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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/05(金) 13:31:48 ID:r2t43b9l0
河北の雄、袁紹、字は本初。

堂々とした威厳のある風貌で、名門なのにも関わらず身分にこだわらず下手に出たので大勢の人間が彼の下に集まってきた。官渡で敗れたものの、四州を支配したその実力は本物。また彼の治世は後世にいたるまで領民に称えられた。漢と長年敵対していた匈奴や烏丸の異民族を見事に手なずけた外交手腕も持つ。

三国志前半の最大の実力者であり、中華統一への可能性が最も高いであろう英雄。
最近、評価されつつあるとはいえ、その評判は以前、芳しくない。
ここで彼のことを大いに論議し、その価値を高めていこうではないか!








263: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/05(月) 16:04:13 ID:PqgMQ4rw0
陣営は当時曹軍以上に人材が揃ってたのにねえ・・
袁紹を除いて一人強力なまとめ役がいれば・・

264: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/05(月) 18:36:24 ID:bD3ELO+30
そのソ授を排除してしまったのがほかならぬ袁紹自身だしなぁ。

283: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/07(水) 23:30:42 ID:+bMc6wWg0
逢紀と審配が巧く立ち回った印象を受けるな。
逢紀は出身地不明だが、袁紹の賓客(郭図・辛評・淳于瓊らと同様)。
対して審配は冀州豪族(魏郡の人)。

審配は冀州豪族だったけど官渡で積極策に乗ったおかげで立場を守ることができたし、逢紀は賓客だったけど郭図・辛評らとは同調せずに冀州で袁尚を支持した。審配に至っては最期がカッコよかったおかげで演義でも立派な忠臣扱い。
傲慢・奢侈って自業自得な理由で袁譚から憎まれてたのにw

285: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/07(水) 23:42:40 ID:4fOnZi/D0
>>283
審配は袁紹とは終始うまくやってくことで外来種台頭の中でも地位を維持し、袁紹死後は冀州閥の実質トップとしてキングメーカーとなった。
官渡での冀州人排除は、審配にとっては冀州閥内部でのライバル排除でウマーだったんじゃなかろうか
袁氏をも利用して地位を作ったからには、地位を守るには袁氏にこだわるしかなかったんだな

403: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/23(金) 20:48:42 ID:7zUzKk5l0
>>283 >>285

亀で申し訳ないけど、両者の意見を伺って「演義」の審配と、「正史」の審配のギャップにずっと違和感を感じていたんだけど、何となくその二つのイメージをつなげられそうな気がしてきた。「キングメーカー」という表現は言い得て妙だと思う。
ある種の剛直さを持ってはいるが、同時に政治面における豪腕ぶりも卓越している、という感じで。


284: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/07(水) 23:38:33 ID:E7hnyYrl0
袁譚の青州での政治政策はかなり酷い物だった事を考えると、土地を豊かにして私腹を肥やしてた2者へのその指摘は、嫉妬から発する物だと思っちまうけどね。

286: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/07(水) 23:49:07 ID:4fOnZi/D0
>>284
青州での袁譚って、実際はどうだったんだろうね
酷吏がことさらに悪く扱われるのと似た感じを受けるのは俺だけなんだろうけど・・・

一角を泰山諸将が陣取っていたり、支配体制がガタガタだったように見える割には袁譚はそれなりに青州をまとめ上げたようにも思えるんだよな
言いすぎかもしれんけどな

287: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/07(水) 23:52:37 ID:+bMc6wWg0
曹操が後に冀州に本拠を置いて冀州閥を積極的に登用したから、対立していた青州閥及び袁譚が悪し様に書かれているのかも。

288: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/07(水) 23:54:49 ID:4fOnZi/D0
>>287
プラス、辛ピみたいに袁譚を裏切った奴の方が魏で有力者になってるから
辛ピ完全に二股膏薬だよね

289: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/08(木) 00:02:25 ID:+bMc6wWg0
>>288
袁譚が信任した人間も散々な言われようだからな。
華彦・孔順が「邪悪な小人」で、王脩が「ただ官職に就いているだけ」とかw

実際のところ、袁譚が官渡大戦に参加してることから考えても、袁譚は袁紹に可愛がられてたんじゃないかと思う。

290: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/08(木) 12:33:41 ID:rRJk3jrX0
後継者を明確にしてないってだけで、ここまで無残になるもんなんだな。

291: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/08(木) 12:39:42 ID:L3Tscc3SO
袁紹的には明確だったんだけど袁尚擁立派が捏造して横紙破りしたんじゃまいか

292: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/08(木) 13:00:02 ID:/hMCAnxo0
逢紀・審配は
「後継が袁譚になると困るから遺言を偽造して袁尚を後継にした」わけだから、彼等が余計なことしなかったら袁譚が後継だったのかな……とは思うな。

293: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/08(木) 13:16:56 ID:rRJk3jrX0
袁尚を冀州においていたから担がれた。でも誰かしら置かないと抑えられない。
沮授が袁譚の青州行きに反対したのが、ある意味では当たってたのか。

296: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/08(木) 16:37:53 ID:3lUvz8530
そもそも戦陣の最中で一致団結せずに、内訌しているというのが、袁氏勢力の団結力のなさを意味する。それが必ずしも袁紹の指導力の無さを示すとは思えないけど。

まあ猟犬を煮るにしても早すぎるわな。
袁紹の問題は判断力の欠如とその間違った方向に邁進する決断力に尽きるだろう。
光武帝をロールモデルとして意識してた節があるけど、中身がまるで伴っていない。

297: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/08(木) 16:47:32 ID:/hMCAnxo0
>>296
むしろ実権を握っている冀州閥を追い落とすために戦を利用したのかも。
赤壁における孫権みたいに。

まあ、郭図の官渡速攻案を冀州派の張コウに実行させてるあたり、やはり袁紹の決断は要所要所で誤ってたわけだが。

298: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/08(木) 20:10:24 ID:rRJk3jrX0
麹義に沮授に田豊に、官渡以前に実績があった武官は失脚してるからね。
家臣が裏切る下地を作りすぎてる

317: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/10(土) 11:51:47 ID:J0rdS1g/0
張コウ、高覧が裏切って、大混乱した将兵が降伏し、于禁に皆殺されたのが転機だと思うぜ。

318: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/10(土) 11:59:23 ID:fYM0gySf0
>>317
張コウ・高覧の寝返りは、どういう思惑があったのか気になるところだよな。

郭図に讒言された話は張コウ伝にしか乗ってなくて、武帝紀や袁紹伝なんかでは自発的に裏切り、それが袁紹軍崩壊に繋がったと書かれている。
伝は本人を美化する記述が多いので、多分「自発的に裏切った」が真相だとは思うんだが……。

408: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/10(木) 18:46:50 ID:y+WHj30L0
そもそもなぜ献帝を曹操より早く奉戴しなかったのか
距離のせいか
家臣の内訌のせいか
本人の優柔不断のせいか

409: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/10(木) 19:54:46 ID:mwWT/KgR0
奉戴する必要は袁紹にはなかったんじゃない?
袁術にはあったみたいだけど。

412: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/11(金) 18:48:27 ID:f5rY8KDD0
袁紹は劉虞を皇帝にしようとしてる。
つまり他人の手垢が付いてる皇帝は嫌だったんじゃないかね。
献帝は既に朝廷を構成し廷臣が付いて回ってるわけだから、それらを急には排除できない。独裁体制に瑕疵が付くかもしれないし、寝首を掻かれる恐れもある。

413: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/11(金) 19:56:42 ID:L1gpoPnd0
洛陽にいた自分の一族を皆殺しにしたトウタクに担ぎ上げられた献帝を上に戴くのが嫌だったんじゃないか

414: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/12(土) 18:21:38 ID:RQfbo2oJ0
董卓と董承は親戚という話もあるし、董卓の縁者を上にいただくの嫌じゃ~ってのは信憑性あるな。

415: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/12(土) 20:17:47 ID:Hsuohe9N0
董卓に袁一門が全殺しにされたのは袁紹だって折込済みだったろ
一族郎党董卓の手元にいるのに反董卓連合の代表に就任しました~とか
これで一族が生かして置かれるはずがないというかむしろ殺してと言ってるみたいな物
袁家総帥の地位欲しさに一族を見捨てたと言われても仕方ないと思う

417: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/15(火) 22:16:55 ID:Ao8muF+qO
妾の子と馬鹿にされてたみたいだしな
それに袁術ごときが勢力を持っていたあたり、袁紹以外はアフォばかりで、彼はとっとと連中をぶっ殺してほしかったんじゃないかな

420: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/16(水) 13:10:18 ID:pLE5hFDeO
そもそも、袁紹の勢いを考えると、皇帝擁立なんて必要無いんじゃないの?
皇帝なんて、曹軍を踏み潰して袁術派を撃退した後に禅譲を勧告するだけの存在だし、擁立したところでどうしようもない

421: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/16(水) 17:35:19 ID:SWbkXDQW0
劉虞擁立を試みているだろう、現に

422: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/16(水) 23:11:56 ID:fTiZ/DCW0
>>421
冀州牧にもなってない時期だからな
関東軍を一応まとめるには皇帝という神輿が必要だった

しかし冀州牧になり勢力も確立してしまうと、下手に皇帝を擁立するほうが足枷になる

423: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/17(木) 03:17:23 ID:Dwpalp3F0
足枷の方が大きい、とは言えないよ。
正統な王朝の継承という建前が形式的なものではないからこそ、禅譲に至るまでの長々とした儀式が重んじられるわけだから。
まあ、見通しと目論見次第なのは確かで、袁紹はデメリットの方を嫌って劉協を迎えることをしなかった、ということだろうけど。

424: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/17(木) 10:41:34 ID:u6BdgUXTO
担いだところで処理に困る
現に曹操でさえ存命中に皇位を禅譲させられなかったから
袁家の場合は文官の派閥同士でまた内紛が起きかねない
むやみらたらに触らなくて正解だった…

425: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/17(木) 18:39:17 ID:ReR7QFSqO
確かに担いだところで扱いに困るというのはその通りだね。
郭図などが反対した理由もよく分かる。
ただ、難しいのが、奉戴に関しては、自勢力だけでなく、他勢力の動向も考えないといけないとこだね。
奉戴しない場合はそのデメリットとして、他勢力に奉戴されることも視野にいれておかないといけない。
当時も紛糾しただろうなあ…

427: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/17(木) 19:03:44 ID:Dwpalp3F0
天子には丁重な扱いをしなければ意味がないが、それを扱いに困るというのは適当ではないと思うな。また、最終的に禅譲に至るなら、袁紹存命中か否かと言うのはあまり問題ではないと思う。曹操が禅譲までいけなかったのは荊州と漢中の敗戦で統一が遠のいたことが大きいだろう。
袁紹が奉戴して曹操に勝ったとして、それを超えられるかは解らないが、逆に曹操が献帝を手中に収められなければ、221年段階で史実と同等以上に安定的な魏朝成立はまず無かったと見ていいのではないかな。
皇帝は大義名分だから、一度奉戴してしまえばむしろ内部の結束を強める。
帝位を簒奪するにしても、広く漢帝と認められている人物から譲り受けるのとそうでないのとでは大違いだ。特に中原を支配するのなら。
>>425のいう通り他者に取られてしまえば、それこそ分裂の原因になり兼ねない。
だからこそ曹操に献帝を取られて袁紹は後悔して、「こっちに寄越せ」と言ったわけじゃないか。

428: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/17(木) 19:13:36 ID:Dwpalp3F0
あ、ちょっと訂正。
奉戴云々は置いといて、袁紹が官渡で勝っていたら曹操を超えた可能性は十分にあると思うな。曹操は官渡で一応袁紹を撃退したが、その後体制を整えて袁譚袁尚を完全に破るのに七年掛かった。逆に袁紹が勝てばその一戦でほぼ曹操はおしまいで、一気に中原を制覇できる。
一番大きいのは孫権が跡を継いだばかりで何も出来ないだろうこと。劉備も強固な後ろ盾が無ければどうしようもないだろう。「赤壁」はない。軍事力で注意すべきは涼州諸勢力くらいになる。
袁紹の病死を官渡の敗戦が後を引いたためとするなら、それが無ければまだ10年以上生きていいだろうし、かなりのところまでいけたと思う。

429: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/17(木) 22:43:56 ID:u6BdgUXTO
長男のウンコっぷりと許の裏切りの二つくらいだよな、敗因は
曹操は完全に棚ぼた勝利
荀イクや郭嘉が曹軍の勝ちを最初からわかってたみたいな書き方されてるけど、あれは胡散臭すぎるよ
現にこいつらは押されっぱなしで、兵糧切れ負けなんてパッチ当ててないコーエー三国志みたいな負け方しそうだったし
それと、帝を担いでも、逆に敵に「帝を利用して天下を奪わんとする姦臣を~」と、敵を団結させるきっかけを与えかねない
現に曹操はそれで苦しんだ面もある

433: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/18(金) 00:11:19 ID:QAkK190x0
いやちょっと待て
いくら袁紹スレだからって引き倒しが過ぎないかw
俺も>>412のようなことも書いたが、楊奉・董承を排除するのが厄介で曹操は面倒がないってのはないだろう。曹操が袁紹との戦いに主力を注げたのは天子奉戴の要素が大きい。特に西と南。「君側の奸」なんてスローガンとしてはいいが、それを元に諸勢力が一致団結する例は少ない。
天子を野放しにしてたらそれこそ袁術がまだ生き残ってた可能性もある。
リスクを承知で奉戴に手を突っ込んだ曹操、観望して時期を逃した袁紹。
兵力兵站共に著しく劣勢にも拘らず正面に集中できた曹操。優勢にも関わらず攻め切れなかった袁紹。
寝返り続発にも関わらずそれを致命傷にしなかった曹操、不和からの寝返りを一発致命傷にした袁紹。
時機を掴んで奇襲に成功した曹操、配置ミスから全面後退を強いられた袁紹。
大げさに言えば「奇蹟の大逆転」かもしれないが、棚ボタ偶然なんぞとは絶対に言えないよ。
すべては勝因あっての勝利だ。

434: 432 2008/01/18(金) 00:30:51 ID:U1ZnHhc40
>>433
>楊奉・董承を排除するのが厄介で曹操は面倒がないってのはないだろう。

「ほかの」面倒がない、だよ
もちろん一大勢力となった曹操を倒すか屈服させなければいけないわけだし事実それに失敗したんだが

献帝が関東に来た段階で迎えようとせず、曹操が許に連行してから欲しがった理由は
「献帝にくっついていた董卓系統の群雄と袁術の勢力が一掃されたから」
(逆に言えば、董卓系統や袁術系統を消せるまでは手を出さない)
と思っただけで、俺は自分のレスがそんなに袁紹贔屓な発言だったと思わなかったが

献帝連行のくだりを見ると、曹操陣営が離反と嘘と裏切りを重ねているのが分かって面白い
(それ自体は乱世の習いかもしれないが)
・袁紹と同じで反献帝(を擁立している関西軍閥)→献帝を擁立する関西軍閥に近づく
・関西軍閥によしみを通じるため張楊を頼る→洛陽に乗り込むと真っ先に張楊を追い落とす
・楊奉に嘘を並べて信用させる
・楊奉に嘘を並べて献帝を強制連行する

しかし献帝を擁立していた董卓も李カクも楊奉も仲間割れして滅んでいるなあ

439: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/18(金) 20:48:44 ID:ETRscNxT0
>>434
献帝の傍から、曹操を排除するよりも楊奉・董承を排除する方が簡単なんじゃないかと思えるのだが。
董卓系・袁術系の邪魔なコブを排除するのを、袁紹は面倒がった、曹操は面倒ごとに手を出して成功させた。あまり袁紹を弁護できることではないと思うが。

440: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/18(金) 21:18:43 ID:U1ZnHhc40
>>439
面倒だったというより、大博打に手を出さなかったと言うべきじゃない?

>曹操を排除するよりも楊奉・董承を排除する方が簡単

それは結果を知っている我々だから言えることだ
少なくとも楊奉が軍事的には手強かったのは間違いないし、袁紹が介入すれば楊奉たちと曹操と両方を敵にしかねない
曹操たちの成功はもちろん偉業なんだが、袁紹の選択はベターなものだと思うよ

442: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/19(土) 18:37:04 ID:o+dF66Gn0
>>440
楊奉が強兵の持ち主だったことは特筆されているが、根拠地を持たない軍は脆い。
まして洛陽近辺は誰も軍が維持できないほど荒廃していた。
東帰した天子の軍を軍事的に破るのは難しくなかっただろう。董承らは厄介だろうと思うが。
また、袁紹の選択がベターだったのは、天子を政治的に有効に活用できる人間がいない時点までの話。
曹操に取られて山東の群雄達の官爵を好きにされた時点で後手を踏んだ失敗に変わった。
だから後悔して、こっちに寄越せ、となったわけだろうね。

441: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/19(土) 01:28:02 ID:eT5Y8aBl0
つうか、対呂布の時点までは曹操は袁紹のパシリなわけだよな。
長安で内ゲバやってる時点で叩かなかったのは規定の戦略になかったからだろうし、
曹操が抑えた後で考えを変えたのは曹操に(自分への)恭順の意を問うというのもあったんじゃね?

447: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/19(火) 11:44:11 ID:tr+EbP940
強大で朝廷が懐柔策をとることを余儀なくされた黒山賊を呂布と共同で撃破し、精強な騎兵を率いる公孫サンを界橋の戦いで破る……と書くと名将に見えるね。

448: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/19(火) 18:18:38 ID:dATZcJbr0
名将という区分が正しいかはともかく、公孫サンや各地に跋扈していた賊を平定して河北を纏め上げ、後々まで治世を偲ばれたわけだから、そこまでは良君と言っていいだろう。
袁紹の最大の失敗は官渡で負けたことなんかじゃなくて、後継者問題を残して死んだことだよなあ。分裂してさえ袁家は五年持ったわけだから、ちゃんと袁譚に任せてたらどう転ぶかはまだ判らなかった。
袁譚は冷遇されて外に出されながら青州北部を平定する辺り、全然馬鹿じゃない。
中華統一に乗り出せるような器があるかはまた別だけど。

449: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/19(火) 18:42:13 ID:xngdrJXW0
冷遇されてるか?
官渡で袁紹と行動を共にしてるあたり、むしろ優遇されてる印象を受けるが。

450: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/19(火) 18:49:14 ID:dATZcJbr0
戦力が必要だったんだろう。
だが家としては嫡男を単独で本拠の外に出すってのはありえない。
長男次男を外に出して三男を残す時点で、衆目には袁紹の意思はほとんどはっきりしてる。江夏に出たことで自分から脱落して見せた劉琦の例や、孫登を出征させるのを諌められた孫権のように。
あとは後継を袁尚にすると明言するだけ(袁譚を理由付けて処分すればベターだけど)だったんだが、それが出来なかったんだよなあ。なぜなんだろ。

451: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/20(水) 01:30:45 ID:qRf2aHQZ0
>>450
いや、袁尚後継は始皇帝→胡亥と同じ事情じゃないか。
袁尚はまだ年齢、経歴の面で刺史、将軍といった官に就く段階ではなかったんじゃないかと思うんだよなあ。
ちょうど近くにいたから擁立者に選ばれただけで。

452: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/20(水) 10:58:29 ID:rzQB3JiE0
袁譚が袁基の養嗣子になってた、って袁紹伝の記述見て、袁譚と袁尚の関係が袁紹と袁術の関係そっくりだと思った(年上なのに外に出されて伯父の跡を継ぎ、独自にそれなりの基盤を築いたあたり)
袁譚が「親父だって俺と同じ立場から成り上がって袁氏の頭領になったじゃねーか」って考えて、とっくに袁尚後継で解決してた後継者選定に異を唱えて反乱した
……てのは小説的にすぎるか?
官渡あたりで権力強化した郭図ら穎川流れ名士+青州派VS袁尚の下で巻き返しを図る冀州派の取り巻き抗争とか、他にも色んな要因はあるだろうけどさ

横槍でレスするけど
>>451
袁紹伝の袁譚が袁基の養嗣子って記述と、後漢書袁紹伝?の袁譚を「袁基の後継者として青州に出向させた」という記述が事実なら、そもそも後継者枠から袁譚は外されてるわけで袁尚が若くて袁紹存命時に刺史や将軍につけないってのはどうか知らんが、少なくとも近くにいたから擁立者~は当てはまらないんじゃないかな?

453: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/20(水) 12:19:53 ID:tgKLYcGzO
「伯父の後継ぎ」は、「袁紹の家の後継ぎ」より上位の可能性があるよ
司馬炎が伯父司馬師の後継ぎとした次子司馬攸を皇帝の後継ぎにしようとした時に、そんな理屈を持ち出したはず

454: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/20(水) 14:25:11 ID:pH5qe9840
>>453
袁氏の束ね役って袁術じゃなかったっけ?と思ってウィキの汝南袁氏の項目見てみた
袁基は董卓が洛陽入りした頃に洛陽で太僕やってたんだな。しかも袁術と同母兄だかられっきとした正嫡…
袁術が袁氏のまとめ役になったのってその後だったのか
偉そうな事言って思いっきり勇み足だった。ハズカシス


でも、そうなると
袁譚「俺は袁氏宗家の跡を継いだんだからオレが指導者になるべきだろ常考」
袁尚「滅んだ家継いだやつが文句言ってんじゃねーよ。今は実質冀州袁家が袁氏を束ねてんだよ」
の双方の主張、どっちにも一応は言い分があるって事か?

もしも冀州豪族の勢力削りが、もし次期総帥袁譚のための布石だとしても(単純に君主権強化のための措置かもしれんが)
どっちみち袁紹がいきなり病死したせいで恐ろしく面倒な状態になっちゃったんだな

引用元: ・河北の覇者・袁紹




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