1: 人間七七四年 2008/05/27(火) 16:58:33 ID:OeWbcPMJ
安東(秋田)、戸沢、小野寺、大宝寺(武藤)、浅利、由利十二頭など
出羽国の地味な戦国大名や豪族について語る総合スレです。








5: 人間七七四年 2008/05/27(火) 17:42:40 ID:bYGH+XCP
>大宝寺

名前がイイ!

7: 人間七七四年 2008/05/27(火) 21:19:26 ID:OeWbcPMJ
>>5
上杉や最上に浸食されて、最後は本庄に乗っ取られた大宝寺カワイソス。。。

9: 人間七七四年 2008/05/27(火) 23:09:24 ID:BUsdQ7KN
大宝寺より、武藤のほうがかっこいいと思うんだが

11: 人間七七四年 2008/05/28(水) 07:40:54 ID:2tY2TkqQ
大宝寺と九州の龍造寺は縁起のいい苗字だったが最後は衰弱したな。

12: 人間七七四年 2008/05/28(水) 08:57:21 ID:IJKZeiSA
安東もいい評価してもいいのだが・・・

小野寺は輝道の代はよかったが最後はその馬鹿息子のせいでうry

14: 人間七七四年 2008/05/28(水) 17:24:14 ID:0uNj6jBI
>>12
バカ息子・小野寺義道はお預け先の坂崎出羽守が憤死すると、お墓を作ってあげてるのは感心すべきこと。家を潰したことと、この一件で後世に名が残ったw

大名の当主としてはアレでも、人間としては真っ当な人だったんでしょうね。

13: 人間七七四年 2008/05/28(水) 09:18:54 ID:jRRo7Xna
>大宝寺と九州の龍造寺は縁起のいい苗字だったが

そういえば、龍造寺は大宝寺(武藤)の本家筋の少弐家を下剋上で滅ぼしてるね。
なんだか因縁めいて見えるな。
・・・スレ違いか。

17: 奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2008/05/28(水) 23:47:10 ID:z5QqS7Km
そもそもコイツ等、大名なのか。

25: 人間七七四年@全板トナメ開催中 2008/06/01(日) 12:24:23 ID:PcqHs9zU
>>17
6000人率いてる
安東は大名だろ
一万石250人で24万石だぞ?
でも交易とかでも儲かっていたらしいが…


27: 人間七七四年@全板トナメ開催中 2008/06/01(日) 19:39:34 ID:Xsm7lZ/r
1万石250人なんて超適当な目安にしかならん
いつまでそんな説を唱えているんだ?
そもそも安東氏は5万石だろ?

29: 人間七七四年@全板トナメ開催中 2008/06/01(日) 23:07:45 ID:khydhtQE
>>27
5万石なんて表高だよ実際は20万前後あった。
だから>>25が言うように6000人動員したっていうのは
不思議な数字ではない

30: 人間七七四年@全板トナメ開催中 2008/06/02(月) 00:00:03 ID:b+u1nCmQ
>>29
そもそも実高なんてものはせいぜい表高の2倍ほど
実高20万石のソースはあるのかね?
まぁ戦国期の領地を石高であらわすのは難しいんだけどさ
あと6000人っていつの話?
個人的には大名扱いで良いと思うけど、室町期までの日本将軍を名乗った安東氏と比べて交易利権の喪失と内紛によって戦国期の安東氏は見る影もなく没落しているよなぁ
28: 人間七七四年@全板トナメ開催中 2008
安東五万石の基準だと 
上杉や伊達や佐竹なんかも精々10~20万石にしかならない罠
30: 人間七七四年@全板トナメ開催中 2008
>>28
言ってる意味が分からん 
伊達氏(仙台藩):表高62万石 実高100万石超 
上杉氏(米沢藩):表高30万石 実高51万石 
佐竹氏(秋田藩):表高20万石 実高?万石 
安東氏(三春藩):表高5万石 実高?万石
31: 人間七七四年@全板トナメ開催中 2008/06/02(月) 06:18:26 ID:SOuG2+sp
>>30
寄騎大名(半分豪族)を抜いた、純粋な石高で秋田5万石だから
それなら佐竹も常陸12万石しかないってこと
今は織豊時代の話

32: 人間七七四年@全板トナメ開催中 2008/06/02(月) 11:49:16 ID:b+u1nCmQ
>>31
寄騎の意味分かってる?
寄騎は主家から与えられるもので、それを以てして「実質は~」などと言うのはどうかと思うが。

戦国末期の安東氏は、後の本領である秋田5万石と後に太閤蔵入地となった2.5万石を合わせた約7.5万石が支配圏
戦国末期の佐竹氏は、後の54万石から江戸氏や大掾氏などの所領を抜いた分、これが12万石とはちょっと少なすぎないか?
伊達や上杉なら尚更だよ
10~20万石の確かなソースがあるならともかく、にわかには信じがたいね

安東氏の山北地方は当時まだ米作が盛んだったわけではなく、海上&河川交易の収入への依存は大きかっただろう
石高の数値だけで推し量れば、安東氏の領地など弱小でも仕方ない
俺には安東氏の石高を大きく見積もろうと必死にしか見えないんだが?

36: 25 2008/06/02(月) 19:38:27 ID:rGxhbXmH
>>32
秋田+由利の一部+津軽の一部
石高は少ないが面積的に言えば弱小ではないと思うが…


35: 人間七七四年@全板トナメ開催中 2008/06/02(月) 14:26:48 ID:LBF/XSfx
奥羽の検地は結構いいかげんで、しかも秋田実季は意図的に領地を少なく見せている。
秋田愛季死去直前の1587年頃、6000人率いていたが そのころ実高で20万。
そのあと五万+蔵入り二万五千と確定されたが
あなたの言うように、倍が実高ならこの確定の時点で実高15万ということになる。
20万と15万の差は豊島通季の乱で失われたとも考えられる。

41: 人間七七四年@全板トナメ開催中 2008/06/03(火) 00:29:11 ID:qosN2Zuu
>>35
一応言っておくけど、>>30の表高というのは江戸時代初期のもので、(ちょっと自分が時代設定を勘違いしていた部分があったww)
その後の開墾などで生産力が高まった結果、実高というものが出てくるわけですよね?
戦国時代の所領を後の石高制で語るのも難しいけど、そこに実高という考えを入れるのは全くおかしいんじゃ?

40: 人間七七四年 2008/06/02(月) 23:05:03 ID:rxUwmecX
江戸期の佐竹が20万石だから、当然安東はそれ以下ってことだよな。
安東、戸沢、小野寺、浅利の領地を合わせて20万石だから。

でも安東の実高が20万石とはちょっと信じ難い・・。財政力はあったにせよ・・。

46: 人間七七四年@全板トナメ開催中 2008/06/03(火) 22:42:07 ID:xGNCb4r7
>>40
出羽佐竹の実高は40万程度

48: 人間七七四年@全板トナメ開催中 2008/06/04(水) 02:15:33 ID:RNmd0XYi
>>46
だから実高ってのは江戸時代以後のものだろ基本的に

49: 人間七七四年@全板トナメ開催中 2008/06/05(木) 00:42:22 ID:t7GYuTcR
>>48
羽後に関して言えばあまり変わってないんじゃないか

50: 人間七七四年@全板トナメ開催中 2008/06/05(木) 01:14:11 ID:rVDA9GiF
>>49
ほとんど伸びがないとなると、実高を出すのは尚更おかしくね?
実際は出羽の石高は江戸期に入って急速に伸びているよね
太閤検地で30余万石→江戸中期80万石

53: 人間七七四年@全板トナメ開催中 2008/06/06(金) 22:24:49 ID:c29qdxV1
>>50
江戸中期における出羽全土の「実高」だったら
140万を超えるね

42: 人間七七四年@全板トナメ開催中 2008/06/03(火) 02:03:07 ID:SwhKhnKm
義宣の弟の岩城貞隆が川中島1万石
佐竹の石高が決まったのが義宣も死去した1664年で秋田6郡に下野河内、都賀郡を加えて20万5800余石
まぁこの佐竹左遷に対しては北条氏勝が国替えを喜んでますね。
また豊臣政権下では
秋田52000
戸沢40000
仁賀保5000
六郷5000
小野寺32000
ですね。
ただ石高は大名の序列による権威付けと関わりがあり純粋な石高チェックによっているわけでない。ちなみに佐竹の石高は御三家も含めた序列で21位に列する。
佐竹は金山開発や湊の収入、木材の売却で利益をかなり出してますしね。

51: 人間七七四年@全板トナメ開催中 2008/06/05(木) 14:48:27 ID:6xPbp3gS
太閤検地なんて絶対視できるほど正確なもんではない
東北なんてなおさら。いわゆるドンブリ勘定だ

52: 人間七七四年@全板トナメ開催中 2008/06/06(金) 00:27:58 ID:JBXvIENA
石高制や検地法にもいくつも方法があるしね
秀吉が枡を統一したというが、どこまで徹底されたやらも不明
絶対的な基準とまでは思わないほうがよさそうだ

54: 人間七七四年@全板トナメ開催中 2008/06/07(土) 00:02:22 ID:fhIkkjEe
太閤検地は差出だからなぁ、税金増えるのに馬鹿正直に申告する奴も居ない

56: 人間七七四年@全板トナメ開催中 2008/06/07(土) 10:40:33 ID:/l2e+SrW
戦国時代末期における太閤検地の石高が、そもそも
同時期の実高と乖離してるんだよね

66: 人間七七四年 2008/06/24(火) 10:35:03 ID:F02bj+uC
なぁ安東と南部って極端な話しどちらが強かったん?

75: 人間七七四年 2008/07/13(日) 11:05:42 ID:o4x/I4D8
>>66
南部

石高:10万石(太閤検地時)
産業形態:農業重視
当主:武勇に優れるが人望はやや薄い(晴政)
家臣団編成:一族同士の連合体
鉱山:あり
港町:あり
水軍:なし
中央との繋がり:そこそこ
最大動員兵力:15000

安東

石高:8万石(太閤検地時)
産業形態:商業重視
当主:優秀(愛季)
家臣団編成:湊・檜山を統合
鉱山:なし
港町:あり
水軍:あり
中央との繋がり:強い
最大動員兵力:6000(蛎崎・アイヌ兵含まず)

67: 人間七七四年 2008/06/24(火) 10:45:40 ID:sXsp/ZNn
南部だと思うが、安東は水軍を使って後方かく乱とかできたのではないか?

68: 人間七七四年 2008/06/24(火) 11:59:22 ID:kbZeJUKu
南部には優秀な家臣がけっこういたけど安東には…

69: 人間七七四年 2008/06/24(火) 19:37:59 ID:t0bKLHYa
安東は経済感覚や謀略に強い
南部は戦争には強い

70: 人間七七四年 2008/06/24(火) 23:59:38 ID:Fjz2kEk2
南部は武士団って感じだな、よくも悪くも
九戸の乱を克服したことで格好はついたが、江戸時代まで武士団気風は残った希ガス

71: 人間七七四年 2008/06/25(水) 00:10:26 ID:6/LUczRf
安東は総合商社みたいな感じかな。貿易商が武装したようなもんか?

72: 人間七七四年 2008/06/26(木) 14:20:55 ID:nV30fSZC
南部って三戸(南部)、八戸、九戸の三者連合にみえる
基本バラバラなんだけど外からの圧力には連合する集合体
安東は武装商人というのは同感

79: 人間七七四年 2008/07/13(日) 16:22:52 ID:gwJWUtIr
>>72
もっと細かく分かれているよ
三戸、八戸、九戸、大浦、大光寺、七戸と
多分あのまま戦国時代が続いていたら大浦が他の南部家をアボーンしてたと思う(傍流の織田弾正忠家が本家を乗っ取ったように)
大きな由利衆のようなものだったと思えばいい

78: 人間七七四年 2008/07/13(日) 15:55:51 ID:2KlUsRb1
南部は港町があるのに海上交易で稼ぐという発想が希薄だったんだろうか?

81: 人間七七四年 2008/07/13(日) 17:04:41 ID:DAjCoShn
>>78
港はあっても運ぶ貨物がないとね。

90: 人間七七四年 2008/07/20(日) 17:25:27 ID:CrGQczaD
そもそも安東はなんで津軽を南部に奪われたのかな?
元々安東は北朝方、南部は南朝方で安東の方が有利な気がするが。

91: 人間七七四年 2008/07/20(日) 18:08:19 ID:13vAmAi1
単純に北朝南朝で別れるもんじゃない
安東は南朝になってた時期もあるし、今の三戸南部は北朝について隆盛を得た
南朝に忠義を尽くしたのは八戸南部

92: 人間七七四年 2008/07/25(金) 14:34:36 ID:BlkH5pBs
安東って、東北最大勢力だったのが、いつのまに、伊達、葦名、南部、最上とかの台頭許したのか?

93: 人間七七四年 2008/07/25(金) 15:04:26 ID:T75F28Tp
むしろ本当に最大勢力だったのか疑問
色んな称号が伝わってはいるけど

96: 人間七七四年 2008/07/25(金) 18:57:29 ID:nMKSC/Vf
煽りじゃなく、安東も南部も当時はリアルに最果ての地だからな
安東の財力に目を見張るようなものがあったにせよ、米などの生産高、鉱山などの資源、人口などを考えた場合、武家としての東北最大勢力ではあるまい
文献の記載を裏付けるほどの遺物もないんだろう?

97: 人間七七四年 2008/07/25(金) 19:13:22 ID:HLwdJ7HA
湊と檜山に分裂したからだろ>台頭を許したの

98: 人間七七四年 2008/07/25(金) 20:16:17 ID:GwKLWJBi
>>97
分裂は十三湊喪失の後じゃあなかったっけ?
うろ覚えなんで間違えていたらすまん。

99: 人間七七四年 2008/07/25(金) 21:16:26 ID:/Zme0V6X
ぶっちゃけ、鎌倉から室町時代前期の安東家の所領の範囲に諸説あって、説によってその広さが全然バラバラになってしまうので、安東氏が東北最大の勢力であったかどうかなんて結論は出ないし、広く見積もってもその領域はせいぜい陸奥北部の沿岸部(大体青森県の範囲)と出羽北部の一部ぐらい

日之元将軍とかの自称は、勢力の広さ云々と言うよりも、古くから北東北で続き、蝦夷の子孫を自称し、鎌倉期から代々蝦夷地支配を認められてきた安東家の矜持みたいなものかと

実際、明治期に秋田家は安日彦の子孫なんて言い出しちゃうほど、蝦夷を祖とする自家の家系によほどのこだわりがあることだけは確かだし

106: 人間七七四年 2008/07/26(土) 02:21:19 ID:mMDq8l28
安東は交易とか鉱山開発とかで儲けていた。
武将というよりも東インド会社みたいなもんだろ。

107: 人間七七四年 2008/07/26(土) 11:45:19 ID:e34gy2Gw
そう、安東は津軽、下北、外ヶ浜の全てを支配していたわけじゃなく港の周辺を収めていた。陸地とかは幕府の御家人のもの

108: 人間七七四年 2008/07/26(土) 18:17:16 ID:HjDRoebl
安東自体御家人のような・・・

109: 人間七七四年 2008/07/26(土) 20:15:04 ID:74QoXQlX
安東は御内人じゃなかった?

110: 人間七七四年 2008/07/26(土) 20:27:40 ID:c/lflrlP
思いっきり御内人ですな>安東氏

最近では御内人だった関係を元に、安東家の出羽進出を鎌倉期にまでさかのぼらせる見方もあるそうな

114: 人間七七四年 2008/07/28(月) 01:42:14 ID:kI5sAO94
御内人ってなに?

115: 人間七七四年 2008/07/28(月) 03:34:41 ID:iHOuMJmk
>>114
鎌倉期に執権である北条得宗家(北条氏惣領)に仕えていた武士のことを指す言葉
基本的には北条家の被官という感じに考えてよいかと
彼らの多くは北条家守護任国の守護代や北条家の所領の代官などを任されるなどした
(元寇以降は御内人から内管領なんかが出てくるが)

当然、北条家の隆盛とともに御内人もその力を伸ばしていったが、彼らの多くは鎌倉幕府滅亡とともに没落したと言われている
でも、一部にはその後も勢力を保ったものもいて、安東氏はその一例
他には信濃の諏訪氏あたりも知られている

111: 人間七七四年 2008/07/27(日) 09:39:06 ID:PGxIgRax
北海道、青森、秋田。3県分にまたがる地域に勢力圏を鎌倉時代に持ってたのは凄いと思う。

伊達より上だな。

112: 人間七七四年 2008/07/27(日) 13:01:10 ID:Py+BdEK0
大量の船を持っていたからな。


113: 人間七七四年 2008/07/27(日) 13:04:07 ID:Py+BdEK0
ただし当時の北海道、青森、秋田は繁栄している都市(主に港町)の数が多いわけではなかった。

安東は港湾都市や鉱山をピンポイントで把握していたが、内陸部を実効支配していたかどうかかなり疑問。

117: 人間七七四年 2008/07/28(月) 11:50:45 ID:zEstvDRc
つか御内人のようなポジションに収まったんだよ
得宗家に息子とか近従させて
始めから御内人なら蝦夷大乱など起こって無かろうし
南北朝初期は御内人は北条戦力として暫く北朝でも南朝でもない勢力だが、彼らに安藤氏は味方してないし

118: 人間七七四年 2008/08/09(土) 15:24:37 ID:2hr+2Rs+
北条得宗と安達秋田城介の微妙なバランスの上に乗っている。

引用元: ・安東・戸沢・小野寺など出羽の地味な戦国大名 参