61nMa8ss4ZL



1: 世界@名無史さん 04/10/19 00:47:35
甲冑のスレが埋まったので新たにたてます。
基本的に武器や鎧をそれ単体だけでなく、関連付けたものとして考えていきましょう。
その方がきっと楽しい。







3: アクィラ ◆0fUIPC892c 04/10/19 04:02:16
敢えて、slingを挙げてみよう。
それらしき絵はミュケナイ文明に遡るとか、石弾はクノッソス宮殿から発見されてるとか、文献では『イリアス』13. 716が初出だとか。

5: アクィラ ◆0fUIPC892c 04/10/19 05:39:25
ちなみに>>3のソースは、
Oxford Classical Dictionary, 3rd.ed., s.v. slingers
の冒頭部

20: sporran 04/10/22 10:43:09
疑問1
日本では鎖鎌や万力鎖のように半飛び兵器があるが、西洋ではない。反対に西洋にはフレイルのような連結棍棒が多いが、日本は見られない。この原因は何か?

疑問2
西洋ではスパイクつき斧、フックのついたハルベルト、スパイクつきメイス、殴るのに適したキヨンを持つロングソードなど複合性を持った武器は多いが、日本でははず槍くらいしか思い浮かばない。(槍には鎌槍などあるが)これはなぜか?

26: 世界@名無史さん 04/10/22 13:13:22
>>20
文化の違いでは。

疑問1.
多分、農具の問題だと思う。西洋の脱穀用の殻竿は、そのままフレイルになるし、クルトレイの勝利やフス戦争の勝利も、普及に影響したのでは。日本では銃器の普及はあったけど、農民が武士の勝利したからといって、その武器を流行らせようという方向には進みにくい気がする。
  
疑問2.
扱いが難しいからでは。
西洋ではスイスの傭兵団みいたいなハルベルトやパイクを用いて騎士に勝った農民兵が登場したから、それにあやかったのでは。ただ、形が変わってもそれを使いこなすには、結局、素人にはムリ。
    
そもそも、フックなどは騎士を馬上から引きずり降ろすのに必要だったけど、日本ではそういう場面はあまり訪れなかったと思う。それに、実際、西洋だって、専門の訓練を受けないとそれれの兵器を完全に使いこなせないし、農民向けにはフックだけとかがあったはず。

かならずしも武器の性能や使い勝手だけが普及の原因ではないということではないのかな。鎧を着て殴り合うだけでなく、時代的な背景をまず考えるべきかも。

27: 某研究者 ◆NITkxmpUgI 04/10/22 13:27:11
>そもそも、フックなどは騎士を馬上から引きずり降ろすのに必要だったけど、日本ではそういう場面はあまり訪れなかったと思う。

馬を攻撃した方が早いと言う事かも知れぬが
馬の捕獲を考えるなら
騎士は落とした方が良いかも知れないが
槍で殴ってもダメージは一応与えられるだろうが
逃げられるかも知れぬし
落とした方が馬を殺さずに確実に捕獲出来ると言う事だろうか
(日本の場合は捕獲より殺傷の方を重視しており鎧の強度も低いなら上から殴っても十分であると言う事だろうか)

30: 世界@名無史さん 04/10/22 16:39:32
日本にも打撃武器は結構ある。普及度は不明。

打撃武器の欠点は距離を潰されると威力が激減すること。
また得物を捕まれるのも怖い。

31: 世界@名無史さん 04/10/23 02:08:43
ただ、日本の打撃武器は合戦で使われたような印象があまりないですな。絵巻なんかでも、どの時代でも、主に弓・槍を使っているような。平安ごろには薙刀もあったようですが。これは鎧の質と馬の扱いの差ではないかと思いますね。
日本の騎馬は西洋のそれと違い、主戦力として前面にでてくるものではなく、撹乱・追撃を主とする、いわゆる軽騎兵的な役割であったようです。かの武田の騎馬隊でも似たようなものだったらしいし。
つまり、騎馬と相対するような場面は、すでに劣勢か退却時であり、それをわざわざ相手にすることを想定した武器など携帯している余裕はなかったのではないか、なんて風に考えてみましたが。どうでしょう?
対騎馬用の武器がまったくなかったとも思いませんがね。

42: 世界@名無史さん 04/10/23 13:17:35
長柄は打撃武器にもなるし、西洋だって槍で騎馬を防いでる
また重装騎兵だって下馬して戦う
馬上は不安定なので、ちょっとしたきっかけで落馬し後続に踏み潰されるか、軽装の歩兵に止めを刺される。長柄は5m馬上の武器は2-3mがいいところでアウトレンジで戦える。
結局日本で下馬戦闘主流になったというのは(戦場での)騎馬の優位性がなくなったからであり、それだけ長柄・槍といった武器は弓と刀の間を埋める中間武器として優秀だったという証明である。
長柄や槍のほかに武器を求めるのは拳銃や大砲があるのになんで小銃をつかってるの?と聞いているようなものだ。



43: 某研究者 ◆NITkxmpUgI 04/10/23 14:03:28
まあ攻城戦以外では騎馬武者や騎士・騎兵が突撃した後で従者や歩兵が戦うと言う方向が矢張り古代から中世の戦争のパターンの様にも見えるが

45: 世界@名無史さん 04/10/24 00:25:54
槍先をそろえてるところにはさすがにきついでしょう。
一頭でも全力で突っ込めばそこを強化点として後が続けば崩せるでしょうが最初の突撃は自殺行為ですからね・・・ 
56: 世界@名無史さん 04/10/25 07:21:49
グスタフの騎兵は一列目が駆け寄りつつピストルで一斉射撃してから抜刀して突撃する。
グスタフはポーランド騎兵と従来のカラコールのいいとこどりを目論んでたんだよね。
槍だと取り回しが悪くてピストル使えないでしょ。
それと騎兵砲を用意したように砲や銃で崩れかけた戦列を狙わせたから単体突撃力はそこまで重視しなくて良い。相手の陣内を蹂躙することだけならサーベルの方が上でしょ。

カラコールは、16世紀から18世紀にかけてヨーロッパの騎兵が使用した戦術。敵前にギャロップで接近し、馬上で射撃をした後に半回転して後方へ下がる機動をいう。


68: 世界@名無史さん 04/10/28 17:50:34
大砲が野戦で歩兵相手に使われ始めたのは、いつ頃からなんですか?

75: 世界@名無史さん 04/10/29 19:22:29
>>68 
16世紀のイタリアあたりではないでしょうか。
ラヴェンナの戦いは歴史上最初の攻勢準備射撃のようなものだし。
ただ、野戦砲としての取扱を極めたのはグルタヴ・アドルフのスウェーデン軍。
砲兵科が誕生したのも彼の功績だったはず。


107: 世界@名無史さん 2005/04/08(金) 00:14:17 0
質問です。
17世紀アタリに貴族が使っていたレイピアの「鞘の素材」をご存知の方はいらっしゃいませんでしょうか。

皮革か、金属かあたりを予想しているのですが
詳しい方がいたら教えて下さい。

108: 世界@名無史さん 2005/04/08(金) 00:35:38 0
>>107
回答:基本的には木製。真鍮や黄銅や金、銀で装飾。

補足:革、金属もある。

蛇足:刺突よりも相手の顔を斬りつけ、醜い傷を与えて屈辱感を与える武器

110: 世界@名無史さん 2005/04/14(木) 02:03:08 0
>>107
革ですよ。
自分は今までに50本ほどのレイピアを見ていますが、全て革です。

111: 世界@名無史さん 2005/04/14(木) 16:52:03 0
最も一般的な木製の鞘は、布や革で覆われることが多く、革製の鞘は一部が金属で覆われることもある。刃物の差し入れ口や鞘の先の部分は、特に傷みやすいため、金属で補強される場合が多い。

19世紀のヨーロッパでは、全て金属でできた鞘がポピュラーになった。
これは、刃物の切れ味を悪くしてしまうという欠点は持っていたものの、革や木製の鞘に取って代わり、19世紀が終わるまでの主流を占めた。

112: 世界@名無史さん 2005/04/14(木) 19:13:35 0
日本の戦国期における薙刀の使用率ってどれくらいですか?
私の中では薙刀は廃れて長柄槍が全盛した時代だと思うんですが……。>戦国

113: 世界@名無史さん 2005/04/16(土) 20:26:27 0
坊主くらいじゃねーかな薙刀使ってたのは

114: 世界@名無史さん 2005/04/16(土) 22:39:13 0
合戦図屏風には薙刀持った武士が描かれてるよ

115: 世界@名無史さん 2005/04/16(土) 23:42:32 0
室町以前の薙刀は従者の主兵装。
槍が登場すると急速に取って代わられる。

116: 世界@名無史さん 2005/04/17(日) 05:41:57 0
大阪の陣にも描かれてるがな

117: 山野野衾 ◆a/lHDs2vKA 2005/04/17(日) 07:53:10 0
>>112
少数ながら、持鑓の代わりに使用している者もおりましたよ。
「鑓働き」と記録してよいのかと問われるくらいの使用頻度でしたが。

118: 世界@名無史さん 2005/04/17(日) 14:00:45 0
二番槍となることを嫌い、薙刀を使う人間もいたが、大多数を占める足軽の兵装は貸与された物であり長槍が標準装備化された事は疑う余地が無い。

薙刀が高比率で使用されたかの様に書くとは何を考えているのか

119: 山野野衾 ◆a/lHDs2vKA 2005/04/17(日) 14:47:43 0
だから、「持鑓」と。数鑓ではありませんよ。
二番鑓を嫌う場合、同じ長柄ではなく、刀を抜く者もおりましたね。

120: 世界@名無史さん 2005/04/17(日) 17:43:44 0
祖母ちゃんから譲り受けた家宝の筑紫槍はどう見ても三国志の大ナタなんだけど、これは本当に槍?銃刀法の関係で封印されていて詳しく穂先を見れません。
教えて(ry

121: 山野野衾 ◆a/lHDs2vKA 2005/04/17(日) 18:26:04 0
筑紫長刀ではないのですか。別名鉈長刀というくらいで、形状は名前の通り。

141: 世界@名無史さん 2005/05/27(金) 23:28:25 0
質問。
実際の戦いでハルバードを使う騎士はいたのでしょうか?

1280px-Lviv_-_Arsenal_-_26

142: 世界@名無史さん 2005/05/29(日) 02:07:35 0
>>141
いたんじゃない?
ただ、アレは両手持ちの歩兵の武器なので騎士っぽくは無いかも?

143: 世界@名無史さん 2005/05/29(日) 02:14:26 0
騎士というか徒歩のメンアットアームズだな。
馬上で使うメリットはなさそう。

145: 世界@名無史さん 2005/05/31(火) 16:38:05 0
ttp://www.worldtimes.co.jp/
朝鮮が7世紀に世界初のロケットを開発、北朝鮮が主張
【ソウル 31日 ロイター】 

北朝鮮の朝鮮中央通信社(KCNA)は30日夜、朝鮮民族が1300年以上も前に世界最初のロケットを開発していたと報じた。KCNAは、7世紀の高句麗時代末期に、現代のジェット推進型ロケットと類似した兵器が使われていたと主張。「最初のロケットは非常に簡素だが、原理は現代のものと似ている」と伝えた。
さらにKCNAは、高麗時代(918―1392)にも、「ファジョン」と呼ばれるロケットが生産されたと説明。これは全長ほぼ1メートルで、ロケット推進技術を駆使したやじりが使われていたとしている。

147: 世界@名無史さん 2005/06/02(木) 04:00:19 0
>>145
10世紀ごろに中国で火薬を使って槍を飛ばす武器が開発されてる。
12世紀の中国には大砲がある。
13世紀には高麗は元の支配のもとで日本に攻めて、矢+火薬のてつはうを使ってる。

148: 世界@名無史さん 2005/06/02(木) 13:40:17 0
>>147
中国の現存する最古の大砲は13世紀末のものじゃなかったか?
ちなみに朝鮮で火器について言及している最古の記録は14世紀半ばらしい。

155: 世界@名無史さん 2005/06/03(金) 00:56:50 0
>>148
宋書に記述があったような。

151: あやめ ◆C0.O2CxIMg 2005/06/02(木) 15:44:22 0
御教示を得たいのですが現代の弓道で弓の強さをkgで表現していますね。
洋弓の場合は何ポンドと言ってるようです。このような重量表示はどのように計測するのでしょうか?普通に考えて矢を番えて最大に引き絞ったときの半径みたいな数字に思えるんですが、それなら長度によって表現されるべきなのに、何で重量で表すのかという点が判りません。或いは弦に重量負荷をかけた場合の数字なんでしょうか?弓その物の重さじゃないですよね。
なお昔の日本では「十三束三伏の矢」というように絞りの長さで表現していたと思います。支那の場合は何斤の弓といった表現をしていますが、その計測の実態が判りません。

153: 世界@名無史さん 2005/06/02(木) 17:22:25 0
>>151
「質量」じゃなくて「kg重」という「力」の単位。力というのは質量に加速度を掛けたもので1kgの物体に働く重力(これは加速度)の力が1kg重。現在はニュートン(N)が使われる。9.8N=1kg重.

391: 世界@名無史さん 2006/01/24(火) 19:40:03 0
>>151
和弓の強さは当然矢尺によってかわってくるが一般的に○○kgと表されているのは88cmの矢尺を引いたときの力の単位
計る方法は弦の矢を番える辺りをバネばかりに引っかけそこから88cmの矢尺になるまで下に押して,その時の値を見る

152: 世界@名無史さん 2005/06/02(木) 16:12:55 0
中国では弓を作った後に弦に重りを引っかけて張力をチェックしてたような

156: 世界@名無史さん 2005/06/03(金) 01:44:44 0
マスケットライフル、ホーイロックガンはこっちで扱っていいのかな
16c~18cだから軍事板とはちっと違う気が希ガス

で、質問なんだが上記の銃は暴発とかどの程度起きたんだろう?
あと火薬と弾はいつ込めてる?米英独立戦争時代だと撃つ少し前らしいけど
16世紀ごろの海賊とかは常に持ってるがあれは弾込めて安全装置を付けてるだけなのかな

それとあるマイナー歴史映画で手のひらサイズのホーイロックガンがあったんだが詳細わかる?

158: 朱由檢 ◆MfD.4zQt1. 2005/06/03(金) 22:28:29 0
>>156 
参考になるかはわからないんだけど。
ヨーロッパ製マスケット銃の暴発が多かった理由は三つ考えられると思う。

①砲手の問題。
正確には暴発じゃなく、取扱者の無知が原因なんだけど。
ホイール式、フリント式が普及した当初、火種を持っていないのに発砲できることを理解できず、弾を装填したまま、空砲のつもりで冗談や脅しなど面白半分に引金を引いてしまい、同僚を誤射するケースを“暴発”ととらえたもので測定は不能。

②銃身の強度の問題。
これはヨーロッパの技術水準が低くさが原因。
当時の銃身は真鍮や錬鉄で作られてたんだけど。
別スレッドで触れたとおり、イスラム圏レベルの精錬技術に到達したのは19世紀で、それまでヨーロッパは一流の銃用にわざわざオスマン製の銃身を輸入していたほど。真鍮は銅と亜鉛の合金なんだけど、当時のヨーロッパは亜鉛を精錬する技術がなく、亜鉛の原石(カラミン)を直接混ぜて真鍮をつくってたから、不純物たっぷりの粗悪品。
もちろん強度もいわずもがなで暴発するのも当然かなって感じ。

③銃の構造上の問題。
これは発火力の弱い火打石を利用し前装式銃であったことに起因することなんだけど。マスケット銃は火打石や火薬、装填の不備によりかなり割合で不発が起こったみたい。晴れた日の乾いた状態でも15%、湿っていると30%もの高い確率で不発が起こったの。1834年英軍の実験によれば、 不発率は理想的な条件下さえ13%という結果がでてる。
不発に気付かないまま、その上に装填を重ね通常量の2倍の火薬に装填してしまって、暴発につながる事例が多かったようだから、不発率=暴発率と考えていいと思う。フランス軍医ラレイの報告によれば、1813年暴発による負傷件数は3000件あったんだって。
(参考文献:『世界銃砲史』/岩堂 憲人著/国書刊行会)

160: 世界@名無史さん 2005/06/05(日) 17:53:44 0
キングダム・オブ・ヘブン観てイスラムの軍隊に興味もったのですが西洋甲冑と違ってイスラムの甲冑(アイユーブ朝)の資料ってググってもほとんどヒットしない・・・('A`)
写真かイラスト資料の見られるサイトってないでしょうか・・・?

248: 世界@名無史さん 2005/09/19(月) 10:31:17 0
>>160
>西洋甲冑と違ってイスラムの甲冑(アイユーブ朝)の資料ってググってもほとんどヒットしない・・・('A`)


私もかねがね、日本と西欧を除く文明世界の甲冑の史料の少なさに疑問がありました。
じっさい骨董品の市場があるのは日本と西欧の武具で、ほかの諸文明においては、王族や貴族の宮廷御用達の儀礼的なものが、わずかに出回るだけって気がする。

以下は、その事情を自分なりに考えた雑感であり、必ずしも批判に耐えうるかどうかは分からないのですが…

要するに重装の比率が、日欧に比べてほかの文明世界では圧倒的に低いと思うのです。
まず遊牧民ですが、かれらは生産力の低さと機動力を重視する生活の必要性から、はじめから装備しやすい軽装騎兵よりほかに、選択の余地がありませんでした。また農業社会の専制的な王権においても、官給の鎧はいたってドライな規格主義的消耗品であり、必需品としての理解はあっても、特段の愛着や関心をいだく動機は供給側にも需要側にも、希薄だったように思われます。
専制王権の兵士は、強制的に徴集された自発性も士気も無い下層民が大多数。取替えのきくコマに下手に高価な武具を与えても、横流しされただけかも知れません。

いっぽう日本と西欧は、自立した農本経済の戦士階級の組織が基盤になっており、戦争参加も自発的だし武具もまた王権の官給ではなく自弁。ここがポイントです。そのため、現在の若者が愛車にこだわって外見をカスタムメードにしたりエンジンを改造して自己顕示をこめた愛着を示すのと、似た現象が起こりえたのでしょう。加えてそれぞれの戦士が、限られた地域社会における独立性の高い経済単位として自立していることもあり、高度な防御力を求める方向に発達したものと思われます。

ただし戦場の実用面で、日欧における武具の重装化・カスタマメイドが役立ったかどうかは別問題です。いずれもモンゴル軽装騎兵の集団機動戦法に勝利したことはなく、動きの鈍い重装甲冑は小銃の登場以前から、廃れる傾向だったのも事実です。
蛇足で極論をいえば、日欧における軍事を含めた近代技術の発達は、甲冑や刀剣のカスタマメイドにこだわった軍事文化における現象と、無縁でない気がします。

249: 世界@名無史さん 2005/09/19(月) 19:21:57 0
>>248
イスラム圏でもトルコ・モンゴル系諸政権のもとである種の戦士階級が発生している。
アイユーブ朝、マムルーク朝の軍人やオスマン帝国のシパーヒーはイクターやティマール地の収入から自分や従者の装備を自弁していたはず。
イランでもイルハン朝の末期頃からトルコ・モンゴル系の軍人に与えられたイクターが世襲されるようになってサファヴィー朝の頃までに一種の封建領主のような階級が形成されたとか。

251: 世界@名無史さん 2005/09/19(月) 21:21:49 0
>>249
私の考察はあくまでも「骨董市場を形成しうる独自の武具文化が、日欧にのみ発達した」という、事実にもとづく結果から「逆算」したものですので、戦士階級形成という現象面で日欧と相似た事象があった、というだけでは指摘として不十分なのです。
「かれらの武具の文化遺産が市場や史料の面で日欧のそれと比較すると、必ずしも重厚な遺産たりえていないのはなぜか?」という点が、考察の対象になります。
やはり単純な問題として、ほかの文明における戦士階級が、日欧の騎士とか武士とか重装歩兵に見られるのと相似た存在かどうか、という根本的な考察が必要ではないかと。
戦士階級、というのが誤解をまねきやすい用語だったかも。要は軍人魂の有無とは別に、騎士道とか武士道とか、部族制や宗教教義や王権から一定の独自性を保った行動様式に支配される階層の形成…そういう代物では、日欧だけだったような気がします。

また戦士階級もさることながら、武具を供給する生産者側にも一定の文化にもとづくオーダーメイドに応じる供給層が必要であり、また戦士階級が己の武具を私有財産とみなして特別の愛着を抱く、という感覚が重要になってくるのではないかと。

日本と西欧では、英雄にまつわる名剣伝説のようなものがふんだんにありますが、他の文明では、近代以降の娯楽作品は別にして、それらしいものが(皆無かどうかはともかく)思い当たらないのも、興味深いことです。

260: 世界@名無史さん 2005/09/21(水) 12:06:28 0
>>251 
>「骨董市場を形成しうる独自の武具文化が、日欧にのみ発達した」 


オリエントの武具の骨董市場は存在している。 
イランではアンティークに見せかけた甲冑や武器を作る専門の職人がいたほどだ。 
H. Russell Robinsonの"Oriental Armour"という本を参照のこと。 

>「かれらの武具の文化遺産が市場や史料の面で日欧のそれと比較すると、必ずしも重厚な遺産たりえていないのはなぜか?」 

中近東や中央アジアの甲冑についてはこのサイトにだいたい網羅されている。 
ttp://www.geocities.com/normlaw/index.html 
※リンク切れ

そうした武具の実物はニューヨークのメトロポリタン博物館をはじめ世界中にある。 
所在を調べるには、オスプレイ社から出ているデヴィッド・ニコルの本なんかでイラストのソースを参照するといいかもしれない。

261: 249,260 2005/09/21(水) 12:49:25 0
>>260の後段は 
「要するに重装の比率が、日欧に比べてほかの文明世界では圧倒的に低いと思う」 
についての反証でもある。

265: 世界@名無史さん 2005/09/25(日) 06:38:49 0
私の何気ない問題提起が、たいへん建設的で理性的な反論をうけ嬉しく思います。 
私も、べつに意地になっているわけではないのですが、自分の疑問をあえて追求しておこうと思います。なぜか、皆さんの優れた学識にもとづく反論にすら、しっくり来ないものがあるので。近代主義者の「結果にもとづく考察」という一面は、たしかに自分にはあるのですが… 

>>261
まず前段>>249に関してですが、わたしはすでに「(主にモンゴル)遊牧民」を、日欧とそれ以外の専制王権世界のほかに、第三の別物として提示しています。 
ゆえに>>249の指摘する戦士階級も、より厳密に考察すれば、「現地農耕民にとっては異人たる、征服者の後裔であるモンゴル遊牧民系統」と考えるものです。これは、高度に発達した戦士部族が被支配層たる農耕民を財布扱いしている形であり、「土着の自作農」が母体となっている日欧の封建階級とは、別物と考えています。 
騎士や武士はいちめん農場経営者の顔があり、近世以前の国土開発の一翼をになう側面がありました。これは、土着支配者ならではの特徴です。ゲルマン人やヴァイキングのような外部征服者も、根は被征服者とおなじ農民だったせいか、早期のうちに土着支配者化していました。 

モンゴル遊牧民の戦士階級は農耕民としばしば利益が相反する支配者だったため、すぐれた統治センスと流通経済の理解者にもかかわらず、農場経営・国土開発のセンスはついに育たずじまいであり、発展性が不十分だったのではないでしょうか。
西欧の事例に比較するならばスパルタの戦士市民と奴隷(へロット)共同体の関係に、やや近いかもしれません。こちらも戦士市民はプロ化したものの他地域への波及効果はなく、尻すぼみでした。 

>>260にかんしても、わたしは元々「イスラムの甲冑を検索してもほとんどヒットしない」という過去ログにレスしたうえで、「重厚な甲冑もなかったわけではないが、限られた上流階級にのみ普及していたのだろう」と応じていたので、ご指摘の反証も、その範疇でくくれる規模なのではないかと。 

272: 世界@名無史さん 2005/09/28(水) 19:57:56 0
>これは、高度に発達した戦士部族が被支配層たる農耕民を財布扱いしている形であり、「土着の自作農」が母体となっている日欧の封建階級とは、別物と考えています。 
騎士や武士はいちめん農場経営者の顔があり、近世以前の国土開発の一翼をになう側面がありました。これは、土着支配者ならではの特徴です。 

そもそも君主が臣下に封土を与えるのは臣下の軍事的奉仕にペイするためであって、自分のために戦ってくれるなら、例えば自分の王国の土地をサラセン人の騎士に与えてもいいわけだ。実際ロシアなんかではムスリムの領主がキリスト教徒の村を保有しているのが問題になったしリトアニアのグリンスキー公家の先祖はよそから来て大公から領地を与えられたタタール人だ。イベリア半島でもムスリムの王侯がカスティリャとかの臣下になって紋章まで貰った例があったらしい。 

農地経営が土着支配者の特徴というのも妙な話で、>>249の後段で言及したモンゴル系のイクター保有者たちは、自ら所有する奴隷などの労働力によって荒蕪地を開発するとともに、自由身分の農民たちをも庇護下におき、他者のイクターやワクフ地まで横領して、最終的には不輸不入の権までもった世襲の封土「ソユルガル」の領主になってしまった。 
彼らの富の源は土地の支配であり、農業経営の意欲に欠けていたわけではない。 
マムルーク朝のアミールたちは砂糖黍プランテーションの経営で財産を築いていたし、トルコのティマリオト騎士にはキリスト教徒の封建領主が大勢取り込まれて、封土がティマール地に転換されている。

273: 世界@名無史さん 2005/09/28(水) 20:03:00 0
>>248でオリエントの武具について、「王族や貴族の宮廷御用達の儀礼的なものが、わずかに出回るだけ」と書いていたので、そうではなく実際に戦闘部隊が装甲を着けて戦っていたという話をしたかったのだけど。 

そもそも騎士の戦闘スタイルの原型となったのは、サルマタイやペルシアの重装騎兵「カタフラクト」なのだが、アンミアヌス・マルケリヌスはササン朝のカタフラクトの様子を記録に残している。 

「彼らの部隊はすべて鉄で身をよろっており、彼らの全身は厚い鉄板に覆われ、それが体にぴったり合っているので硬い関節の部分も手足の関節と無理なく合っているのだった。人間の顔をかたどった鉄面が、頭にはまるように上手に作られていて、全身も金属で覆われているために、彼らの身にふりそそぐ矢が刺さるような場所は、目のところに開いたわずかな視界を得るための小さな穴と、鼻の先のわずかに呼吸ができる部分しかないのだった」 

オリエントでは軽装の弓騎兵と重装騎兵の連携攻撃を行う伝統的な戦術、アラブ人のいう「カッル・ワ・ファッル」のために装甲をつけた騎兵を大勢実戦に投入しなければならなかった。こうした連中が「限られた上流階級」というならば、そもそも騎士はそうでないのかという話になる。

274: 世界@名無史さん 2005/09/28(水) 20:04:25 0
長文&連投スマソ 

参考までに、紋章はイスラム圏にもあります。 
たとえばエジプトのマムルーク軍人の紋章は個人のキャリアをシンボル化したもので、たいてい一代限りだった。家門や政治的コネクションを表すのに聖なるシンボルをつけるのは騎馬民族が持ち込んだ習慣だいう説もあるらしい。 

騎馬民族といえば、アーサー王伝説とオセチアのナルト叙事詩の比較、サルマタイ系のイアジュゲス族やアラン人のブリテン島やブルターニュへの移住といった歴史的事実から、アーサー王伝説やエクスカリバー、聖杯などのモチーフは中央ユーラシアのステップ遊牧民起源だという説が出されている。ちなみにそれを元ネタにした映画が「キング・アーサー」。 

実際スキタイ人が祀った剣とかアッティラ王の「アレスの剣」(マルスだったかも)など王の権威にかかわる剣の話が遊牧民に関係してあったようだ。そのため、剣の崇拝は騎馬民族が持ち込んだ(ry

275: 世界@名無史さん 2005/09/29(木) 23:07:32 0
騎士・貴族の紋章はサクソンあたりの個人の盾章・旗章を中世になってから代々家系で受け継ぐようになったものでしょ?

282: 朱由檢 2005/10/02(日) 00:26:06 0
>>275 
紋章の使用は11世紀初頭の神聖ローマが最初でそれがフランスに伝播し、イングランドで使用されたのは12世紀中葉になってからだから、サクソン由来ではないと思う。 
ことさらイングランドが話題に挙がるのは史料が豊富であることと、紋章自体が廃れなかったからってだけの話ね。 
紋章院ってまだ存続している上、一応機能してるんでしょ?

176: 世界@名無史さん 2005/07/26(火) 19:57:51 0
バリスタと投石器って用途が被ってる気がするんだけど 
何か違いってあったの?

177: 世界@名無史さん 2005/07/26(火) 20:14:52 0
>>176 
簡単にいえば、野砲と臼砲の違いのようなものだろうか。

178: 世界@名無史さん 2005/07/26(火) 20:38:03 0
>>177 
バリスタ=長射程、高精度、小威力 
投石器=短射程、低精度、大威力 

といった感じっスかね?

179: 177 2005/07/26(火) 20:42:48 0
むしろ根本的な要素は射線の違いにあるだろう。

180: 世界@名無史さん 2005/07/26(火) 21:46:30 0
Trebuchet、Mangonel、Onager、Ballista、Scorpion、Arcu-ballista 

投石器とデカい弓矢にしか見えないんだが何が違うんだ?

181: 180 2005/07/26(火) 22:32:12 0
投石器とデカイ弓矢じゃ大違いだな。射線が直線的なバリスタは、攻城戦のみならず野戦においても歩兵の密集隊列に打ち込めば大きな殺傷効果が期待できるつまり投石器の効果域は点でしかなく、密集隊列に打ち込んでも破壊面積は1~3人程度の範囲。 
バリスタは射線上の敵兵全てを殺傷できる線であり、効果域の面積の広さでは投石器を上回る。逆に投石器は放物線を描いて飛来するため、城壁を超えて城内を破壊することができ、さらに命中すれば城壁や高楼、家屋などの破壊効果はバリスタを凌ぐ。

183: 世界@名無史さん 2005/07/26(火) 23:31:07 0
>>181 
何かの映画で中小の岩石を多数発射し敵軍に岩の雨を降らせる場面があって 
「おお! こう使えば投石機も結構広範囲を制圧できるな」 
と感心した事があったんだが・・・

185: 世界@名無史さん 2005/07/27(水) 04:53:32 0
>>181 
投石器で岩をバラバラ飛ばしたりもするし 
バリスタで縄を打ち込んで建造物を引き倒したりもする。 
バリスタは軌道が低くするけどそれは命中率は高める為であくまで放射線。 
だいたい左右ならともかくそんな前後に密集しない。 
バリスタで石飛ばしても充分な破壊効果はあるし、種類よりも石とカタパルトの大小の方が関係ある。 

188: 世界@名無史さん 2005/08/02(火) 17:11:10 0
オナゲルは紀元前3世紀ごろに開発された投石機です。カタパルトと同じように捻りバネを利用して石を射ち出しました。横に倒した腕木がバネの力で前方のクッションに激しくたたきつけられ、腕木にぶらさがっていた石がいきよいよく飛んでいくという仕組になっています。腕木がクッションをたたく様子が、ロバが後足でキックするのに似ているためオナゲル(野性のロバ)と呼ばれました。


引用元: ・【刀剣弓矛】 武具総合 【槍槌鎧楯】




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