女メーデイアが加わり、目的の金羊毛の獲得に成功する。アルゴナウタイは、その後も冒険を重ね、部分的に脱落者も出しながらもイオールコスに帰還した。4ヶ月間の航海だったという。


28: 世界@名無史さん 2007/12/28(金) 20:04:06 0
>>24
町の名前を忘れたが、黒海沿岸の町に、古代ギシリアの植民市の遺跡があるそうだ。

33: 世界@名無史さん 2007/12/29(土) 03:31:36 0
>>32
ガグラとか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/ガグラ

54: 世界@名無史さん 2008/03/11(火) 13:45:00 0
グルジア北西部で分離独立運動を起こしてるアブハジア人って、宗教は何を信仰してるの?
日本語で検索すると、ほとんどはイスラム教徒って出るけど英語版やフランス語版ウィキペディアでは宗教の項にEastern Orthodox, Sunni Islamとあって正教徒もそれなりにいるように書かれてるんだけど、実際どうなんだろう?

55: 世界@名無史さん 2008/03/13(木) 02:33:18 0
>>54
キリスト教徒はロシア化した連中か、先祖がロシアからの入植者では?
ベリヤってアブハジアの更に少数民族ミングレル人だったな。
教育を受けたのがアブハジアにあるスフミ。

ベリヤの実家は何の宗派だったんだろうな。
本人は当然無神論者だったろうが。

57: 梵阿弥 2008/03/20(木) 19:48:25 0
18世紀初頭のサファヴィー朝のカンダハル総督のアブドゥラ・ハン、グルギン・ハン(ギオルギ11世)はグルジア人。グルジア人もあちこちで活躍してますね

58: 世界@名無史さん 2008/03/20(木) 22:26:53 0
>>57
アフガン人がイスファハーン近くまで攻めてきたときにサファヴィー朝の野戦軍に参加してた人だろうか

61: 梵阿弥 2008/03/30(日) 17:03:38 0
>>58
両人はカンダハルではアフガン人と戦ってますが。
イスファハン総督も代々グルジア人だった時期が在ります。
生憎知っているのはこれだけです

65: 梵阿弥 2008/04/27(日) 19:22:53 0
女チェス師ノナ・ガプリンダシヴィリ、マイヤ・チェブルダニゼ両氏はグルジア人

67: 世界@名無史さん 2008/05/18(日) 00:01:38 0
それだったら元米軍統合参謀議長ジョン・シャリカシヴィリもグルジア系。 
確か父親が対独協力者じゃなかったかな。

68: 梵阿弥 2008/05/29(木) 20:50:24 0
親が赤軍に追われてポルスカに逃れて暮らしてたんですよね。 
兄のオタル氏は迷国のグルジア政策の顧問だったそうです

62: 世界@名無史さん 2008/04/02(水) 06:23:54 0
グルジアって英語読みだと、ジョージアなんだね
ジョージア州は英語でもジョージアなのに、

63: 世界@名無史さん 2008/04/02(水) 14:33:17 0
グルジア→聖ゲオルギウスに因む。
ジョージア→英王ジョージ2世に因む。

らしい。

80: 世界@名無史さん 2008/08/09(土) 13:37:12 0
>>63
ジョージ2世のジョージは聖ゲオルギウスにちなんだ人名

69: 世界@名無史さん 2008/05/29(木) 23:56:27 0
スターリンが政権を握っていたときには、故郷は優遇政策が行われていたのか

70: 世界@名無史さん 2008/06/01(日) 14:35:02 0
フセインのティクリート優遇みたいなのは無かったんじゃないか。
ロシア革命後グルジア始めカフカス諸国の再武力併合を主張したのは他でもないジュガシヴィリその人。

71: 世界@名無史さん 2008/06/01(日) 23:20:26 0
スターリン時代後半にはグルジアはベリヤの牙城。
だからベリヤ追い落としのための「ミングレル事件」なんてものがでっち上げられた。
ラヴレンチー・ベリヤ

ラヴレンチー・パーヴロヴィチ・ベリヤ(1899年3月29日 - 1953年12月23日)は、ソビエト連邦の政治家。ヨシフ・スターリンの大粛清の主要な執行者(実際にベリヤが統轄したのは粛清の終結局面のみだったにせよ)とみなされている。「

72: 梵阿弥 2008/06/21(土) 18:45:40 0
グルジアはメンシェヴイキが優勢だったのでスタリンにとってレニングラド勢と並び
警戒の対象でした

77: 世界@名無史さん 2008/08/09(土) 10:20:40 0
オセット人とグルジア人の関係について

78: 世界@名無史さん 2008/08/09(土) 12:39:17 0
アス人(オセット人の先祖)はモンゴル帝国によって征服された後ちりぢりになり、一部はカフカスに入って、北オセチアのオセット人は西方のカバルダ人、南オセチアのオセット人は南方のグルジア人の支配下に入る。

ソ連時代、南オセチアは自治州とされたが、実際にはグルジア人優先の政策がとられた。
例えば、1939年には、これまでラテン文字を使用していたオセチア人にグルジア文字が強制され、グルジア語の教育が必須とされた。様々な抑圧策の結果、南オセチアの人口は、戦前の10万7千人から1989年の9万9千人にまで減少した。

79: 世界@名無史さん 2008/08/09(土) 12:55:57 0
グルジアには王政復古支持者もいる。
 
君主制を復活すれば、分裂志向のアブハジア、オセチアもグルジアに納まる。
ビザンツ帝国の流れをくむグルジア正教は古く、言ってみれば、ロシア正教の先輩格であり、国王の復活は東方正教の流れをくむ正教会派が多いという地盤がある。

81: 世界@名無史さん 2008/08/09(土) 13:37:52 0
>>79
王政復古なんかしたって、民主主義によって民族主義を解決しない限り平和は無理


82: 世界@名無史さん 2008/08/09(土) 13:39:29 0
グルジアの政治って、やっぱりクラン(派閥、氏族)で動いてんの?

91: 世界@名無史さん 2008/08/09(土) 20:01:16 0
>>82
部族と民族

95: 世界@名無史さん 2008/08/09(土) 21:01:25 0
グルジアにおいては古い「族長支配」の遺制もまだ力を保っており、有力な部族が政府官僚を抱え込んで経済利権を握ってきた。この腐敗した体制がシェワルナゼ大統領の下でも残っていた。
シェワルナゼ自身もまた特定の部族の代表者であった。そのため国家の経済と庶民の暮らしは一向に改善されず、人口500万人のうち100万人が失業者、ロシアへの出稼ぎ人口は50万人から80万人と言われている。

96: 世界@名無史さん 2008/08/09(土) 21:37:37 0
オセチアやアブハジアをいっそ切り捨ててしまえば
もっと安定するんじゃないかと思う


146: 世界@名無史さん 2008/08/13(水) 02:08:04 0
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/168822/
※リンク切れ

そもそもオセチア人とグルジア人の関係は良好だった。オセチア人はペルシャ系の民族であり、もともとはイスラム教徒だった。しかし、19世紀にロシアがカフカスに進出するとともにオセチア人はロシア正教に改宗した。現在、オセチア人の9割以上が正教徒と見られている。帝政ロシアはオセチア人をカフカスのイスラム系諸民族(チェチェン人、イングーシ人など)を平定するときの先兵として用いた。
ちなみにグルジア人もロシア正教と教義を同じくするグルジア正教を信じている。
アゼルバイジャン人がシーア派イスラム教(イランと同じ12イマーム派)、アルメニア人が単性論といわれる非正統派 キリスト教(カトリック教会、正教会の双方から、かつて異端とされた)を信じている。これに対して、正教徒であるグルジア人とオセチア人はもともとロシア人と友好的関係にある。ソ連の独裁者だったスターリンはグルジア正教会の神学校を中退している。現在のロシア政府要人にもグルジア人は多い。
また、ソ連時代も、オセチア人はソ連共産党中央委員会、KGB(国家保安委員会)、内務省に強力なロビーを作った。
ロシアの現政権においてもオセチア・ロビーは無視できない影響力をもっている


言及しているのはムネオ事件で外交史編纂室に左遷され、退職した佐藤優氏(ノンキャリアながら対ロシア外交の専門家だった人物)

151: 世界@名無史さん 2008/08/14(木) 02:29:12 0
>>146
イスラム教からキリスト教に変わるなんて世界初じゃないか?

152: 世界@名無史さん 2008/08/14(木) 03:22:34 0
>>151
イベリア半島
122: 世界@名無史さん 2008/08/11(月) 20:49:31 0
グルジアにイベリアという地名があるけど、イベリア半島とまぎらわしいな。 

148: 世界@名無史さん 2008/08/13(水) 09:51:24 0
>>122 
カフカスのイベリアの人が移住したのが、イベリア半島の語源になったという説がある。 

その子孫がバスク人という説もある

156: 世界@名無史さん 2008/08/15(金) 00:39:56 0
グルジア人やアルメニア人はスラブ人とはどういう関係にあるの?
ヨーロッパの民族に入るのか?それともそれとはまったく違う独立した民族集団なのか?オセット人はイラン人だったと言うし、まったく持って謎だ

160: 世界@名無史さん 2008/08/15(金) 01:18:17 0
>グルジア人やアルメニア人はスラブ人とはどういう関係にあるの?

ロシアがコーカサスへ進出するまでほとんど関係ない。
アルメニア人は商人としてウクライナやポーランドに来ていたが。

>ヨーロッパの民族に入るのか?それともそれとはまったく違う独立した
>民族集団なのか?


ヨーロッパ人なんて民族はいない。

>オセット人はイラン人だったと言うし、まったく持って謎だ

古代に黒海北岸のステップ地帯を支配していたスキタイ人やサルマタイ人は東イラン系。オセット人はサルマタイの一派のアラン人の後裔。

162: 世界@名無史さん 2008/08/15(金) 16:13:14 0
オセット人はアラン人の後裔。アランは西ゴートにくっついてイベリア半島、さらにアフリカに渡ってヴァンダル王国を建てた。

だからその辺の連中にはアランの血が入ってるんだよ。関係おおありじゃないか。

163: 世界@名無史さん 2008/08/15(金) 22:38:47 0
アーサー王伝説のランスロットの語源はAlan's Lotでブルターニュに移住してきたアラン人と関係あるとかよく分からない説まであったり

164: 世界@名無史さん 2008/08/15(金) 23:45:09 0
1969年に神話学者ジョエル・グリズワルドがコーカサス在住の民族オセットのナルト叙事詩とアーサー王伝説の間に共通のモチーフがあることを報告していた。
ナルトとはオセットの伝説に登場する戦士団の名であり、ナルト叙事詩はスキタイの神話の原形をとどめるものとして神話学において注目されているものである。ナルト叙事詩にはナルトの首長で後に他のナルト戦士と敵対するパトラズが死に瀕した時、その身は海岸に運ばれ、彼と運命的に結ばれていた聖剣が水中に投げ込まれたというくだりがある。
一方、アーサー王伝説ではアーサー王は死に瀕した際、海の彼方のアヴァロンに運ばれ、彼と運命的に結ばれていた聖剣エクスカリバーが水中に投げ込まれる。

165: 世界@名無史さん 2008/08/16(土) 16:20:27 0
オセチ人は元々ウラジカフカスに住んでたわけじゃないんだね。
もしユダヤ教に改宗してたらアシュケナジーになってたかもね。

167: 世界@名無史さん 2008/08/17(日) 01:12:07 0
ギリシャあたりまでがヨーロッパ。するとこの辺は西アジアってこと?

169: 世界@名無史さん 2008/08/17(日) 08:42:23 0
> ギリシャあたりまでがヨーロッパ。

君の脳内ではそうかもしれないが、実際は旧ソ連の途中 ウラル山脈までがヨーロッパ。

173: 世界@名無史さん 2008/08/19(火) 16:10:46 0
>>169
一応、ウィーン会議でウラル山脈までがヨーロッパと決められたからな。

171: 世界@名無史さん 2008/08/19(火) 07:59:34 0
アムール川がアジアと欧州の境界だとされてた時期もあった

昔のドイツ人に言わせるとウィーンの東端までがヨーロッパ

172: 世界@名無史さん 2008/08/19(火) 08:44:24 0
モンゴル帝国旅行記で有名なルブルクのギヨームにいわせると、ドン河から東がアジア

177: 世界@名無史さん 2008/08/20(水) 08:03:03 0
グルジアとアブハズの関係ってよく分からんですよね。
8世紀にビザンツ・ハザール・アブハズ連合軍がアラブを破ってからエグリシ=アブハジア王国というグルジア人との連合国家が出来たらしいけど。


引用元: ・[ヨシフ]グルジアの歴史[ジュガシヴィリ]




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