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1: 人間七七四年 2011/04/21(木) 15:54:10.90 ID:3XXnNPQM
江戸幕府を開く徳川家康を排出した松平氏の歴代当主や一族である十八松平、家康の子である信康、忠吉、信吉、忠輝らも語りましょう。 







2: 人間七七四年 2011/04/21(木) 18:39:10.63 ID:QBrVFbQA
血筋的な意味での松平本宗家って未だに残ってるんだよな

6: 人間七七四年 2011/04/21(木) 21:42:14.46 ID:3XXnNPQM
通字は「忠」や「親」、家康以降は「家」が追加された感じですかね?

8: 人間七七四年 2011/04/22(金) 08:43:16.13 ID:4J/b9NgQ
>>7
康は確か清康が初だし、家康も清康を尊敬して康を名前に入れたから通字じゃないと思う
他の松平一族(康忠とか)のは家康からの偏諱だろうし

松平 清康(まつだいら きよやす)は、戦国時代の武将。三河松平氏(安祥松平家)の第7代当主。安祥松平家は清康の代に安城岡崎を兼領し、武威をもって離反していた一族・家臣の掌握を進め西三河の地盤を固めた。徳川家康の祖父にあたる。


10: 人間七七四年 2011/04/23(土) 02:19:03.13 ID:+zoYaKlX
>>6
家康が松平元信だったりしたこともあるし、過去の当主にも散見されるから「信」の字も通字に含まれるかも?

9: 人間七七四年 2011/04/22(金) 12:21:22.07 ID:CeqQZC99
信康、秀康、忠康とか見てると康が通字の仲間入りしかけたように思う

11: 奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2011/04/23(土) 21:19:27.94 ID:qjONetde
通字といえるほど法則だってないような。

15: 人間七七四年 2011/04/24(日) 01:44:24.19 ID:HbN/Apr/
忠輝や忠吉って、親じゃなくて兄から一文字もらってるのな。

21: 人間七七四年 2011/05/07(土) 19:37:14.60 ID:16zGTjI3
>>15
忠輝は長澤松平家の政忠、康忠などの「忠」でしょう。忠輝の相続は慶長7年で既に秀忠が後継者とみなされていますから、秀忠の「忠」を貰っている可能性もありますが、まだ、後継者の段階ですので貰うのならば、家康自身からになるでしょう。

忠吉は東条松平家の家忠でしょう。天正9年東条松平家の家督を継ぐとともに忠康と名乗っています。この段階では秀忠はまだ徳川家の跡取りとは認められていないでしょう。
それよりも、「吉」のほうが信吉とともに秀吉の「吉」の可能性があるのではないかと・・・・。

22: 人間七七四年 2011/05/07(土) 21:11:02.79 ID:ea4s2K6f
「義」とか「頼」とかは、家康の源氏かぶれからきてるのか?

23: 奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2011/05/07(土) 22:53:55.56 ID:upgByAu+
「義」と「頼」を相続権のある分家の分家にだけ使うセンスがカギなんだろうな。

25: 人間七七四年 2011/05/16(月) 18:33:00.69 ID:BaODE3FS
松平清康って結局どの程度の人物だったんだ?あれは松平旧臣達の死んだ子の歳の数を数える真理と家康の祖父という事で評価されたのか
実際生きてれば織田信秀今川義元を滅ぼせていた可能性もあるのか?

26: 人間七七四年 2011/05/16(月) 20:40:37.73 ID:f09mp8KG
若くして亡くなってしまった以上、わからないというしかないな
希望的観測を多分に交えて語る事も、逆に無理に貶める必要もないわけで

27: 人間七七四年 2011/05/16(月) 20:43:15.72 ID:cSA0K3u6
実際信秀との直接対決も無かったしな
まあ、死んだ原因が信秀の謀略だったら信秀>清康になるが

29: 人間七七四年 2011/05/16(月) 21:40:30.29 ID:BaODE3FS
ただ松平清康の場合もし長生きしていたて信秀を滅ぼしていたら後の信長の出番はないわけでそういう意味で森山崩れってのは大きな歴史の分岐点だったと言えるような気がするなあ。
実際清康は正直未知数な所もあるけど信秀は隣国三河と美濃の混乱に乗じて一時的に飛躍はしたけど隣国が安定してからは東は斎藤道三に負け、西に至っては義元に一方的に嬲られてた感じがするし 尾張内部でも信友如きに滅ぼしきれずに何度も足元すくわれそうになってたし
森山崩れ

享禄3年(1530年)には尾張国へ再出兵、岩崎城 を落とし岩崎郷(日進市岩崎町)を、品野城を落とし品野郷(瀬戸市品野町)を奪った。そして三河統一の勢いに乗った清康は、斎藤道三と織田を挟撃するため、1万余りの大軍で尾張に進軍。

天文4年(1535年)12月、清康は尾張に侵入し織田信秀の弟の信光の守る守山城を攻めた。この守山の陣の最中の12月5日(12月29日)、清康は大手門付近で突如、家臣の阿部正豊(弥七郎)に斬られ即死した。これを「森山崩れ(守山崩れとも)」という。享年25。これは松平信定の策略であったといわれている。


30: 人間七七四年 2011/05/16(月) 21:42:05.70 ID:BaODE3FS
経済力を背景にしてただけで戦はあんまり強く無い。悪く言えば信長の下位互換、進化前って感じしない?

31: 人間七七四年 2011/05/16(月) 21:54:31.41 ID:CkMvs51R
13歳で家督を継いで、6年で三河統一している
まぁ只者ではないな

33: 人間七七四年 2011/05/16(月) 22:12:00.33 ID:BaODE3FS
>>31 
そこなんだよね。悩ましいのは。いくら昔の人間が今より早熟だったと言ってもちょっと若過ぎるような気がするんだよ。まして清康の場合親父も爺さんも普通に生きてたわけだしどこまで実権があったか微妙なんだよな。
親父は暗愚だったと言われてるけど爺さんの長親は普通に有能の部類に入るだろうし実際家中のパワーバランスはどうなってたの?

34: 人間七七四年 2011/05/16(月) 22:15:24.54 ID:cSA0K3u6
守山に長親って従軍してたっけ?
してないなら1万余の軍勢を清康が一人で統率してたわけだからそれなりに有能だとは思うが

35: 人間七七四年 2011/05/16(月) 22:28:17.44 ID:BaODE3FS
>>34 
いや有能は有能でしょう。無能だったら親父みたいになってるだろうから。
ただいくら何でも13歳で家督相続したら最初の数年間はまともに実権があったとは思えん。まして上にも書いたけど直系の先祖が普通に生きてるんだから。

36: 人間七七四年 2011/05/16(月) 22:34:16.91 ID:BaODE3FS
ただ守山崩れの後松平氏が内も外も相当ぐちゃぐちゃになったのは事実で長親なり信忠なりがある程度力を持ってたならあそこまで混乱するのか?
という感じもするから正直色々な意味で清康って未知数だなあと思ったんだけど。

37: 奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2011/05/16(月) 23:03:34.52 ID:GKDj61z7
守山崩れは信定もいたからね。
将としては有能でも、家政を誤った人なんだろうよ。
松平 信定(まつだいら のぶさだ)は、戦国時代の武将。松平長親の子。十八松平の1つ桜井松平家の初代。松平宗家の家督を巡り、兄の松平信忠との対立に始まり、清康・広忠と宗家3代にわたり反意を示したが敗れた。

38: 人間七七四年 2011/05/16(月) 23:10:06.52 ID:cSA0K3u6
まあ誤ったといえば誤っただけどやりたかったのは安城松平家の完全主君化だったんだろうね
それで一族厳しく取り締めたらあぼーんという
いや、守山崩れが信定の差し金かどうかわからないけど

39: 奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2011/05/16(月) 23:19:15.43 ID:GKDj61z7
完全主君化すなわち信忠本流路線で桜井に信定を入れて戦国大名化を図るという思惑から始まったとして
信忠不肖、清康頓死となれば、長親は広忠よりも信定に肩入れしたくなるだろうよ。

41: 人間七七四年 2011/05/16(月) 23:39:55.77 ID:BaODE3FS
>>39
いやーでも信定ってさバカだよね。長親が消極的に味方してくれてんのに最後四方八方みんな敵になって自滅してる。根回しの能力とか全く無いような

43: 奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2011/05/16(月) 23:51:17.05 ID:GKDj61z7
>>41
いや、それは彦左とか江戸の過剰な改竄もあると思うよ。
桜井は碧海郡だから周囲の状況をさっ引いてやらないと。

44: 人間七七四年 2011/05/17(火) 00:24:39.45 ID:whu8Hnj0
だからさあ上に書いてある通り全てが眉唾臭いんだよな。まず第一に長親の隠居が早過る上その理由が不明。信忠にしろ大きな失点がないのに隠居させられる。しかも後継者が13歳の子供。こんな例はそうないぞ。普通はもうちょっと大きくなってからだと思う。
そして最初の数年間誰が実権握ってたのか不明。長親にしてはイマイチ説明つかず。
そして守山崩れ。普通下剋上って人生下り坂の時家臣に狙われると思うんだが何故か勢力拡大中に暗殺される。これも真相不明。

さらに信定に至っては広忠は暗愚で且幼君な為本来最高権力者でおかしく無い筈の長親が味方してるのに何故か四面楚歌状態になってる。一体だれが反信定の司令塔になったんだ?そして何故かその広忠も暗殺され、家康は三河に帰って来たそうそう大規模一揆。どう考えても色々胡散臭い。

江戸期になって誰が意図的に歴史を書き変えたんではなかろうか?俺が思うのは長親末期辺りから松平本家を隠れ蓑にした影の実力者当たりがいたような気がするんだよなあ。
畠山における遊佐みたいなのが。その人物が邪魔な松平家の人間を次々暗殺したり失脚させたりしていったなら説明がつく。でないと色々不明な点が多過ぎる。そして江戸期に入って意図的にその一族ないし人物の存在を抹消したのでは?

48: 人間七七四年 2011/05/17(火) 00:48:00.26 ID:7d8jyH4Z
>>44
三河物語そのものが、陰の実力者一族の弁明の書と考えられなくもない。
大久保一族の没落の凄まじさは、古参譜代の中でもあり得ないレベルだろう。
長安みたいな怪しげな技術者を身内にしたり、一応太閤ご指名となっているが徳川のサラリーキャップの上限を超える4万5千石に要衝の小田原拝領といい、家康にとっての最高功労者、鳥井元忠の4万石を超える高待遇。
井伊、榊原、本多の三傑に次ぐ、功績を挙げてるとは思えないというか、真田に敗北して、徳川の武名を鳥居元忠ともども下げてるのに、明らかに優遇されてるのも怪しい。案外、大久保一族が黒幕じゃないのか?

49: 人間七七四年 2011/05/17(火) 00:55:50.29 ID:w7mNFHkp
しかしそんな大層な黒幕をなんで家忠が愚痴に書かなかったんだろうという
そういえば家忠もこのスレで語っていいのか……特にネタないけど

51: 人間七七四年 2011/05/17(火) 01:07:06.02 ID:whu8Hnj0
>>49 
そりゃ1555年生まれの家忠が元服するころには普通にその人物は死んでたか力無かったんではなかろうか?
もしその時代になってもそんな人物がいたのなら信長公記だのなんだのに記載されてるだろうから徳川だけの遺志では抹消できんだろう。

52: 人間七七四年 2011/05/17(火) 01:13:50.14 ID:w7mNFHkp
>>51
んー、そこまで権力握れるやつがいたら家忠の時代まで一族ぐらいは残ってるはずだし、一族皆殺しとかになってたらそれこそ抹消できないレベルっていう
あと、大久保党じゃなかったら流石に彦左が書いてるはず
大久保党が黒幕だったら家忠が「大久保もすっかりしょぼくれたなー」とか書いてそうじゃない?

53: 人間七七四年 2011/05/17(火) 01:19:02.73 ID:whu8Hnj0
>>52 
三河在住の譜代の人物ならそうだろうけど北条早雲とか斎藤道三みたいな他国から流れついてきた人物が1代で権力を握ったパターンならその人物亡き後一族が残って無くても不思議じゃ無くね?

55: 人間七七四年 2011/05/17(火) 01:24:51.67 ID:w7mNFHkp
>>53
そんな人間がいたら確実に口伝として残ると思う
あと、そんなのがいたらここぞとばかりに彦左が
「我が大久保家はあのような者にいじめぬかれても変わらぬ忠節を御家に尽くし……」とか書くんじゃないかな

56: 人間七七四年 2011/05/17(火) 01:30:39.92 ID:whu8Hnj0
>>55 
じゃあもし俺の説が正しいとするとやっぱり該当する人物は大久保党の誰かだったのかな?それとも俺の妄想?でも長親から広忠に渡って最後が不自然過ぎる上に、反信定の旗頭になれる人物が存在しなくなるんだけどなあ。

57: 人間七七四年 2011/05/17(火) 01:48:48.95 ID:w7mNFHkp
>>56
残念だけど妄想だと思うな
そこまで出来る人物が何十年も後継ぎを作らずに死んで、しかもあらゆる記録に残ってないとなると奇跡のレベルだし

58: 人間七七四年 2011/05/17(火) 01:55:41.54 ID:whu8Hnj0
でも広忠の時代に長親に対抗できる人物が家中にいた事は事実だよね?
でなければ信定の簒奪計画があそこまで失敗する事は無い筈。
誰だったと思う?

59: 人間七七四年 2011/05/17(火) 02:01:17.80 ID:w7mNFHkp
それこそ家臣団じゃないかなあ
いくら長親が宗家長老といったって信忠飛び越えて孫の代。
三河物語とかの話に基づけば清康は家臣によく懐かれてたみたいだし、すでに分家筋になった桜井ごときに従うくらいなら広忠様を盛りたててやるわ!みたいな感じだったんじゃない?
よくも悪くも三河武士は勝手だし

60: 人間七七四年 2011/05/17(火) 06:27:54.05 ID:tGyU2DBj
岩瀬松平氏じゃないの?

63: 人間七七四年 2011/05/17(火) 12:04:20.22 ID:dVLCK0bS
>>60
岩津な
確かに何故か消えた謎の惣領家は怪しいかもしれんなあ
岩津家については京に上って伊勢氏に直接仕えたという話も聞いたがどの史料に残ってんだろ

151: 人間七七四年 2014/02/26(水) 21:04:37.07 ID:nsJ+Xbd3
>>63
残念ながら消えたのではなく滅亡しました。

65: 人間七七四年 2011/05/18(水) 01:37:21.03 ID:/S5I2GUC
しかし三河物語の清康が長生きしていればという意見だが例え守山崩れが無くても尾張を領国化するか最低でも信秀を滅ぼしとかないと史実の義元のポジションが清康になるだけな気がするなあ。
一向一揆も手つかずだし果たして尾張を領国化できる目はあったんか?
案外史実の家康と氏真のポジションが入れ替わって今川幕府なんてもんが出来てたりして。

66: 人間七七四年 2011/05/18(水) 01:46:19.87 ID:cdiwu2QG
調べたら信秀との直接対決はないにしろ織田に対して無敗だな
1529年7月 品野郷・岩崎郷・小島城をそれぞれ制圧
1533年3月 広瀬城・寺部城の将が岩津城を攻めたのでこれを迎撃して打ち負かす
1534年6月 広瀬・寺部両城を制圧

67: 人間七七四年 2011/05/18(水) 02:03:00.56 ID:/S5I2GUC
花倉の乱が翌年起こってるから確実に東進するだろう。と言っても西から松平が攻めてきた場合今川自体滅んでた可能性がある。
そうすると駿河は武田と北条が分割して遠江を掻っ攫ったとして50万石ちょっとか。信秀がどこまで耐えられるかだな。信秀も凡将ではないけど、良将止まりで名将とは言い難いから清康の尾張支配部分が10万石くらいで耐えられるかだなあ。
それ以上だと流石の信長でも逆転不可能だろうし、あとが一揆次第か。

70: 人間七七四年 2011/05/18(水) 08:10:01.83 ID:KbxnuLLd
>>67
信秀の強みは、商業地からの収入だから、一概に石数では測れないが、まあどこまで耐えられるかだよなぁ。

68: 人間七七四年 2011/05/18(水) 02:15:50.81 ID:cdiwu2QG
まあ、信秀もまだ全盛期じゃないだろうからな
32年が名古屋城乗っ取りだし
一揆もどのタイミングで起こるか、だからなあ

関係ないが信秀って三河守に任じられてたのか
家康があれほど家系偽造して任じられた官職をよくもまああっさり……

71: 人間七七四年 2011/05/18(水) 08:47:12.87 ID:nGHWYeCt
>>68
松平でも多分、三河守はもらえたと思う
勅許による改姓が問題だったはず

72: 人間七七四年 2011/05/18(水) 10:38:54.54 ID:HIAPQyVj
>>71
ああ、そうなのか
対今川や十八松平用に改姓して、尚且つ三河守にならなきゃならなかったから苦労したわけね
……というか何故徳川だったんだろうな?
世良田なら先祖に三河守いるし、だから清康は世良田名乗ったらしいし

73: 人間七七四年 2011/05/18(水) 11:25:09.66 ID:nGHWYeCt
それなりに世良田は名が知られているからこそ、敬遠したとも言える
得川なら無名と評しても良いし

74: 人間七七四年 2011/05/18(水) 11:33:47.65 ID:69cZ8Ift
叙任の仲立ち(つーか斡旋かな)をした近衛らによるコーディネイトの
産物じゃないかな

76: 人間七七四年 2011/05/18(水) 19:30:54.31 ID:Oivum7uu
>>73-74
なるほど、そういや清康は世良田を名乗ったはいいが吉良家に速攻で否定されたとか言うから無名の家の方がやっぱり良かったんだな

そういや清康は京まで行った話もあるのに任官はしてないんだな……

77: 人間七七四年 2011/05/18(水) 19:44:21.27 ID:nGHWYeCt
家康が勅許にこだわったのも、その点があるでしょうね
三河は足利氏の影響で源氏にはうるさい場所でしたし

79: 人間七七四年 2011/05/18(水) 20:50:37.18 ID:/S5I2GUC
一つ聞きたいんだけど清康の三河統一ってどの程度の統一?
信秀の尾張統一くらいの名義だけで国内に守護・守護代だの色々残ってますよ的取り敢えず最大勢力です的統一なのか。
1569年の信長的な概ねまあ統一って感じなのか?
桶狭間後の対外勢力の介入も許さないほぼ統一状態なのか
信清滅亡後の誰も反抗する気さえ起きない完全統一なのか
どれ?


81: 人間七七四年 2011/05/19(木) 08:11:45.30 ID:5Rn2bJny
清康自体がぱっと出て、ぱっと消えてしまったから、線引きは難しい気がする。
でも、松平一族は取りあえず押さえていたのではないかと思う。
松平党って、それこそ清康が出てくるまで、党としては絆が強いみただけど、主従
関係は結構曖昧じゃないか?

102: 人間七七四年 2011/11/20(日) 00:38:33.49 ID:KI8Cr9an
清康の死って不自然だよな。
斬った阿部弥七郎の父・定吉は処刑も切腹なされてないし。

103: 人間七七四年 2011/11/20(日) 02:37:44.83 ID:HM0XAixz
その血縁が阿部正次ってホント?

106: 人間七七四年 2011/12/07(水) 22:40:46.65 ID:LNYyWMUI
>>103
阿部正○系と、阿部大蔵系の血縁関係は不明。
清康殺害という事件が、有力譜代としては汚点すぎて記録に残せないのか、分家した世代が古くて、親戚付き合いも無いほど疎遠なのか、全く解らない。

ただ意外な事に、大蔵系の子は譜代の井上姓で続いてる。
てっきり家系は絶えたと思ってたんだけどね。

引用元: ・【信康・忠輝】歴代松平一族を語る【長親・清康】




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